アメリカン・スナイパー(American Sniper)

この映画をめぐり親しい友人の間で殴り合いの喧嘩が起きるかと思ったら、二人とも大人なんで「確かにそういう視点もありますね」という感じで収まりました。
普段の主張が非常に近い人たちでもどのような感想を持つかは二つに分かれております。

私は公開初日に観に行きました。
映画を観ながら私の頭の中をグルグルしていたのは、「安倍首相は日本をこういう国にしたいのかしら、したいんだろうなあ」という自問自答でありました。
911愛国心に目が覚め、悪い奴らはやっつけなきゃ、と地獄の特訓を突破し、レジェンドと呼ばれる狙撃手になりました。
愛国の果てに待ち受けているものは「ここはクソだ」とつぶやく弟との戦場での出会い。
女、子供を撃つか撃たないかの葛藤。
戦友を殺した「蛮人」を叩き潰す、と怒りに任せての出撃。
また、仲間が殺される。
帰国しても大きな音におびえる毎日。
最後はあれだもん。
アメリカ側から見ればすべて事実であり、それに余計な演出を加えず、できるだけ淡々と描いているということになります。
そうなんですよ。
事実に基づいているから、そういうことなんですよ。
ですむのかね、この映画。

選挙で「アベノミクスの成果を問います。消費税先延ばしを了解してください」とだけぶちかまして、案の定その後やっているのは、周辺事態法の改正、集団的自衛権の解釈拡大、国連決議なしでも有志連合への参加、文民統制のなし崩し的廃止。
やろうとしていることは、日本を「美しい国」することじゃなくて、「戦争できる国」にすることじゃないの。
沖縄じゃ目の前で他国軍基地に引きずり込まれて拘束される自国民を眺めるだけの日本官憲、独立憲法を作るって息巻いている政府の皆様、あれはあれでよろしかったでしょうか。

イラクへ派遣された自衛官が28人自殺しています。
因果関係については認めないってのが正式見解だって。
ああ、そうですか。

人を殺すって、大変なことですよ。
イラク自衛隊は交戦状態に入ることはありませんでしたが、それでもこれだけの数の自衛官が自殺しています。
日本人が精神的に弱い?
平和ボケのつけ?
いやいや、アフガニスタンイラクに送られたアメリカ人帰還兵の自殺者数を調べてみてよ。
一時は毎日22人以上が自殺してました。
正式な統計はないんだろうけど、その数は1万人を超えていると思います。

しかし、アフガニスタンイラク、それに続く内戦で殺された市民、兵士の数はそんなもんじゃない。
私達は湯川さん、後藤さんが殺されたときに、いかにISISが残忍で許しがたい存在であるかを思い知ることになりましたが、同様の悲劇はその何万倍も存在しています。
空爆で吹き飛ばされた死体はもはや形をなしていません。
でもそれは「市民30人が空爆の巻き添えで死亡」としか報道されません。

話がまたずれていますね。

アメリカン・スナイパー」を「よくできた映画」だと思いながら観ていました。
日本の積極的平和主義ってこれの真似かい、とか考えされられたんですから、悪くはない。
悪くはないけれど、これがクリント・イーストウッドの限界だとも感じましたよ。
アメリカ人兵士が置かれている状況はそれなりに正確でしょう。
アメリカ側から見れば。

しかし、何かが引っかかる。
消化不良になるほど重い映画ではない。
フンフンフン、って観ているうちに終わっちゃうんだから。
なんなんだろう、この感想にならないな感想。

そんなことを考えながら友人の間で交わされる議論を読んでいた時に4月24日公開の「あの日の声を探して」というフランス・グルジアジョージア)合作映画を試写で観ました。
そうだった、足りないものはこれだった。
1999年のロシアによるチェチェン侵攻を題材としています。
当たり前だけど、誰に焦点を当てるかで、戦争の見え方は変わるんです。
アメリカン・スナイパー」を観て唸っている皆さん、公開前にもう一度お知らせしますから是非ご覧ください。
「アーティスト」を撮ったミシェル・アザナヴィイシウス監督作品です。

アメリカン・スナイパー」じゃなくて、「あの日の声を探して」の予告編です。
この予告篇にはもうひとつの大事なストーリーが含まれていません。
意外にそっちが大事だったりしますから、私を信用して観に行って。