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一条真也の新ハートフル・ブログ

2014-08-16

名前が変わっている!

一条真也です。
16日の夕方、東京から北九州に戻ってきました。
ブログ「日経新聞取材」で紹介した「日本経済新聞」夕刊「こころのページ」のトップインタビュー記事が掲載されました。

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日本経済新聞」8月16日夕刊



「人類の未来を育む礎に」の大見出しで、「有縁社会をつくる」「絆の大切さ再確認」の見出し、「葬式というカタチが人類の滅亡を防いできた」「死は『不幸』ではない」といった小見出しが続きます。
また囲み記事では、「『宇宙葬』普及に現実味」「2020年には月面に慰霊塔」の見出しで、エリジウム・スペース社のトーマス・シベCEOとの出会いと、宇宙葬および「月面葬の構想が紹介されています。



当初は「一条真也さんに聞く」ということで取材依頼を受け、インタビューの内容も作家としての立場からの発言が多かったのですが、土壇場で「佐久間庸和さんに聞く」と名前が変わっていたので、驚かれた方も多かったと思います。わたしも名前の変更を直前で知り、正直言って戸惑いました。
なんでも、編集部内で「どちらの名前にするか」の議論があり、最後の最後まで意見が分かれたそうです。



でも考えてみれば、記事の中にも登場する「隣人祭り」にしろ、「宇宙葬」や「月面葬」などのメモリアル・イノベーションにしろ、すべて一条が構想して、佐久間が実行しているわけです。いわば一条と佐久間は「不即不離」の関係にあるわけで、どちらの名前が使われても不自然ではないでしょう。



しかし、ずっと「一条真也」の名前で記事が出るものとばかり思っていた方々は「名前が変わっている!」と思われたことでしょう。
ですから、「佐久間庸和の天下布礼日記」(こちらは、記事の全文が読めます)だけでなく、当ブログでも紹介させていただいた次第です。
最後に、取材をしていただき、わたしの想いを達意の文章でまとめて下さった日本経済新聞社編集委員の嶋沢裕志氏に心より感謝申し上げます。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年8月16日 一条真也

皇居

一条真也です。東京に来ています。
8月15日は、69回目の「終戦の日」でした。
ブログ「靖国参拝」に書いたように、この日、わたしは靖国神社を参拝しました。その後、わたしは皇居へと向かいました。

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皇居にやって来ました



宮内庁HP「皇居」には、以下のように書かれています。
徳川幕府の居城(江戸城)であったものが、明治元年(1868年)10月に皇居とされ、翌2年(1869年)3月明治天皇は千年余りの間お住まいであった京都からこの地にお移りになり現在に至っています。皇居内には、天皇皇后両陛下のお住居である御所を始め、諸行事を行う宮殿、宮内庁関係の庁舎、紅葉山御養蚕所などの建物があり、その一角に桃華楽堂などのある皇居東御苑があります」




なぜ、「終戦の日」に靖国から皇居に向かったのか?
それは、69年前のこの日、日本の敗戦を知った人々が驚きと悲しみのあまり皇居の二重橋前の広場に集まったからです。わたしは靖国神社を参拝したとき、拝殿の中に「さしのぼる朝日の光 へだてなく 世を照らさむぞわがねがひなる」という昭和天皇御製が掲げられているのを見たとき、「どうしても皇居に行かなければ!」と思ったのです。

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ずいぶん久しぶりに皇居に来ました



こうして、わたしは汗びっしょりのまま皇居を訪れました。
終戦記念日」の皇居には意外にも日本人が少なかったです。
靖国神社とは大違いですね。その代わり、外国人の姿が多かったです。
欧米人やアジア系の人もたくさん見かけました。彼らはもちろん観光で日本に来ているのでしょうが、いわゆる「親日」なのでしょうか?

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二重橋のようす
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昭和天皇をお偲びしました



わたしは、しばらく二重橋を眺め、昭和天皇をお偲びしました。
すると、ブログ「終戦のエンペラー」で紹介したハリウッド映画を思い出しました。「終戦のエンペラー」では、皇居を撮影したシーンが印象的でしたね。インタビューで、主演のマシュー・フォックスが以下のように答えています。
Q:日本では、皇居で撮影をされたそうですね。いかがでしたか?
マシュー:あれは興味深かったよ(笑)。
Q:中には入れたのですか?
マシュー:いや、皇居の前で撮影することが許可されただけだ。規制もすごかった。何も食べられないし、たばこも吸えない。限られた時間しか与えられなかったし、常に監視されていた。でも、とても神聖な場所にいる感覚を覚えたよ。そして・・・・・・(撮影を)楽しんだ。
Q:どのくらいの期間、日本で撮影をされたのですか?
マシュー:ニュージーランドで10週間ほど撮影をしたと思うけど、東京は3日か4日いただけだよ。皇居前で撮影するためにね。でもこの映画にとって、そして僕たちにとっても、それは重要だったと思う。これまでに誰もやったことがないことをする機会を得て、映画に反映できたんだからね。(「『終戦のエンペラー』トミー・リー&マシュー・フォックス単独インタビュー」より)




終戦のエンペラー」は、昭和天皇の実像に迫る作品です。
マッカーサーと初対面を果たした天皇は、まず一緒に写真を撮影します。
あの、あまりにも有名な天皇とマッカーサーのツーショット写真です。
天皇は写真を撮り終え一度は椅子に腰掛けます。しかし、すぐに立ち上がってマッカーサー元帥に自身の偽らざる思いを述べます。
そう、戦争に対する自らの責任について心のままに述べるのです。
このシーンを見て、わたしは涙がとまりませんでした。
歴代124代の天皇の中で、昭和天皇は最もご苦労をされた方です。
その昭和天皇は、自身の生命を賭してまで日本国民を守ろうとされたのです。昭和天皇が姿を見せるシーンは最後の一瞬だけでしたが、圧倒的な存在感でした。そして、実際の天皇の存在感というのも、この映画の「一瞬にして圧倒的」という表現に通じるのではないでしょうか。




天皇はけっして自身の考えを直接口にすることはなく、昭和天皇の戦争に反対する気持ちも祖父である明治天皇御製の歌に託するほどでした。その昭和天皇がたった一度だけ、自らの意思で、勇気を持って断行したのがポツダム宣言の受諾であり、玉音放送を国民に流すことでした。

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「日本のいちばん長い日」と「プライド」のDVD



玉音放送は昭和天皇自身の生命の危険を招く行為であり、そのあたりは日本映画「日本のいちばん長い日」を観ればよくわかります。
また、開戦から終戦に到る日本の真実は、津川雅彦東条英機を熱演した「プライド」が見事に描いています。どちらも名作です。
わたしは二重橋を眺めながら謹んで以下の歌を詠みました。
それから、外国人観光客の間を縫って皇居を後にしました。



大君(おおきみ)の心しのびて 二重橋
   あの長き日は遠くなりけり(庸軒)




*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年8月16日 一条真也