Hatena::ブログ(Diary)

カレー帝国の逆襲

2014-01-08

話数単位で選ぶ!2013年TVアニメ10選

こういう他人の企画には積極的に便乗していくことでお馴染みマンなので頑張ります!!!!!!!!!!!!!


各話の感想については元来の面倒臭がりが発動して自分の過去記事から引っ張ってきてます。



10位 惡の華 第八回



長濱監督はハルヒ的な新たなムーブメントを起こそうとしているというか、誰もやろうとしなかった(敬遠してきた)試みをここで意図的にやろうとしている感じがする。それはこのアニメのテーマ自体が既に一般的な人間からすれば敬遠されるべきものであり、そうした大衆狙いではなく特定の層に向けて刺さるように作られたこの惡の華という作品を利用してる節すらあるんだけど、まあ持ちつ持たれつというか、原作者である押見修造もこの状況を楽しんでるようなのでそれなら視聴者である我々に口を差し挟む余地はない。

で、上述した「新たなムーブメント」「敬遠されてきた試み」として象徴的だったのがAパートにおいて春日と仲村さんが二人手を繋いで歩いているシークエンス。下手すれば冗長的に思えてしまうほど長く、二人は学校から家までの道を手を繋ぎながら歩いている。この「何かあるようで何もない」という長い時間は1話で既に見られたものだ。そもそも1話の尺の使い方は少々異常なところがあった。春日が佐伯さんの体操着を盗むのは原作において一番最初、ページ数にして50ページにも満たない部分だ。しかしアニメでは春日が佐伯さんの体操着を盗むまでに20分以上の時間を使っている。

以上のようにこのアニメでは一般的に「溜め」と言われる時間を用いることが多い。最近の情報過多のアニメとは真逆のベクトルで、とにかく無駄な贅肉をそぎ落として骨と皮だけになったような脚本。なのでいくつかの心情描写も必然的に抜け落ちてしまうのだけど、この「溜め」の時間がキャラクタの心情をこちら側が読み取れるような「行間」として作用してるのが興味深い。春日と仲村さんが歩いていたあの長い時間は春日が「明日が来ること」への恐怖や自分(たち)が行ったことを反芻するための時間だった。それがダイレクトにアニメに反映されて視聴者にも分かるようになっている。あのシーンを長いと感じるか短いと感じるかでその人がこの物語を内から見てるのか外から見てるのかがわかる。

他には春日が帰宅してから朝学校に登校するまでの時間が長いというのもある。これは完全に春日ひとりに関連付けられる時間の長さだ。春日は自分のやったことの重大さを(仲村さんと歩いて帰っている時に)もう既に噛み締めているので、ここでの時間の長さは学校へ行って自分のやったことがバレてしまうという恐怖のみに集約される。この恐怖は教室で「自分が行ったことが周りにバレていない」とわかった時に安堵と後悔の念に分裂することになる。

そしてラスト、春日が行ってきた全てのことが佐伯さんにバレてしまったところでの幕引き。尺を贅沢に使ったのは恐らくここで一旦締めたかったという思惑もあったんだろう。前回で教室を自分の感情の赴くままにめちゃくちゃにした昂揚感から、自分の行いが一番知られたくなかった人に知られてしまうという絶望感への突き落とし方が上手い。こうした光と闇のバランスがしっかり取れているからこそ我々は惡の華というアニメを信頼出来るのだ。



9位 ガッチャマン クラウズ #10 「Crowds」



インターネットという空間あるいは一種の装置が人間の悪の部分を増幅し際限無く放出させるという現実を踏まえた上で、それをオブラートに包むこと無く描き「一つの悪が集合体を悪に染める(悪事を最もらしく正当化する)」ということに対してマイノリティがどう対処するか、それをクラウズという人々の悪の集合意思を具現化した存在によって明確な収束が可能になっている。

1話においてはじめが敵を生け捕りにしたのはここでクラウズ(と結び付いてる人間の脳)にダメージを与えず生け捕りにするための伏線だった。総理大臣がポンコツというのは有り触れた設定すぎて物足りなさがあるけど、このアニメはそうしなければならなかった理由が明確に現れているのでそこいらのB級作品とは一線を画する。

擬似的な無血戦争の中でガッチャマンという存在が表立って活躍する機会を作り、カッツェとの闘いで心を折られたジョーを今まで活用されていなかったノートに書かれた他のガッチャマンたちの意思により突き動かす、この前半でばら撒いたピースが後半になってしっかりと嵌り一つの絵を成してくる構成の美しさは今期作品では比較対象にすらならないくらい突出していて、近年の中村作品(C、つり球)において発揮された圧倒的ポテンシャルが未だに衰えてないことを実感する。

リーダーなのにヘタレだったパイパイが子供達のために立ち上がったり、ジョーが失っていた過去の自分の原動力を取り戻したり、今回は上位クラスのガッチャマンにスポットを当てた内容だったので、次回(最終回手前)でおそらくうつつと清音の話をやることになるはず。



8位 ちはやふる2 第十九首 「ゆくへもしらぬ こひのみちかな」



パーフェクト。これぞ正しき原作のアニメ化というべきだろう。視覚効果と音響効果を駆使して試合の緊迫感とキャラクタの存在感を余す事なく表現出来ており映像作品の極地に到達している。特に静と動の表現に関しては近年最高峰と言えるくらいだった。

かるたの団体戦は全ての試合が同時に進んでいくが故に、どこかひとつの試合に焦点を絞ってしまうと他の試合が勝手に進んでいってしまうという弱点があるんだが、今回はチームのリーダーである太一の試合にクローズアップしたことで結果的にチーム全体の成長を表せていた。

北央との運命戦の試合など過去の全ての経験を総動員した、まさに日本一を決める決勝戦に相応しい集大成といえる出来映え。いつも運に見放されていた太一がここにきてついに運を味方に付けたという点も含め、落として上げるという基本的な構成が成功した好例。

原作を読んだ時の10倍くらい感動した気がする名作回だった。バトルアニメを多く手掛ける小野田演出が完全に嵌っていたのも大きい。コンテに芦野芳晴を持ってきたのも勝負かけてるという熱意が伝わってくる。最近の芦野コンテといえばまどかマギカや偽物語なんかのグロテスク演出で認知されてる気がするけどこういう普通に「画面の中の物語を見せる」というコンテも切れるんだなーとわかったのも収穫だった。もしかして「ファースト・スクワッド」とかもこんな感じのアニメなのか(見てないけど)。



7位 ジュエルペット ハッピネス 第11話 「うんどうかいだよ〜!」



今年見たあらゆるアニメのギャグ回の中で一番笑った。言語化不能の内容なので是非本編を見て確認してほしい。



6位 超速変形ジャイロゼッター 第48話 「ハルカなる未来の君へ」



ハルカとシュンスケに焦点が当てられた時にこのアニメは突然名作と化すので今回もそうなるかなと期待して見てたら期待以上だった。あの傑作バレンタイン回やシュンスケ病気回を容易く超えるほどの完成度を誇る脚本と明らかに大人に向けられた緻密な演出、何をとっても完璧なので、これシュンスケ主人公でハルカがヒロインのアニメだったら時代を作れる作品になっていたとわりと本気で思っている。

ハルカが所謂クローン人間というのはわりと予想外で、「時空を超えて死ぬ前のハルカを現在の時間軸に連れてきた」という話だと思ってたけど、そんなことはなくて案外直球だった。己が普通の人間ではないことを知ったハルカがシュンスケから身を引いていき、やがて反発するというのは最近だとヴァルヴレイヴの逆パターンで新鮮というわけではないのだけど、危機に陥ったヒロインを主人公が救い出すという構図の方が純粋に面白い。

ハルカとシュンスケが刃を交えてから両者が拳で闘うまでのシークエンスに一切の無駄がなく、そこからシュンスケの擬似プロポーズまでは本当に神懸かっていた。その後のタケルのセリフや未来でハルカが生きてるという突然の都合良い設定を除けばBパートは余裕で満点だった。

未来でゴートと会っているという時点でゴートは黒幕にはならないと確信したんだが、まあ名前の時点で誰かの身代わり的なキャラになるのは予想できた。それがジャドーだというのも同じく名前から想起できる。展開はほとんど凝ったりせずにストレートを投げ続けている感じなんだけど、回を増すごとにストレートの見せ方が上手くなってきている。そろそろ終わりが近付いてきているのが寂しい。何だかんだでもう1年近くも見てるのでやっぱりそれなりに愛着が湧いてくる。



5位 琴浦さん 1話「琴浦さんと真鍋くん」



とてつもないダークホースだった。キャラデザやあらすじを見たところてっきりギャグ一辺倒のアニメなのかと思ってたんだけど、予想を遥かに超える前半部のシリアスさに度肝を抜かれた。これはすごい。リアルじゃないのにリアルな質感がある。「インパクト」という要素に絞って考えればこのアニメが今期で1番だろう。おれ含め原作読んでない人間はこの1話目でいきなり脳天撃ち抜かれたのでは。

キャラデザが幼めな上に金元寿子の声も幼な目なので前半のシリアスさがより切実なものとなって心臓に訴えかけてくる。そして散々落とされたところで真鍋という琴浦さんにとっての救世主と言うべき人間が登場してから黒ずんでいた世界が急に色付き出す。この落として上げるという基本パターンが尋常じゃなく上手い。有無を言わさず物語に引き込んでしまう物凄い力がある。

構成力が凄まじいのに加えて主演の金元寿子の演技力が『ソラノヲト』の時とは比べ物にならないほど上達しており、結果的に非常に密度の濃い情報の塊が脳を直撃してくる。真鍋が琴浦さんの対極に位置するような底抜けの馬鹿キャラなのも良い。暗くなりがちな物語を上手く中和している。



4位 きんいろモザイク Episode1「ふしぎの国の」




話自体は普通の日常もののフォーマットから大きく逸脱しているわけでもないのにこの泣きたくなるような心の昂りは何なんだろう。視覚に訴えかけるエモーショナルな刺激や物語に圧倒的なカタルシスがあるわけでもない。魔法も化物も犯罪もない、それなのにそれらが存在している作品のほとんどよりもずっと魅力的に映るこの仕掛けは何なんだ。

この感覚は2年前の『異国迷路のクロワーゼ』で味わったものと似ている。あちらよりも幾分かキャラがデフォルメされていて、絵もアニメ的なんだけど現実と地続きになっているような独特な空気感は同じベクトルと言っていいだろう。主人公たちの笑顔が見れただけで身体中が満たされて死ねるパターンのやつだ。理由も根拠もいらない、キャラクタが一人の人間として生を受けて生き生きと表情豊かに動いているだけで全てが赦される。

主人公の忍が海外に留学した際にホームステイ先のアリスと徐々に仲良くなっていく描写を一番最初にもってくるのが(原作通りかは知らないけど)構成としては完璧だった。出会いと別れの後に再び出会い、つまり再会が存在するという物語の基本構造であり、普通の作品なら「出会いと別れ、そして再会」で終わるのだけど、このきんいろモザイクが特殊なのは「再会のその後」がメインで描かれるというところ。

これ、物語としてはもう一周以上していることになる。海外留学の話が2話目以降で回想として用いられた場合は上記の構造が成立しない。再会が普通の出会いというスタート地点になってしまうからだ。しかし最初にホームステイというスタート地点となる出会いを用意することで物語を時系列に沿って無理なく展開させていく。そのためOPのあとにEDがやってくるというテレビアニメにおいてはかなり特殊な形態になっているんだけど、この流れでは違和感がないので全く気にならない。型にはまらない作り方は既存の文脈を大きく逸脱していなければ基本的には評価できる。

とにかく全くもって文句無し。GJ部・ゆゆ式と続いてきた日常系アニメの勢いは留まるところを知らない。何かを生きる糧にしなければ死んでしまうような人間にこそ見られるべきアニメだと思う。負の感情の全てを飲み込んで浄化してしまう高純度の慈愛が配合されていてもう既に名作予備軍の仲間入りを果たした。



3位 ラブライブ! 第13話「μ'sミュージックスタート!」



これはもう何も文句の付けようがない、最高の終わり方だった。ラブライブというコンテンツ展開のことをしっかりと念頭に置いたうえで、無理なく穂乃果の復活とことりを連れ戻すことに成功している。穂乃果がμ'sを抜けて他の友達と遊んでいる中、ダンスゲームによって「学校の存続」というμ'sの活動目的を抜きにしても単純に「歌って踊ることが楽しかった」という事実を思い起こさせる。確かに結成理由には学校のことが関わっているが、ステージで歌い踊っているときの穂乃果は恐らくそんなことは考えていなかったはずだ。ただ純粋にステージに立って皆の前で練習した曲を披露することが楽しかった、そのことに自ら気付くことで少しずつμ'sに対する考え方・向き合い方を変化させていく。街頭でALISEの映像を見たり、アイドル活動を続けていくために神社の境内で練習しているにこたちと再び接することで、さらに穂乃果の中の「アイドル」そのものの意味を見直すことになる。最後の駄目押しは絵里の告白だった。自分の弱さを曝け出すことを躊躇わず、穂乃果の存在が絵里にとってどれほど大きかったかということ、それを聞いた穂乃果が決心を固めることになる。

Bパート最初の講堂はやはり3話目のライブ時の様子を想起させる。あの時と違うのは、そこに穂乃果と海未はいてもことりがいないということだった。穂乃果が海未を呼び出したのは、海未に謝るというよりは自らの決意を海未に伝えるためという意味のほうが大きかった。それがつまり穂乃果が最初からやってきた「やると思ったら、何だってやれた」という経験に裏打ちされた、ある意味自分勝手な行動である。しかしその自分勝手さは最終的にμ'sを引っ張っていく原動力になっていた。そして今回もその勝手さでμ'sを再始動させることになる。誤解を恐れずに言えば、高坂穂乃果という人間は自分勝手だ。しかしそれは決して「自分本位」の考えに基づいているわけでも、ましてや自己中心的なわけでもない。以前穂乃果は「周りのことが見えていなかった」と自省したことがある。しかしその「周りのことが見えない」時は決まって人一倍何かに打ち込んでいる時だった。それも自分の欲を満たすためのものではない。誰か(何か)を救うための行動だ。そう考えると11話における穂乃果のダウンは「自分本位で頑張ったから」だとも言えそうだ。

だが最後になって穂乃果はようやく自分と他人のため、その両方を掴もうとして動くことが出来た。ことりを連れ戻したのは間違いなく穂乃果のわがままだ。しかしことりが本当は「留学するよりもμ'sとして皆と一緒に活動していたい」という思いを抱いていたことが明らかになった時点で、そのわがままはわがままではなくなった。両者の思惑が一致した時点で、穂乃果の行為は誰かを救う行為に変化したのである。「ことりが留学取りやめるのは強引じゃないの」って言う人がいるけれど、ことりはそもそも最初から「留学することを迷っていた」わけで、今まで振り回されてきたけれどずっと一緒にいた穂乃果に「ずっと一緒にスクールアイドルをやりたい」と言われたらそりゃ本当の気持ち(留学せずにμ’sの一員としてスクールアイドルを続ける)に素直になろうとするだろう。だからあの空港のシーンは極めて自然だ。ちなみに空港で穂乃果がことりを迎えに行くシーンと、ライブ開始ぎりぎりになって穂乃果とことりが入ってくるシーンは時間軸が一致していない。空港のシーンが早朝、ライブは夕方近くだと考えるのが一番自然な時間の流れだろう。空港で穂乃果とことりが抱きあうシーンで時計が映されていて、「7:52」を示しているから恐らく間違いない。あと穂乃果がことりを連れ戻すシークエンスにおいて1話で流れた「ススメ→トゥモロウ」が再び流れたのは示唆的だろう。ことりを連れ戻してμ'sを再生させることは未来へと続いていく行為だ。空港で穂乃果がことりに対して「いつか別の夢に向かう時が来るとしても、それでもことりとスクールアイドルをやりたい」と言ったのだってそのまんま未来のことを示している。穂乃果とことりが他のμ'sメンバーのもとに向かってる間に流れているのが「可能性見えてきた 元気に輝ける 僕らの場所がある」という歌詞の部分だなんて、全くもって出来すぎている話ではないか。穂乃果にとっての未来とはまさにμ'sそのものだったのである。

そして最後のライブ。全部手描きというのはさすがに無理だったが、それでも多幸感に満ち溢れたライブだった。3話目で人のほとんどいない講堂で歌った時の「START:DASH!!」とはまるで違う。よく比喩的表現で「音楽に表情がある」というような文言を目にするが、まさにこの「START:DASH!!」という曲には表情があって、3話目とこの最終回ではその表情がまるで違う。もちろん単純に人数が3人から9人になったということもあるが、悲しみや焦りを含んだ緊迫した印象があったあの時のライブと、全員の笑顔と楽しさが伝わってくるような躍動感のある今回のライブ。今までの物語を振り返るにはこの曲があれば充分だったのだ。あの日3人でスタートダッシュして、一旦分解したμ'sがまた再始動することになった。その始まりの曲があの時歌った「START:DASH!!」であることはもはや必然だろう。「講堂を満員にする」という穂乃果の夢はあの時その夢を誓うきっかけになった曲でなければならない。「迷い道 やっと抜け出したはずさ」という歌詞もこの時のことを考えて書かれていたかのようだ(というか多分そうなんだろう)。「講堂を満員にする」夢が叶った穂乃果は歌詞のとおり「喜びを受けとめて」進むことになる。「君と僕 進むだろう」における「君」は他のμ'sメンバーだろうし、勝手な解釈が許されるなら我々視聴者のことをも含んでいるのかもしれない。「君たち」ではなく「君」なのが集団ではなく一人一人のことを示しているようで憎い書き方だ。さすが畑亜紀である。「START:DASH!!」は他にも「雨上がりの気分で高まる期待のなか 躓いたことさえも思い出にしよう」「またひとつ 夢が生まれ」などとにかく本編の内容を示している部分が多い。だからこそ物語を締める最終回にふさわしい曲なのである。ライブの振り付けが基本的に3話の時と変わっておらず、随所で3話と同じカットを使うことで見事に重ね合わせに成功し、穂乃果を中心としたμ'sの成長の物語として纏めることができた。



2位 ジョジョの奇妙な冒険 第20話「シーザー孤独の青春」



今まで溜め込んでいた力の全てが注がれた史上最高のエピソード。小手先の技や変則的な演出に一切頼ることなく真正面から男同士の戦いを描き切った究極のアニメーションだった。映像としても物語としても完成度が高過ぎてあらゆる言及が蛇足になってしまう。

作画・コンテ・演出・音楽・演技の五大要素全てが完璧も完璧、ジョジョだからとかそういう前提はもうどうでもいい。2部一番の名シーンでありジョジョシリーズの中でも特に気に入っていたシーザーの死に対してリサリサとジョセフが嘆き悲しむ場面が凄すぎた。今年これを超えるエピソードとかたぶん出てこないような気さえする。漫画読んでても泣いたけどアニメになるとダイレクトにくるよね。目が痛いし前が見えないし。

「神回なんて言葉使いたくねーぜ」と言いながらも三ヶ月に1回は神回って言ってる意志薄弱な自分に決別しようと思ったけどやっぱり神回と言うしかないですね。別に泣ける回=神回とかそういうわけじゃないんだけど、基本的に泣くというのは一番わかりやすい感情の動き方の証明なので仕方ない。なんかもう一年ぶんくらい泣いた気がする。

おれは最初から杉田ジョセフ肯定派だったんだけど今回でおおよその視聴者に肯定されたようで何より。杉田のあの叫びと音楽が合わさったシーンは至高。あの音楽は反則としか言いようがないですね、さすがあのシーンのためだけに作られただけのことはある。このエピソードが収録されたBD買わないとCD手に入らないみたいだけどまあ当然買うでしょう。

ジョジョアニメ化に不安しか無かった去年の10月からもうすぐ半年経ち、必然的に終わりも近付いてるわけだが今回の話を見れただけでもアニメ化した意味があった。これもっと予算があったら本当に劇場版と見分けがつかないくらいのクオリティになったんだろうなーというあたりが勿体無いところ。



1位 アイカツ! 第35話「涙の星



まさかアイカツに泣かされる日が来るとは思ってもみなかった。タイトルからしてちょっとこれは本気でくるなという予想はしてたんだけど予想以上だった。「落として上げる」という基本構図をこれほどまで美しく物語に落とし込んだ例は最近あんま無かったように思う。今年に入ってからのアイカツ神回率が非常に高い。

とにかく作画に対する気合いの入れ方が異常過ぎる。アイカツはライブ映像のクオリティを無限に上げ続けていることで期待度も高まってたんだけど、ライブ以外の場面でも作画が高水準で安定してきて今回でついに頂点を極めた感じがする。

蘭ちゃんさんを初めて勝たせたのにも関わらず出番減らすという脚本の方針はアレだけど、次回かその次の回あたりで蘭ちゃんさんが「やっぱり私はいちごやあおいたちと一緒にいたい(ユニットを組みたい)!」と言って戻ってくる展開普通にありそうな気がする。女児向けアニメだし蘭ちゃんさんはそこそこ人気あるらしいし簡単に出番減らしたりはしないだろう。

アイカツはやはり生きる糧になっているなーと確認できた文句なしの名作回。




というわけで何とか決まりました。一応ひとつのアニメにつき1話という制限を自分の中で設けていて、というのもひとつのアニメから何話でも選出していいならおれは1位から10位までアイカツで埋めてしまうからです。アイカツは人生。皆もアイドル活動しよう。