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一条真也の新ハートフル・ブログ

2017-12-02

大相撲と大和魂

一条真也です。
いま、わたしは「大和魂」について考え続けています。そして、「天皇制」と「大相撲」の初期設定とアップデートというものを考えています。「天皇制」については、ブログ「天皇陛下と儀式」に書きました。




次は「大相撲」についてです。国技である大相撲が激震しています。
九州場所の終了後、横綱・日馬富士は貴ノ岩への暴行事件の責任を取って引退を表明しました。しかしながら、わたしは、先の九州場所で40回目の優勝を果たした横綱・白鵬も引退すべきではないかと思います。




わたしは、白鵬ほど横綱にふさわしくない下品な力士はいないと思います。日馬富士暴行事件の現場に居合わせたこと、九州場所で1分半にわたって行司の判定に抗議をしたこと、優勝インタビューで暴行事件の当事者であるにもかかわらず「日馬富士関、貴ノ岩関を再び土俵に上げてあげたい」と発言したこと、その後あろうことか観客を巻き込んで万歳三唱をしたこと、そして全力士の前で「貴乃花親方を巡業部長から外してほしい」などと八角理事長に直訴したこと・・・・・・すべてが礼儀と礼節を欠く行為です。
日馬富士が引退会見で発言した「礼儀と礼節を大切にして生きてほしい」という貴ノ岩へのメッセージは、むしろ白鵬にこそ送られるべきでしょう。




しかしながら、マスコミの偏向報道もあって、世間では被害者である貴ノ岩や貴乃花親方をヒール扱いしてきました。貴乃花親方は「変人」として馬鹿にされ、ストールやマフラーやサングラスなどのファッションにまでケチがつけられました。わたしは、貴乃花親方のファッションはカッコいいと思います。ニューヨークやミラノのチョイ悪オヤジ、もとい、小粋な中年男性のスタイルです。あれを「ヤクザ風」などと言うのは単なる田舎者ですね。




今回の不可解な事件は、「八百長」「ガチンコ」というキーワードを含めて全体をとらえると、すべてがクリアになります。貴乃花親方の“八百長嫌い”は現役時代から徹底していましたが、そのような真実が背景にある事件について協会に報告しても揉み消されるのは目に見えています。
そのために、協会からの聞き取りをはぐらかし、貴ノ岩本人への聴取を拒否し続けていたのでしょう。そのことを「貴乃花親方が次の理事長戦に利用しようとしている」などと邪推した連中を許せません。また、九州場所の千秋楽で白鵬とともに万歳三唱した連中は“九州人の恥”だと思います。




現在の貴乃花親方の孤独な心中を思うと辛いですが、なんとか己の信念を曲げずに大相撲を正常化してほしいと願っています。
ブログ「モンゴル互助会」の最後において、『唯葬論』の「文庫版あとがき」の終わりに記した「風吹けど月は動かず われもまた志をば曲げずに行かん」という道歌を貴乃花親方にお贈りしましたが、わたしはぜひ貴乃花親方に直接お会いして、親方にエールを送りたいと思っています。

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故・貴ノ花利彰氏と佐久間進の対談風景



じつは、貴乃花親方の父上である元大関・貴ノ花利彰氏(故人)は、わたしの父である佐久間進と交流がありました。もう35年前になりますが、両者は「土俵の上には儀礼の美がある」をテーマに対談しています。1982年に刊行された『はあと対談集』(日本儀礼文化協会)に収録されていますが、そこで父は「いろんな礼の型が土俵の上で一連のつながりとなって表われる。あのしきたりは見ていて美しいと、いつも思っているんです」と述べ、以下のような対話が交わされています。



佐久間 しきたりといえば、相撲界では番付の序列による上下関係が相当きびしいと聞きますけれど――
貴ノ花 きまりを守っていれば、世間でいうほどきびしくはないんですがね。たとえば風呂に入る順番とか食事とか。
佐久間 風呂の順番もきちっとあるんですか。
貴ノ花 うちの部屋では若乃花より私のほうが先輩ですから、先に入ろうとすればできるんですけども、それをすると部屋の秩序を狂わしてしまうんですね。私から秩序を狂わしたくはないからしませんけど。古い先輩なんかも、そういうきまりはきちんと守りますね。
佐久間 先輩後輩より番付のほうが強いんですか。
貴ノ花 部屋のきまりは番付順です。だけど普段話しているときは、そんな固苦しいものじゃないですね。いくら横綱でも、先輩は先輩としてこれは立てます。私なんかでも先輩は先輩として立てます。そのかわり外へ出たら、ちゃんと横綱は横綱、大関は大関と番付順です。



また、父は「大関の相撲には哲学がある、相撲道がそこに感じられる。そう書いていた作家がありましたが、私もそう思います。求道者的なイメージを土俵の上の大関に見るわけですよ。相撲道というのは、あまり聞きなれない言葉ではありますが、どんなふうに考えていますか」と問いかけるのですが、それに対して、貴ノ花さんは「自分がこうと思ったことを成し遂げようと努力することではないでしょうか」と答えられています。さらに対談の最後では、以下のような会話が交わされます。



佐久間 大関のとってきた相撲あるいは相撲哲学、それを何か1つの言葉に表現できましょうか。
貴ノ花 色紙を出されると、よく「忍」とか「心」とか書くんですが、私が相撲生活でつくづく実感できた言葉は「失意泰然」という言葉ですね。意にかなわぬ状態のときでも泰然とありたいと思っています。
佐久間 失意泰然――いい言葉ですね。今後大関は親方になられるわけですが、部屋から1日も早く立派な関取が出るよう、期待しています。

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『はあと対談集』(日本儀礼文化協会)



対談時、元大関・貴ノ花さんは藤島部屋を設立したばかりでした。父は「部屋から1日も早く立派な関取が出るよう、期待しています」とエールを送っていますが、その後、藤島部屋からは「若貴」という大スターが出て、空前の大相撲ブームを巻き起こしました。特に弟の貴乃花光司さんが「平成の大横綱」と呼ばれたのは周知の通りです。
いま、わたしは貴乃花親方とぜひ対談したいと考えています。テーマは「大相撲と大和魂」です。なぜなら、貴乃花親方が本当に守ろうとしているものは「大和魂」であると思うからです。

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和を求めて』(三五館)



和を求めて』(三五館)では、「大相撲と大和魂」について詳しく書きました。明治維新後から、日本中が「文明開化」の渦に巻き込まれます。ブログ『相撲、国技となる』で紹介した本によれば、文明開化の流れの中で、世間では相撲無用論や相撲禁止論が起こりました。そして、明治4年(1871年)8月、当時の政府によって「断髪令」が布告されました。当然ながら力士は髷(まげ)を結っています。髷がなければ力士ではありません。空前の危機にあった相撲ですが、なんとか力士の髷は断髪令の例外として認められました。それでも、新しい時代を迎えるに当たって相撲への風当たりは強かったのです。




しかし、そういった風潮を吹き飛ばしたのが明治17年3月に浜離宮延遼館で行われた天覧相撲でした。明治天皇が相撲観戦をされたことによって、東京相撲は往年の人気を取り戻したといいます。この天覧相撲では、勝ち力士に与える花を挿した花道を設けたり、行事が力士を呼び上げるなど、平安時代に盛んに行われました。それは、以後途絶えていた宮廷での相撲節会を彷彿させるものでした。この天覧相撲は、明治天皇の信任が厚く、事実上実力一の政治家だった内務卿の伊藤博文が企画したものとされます。




この天覧相撲は、一般庶民に先立って、実際に観覧した国政指導者層(上流階級)に、東京相撲の存在価値やステータスを認識させることに成功しました。浜離宮延遼館での天覧から2年後、両国の回向院の近くに野見宿禰神社が創設されました。野見宿禰は垂仁天皇の前で当麻蹴速と相撲をとって投げ殺し、後年、相撲の神と崇められるようになった人物です。ここに東京相撲は完全に日本国民から認知され、相撲は「国技」の地位を得たようです。やはり、日本におけるブランドは「天皇」と深く関わっていますね。




来年のNHK 大河ドラマの主役である西郷隆盛は大の相撲好きでした。明治天皇と相撲をとって投げ飛ばしたという逸話もあります。西南戦争で賊となった西郷の名誉回復は1889年ですが、同年、天皇は西郷の弟の従道邸に行幸しました。この時従道邸前庭で天覧相撲が供されましたが、これは「兄を偲ぶよすがは相撲だ」という従道の配慮だったとされています。相撲の歴史に関する古典である『日本相撲史』にも、相撲蛮風論が吹きまくった折、廟堂では西郷隆盛をはじめとした諸名士がこれに反対だったと書かれているそうです。




わたしは、西郷隆盛が相撲好きだったというのは大いに理解できます。なぜなら、彼の本当の肖像写真は謎とされていますが、その体躯が巨大であったことは多くの人々の証言から間違いがありません。ならば、巨体の人間は当然ながら相撲が強いはずで、それゆえ自身が得意な相撲を愛好していた可能性は大だからです。「文明開化」の激流の中で、ハリウッド映画「ラスト・サムライ」のモデルにもなった西郷が相撲という武士道に通じる日本文化を残そうとしたことは大いに考えられます。また、相撲の丸い土俵は「輪」=「和」そのものであり、「日の丸」や「円」にも通じます。




そして西郷のアドバイスがあったとしても、相撲存続の最終決定をしたのは明治天皇です。そこには日本人の「こころ」をそのまま「かたち」にした土俵に対する明治天皇の想いがあったように思います。当時は、急激な西欧化の中で、大和魂というものが希薄になっていました。明治天皇は、「『和』のシンボルである相撲を残すことによって大和魂を残すのだ」と考えたのではないでしょうか。わたしには、そのように思えてなりません。




九州場所での貴乃花部屋のホームタウンは田川ですが、田川はわが社のテリトリーでもあります。ぜひ、田川にあるわが社の結婚式場「ザ・ブリティッシュヒルズ」で貴乃花親方と会食したいです。もちろん、お弟子さんたちにもお腹いっぱい美味しい食事を提供させていただきます。「大相撲と大和魂」について、わたしは貴乃花親方とガチンコで語り合いたいです!



2017年12月2日 一条真也