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一条真也の新ハートフル・ブログ

2014-05-19

猿に戻る?

一条真也です。
わたしは、ほとんどテレビを観ない人間です。
特に、お笑い番組とかバラエティ番組の類は日本人の中でも最も観ない部類に入るんじゃなかろうかというくらい観ません。それでも、何かの拍子につい目に入ってしまうことがありますが、いつも不愉快になってしまう場面があります。芸人が猿のオモチャのように手を叩いて笑う場面です。




わたしは、あの行為が本当に嫌いでたまりません。
なんで、人間が猿のオモチャのように手を叩かなければいけないのか?
もっとも、猿のオモチャは手ではなく、シンバルを叩いているのですが。
いずれにせよ、あれほど下品で見苦しい行為はありませんね。
まさに知性のかけらもない、馬鹿丸出しの行為と言えるでしょう。



ヤフー知恵袋」には「何でお笑い芸人は笑うとき猿みたいに手を叩くんですか? あれでその場を盛り上げてるんですか? そんなことしないと存在感を示せないほど無能なんですか?」という質問が寄せられています。
その質問に対しては、「それがひな壇芸人の仕事の一つですからね。自分の存在感示すだけの行為ではないと思いますが」とか、「この由来、もともとはいわゆるセンパイ芸人さんが面白いこと・正しいことを言ったことに対して後輩芸人が、場を盛り上げたり、支持する手段として一種業界の通例みたいなものだったんですが。いずれ、これが多くの場に波及して、お笑い芸人に限らず俳優の方やいまでは、一般の方々もそうなさるようになりましたね」とか、「あれは基本的に関西人の癖なんです。自分は大阪に住んでいますが関西人の人は面白かったりすると異常に手を叩く人が居ます。ある意味では手を叩いてその場を盛り上げているのではないでしょうかね」といった答が寄せられています。



なるほど、確かに関西系の吉本興業の芸人がよくあの行為をやるような気がしますね。吉本の超大物芸人である明石家さんまもやりますが、さんまクラスになると、もう何をしてもサマになりますね。でも、ひな壇芸人がやたらと大仰に手を叩くのは「見苦しい」を通り越して「哀れ」にさえ思えます。
百歩譲って、彼らは仕事だから、芸人として生き残るために必死だから手を叩いていると認めるとしましょう。しかし最近は、素人もこれをやるから困ります。夜の飲食業界で働かれている若い女性の中にも、そういう人がいるそうですね。OLさんの中にもいるかもしれません。でも、ネットなどを見ると、「下品に笑う女子の特徴『手を猿のように叩いて笑う』」という記事も出ていますので、やめたほうが賢明でしょう。




以前、わが社にも懇親会か何かの席で手を叩いて大笑いする男性社員がいたので、わたしは血相を変えて「お前はサルか?!」と一喝しました。
以来、その社員は立ち居振る舞いが上品になり、今では立派な課長さんとして新規事業の立ち上げに関わっています。「そんなことで社長が叱るなんて、堅苦しい会社だな」と言うなかれ。わが社は「礼」を重んじていますので、それに異論のある方は辞めていただいて結構ですし、(ちょうど、19日の午後からサンレーの最終選考役員面接が行われますが)そういう人はそもそも入社しないでいただきたい。ちなみに、人が話をしているときに腕組み、足組みをしながら聞くような社員もNGです。ところで、猿が実際に手を叩くのは、笑ったときではなく、餌が欲しいときのようですね。



名言ブログ「松下幸之助(2)」でも紹介したように、パナソニック創業者である松下幸之助は、渾身の著書『人間を考える』(PHP文庫)において、「礼をするから人間である」、さらには「礼は人の道である」と喝破しました。
「経営の神様」とまで呼ばれた松下幸之助も、「礼」というものを最重要視していたのです。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち礼とは「人の道」であるとしたのです。そもそも無限といってよいほどの生命の中から人間として誕生したこと、そして万物の存在のおかげで自分が生きていることを思うところから、おのずと感謝の気持ち、「礼」の気持ちを持たなければならないと人間は感じたのではないかと松下幸之助は推測します。



ところが、最近になってその人間的行為である「礼」が、なにやら実際には行なわれなくなってきました。挨拶もしなければ、感謝もしない。価値観の多様化のせいか。だが、礼は価値観がどんなに変わろうが、人の道、「人間の証明」です。それにもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという者がいます。松下幸之助は、「礼とは、そのような好みの問題ではない。自分が人間であることを表明するか、猿であるかを表明する、きわめて重要な行為なのである」と説きました。ましてや経営や組織で1つの目的に向かって共同作業をするとすれば、当然、その経営、組織の中で互いに礼を尽くさなければなりません。「挨拶ができないとか、感謝の意を表わすことができないというのであれば、その社員は猿に等しい」とさえ述べています。松下幸之助は、「礼」を重んじない者に対して、「猿に戻るか?」という問いを鋭く突き付けているのです。

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自己責任論は「猿に戻れ!」ということです(奥田知志)



さて、ブログ「支え合いの街づくり」で紹介したシンポジウムでは、NPO法人北九州ホームレス支援機構の奥田知志理事長と対談させていただきました。ブログ「特別対談の報道」で紹介したように反響も大きかったですが、奥田理事長のお話の中で特に印象に残ったものがあります。奥田理事長は「猿と人間の違いは、何か? 笑うことと仰向けに寝ること、本能的に1人では生きていけないことを自覚しているから、弱さをアピールして襲われないように、そして助けてもらいたいということを示している。だけど、『自己責任だから、1人で生きなさい』と時代は叫んでいる。このような自己責任論というのは『猿に戻れ!』ということです」と言われ、大いに共感しました。



わたしは、猿と人間の違いには「葬儀をやるか、やらないか」も含まれると思います。ブログ「ホモ・フューネラル」にも書いたように、わたしは、やはり人類は埋葬という行為によって文化を生み出し、人間性を発見したのだと確信します。ヒトと人間は違います。ヒトは生物学上の種にすぎませんが、人間は社会的存在です。ある意味で、ヒトはその生涯を終え、自らの葬儀を多くの他人に弔ってもらうことによって初めて人間となることができるのかもしれません。葬儀とは、人間の存在理由に関わる重大な行為なのです。「葬式は、要らない」とは「猿に戻れ!」ということ。
葬式無用論の方々は、手を叩いて「葬式なんて要らないよ〜、人は1人で死ぬんだよ〜、人は死んだらゴミになる〜♪」と歌い、歯をむき出して、手をバンバン叩きながら大笑いされると良いですね。ウッキッキー!(笑)




*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年5月19日 一条真也