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一条真也の新ハートフル・ブログ

2018-04-19

『あわいの時代の「論語」』

あわいの時代の『論語』: ヒューマン2.0


一条真也です。
『あわいの時代の「論語」』安田登著(春秋社)を読みました。
「ヒューマン2.0」というサブタイトルがついています。
著者は能楽師ですが、『論語』についての造詣が深いことで知られ、ブログ『身体感覚で「論語」を読み直す』で紹介した本などの著書があります。

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本書の帯



本書のカバーには京劇のようなPOPな孔子のイラストが使われ、帯には「安田さんは世にもまれな『死語』の使い手である。遠い過去に生きた人たちの、安易な想像や共感を許さない特異な思念や体感をありありと現出させる才能において、柳田國男白川静の学統を継いでいる。――内田樹」とあります。

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本書の帯の裏



また帯の裏には、 「『君子』とはどんな人なのか? 『仁』の境地に達するには?――究極の温故知新がここに!」「AI等の急速な進歩によって、文字の誕生に匹敵する『シンギュラリティ(=技術的特異点)』がやって来ると言われている。そんな『あわいの時代』の現代こそ『論語』が役に立つ!」と書かれています。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第1章 あわいの時代――シンギュラリティ
第2章 心――腹部に宿った「自由意志」
第3章 君子――「心」を使いこなす
第4章 礼と六芸――身体拡張装置としての「礼」
第5章 知――脳の外在化によって生まれた精神活動
第6章 仁――ヒューマン2.0
付録  『大盂鼎』を読む――論理の誕生
「おわりに」
「参考文献」



「はじめに」を著者は以下のように書きだしています。
「いまからおよそ3000年前(紀元前1300年頃)。古代の中国では文字が誕生しました。文字は『時間』を生み、『論理』を生み、そして『心』(という文字)も生みました。生まれたばかりの『心』の意味はいたってシンプル。すなわち、未来を変え、過去から学ぶ力、それが『心』でした」



また、著者は以下のようにも述べています。
「未来を変える力を、心の『作用』だとすれば、『不安』は心の『副作用』です。その副作用に対する処方箋を私たちに与えてくれたのがお釈迦様であり、イエスであり、そして孔子です。みな、2000年以上も前の方たちです。それなのに今に至るまで、このお三方を凌駕する人物が現れないのは、『心の時代』がまだ続いているからです。
しかし、近年の急激な時代の変化を肌で感じていると『ひょっとしたら、文字や心の誕生前夜もこうだったのではないか』と思います。文字が生まれたばかりの頃の資料を読んでいると、いま私たちが直面している不安や期待に似たものを感じるのです」



第1章「あわいの時代」では、『論語』全体を孔子の時代の文字に書き直してみると、孔子の時代にはなかった文字群があることを、著者は指摘します。それは「感」を含めた「心」を部首とする文字群でした。さらに漢字を追っていくと、「心」という文字自体が孔子の生まれた500年前(紀元前1000年頃)に誕生したことがわかりました。
自由意志としての「心」とほぼ同時に「時間」が生まれ、「論理」が生まれ、そして「(政治)組織」も生まれました。



このような「心」について、著者は紀元前1000年に発明された現代人類のOS(御ペレーティング・システム)であるとし、以下のように述べます。
「『文字』の発明と、その後300年後にやってきたOSとしての『心』の発現は、人間社会を劇的に変えた『シンギュラリティ』だといえます。このシンギュラリティ(以下、文字シンギュラリティ)によって、人々の思考の量や質は爆発的に増加し、人間社会は質的な飛躍を遂げることになったのです。文字シンギュラリティ以降、時代は『心の時代』に突入しました。『心』を中心にいろいろなことが回るようになったのです。これは中国だけに限ることではありません。人類最初の都市文明を生んだ古代メソポタミアでも、エジプトでも同じです」



孔子の儒教をはじめ、釈迦の仏教、イエスのキリスト教は、「心の時代」に生まれました。そのあたりは拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)に詳しく書かれています。各宗教は、その創始者だけでなく、それ以降も聖人や偉人を排出しました。たとえば仏教なら、空海。キリスト教なら、聖フランシスコやマザー・テレサ。儒教だって、幕末の吉田松陰などがいます。しかし、著者は以下のように述べるのです。
「不思議なことに空海は釈迦ほどではないし、聖フランシスコやマザー・テレサだってイエスには及ばない。吉田松陰だって孔子の方がずっとすごい。しかも、釈迦、孔子、イエスの三聖人はみんな2000年以上も前の人たちです。釈迦や孔子は紀元前500年ほどの人、イエスはちょうど紀元ごろの人。こんなすごい人たちがみんな今から2000年以上も前に生まれて、それ以降、これに代わる人がいない」



「これって変ですよね」と読者に問いかけてから、著者は以下のように述べます。
「科学も文明も、当時に比べれば現代の方が格段に発達しています。人類全体の知的水準だって上がっているはずです。それなのになぜ今まで彼ら以上の人が誕生しなかったのか。そして、この3人は、なぜ『あの時期』に生まれたのか。それは、この3人がみな『心の時代』になって数百年後に生まれた人たちで、そして『心の時代』のパイオニアだからです。『心』の副作用に対して、その共同体で初めての、そして強力な処方を施した人たちです」



本書の中でも、特に第4章「礼と六芸」が読み応えがありました。
古代中国で士以上の者が修めるべき六つの教科が六芸(礼、楽、射、御、書、数)です。これらの教科はいずれも「超越的なもの」と関わる技法であると言えますが、その最初に置かれているのが「礼」です。姿のない神霊という、通常ではコミュニケーションができない相手との交流をするという「礼」の機能は六芸すべてに通底するとして、著者は以下のように述べます。
「第一層の礼を社会的に行うのが通過儀礼です。五経の『礼』のひとつに『儀礼』という本があります。その中には、成人式(士冠礼)や結婚式(士昏礼)などの通過儀礼の式次第が載っています。私たちにもっとも身近な通過儀礼は卒業式でしょう。講堂の檀の下にいるときには『在校生』なのに、壇の上に登って卒業証書をもらい、反対側の階段から壇を下りると『卒業生』に変わり、学校からの縛りを一切受けることがなくなります。式の前とあとでは人格が変容する、それが通過儀礼です」



さらに通過儀礼について、著者は次のように述べています。
「人は、卒業や成人のようなさまざまな『通過』を人生の中で経験します。それがうまく機能しないと、それは『過ち』になります。『過ち』とは通過の『過』であり、過剰の『過』です。成人になっても大人になりきれなかったり、卒業をしても学校にいつまでも未練を持ち続けたりと、『通過』をうまくクリアできすに、前の時代の心身を持ち越してしまうことを孔子は『過ち』と呼びました。これは時間的な『過ち』もありますが、空間的な『過ち』もあります。風習の違う土地からやって来た人が、前の土地のままで生きようとすると、やはり『過ち』として現れます」



そして、それらは「過剰」という形で現れるとして、著者は以下のように述べます。
「大人になっても何かイヤなことがあると子どものような反応をしてしまったり、卒業をしてもしばしば学校に足を運んで『ウザい卒業生』と思われたりしてしまいます。それを避けるために通過儀礼があるのです。現代は、通過儀礼の力が弱まっているので、それがうまく機能しないことが多いようです。そうなったら孔子は『改めよ』といいます」
北九州のド派手成人式で馬鹿騒ぎをする新成人たちも、あのままでは大人に変容できないのではないかと心配してしまいます。ぜひ、「過ち」を「改め」てほしいものです。



「『文』と『質』」として、著者は以下のように述べています。
「孔子の学団で『礼』が、具体的にどのように学ばれていたかは想像するしかありません。貝塚茂樹氏は、礼のふたつの型式は『文』と『質』であるといいます。礼の学びは、この『儀礼(文)』と『実践(質)』でなされていたのではないでしょうか。装飾と訳される『文』は、礼の学びでいえば儀礼的身体の修養と儀礼的教養の獲得であり、素朴と訳される『質』は日常生活における徳目の実践です。孔子は初学者たちに『家においてはまず“孝”を、そして外に出たら“悌(弟)”を、そして言葉数を少なくして(謹)、言ったことは必ず実現するようにし(信)、多くの人に思いやりの気落ち(愛)を持ち、そして人(仁)に親しむ』ようにと勧め、そして、そのような行動を尽くして、さらに余力があったら『文』を学ぶといいだろうと言いました」



それでは、「孝」とは何か。著者によれば、「孝」はまさに孔子の儒教文化が完成させ、そして日本も含めた東アジアに大きく影響を与えた、世界的に見れば非常に特殊な徳目です。著者は、「親が子を養ったり、親が子のことを想ったりするのは本能であり自然なことです。しかし、子が親を思うのは本能ではありません。しかし、だからこそ子が親を養い、自分が親から思われた以上に強く親のことを思う、それが尊いのです。本能を超える力、それが『孝』です」と述べています。
「孝」と「老」の字の上が同じであることからもわかるように、「孝」の対象は自分の親に限らず、すべての老人となります。その人の能力や性格などとは関係なく、年上であるというわけで、また親というだけで尊敬しなければなりません。それが人間社会のすごさなのです。



孝に続く実践は「悌(弟)」です。目上の人を敬うという徳ですが、「なめし皮」という文字の原義から見ると「悌(弟)」には「柔らかな徳」という意味もあることがわかります。著者は、「決して大きな声でもないし、論理的に筋が通っているというわけでもない、それなのに、その人に柔らかくお願いされるとイヤといえない、そんな人がいます。そういう人が『悌(弟)』の徳を備えた人です。北風と太陽の、太陽の人です」と述べています。



第6章「仁」では、「上帝サテライトとしての『天』」として、儀式の問題が取り上げられます。著者は、殷の紂王が「衣」の儀式によって上帝と一体化していたのではないかと推測し、さらに以下のように述べています。
「日本で天皇が即位後最初に行う一世一度の新嘗祭である『大嘗祭』でも、衣は重要な意味を持ちます。即位式が地上の儀式だとすれば、大嘗祭は霊的な即位式だということができるでしょう。このときに天皇が伏す神座に設けた衾(ふすま)は、天孫降臨の時、高皇産霊尊が瓊瓊杵尊を覆って降ろしたという真床覆衾(まことおうふすま)(『日本書紀』)とも関係があるともいわれます。また、この真床覆衾に包まるということは天津神の直系であることを象徴するものとされています」



平安朝期の大嘗祭の形態を伝える『儀式 践祚大嘗祭儀』(思文閣出版)によると、大嘗祭当日の戌の刻に、天皇は廻立殿で湯浴をします。そのときにまず「天の羽衣」を着て背中を流されたあと、その衣を湯殿に置いたまま出て、別の衣に着替えます。「天の羽衣」は能の『羽衣』や『竹取物語』にも登場する衣で、これを着ると過去を忘れ、違う人格に変容するといいます。すなわち、人間としての天皇から現人神としての天皇に変容するための衣なのです。

儀式論

儀式論



最後に、「いのる」についての説明が興味深かったです。
日本語で「いのる」というのは、本来「い+宣(の)る」、すなわち神の名を唱えることでした。ですから平安時代までは「神にいのる」という用法はなく、「神をいのる(神の名を唱える)」という使い方をしていました。孔子はずっと「神を祷る」行為をしていました。しかし、弟子の子路がしようとしていたのは「神に祷る」でした。それは「祷り」ではなく「願い」だったのです。
そして著者は、以下のように述べるのでした。
「神霊は敬するだけでいい。願いのような祈りは必要ないと孔子は思っていました。神霊は遠ざけるもので、近づく必要はない。すべての人は、自分の中に神(帝・天)を持っていて、そして、ひとりひとりが別々の『神の刻印(天命)』を身に刻んで生まれて来ている、それに気づいたからです。すなわち孔子が長い間やってきたという祷りは、神に対する願いではなく、自分の中の神にアプローチする方法としての祷りだったのです」

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わたしは、本書を読んで唸りました。著者の『論語』の読み方は深いです。
ブログ「論語とマネジメント」で紹介したように、昨年の4月、わたしは「齋藤アカデミー」で特別講義をしました。社会起業大学・九州校が主催する、これからのリーダーを育成する私塾で、受講生のほとんどがMBAの取得者です。そこでわたしは「論語とマネジメント」を担当したのですが、著者の安田登氏も出講されており、「哲学・思想・宗教」を担当されていました。
ニアミスというか出講日が違ったために、わたしたちが出会うことはありませんでしたが、わたしは著者に拙著『儀式論』(弘文堂)を献本すべく事務局に預けました。安田氏にはぜひ一度お会いさせていただいて、『論語』について語り合いたいです。



2018年4月19日 一条真也

2018-04-17

『変調「日本の古典」講義』

変調「日本の古典」講義  身体で読む伝統・教養・知性


一条真也です。
ヨーロッパから帰国したばかりで、まだ時差ボケです。
いま、「やっぱり日本がいいな」としみじみ思っています。
『変調「日本の古典」講義』内田樹&安田登著(祥伝社)を読みました。
「身体で読む伝統・教養・知性」というサブタイトルがついています。

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本書の帯



合気道の修行を続ける思想家と能楽師の対談本ですが、じつに刺激的で面白い本でした。わたしは、もともと両者の愛読者なのですが、対談によって二人の面白さが倍増されています。帯には、「この二人が読み直すと『古典』はこんなに面白い」「日本文化の奥の底のさらに奥へ! 能、論語、古事記・・・・・・あまりに濃厚な対談講義」と書かれています。

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本書の帯の裏



また帯の裏には、「思想家・内田樹と能楽師・安田登 異才の二人が語り尽くす」として、以下のように書かれています。
草薙剣と出雲の鬼ライン
●源平の戦いは、海民と山民の戦いだった
世阿弥が仕組んだ巧妙な仕掛け
●「論語」の六芸の謎に迫る
●教養を深く身体化した日本人



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」内田樹
第一章 身体で日本を読む――二重構造の日本文化
第二章 古典を身体で読み直す――論語、六芸、「うた」の力
第三章 身体感覚で考える――中世の身体技法にあるヒント
第四章 教養を身体化する――日本人は何をもって日本人たることができるのか
第五章 「共身体」を形成する――「個」を超えるために
「おわりに」安田登




「はじめに」で、内田氏はSF映画史に燦然と輝くスティーブン・スピルバーグの「未知との遭遇」(1977年)の映画のキャッチコピーが“ We are not alone.”であったことを紹介し、以下のように述べています。
「この We are not aloneということを感じることがあります。古流の型を稽古しているうちに、古人がその型に託した術理に気づいたときとか、能楽の謡を稽古しているときに、思いがけなく身体の深層の筋肉が震動し始めたときです。『ああ、昔の人も「これと同じこと」を感じたんだな』ということが実感されると、『私はひとりじゃない』と思うのです。何というか暖かくて、フレンドリーなものに触れた感じです。そして、当然ながら、時代が隔たっていればいるほど、『あ、昔の人も、これと同じことを感じたのかな・・・・・・』と直感したときの喜びは深いです」



「はじめに」の最後に内田氏は以下のように述べます。
「安田さんと僕は二人ながら『昔の人の心身のうちに想像的に入り込む』ということの専門家です。そんなことを専門にしてどんな『いいこと』があるんだろうと疑問を抱く人がきっといると思いますが、その疑問はお読みになるうちに氷解すると思います。とりあえず二人とも最初から最後まで上機嫌ですから、『そういうこと』ができると機嫌よく暮らせるということは確かです」

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)



この本、もともと『論語』と能楽をめぐる対談本だったそうです。
しかし、テーマが「日本の古典」に拡張され、日本最古の古典である『古事記』についても言及されています。『古事記』は、土着の原・日本人である稗田阿礼が誦習するのを、外来の帰化人である太安万侶が文字化したとされています。この太安万侶は「よみ」に「黄泉」という漢字を恣意的に当てたのではないかという大胆な仮説を、安田氏が立てています。



というのも、「黄泉」という字は五経の『春秋』の伝の1つである『春秋左氏伝』に登場し、「地下にある泉」という意味だからです。「よみ」に「黄泉」という漢字を当てたことによって、死後の世界は地下にあるというイメージが出来上がってしまいました。しかも、幹事は表意文字なので、冥界=地下のイメージがダイレクトに飛び込んできます。安田氏は、「これは太安万侶が手違いでやったとか、無知ゆえとかではなく、かなり恣意的に『よみ』に『黄泉』という漢字を当てることによって、死後の世界は地下にあるというイメージを与えたかったんじゃないかと思うのです」と述べています。

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万人に「天上へのまなざし」を与える「月への送魂



「死後の世界は地下にあるというイメージ」を、わたしは「地下へのまなざし」と呼んでいます。「地下へのまなざし」は当然、「地獄」を連想させます。死後の世界のイメージが地獄と結びつくと、死の恐怖が生まれます。死の恐怖など抱かないためにも、わたしたちは、死後に地獄などではなく、天上に行かなければならないと考えます。そのために、わたしたちは「天上へのまなざし」を持たなければなりません。そして、月がその鍵となることは明らかです。同じ月を見ることによって、同じまなざしを持つ。まなざしという視線のベクトルは、こころざし=志という心のベクトルにつながります。ともに月を見上げ、「天上へのまなざし」を持つことによって、人々の心の向きも1つになるのです。サンレーグループでは、「月への送魂」をはじめ、「月」を基軸としたさまざまなコンセプトやプランを提案しています。



『古事記』の話に戻ります。「黄泉」だけではなく、「死」という漢字の使い方も変だと、安田氏は指摘し、以下のように述べています。
「『死』というのは音、中国から入ってきた音です。それを動詞にするならばサ変動詞をつけて『死す』になるはずです。『愛す』や『感ず』も同じですね。『死』の動詞形は『死ぬ』にはなりません。となると『しぬ』というのは『死』とはイコールではない状態なのです」
折口信夫によれば、これは「萎(し)ぬ』」ではないかといいます。植物がしなしなになるような状態で、これに水を与えると「いきいき」となる。「つまり、「いく(生く)」です。土着の日本人にとっては、魂が身体を一時的に遊離した状態が「しぬ」であり、そんな状態はあるけれども、永続的な「死」というものはなかったわけです。



これについて安田氏は、「稗田阿礼は口述のときには、ただ『しぬ』といった。頭の中にあったのは一時的な魂の遊離、『萎ぬ』です。しかし太安万侶はそれに『死ぬ』という漢字を当てた、これも彼の意図的な文字使いだと思うのです。死がないわけですから、古代の日本人には死への恐怖ということもなかったんじゃなかったかと思うんです。『古事記』の登場人物や神々の多くは、死を恐れていませんし。そんな原・日本人に『死』と、その恐怖を教えようとした漢字遣いではないかと思うのです。さきほどの『黄泉』と一緒に」と述べています。



そして、「太安万侶は『古事記』に何を仕掛けたのか」として、安田氏は以下のように述べるのでした。
「地下冥界である『黄泉(地獄)』『死』、そして『因果論』とくれば、これはもう仏教です。仏教は『古事記』編纂よりもずっと前に日本に入っていました。ところがなかなか広まらない。そりゃあそうです。死や因果のアイディアが血肉化されていなければ仏教の教えは腑に落ちない。しかし、日本はこれから仏教を中心に国家を作っていこうとしている。そんなときに帰化人である太安万侶に『何とかして』とお願いしたのを、太安万侶は日本古来の神話と感じを結び付けつつ仏教的な死生観をいつの間にか浸透させてしまおうという驚くべきアイディアを思いつき、それを実践した。そう思うのです」



安田氏の推理は続きます。太安万侶は突然『古事記』に仏教的世界観では違和感があるので、それより前に入ってきていた中国的世界観も一緒に入れたというのです。それが「黄泉」の漢字であり、『古事記』の冒頭部分の天地初発と三神のアイディアです。さらに巧妙なのは、もう日本に根付いている「桃」という植物を使ったことでした。中国で桃は、『詩経』で「桃の夭夭(ようよう)たる」という句があるように、新たなものを生み出す、生命の象徴です。いわば「産霊(むすび)」のイメージにもつながると思います。いずれにせよ、「この黄泉の国の話は結局、人の死と人の生の両方の話になりますから、その影響があったのではないでしょうか」と安田氏は述べています。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)



『古事記』に続いて、『論語』についても両者は大いに語り合います。
『論語』について、内田氏は「なぜ六芸は『礼』から始まるのか」という問題を提示します。孔子の深さは「六芸」という思想にも示されていると考える内田氏は、礼、楽、射、御、書、数の、この順番に興味を抱いたそうです。今、学校教育で教えているのは、もっぱら書と数(読み書き算盤)ばかりで、最初の四科は教育の主要教科にカウントされていません。内田氏は次のように述べています。
「『礼』が第一の芸ですが、これは白川静先生の解釈だと、『鬼神を祀る儀礼』のことです。『超越的なものとコミュニケーションする技術』と言い換えてもいい。要するに、『この世ならざるもの』とどのように関わるか、『それ』がもたらす災禍をどうやって制御し、『それ』がもたらす祝福をどうやって受け入れるか、そのための技術知が第一に来る。これは実に深い見識だったと思います」



続けて、内田氏は「礼」の本質について述べています。
「礼というのをただの礼儀作法のことだと解釈している人がいますけれど、そんなものが君子の習得すべき技芸の第一位に置かれるはずがない。学知というのは、どこからどこまでが『人知の及ぶ領域』で、どこから『人知の及ばぬ領域』が始まるか、まずその境界線を確定するところから始まるに決まっています。それはあらゆる学問が何を扱い、何を扱わないかを確定するところから語りだされるのと同じです。
『礼』というのは人知の及ぶ限界を確定するときの、一番遠い線のことだと僕は思います。『この世に存在しないもの』と関わるための技術知。礼を通じてはじめて人間は『この世に存在するもの』との適切な関わり方を学ぶ。これは僕の実践的確信です」

礼を求めて

礼を求めて



さらに内田氏は「礼は神霊鬼神は人に何を求めているかを訊ねることですけれど、それができるためには、仮説的に人間の世界を離脱して、鬼神の境位に立たなければならない。この世の利害得失の枠組みからいったん出て、人間ならざるものの眼を通して人事を見ることができなければならない。礼というのはそのための技術知だったんじゃないかというのが僕の理解です」とも述べています。拙著『礼を求めて』(三五館)をはじめ、わたしも「礼とは何か」をずっと追求してきましたが、内田氏の「礼」についての考え方は本質を見事にとらえていると思います。



六芸で「礼」の次に置かれているのが「楽」です。
これも楽をただの「音楽の演奏技術」として理解していたのでは意味がわかりません。でも、音楽の本質を考えると、それが実は礼と同一の構造の技術知であることが分かるとして、内田氏は以下のように述べます。
「メロディにしてもリズムにしても、僕たちがそれを聴き取ることができるのは、『もう聞こえなくなった音』がまだ聞こえ、『まだ聞こえない音』がもう聞こえるからです。人間が今この瞬間の空気の波動だけしか聴き取れないのだとしたら、そのような単音によってはメロディもリズムも構築することができるはずがありません。ただの無文脈的な空気の動きを連続的に聴き取ることができるだけです。音楽を聴くためには『もう過ぎ去った時間』を手元に引き留め、『まだ到来していない時間』を先取りする能力が必要です。それができないと、僕たちは音楽を享受することができない」



内田氏によれば、音楽もまた「この世に存在しないもの」、すなわち「消え去った時間」と「未だ到来せざる時間」を現実のうちに繰り込む技術を要求します。そして、この「この世にもう存在しない/まだ存在しない時間」を過去と未来にできるだけ遠くまで延長できるものほど音楽から享受できる愉悦は大きくなるというのです。ですから、「今ここに存在しないもの」と関わる能力、これが「礼」と「楽」が要請するものなのです。
それでは、「礼」と「楽」以外の六芸はどうなのでしょうか。
「御」は馬という巨大な野生獣の野生のエネルギーを制御して、人間世界における有用なエネルギーに変換する技術です。これも「この世の外なるもの」との交渉の技術という点で「礼楽」に似ています。「射」は「自分の身体という他者」を観察し、それを調整する技術です。さらに「書」や「数」は文字や数字を通して「存在しないもの」と出会う方法です。



それらを踏まえて、内田氏は「六芸」について次のように述べます。
「孔子が『六芸』として挙げた教科は、一言で尽くせばいずれも『超越的なもの』と関わる技法だと僕は思っています。ですから、孔子の時代における書も数も、僕たちが今知っている『読み書き算盤』よりはるかに霊的な深みを要するものだったと思うんです。書を通じて超越に至る、数を通じて世界の神秘に至る、そういう技術が古代には存在していたと僕は思います」



それでも、「六芸」の中で、最も重要なものは「礼」です。
本書の第二章「古典を身体で読み直す」では、「礼」について両者の次のような対話が展開されています。
【安田】学生時代は中国古代哲学を学んでいまして、五経の1つである礼の1つ、『儀礼』を読みながら、「礼」によってどんな変容が起こるのかが卒論のテーマでした。
【内田】何が起こるんですか? 
【安田】まず人格が変容します。少なくとも礼の前と後では、同じ人間ではなくなります。人格だけではなくて、共同体も変容する。それは、その変容がないと共同体も個人も疲弊してしまうということがあるんです。
【内田】確かにそうですね。共同体は適切な仕方で変化していないと、制度疲労を起こして死に始めますからね。共同体を再活性化させるためには、定期的に少量の「怪しいもの」を服用させて、不条理感や奥行きや深みをもたらしてもらうことは、どうしても必要なんです。儀礼によって、「存在しないもの」「異界のもの」を呼び込み、歓待する。
【安田】折口信夫のいう「まれびと(稀人、客人)」ですね。他界からやって来て人々を祝福する霊的な存在、それを招くための装置が「礼」です。「まれびと」の中には、他の共同体や山などから訪れる生きている「まれびと」もいれば、祖霊や神霊などの非在の「まれびと」もいます。「礼」の旧字は「禮」ですが、これは生贄を置く台と生贄、そしてそこから滴る血か、あるいは酒、そして供物によって成る漢字です。それらを使って霊をここに招き、祝福を与えてもらったり、神託をいただいたりします。あるいはそれが儀礼の中で行なわれれば、まれびとである神霊や祖霊によって、共同体やあるいは共同体の成員への変容が引き起こされます。礼によって、初めて神や祖霊とのコミュニケーションができるんです。



冠婚葬祭業を営むわが社では、礼とは「人間尊重」であると定義しています。しかしながら、礼の基本とは神霊や祖霊という、この世ならざるものを呼びたいという欲求を実現するものです。そして、礼をさらに効率的にするものに「楽」、つまり音楽があります。安田氏は「楽には歌も舞も含まれますから、歌や舞などの『楽』と、儀礼の正しい手順と供物や酒、さらには香りや光などを含む『礼』が相俟って変容が引き起こされるんです。で、その変容が起こらないと、共同体も個人も疲弊してしまいます」と語っています。
このように、「礼」とは死者や祖霊と出会う旅のことであり、「楽」は礼が正しく行なわれるための装置なのです。だから、礼楽と2つが続いているわけですが、内田氏は「鬼神を祀る、天神地祇を鎮める、それが君子の教養の第一なんですよね」と語ります。



ここで「教養」というキーワードが出てきましたが、内田氏は「リベラルアーツ」にも言及します。リベラルアーツとはヨーロッパ中世にできた自由七科(文法、修辞学、弁証法、算術、幾何、天文学、音楽)を指します。しかし内田氏は、孔子の「六芸」(礼、楽、射、御、書、数)のほうが日本人にとってはリベラルアーツの本旨に近いと述べます。六芸とは「意を通じ難い他者といかにしてコミュニケーションを成り立たせるか」ということです。他者は完全に厄介払いすることもできないし、完全に受容することもできません。それとどう折り合いをつけるかという実践的な技術が孔子のいう「六芸」なのです。



そして、他者には死者も含まれます。他者のほとんどは死者だとも言えるわけで、死者たちと関わる方法こそがリベラルアーツの本質なのです。六芸は「礼」から始まる。礼こそ、死者と関わり、他者と関わる技術です。
わたしは、これまで北陸大や九州国際大の客員教授として、約10年間、リベラルアーツを教えてきました。今年の4月からは、上智大学グリーフケア研究所の客員教授に就任しました。つねに「リベラルアーツとは何か」「大学で何を学ぶべきか」ということを考えています。日本の大学教育における「理系」偏重と「文系」軽視の傾向は相変わらずですが、学部を問わず、大学生にはぜひ「礼」を学んでほしいと思います。




『古事記』や『論語』と並んで、本書では芸能についても熱く語られています。
まず、神楽について、安田氏が次のように述べています。
「神楽というと神様に対する楽のように思われますが、そうではなく、祖霊に捧げる楽なのだそうです。ただし、その祖霊というのは血縁としての祖霊ではないということで、その土地に住めばその祖霊の影響というか恵みを受けることができる。血ではなく地と関係のある土着の芸能なのです。こうした芸能は辻で行なわれることが多いのですが、そこへ漂泊の能楽師たちが通りかかったりすると、互いに影響を受け合って、少しずつ変化が起こる」
定住民の芸能と遊行民の芸能が火花を散らすわけです。




第三章「身体感覚で考える」では、ついに能について語られます。
能楽師である安田氏は、能における「型」について次のように述べます。
「『型』というものは基本的に説明できないし、理解もできないものだと思っています。それは『型』は、僕たちの卑小な考えや心を凌駕するものだからです。能で大切なのは『こころ』よりも『思ひ』です。『心変わり』という言葉があるように『こころ』の性質をひとことでいえば、変化するということです。昨日はあの人が好きだったのに、今日はもうこの人を好きになっているというように。そんなころころ変わる『こころ』などを能が扱っていたら650年も続かずにとっくに滅んでいたはずです。能が扱うのは、変化する『心』の深層にあるものです。対象がどんなに変わっても人を好きになるという心的機能は変わりません。これを古語では『思ひ』と名付けました。『こころ』を生み出す心的機能です」



第五章「『共身体』を形成する」では、内田氏が能についての独自の見解を示します。
「能が武家の式学として採用された理由の1つは『百科全書的教養』の習得ということの他に、臨機応変が武人にとって最も重要な資質であることが経験的に知られていたからだと思います。軍は上意下達の組織ですけれど、実際の戦場では『こんなことが起こると思ってもいなかったこと』が起きる。そのときに『指示待ち』でフリーズしていたら、みんな死んでしまう。その場合には、上位者からの指示を待たずに、現場判断で最適解をためらわずに選択する能力が必要になります。武道は本来そのような能力、いつも僕が使う詞遣いで言えば、『どうしていいか分からないときに、どうしていいか分かる』能力の開発のためのプログラムです」



続けて、内田氏は以下のように述べています。
「危機的状況に陥った場合には、1人1人が『自分が見たこと、聞いたこと』をテーブルの上に置き、『何が起きているか』を全体が共通認識として持つところからしか話は始まりません。船が沈みかけているときには『船底に穴が開いたのを見た』という乗組員の知覚情報を艦橋にいるクルーも共有しないと『次に打つ手』が出てこない。まず、できるだけ多くの情報を取りまとめて、『今何が起きているのか』を理解する。しかるのちに『こういう場合』の最適の対応策についての経験的知見を持ち寄って、集団的な合意を形成する。それを手際よく行なうことが『どうしていいか分からないときに、どうしていいか分かる』能力の実質だと思います」



武道というのは、本来は戦技であり、集団を1つの身体のように扱う技術のことです。内田氏は、複数の人間たちの身体が1個の多細胞生物のように癒合したかたちのものをイメージし、それが中枢的な指令抜きで状況に反応して、「いるべきときに、いるべきところに立って、なすべきことをなす」という集団としての課題に適切に答える。そういうシステムのことを内田氏は「共身体」と呼びます。さらに「そのようなものを組織し、作動させるのが武道的な課題だと僕は考えているのですが、能楽はまさに、そのための能力を涵養するためのプログラムとして実に優れたものだと思います」と述べています。



最後に、「異界の扉は今もどこかに開いている」として展開される両者の対話が素晴らしいです。能が理解されにくくなってきた大きな理由として、この頃、お葬式やお通夜を家でしなくなったことがあるという安田氏の指摘から次のように語り合われます。
【安田】お通夜は一晩中やることというルールが必ずありました。そして、大声で亡くなった人のことを話す。お酒を飲んで寿司を食べて、昔の故人の思い出に浸り、あるいはそこでフッと寝ちゃうと、霊が夢に現われたりとかね。そういう亡くなった方とのアクセスが存在するという前提で、能が作られているわけです。能に出てくる幽霊というのは、いわゆるお話の幽霊ではなくて、実在した存在、実在のはずなのが、いつの間にか実在でなくなって、フィクションになる。
【内田】能は、どれもそういう話ですね。それだけ昔の人は死者の切迫をありありと感じられたということですよね。
【安田】たぶんお通夜をちゃんとやっていた頃は、近くに感じていたと思うんですよ。亡くなったおじいちゃんを。
【内田】そうですね。歌枕に来て、しみじみ感慨にふけっていると、村人が現われて、土地の縁起を語り、それが後シテになって過去の出来事を再演し、「あと弔いて賜び給え」と消えてゆくというのは能のオーソドックスなかたちですけど、歌枕や旧跡というのは、何かのきっかけで異界との間の扉が開く特権的な場所であって、そういうところに立つとそういう経験をしてしまうというのは、中世までは日常茶飯事のことだったと思います。



これを読み、わたしは葬儀こそは最大の「古典」であると気づきました。
たしかに本書で紹介されている『古事記』や『論語』をはじめとした「書物の古典」は大切です。また、折口信夫は正月、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、盆などの年中行事を「生活の古典」と呼びました。さらに神楽や能楽は「古典芸能」と呼ばれました。これらの「古典」も大切です。しかし、「古典」を古いもので現在も続いているものと定義するなら、人類最古の営みの1つである葬送儀礼こそは最大の「古典」的営為ではないでしょうか。
しかし、拙著『唯葬論』(サンガ文庫)でも述べたように、現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺骨や遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。「なぜ日本人は、ここまで「死者を軽んじる」民族に落ちぶれてしまったのか」と思ってしまいますが、薄葬化の中にある日本人は「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る必要があると確信します。

儀式論

儀式論



また、拙著『儀式論』(弘文堂)にも書いたように、わたしは、儀式を行うことは人類の本能だと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。これはネアンデルタール人のみならず、わたしたち現生人類の場合も同じです。儀式および相互扶助という本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。
わたしは、この本能を「礼欲」と名づけました。「人間は儀式的動物である」という哲学者ウィトゲンシュタインの言葉にも通じる考えです。礼欲がある限り、儀式は不滅です。本書『変調「日本の古典」講義』を読み終え、わたしは「儀式こそは最大の古典である」という自説を内田樹氏と安田登氏がしっかりと根拠付けてくれたように思いました。

変調「日本の古典」講義  身体で読む伝統・教養・知性

変調「日本の古典」講義  身体で読む伝統・教養・知性



2018年4月17日 一条真也

2018-04-05

『困難な結婚』  

困難な結婚


一条真也です。
『困難な結婚』内田樹著(アルテスパブリッシング)を読みました。
著者は1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。思想家。神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒。『寝ながら学べる構造主義』『日本辺境論』『下流志向』をはじめ多くのベストセラーがあります。そして、本書のテーマは「結婚」です。わたしには『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)という著書があり、執筆時はずいぶん「結婚」について書かれた本を読みました。それ以来、久々に読んだ「結婚」の本ですが、素晴らしい名著でした。さすがは内田樹氏です!

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本書の帯



本書の帯には「悩めるあなたへ贈る『本当に役立つ』結婚論。」「全国の未婚/既婚者から共感と納得の声!」として、以下のように書かれています。
●結婚とは安全保障である。
●「もっと良い人」はいません
●今より幸せになるために結婚してはいけません
●結婚生活を愛情と理解の上に築いてはならない
●「よくわからない人」だから素晴らしい

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本書の帯の裏



また、帯の裏には以下のように書かれています。
「結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは『病めるとき』と『貧しきとき』です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。結婚は『病気ベース・貧乏ベース』で考えるものです。(本書より)」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
こうすれば結婚できる(あるいは、あなたが結婚できない理由)
結婚するのはなんのためか?
結婚式はしたほうがいい
結婚と戸籍と姓
結婚とは不自由なものである
家事という「苦役」について
夫婦間コミュニケーションを巡る諸問題について
他人とうまく暮らすには
結婚してからのお金問題
コップのふちから水をこぼさない努力──結婚を続けるには?
「あとがき」



「はじめに」で、著者はいきなり以下のような卓見を披露しています。
「結婚という制度は人類史の黎明期から存在していたはずです(制度はいろいろに変遷しましたけれど)。集団の再生産という本来の趣旨からすれば結婚は『だいたい誰でもできるもの』のはずです。そうでなければ困ります。結婚できない人たちばかりや、結婚してもすぐに別れてしまう人たちばかりでは、三世代もすればその集団は再生産不能で滅亡してしまうでしょう。ですから、本来結婚は『誰でも出来る』を基準に制度設計されていたはずなのです」



では、「誰でも出来る」はずの結婚が、なぜ困難になっているのか。著者は、以下のように述べます。
「今、結婚が『困難』であるのは、その根本のところの『とてもたいせつなものだからこそ誰にでもできるのでなければならない』ということが見落とされているからではないか、僕は何となくそんな気がしています。
もちろん、『結婚は容易である』とは申しません(そんなこと言えるわけがない)。でも、『結婚はこんなふうにいろいろたいへんだけど、それが「ふつう」だからあまり気にすることはないですよ』というくらいのことは申し上げられるのではないか。これは、そういう趣旨で書かれた本です」

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映画「彼岸花」の佐分利信



「こうすれば結婚できる(あるいは、あなたが結婚できない理由)」の「『もっといい人』は現れません」では、著者は佐分利信という俳優の名前を出します。「秋日和」や「彼岸花」といった小津安二郎の映画で、若い女の子を見ると「のりちゃん、いくつになったんだい。ほう、24か。じゃあ、もう結婚しなきゃだめだな。どうだ、ちょうどいいのがいるんだ。見合いしないか」とうるさくおせっかいするおじさんを演じました。著者は、そういうおせっかいなおじさんおばさんが世の中から払拭したせいで、若い人たちの結婚機会が減殺したのではないかと考え、これまで6回の見合いをセッティングしたといいます。



最後の見合いでは、紹介した女の子のお母さんから「お断りします」という手紙が来たそうです。著者は以下のようにのべています。
「紹介した男性は学歴も、仕事も、人間性も申し分ないと思ってお薦めしたんですけれど、見合いした女性ご本人が『どうしようかなあ』と迷っていたら、お母さんが『迷うならやめときなさい』って決めたそうです。ご自分が結婚するみたいなつもりで相手を選んでしまっている。

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映画「晩春」の杉村春子



続けて、著者は以下のように述べています。
「これは昔の見合いのときと逆ですね。
昔は『迷っているなら、嫌いっていうわけじゃないのよね? じゃあ、式場とかいろいろ手配があるから決めるわよ。いいわね』と『晩春』における杉村春子的なおばさんがどんどん決めてしまったんですけれど(小津安二郎の映画を観ていない人にはわかりにくい喩えが続いてすみません)、今はそうもゆきません」



さらに著者は、以下のように述べるのでした。
「『迷っているなら、止めなさい』的発言をするお母さんは今はけっこう女性の側に多いみたいです。たぶん結婚に自分の『果たしえぬ夢』があって、それを娘に投影しているんでしょう。だから、『こんなところで手を打っちゃだめ』みたいなことをおっしゃるんではないでしょうか。待っていれば、もっと条件が良い相手が現れると考えているんでしょう。でも、『迷っているなら、止めなさい』というのは、ある種のイデオロギーだと僕は思います。結婚するときは、『「この人だ」って、ビビビと来るものよ』なんて言われても。『ビビビが来たかな? どうなのかな?』なんてわからないですよ」



「結婚しちゃえばだいたい同じ」として、著者は以下のように述べます。
「昔の母親は『いい縁談が来たんだから、あんた、もう30なんだし早く結婚しなさい』とか『男なんてみんな同じよ』と言って結婚をせっついたものなんです。これはたしかに一理ある発言であって、男はもちろんピンキリなんですけれど、それはあくまで社会生活において際立つところの差異であって、家庭生活においてはそれほど劇的な差異は見られないのであります」



そして、著者は次のようなトドメの一言を述べるのでした。
「娘に向かって『もっといい男が出てくるまで結婚を急いじゃだめよ』と言っている母親たちって、心のどこかでは『このまま結婚しなくてもいい』と思っているじゃないかな。ずっと結婚しないで、そのまま年を取ってゆく。そういう娘の姿を、どこかで期待しているんじゃないかと思うこともあります。ご自身の結婚生活があまり幸福じゃなかったせいで、『どうせ結婚してもいいことなんかないのよ』という経験知で、娘の結婚を無意識的に妨害している」
わたしは、この著者の発言、非常に鋭いと思います。



「結婚式はしたほうがいい」の「結婚式の本質は公に『誓う』こと」の冒頭を、著者は次のように書き出しています。
「どんなスタイルでやるにしても、結婚式はしたほうがいいです。なにごとにも儀礼は必要です。結婚式の本質は『誓言をなす』ことです。男女の結びつきという私的な出来事を、公共的な場において公開し、参列した人々に向って誓言をなすということです。
男女が好き合って、一緒に暮らしたりセックスしたりするということは、それ自体は『プライヴェート』なことです。そのままいくら長期的に関係が続いても、まわりの人たちがみんな知っているというだけでは、『パブリック』なことにはなりません」



結婚は恋愛・同棲とは違うのです。
もともとは私的な問題であったにもかかわらず、「財布の中身」「身体の中身」「ラヴ・ライフ」という、人として最もプライヴェートなことについて、「ちゃんとします」と人前で、公的に誓言するのです。この「公」というキーワードは重要です。現代日本では結婚式や葬儀に代表される儀式が軽視される傾向にありますが、思うに、日本人のあいだで「公」の意識が希薄になっているのではないでしょうか。自分が結婚するときは結婚式および結婚披露宴をきちんと行って、夫婦となったことを公にする。親が亡くなったときは通夜および告別式をきちんと行って、故人が旅立ったことを公にする。この「公」という意識がなくなって「私」だけになっているのが現代日本人の特徴であると思います。これで良いはずがありません。

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結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)



また、「結婚した」ことを公にするということは「離婚しない」ためには大きな効果があります。『結魂論』で詳しく述べましたが、日本の結婚式には離婚をしにくくさせるノウハウが無数にありました。仲人や主賓の存在、結納という儀式、文金高島田の重さや痛さ、大人数の前でのお披露目。どれも面倒でストレスのかかることばかりです。もうこんな大変なことは二度とやりたくない、それが安易な離婚の抑止力になっていた。昨今はカジュアルな合コンの延長のような感覚で結婚パーティーを開いてしまうから、簡単に離婚してしまうのではないでしょうか。



わたしが経営する冠婚葬祭会社サンレーが意識しているのは、離婚発生率の低い結婚式場の運営です。結婚式場はいわば「夫婦工場」ですから、その製品である夫婦が離婚するということは、不良品や粗悪品を製造していることにほかなりません。離婚しない夫婦を作ることは最もお客様の利益、幸福につながると思うのです。そのためにはやはり儀式を大切にすることです。わが社のスタッフはお客様に儀式の大切さをしっかりとお伝えしており、たとえば松柏園ホテルでは年間150組ほどの結納・顔合わせが行われています。

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儀式論』(弘文堂)



結納とは「結び納める」ことです。昨今のイージーな結婚式だと蝶々結びのようにすぐにほどけてしまう。結納は簡単にほどけないようにぐるぐると固く結ぶ儀式なのです。ブライダル業界はついついパーティーの提案ばかりに力を入れがちです。業界として、儀式をもっと重要視し、その大切さを訴えていくべきだと思います。わたしは『儀式論』(弘文堂)で、儀式の重要性を強く訴え、カタチにはチカラがあることを具体的に説きました。



著者の内田氏も儀式の重要性をよく理解している人ですが、結婚について以下のように述べています。
「相手が誰だかよくわからない段階で好きになっちゃったという人と、『相手がどんな人だかよくわかんない段階で人が好きになれるような人』って、ちょっといいかな・・・・・・と思った人の組み合わせで結婚が成立するわけです。だから、はじめから個人的な出来事じゃないんですよ。生命の歴史のうちに起源を持つことなんです、性と生殖というのは。だから、自分で制御しちゃいけない。制御できると思ってはいけない。そのために結婚式を挙げて、神さま仏さまを『ステイクホルダー』としてお招きするわけです」



続けて、著者は以下のようにのべるのでした。
「『神頼み』することが大事なんです。『とても個人の力でどうこうできるようなことではないので、どうかご加護を』とお願いするというのは、人を好きになる、一緒にいたくなるという心情そのものの起源を誰も知らないからです。それは神さまの領域の出来事なんです。だから、結婚式では人間の人間性の起源について、人間は何も知らないという事実をもう一度思い出すために神さまを呼び出すのです。儀礼が大切だということ、わかりましたか」

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冠婚・衣裳責任者会議での訓話のようす



ブログ「冠婚・衣裳責任者会議」でも紹介しましたが、わたしは「冠婚事業は哲学産業です」と考えています。古代ギリシャの哲学者ソクラテスの「とにかく結婚したまえ。良妻を得れば幸福になれるし、悪妻を得れば哲学者になれる」という言葉は有名です。また、「哲学は驚きにはじまる」という言葉もよく知られていますが、結婚相手との出会いほど不思議で驚くべき出来事はないと思っています。

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冠婚・衣裳責任者会議で本書を紹介



現代日本における哲学者といえば、本書の著者である内田樹氏が第一人者だと思います。わたしは、「サンレーグループ冠婚・衣裳責任者会議」の社長訓話で本書を紹介しました。内田氏によれば、結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」だそうです。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障だというのです。なるほど、結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものなのですね。

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夫婦は世界で一番小さな互助会!



わたしは、基本的に内田氏の発言に賛同しつつも、夫婦の本質である「安全保障」を別の四文字熟語で置き換えたいと思いました。それは「相互扶助」です。「相互扶助」を二文字に縮めれば、「互助」となります。そう、互助会の「互助」です。そういうふうに考えれば、夫婦というのは、じつは互助会であることに気づきます。童話の王様ハンス・クリスチャン・アンデルセンは「涙は世界で一番小さな海」という言葉を残していますが、わたしは「夫婦は世界で一番小さな互助会」と言いたいです。

困難な結婚

困難な結婚



2018年4月4日 一条真也

2018-04-01

『街場の天皇論』    

街場の天皇論


一条真也です。今日から、いよいよ4月ですね。
わたしにとっても大きな転機となりますが、何よりも来年の4月末で「平成」が終わるという事実には感慨深いものがあります。
『街場の天皇論』内田樹著(東洋経済新報社)を読みました。
著者は1950年東京生まれ。思想家、武道家(合気道7段)。神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒。『寝ながら学べる構造主義』『日本辺境論』『下流志向』をはじめ多くのベストセラーがあります。そして、本書のテーマは「天皇」です。といっても、はっきり「天皇論」として書かれているのは、2016年8月の天皇陛下の「おことば」をめぐるいくつかの文章だけですが。それでも、非常に興味深い論考でした。

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本書の帯



本書の帯には、「ぼくはいかにして天皇主義者になったのか」「立憲デモクラシーとの共生を考える待望のウチダ流天皇論」と書かれています。
帯の裏には、以下のようなウチダ流「天皇論」の見立てが並びます。
◆天皇の「象徴的行為」とは死者たち、傷ついた人たちと「共苦すること」である。◆「今」の天皇制システムの存在は政権の暴走を抑止し、国民を統合する貴重な機能を果たしている。◆国家には、宗教や文化を歴史的に継承する超越的で霊的な「中心」がある。日本の場合、それは天皇である。◆今上陛下は選択された血縁者のみではなく、すべての死者を背負っている。◆日本のリベラル・左派勢力は未来=生者を重視するが、過去=死者を軽視するがゆえに負け続けている。

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本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
1 死者を背負った共苦の「象徴」
わたしが天皇主義者になったわけ
改憲のハードルは天皇と米国だ
天皇の「おことば」について
天皇制、いまだ形成過程
「民の原像」と「死者の国」
「天皇制」と「民主主義」
安倍季昌さんと会う
僕が天皇に敬意を寄せるわけ
2 憲法と民主主義と愛国心
「大衆」の変遷
山本七平『日本人と中国人』の没解説
陸軍というキャリアパスについて
対米従属国家の「漂流」と「政治的退廃」
国を愛するとはどういうことなのか
改憲草案の「新しさ」を読み解く
――国民国家解体のシナリオ
「安倍訪米」を前にした内外からのコメント
――Japan Timesの記事から
歴史と語る
3 物語性と身体性
忠臣蔵のドラマツルギ―
世阿弥の身体論
武道の必修化は必要なのか?
いつかどこかで、ヒーローたちの足跡。山岡鐵舟
[特別篇]海民と天皇
「日本的状況を見くびらない」ということ
――あとがきにかえて




「はじめに」では、平成28年8月8日に発せられた「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」について、著者は述べています。
「この時の『おことば』をめぐる議論を振り返ると、今の日本の天皇制をめぐる特異な言説状況が俯瞰できることは確かです。ご記憶でしょうけれど、国民の多くは『おことば』を天皇の真率な意思表示として共感をもって受け止めましたが、安部政権は苦い顔をして天皇の退位の意思表示を受け止め、陛下の要望に反する有識者会議の報告を以てこれに報いました。『天皇は政治的発言をすべきではない』という原理的な立場から、これを手厳しく批判した人たちは保守派にもリベラル派にもおりました。その中にあって、『おことば』は憲法の範囲内で天皇の霊的使命を明文化しようとした画期的な発言であり、これを奇貨として古代に淵源を持つ天皇制と近代主義的な立憲デモクラシーの『共生』のかたちについて熟考するのは国民の義務であり権利でもあるというふうに考えたものは少数にとどまりました。僕はこの少数派の立場にあります」




1「死者を背負った共苦の『象徴』」の「私が天皇主義者になったわけ」でも、著者は「おことば」に言及します。今上天皇が皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続け、その年来の思索をにじませた重い「おことば」であったと、著者は受けとめました。今上天皇は、象徴天皇には果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだというのですが、そこで言われた象徴的行為とは実質的には「鎮魂」と「慰藉」のことでした。死者たち、傷ついた人たちの傍らにあること、つまり『共苦すること(compassion)を天皇陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。




日本国憲法第1条では、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると定義しています。しかし、著者によれば、日本国民はこの「象徴」という言葉が何を意味するのかについて深く考えてきませんでした。著者は、「天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。けれど、陛下は『おことば』を通じて、『儀式』の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。日本国憲法下での天皇制は『いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えて行くか』という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています」と述べます。




拙著『儀式論』(弘文堂)の中で何度も説いたように、儀式とは象徴的行為です。「儀式」と「象徴」は限りなく同意語といってもよく、わたしは天皇という存在そのものが「儀式王」であるとさえ思っています。続けて、著者は「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむものの傍らに寄り添う鎮魂の慰藉の旅のことであるという「儀式」の新たな解釈を採られたとし、「それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、当然それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があったのだと述べます。

儀式論

儀式論



さらに、著者は以下のように述べるのでした。
「天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願することであること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上で、さらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と今ここで苦しむものの慰藉であるという『新解釈』を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上はじめてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について自ら明確な定義を下したというのは、前代未聞のことです」




著者は、天皇は伝統的に「シャーマン」としての機能を担ってきたのであり、その本質的機能は今でも変わっていないと述べます。「日本国民統合の象徴」という言葉が意味しているのはまさにそのことだからです。問題は、鎮魂すべき「死者」とは誰かということになります。わたしたち日本人が、その魂の平安を祈る死者たちとは誰のことなのか。著者は「これが非常にむずかしい問題です」と告白しています。



著者は、日本の伝統では体制に抗い、弓を引いたものも「祟り神」として鎮めることを指摘し、以下のように述べています。
「死者はみな祀る。恨みを残して死んだ死者も手厚く祀る。死者を生前の敵味方で識別してはならないというのは、日本人の中に深く根付いた伝統的な死生観です。『こちらの死者は鎮魂するが、こちらの死者については朽ちるに任せる』といった生者の賢しらは許されることではなかった。
だからといって、『四海同胞』なのだから、人類誕生以来の死者のすべてを平等に鎮魂慰霊すればいいというわけではない。それでは『国民統合』の働きは果たせない。象徴的行為の目的はあくまでも国民の霊的統合ですから。どこかで、ここからここまでくらいを『私たちの死者』として慰霊するという、鎮魂対象についてのゆるやかな国民的統合を形成する必要がある」




「だからこそ、陛下は戦地を訪れておられるのだと思います」と述べる著者は、さらに以下のように続けるのでした。
「宮中にとどまったまま祈ることももちろんできます。けれども、それでは誰を慰霊してのか判然としなくなる。戦地にまで足を運び、敵も味方も現地の非戦闘員も含めて、多くの人が亡くなった現場に陛下が立つのは、『ここで亡くなった人たち』というかたちで慰霊の対象を限定するためです。日本人死者たちのためだけに祈るわけではありません。アメリカ兵のためにも、フィリピン市民のためにも祈る。でも、『人類全体』のために祈っているわけではない。そのような無限定性は祈りの霊的な意味をむしろ損なってしまうからです。死者がただの記号になってしまう。だから、『敵味方の区別なく』であり、かつ『まったく無限定ではない』という2つの条件を満たすためには、どうしても現場に立つしかない。それが鎮魂慰霊のために各地を旅してきた陛下が経験を通じて得た実感だと私は思います」




著者は、「死者をして安らかに眠らせる」ということは、古代でも、近代国家でも、等しく重要な政治的行為であると指摘し、以下のように述べます。
「『死者をして安らかに眠らせないと、何か悪いことが起きる』という信憑を持たない社会集団は存在しません。死者を軽んじれば、死者は立ち去らず、『祟り』をなす。死者のために祈れば、死者はしだいに遠ざかり、その影響力も消えてゆく。何も起こらないようにするために、何かをする。それが儀礼というものです」
これは「なぜ人間は死者を想うのか」というテーマの拙著『唯葬論』(サンガ文庫)で展開したわたしの主張とまったく同じですが、内田氏は「死者を鎮め、死者をして死なしめること、それはあらゆる社会集団にとって必須の霊的課題なのです。そのことはわれわれ現代人だって熟知している。だからこそ、陛下は旅することを止められないのです」



日本人がどんどん利己的になっている。これは多くの人が肯定するものと思われますが、それでも日本には「非利己的にふるまうこと」を自分の責務だと思っている人が間違いなく1人だけいます。それだけをおのれの存在理由としていると言ってもいい。それが天皇陛下です。著者は述べます。
「1億2700万人の日本国民の安寧をただ祈る。列島に暮らすすべての人々、人種や宗教や言語やイデオロギーにかかわらず、この土地に住むすべての人々の安寧と幸福を祈ること、それを本務とする人がいる。そういう人だけが国民都合の象徴たりうる。天皇制がなければ、今の日本社会はすでに手の付けられない不道徳、無秩序状態に陥っていただろうと私は思います」




いま、「不道徳」と言いました。では、「道徳」とは何でしょうか。
著者は、「道徳」について以下のように述べています。
「道徳というのは、何十年、何百年という長い時間のスパンの中にわが身を置いて、自分がなすべきことを考えるという思考習慣のことです。
ある行為の良し悪しは、リストと照合して決められることではありません。短期的にはよいことのように思われるが、長期的には大きな災厄をもたらすリスクがあることもあるし、逆に短期的には利益が期待できないけれど、長期的には大きな福利をもたらす可能性があることもある」
著者によれば、結局は「一番長いタイムスパンの中で今ここでのふるまいを考慮できる人の判断が一番信頼度が高い」ということになります。




では、「一番長いタイムスパン」とは何か。それは、自分が生まれる前のことも、自分が死んだあとのことも含めた長い時間の幅のことです。『私がこれをしたら死者たちはどう思うだろう』「私がこれをしたら未来の世代はどう評価するだろう」というふうに考える習慣のことを「道徳的」と言うのです。そのように著者は喝破し、さらに「道徳心がない人間のことを『今だけ、金だけ、自分だけ』とよく言いますけれど、言い得て妙だと思います。『今だけ』という考え方をすることは、それ自体が不道徳的なのです」
著者によれば、四半期ベースでの損得で判断を下すような態度のことを「不道徳的」と言うのですね。まったく同感です。

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))



これを読んで、わたしは拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)の内容を思い出しました。同書で、わたしは、「無縁社会」が叫ばれ、血縁が崩壊しつつある今こそ、日本社会のモラルをつくってきたはずの「先祖を敬う」という意識を復権しなければならないと訴えました。
わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。
遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは次のように考えるのです。
「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」
「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」
こういった先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。



いま、わたしたちに必要なのは先祖を意識し、先祖とくらす生活です。
「ぜひ、日常生活の中で、先祖を意識してほしい」と、『ご先祖さまとのつきあい方』で訴えたわけですが、考えてみれば、先祖とくらしている最たる存在こそ天皇陛下なのですね。
では、天皇は「道徳」とどう関わるのか。著者は述べます。
「天皇の道徳性というのは、そのときどき天皇の地位にある個人の資質に担保されるわけではありません。千年、二千年という時間的スパンの中に自分を置いて、『今何をすべきか』を考えなければいけない。そのためには『もうここにはいない』死者たちを身近に感じ、『まだここにはいない』未来世代をも身近に感じるという感受性が必要です。私が『霊的』というのはそのことです。天皇が霊的な存在であり、道徳的中心だというのはそういう意味です」



わたしたちは、これから、いかに天皇を戴いていくべきか。
この問題について、著者は人類学者レヴィ=ストロースの言葉を紹介します。ブログ『今日のトーテミスム』で紹介した本で、かつてレヴィ=ストロースは、人間にとって真に重要な社会制度はその起源が「闇」の中に消えていて、起源にまで遡ることができないと述べました。それを受けて、著者は以下のように述べます。
「親族や言語や交換は『人間がそれなしでは生きてゆけない制度』ですけれども、その起源は知られていない。天皇制も日本人にとっては『その起源が闇の中に消えている』太古的な制度です」
けれども、21世紀まで生き残り、現にこうして順調に機能して、社会的安定の基盤になっています。天皇制が健全に機能し、政治の暴走を抑止する働きをしているわけですが、これは50年前には誰1人として予測しなかったことです。著者は「そのことに現代日本人はもっと驚いていいんじゃないですか」と言うのでした。



「『民の原像』と『死者の国』」というエッセイでは、著者は渡辺京二氏の『維新の夢』に収められている「死者の国からの革命家」という論考を取り上げます。現在NHK大河ドラマ「西郷どん」で話題の西郷隆盛についての文章ですが、そこで渡辺氏は、国民的規模の「回天」のエネルギーの源泉として「民に頭を垂れること」と「死者をとむらいこと」の2つを挙げました。
日本のリベラル・左翼・知識人たちがなぜ「国家の進路、革命の進路を、つねにひとつの理想によって照らし出そうとする情熱と誠心」を持ちえないのかについて、結局、「民の原像」をつかみえていないこと、「死者の国」に踏み込見えないことに尽くされる。そのように、渡辺氏は指摘しました。



この渡辺氏の説を踏まえて、著者は以下のように述べます。
「『死者の国』に軸足を置くことが革命的エトスにとって死活的に重要だという実感を日本の左翼知識人はこれまでたぶん持ったことがない。
彼らにとって政治革命はあくまで『よりよき世界を創造する。権力によって不当に奪われた資源を奪還して(少しでも暮し向きをよくする)という未来志向の実践的・功利的な運動にとどまる。だから、横死した死者たちの魂を鎮めるための儀礼にはあまり手間暇を割かない。日本の(だけでなく、どこでもすだけれど)、リベラル・左翼・知識人がなかなか決定的な政治的エネルギーの結集たりえないのは『死者からの負託』ということの意味を重くとらないからである。僕はそう感じる』」
日本でもどこでも、リベラル・左翼・知識人よりも極右の政治家のほうがずっと「死者を呼び出す」ことの効果を知っており、「死者を呼び出す」ことによって政治的熱狂を掻き立てることに長けています。



著者によれば、今の日本の政治家の中で「死者に負託された仕事をしている」ことに自覚的なのは安倍晋三首相だそうです。安倍首相は、たしかに岸信介という生々しい死者を肩に担いでいます。それゆえか、著者は安倍首相の政治的「力」には高い評価を与えています。しかし、著者は続けて、「ただし、安倍にも限界がある。それは彼が同志でも朋友でもなく、『自分の血縁者だけを選択的に死者として背負っている』点にある」と述べます。生きている側近たちだけでなく、死者に対してさえ、安倍首相はは「ネポティスト(身内重用主義者)」なのだというのです。
これに対して、天皇陛下の場合は「すべての死者を背負う」という霊的スタンスを取られています。首相はその点については自分が絶対に「天皇に勝てない」ということを知っており、だからこそ天皇の政治的影響力を無化することに懸命なのだと著者は見ています。著者によれば、現代日本の政治の本質的なバトルは「ある種の死者の負託を背負う首相」と「すべての死者の負託を背負う陛下」の間の「霊的レベル」で展開しているといいます。



「『天皇制』と『民主主義』」というエッセイでは、著者が前に韓国の人と会ったときに、「日本は天皇制があって羨ましい」と言われたエピソードが印象的でした。驚いた著者がその理由を訊くと、韓国の人はこう答えたとか。
「韓国は大統領が国家元首であるが、大統領が変わるたびに、前大統領は次の政権によって訴追されたり、自殺に追い込まれたりする。そういうパターンが繰り返されている。それが『権力者は必然的に不道徳的に振る舞う』という政治不信を生み、また国内に怨恨や対立の種を残してもいる。その点、日本は総理大臣がどれほど失政を犯しても、人格的に問題があっても、それとは別の次元に『道徳的なインテグリティ』を担保している天皇という存在がある。だから、仮に政治家たちがどれほど不道徳でも愚鈍でも、日本人は自国の統治機構が救いがないほど腐っていると思わずに済む」



この韓国の人の発言を聴いて、著者は「なるほど」と思ったそうです。立憲君主制にはそれなりの政治的効用があるということを、君主を持たない国の人から教えてもらったわけです。そして、著者はこう述べるのでした。
「僕は久しく天皇制と民主主義というのは『食い合わせが悪い』と思っていました。でも、今は考えを変えました。食い合わせの悪い2つの統治原理を何とか共生させるように国民が知恵を絞る、その創発的・力動的なプロセスが作動しているということがこの国の活力を生み出している」
その方が単一の統治原理で上から下まですっきり貫徹された原理主義的な国家よりも「住み心地がよい」と、著者は考えるようになったといいます。



「『日本的情況を見くびらない』ということ――あとがきにかえて」の冒頭で、著者は、昭和における「天皇主義者」の代表格ともいえる三島由紀夫の思い出について述べます。
「1969年、私が予備校生だった頃、東大全共闘が三島由紀夫を招いて討論会を催したことがあった。三島由紀夫は単身バリケードの中に乗り込んで、全共闘の論客たちと華々しい論戦を繰り広げた。半世紀を隔てて、そのときの対談記録を読み返してみると、全共闘の学生たちの行儀の悪さと過剰な政治性に比べて、情理を尽くして学生たちに思いを伝えようとする三島由紀夫の誠実さが際立つ。そのときに、三島由紀夫は『天皇』という一言があれば、自分は東大全共闘と共闘できただろうというその後長く人口に膾炙することになった言葉を吐いた。当時の私にはその言葉の意味が理解できなかった。だが、その言葉の含意するところが理解できるようになるということが日本における『政治的成熟』の1つの指標なのだということは理解できた」




それから50年の歳月が流れました。その間、著者はどう生きたのか。
本書のカバー前そでにも記載されていますが、こう述べています。
「私は他のことはともかく、『日本的情況を見くびらない』ということについては一度も気を緩めたことがない。合気道と能楽を稽古し、聖地を巡歴し、禊行を修し、道場を建て、祭礼に参加した。それが家族制度であれ、地縁集団であれ、宗教儀礼であれ、私は一度たりともそれを侮ったことも、そこから離脱し得たと思ったこともない。それは私が『日本的情況にふたたび足をすくわれること』を極度に恐れていたからである」



そして最後に、著者は以下のように述べるのでした。
「長く生きてきてわかったのは、天皇制は(三島が言うように)体制転覆の政治的エネルギーを蔵していると同時に、(戦後日本社会が実証してみせたように)社会的安定性を担保してもいるということである。天皇制は革命的エネルギーの備給源でありかつステイタス・クオの盤石の保証人であるという両義的な政治装置だ。私たち日本人はこの複雑な政治装置の操作を委ねられている。この『難問』を私たちは国民的な課題として背負わされている。その課題を日本国民はまっすぐに受け入れるべきだというのが私の考えである」



著者が「はじめに」にも書いていますが、ある種の難問を抱え込むことで人間は知性的・感性的・霊性的に成熟するといいます。そして、天皇制こそは日本人にとってそのようなタイプの難問であるというのです。基本的には同感ですが、わたしは天皇制は日本人の魂の深い部分にまで根を張っているように思えます。わたしが小倉の古書店で見つけた『討論 三島由紀夫vs東大全共闘――美と共同体と東大闘争』を貪り読んだのは高校1年生のときですが、そのとき、「三島の言うことは正しくて、深い!」「東大全共闘の連中は基本的に頭が良くないな!」と思ったものでした。とんだ生意気な高校生ですが、16歳にして、天皇制が社会的安定性を担保しているということを理解したのは、「なかなかのもんだ」と自分でも思います。



それ以来、天皇主義者となったわたしは、『三島由紀夫全集』を読破し、学校内に「小倉高校憂国者同盟」というサークルを設置して主宰し、自らは「殉美憂国烈士」と名乗ったのでした。「憂国」という同人誌も発刊しましたが、同級生からは右翼と見られて怖がられました。なつかしい思い出です。
あと1年で平成も終わりますが、いつでも死者たち、傷ついた人たちと「共苦すること」を忘れなかった今上天皇と同じ時代を生きることができた僥倖に感謝しつつ、新しい時代を迎える準備をしたいと思います。

街場の天皇論

街場の天皇論



2018年4月1日 一条真也

2018-03-26

『天皇のお葬式』       

天皇家のお葬式 (講談社現代新書)


一条真也です。
北陸から北九州に戻りましたが、小さな飛行機が欠航になって大変でした。急遽、小松から羽田を経由して、福岡空港まで飛びました。
さて、『天皇家のお葬式』大角修著(講談社現代新書)を読みました。
著者は1949年生まれ。地人館代表。東北大学文学部宗教学科卒業。仏教書・歴史書等の編集・執筆を行っているそうです。著書に『日本仏教史入門―基礎史料で読む』(山折哲雄氏との編著、角川選書)、『法華経の事典 信仰・歴史・文学』、『浄土三部経と地獄・極楽の事典』(以上、春秋社)、『平城京全史解読』(学研新書)、『聖徳太子の言葉 十七条憲法』(エイ出版社)、『新・日本の歴史』(全5巻、小峰書店)など多数。

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本書の帯



本書の帯には「江戸時代までは仏式なのに、明治以降はなぜ神式なのか」「日本で初めて火葬された天皇といえば?」「明治天皇陵をめぐる東京vs.京都の暗闘とは?」「古代から近現代までの『2700年』をこの一冊で!」と書かれています。

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本書の帯の裏



また帯の裏には、「昔の喪服の色は白。現在の黒に変わったのは明治天皇の葬儀がきっかけだった」「天皇の葬儀は時代を映す――その変遷をたどることは、日本の歴史を知ることでもある」と書かれています。



さらに、アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。
「そもそも、天皇の葬儀のかたちは、時代によってさまざまであった。日本で初めて火葬されたのは持統天皇である。その後、聖武天皇以降は土葬に戻ったが、淳和天皇の時は遺言によりふたたび火葬になり、しかも初めて散骨されている。また、明治天皇以降、葬儀は神式で行われ、いまでこそ神式が当然のように思われているが、飛鳥・奈良時代の昔から江戸時代(孝明天皇)までは仏式によって行われていた。菩提寺は京都・泉涌寺であった。それがなぜ、仏式から神式に変わったのか?
本書では、古代から近現代までの天皇の葬儀の変遷をたどりながら、その時代背景や時代の変化について論考する」



本書の「目次」は、以下のように書かれています。
はじめに「時代の変化を映す天皇の葬儀」
      「天皇の葬儀に関する用語」
第1章 明治天皇陵と明治神宮の創建――京都と東京の「都」争い
第2章 古代の天皇の葬儀――古墳時代から平安時代まで
第3章 中世の天皇の葬儀――鎌倉・室町時代
第4章 近世の天皇と葬儀――江戸時代
第5章 尊皇の潮流――王政復古への道
第6章 山陵の復活と孝明天皇陵――古代神話の再生
第7章 近代国家の天皇――象徴への道
第8章 明治天皇の大葬――モダン化する伝統
第9章 大正天皇の生涯と大葬――東宮御所のニューファミリー
第10章 昭和天皇の時代――大戦を超えて
第11章 昭和天皇の大葬――新憲法のもとで
「引用・参考文献」
おわりに「皇室の今後」



第2章「古代の天皇の葬儀――古墳時代から平安時代まで」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「天皇陵は小山のような形なので『山陵』とよばれるが、巨大な前方後円墳を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。なかでも5世紀に築造された仁徳天皇陵と伝える大山古墳(大阪府堺市)は墳丘の全長486メートル、世界最大級の墳墓である。今は自然の小山のように見えるが、当初は総量2万6000立方メートルと算定される膨大な量の石でおおわれていた。きわめて人工的な建造物である。埋葬の儀式も壮大だったと想像されるが、古墳時代の葬法はよくわかっていない。しかも、古墳には被葬者の名を示す遺物がまったくない。おそらく、個人の名をとどめることはタブーだったのだろう。そのため、じつはどの天皇の陵なのかも確かなことはわからないのである」



続いて、古墳について、著者は以下のように述べます。
「前方後円墳のような大古墳の築造は弥生時代後期の3世紀半ばに始まり、畿内では6世紀頃に終わる。葬法に大きな変化があったのは飛鳥時代の大宝3年(703)12月、持統天皇(生前に譲位していたので正確には太上天皇)が荼毘にふされたことである。それが天皇の火葬の初例になった」
また、「殯(もがり)」について、以下のように述べています。
「古代の殯は、崩御に際して内裏の庭に殯宮つくって遺体を安置し、白骨化するのを待って葬る葬法である。その間、生前と同様に食膳が供えられた。長期の殯は天皇の完全な死を確認し、次の天皇の即位を確実なものにするためだったと考えられている」



聖武天皇の崩御の頃から、来世に極楽浄土への往生を願う人々が現れました。著者は以下のように述べています。
「聖武天皇の后の光明皇后 が天平宝字4年(760)に崩じ、同じく佐保山に葬られた。その四十九日に寺々で法要を営み、国ごとに極楽浄土図をつくって僧尼に阿弥陀経を読誦させた。一周忌には、奈良の国分尼寺(法華寺)に阿弥陀仏をまつる浄土院をつくり、諸国の国分尼寺でも阿弥陀経を一斉に読誦した。そして次の平安時代には、仏教色がさらに深まっていく」



また、「御霊への恐れ」として、以下のように述べます。
「葬儀や四十九日の法要などで鎮魂の仏事がさかんになると、皮肉にも鎮まらない霊魂、すなわち怨霊が非常に恐れられるようにもなった。とりわけ天皇・皇族などの『御霊』が怨霊化すると、疫病や凶作などをもたらすと考えられた。そうした御霊の最初とされるのが早良親王(750?〜785年)の怨霊である」



さらに、「平安中期以後はもっぱら火葬」として、著者は述べています。
「平安時代には死穢(死のけがれ)が大きな忌みになり、天皇が在位のまま崩じることは天下の凶事であった。そこで、長元9年(1036)に29歲で急逝した後一条天皇のときは「如在之儀」が行われた。生きていることにして譲位したのである」



続いて、「簡素化した上皇・法皇の葬儀」として、著者は述べます。
「多くの天皇が生前に譲位した理由には、上皇になってから他界するほうが後生(来世)がいいと考えられたこともあった。天皇であるうちは出家できないけれど、上皇になれば自由である。事実、多くの上皇が病気をしたり高齢になったりすると僧の姿の法皇になり、後世の平安を祈ったのだった」



第3章「中世の天皇の葬儀――鎌倉・室町時代」では、著者はその冒頭を、「天皇は即位灌頂で大日如来の弟子になった」として述べています。
「平安時代には王仏冥合、すなわち王法(天皇と藤原摂関家を頂点とする王権の秩序)と仏法(神仏をまつる寺社の世界)が渾然一体となった。皇族も貴族も世継ぎ以外の次男・三男などは子どものときから寺に入れ、世継ぎが病没したりすると、還俗させて家門をつがせた。天皇の子も例外ではなく、多くの皇子が寺に入った。
また、寺も神社も渾然一体となって神仏習合が深まり、天皇の即位式でも灌頂が行われるようになった。即位灌頂という」



灌頂とは何か。それは、もともと、インドで王が即位するときなどに頭に水を濯いで神々に選ばれた者とする儀式でした。それが加持祈禱を重視する密教(秘密仏教)で、大日如来と結縁する儀式になったというのです。阿闍梨とよばれる師僧が加持した浄水を灌頂の受者の頭にかけ、それによって大日如来の弟子になる秘儀です。



第4章「近世の天皇と葬儀――江戸時代」では、「近世という時代」として、著者は以下のように述べています。
「江戸時代の寺社は幕府の寺社奉行や諸藩の寺社方の監視と保護をうけるとともに、諸宗寺院法度(1665)によって本山―末寺の仕組み(本末制度)がつくられて各宗門の組織がととのえられた。また、寺請制度によって家ごとに特定の寺の壇家になり、禁教のキリシタンなどではないことを証明する宗門人別帳が作成された」



それによって、先祖をまつる菩提寺と檀家が固定されました。
そして、いわゆる寺檀制度(檀家制度)が確立し、葬儀や法事は菩提寺の僧によって行われることになったのです。ただし、寺社参りなどは宗旨に関係なく、信心は自由でした。世情が安定して街道や水運が発達した江戸時代には、伊勢参りや観音霊場巡り、富士山や立山など各地の霊場参りなどが盛んになりました。



第5章「尊皇の潮流――王政復古への道」では、「宮中祭祀の復興」として、著者は大嘗祭に言及します。
「大嘗祭は『天皇霊』を受け継ぐ重大な儀式だという説(折口信夫が提唱)もあるが、実際には行われない時期も長かった。大嘗祭が必須の儀式とされたのは、明治42年(1909)に大正天皇の皇位継承を見越して公布された登極令によってである。しかし、王朝が華やかだった昔の朝儀(朝廷の儀式)・宮中祭祀の復旧は江戸時代の天皇や公卿たちの強い願望だった。次の桜町天皇(1720〜1750年)のときには幕府も積極的に支援して、元文3年(1738)に大嘗祭が再興された」



また、「尊王思想の高まり」として、著者は以下のように述べます。
「江戸時代には、昔の合戦のときの先祖の手柄などで武家の家格が決められ、農民の田畑も先祖伝来のものだった。そのため家門の系図づくりがさかんになったり、先祖供養が重視されて菩提寺が大きくなったりした。
歴史が社会経済の進歩発達史としてつづられる今では、昔の神話やしきたりに従うことは迷信・旧弊にとらわれているかのように思われるのだが、そういうことではない。江戸中期には、仏教や儒教が伝来する以前の古代に理想的な日本の姿をもとめる国学が、伊勢松坂に私塾、鈴屋をひらいた本居宣長(1730〜1801年)、復古神道を説いた平田篤胤(1776〜1843年)らによって創唱された」




「民衆の前に現れた『祈る天皇』」では、天皇と「祈る」ことの関係について、著者は以下のように述べています。
「平成の天皇が退位の意向をしめされたビデオメッセージ(2016年8月)以来の議論のなかで『天皇の本質は祈ることで、宮中で祈りさえすれば天皇の存在意義がある。被災地への訪問などの公的行為はできなくてもよい』という識者の意見もあったが、孝明天皇こそはまさに『祈る天皇』として民衆の前に現れたのである。『孝明天皇紀』には『車駕賀茂下上社に幸し親しく譲位を祈らせ給ふ』と記す」



第7章「近代国家の天皇――象徴への道」では、「即位と改元」として、著者は以下のように述べています。
「天皇の即位礼は、江戸時代には服装が唐風で、仏教の即位灌頂も行われていた。それを改めて王政復古にふさわしく『古礼に則り、新儀を加ふること』つまり伝統的かつ新しい形が求められた。そこで新政府の太政官輔相(首班)の岩倉具視は『古来の典儀は多く唐制を模倣せるものなり(中略)庶政亦一新の時なるを以て、宜しく之を更改して皇国神裔継承の規範を樹つべきなり』と神祇官副知事亀井茲監に命じて新しい登壇の式儀(即位礼)を策定させた」



第8章「明治天皇の大葬――モダン化する伝統」では、「仏事と神葬祭」として、著者は以下のように述べています。
「仏式と神葬祭の違いはいろいろある、僧が葬儀を執り行なうのではなく神主が祭主になる、読経ではなく誄詞(しのびごと)を読む、焼香ではなく榊を捧げる、数珠は用いない、葬儀後の四十九日の仏事ではなく十日祭・二十日祭などの霊前祭をおこなう、墓は古代の 名で「奥都城」とよぶなどであるが、その葬儀の形式は仏式から転用したものだ」



続けて、著者は仏事と神葬祭について述べます。
「江戸時代には神職といえども菩提寺の僧によって仏式の葬儀をした。神葬祭は京都の吉田神社の神職などによってわずかに行われたにすぎない。明治時代には神社の神職は国家 の祭祀をになう神官になり、宗教儀礼である葬儀を斎主として行うことは禁じられたが、明治5年の政府の布告で依頼があれば喪主を助けて葬儀をしてよいことになった。神職の葬儀も、家族をふくめて神葬祭になる。とくに政府の官吏は神葬祭にすることが奨励され、そのための墓地として東京の青山霊園と谷中霊園がつくられた」



また、「皇室の葬儀に仏式は許されるか」として、著者は述べます。
「皇室の葬祭は国体にもかかわることで、維新以後、古式によることが国家公式のものになっている。もし皇族の仏葬を許せば、それが特例となって典礼の乱れをもたらす。故宮殿下がどんなに仏葬を願われていたとしても、それを許すことはできないという。同月25日、自邸で神葬祭が営まれ、遺体は泉涌寺雲龍院の境内に埋葬された。墓所だけは生前の願いのとおりに寺院につくられたのである」




そして、天皇のお葬式の歴史のエポックメーキングな出来事について、著者は以下のように述べるのでした。
「信仰という点では、葬儀や結婚式などのセレモニーは宗教による行為とは言い難い面がある。仏教を信じているから仏式の葬儀をするということではない。神葬祭も、神を信じているからというより、神仏分離以降、皇族や政府高官にはその形が求められた。その最初の大葬が英照皇太后の葬儀で、それが明治天皇大葬の先例になった」



本書は、「天皇家のお葬式」というテーマでありながら、日本史全体を俯瞰するスケールの大きな内容となっています。日本史は天皇家の歴史とともにあったわけで、当然であると言えるでしょう。わたしが知らなかったことも多く、仏教と神道が皇室にどう絡んだか、明治維新のときに尊王攘夷から開国に動いた理由、大日本帝国憲法の本質や天皇機関説事件が起こった背景などもよくわかりました。そして、「国体」というものを正体も垣間見せてくれました。それにしても、絶大な権力を持っていたはずの歴代の天皇や皇室が、これほど時代に翻弄されながら葬儀や埋葬を行っていたという事実に驚きました。すべての日本史の背景にも「死者への想い」があったという唯葬論の考え方が通用することを再確認した次第です。

天皇家のお葬式 (講談社現代新書)

天皇家のお葬式 (講談社現代新書)



2018年3月26日 一条真也