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一条真也の新ハートフル・ブログ

2015-12-09

ちゅら葬儀で、ニライカナイへ

一条真也です。
6日、沖縄を代表する女優として知られる平良とみさんが敗血症による呼吸不全のため87歳で亡くなられました。その葬儀・告別式が8日、那覇市の「那覇北紫雲閣」で営まれました。芸能関係者ら約900人が参列し、「琉球新報」や「沖縄タイムス」の9日朝刊で大きく報道されました。

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「琉球新報」12月9日朝刊



「琉球新報」には、「進さん『忘れないで』」「平良とみさん告別式 900人別れ惜しむ」の見出しで、以下のように書かれています。
「6日に87歳で亡くなった女優の平良とみさんの告別式が8日、那覇市のサンレー那覇北紫雲閣で執り行われた。友人やファンら約900人が訪れ、『おばあ』として親しまれたとみさんに『ありがとう』『忘れない』と別れを告げた。所属事務所エーシーオー沖縄の下山久代表(68)は『とみさんらしい「ちゅら葬儀」だ』と話した。
遺影のとみさんはいつも満面の笑み。とみさんの語りを入れたCD『その日』のジャケット写真が使われ、CDも流された。人を愛した優しい人柄から法名は『淨誠院釋優愛』となった。喪主の夫進さん(80)は『二人三脚で沖縄芝居の道を生きてきた。つらく寂しいが、とみが芝居に懸けた思いを無駄にせず頑張っていきたい。写真を見ると今にも語り掛けてくるような気がする。これからも平良とみを忘れないで』と涙をこらえあいさつした。
とみさんが出演した演劇『洞窟(ガマ)』を演出した幸喜良秀さん(77)は『戦争を生き抜いて沖縄芝居をつないでくれた。今度は私たちが次の世代につなぐ』と力を込めた。『その日』を一緒に作ったしゃかりのチアキさん(43)は『いずれ天国でコラボレーションしたい』。
とみさんがときわ座在籍時に地謡をした照喜名朝一さん(83)は『「あの世でも芝居を見せて」と遺影に語り掛けた。宝物を失った』と惜しんだ。
稲嶺恵一元知事らも参列した。お骨を抱いた家族が式場から出ると、参列者は『とみさん、ありがとう』と声を掛けた」

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「沖縄タイムス」12月9日朝刊



また、「沖縄タイムス」には「とみさんありがとう 告別式に900人」の見出しで、以下のように書かれています。
「沖縄芝居やドラマ、映画などで活躍し6日に死去した女優の平良とみさん(享年87)の葬儀・告別式が8日、那覇市のサンレー那覇北紫雲閣であった。開始前から芸能関係者やファンらが列をなし、約900人が参列。祭壇に飾られた着物姿でほほ笑む平良さんの遺影=写真=に、涙を浮かべ手を合わせた。人気を全国区にしたNHKドラマ『ちゅらさん』の出演者や映画・舞台の共演者、琉球芸能関係者らから多くの供花も寄せられた。参列者は平良さんとの思い出を語り合い、長い芸歴と愛される人柄をしのんだ。遺骨が祭場を出る際は『ありがとう』の声と拍手もわき、『おばぁ』として親しまれた名優に別れを告げた。夫で俳優の平良進さん(80)は『うちなー芝居一筋の幸せな人生でした。いなくなってつらく寂しいが、とみのためにも頑張りたい』と悲しみをこらえあいさつした。
『ちゅらさん』の脚本家岡田惠和さんは『出演を迷っていた平良さんから「沖縄のためになりますか」と聞かれ、「そうなるよう頑張ります」と返事しました。出会えて幸せでした』と振り返った。映画『ナビィの恋』などで共演したタレントの津波信一さん(44)は『沖縄の言葉がなくなると芸能もなくなる。沖縄をもっと大切にしてほしいと何度も言われた』と悼んだ」

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ヤフー・ニュースより



平良さんの葬儀のニュースは、ヤフー・ニュースにも大きく取り上げられました。わたしは、最近の大物芸能人や俳優の死去がなぜかリアルタイムで知らされず、「葬儀は近親者のみですでに終えたという」といった報道に接するにつれ、疑問に思っていました。現在のわたしと同じ52歳で亡くなった石原裕次郎も美空ひばりも、亡くなったと同時にニュース速報が流れ、告別式には多くのファンが参列しました。
最近の「知らせない」風潮に対して、あえて一言申しますが、歌手にしろ俳優にしろ、芸能人というのはファンあってのもの。ファンに支えられて生活し、輝かしい人生を送ってきたはず。ファンには長年応援してきた芸能人がこの世を去った日にそれを知り、その日に悲しむ権利があるはずです。わたしもファンだった高倉健がすでに亡くなっていたことを知ったときは非常に寂しい思いをしました。その意味で、多くのファンの方々に見送られてニライカナイへ旅立った平良さんの「ちゅら葬儀」は、すべての芸能人が模範とし、目指すべきだと思います。
現代日本社会は「無縁社会」などと呼ばれますが、沖縄には血縁、地縁が今も強く残っています。そして、沖縄人は何よりも冠婚葬祭を大切にします。それが「人の道」だからです。沖縄は「守礼之邦」だからです。わたしは、ずっと「本土復帰」ではなく、本土が「沖縄復帰」すべきであると訴えてきましたが、平良さんの葬儀でその思いをいっそう強くしました。偉大なる「おばぁ」、平良とみさんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。




*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年12月9日 一条真也

直江喜一さんに会いました!

一条真也です。
ブログ「加賀紫雲閣竣工式」で紹介したように、9日の11時より加賀紫雲閣の竣工式が行われました。サンレーグループとして、北陸で11番目、全国では63番目(いずれも完成分)の紫雲閣となります。設計管理は梅田建築工房さん、施工は松井建設さんです。

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直江喜一さん(撮影・一条真也
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松井建設の営業部長さんです



その松井建設さんの北陸支店に直江喜一営業部長という方がいらっしゃいます。1級建築施工管理技士、二級建築士の資格をお持ちです。
直江喜一」という名前、どこかで聞いたことが・・・そうです、テレビドラマ「3年B組金八先生」で不良生徒「加藤優」を演じた俳優さんと同姓同名なので気になっていたのですが、なんとご本人だったのです!

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「加藤優」を演じた直江さん
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直江さんとのツーショット



「3年B組金八先生」といえば、1979年にTBSで放映が始まったテレビドラマシリーズですが、「日本の学園ドラマの金字塔」と称される番組ですね。
なんと第8シリーズまでレギュラー放送がされ、単発のスペシャルドラマが12回も放送されるほどの人気番組でした。



1979年から始まった第1シリーズでは、武田鉄矢が演じる桜中学校の国語教師・坂本金八が学級担任を務める3年B組の生徒たちは、杉田かおる、鶴見辰吾、三原じゅん子、田原俊彦、近藤真彦、野村義男など、錚々たるメンバーが出演しています。
その翌年から第2シリーズが放映されます生徒。
このときの生徒役が、これまた凄い顔ぶれでしたね。
沖田浩之、川上麻衣子、伊藤つかさ、ひかる一平、そして直江喜一




直江部長さんは不良生徒「加藤優」役として「腐ったミカンの方程式」で主役的な存在となり、その後、数多くのドラマやバラエティ番組に出演され、「悲しきティーン・エイジャー」で歌手デビュー、アルバム「オレはオレンジなんかじゃない」までリリースされています。

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直江部長さんと話しました



その後、俳優業を引退されて建設業界に就職したとは聞いていました。
しかしながら、まさか、わが社の加賀紫雲閣の建設でご縁をいただくとは、もうビックリ仰天です!
直江部長はソーシャル・ネットワーキング・サービス の「GREE」に次のようなプロフィールを掲載されています。
「20代まで俳優やってました。
30代から俳優をやめ、ゼネコンに勤務。
工事現場の所長として42歳まで。
その後現場所長を束ねる工事長となり、5年程前から営業に移動。
松井建設(株)東京支店多摩営業所の所長を経て、現在北陸支店の営業部長転勤中。子供も巣立ち第2の人生として、土日祭日、夜を利用し、舞台、TV、イベント等、昔やってた俳優を始めてます」

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「金八先生」の思い出をお聞きしました



直江部長さんには、いまでも熱烈なファンが多いようで、なんと「3年B組金八先生2と加藤優(直江喜一)のファンサイト」が開設されています。
サイト管理人は、自他共に認める金八先生第2シリーズと加藤優の超ファンを自称する愛知県出身の現在40代前半のサラリーマンだそうですが、サイトに次のように書いています。
「このサイトは、TBSで放送されていた3年B組金八先生第2シリーズとその中で直江喜一さんが演じていた、ドラマの象徴とも言える“加藤優”のファンサイトです。ご存じの方も多いかと思いますが、『3年B組金八先生』とは、俳優武田鉄矢さんが坂本金八という役者名で中学校の先生として活躍する学園ドラマです。思春期で多感な中学生を相手に、様々に生じる諸問題を生徒に体ごとぶつかっていき、一緒になって思い悩みながら乗り越えていく笑いや涙、感動に満ち溢れた物語です。
そして、全8シリーズある金八先生の中で、最も多くの視聴者に感動を与え今なお語り継がれているのが、昭和55年秋から56年春先にかけ放映された、金八先生第2シリーズです。
その中でもとりわけ荒谷二中の元番長として桜中学に転入してきた“加藤優”の存在はドラマという枠を超え一つの社会現象になるほど際立っており、“加藤優”という一人の中学生が放つ言葉や表情、行動等その全てに、視聴者が固唾を飲んで毎回見入っていました。
あれから約30年の年月を経た今、改めて加藤優という一人のドラマの準主人公を振り返ってみても、今尚感動を覚えずにはいられません。それは、たとえ世の中がどう変わろうとも、加藤優を取り巻く諸環境には人間教育の原点があるからに他ありません。
中学生や高校生等の学生さんやその親御さん、学校の先生方はもちろんですが、社会人の方であってもこの“加藤優”から生きていくヒントとなるものを得られることができるはずです。かつての加藤優ファンはもとより、加藤優を全くご存じではない方々にも、是非加藤優から何かを掴み、明日への糧としていただければ大変嬉しく思います」

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同年代なので話が合いました
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大いに語る直江部長
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加藤優に殴られる!
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これからも、よろしくお願いします!



いやあ、なんとも熱いメッセージですね。このサイトには直江部長から了解を得た上で、「金八先生ファイナル〜最後の贈る言葉〜」の撮影時に撮られた直江喜一さんと武田鉄矢さんの貴重なプライベートショット、お孫さんの七五三の時に撮影されたご家族との素敵な記念写真も掲載されています。




また、YouTubeには、「直江喜一(加藤優)さんからファンサイトご訪問者へのメッセージ」と題する動画が公開されています。この動画は平成23年8月12日に「3年B組金八先生」で共演した川上麻衣子さんと直江部長によるプレミアチャリティトークショーを開催した際に収録されたものです。





わたしは、言葉は人生をも変えうる力を持っていると考えていますが、これは何も歴史上の人物だけではなく、俳優が演じる「架空の人物」や漫画の主人公の台詞にも言えることではないでしょうか。
俳優とは、こうして長く人の記憶に残っていく仕事なのですね。
建設業は建物を残す素晴らしい仕事ですが、直江部長は多くの人々の心に残る仕事もなしえているのです!




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2015年12月9日 一条真也

芭蕉の館

一条真也です。
ブログ「安宅の関」ブログ「呉竹文庫」で紹介した場所の後は、加賀市の山中温泉郷に入り、「芭蕉の館」を訪れました。

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奥の細道』三百年記念碑
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奥の細道』三百年記念碑の説明版



石川県の加賀温泉郷は、粟津、片山津、山代、山中の4つの温泉地からなります。半径約8キロの範囲に密集しているのが特徴ですが、それぞれが風情のあるロケーションを持ち、効能も「四湯四養」といわれ異なります。
加賀温泉郷は、1300年前の奈良時代に高僧泰澄大師によって、あわづ温泉が開湯したのが始まりといわれています。その後、行基により山代温泉、山中温泉が開湯されたという伝承が残っています。また、鎌倉時代には浄土真宗の祖である親鸞聖人をはじめ、蓮如上人が布教にこの地域を訪れていますし、戦国時代には、明智光秀が癒すために山代温泉で湯治した記録が残っているそうです。さらに江戸時代に入ると松尾芭蕉が弟子の曽良と山中温泉で逗留して多くの句を残しています。

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芭蕉の館」を訪れました



奥の細道』で芭蕉と曽良が別れたのがこの山中の地なのです。
旅の途上、金沢から体調のすぐれなかった曾良は、芭蕉と山中温泉で別れることになりました。曾良は伊勢長島の伯父をたより、ひと足先に旅立ち、芭蕉は加賀国から越前国へと向かいました。
二人が別れ際によんだ句は次のとおりです。
「行き行きて たおれ伏すとも萩の原」  曽良 
(行けるところまで行って、最期は萩の原で倒れて旅の途上で死のう)
「今日よりや 書付(かきつけ)消さん笠の露」  芭蕉
(今日よりは笠についた露で「同行二人」の文字も笠から消すことにしよう)

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芭蕉と曽良 の石像の前で



山中温泉には、このふたりの別れの場面を石像で再現しています。
この石像は山中温泉にある「芭蕉の館」の前に建立されているのですが、ここ施設について公式HPでは次のように紹介されています。
「元禄二年の秋、松尾芭蕉は門弟の曾良を伴い、山中温泉を訪れ、泉屋に九日間逗留しています。山中温泉の総湯『菊の湯』の名称は、芭蕉が『奥の細道』で詠んだ『山中や菊はたおらじ湯のにほひ』に由来します。その芭蕉が逗留した『泉屋』に隣接していた『扇屋』の別荘であった建物そのものです。長年にわたり旅館として営業していましたが、時代の流れと老朽化により閉館。しばらくそのままにされていましたが、その古式ゆかしい風情と山中温泉街の中心部にあるという恵まれた立地から、地域の行事に一部の部屋を解放するなどしていましたので、ただいたずらに朽ちていくのを惜しむ声が次第に広く大きくなっていったのであります。そして平成十六年に大々的に再整備をし、芭蕉の館として再生再出発したものです。明治三十八年の建築で築後百年を経ていますが、先人の知恵が随所に散りばめられた日本建築ならではの耐久性のたまもので、現代建築にはない安心感に満ち溢れています」

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芭蕉の館」の玄関前で



なるほど、たしかに歴史を感じさせる建物ですが、なんでも山中温泉最古の宿屋建築だそうです。2階は、芭蕉や彼が俳号を授けた泉屋の主人である桃妖の資料が展示されています。芭蕉が書き残した「やまなかや菊は手折らじゆのにほひ」の掛軸真蹟など、芭蕉関連の資料など、見どころ満載。

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芭蕉の館」の内部のようす
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芭蕉の館」の二階のようす
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庭には「雪吊り」が・・・・・・



公式HPでは二代目館長の平井義一氏が一文を寄せています。
「四百年の歴史をもつ山中漆器は国の伝統的工芸品産地の認定を受けていますが、その最高峰である人間国宝 川北良造の名品をはじめ著名木地師達の数多くの秀品を鑑賞することができます。市や町では永年に亘って木地、蒔絵、塗り等の業界新作展で選ばれた優秀作品を永久買上品として買上げてきました。ここではその秀品の数々を永く将来に伝えると共に、多くの方々にご覧いただくことを願い展示いたしております」

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館内のようす
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『おくのほそ道』
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奥の細道』全図
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桃妖の俳句



芭蕉の館」の二代目館長の平井義一氏は、さらに述べます。
「ここには百年を経ても尚、輝きを失わない和の情緒があります。
漆塗りの天井、広々とした床の間、障子や畳の柔らかな感触、その一つ一つをゆっくりと楽しんでください。
お抹茶の一服も格別です。奥の細道の旅の道中、芭蕉さんは山中温泉で八泊九日間の長逗留をし、多くの句と資料を残されました。湯宿とした泉屋の先代・又兵衛豊連は、洛の安原貞室に影響を与えた人物として『俳諧水滸伝』にも紹介されています。元禄二年当時の泉屋は、幼主・久米之助(十四歳)であり、蕉翁に俳諧の手解きを受け、芭蕉庵桃青の俳号から桃妖の号と共に“桃の木の其の葉散らすな秋の風”の句を贈られます。一方、金沢から芭蕉・曽良の一行に加わった北枝も、蕉翁に俳諧を問い『山中問答』として残されています。また、当地は、芭蕉と曽良との別れの地であり、曽良への餞別として巻かれた『山中三両吟』の歌仙は、“翁直しの歌仙”として『やまなかしゅう』に納められ、貴重な研究資料となっています」

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山中温泉案内資料(昭和時代)
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山中湯図
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山中温泉で芭蕉が詠んだ句



続けて、代目館長の平井義一氏は以下のように述べます。
「湯けむりの中、湯座屋節(山中節の前身)が流れ、あちこちに木地挽の音が・・・。そんな、山あいの温泉街・薬師山・道明ヶ淵・黒谷橋と散策し、いで湯に浴した芭蕉さんは、山中湯に“桃源郷”を見立てました。
当館は、当時、泉屋に隣接していた湯宿、元・扇屋(桃妖の妻の実家)を修復し、俳諧師“芭蕉”縁の資料を中心に、伝統工芸としての漆器・温泉資料を合わせ展示致しております。庭越しの御茶のひと時を、又“山中節”を習われるも良し、どうぞ御気軽にお立ち寄り下さいませ。一同快く御来館をお待ち致しております」
いやあ、なんとも叙情的な文章で、ウットリします。

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オープン前夜の加賀紫雲閣に寄りました
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山中温泉の露天風呂で・・・


「芭蕉の館」を出た後は、9日にオープンする加賀紫雲閣を訪れ、竣工式の準備が出来ているかの点検をしました。それから、山中温泉の宿に投宿して、露店風呂に入りました。とても湯治まではかないませんが、機会と時間に恵まれたならば、ゆったりと逗留しながら、俳聖・芭蕉に想いを馳せつつ、道歌を詠んでみたいものであります。



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2015年12月9日 一条真也