夏は豊島園のプール

大学生の頃から「夏には豊島園のプール」というおかしな癖がついてしまっていた。
どんな女の子を誘っていたかは思い出せない。
誰も誘ったことがないからだ。

下関から遠く離れた湯玉の海で泳いだことがあるが、あのときは女子高生に話しかけられて衝撃の結末を迎えた。そのときの顛末を知りたい方は「個人的昔話」の中に入っているので探してみてください。自分でもどこにあるのかわからなくなりました。

下関には家族で行くプールなんてのがなかったので、きったない近場の海で泳いでいたんだけれど、若いピチピチした若鮎が水着着て出てくるなんてことはなかった。
だから、東京での生活が始まって一番行きたくなったのが、豊島園のプールであることは責められないだろう。理解できるでしょ。

「プールに行かんかね」
「なんかええことあるんかね」
「ええことを作るんがあんたの仕事やろう」
私はミキちゃんと岡部と3人で行動するときは何故か指導者の立場にあったので、いつも厳しいことをあえて二人には繰り返し言っていた。

「岡部、あそこで飲みよる二人は絶対にこっち見よる。声かけておいで」
「なんて言うんかね」
「一緒に飲みませんか、やろうが。絶対に下関弁が出んようにせんといけん」
「できるかねえ」
「そんなことができんかったら就職できんよ」
「いや、やっぱりできん、イモ(私)、行ってきてーね」
「わしはあんたのことを思うて言いよるんがわからんかね。女子と話しとうないかね」
「すっごい話したい」
「そうやろ」
「いやー、それでどうするんかね」
「一緒に飲みませんか、ってさっきから言いよろーが」
「いや、やっぱりできん。ミキちゃん頼むけー、行ってくれんかね」
「なんて言えばえーんかね」
「お前らはアホか」

そんな会話が夏の夜、中野の丸井近くにあった地下の居酒屋で厚揚げ食いながら交わされていたこともあるな。
この続きは小説で詳細に渡り書くんで、それまでお待ちください。
大変なスキャンダルになるんで、身を隠す用意をしてからでないととても発表できない。
この歳でそんな小説書くかね。書く。

夏に若者の心が大きく乱されていた時代のことだ。

そんな流れで豊島園のプールに行く我々であった。
人の頭以外見えない波の出るプールや、どぶ川のような流れるプール。何が楽しいのかわからないまま、男3人黙って帰りの電車に乗ったものだ。
あのときにミキちゃんか岡部が勇気を出してくれていれば、何かが変わっていたかもしれないのに。
でも、水着の女の子には声かけられんね。
とてもそんな勇気がない。
今でも無理だ。
今やったらおかしなじじいだ。

それからはロンドンから帰ってきて娘を連れて行ったな。
楽しかった。
ああ、楽しかった。
水に濡れた頭にははっきりハゲが浮かび上がっていたが、そんなことは気にならなかった。
ウォータースライダーに繰り返し乗ったよ。
娘は平気なんだけど、私が階段上がるのに息が切れたりしてね。
毎年行っていた。

ある年、娘と二人だけで行った帰りにUターン禁止の標識に気づかず曲がってしまい警官に追いかけられ、大脱走はしなかったけど、えらく気分の悪い思いをしてしまい意気消沈してからあそこに行くことはなくなってしまった。
こっちは別に逃げてんじゃないから、走って追いかけんなよ。全然気がつかねーじゃねーか。それでブースカ言ってんじゃねーぞ。おかげで豊島園行かなくなっちゃったろーが。

豊島園のプール行きたいな、と思おうとするんだけど、どうしても行って楽しんでいる自分がイメージできない。
どうしてかしら、と思う私がどうかしてるか。

今は一人でドゥ・スポーツで泳いでいる私である。
楽しいことなんぞカケラもない。

青春時代の思い出はいつも苦い。
で、青春時代なんて俺にあったっけか。

ハワイでは夕暮れになると金属探知機でコインを探すおじさん達が必ず湧いて出てくる。
いくらくらいになるんだろうか。