『死を見つめる美術史』

死を見つめる美術史 (ちくま学芸文庫)


一条真也です。
12日(日)も終日、次回作『お墓の作法』を書いていました。
「死」や「葬」について語ることは自分の使命であると思っています。
『死を見つめる美術史』小池寿子著(ちくま学芸文庫)を再読しました。
ブログ『絵画で読む死の哲学』で紹介した本と同様に、『唯葬論』の中に「芸術論」という章を設けたので、参考文献として久々に読み返したのです。



著者は1956年群馬県前橋市生まれの美術史家で、現在は國學院大學教授です。専門は15世紀北方フランドル美術・中世美術などの西洋美術史。主に、美術作品から死生観を読み解く研究をしています。「死の舞踏」の研究者として知られ、近年は運命観・身体観を探る研究も展開しているとか。


メメント・モリ(死を想え)」と書かれた本書の帯



本書の表紙カバーには「ルイ12世とアンヌ・ド・ブルターニュのトランジ像」という装画が使われ、帯には「メメント・モリ(死を想え)」というコピーに続いて、「それは哀悼・腐敗・祈り・霊魂・運命・・・死者たちの声に耳を澄ます美術史の旅」と書かれています。


また、カバー裏には以下のような内容紹介があります。
「死をめぐる旅はトスカナ州の小村モンテリッジョーニから始まる。『メメント・モリ(死を想え)』の低く静かな声がこの旅の道連れだ。季節の移ろいに生の歩みを重ね、死者たちとの語らいのなかで人間と芸術の来し方行く末に思いを馳せる。死と哀悼の風景、腐敗死体像と墓碑彫刻、死者への鎮魂、霊魂のかたち、運命の寓意表現。死のトポスを経巡り、水という元素界にいたって円環を閉じる。『生きながら死に、死にながら生きる』――図像研究から宇宙論・運命論の形而上学的世界に向けて思索を深めるとともに、死の表現を読み取り、その豊かな想像力をたどる」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
はじめに モンテリッジョー二の早春
第1章 死と哀悼
第2章 腐敗
第3章 死者のための祈り
第4章 霊魂のかたち
第5章 運命
おわりに 死を想う場――墓地・都市・水
「注」
「主要参考文献」
「死を見つめる美術史」略年表
「あとがき」
「文庫版あとがき」



はじめに「モンテリッジョー二の早春」には、次のように書かれています。
「人類が最初に『死の芸術』を生み出したのは、旧石器時代後期、すなわち紀元前50万年から20万年といわれています。その『芸術』とは、とりもなおさず、『墓』です。墓穴を掘ったり、骸骨の上に小石や骨を積み上げるといった、死者を埋葬した痕跡が確認されています。また死者といっしょに埋められた貝殻や石でできた装身具や工具などは、死後も生き続けるという考えをあらわす儀礼が存在したことのあかしと見られています。さらに、紀元前1万年以降の新石器時代には、それ以前のきわめて簡素な土盛りから、自然にできた洞窟内を利用した墓室に加えて、ドルメン、地下道、塚などの人為的な『墓』が登場します。このような『墓』は、いわば『死者の住処』であり、死者の死後における存続という観念をはっきりと示すものでしょう」



著者によれば、葬礼芸術には、古代から2つの表現が共存していました。
感情の起伏をあらわにした激情の生死と、静謐で厳粛な生死ともいうべき2つの表現です。著者は以下のように述べます。
「これらふたつの表現様式は、死に直面した人間のふたつの精神のありようをあらわしています。それは、死に直面したときにまず最初に起こる恐怖と悲嘆と、ついで、死を定められた運命として受容しようとする精神です。私たちは、これらふたつの精神状況の反復のなかで、死の受容に向かいます。芸術は、この死の受容過程を表現してきました」



また著者は、以下のように葬送儀礼についても述べています。
「死を、宗教儀礼として社会制度のなかに取り込むことによって、喪の悲しみは抑圧され、定型化してゆきます。これはおそらく、近親者の死に遭遇した人であるなら経験したことがあると思いますが、まず湧き起こる押さえがたい悲嘆と哀惜の情は、つぎになすべき事柄、具体的には、通夜や葬儀に関わる諸事によって、また読経や祈祷など、それぞれの宗教儀式によって、しだいに抑圧され緩和されてきます。臨終から葬儀、埋葬に至る一連の死者に対して『なすべきこと』は、周囲の者が日常に戻るために『なすべきこと』でもあるのです」



さらに「おわりに」で、著者は葬式について以下のように述べています。
「そもそも今日にあっては、葬式事態、おそらく遠戚を含めた親族が集う唯一の機会ではないでしょうか。会葬者は、そこで出会う親族の顔つきの類似にあきれながら、また、今度は誰の葬式のときに会えるのだろう、などと妙な会話をする。それでも、遺影を前にぼそぼそと会食し、その場でしかありえない会話に泣き笑いしたり、そのどこか押し殺された雰囲気のなかで、互いが死者を介して繋がっているという感覚をもったことはないでしょうか。何度もの葬式を経験するうちに、私は、葬式は死者のためばかりでなく、私たち生きている者たちのためにある、と実感するようになりました」



死の儀式を最初に行った者は、約10万年前に生きていたネアンデルタール人だとされています。この種族は発達した脳と言語を持っていたらしく、しかも、発掘された彼らの洞窟の中の遺骨の周囲に花の種子が発見されたので、死者たちに花をたむけたと考えられています。そして、約3万年前のクロマニョン人のラスコー洞窟には壁画が発見されていることからもわかるように、人類と美術表現の歴史は前期旧石器時代にはじまるのです。こうした洞窟壁画には多くの日常生活の中にみられる「死」が描かれており、クロマニョン人たちの「死」に対する関心の高さがよくわかります。わたしは、壁画が描かれた洞窟内は一種の葬礼空間であったのではないかと思っています。


「ART」の秘密はここにある!



ここで一気に芸術の本質について考えるならば、わたしにとってそのヒントとなる言葉に地球を意味する「EARTH(アース)」があります。
「EARTH」は3つに分解されます。「E」と「ART(アート)」と「H」です。その意味について考えると、おそらく「E」とは「EDEN(エデン)」で、「H」は「HEAVEN(ヘヴン)」でしょう。エデンの園から天国へ、地上の楽園から天上の楽園へ、人間の魂を導く手段が「ART」なのだと思います。
わたしは、冠婚葬祭業とは究極の芸術産業であると考えています。結婚式にしろ葬儀にしろ、冠婚葬祭とは人間の魂を天国に導くことにほかなりません。そんなわたしにとって、「死の舞踏」の専門家である著者が書いた本書は非常に興味深く、『唯葬論』を書く上での大きなヒントを与えられました。


唯葬論

唯葬論

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年7月13日 一条真也