写真展、及び写真集

久しぶりに更新したらと思ったら、お知らせかよ、でございます。
お知らせ、お知らせ。

私、大倉眞一郎、究極のフリーターは5月7日、皆様が連休でクタクタ、もう遊ぶのにも疲れた、仕事にはもちろん行きたくない、という良き日に写真展を始めることになりました。
写真展と申しましても、なんとかフォトサロンとかいうところではなくて、私がたまに行ってグダグダになっている銀座のカウンターバーに写真を置かせていただくという程度のことでございまして、写真展じゃねーじゃん、とお仕置きされてもしょうがないかも。

つまり、私のこの写真展を覗くにはバーで飲まなきゃならん、ということかな。
銀座のバーと申しましても、座って1万円とかいうバカバカしいところではございません。
全然高くはないけど、たくさん飲めば、そりゃそこそこいっちゃったなという程度かしら。
ビールは一杯800円からですが、お通しが出てきます。
そこんとこご理解ください。

で、あるのですが、それじゃ、20点程度の写真を見るにはあんまりじゃないかと、という声が上がることをちゃんと想定している私。
へへ、想定内です。
皆様の冷たい視線を浴び続けるのはあんまり辛いんで、今回は展示する写真の他、外し切れなかった写真を加え、32ページの写真集を作りました。
もー、貧乏なのにお金ばっかしかかって大変。
これを売りません。
無料で持ってけ泥棒、やけくそだ。
いいねえ、と思った方は気持ち的には儲かった的な?
つまんなかったら損した的な?
絶対にいらない、という人には絶対にあげない。

しかし、店の売り上げを私に分けていただけるわけではないので、このままでは大倉、火の車。
空っぽの脳味噌絞って、考え抜いた先の結論は、「寄付金箱」でありんした。
寄付金箱置くぞ〜、恐いぞ〜。
妖怪寄付金箱。

貧乏な大倉がこれからも、なんだかよくわからない旅に出て、写真を撮って来れるようにしてやるか、と少しでも思ちゃった人は気持ちをお金に換えてください。
気持ちだけ寄付金箱に入れられてもねえ。
残念ながら私には善意が目に見えないんですよ。
もちろんこれは寄付でありますから、強制なんかしませんよ。
ですから、入れない人に悪態をつくようなことはありません。
笑顔で「ありがとうございました」とお送りいたします。

1円から10万円まで皆さんの自由意志でお願いいたします。
100万円とか入れられるとなんか恐いからやめてね。

お店はRE.MUUと申します。
こちら。
銀座6−2−7 第13金井ビル1F
03-3572-9792

花とかそういうのは、邪魔になるだけなんでやめてね。
寄付金箱っていう妖怪はお花より別のものがお好きです。

「HOUSES, DOORS, AND SOME OTHERS IN IRELAND」
というタイトルでやってます。

7日、11日〜14日は私もカウンターの中で皿洗い、ビール注ぎをやっております。
「そこのハゲ、水割り作れ」とオーダーされても笑顔で応対させていただきます。
写真の展示、写真集の配布は5月29日までやってます。
待ってるわ。

忙しぶる

数年前になくなった友人が「どんなに忙しくても、絶対に『忙しい?』と聞かれて『忙しい』と答えない」という深いい話をしてくれたことがあって、私もそれを真似して、毎日誘われるまま飲みに出歩いていたんだけど、多分友人が言っていたのはそういうことじゃないな。

半年ちょっと前までは暇忙しい状態でありました。
暇だけど忙しくもできるという私の得意技。
そういうのが好き。
気がついたらラオスに来ちゃってた、とかアルメニアで怒られてたとか、インドで喧嘩してたとか、アイルランドでギネス飲んでたとか。
「旅のラジオ番組作らせてくれよ〜」ってお願いすると、神様が叶えてくれたりしてね。

ところが、そういうことじゃなくなってしまった。
本当に忙しくなってしまった。
本業がなんなのかどんどん自分でもわからなくなってきている。
これまでも「究極のフリーター」ということで、17年過ごしてきたんだけど、極まったな。
何をやっているかはまだ内緒だけど、えっへん、忙しい。

お金持ちになるわけじゃないから、安心してね。
大倉は金持って変わっちゃったな、というようなことはありえないから、間違っても奢ってもらおうとか思わないように。
そんなに大変なら奢りますよ、というのは賛成。

今日から死のロード
これから札幌、明日東京、翌日仙台、明けて金沢、もう一泊金沢、東京、また仙台。
本当のことを書くと、何者かに追っかけられるから、場所は嘘書きました。
書店でサイン会だっけな。
でも、本を書いた実感、校正した記憶がない。
違うんじゃないかな。
違う。
パチンコ屋さんで営業か。
なにすればいいの?
ハゲネタ?
「ケガなくてよかったね」なんちゃって。

何も書かないと忘れられるんじゃないかと不安で、恐ろしいほど意味のないことを書きました。
自分が恐い。

インドに半年くらい行きて〜。

コチのカターカリ・ダンス。

墓碑銘

昨日の続き。
納骨が終わりました。
「これで、安らかに眠ることができます。ありがとうございました」
と母親が挨拶しておりました。

お墓はどこかに収まっていて、こちらがカードで呼び出す方式なんで、どなたが行ってもお花をあげられるというものではありません。
私が死んで「お線香だけでも」と切実に望まれましても、それはできませんのでよろしくご理解ください。
暇な人はガンジス川で手を合わせてくれればいいかな。

お墓なんで墓碑銘が必要であります。
当たり前のことを考えれば「大倉家」でしょう。
他のことを書いてもしょうがない。
しかし、カードがないとお墓は現れないんだから、基本的には関係者以外見ることはなわけで、何が書かれていても自分たちがわかればいいということになります。
そうなると「大倉家」「大倉家之墓」じゃなくて、「愛」とか「真心」とか、修学旅行の小学生が勘違いして石に彫り込んだのを買って喜んでる的なものもあるそうであります。
最近の小学生がどうだか知らんけどな。

私の父親は戦時中だったこともあり、とりあえず医専に行けということになったらしく、本当は小説を書きたかったらしいんだけど、我慢して医者になったと聞いたことがあります。
物心ついてから「これを書いた」と医者仲間の雑誌に寄稿したエッセイを読まされたことがありますが、へたくそでね。
あの方は文章の才能はなかった。
絵を描いてました。
これはそこそこうまい。
字は仰天するほどうまかった。

で、たまに気の利いた句が浮かぶと、サラサラと和紙にしたためて、冷蔵庫にマグネットでとめておいたりしたんですわ。
ちょっと不思議ですね。
不思議なんだけど、妙に気になるものが誰も住んでいない実家に長年放置されておりました。
「墓碑銘どうしようかねえ」と母親、妹から相談された時、すぐに頭に浮かんだのがその句でございます。
季語が重なっているし、意味もよくわからないので、出来がいいとは言えないんだろうけど、親族以外誰も見やしないし、全員が気に入ったんだからそれでいい、ということになりました。
お寺の方が「そりゃないでしょう」と却下するかと危惧したんだけど、何事もなくそのまま墓碑銘となりました。

かくして、以下の写真のようなことになったのであります。
ここに大倉家の者は眠ることになりました。

墓話

最近、同年代の友人と飯を食うと必ず墓の話で盛り上がる。
自分が死んだらどこの墓に入るか悩むのである。
かつてのバカ話がハカ話になってしまった。

結構真剣だから私のような鳥葬希望・墓いらない派はあまり口を挟めない。
気圧されちゃいます。

先日、下関にあった爺さんたちからの墓を閉じてまいりました。
墓参りを理由に帰省するってのも悪くはないんだけど、時間と交通費を考えると「今日はお墓参り」って感じじゃないでしょ。

もともとお釈迦様が涅槃に入られるときは「余計なことすんじゃねーぞ」と言い残したんだけど、弟子は阿呆だからお墓をつくちゃった。
それがストゥーパですね。
仏舎利と言われているもののほとんどは偽もんだと思うけど、それを奪い合ったりね。
面倒なことですわ。
お釈迦様の教えとは何の関係もないことでござんす。

それから我に帰った仏教徒は墓を作ることなんてしませんでした。
ビンズー教にも墓なんてないし。
上座部仏教小乗仏教大乗仏教からは蔑称的に呼ばれたりもします)の国にもお墓はないですよ。

大乗仏教が中国に入った頃から墓を作り始めちゃったみたい。
儒教の影響で先祖供養がかぶさってきたんですね。
それはそれでかまわないんだけど、仏教=墓と考えるのはちょっと抵抗がありますわ。

さて、私が鳥葬にしてもらえる可能性は限りなく低い。
チベットかムスタン辺りのネパールで死ねたら「鳥葬でお願い」と言い残せるんだけど、それだと死亡証明書とかどうなるのかとかさ、遺産をどうするのとかさ、そういうことがどうしていいんだかわからなくなるでしょ。
本当は遺産なんてないんだけど。
だもんで、私の鳥葬は夢で終わりそうな気配が濃厚であります。
日本で鳥葬を請け負っている会社があればご連絡ください。
予約します。

で、そんな私ではありますが、本日は親父の納骨となりました。
墓を閉じてきて、親父の骨の一部を東京に持ってきたんですな。
母親が新宿の納骨堂に入れたい、自分も入りたい、ということになったわけです。
さすが不良老人。
新宿に墓だ。
おかげで私達兄妹も墓参りに不自由することがなくなる。

そんなわけで、自動的に私の骨も鳥葬にならない限り、母親と一緒にそこに収まることになります。
たくさんは入らないから、少しだけだけど。
すると、骨が余ります。
その骨は鳩とか鶏にあげてもらえないもんだろうか。
あくまでも、何者かに食べられたいんです。
豚でも熊でもハイエナでもいいんです。
せめて死んだら生態系に加わりたいんです。

おかしい?
おかしいんだろうな。

でも、墓地の雰囲気は好き。
打ち捨てられた墓石。
アルメニア、イェレヴァン郊外で撮りました。

怒れるイギリス人

もう、ホントに疲れる。
曾野綾子のコラムですよ。
あそこまでくると怒るというより、あきれる、脱力する、なかったことにしたくなる。
でも、なくならないからね。
だから、10日以上経ってからもイギリス人の友人から激怒りのメールが届いたりする。

エコノミスト(雑誌)が曾野綾子の低賃金移民の隔離要求コラムが信じられないって書いてるぜ。
そんで日本じゃ南アフリカ大使からの抗議についてなんにもコメントが出てないんじゃないの。(政府の正式見解のことを言っているらしい)
大倉さんのブログに書くんだろ。(普段は私をシンと呼ぶんだけど、怒ると大倉さんになる)」

で、エコノミストの記事が貼付けてありました。

そうか、もうみんなネット上ではガチで怒っているから俺はもういいやと思ってたんだけどな。
短く返事を返しました。

「恥ずかしくてたまらん。でも、ほとんどの日本人は曾野綾子のようには考えてないと信じたいよ。少なくとも俺のまわりにはあのコラムをサポートするしている奴はいないよ」

でも、それでは終わらない。
すぐにメールが返ってきた。

「『俺たちガイジン(日本人に腹を立てているとき、彼は自分のことを『ガイジン』と呼びます)が驚いちゃうのは曾野綾子があんなことを書ける、書いても許されるとと思っていて、メディア、政治家たち、知識層が袋叩きにしないし、謝罪を要求してないってことだぜ。
ヨーロッパ、北アメリカのポリティカル・コレクトネス(一言で日本語に訳せないのでピンと来ない方は調べてみてください)はあの発言は撤回させると思うよ。
確かにこちらでもポリティカル・コレクトネスの行き過ぎた圧力については議論の自由を奪うのではないかという声もある。
だけど、押し付けられた人種隔離は倫理的に許されないだろう。
こちらでも(イギリスでも)エスニック・グループが好んで集まって居住している場所はあるけど、それはあくまでも望んでそうなっているわけだ。(ヒースロー空港から車で20分くらいのところにインド人、パキスタン人の町があって、私なんかはそこを通るだけでテンションが上がる)
アメリカでの居住区の分離は黒人が仕事を得ることが難しく、それが原因で黒人中心のゲットーができ上がっているわけじゃん」

若干の誤解もあるが、基本的には私の怒りのポイントと同じ。
曾野綾子さん、チキ氏のインタビューでは「わかりません」「間違ってません」「リトルトーキョーいいじゃない」って答えてましたね。
もう相手にするのも嫌だ。

しかし、相手にして批判をすることを避けちゃいけない。
曾野綾子の発言を封殺することは許されません。
どんなことであれ言論の自由は守ります。
で、批判する自由も同時に保障されなければならない。

本音はね、曾野綾子、黙っててくれよ、「ガイジン」から俺まで怒られるんだから、なんだけど。
あと、やっぱり、メディアの皆様、ちゃんと批判する時は叩き潰すくらいの勢いで書かなきゃいけないんじゃないかしら。

ダブリンのパブ。
とても楽しい。
右手前の女性は松井さん。

アメリカン・スナイパー(American Sniper)

この映画をめぐり親しい友人の間で殴り合いの喧嘩が起きるかと思ったら、二人とも大人なんで「確かにそういう視点もありますね」という感じで収まりました。
普段の主張が非常に近い人たちでもどのような感想を持つかは二つに分かれております。

私は公開初日に観に行きました。
映画を観ながら私の頭の中をグルグルしていたのは、「安倍首相は日本をこういう国にしたいのかしら、したいんだろうなあ」という自問自答でありました。
911愛国心に目が覚め、悪い奴らはやっつけなきゃ、と地獄の特訓を突破し、レジェンドと呼ばれる狙撃手になりました。
愛国の果てに待ち受けているものは「ここはクソだ」とつぶやく弟との戦場での出会い。
女、子供を撃つか撃たないかの葛藤。
戦友を殺した「蛮人」を叩き潰す、と怒りに任せての出撃。
また、仲間が殺される。
帰国しても大きな音におびえる毎日。
最後はあれだもん。
アメリカ側から見ればすべて事実であり、それに余計な演出を加えず、できるだけ淡々と描いているということになります。
そうなんですよ。
事実に基づいているから、そういうことなんですよ。
ですむのかね、この映画。

選挙で「アベノミクスの成果を問います。消費税先延ばしを了解してください」とだけぶちかまして、案の定その後やっているのは、周辺事態法の改正、集団的自衛権の解釈拡大、国連決議なしでも有志連合への参加、文民統制のなし崩し的廃止。
やろうとしていることは、日本を「美しい国」することじゃなくて、「戦争できる国」にすることじゃないの。
沖縄じゃ目の前で他国軍基地に引きずり込まれて拘束される自国民を眺めるだけの日本官憲、独立憲法を作るって息巻いている政府の皆様、あれはあれでよろしかったでしょうか。

イラクへ派遣された自衛官が28人自殺しています。
因果関係については認めないってのが正式見解だって。
ああ、そうですか。

人を殺すって、大変なことですよ。
イラク自衛隊は交戦状態に入ることはありませんでしたが、それでもこれだけの数の自衛官が自殺しています。
日本人が精神的に弱い?
平和ボケのつけ?
いやいや、アフガニスタンイラクに送られたアメリカ人帰還兵の自殺者数を調べてみてよ。
一時は毎日22人以上が自殺してました。
正式な統計はないんだろうけど、その数は1万人を超えていると思います。

しかし、アフガニスタンイラク、それに続く内戦で殺された市民、兵士の数はそんなもんじゃない。
私達は湯川さん、後藤さんが殺されたときに、いかにISISが残忍で許しがたい存在であるかを思い知ることになりましたが、同様の悲劇はその何万倍も存在しています。
空爆で吹き飛ばされた死体はもはや形をなしていません。
でもそれは「市民30人が空爆の巻き添えで死亡」としか報道されません。

話がまたずれていますね。

アメリカン・スナイパー」を「よくできた映画」だと思いながら観ていました。
日本の積極的平和主義ってこれの真似かい、とか考えされられたんですから、悪くはない。
悪くはないけれど、これがクリント・イーストウッドの限界だとも感じましたよ。
アメリカ人兵士が置かれている状況はそれなりに正確でしょう。
アメリカ側から見れば。

しかし、何かが引っかかる。
消化不良になるほど重い映画ではない。
フンフンフン、って観ているうちに終わっちゃうんだから。
なんなんだろう、この感想にならないな感想。

そんなことを考えながら友人の間で交わされる議論を読んでいた時に4月24日公開の「あの日の声を探して」というフランス・グルジアジョージア)合作映画を試写で観ました。
そうだった、足りないものはこれだった。
1999年のロシアによるチェチェン侵攻を題材としています。
当たり前だけど、誰に焦点を当てるかで、戦争の見え方は変わるんです。
アメリカン・スナイパー」を観て唸っている皆さん、公開前にもう一度お知らせしますから是非ご覧ください。
「アーティスト」を撮ったミシェル・アザナヴィイシウス監督作品です。

アメリカン・スナイパー」じゃなくて、「あの日の声を探して」の予告編です。
この予告篇にはもうひとつの大事なストーリーが含まれていません。
意外にそっちが大事だったりしますから、私を信用して観に行って。

本棚探し

昨日、妹からラインで脅しが来た。
「東京事務所を移します。本を置くスペースの家賃、負担する気持ちがありますか?」
これは質問ではない。
「負担しなきゃ、わかってんだろうな」という恫喝であります。
しかし、警察に訴えるわけにはいかない。
悪いのは私だからである。

もともと自宅に置ききれなくなった段ボール箱30個分の本を妹が東京事務所を作ったときに、こっそり送りつけて「図書館としてお使いになったらいかがでしょう」となし崩し的合意を成立させたのであった。
「家賃は?」という遠い太鼓のような声が聞こえた気もするんだけど、そんなもん聞こえないと思えば聞こえないでしょ。
かくして、それらの本は私がいつでも閲覧できるようにあるべきところに収まったんだけど、これが、行かない。
なんだかんだで忙しくて、仕事で本を選ぼうと思っても、いちいち探しに行けません。
「意味あんの?ないでしょ。捨てたら?」
先日もそんな転向を迫る尋問を受けたんだけど、信念は変えられないもん。
本は捨てないの。
しかし、だから置いて、は通用しなくなったのが冒頭の脅しである。

自宅に引き取ればいいじゃん、とかノーテンキなことが言えるのは豪邸にお住まいのお坊ちゃん、お嬢ちゃんくらいだろ。
私の自宅仕事場にはもう本の置き場はない。
デスクまでの細い獣道以外は本で埋め尽くされていて、家族に悟られないよう、ジミジミとドアの外に本置き場を浸食させているんだけど、あそこに置いといた本がここにある、という不思議な現象が起きて、勝手に仕事部屋の床に積まれていたりする。

「おいくら千円くらいかしら」と問い合わせたら、「おいくら万円の間違いだろうが」と怒られちゃった。
ああ、壁が欲しい。
壁という壁をすべて本棚にしたい。

本を探す人生、が本棚を探す人生に変わりつつある。
変わってしまっている。

妙案はございませんか。
「うちの使っていないマンション、ただで一生使っていいよ」というおかしな人がいたら、ご連絡ください。

私の仕事場のほんの一部を切り取ってみました。