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一条真也の新ハートフル・ブログ

2018-08-08

翁長知事の訃報

一条真也です。沖縄に来ています。
那覇のホテルの客室でテレビをつけていたら、わが社の結婚式場「マリエールオークパイン那覇」のCMの後に沖縄県の翁長雄志知事が膵臓がんで亡くなったというニュースが流れ、驚きました。67歳でした。

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OTV「プライムNEWS」より



翁長知事は、2014年の知事選で「普天間基地の県内移設」に反対を訴え、対抗馬に10万票以上の差をつけて圧勝しました。就任以来、政府との話し合いや国を相手取った裁判など、あらゆる手段で県内移設をやめるよう働きかけてきました。7月27日には、仲井眞弘多・前知事による名護市・辺野古沖の埋め立て承認を撤回すると表明したばかりでした。



翁長知事の訃報に接した8日の、わたしはちょうど普天間基地や嘉手納基地の前を車で通りました。沖縄に紫雲閣の新施設を作るべく、県内の建設候補地を車で視察して回ったのです。収穫大でした。
車中で、わたしはサンレー沖縄の黒木事業部長から、翁長知事が浦添の病院に入院されていることを聞き、その事実を初めて知りました。そして、その日の夜に訃報に接したわけです。

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「毎日新聞」2015年5月1日朝刊



翁長知事の訃報に接し、「毎日新聞」2015年5月1日朝刊に掲載されたわが連載コラム「北九州発 ハートフル通信」の第33回目を思い出しました。タイトルは「沖縄のセレモニーホール」で、内容は以下の通りです。
「(2015年)4月4日、沖縄で7番目の紫雲閣となる『豊崎紫雲閣』の竣工神事が行われた。場所は沖縄最大のアウトレットモール『あしびなー』の真横という素晴らしい立地だ。竣工神事の終了後、わたしは主催者あいさつを行った。冒頭で『このように立派なホールを建設できて、本当にうれしく思います。これで、多くのサンレー会員様に満足のゆく『おもてなし』を提供することができます』と述べ、それから以下のような話をした。豊崎紫雲閣は豊見城市の中心部にある。豊見城という地名は、13世紀から15世紀の三山時代に、後の南山王となる汪応祖(わんおうそ)が漫湖を眺望する高台に城を築き、それを「とよみ」と呼んだことに由来するそうだ。この豊見城市だが、『都市成長力日本一』として有名である。東洋経済新報社が実施する都市の成長力ランキングでは、毎年のように全国約810市区の中で1位となっている。
このような成長力の高い都市にセレモニーホールは似合わないと思われた方もおられたかもしれない。いま、辺野古の新基地建設をめぐる問題が紛糾し、基地建設を推進している国と反対を掲げて沖縄県知事に当選した翁長知事とが対立している。ここで政治的な問題に立ち入ることは控えるが、わたしは、『セレモニーホール』とは『基地』の反対としての究極の平和施設ではないかと思っている。なぜなら、『死は最大の平等』であり、亡くなった方々は平和な魂の世界へと旅立たれるからである。セレモニーホールとは平和な世界への駅であり港であり空港なのだと思う。
沖縄は『守礼之邦』と呼ばれる。もともとは琉球の宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったようだが、わたしは『礼』を『人間尊重』という意味でとらえている。沖縄の方々は、誰よりも先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされる。日本でも最高の「礼」を実現していると思う。
今年は、終戦70周年の年。先の戦争では、沖縄の方々は筆舌に尽くせぬ大変なご苦労をされた。わたしたちは、心を込めて、沖縄の方々の御霊をお送りするお手伝いをさせていただきたいと願っている。竣工式の最後に、わたしは『紫の雲ぞ来たれり豊見城 守礼之邦の礼を守らん』という歌を心をこめて詠んだ。沖縄の人たちは、何よりも先祖と隣人を大切にする。ここは大いなる有縁社会なのだ。
戦後70年、すべての日本人は無縁社会を乗り越えるために、『本土復帰』ならぬ『沖縄復帰』するべきではないだろうか」



このコラムを書いた当時と同じく、わたしは翁長知事が基地に反対してきたことをはじめ、政治的な問題に立ち入るのは控えます。しかし、わたしがたまたま沖縄に来て、基地の前を通った日に翁長知事の訃報に接したことには、大いに感ずるものがあります。翁長知事の御冥福をお祈りいたします。

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「琉球新報」2018年8月9日朝刊



2018年8月8日 一条真也