夏越大祓式  

一条真也です。
7月1日の夜、韓国から帰国しました。2日、サンレー本社において夏越大祓式の神事が執り行われました。わが社の守護神である皇産霊大神を奉祀する皇産霊神社の瀬津隆彦神職をお迎えし、これから暑い夏を迎える前に、会社についた厄を払って社員全員の無病息災を祈願しました。


夏越大祓式のようす

清祓の儀で低頭しました

わが社は儀式を大切にしています



わが社は「礼の社」を目指していることもあり、会社主催の儀礼や行事を盛んに行っています。もともと、「社」というのは「人が集まるところ」という意味です。神社も、会社も、人が集まる場としての「社」なのですね。今日は、祭主を務める佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠して、社員のみなさんとともに二礼二拍手一礼しました。


佐久間会長が玉串奉奠しました

わたしも玉串奉奠しました

神事終了後に挨拶する佐久間会長



神事終了後には佐久間会長が「これで、みなさんは健康に夏を乗り越えられるでしょう。何事も陽にとらえて、前向きに生きていきましょう」と挨拶しました。わが社では、このような儀式をとても大切にしています。
わたしは『儀式論』(弘文堂)という本を書きましたが、いつも「儀式とは何か」について考えています。そして、儀式とは「魂のコントロール術」であり、「人間を幸福にするテクノロジー」であると思っています。


儀式論

儀式論

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

夏越の神事を終えた後は、恒例の月初の総合朝礼を行いました。総合朝礼の冒頭、社長訓示を行いました。『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)の内容に沿って、わたしは以下のような話をしました。
夏越大祓式は年中行事です。民俗学者折口信夫は、年中行事を「生活の古典」と呼びました。彼は、『古事記』や『万葉集』や『源氏物語』などの「書物の古典」とともに、正月、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、お盆などの「生活の古典」が日本人の心にとって必要であると訴えたのです。いま、「伝統文化や伝統芸能を大切にせよ」などとよく言われますが、それはわたしたちの暮らしの中で昔から伝承されてきた「生活の古典」がなくなる前触れではないかという人もいます。


元号が変わるとき、文化は変化する



文化が大きく変化し、あるいは衰退するのは、日本の場合は元号が変わった時であると言われます。明治から大正、大正から昭和、昭和から平成へと変わった時、多くの「生活の古典」としての年中行事や祭り、しきたり、慣習などが消えていきました。おそらく元号が変わると、「もう新しい時代なのだから、今さら昔ながらの行事をすることもないだろう」という気分が強くなるのでしょう。そして、平成も終わり、新しい元号へと変わります。来年の2019年4月30日、天皇陛下は退位されることになりました。平成は2019年の4月末で終わり、翌5月1日から改元されます。


年中行事の多くは、変えてはならないもの



平成は大きな変化の時代でした。なによりも日本中にインターネットが普及し、日本人はネット文化にどっぷりと浸かってしまいました。正月に交わしていた年賀状を出すのをやめ、メールやSNSで新年のあいさつを済ます人も多くなってきました。その平成も終わるのですから、新元号になったら、日本人の間の「もう新しい時代なのだから、今さら昔ながらの行事をすることもないだろう」という気分はさらに強くなるはずです。しかし、世の中には「変えてもいいもの」と「変えてはならないもの」があります。年中行事の多くは、変えてはならないものだと思います。なぜなら、それは日本人の「こころ」の備忘録であり、「たましい」の養分だからです。


「生活の古典」とは何か



人間の本質は「からだ」と「こころ」の二元論ではなく、「からだ」と「こころ」と「たましい」の三元論でとらえる必要があります。
宗教哲学者で上智大学グリーフケア研究所特任教授の鎌田東二先生は「体は嘘をつかない。が、心は嘘をつく。しかし、魂は嘘をつけない」と述べています。「嘘をつく心、嘘をつかない体、嘘をつけない魂」という三層が「わたし」たちを形作っているというのです。日本人の「たましい」を「大和魂」と表現したのは、国学者本居宣長です。彼はその最大の養分を『古事記』という「書物の古典」に求めましたが、さらに折口信夫は正月に代表される「生活の古典」の重要性を説いたのです。


生活の古典を愛し一年(ひととし)に区切りをつける大和魂



書物の古典にしろ、生活の古典にしろ、昔から日本人が大切に守ってきたものを受け継ぐことには大きな意味があります。それは日本人としての時間軸をしっかりと打ち立て、大和魂という「たましい」を元気づけるからです。大和魂とは、大いなる和の魂です。それは平和を愛する「たましい」であり、美しい自然を愛し、さらには神仏を敬い、先祖を大切にする価値観の根となるものです。これから新しい時代が訪れても、日本人がいつまでも平和で自然を愛する心ゆたかな民族であり続けてほしいと思います。最後に、わたしは「生活の古典を愛し一年(ひととし)に区切りをつける大和魂」という道歌を披露しました。総合朝礼の終了後は、本部会議が開催されました。



2018年7月2日 一条真也

仏国寺

一条真也です。
小倉ロータリークラブの親睦旅行で韓国に来ていますが、7月1日に慶州を訪れました。慶州には、有名な「仏国寺」があります。日本でいえば伊勢神宮のように、韓国人のすべてが一度は参拝したいと願う宗教施設です。


仏国寺の正門

仏国寺の正門前で

仏国寺の案内図

世界遺産の石碑の前で



韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗大韓仏教曹渓宗)の寺院で、第11教区本寺。吐含山のふもとにあります。1995年、石窟庵とともに「石窟庵と仏国寺」としてユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されました。また釈迦塔などが国宝に指定されています。


境内にある見事な松

緑に囲まれた池

大王門

四天王像

四天王像



Wikipedia「仏国寺」の「歴史」には以下のように書かれています。
新羅景徳王の時代の751年(景徳王10年)、宰相だった金大城(キムデソン)により建立がはじまる。『三国遺事』には、金大城が現世での父母のために建立したと記述されている(『三国遺事』巻五・孝善・大城孝二世父母 神文代)。774年 新羅(恵恭王10年)に完成した。 最盛期の8世紀は、約60棟の木造建築で寺院は構成された」


紫霞門

この急な階段を見よ!

階段についての説明板

紫霞門



李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に名前がなく、既に荒廃しており廃寺になったようである。世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、存続を許された36寺院の中にも名前がなく、引き続き廃寺のままだったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)」(Wikipedia「仏国寺」「歴史」)


大雄殿

大雄殿の前で

大雄殿内の仏像

多宝塔(国宝)



「1904年から1905年にかけて紫霞門左右の行廊も倒壊、石壇も埋もれた状態となったが、日本統治時代の1924年4月から1925年8月迄の朝鮮総督府による再建工事によって石壇・石廊を含む主要構造が修復された。戦後の1973年に発掘調査後、改修工事で無説殿、観音殿などが再建された。2010年に日本の仏師の福井照明が製作した四天王像など12体の仏像が寄贈され、仏国寺・聖宝博物館に常設展示された」
Wikipedia「仏国寺」「歴史」)


無説殿

無説殿の内部

上方から見た仏国寺の瓦

提灯の下を通って・・・



また、Wikipedia「仏国寺」の「宗派と本尊」には、こう書かれています。
「高麗時代に書かれた『新羅国東吐含山華厳宗仏国寺事蹟』や仏国寺の寺誌『慶尚道江左大都護府慶州東嶺吐含山大華厳宗仏国寺古今歴代諸賢継創記』が示すとおり、もとは毘盧遮那仏を本尊とする華厳宗の寺院だった。しかし1970年代に再建された現在の仏国寺は、禅宗系の曹渓宗大韓仏教曹渓宗)の寺院である。創建時に本尊だった毘盧遮那仏は、現在寺院奥手の毘盧殿に安置され、本殿である大雄殿には釈迦三尊仏(釈迦牟尼文殊菩薩像、普賢菩薩)が安置されている」


観音殿

毘盧殿

境内のようす

羅漢殿の内部


さらに、Wikipedia「仏国寺」の「構造」には、こう書かれています。
「石垣で固めた盛土の上に伽藍が配置されている。伽藍は大きく3つの区域に分かれ、回廊で区切られている。参道正面から2つの区域があり、各区域がそれぞれ蓮華橋・七宝橋と青雲橋・白雲橋とで外域と結ばれている。朝鮮第4代王世宗によって破棄・破壊されるまでは、それぞれの橋の元に九品蓮池が広がっていたといわれている」


楽殿

「極楽殿」の看板裏に豚が!

金運上昇の「金の豚」が大人気!

仏教美術館」という名前の売店

仏教美術館で「金の豚」が売っていました!



仏国寺の「極楽殿」の欄間には豚の彫刻があります。
豚といっても牙があるので猪といったほうが正しいでしょうが、この豚は幸運のシンボルだそうです。「極楽殿」の前には「金の豚」の像が置かれており、これを撫でると金運が上昇するということで、大人気でした。その後、「仏教美術館」という名の売店にこの「金の豚」が売られていたので、迷わず父の土産に求めました。父は亥年だからです。わたしにとっては少々高額な買い物でしたが、親孝行のためと思えば安いものです。



2018年7月2日 一条真也