Hatena::ブログ(Diary)

一条真也の新ハートフル・ブログ

2018-09-02

『未来の年表2』

未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること (講談社現代新書)


一条真也です。
日々、猛烈なスピードで時代が変化しています。
8月30日、「『はてなダイアリー』2019年春にサービス終了」というニュースが流れました。当ブログも「はてなダイアリー」です。近いうちに終了するのではないかと予想はしていましたので、「ついに来たか」と思いました。
そんな中、『未来の年表2』河合雅司著(講談社現代新書)を読みました。
ブログ『未来の年表』で紹介したベストセラーの続編です。
著者はわたしと同年齢で、1963年名古屋市生まれ。産経新聞社論説委員、大正大学客員教授(専門は人口政策、社会保障政策)。中央大学卒業。内閣官房有識者会議委員、厚労省検討会委員、農水省第三者委員会委員、拓殖大学客員教授など歴任。2014年、「ファイザー医学記事賞」大賞を受賞。主な著作に『日本の少子化 百年の迷走』(新潮社)があります。

f:id:shins2m:20180708172040j:image
本書の帯



帯には「45万部ベストセラーの第2弾!」「高齢者が『高齢化』し、街にあふれる」「少子高齢化で、『灯油難民』が続出する」といった情報がイラスト付きで紹介され、「10年後、20年後、あなたの身に迫る事態を一覧にしました」と書かれています。

f:id:shins2m:20180708172016j:image
本書の帯の裏



また帯の裏には、「少子高齢社会のリアルな脅威は、何気ない日常にこそ潜んでいます」として、「やる気のない万年平社員急増」「親が亡くなると、地方銀行が消滅」「東京や大阪の繁華街に『幽霊屋敷』出現」「デパートの売り場が大混乱」といった情報がイラスト付きで紹介されています。さらには「今からあなたにできる『メニュー』8つも提案」「●働けるうちは働く●1人で2つ以上の仕事をする●ライフプランを描く●家の中をコンパクト化する●年金受給開始年齢を繰り下げる ほか」と書かれています。



アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。
「本書は、『未来の年表』の続編である。ベストセラーの続編というのは大抵、前著の余勢を駆った『二匹目のどじょう狙い』である。しかし、本書は決して二番煎じをしようというものではない。『人口減少カレンダー』だけでは、少子高齢化という巨大なモンスターの全貌をとらえるには限界があった。だから今回は、全く違うアプローチで迫る。今回は、少子高齢化や人口減少が人々の暮らしにどのような形で降りかかってくるかを、あなたの生活に即しながら明らかにする。言うなれば、これからあなたに起きることを、お中元やお歳暮のギフトカタログのように一覧してみようというのだ。
前著『未来の年表』が年代順というタテ軸を用いて俯瞰したのに対し、本書は起きる出来事を『ヨコ軸』、すなわち面としての広がりをもって眺める。
少子高齢化や人口減少で起きることを、家庭、職場、地域社会といったトピックスに分けてカタログ化すれば、さまざまなシーンを『あなた自身の問題』として具体的に置き換えることができる。そしてそれは、10年後、20年後の日本でうまく立ち回っていくための指針となる」



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「人口減少カタログ/庄子家の一日に起きたこと」
「はじめに」
第1部 人口減少カタログ
序 国民の5人に1人が、古希を超えている
1 あなたの住まいで起きること
1−1 伴侶に先立たれると、自宅が凶器と化す
1−2 亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる
1−3 東京や大阪の繁華街に、「幽霊屋敷」が出現する
1−4 高級タワマンが、「天空の老人ホーム」に変わる
2 あなたの家族に起きること
2−1 食卓から野菜が消え、健康を損なう
2−2 小中学校の統廃合が、子供を生活習慣病にする
2−3 80代が街を闊歩し、窓口・売り場は大混乱する
2−4 老後資金が貯まらず、「貧乏定年」が増大
3 あなたの仕事で起きること
3−1 中小企業の後継者不足が、大企業を揺るがす
3−2 オフィスが高年齢化し、若手の労働意欲が下がる
3−3 親が亡くなると、地方銀行がなくなる
3−4 東京の路線が縮み、会議に遅刻する
4 あなたの暮らしに起きること
4−1 若者が減ると、民主主義が崩壊する
4−2 ネット通販が普及し、商品が届かなくなる
4−3 ガソリンスタンドが消え、「灯油難民」が凍え死ぬ
4−4 山林に手が入らず、流木の犠牲となる
5 女性に起きること
5−1 オールド・ボーイズ・ネットワークが、
定年女子を「再就職難民」にする
5−2 高齢女性の万引きが、刑務所を介護施設にする
第2部 今からあなたにできること
序 「戦略的に縮む」ほど、ポジティブな考えはない
【個人ができること】
(1)働けるうちは働く
(2)1人で2つ以上の仕事をこなす
(3)家の中をコンパクト化する
【女性ができること】
(4)ライフプランを描く
(5)年金受給開始年齢を繰り下げ、起業する
【企業ができること】
(6)全国転勤をなくす
(7)テレワークを拡大する
【地域ができること】
(8)商店街は時おり開く
おわりに「『豊かな日本』をつくりあげてきた“大人たち”へ」
「結びにかえて」

f:id:shins2m:20180819183031j:image
人口減少カレンダー



「はじめに」で、著者は以下のように書いています。
「日本は劇的に変わっていく。例えば、25年後の2043年の社会を覗いてみよう。年間出生数は現在の4分の3の71万7000人に減る。すでに出生届ゼロという自治体が誕生しているが、地域によっては小中学校がすべて廃校となり、災害時の避難所設営に困るところが出始める。20〜64歳の働き手世代は、2015年から1818万8000人も減る。社員を集められないことによる廃業が相次ぎ、ベテラン社員ばかりとなった企業ではマンネリ続きで、新たなヒット商品がなかなか生まれない。
高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は36.4%にまで進む。高齢者の数が増えるのもさることながら、80代以上の『高齢化した高齢者』で、しかも『独り暮らし』という人が多数を占める」



こうした高齢者が街中に溢れる社会とは、一体どんな様子なのでしょうか。著者は以下のように述べます。
「いま、東京や大阪といった大都会では、ラッシュアワーには5分と待たずに電車やバスがやってくる。なぜ、そんな過密ダイヤで運行できるのかといえば、乗客の大多数が人の流れについていける『若い世代』だからだ。
たまに、車いすを使う障害者や杖をついた高齢者が、駅員の手を借りて乗降する場面に出くわす。ただ、それはあくまで少数派であり、駅員の手際よい作業でそんなに多くの待ち時間を要するわけではない。
しかし、2043年とは、総人口の7人に1人が80歳以上という社会だ。独り暮らしであるがゆえに否応なしに外出する機会は増えるが、若い世代の『流れ』についていける人ばかりではない。こんな過密ダイヤはとても続けられない」



また、著者は「ダチョウの平和」として、以下のように述べます。
「皆さんは、『ダチョウの平和』という言葉をご存じだろうか?
危険が差し迫ると頭を穴の中に突っ込んで現実を見ないようにする様を指した比喩だ(実際のダチョウの習性とは異なるとの指摘もあるようだが)。日々の変化を把握しづらい人口減少問題こそ、この『ダチョウの平和』に陥りがちな難題である。それは切迫感が乏しいぶん、どこか人ごととなりやすい。何から手を付けてよいのか分からず、現実逃避をしている間にも、状況は時々刻々と悪くなっていく。そして、多くの人がそれを具体的にイメージできたときには、すでに手遅れとなってしまう――」



さらに著者は、「『具体的な変化』に置き換える」として、高齢者たちが求めているのは高画質ではなく、むしろ「音」にあると述べます。耳が遠くなり、ボリュームを大きくしてテレビを見ている人は多く、聞き取りやすい小型スピーカーを搭載したテレビを安く手に入れたいという声は少なくないはずだというのです。著者は述べます。
「荷物を運ぶ人手は少子化に伴って減りゆく。“買い物難民”対策だと言って普及させればさせるほど需要が掘り起こされ、トラックドライバー不足はより深刻になる。無人のトラックが走り回る時代も遠くないとされるが、トラック自らが荷棚から個別のお届け物をより分け、重い荷物を玄関先まで運んでくれるわけではあるまい。少子高齢社会において、ネット通販が遠からず行き詰まることは簡単に想像できよう」



第1部「人口減少カタログ」の序「国民の5人に1人が、古希を超えている」では、「高齢者の3人に1人が80代以上」として、こう書かれています。
「日本の高齢社会の特徴として、(1)高齢者の『高齢化』に加え、(2)独り暮らしの高齢者、(3)女性高齢者、(4)低年金・無年金の貧しい高齢者――の増大が挙げられる。このうち、すぐに社会に影響を及ぼしそうなのが、『高齢化した高齢者』および『独り暮らしの高齢者』の増大であろうと考える」



「笑えない実話」として、著者は親の葬儀の問題を取り上げます。
「親の葬儀も大変だ。高齢社会の次には『多死社会』がやってくる。前著『未来の年表』では火葬場の不足を取り上げたのだが、足りなくなるのは火葬場だけではない。私の知人には、火葬場の予約はできたものの住職の都合がつかず、結局は10日待ちとなった人もいる。
少子化の影響は、お寺も例外ではない。跡取り不足による廃寺や、住職がいないがために、1人の住職が複数のお寺を掛け持ちする場合もあるという。今後、葬式も法事も、自分たちが思い描いたスケジュール通りには進まないというケースが増えるだろう」



1「あなたの住まいで起きること」の1−2「亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる」では、「女性の役4割が90歳まで生きる」として、以下のように書かれています。
「高齢者の『高齢化』が進んできた。75歳以上人口が1770万人となり、65〜74歳の1764万人をついに超えた(総務省の2018年3月1日時点の人口推計)。『高齢化した高齢者』の増大は、大死亡時代につながる。2017年に134万人を数えた年間死亡数は、団塊世代が90代となる2040年頃に、167万9000人でピークを迎えるまで増え続ける(社人研の推計)。その後は、総人口の減少によって多少の下り坂となるが、おおむね160万人水準で推移する」



子供に先立たれる可能性も小さくありません。
「親が100歳、子供が70代」というケースを考えれば分かりやすいとして、著者は以下のように述べています。
「70代にもなれば、がんや心臓疾患などに倒れたとしても不思議ではないだろう。『高齢化した高齢者』が増える社会とは、『自分が死んだら、子供に葬儀を出してもらう』という、これまでの常識が通用しない社会でもある。連れ合いを亡くし、子供にも先立たれるといったケースの増大だけでなく、そもそも生涯シングルで身寄りのない高齢者も増え続けていく。誰もが独りぼっちの老後を送る可能性がある。こうした漠たる不安が、『終活』ブームを後押ししている側面はあるだろう」



「高齢化した高齢者」の増大は、葬式の在り方にも変化を及ぼしているとして、著者は以下のように述べます。
「残された人も少ないから、参列者も小規模となる。親族にすれば簡素に済ませようという意識が働きやすくなる。家族葬や直接火葬場に運ぶ「直葬」も珍しくなくなった。高齢者の孤独死が話題となるが、引き取り手がなく、名前さえ分からない人も多数に上る。最終的に自治体が火葬し、『無縁遺骨』は市民霊園の共同墓に納められるといったケースはすでに珍しくない。法事に関しても簡素化の流れにあり、執り行わないという人もいる。お布施に対して『料金体系が不透明』と考える人が増えたためか、料金明瞭で安価なインターネットによる僧侶派遣サービスも登場している」



「土地所有者の住所が『満州国』」として、著者はこうも書いています。
「子供は1人だけという人が亡くなれば、残された世代は争う相手が存在しないことになる。子供のいない人が亡くなったならば、相続人そのものが不在だ。“争族”に代わって増えそうなのが、相続の手続きを敬遠し、相続登記を行わない人である。現金などに比べて流動性の低い住宅や土地にその傾向が見られるが、人口減少に伴って、あなたの身近なところで起こる問題の1つに『所有者不明土地』の増大がある」



日本の場合、不動産登記が義務化されていないため、登記にともなう労力やコストを嫌って故人名義のまま放置することとなります。「ウソのような話だが」と断って、著者は「登記簿上の所有者の住所が『満州国』となっている極端な例まで見つかったという。こうした土地が長期間にわたって放置されると、相続人がねずみ算式に増えて、さらに問題を複雑化させる」と述べています。



続いて、人口減少に伴う土地需要の低迷は、すでに空き家の増大として大都市部を含む全国的な課題となっているとして、著者は、「総務省の『住宅・土地統計調査』(2013年)によれば、全国の空き家は約820万件に上る。野村総合研究所の試算(2016年)では、2033年の空き家数は2167万戸弱、空き家率は30.4%まで上昇する。全国の約3戸に1戸が空き家になる計算だ。利活用が見込まれない空き家は、やがて取り壊されて空き地となり、さらに不明土地の増大につながっていく」と述べています。



さらに「すでに九州の面積を上回る」として、国土交通省が地籍調査(2016年度)を実施した1130地区の約62万筆を調査したところ、20.1%が所有者不明土地であったことが紹介されます。「所有者不明土地問題研究会」(顧問・加藤勝信厚生労働相)がこれらのデータを元に、一定の条件下で相続登記されなかったり、所有者の住所が変わって連絡がとれなくなったりした土地を推計したところ、所有者不明と考えられる土地面積は全国で約410万haに及ぶといいます。これは九州本島(約367万ha)を上回る面積です。



3「あなたの仕事で起きること」の3−3「親が亡くなると、地方銀行がなくなる」では、「捨てられる銀行」として、以下のように書かれています。
「マーケットの規模が縮小する人口減少は、地域に密着して営業してきた地元の名門企業の状況を特に不利にする。地域に密着してきたが故に事業を縮小しづらく、商売替えも難しい。社名に都道府県名を掲げる企業ともなれば、東京などの大都市部に営業エリアを拡大するのも限界がある。これまでは強みだった『暖簾』『看板』という地域ブランドが、むしろ足枷となるのだ。都道府県の名前を掲げている企業の代表格といえば、金融機関である」



金融庁「地域金融の課題と競争のあり方」という資料が、東京都を除く46道府県の地方銀行の2016年3月期決算をもとに、各行が本店を構える道府県で本業で稼いだ金利や手数料によって、人件費などの営業費用を賄えるかどうかを分析しています。それによれば、「1行単独になっても不採算」というところが、群馬や石川、奈良、宮崎など23県に上りました」
このデータをもとに、著者は以下のように述べます。
「融資先が減るとは、雇用の受け皿が減るということだ。地域に働き口がなくなれば、若い世代は仕事を求めて都会などに流出する。これが『東京一極集中』の大きな要因であるが、東京一極集中を人の移動だけで捉えるのは誤りだ。人が動けば、それに伴って預金も動くことになる。少子高齢化は『預金の東京一極集中』も引き起こしているのである。



なぜ、遺産マネーは、東京に流出するのでしょうか?
その「からくり」について、著者は以下のように説明します。
「政府税制調査会の資料によれば、2013年に亡くなった人(被相続人)の68%が80歳以上であった。亡くなった親の相続遺産を受け取るのは50〜60代あたりだろう。この世代が若者であった1970年代後半から1980年代前半にかけては大都市圏、とりわけ東京圏への人口流入が活発な時期であった。地方から東京圏(1都3県)に移り住んだこれらの世代の多くは、今でも老いた親と別居している人が少なくない。その分、遺産マネーが東京圏に集まりやすくなっているのだ」



3−4「東京の路線が縮み、会議に遅刻する」では、「パイロットが不足する『2030年問題』」として、著者は以下のように述べています。
「『2030年問題』という言葉を聞いたことはあるだろうか。国交省の資料によれば、国内には約6400人(2017年1月1日現在)のパイロットがいる。だが、その多くはバブル経済期に採用されたベテラン機長で、40代後半に偏っている。彼らが、2030年頃から大量に定年退職し始めるということである。国交省は訪日客の増加を織り込めば、2030年の新規採用数を現在の1.4倍の430人まで増やさないと追いつかないというが、勤労世代が減りゆく中では決して簡単ではない。パイロット不足は世界共通の課題であり、外国人パイロットも当てにしづらい」



4「あなたの暮らしに起きること」の4−2「ネット通販が普及し、商品が届かなくなる」では、「訳7割の運送業者が人手不足」として、宅配便の取扱数は1987年の7億6000万個から、2015年には37億5000万個に膨らんでいることが紹介されます。自宅にいながら買い物をしたり、食事を宅配してもらったりするライフスタイルが増えていると見られます。さらにトラックドライバーの需要を伸ばす要素がある。「買い物弱者」の増加です。



内閣府がまとめた報告書「地域の経済2016」によれば、2040年時点での人口規模が2万人以下の地域ではペットショップや英会話教室が、1万人以下では救急病院や介護施設、税理士事務所などが、5000人以下になると一般病院や銀行までもが、姿を消すといいます。著者は、「ネット通販の普及は、この予測をさらに深刻なものとしかねない。利益率の高い衣料品をネット通販に奪われ、『一番大きな影響を受けている』とされる百貨店が、むしろネット通販に力を入れ始め、店舗の縮小、再編へと踏み出しているからだ」と述べています。



5「女性に起きること」の5−1「オールド・ボーイズ・ネットワークが、定年女子を『再就職難民』にする」では、定年女子の再就職を厳しくしている要因の1つに、「オールド・ボーイズ・ネットワーク」の存在があることを指摘し、著者は以下のように述べます。
「『オールド・ボーイズ・ネットワーク』とは、排他的で非公式な人間関係や組織構造のことだ。伝統的に男性中心社会であった企業コミュニティーにおいて、暗黙の内に築き上げられてきた」



社内派閥や飲み仲間、業界の勉強会、経営者の親睦団体など、ネットワークの形態はさまざまです。多くの男性はこうした人脈を通じて情報交換をしたり、仕事上の便宜を図ったりしています。女性たちは、ほとんどが蚊帳の外に置かれているため、組織の文化や暗黙のルールも伝わりにくいのではないでしょうか。



第2部「今からあなたにできること」の序「『戦略的に縮む』ほど、ポジティブな考えはない」では、著者は「いまだ多くの人が『戦略的に縮む』というキーワードをネガティブに捉えている。ある講演では、『演題から“縮む”という言葉を削除してください』と、主催者から要請されたこともあった」と述べています。



さらに著者は、以下のように述べます。
「高度経済成長を実現させ、豊かになった社会を目にしてきた私と同年代以上の世代には、拡大して数字が伸びることが良いことで、『縮む』のは悪いことだという観念が根強いのだ。しかし、『縮む』ということは、決して『衰退』や『負け』を意味するわけではない。要は、その“やり方”なのである。多少縮んだところで現状より豊かにもできるし、日本が世界からより尊敬される国になれるという、すぐれてポジティブな考えである」



【女性ができること その1】の(4)「ライフプランを描く」では、「ダブルケアというリスク」として、著者は以下のように述べています。
「晩婚・晩産は、夫婦を思わぬ問題に巻き込んでいく可能性もある。30代後半から40代で出産となると、50代になっても“子育てまっただ中”という人が増えよう。ところが、50代といえば自分の親の介護が重くのしかかってくる頃だ。育児が一段落する前に、年老いた親が要介護状態となり、育児と介護を同時に行わざるを得ない“ダブルケア”になるリスクが高くなる。こうした状態に陥っている夫婦が増えている」



さらなる問題があります。
親の晩婚・晩産が世代を超えて子供に影響を及ぼすというのです。著者は、「50歳と40歳の両親から生まれた子供が20代後半で結婚したとしよう。その子供は自分が晩婚でなくとも、結婚時に両親が高齢化しているために、ダブルケアに直面する可能性が大きい。これは、夫が晩婚で妻との年齢が大きく離れた『年の差婚』でも起こり得る」と述べます。



おわりに「『豊かな日本』をつくりあげてきた“大人たち”へ」では、著者は以下のように述べるのでした。
「残念ながら日本の少子化は止まりません。2017年には総人口が40万人減りましたが、2050年代には毎年90万人規模で減っていくと推計されています。そこまで先の話をしなくとも、社会の激変は避けられません。これから10年も経たないうちに国民の3人に1人は高齢者となります。増えるのは80歳以上で、しかも独り暮らしが多数を占めるようになります。若者が減れば自衛官や警察官、消防士といった職種も人材確保に苦労するでしょう。国防や治安、災害救助といった『社会の基盤』まで崩れてしまう可能性があるのです」



非常に残酷というか、怖ろしい未来が、わたしたちを待っています。
しかし、わたしたちが悲観的になってはさらに悲惨な未来が待ち受けることになります。この手の未来予測本では、高齢者が多くなることは社会にとって良くないことだという前提で書かれることが多いように思います。
しかし、高齢者が増えることは必ずしも悪いことではありません。高齢者を尊重することを「敬老」思想といいますが、これは古代中国に生まれた儒教に由来します。わたしは古今東西の人物のなかで孔子を最も尊敬しており、何かあれば『論語』を読むことにしています。

f:id:shins2m:20160911153121j:image
「サンデー毎日」2016年9月25日号



その『論語』には、「われ十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」という孔子の有名な言葉が出てきます。
60になって人の言葉が素直に聞かれ、たとえ自分と違う意見であっても反発しない。70になると自分の思うままに自由にふるまい、それでも道を踏み外さないようになった・・・・・・ここで、孔子は「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成としてとらえています。ブッダは「生老病死」を苦悩としましたが、孔子は大いに「老い」を肯定したのです。この孔子の思想をベースに、わたしは「人は老いるほど豊かになる」という老福社会の実現について考え、かつ実践していきたいと考えています。



2018年9月2日 一条真也

2018-09-01

『送り火』

送り火


一条真也です。
『送り火』高橋弘希著(文藝春秋)を読みました。
芥川賞を受賞した話題の小説です。わたしは芥川賞や直木賞の受賞作品をすぐに読まない主義なのですが、今回だけは「送り火」というタイトルに惹かれて、早速読みました。重松清氏の傑作短篇集『送り火』を連想したのと、「先祖供養をテーマとした作品かな?」と思ったからです。

f:id:shins2m:20180831235720j:image
本書の帯



著者は2014年、「指の骨」で新潮新人賞を受賞し、同作で芥川賞と三島賞の候補となっています。17年、『日曜日の人々(サンデー・ピープル)』で野間文芸新人賞受賞。本書の帯には、「第159回 芥川賞受賞作!」と大書され、「東京から山間の町へ引っ越した中学三年生の歩。あの夏、少年たちは暴力の果てに何を見たのか――」

f:id:shins2m:20180831235740j:image
本書の帯の裏



また帯の裏には、以下のように書かれています。
「これはいったい何だろうと思う。夢の芽がすくすくと成長し、緑葉を茂らせ撓わに暴力を実らせている。でも歩にはもう、目の前の光景が暴力にも見えない。黄色い眩暈の中で、ただよく分からない人間達が蠢き、よく分からない遊戯に熱狂し、辺りが血液で汚れていく――本文より」



アマゾンの「内容紹介」には、以下のように書かれています。
「春休み、東京から山間の町に引っ越した中学3年生の少年・歩。新しい中学校は、クラスの人数も少なく、来年には統合されてしまうのだ。クラスの中心にいる晃は、花札を使って物事を決め、いつも負けてみんなのコーラを買ってくるのは稔の役割だ。転校を繰り返した歩は、この土地でも、場所に馴染み、学級に溶け込み、小さな集団に属することができた、と信じていた。夏休み、歩は家族でねぶた祭りを見に行った。晃からは、河へ火を流す地元の習わしにも誘われる。
『河へ火を流す、急流の中を、集落の若衆が三艘の葦船を引いていく。葦船の帆柱には、火が灯されている』
しかし、晃との約束の場所にいたのは、数人のクラスメートと、見知らぬ作業着の男だった。やがて始まる、上級生からの伝統といういじめの遊戯。
歩にはもう、目の前の光景が暴力にも見えない。黄色い眩暈の中で、ただよく分からない人間たちが蠢き、よく分からない遊戯に熱狂し、辺りが血液で汚れていく。豊かな自然の中で、すくすくと成長していくはずだった少年たちは、暴力の果てに何を見たのか――」



この小説を読み終えたとき、正直言って不愉快でした。
「圧倒的な文章力がある」「完成度の高い作品」と高く評価されて芥川賞を受賞したそうですが、確かに文章力はあるかもしれません。主人公が田舎の中学校に転校して、級友たちの心の闇に気づいてゆくさまは、谷崎潤一郎の『少年』や『小さな王国』、さらには三島由紀夫の『午後の曳航』を連想しました。明らかに、著者は、少年の心に潜む残虐性を描いたこれらの作品の影響を受けていると思います。



ともに『文章読本』を著した谷崎や三島ほどではないにしろ、本書『送り火』に「圧倒的な文章力がある」という評価が寄せられることは、まあ不問としましょう。しかし、もう1つの評価である「完成度の高い作品」というのは納得がいきません。この小説は尻切れトンボというか、非常に幕切れの悪い、「完成度の低い作品」であると思うからです。主人公は「歩」という少年ですが、誰に視点で物語が綴られているのかもわかりにくかったです。
関心のある方は、ぜひ実際に読んでみてられて下さい。



さらに、ラストで延々と展開される残虐な暴力描写は、読んでいて「グロいなあ」としか思いませんでした。ここまで残虐な表現を連ねる意味がわかりません。ラストシーンも、主人公の歩からすれば、「どうして、何も悪くないこのボクが、こんな目に遭わなければいけないの?」といった心境でしょうが、なにぶん後味の悪さしか残りません。この本、じつは読む前は125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」に連載中の書評コラム「ハートフル・ブックス」に取り上げようかと思っていたのですが、読んだ後はそんな気は失せました。とても他人に薦めるような小説ではないからです。



どうにも救いようのない小説ですが、明るいエピソードとして、中学校の終業式で好調がウォルト・ディズニーを引き合いに出し、夢を持つことの大切さを語ったという場面が出てきます。もうすぐ廃校になる中学校だけれども、校長は「ここから巣立っていく皆さんは先生からすると夢の芽です」と熱っぽく語るのでした。ディズニーの言葉というのは、“If you can dream it,you can do it.” (夢見ることができるなら、それは実現できる)ではないかと思われます。



この言葉は、アメリカはフロリダのウォルト・ディズニー・ワールド内にある「エプコット・センター」の「イマジネーション!」というアトラクションの入口に掲げられていました。大学4年生のときに初めて同所を訪れ、この言葉を目にしたときは魂が震えるほど感動しました。それ以来、わたしの座右の銘のひとつになっています。人間が夢見ることで、不可能なことなど1つもありません。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見れないようになっているのです。こういう前向きな言葉を中学生に贈る校長はえらいと思います。



しかし、いくら校長の話は立派でも、それを聴く側にも資質が問われます。このとき、校長が熱っぽく語りかける中、晃という少年は歩の隣で眠そうに欠伸をしていました。晃は中学3年生のクラスの学級委員であり、男子のリーダー的存在です。いじめっ子でもあって、稔という少年をさまざまな方法で攻撃します。あるとき、晃は稔に「コーラを買ってこい」と命令しますが、稔は「嫌だ」と答えます。それで平手で打ちますが、それでも従わないので、拳で殴ります。それでも従わない稔の頭上に晃は鉄鋼を振り下したのでした。



稔以外の他の男子にもいろいろと威嚇的な行動を取る晃ですが、じつは臆病者だったことが最後にわかります。かつて、彼は上級生からいじめに遭っており、その腹いせに同級生をいじめていたのです。
このくだりを読んだとき、わたしは高校の同級生であるAを思い出しました。Aとは高校、大学、社会人を通じて付き合いがありましたが、とにかく傍若無人な男で、飲めばみんなに一気飲みを強制するし、諌めるホステスに暴力をふるうような最低のクズでした。あまりのクズぶりにわたしも愛想を尽かして付き合いを止めましたが、攻撃的な性格で口が立つこともあって、Aを恐れている者は多かったです。



しかし、そのAは小学校時代にいじめられっ子だったことを後に知りました。彼は、いじめられないために強くなって、今度は他人をいじめてやろうとしたのでしょうか。『送り火』に出てくる晃という少年はきっとそのAのような大人になるのではないかなどと思いました。他人をいじめたり、ハラスメントを行うような根性が曲った者の正体は「臆病者」であることが多いはず・・・・・・『送り火』を読んで、そんなことを思いました。

送り火

送り火



2018年9月1日 一条真也

2018-08-27

『満願』 

満願 (新潮文庫)


一条真也です。
『満願』米澤穂信著(新潮文庫)を読みました。
2014年に単行本が刊行されたミステリー短篇集です。
最近、NHKでドラマ化もされたベストセラーです。著者は1978年岐阜県生れ。2001年、『氷菓』で角川学園小説大賞奨励賞(ヤングミステリー&ホラー部門)を受賞しデビュー。11年、『折れた竜骨』で日本推理作家協会賞を受賞。14年、本書『満願』で山本周五郎賞を受賞しています。

f:id:shins2m:20180818180611j:image
本書の帯



帯には、「TVドラマ化!」「ミステリーランキング3冠」「短篇集の金字塔!」として、「万灯」主演の西島秀俊、「夜警」主演の安田顕、「満願」主演の高良健吾という3人の俳優の写真が使われています。

f:id:shins2m:20180818180633j:image
本書の帯の裏



帯の裏には、「『満願』米澤穂信【山本周五郎賞受賞作】」「磨かれた文体、完璧な技巧。至高のエンターテインメント!」と書かれ、さらに「史上初ミステリー3冠!」として、以下のように書かれています。
第1位 このミステリーがすごい! 2015年版(宝島社)
第1位 ミステリが読みたい! 2015年版版(早川書房)
第1位 週刊文春ミステリーベスト10 2014年版(文藝春秋)



カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「『もういいんです』人を殺めた女は控訴を取り下げ、静かに刑に服したが・・・・・・。鮮やかな幕切れに真の動機が浮上する表題作をはじめ、恋人との復縁を望む主人公が訪れる『死人宿』、美しき中学生姉妹による官能と戦慄の『柘榴』、ビジネスマンが最悪の状況に直面する息詰まる傑作『万灯』他、全六篇を収録。史上初めての三冠を達成したミステリー短篇集の金字塔。山本周五郎賞受賞」



本書には以下の6つの短篇小説が収められ、最後には、文芸評論家の杉江松恋氏による「解説」が置かれています。
「夜警」
「死人宿」
「柘榴」
「万灯」
「関守」
「満願」



ブログ『出会いなおし』に「出版寅さん」こと内海準二さんのことを書いたところ、それを読んだ内海さんから以下のメールが届きました。
「ありがとうございます。本当に、あんな偶然の電話があるでしょうか。今、思い出しても胸が熱くなります。早速、読みます。定期的に小説を読まれているとのこと。その研鑽に頭が下がります。『満願』は読まれましたか。同じく短編集ですが、表題作は儀式の大切さを思いました」
わたしは早速、『満願』を取り寄せて読んでみました。非常に読みやすく、また面白くて、文庫本で約420ページありますが、一晩で読了しました。



表題作の「満願」は、先祖を大切にする女性の物語ですが、正直、リアリティに欠けると思いました。殺人を犯す女性があまりにも古風で、昭和50年代という時代設定に違和感がありました。さらにNHKドラマでは、時代設定が平成になっており、これはどう見ても無理があります。
リアリティといえば、両親が離婚する美しい中学生姉妹を描いた「柘榴」にも現実感がありません。というより、親権が定まっていないのに離婚が成立するというのは法律的に間違っているのではないでしょうか。そのへんのチェックを作家や出版社はしなかったのが不思議です。



それでも、この短編集は面白いです。トリックを推理したり、謎解きを楽しむ本格ミステリーではなく、人間の心の闇に迫った作品ばかりです。「解説」で、文芸評論家の杉江松恋氏はこう書いています。
「なぜそれは起こったのか。『満願』は、人間の不可解な心理を謎の中心に据えた作品集である。やむにやまれず他人に手をかける、あるいは自らの体を傷つけてしまう。そうした強い動機がどの作品にも描かれている。人の心は孤絶しており、中の動きは外部から窺い知れない。深奥で熟成されていったものが結晶した形を、米澤は各篇の最後に明かす。それぞれの結果はそれぞれの必然である。そうするしかなかった、という呟きを聞きながら、ああ、なんと切実な、と読者は畏怖の念に打たれる。人間が孤独な存在であるということを思い知らされる短篇集だ」



『満願』に収められている作品は、すべてがミステリーではありません。松本清張を思わせるオチの「夜警」や「万灯」は社会派ミステリーといった趣がありますが、「柘榴」はダーク・ファンタジー、高橋克彦の短篇を思わせる「死人宿」や「関守」はホラーに分類できるかもしれません。総じて、6つの短篇は後味が悪いです。読者は謎が解けたカタルシスを一切味わうことができません。非常に嫌な気分で作品を読み終えなければなりません。それが一種の刺激となって、この短篇集はベストセラーになったようにも思えます。いわば、本書は「奇妙な味の短篇集」と呼べるのではないでしょうか。




6つの作品は、いずれも映像的に描かれており、ドラマ化がしやすいように思いました。すでにドラマ化された「夜警」「万灯」「満願」以外の作品でも、読みながらドラマ化した際のキャストを想像してみました。「死人宿」の主人公の証券マンは椎名桔平、旅館の仲居になった女性は真木よう子、「柘榴」の美しき姉妹は広瀬アリスと広瀬すず、そして「関守」に登場するライターはリリー・フランキー、食堂の老婆は樹木希林という、ブログ「万引き家族」で紹介した映画のコンビが心に浮かんできました。これらのキャスティングは厳密に言えば年齢的に合わないでしょう。あくまでもイメージです。



「関守」といえば、主人公の男性についての以下の描写があります。
「ライターを職業としてから、7年になる。スポーツ系が専門のライターになりたかった。中でも、格闘技。ボクシングやレスリングに強みがあり、剣道や柔道などの武道系もひととおりは書けるつもりで仕事を始めた。ゆくゆくは相撲の記事も書いて、名と格を上げていきたかった。大学で俺をかわいがってくれた先輩が、一足先にライターとして名を成していた。そのひとの紹介でスポーツ雑誌にいくつか記事を書き、2年後には定期的に仕事を持たせてもらえるようになった」



しかし、ライターになった主人公は、次第に気づいていくのでした。
「自分はスポーツについて詳しいつもりでいたけれど、実は俺程度の知識を持つ人間はありふれているのだ、と。それはあまりショックではなかった。知識の欠如は補えばいい。――だが、より致命的なことに、自分は別にスポーツが好きではないと気づいてしまったのだ。華やかな世界戦には食いついても、泥くさいノンタイトルマッチや前座戦には気持ちが冷えていく。期待の新人を自分で見つけることを面白がれず、誰かが騒ぎ出してから後追いすることしかできない。要するに、最も得意だと思っていたスポーツの分野でさえ、俺は浮ついた興味しか持っていなかったということだ」と書かれているのですが、これを読んだとき、わたしはドキッとしました。



わたしも大の格闘技好きで、いつかは格闘技についての本も書きたいなどと思っていたのですが、自分もビッグマッチには興味を持っても、泥くさいノンタイトルマッチや前座戦にはあまり興味がないことに気づきました。きっと、わたしには「三度の飯より格闘技が好き」などと言える資格はないのでしょう。それを知って、少しだけ寂しい思いをするとともに、1人の読者の心の隙間を的確に衝いてくる著者の非凡さに感服しました。
米澤穂信という作家は今回初めて知りましたが、これから東野圭吾クラスの大物、さらには松本清張クラスのレジェンドになる可能性を秘めているように思います。早速、他の著作を数点、アマゾンで注文しました。

満願 (新潮文庫)

満願 (新潮文庫)



2018年8月27日 一条真也

2018-08-20

『永遠のおでかけ』  

永遠のおでかけ


一条真也です。20日から東京に出張します。
全互協の儀式継創委員会の会議に始まり、冠婚葬祭文化振興財団の評議員会、さまざまな全互協の創立45周年行事および総会、互助会保証の役員会および株主総会、そして、エンディング産業展での講演・・・・・・毎日がめまぐるしい忙しさです。体調を崩さないように頑張ります!
『永遠のおでかけ』益田ミリ著(毎日新聞出版)を読みました。
わたしはグリーフケアについての研究と実践を心がけているのですが、その活動の中で出合った1冊で、内容はエッセイ集です。グリーフケアの最大のテーマが死別の悲嘆への対処ですが、そのヒントがたくさんありました。

f:id:shins2m:20180806072040j:image
花と猫のイラストが描かれたカバー



著者は1969年大阪府生まれのイラストレーターです。主な著書に『今日の人生』(ミシマ社)、『美しいものを見に行くツアーひとり参加』『すーちゃん』シリーズ(幻冬舎)、『沢村さん家のこんな毎日』(文藝春秋)、『こはる日記』(KADOKAWA)、『僕の姉ちゃん』(マガジンハウス)、『泣き虫チエ子さん』(集英社)などがあります。絵本『はやくはやくっていわないで』(共著・ミシマ社)で第58回産経児童出版文化賞を受賞。

f:id:shins2m:20180712143513j:image
本書の帯



本書のカバー表紙には、たくさんの花と猫のイラストが描かれています。帯には猫のイラストとともに、「『大切な人の死』で知る悲しみとその悲しみの先にある未来」「誰もが自分の人生を生きている」「益田ミリ、新たな代表作!!」と書かれています。

f:id:shins2m:20180712143453j:image
本書の帯の裏



また帯の裏には、「全国の書店員さんから感動の声、続々!」として、以下のコメントが寄せられています。
「これほど読者に対して真摯で、自分に対して正直なエッセイは、なかなか読めないと思います」(宮脇書店本店 藤村結香さん)
「遠くない未来に、自分の身にも絶対に起こること。そんな風に思って読んだからなのか、途中から涙が止まらなかった」(Carlova360 NAGOYA 奥川由紀子さん)



アマゾンには、「出版社からのコメント」として、こう書かれています。
「いつまでもそばにいてくれると思っていた人がいなくなってしまったら・・・? 悲しい経験をした人も、そしていつか辛い別れをするかもしれない人も、どんな人の心も震わすであろう益田ミリさんの新境地となるエッセイです。読み進めるうちに何気ない日常のふとした瞬間がこの上ない宝物に思えてきて、人は誰でも自分だけの人生を生きていることをあらためて実感させられます」



本書には、次の20編のエッセイが収められています。
1  叔父さん
2  タクシーの中で
3  売店のビスケット
4  ほしいもの
5  おでんを買いに
6  ドールハウス
7  父語る
8  縁側のできごと
9  父の修学旅行
10 美しい夕焼け
11 冷蔵庫の余白
12 クジラの歌
13 おばんざい
14 最後のプレゼント
15 クラスメイトのこと
16 ひとり旅
17 桜花咲く頃
18 わたしの子供
19 卓袱料理
20 ハロウィンの夜



本書には、著者の父との別れが描かれているのですが、その前段というかプレリュードとして、1「叔父さん」で著者の叔父との別れが綴られています。子供がいなかった叔父は、姪っ子たちをわが子のように可愛がってくれましたが、その中でも著者は叔父との関わりが最も少なかったといいます。それでも、叔父が亡くなったときは、深い悲しみを経験しました。著者は次のように書いています。
「お通夜やお葬式でも、わたしなどが、叔父との思い出話をする立場ではないように思えた。だから、なにも言わずにおいた。泣く資格さえないかもしれないとまで思った。なにの、涙は次から次から溢れた。みな驚いていたかもしれない。わたしなりに、やさしかった叔父さんのことが大好きだったのだ」



毎年元日、著書の父の兄の家に集まりました。テーブルを3つつなげての、にぎやかな新年会です。酒が飲めない親戚たちの中で、末っ子の叔父がふと、「子供がおらんかて、ふたりでいろいろしゃべることあるんやで」と言ったそうです。その言葉について、著者は次のように書いています。
「わたしは、『子供』である自分の価値を、とても高いものだと思っていた。わたしや妹がいることで、父と母の幸せが成り立っているのだとも思っていた。しかし、叔父は、夫婦ふたりでも『いろいろしゃべることがあるんやで』と笑った。わたしはそんなもんなのかと驚き、また、ひどく安心した。叔父は、叔父の世界で豊かであったのだ。人の幸せは多面的であった」
この一文を読んだとき、わたしは著者の叔父の人生がありありと見えたような気がしました。そして、しみじみと感動しました。



「叔父さん」の最後には、こう書かれています。
「叔父の棺に手紙を入れることになった。わたしは、『やさしくしてくれて、ありがとう』と書いた。親戚の誰かが、わたしが新聞連載しているエッセイの切り抜きを持ってきて、それも入れてくれた。叔父が読んでくれていたのを、そのときはじめて知った。
それなら、叔父との思い出だって書いていたのに。ふたりでケーキを食べた夜のこととか。わたしが叔父さんを大好きだったこととか。
わたしにしかできないこともあったのだ。悔やんでも仕方がないのに、悔まずにはいられなかった」

f:id:shins2m:20170326222732j:image
「サンデー毎日」2017年4月9日号



これを読んで、わたしはブログ「死は不幸ではない」で紹介した「サンデー毎日」に書いたコラムのことを思い出しました。小倉の紺屋町にあったスナック「レパード」のマスターだった西山富士雄さんが亡くなったことを書いたコラムでしたが、西山さんは週刊誌が大好きで、生前は何誌も読んでいました。特に、「サンデー毎日」の愛読者で、わたしが同誌にコラムを連載開始したときは「天下の『サンデー毎日』に連載するなんて、たいしたもんだ!」とわざわざ電話をくれました。とても嬉しかったです。わたしは、西山さんのことを書いたコラムの最後に「マスター、あなたのことを『サンデー毎日』に書かせていただきましたよ。あの世で読んでくれますか?」と書きましたが、本当は故人が元気なうちに書いて、喜ばせてあげたかったです。本書の「叔父さん」の最後を読んで、そんなことを考えました。



叔父との死別の後は、父親との死別が待っています。その前に、著者は晩年の父親との思い出を綴ります。著者は取材と称して、死期の迫った父親に自らの人生を語ってもらいます。語りをパソコンで清書し、少しずつまとめ、最終的には小さな冊子にしてプレゼントするつもりでした。父親は面倒くさがるかと思っていましたが、とても嬉しそうに子供時代の話などをするのでした。
8「縁側のできごと」では、あるとき、父親が祖父の話をしたことが綴られています。それは、縁側で二人で放尿していたら母親(著者の祖母)に怒られたという、たわいもない思い出話でした。



その父親の話を聞いたときの心境を、著者は次のように書いています。
「それを聞いたとき、祖父の姿がはじめていきいきと動き出したのだった。写真一枚残っていない祖父。会ったこともないのだし、それを淋しいと感じたこともなかった。けれど、彼はこの世に存在していた。存在し、幼かった『わたしの父』とともに、縁側で妻に叱られていたのである。
叱られたとき、祖父はどうしたのだろう?
『見つかってしもたなぁ』
などと、息子に笑いかけたのかもしれない。
父の語りによって、過去の世界から孫娘のもとにやってきた祖父。なにか、伝えるとしたら、わたしはなにを言おう。
あなたの孫娘は、今、あなたの息子の最後の語りを聞いているのですよ。
と、言ったら、おじいさんは泣くだろうか」
この一文にも感動しました。生者の語りによって、死者はよみがえる。生者の思い出があれば、死者は生きている。ブログ「リメンバー・ミー」で紹介した映画にも通じる世界だと思いました。




10「美しい夕焼け」の冒頭は「午前中の電話にいい知らせはない」の一文で始まります。それは著者の父親が危篤であるという母親からの電話でした。呆然としながらも、エッセイを1本書き上げてから実家に帰ろうと思っていた著者のもとに再度、母親から電話が入ります。それは父親の死を知らせでした。そのときの心境を、著者は「今夜、わたしが帰るまで、生きて待っていてほしかった。母からの電話を切ってすぐはそう思ったのだが、新幹線に揺られる頃には、それは違う、と感じた。これは父の死なのだ。父の人生だった。誰を待つとか、待たぬとか、そういうことではなく、父個人のとても尊い時間なのだ。わたしを待っていてほしかったというのは、おこがましいような気がした」と書いています。


父親の訃報に接し、著者の涙が止まりませんでした。しかし、いろんなことを並行して考えている自分にも気づいていました。その日の朝早く、原稿を送っておいて良かった、とか。父の体調を配慮して断るつもりだった旅行記の仕事をやっぱり受けようかな、とか。車内販売のコーヒーを飲みたい、とか。そんな著者は、次のように書いています。
「悲しみには強弱があった。まるでピアノの調べのように、わたしの中で大きくなったり、小さくなったり、大きくなったときには泣いてしまう。時が過ぎれば、そんな波もなくなるのだろうという予感とともに悲しんでいるのである。雲がかかっており、残念ながら新幹線から富士山は見られなかった。その代わり、オレンジ色の美しい夕焼けが広がっていた。窓に額をくっつけて眺めていた。こんなにきれいな夕焼けも、もう父は見ることができない。死とはそういうものなのだと改めて思う」



著者は、自宅のベッドに横たわる父親の亡骸と最後のお別れをします。二人だけにしてもらい、ひとしきり泣いたそうです。冷たくなった父親の手に自分の手を重ね、「お父さん!」と大きな声で呼びました。これが、著者にとって父親の死を純粋に悲しめる最後の時間となったそうです。著者はこう書いています。
「ここからは、とにかくお金の話である。
父の遺体を葬儀場に運んだあとは、すぐに葬儀場の係の人との打ち合わせ。わたしと母は、分厚いパンフレットを覗き込み、祭壇とか、棺とか、花の種類、通夜や初七日の返礼品を選んでいく。
父はこういうことにお金をかけることを嫌っていたし、わたしも母も、とにかく質素にしようねと話していた。しかし、よほど強い意思の人間でない限り、『全部、一番安いのでいいです!』とは言えない空気が漂っている。いくつかは一番安いのにしたけれど、あんまり全部だと、なんだか父を大切にしていないと思われそう・・・・・・という心理が働くのである」



この葬儀のくだりに関しては、わたしもいろいろと言いたいことはありますが、まあ、ご遺族の中にはこういう方もいらっしゃるのだということを知り、良い勉強になりました。このように考える方は多いのでしょうね。
ただ、著者に葬儀を単にお金のかかる不必要なことだと思っている節があるのが残念でなりません。故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれます。愛する人を亡くした人の心は不安定に揺れ動いています。しかし、そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていきます。 



親しい人間が死去する。その人が消えていくことによる、これからの不安。残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持っています。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心に、ひとつの「かたち」を与えることが求められます。まさに、葬儀を行う最大の意味はここにあります。葬儀という「かたち」は人間の「こころ」を守るのです。そんなことを拙著『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)に書きましたが、ちょうど版元が同じなので、ぜひ著者の益田ミリ氏にお読みいただきたいです。

永遠のおでかけ

永遠のおでかけ



2018年8月20日 一条真也

2018-08-19

『やめるときも、すこやかなるときも』

やめるときも、すこやかなるときも


一条真也です。
『やめるときも、すこやかなるときも』窪美澄著(集英社)を読みました。わたしの仕事の重要テーマとして「供養」「グリーフケア」「婚活」などがありますが、本書はそれらがすべて入っている長編小説でした。
著者は1965年東京生まれ。フリーの編集ライターを経て、2009年、「ミクマリ」で女による女のためのR18文学賞大賞を受賞。受賞作を所収したデビュー作『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞を受賞。12年に『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞を受賞。近著に『さよなら、ニルヴァーナ』『アカガミ』『すみなれたからだで』などがあります。

f:id:shins2m:20180712144130j:image
本書の帯



本書のカバー表紙には青空に満開の桜が描かれ、帯には「切なく不器用な恋の物語」「大切な人の死を忘れられない男と、恋の仕方を知らない女。他者と共に生きることの温かみに触れる長編小説」と書かれています。

f:id:shins2m:20180712144113j:image
本書の帯の裏



帯の裏には「忘れられるわけなんかない。僕が生まれて初めて結婚しようと思った相手のこと。」と大書され、続けて以下のように書かれています。
「家具職人の壱晴は毎年十二月の数日間、声が出なくなる。過去のトラウマによるものだが、原因は隠して生きてきた。制作会社勤務の桜子は困窮する実家を経済的に支えていて、恋と縁遠い。欠けた心を抱えたふたりの出会いの行方とは」



トラウマを背負った男性と恋愛に奥手な女性の恋というストーリーですが、これは正直言って、恋愛小説としての新鮮さは感じませんでした。
しかし、視点が一方からだけでなく、男女の思いが交互に時系列で描かれるので、単純な恋愛小説には終わっていません。文章の中に散りばめられた言葉からは「人が人を愛すること」「愛する人を亡くすこと」「そこからまた前を向いて生きて行くこと」の本質が説かれています。



家具職人である壱晴は、かつて「結婚したい」とまで思った初恋の少女・真織を事故で失います。毎年、彼女の命日が来るたびに、彼は声が出なくなります。医師は彼に「あなたのような症状のことを、記念日反応と呼ぶんです」と言います。記念日というと、ふつうは誕生日とか結婚記念日とか、そういう明るい日のことを連想しますが、それは壱晴にとってトラウマになるような出来事があった日のことを指すのでした。



真織のことを忘れられない壱晴は、こう考えます。
「その人が目の前にはいないのにその人のことを思い出して記憶を反芻する行為は、もうすでにその人が自分のどこかに住み着いてしまったことと同じなんじゃないだろうか。好きとか嫌いとか、はっきりした感情がなくても」
この言葉には、はっとしました。たしかに、好きとか嫌いとかに関わらず、わたしの心にも住み着いてしまっている人たちがいます。たぶん、わたしが死ぬまで、その人たちと一緒に生きるしかないのでしょう。



真織のことを忘れられない壱晴ですが、新たに出会った桜子も彼の心に住み着くようになります。壱晴は、真織を失った「あの場所」へ桜子とともに戻り、墓参りをし、真織の生家まで訪れるのですが、それは彼が背負った重い荷物の半分を桜子に背負わせることでした。そんな壱晴に対して強い反発を抱きながらも、桜子は思います。
「そのとき供養という言葉がふいに浮かんだ。そうか、墓参りをして、真織さんが過ごした家を見て、そして触れて、壱晴さんは今供養をしているんだと思ったら、この旅の意味が自分のなかにすとんと落ちた気がした」



ハードカバーで360ページある本書は、全篇にわたって「死」について考えさせられる文章が並びます。たとえば、桜子が残業をした夜の描写です。
「仕事が終わったのは午後11時に近かった。
疲れた体をひきずって駅に向かうと、改札口に立てられたホワイトボードに遅延のお知らせとある。自宅の最寄り駅、そのひとつ手前の駅で事故が起こったらしかった。人身事故と言葉を変えてはいても要するに飛び込み自殺か自殺未遂だ。私の前にいた年配の男性サラリーマンが『ほかでやってくれよ』と言いながら振り返り、タクシーかバスで帰るのだろう、ロータリーのほうに向かっていった。私だって考えていることは同じようなことだ。人の死がこんなに近くにあるのに、それを見て見ぬふりをして、どこかを麻痺させて生活を続けている。そうしなければ生きていけないからだ」



最後に、この作品は供養小説であり、グリーフケア小説ですが、それに加えて婚活小説でもあります。32歳まで処女だった桜子は壱晴という「彼氏」がようやくできたことを2人の女友達に告白し、その喜びを分かち合おうとするのですが、彼女たちの反応は冷ややかでした。友人の1人は桜子に「うまくいってる恋愛を女友達に話すときは最大限に気を使って。それが女社会のルールだよ」という言葉を吐くのですが、これにはゾッとするとともに、「まあ、そうだよな」と納得しました。これから結婚をしたいと考えているすべての独身女性に、いろんな意味で本書を推薦いたします。

やめるときも、すこやかなるときも

やめるときも、すこやかなるときも



2018年8月19日 一条真也