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一条真也の新ハートフル・ブログ

2013-03-17

『海賊とよばれた男』

海賊とよばれた男 上   海賊とよばれた男 下


一条真也です。
海賊とよばれた男』上下巻、百田尚樹著(講談社)を読みました。
ブログ『永遠の0』で紹介した本の著者による歴史小説です。
モデルは、出光興産の創業者である出光佐三です。
ずいぶん長い間、書斎に置いてあった本ですが、ようやく読めました。
本書の上巻の帯には「『宮本武蔵』『竜馬がゆく』・・・・・・青春歴史小説の新たな“古典”!」という文芸評論家の末國善己氏の言葉が紹介され、下巻の帯には「歴史経済小説の最高傑作。」という元三井住友銀行頭取の西川善文氏の言葉が紹介されています。いずれも大賛辞といえますが、安倍晋三首相も本書を読んで、「日本が世界で一流になるために努力した人物の生涯が、手に汗握るドラマとして読み易くスリリングに描かれています」と絶賛しています。




上巻のカバーの折り返しには、次のような内容紹介があります。
「敗戦の夏、異端の石油会社『国岡商店』を率いる国岡鐵造は、なにもかも失い、残ったのは借金のみ。そのうえ石油会社大手から排斥され売る油もない。しかし国岡商店は社員ひとりたりとも馘首せず、旧海軍の残油集めなどで糊口をしのぎながら、たくましく再生していく。20世紀の産業を興し、人を狂わせ、戦争の火種となった巨大エネルギー・石油。その石油を武器に変えて世界と闘った男とはいったい何者か―実在の人物をモデルにした本格歴史経済小説、前編」



また、下巻のカバーの折り返しには、次のような内容紹介があります。
「敵は七人の魔女(セブン・シスターズ)、待ち構えるのは英国海軍。敗戦後、日本の石油エネルギーを牛耳ったのは、巨大国際石油資本『メジャー』たちだった。日系石油会社はつぎつぎとメジャーに蹂躙される。一方、世界一の埋蔵量を誇る油田をメジャーのひとつアングロ・イラニアン社(現BP)に支配されていたイランは、国有化を宣言したため、国際的に孤立し、経済封鎖で追いつめられる。イギリスはペルシャ湾に軍艦を派遣。両国の緊張が走る一触即発の海域に向けて、一隻の日本のタンカー『日章丸』が極秘裏に神戸港から出港した――。世界を驚倒させた「日章丸事件」に材をとった、圧倒的感動の歴史経済小説、ここに完結」



作者の百田尚樹氏は「この作品は『小説』という形をとっていますが、登場人物はすべて実在しました。そしてここに描かれた出来事は本当にあったことです。この奇跡のような英雄たちの物語が、1人でも多くの日本人に届くことを心から願っています」と述べています。
たしかに出光佐三の名は「国岡鐵造」という名前に変えられており、かなり脚色されてはいますが、大筋では歴史的事実に基づいています。
出光興産は、北九州市の門司からスタートしました。
現在は歯科医院となっている創業の地は、わが社の「門司港紫雲閣」のすぐ近くです。本当に、歩いて数分の距離です。同じく、近くには「出光美術館」もありますが、同館の「友の会」会長は八坂和子さんです。出光家とも縁の深い門司の元市長のお嬢さんで、「日緬仏教交流協会」の理事としても大変お世話になっている方です。詳しくは、ブログ「『世界平和パゴダ』再開」をお読み下さい。



わたしは、地元・北九州に縁の深い実業家である出光佐三の名は幼少の頃から知っていました。何より、わたしの父がこよなく尊敬しており、その影響で「人間尊重」というわが社のミッションが決定したそうです。
「人間尊重」とは、出光佐三が終生口にし続けた言葉だからです。
彼にとっての「人間尊重」の理念は「家族主義」の経営につながり、タイムカードなし、出勤簿なし、馘首なし、定年なしを貫き通しました。
石油関連会社でありながら、海外のメジャーに一切頼らず、日本人による日本人のための「民族会社」を経営したのです。西欧の巨大石油会社からは言うに及ばず、銀行からも監督官庁である通産省からも役員を受け入れませんでした。すべてを自社叩き上げの社員で構成されたプロ集団を作り上げたのです。これは、「戦後の奇跡」と呼べる快挙でしょう。




この小説の最大のハイライトは、1953年の「日章丸事件」です。
出光興産のタンカー「日章丸二世」がイランから石油を輸入した事件です。石油メジャーを介してでなく、日本の石油元売会社が産油国との直接取引をする先駆けとなりました。しかし、当時はイギリスがイランを支配しており、イランの石油もイギリスの所有であると主張されていました。イギリスのアングロ・イラニアン社は出光興産を告訴し裁判となりますが、結果は出光が勝訴しました。
敗戦国である日本の民族会社が、石油メジャーと大英帝国を相手に戦って勝利を収めたのです。戦後、力道山が外国人プロレスラーを空手チョップで倒し、白井義男がダド・マリノからチャンピオンベルトを奪い、古橋廣之進が五輪会場に日章旗を揚げましたが、そのたびに日本人は快哉を叫びました。しかし、敗戦と占領で意気消沈していた日本人にとって、日章丸のイラン石油輸入ほど勇気を与えられた出来事はありませんでした。



これほどの歴史的快挙を1963年生まれのわたしは知りませんでした。
それどころか、1956年生まれの著者も知らなかったそうで、ある日、テレビ関係の友人と雑談している時、「日章丸事件って知ってる?」と訊かれたそうです。著者が「知らない」と答えると、友人が概要を説明してくれました。著者は、そのときの心境をアマゾンの「著者コメント」で次のように述べています。
「それは俄かには信じられない事件でした。いまだ戦争の痛手から立ち直れないでいた昭和28年、『七人の魔女』と呼ばれる強大な力を持つ国際石油メジャーと大英帝国を敵に回して、堂々と渡り合い、世界をあっと言わせた『日章丸』というタンカーがあったというのです。
興味を抱いた私は早速調べてみましたが、事件の全貌を知るにつれ、驚愕すると同時に震えが止まらなくなりました。そこには現代の日本人が忘れかけている『勇気』『誇り』『闘志』そして『義』の心を持った男たちの姿があったからです。しかしそれ以上に私を驚かせたことがありました。それは、そんな男たちを率いた一人の気骨ある経営者の人生です。その九十五年の生涯はまさしく凄絶としか言いようのないものでした。
――なんという凄い男がいたんや! 私は『この男を書きたい!』と心から思いました。いや――書かねばならない!この素晴らしい男を一人でも多くの日本人に知ってもらいたい! それが作家としての使命だ。
気が付けば、取り憑かれたようにワープロに向かっていました。小説家になって六年、執筆しながらこれほどの充実感を覚えたことはありません」



個人的には、いくつか胸が熱くなった場面がありました。
日章丸がイランのアバダンに無事に着いて、さらには川崎港に帰り着いた場面も感動的でしたが、他にも感動した場面がたくさんあります。
たとえば、鐵造を応援する日田重太郎という人物が事業資金として大金を与えた場面。ソ連の石油を購入したことで右翼が押し寄せて受付嬢が恐怖のあまり泣いたとき、老境にあった鐵造が「大勢で若い女を泣かせおって。貴様ら、それでも男か!」と一喝した場面。国岡商店が所有する宗像丸の沈没事故で36人の全乗組員が亡くなったとき、老いた鐵造が「ぼくは死ねなくなった」「乗組員の子供たちが成人するまで死ねない」と号泣した場面。そして、子どもができない体ゆえに離縁した前妻が亡くなった報せを鐵造が受けた場面・・・・・。
どれも、あくまでも事実をベースにして、少しだけフィクションのスパイスが効いています。わたしは、著者一流の筆力に唸らされました。

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出光佐三の関連書を一気に読みました



じつは、わたしの同級生に出光系の石油スタンドを経営している友人がいました。残念なことに昨年の秋に彼は力尽き、彼の会社は倒産しました。彼とは三島由紀夫を愛読する者同士として親しくしていたのですが、心の底から出光佐三という人を尊敬しており、わたしは彼からその偉大さをよく聞かされました。
また、ブログ「門司港紫雲閣竣工式」に書いたように、昨年7月23日に行われた「門司港紫雲閣」の竣工式の直会の冒頭で、サンレーグループ佐久間進会長が挨拶しました。佐久間会長は、この門司港の地は尊敬する出光佐三翁にゆかりがあるとし、出光翁の「人間尊重」という思想に感銘を受けて、わが社のミッションにしたと明かしました。それを聞いたとき、わたしの中で、孔子と出光佐三とドラッカーの3人が見事につながったのです。
「人間尊重」というキーワードが3人を結びつけたのです。



思えば、あまりにも身近すぎて、わたしは出光佐三という偉大な存在を忘れていました。単に地元・北九州に縁の深い成功者ぐらいに考えていたのです。いや、まったく迂闊でした。本書『海賊とよばれた男』を読了した後、今まで忘れていたぶんを取り戻すべく、出光佐三に関する書籍を読み漁りました。
このブログ記事と同時にUPしたブログ「立山・黒部の思い出」では、石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」を紹介しました。その原作となるノンフィクションの名作『黒部の太陽』を書いた故・木本正次は、『小説出光佐三』『出光佐三語録』などを著しています。最近、PHP文庫化された後者の解説は百田尚樹氏が執筆しています。この事実をまったく知らずに、わたしは両ブログ記事をUPしたのですが、その直後に『出光佐三語録』を読んで偶然の一致を知った次第です。
まさに「シンクロ二シティ」、つまり「意味のある偶然の一致」と言えます。


それにしても、知れば知るほど、出光佐三ほど偉大な人はいません。
ブログ「実家の書庫」で紹介した「気楽亭」には、佐久間会長が集めた出光佐三の全著作をはじめ、あらゆる関連資料が揃っていました。
特に、彼が著した『マルクスが日本に生まれていたら』という奇跡のような名著からは「人間尊重」の哲学が燦然と光を放っています。
まさに、渋沢栄一松下幸之助と並ぶ日本の哲人経営者でした。
そして、出光佐三ほど日本および日本人を愛した人はいません。



1981年(昭和56年)、出光佐三は96歳で逝去しました。
そのとき、昭和天皇は故人を偲んで次の和歌を作られました。 
「人の為 ひとよ貫き尽したる 君また去りぬ さびしと思う」(昭和天皇御製)
「あなたは、戦前戦後の未曾有の国難を日本人のために全身全霊で生き抜き、日本人の誇りを取戻してくれた。そんなあなたが亡くなって、私はさびしいと思う」 といった意味でしょうか。天皇が一般人の死を悼んで和歌を詠まれたなど、日本史全体を見渡しても例がありません。どれほど、昭和天皇が出光佐三という方を大切に思われ、その死を惜しんでおられたかがわかります。



じつは、出光佐三氏が亡くなられた後、奥様がわが社の松柏園ホテル、特にその茶室を愛用して下さいました。十数年間、奥様は松柏園から赤間にある佐三翁のお墓、さらには佐三翁が生涯にわたって大切にされた宗像大社へ参拝に行かれたそうです。「人間尊重」のミッションとともに、佐三翁との御縁を感じます。わたしは、偉大な出光イズムの清華である「人間尊重」をわが社のミッションとしていることを心から誇りに思います。
そして、大きな感動のうちに本書を読み終えた後、わたしは謹んで歌を詠みました。佐三翁が訓示で多用した「行き方」という言葉を詠み込みましたが、これは「方向性」とか「やり方」の意味で、「生き方」ではありません。
以下が、『海賊とよばれた男』を読了して詠んだ歌です。
「こころざし貫き尽す行き方は 人を尊び人を重んじ」(庸軒)

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海賊と呼ばれた男とのツーショット



*よろしければ、本名ブログ「天下布礼日記」もどうぞ。



2013年3月17日 一条真也