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一条真也の新ハートフル・ブログ

2013-11-29

堤清二氏の死去

一条真也です。
流通大手セゾングループ元代表の堤清二氏が25日午前2時5分、肝不全のため東京都内の病院で亡くなられました。86歳でした。

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「毎日新聞」11月29日朝刊



29日の「毎日新聞」朝刊には、故人について以下のように書かれています。
「東京都生まれ。父は西武グループ創業者で衆院議長を務めた康次郎氏。
東大経済学部在学中に学生運動に参加し共産党に入党するが、後に除名。康次郎氏の秘書を経て54年に西武百貨店に入社。66年、社長に就任。百貨店以外に、スーパーの西友や「無印良品」ブランドの良品計画、パルコを展開し、バブル期には「インター・コンチネンタル・ホテルズ」を買収。売上高4兆円を超える一大流通グループを築いた。しかし、中核の西武百貨店が経営不振に陥り、91年にセゾングループ代表を辞任。92年には西武百貨店の代表権も返上した。2000年、グループ企業「西洋環境開発」が5538億円の負債を抱えて特別清算したため、経営の一線から身を引いた」

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「毎日新聞」11月29日朝刊



堤清二氏は、経営者とは別に「辻井喬」のペンネームで作家・詩人としても活躍されました。「毎日新聞」は以下のように紹介しています。
「61年、屈折した青春の体験を暗喩によって表現した詩集『異邦人』で室生犀星詩人賞を受賞。84年、小説『いつもと同じ春』で平林たい子文学賞。グループ代表退任後、旺盛に創作に取り組み、詩集『群青、わが黙示』で高見順賞、『鷲がいて』で読売文学賞、小説『虹の岬』で谷崎潤一郎賞、『父の肖像』で野間文芸賞を受けた。07年から芸術院会員。12年、文化功労者」
素晴らしい業績です。たとえ故人が作家・詩人としてだけの人生であったとしても、輝かしい生涯だったと思います。



わたしは、『孔子とドラッカー新装版』(三五館)の「志」の項で、ダイエーの中内功氏とともに堤清二氏について書きました。
かつて、ダイエーとセゾンという企業集団があり、それぞれが日本人のライフスタイルをトータルにプロデュースする総合生活産業をめざしていました。
ありとあらゆる業種に進出し続け、大きな話題を提供したが、結果はご存知の通りです。両者ともバブルの象徴とされています。しかし、わたしはダイエーとセゾンのすべてが間違っていたとは決して思いません。



ダイエーとセゾンについては、ブログ「総合生活産業の夢」に詳しく書きました。
「日本の物価を2分の1にする」と宣言して流通革命を推進した中内功氏。常に経済と文化のリンクを意識し、社会の中における美しい企業のあり方を追求した堤清二氏。両氏の心の中には「日本人を豊かにする」という強い想いがあったはずですし、それはやはり「志」と呼ぶべきものではないでしょうか。志なくして、両氏ともあれだけの大事業を短期間に成し遂げることは絶対に不可能であったし、逆にその志が大きくなりすぎた企業集団から乖離したときに凋落ははじまったのではないかと思います。ダイエーとセゾンは確実に日本人の生活を変えました。二人とも日本の経営史に名を残す巨人であることは間違いありません。
栄枯盛衰が世の法則だが、最終的な評価は歴史が下すのです。 



特に、経営と執筆活動を両立しておられた堤清二の存在は、わたしの人生に多大な影響を与えて下さいました。その意味で、堤氏はわたしの恩人であると思っています。学生の頃、最も憧れた経営者は堤氏でしたし、わたしは「経営者でも本を書いていいんだ」ということを知りました。「二束の草鞋」を嫌う日本社会の中で、一時の堤氏の大活躍は歴史に残るものであると確信します。
そして、堤氏の執筆活動を中心にした文化人としての感性が現実の経営の分野にフィードバックしていたことは間違いありません。
まさに、堤清二氏こそは「文化」と「経済」をつなげた方でした。
最後に、あれだけ多くの経済人や文化人と交流があり、あれだけ多くの社員を抱える企業グループのトップだった方の葬儀が近親者で営まれたことを知って、わたしは少々複雑な思いです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年11月29日 一条真也