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一条真也の新ハートフル・ブログ

2015-06-16

「トゥモローランド」

一条真也です。
東京に来ています。16日から会長を務める全互連の総会が山形県米沢市で開催されるため、東北入りの中継点として15日に東京に来たのです。夜は長女と銀座で待ち合わせし、久々に一緒に食事してから有楽町マリオンのTOHOシネマズ日劇でディズニー映画「トゥモローランド」を観ました。




公式HP作品情報」には「ウォルト・ディズニー最大の謎にして最高の「『トゥモローランド』プロジェクト」「世界に何が仕掛けられたのか?」というキャッチコピーがあります。そして、以下に続きます。
「ディズニーランドにあるテーマエリア“トゥモローランド”を知っていますか? それは、夢と魔法で人々を魅了し続けたウォルト・ディズニーが創った、未来への扉。だが、それが実は、彼の本当の夢を覆い隠す、壮大なカモフラージュだったとしたら? 映画『トゥモローランド』は、ウォルトが遺した最大の謎にして最高のプロジェクト。
エジソンなど世界の天才たちが英知を結集して建設した“すべてが可能になる場所”――それが“トゥモローランド”。 その謎をめぐり、冒険に憧れる勝気な17歳のケイシー、その存在を知る男フランク、そして、謎の少女アテナ――運命の3人が出逢う時、究極のミステリー・アドベンチャーが誕生する」

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トゥモローランド」のチラシ(表)



また、公式HPの「ストーリー」には以下のように書かれています。
「ピンバッジが光った瞬間、そこからすべては始まった――
ケイシー・ニュートン、17歳。ある日、彼女の持ち物に見慣れぬピンバッジが紛れ込む。それは、彼女が夢見た世界へのチケットだった。ピンバッジに触れると、ケイシーはたちまちにしてテクノロジーの発達した未知なる世界に・・・。果たして、ここは未来なのか? だが、バッテリー切れと同時に、ケイシーは見慣れた世界へと引き戻されていた。
必死で夢の世界へと戻ろうとするケイシーの前に現れたのは、ピンバッジを彼女の荷物に紛れ込ませたと言う、謎の少女アテナだった。その世界の名は“トゥモローランド”。再び訪れたいのならば、フランク・ウォーカーという男を訪ねるようにとアテナは誘う。アテナが人類の未来を託したふたりの人間、それこそがケイシーとフランクだった――だがそれは、壮大な冒険の始まりに過ぎなかった」

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トゥモローランド」のチラシ(裏)



この映画、じつはわたしは観る前からすごく期待していました。
だって、ディズニーランドはもちろん、ニューヨーク万博、エッフェル塔、エジソンなどの魅力的なキーワードが綺羅星のように並んだ予告編やチラシを見ると、いやがおうでも期待が高まります。しかし、正直に言って、シナリオが今ひとつというか分かりにくくて、あまり楽しめませんでした。
せっかく素材は最高なのに、非常にもったいない感じです。もっとシンプルなストーリーにすれば良かったのに・・・・・・

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トゥモローランド」のパンフレット



というか、映画鑑賞の前に長女と久々に飲んだせいもあって、大量のアルコールを体内に摂取したのと、ここ数日が睡眠不足だったこともあり、途中でかなりの時間を眠ってしまったのです。目覚めたときには後の祭りで、もうストーリーが分からなくなっていました。まるで冷凍冬眠カプセルの中で眠り続けて未来で目覚めた人間のような心境でした。(苦笑)

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ラフィー・キャシディが可愛かった!(公式HPより)



最も印象に残ったのは、謎の少女アテナを演じたラフィー・キャシディの可愛さです。まだ少女であるにもかかわらず、大女優顔負けの表現力、特に感情の機微を顔に出すのが抜群にうまくて、これからが楽しみな逸材です。
オジサンとなったフランク・ウォーカーを演じたのは、ジョージ・クルーニー。彼はわたしより2才年長なのですが、映画の中ではくたびれた感じもそれなりに出ていて、観ていてなんだかホッとしました。これが1才年長のトム・クルーズあたりの肉体美を見せつけられたりすると、ちょっと複雑な気分になりますね。(苦笑)

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中年の哀愁を漂わすジョージ・クルーニー公式HPより)



さて、この映画では、万国博覧会やテーマパークが重要な役割を果たしていました。映画の冒頭で、11才のフランク少年が訪れたのは1964年に開催された「ニューヨーク万博」の会場でしたし、そこで彼は謎の少女アテナに出会い、「イッツ・ア・スモール・ワールド」のアトラクションに乗って不思議な未来世界を垣間見るのでした。
また、パリの「エッフェル塔」も物語の重要な舞台となりますが、この塔はもともと1889年の「パリ万博」によって誕生した未来的シンボルでした。

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イッツ・ア・スモール・ワールドの内部(公式HPより)



わたしは、『遊びの神話』(東急エージェンシー)において、博覧会およびテーマパークの歴史と本質について詳しく書きました。じつは、わたしの初期の著作群は一貫して「ディズニーランドとは何か」を追求する内容になっています。ウォルト・ディズニーが仕掛けた謎を解きたかったのです。

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遊びの神話』(1989年5月20日刊行)



未来都市のイメージは「ユートピア」という観念に象徴されます。わたしは、かつて『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)という著書で、未来都市としての「ユートピア」の問題を正面から取り上げました。そこで、現代の社会において、世界のどこにでも通用する未来のあり方はないかと考えてみました。すると、博覧会、テーマパーク、コンベンションセンター、ドーム、ホテル、リゾートの6つが、部分的にではありますが、未来に向けて突出している存在であることがわかりました。つまり、博覧会やテーマパークはは、部分的ながら未来都市のモデルスペースとなっているのです。

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リゾートの博物誌』(1991年3月15日刊行)



博覧会とユートピアは実によく似ています。どちらも背後に「進歩の観念」というものがあるからです。博覧会がヨーロッパに初めて登場したのは、フランス革命の高揚からナポレオン帝国の建設へと続いていった1798年のことです。この年、それまで革命祭典が華々しく催されていたパリのシャン・ド・マルスで、フランス最初の国内産業博覧会が開催されました。このイベントは、ナポレオンやルイ・フィリップによっても強く支持され、その規模を拡大させながら19世紀半ばまで十数回開催されていきます。そしてフランスでの成功に学び、オーストリア、ベルギー、スペイン、ドイツ、イタリア、ロシア、アメリカなどでも、国内規模の産業博覧会が次々に開催されるのです。

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「ニューヨーク万博」の会場(映画パンフレットより)



そうした各国での一連の国内産業博覧会の集大成が、1851年にロンドンで開催された「第1回万国博覧会」です。これは世界初の万国博覧会であり、600万人もの入場者を集めました。19世紀のちょうど折り返し地点で始まった万国博覧会は、その後、1853年にニューヨークで、1855年にパリで、1862年にロンドンで、1867年にパリで、1873年にウィーンで、1876年にフィラデルフィアでと、欧米の各地で盛んに開催されていきます。入場者も「フィラデルフィア万博」では1000万人の大台を超え、まさに19世紀を象徴するビッグ・イベントとなりました。

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ここは未来都市なのか?(公式HPより)



万国博覧会は様々な新技術を大衆に披露してきました。また、単に新技術を普及させることが目的ではなく、新技術を応用することによってできる豊かな生活を大衆に体験させ、未来社会というものを具体的にプレゼンテーションしてきたのです。すなわち、大衆は万国博覧会によって未来をシミュレーション体験したのです。万国博覧会において初めて登場した新技術は数多くあります。1851年の「ロンドン万博」におけるクリスタルパレスと、1889年の「パリ万博」におけるエッフェル塔の2つがあまりにも有名ですが、その他にも、シンガーのミシン、コルトピストル(1851年ロンドン)、オースチンのエレベーター(1853年ニューヨーク)、ジーメンスの発電機(1867年パリ)、ベルの電話機、プルマンの寝台車(1876年フィラデルフィア)、無窓建築(1933年シカゴ)、ナイロン、プラスチック、高速道路(1939年ニューヨーク)などがあります。

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ウォルトが構想した未来都市とは?(映画パンフレットより)



そして、アメリカにおいて、映画と遊園地と博覧会を先祖に持つ「テーマパーク」という新しい空間が誕生しました。1955年、アメリカのアナハイムに誕生した「ディズニーランド」がテーマパークの代表です。古き良き時代のアメリカの街並みをそのまま再現した「メインストリートUSA」を進むと、かのノイシュヴァンシュタイン城をモデルにした「眠れる森の美女の城」(東京ディズニーランドでは「シンデレラ城」)が目の前に現れます。城のまわりを「ファンタジーランド」「フロンティアランド」「アドベンチャーランド」「トゥモローランド」などの、それ一つだけで1個のテーマパークとなっている非日常世界が取り囲んでいます。この巨大な祝祭空間を多くの人々は「現代のユートピア」とか「地上で一番幸せな場所」などと呼んできました。

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「夢みること」の大切さを知る(映画パンフレットより)



1955年夏の開園式において、ウォルトは次のように述べています。
「この幸せな場所にようこそ。ディズニーランドはあなたの国です。ここは、大人が過去の楽しい日々を再び取り戻し、若者が未来の挑戦に思いを馳せるところ。ディズニーランドはアメリカという国を生んだ理想と夢と、そして厳しい現実をその原点とし、同時にまたそれらのために捧げられる。そして、さらにディズニーランドが世界中の人々にとって、勇気とインスピレーションの源となることを願いつつ」
ディズニーが頭に描いた「幸せな場所」とは、日常性を完全にシャットアウトした空想の世界を意味しますが、彼が、ディズニーランドはアメリカを生んだ理想と夢と現実を原点としているという点は重要です。ディズニーランドは囲い込まれたユートピア、言わばユートピアのエンクロージャーであると同時に、アメリカのユートピアであるのです。

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草原に彼方に未来都市が見える(映画パンフレットより)



アメリカのSF作家レイ・ブラッドベリは、ディズニーランドを映画と演劇の世界を融合させた新しい娯楽形態であると指摘しました。しかし、演劇のもつ偶然性は完璧主義者であるウォルト・ディズニーにとっては回避すべき深刻なリスクであり、彼の関心は生身の出演者に毎回いかにして同じ完璧な演技をさせるかに向けられました。当初、計画されていたジャングルの野生動物は機械仕掛けの動物に変更され、園内のアトラクションも次第にロボッ卜を主役とするエレクトロニクス空間に様変わりしていきました。

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未来都市に行くには?(映画パンフレットより)



このロボットはAA(オーディオ・アニマトロニクス)と呼ばれますが、「カリブの海賊」をはじめ、人間型のAAが活躍するようになります。そして、このAAが映画「トゥモローランド」でも重要な役割を果たすのですが、これ以上書くとネタバレになるので、このへんでやめておきます。わたしはかなりの時間を夢の中で過ごしてしまいましたが、ディズニーランドが大好きな長女はこの映画を楽しんだのでしょうか?
明朝は東京駅に向かい、米沢へ行かなければなりません。
もう寝ることにします。では、おやすみなさいzzz

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TOHOシネマズ日劇で観ました



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年6月16日 一条真也

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