Hatena::ブログ(Diary)

一条真也の新ハートフル・ブログ

2018-08-28

さくら散る・・・

一条真也です。
昨夜、漫画家のさくらももこさんが亡くなっていたことを知り、驚きました。15日午後8時29分、乳がんのため死去されたそうです。53歳でした。

f:id:shins2m:20180828124435j:image
今日の各紙朝刊



さくらさんは、静岡県清水市(現静岡市)出身。
1984年、短大在学中に漫画家デビュー。86年から漫画雑誌「りぼん」で「ちびまる子ちゃん」を連載開始。自身の少女時代をモデルに小学生「まる子」の日常をユーモラスに描き、89年に講談社漫画賞を受賞しました。当時、わたしは広告代理店のマーケティング・プランナーでしたが、日経流通新聞のトレンド座談会で「ちびまる子ちゃん」について話した記憶がありました。それほど、あの作品の登場は衝撃的でした。




90年からはアニメがフジテレビ系で放送、さくらさんが作詞したテーマ曲「おどるポンポコリン」は日本レコード大賞を受賞。幅広い世代に親しまれ、現在まで続く国民的長寿アニメとなりました。昭和50年代を舞台にしており、劇中に西城秀樹さん、山本リンダさんなどの実在の有名人も登場し、再びその人気が再燃するきっかけとなりました。
「ウゥ〜ン」「いけずぅ〜」といった登場人物の口癖が子どもたちの流行語となり、90年10月28日には、オンライン調査が始まった77年9月以降のアニメ歴代1位となる最高視聴率39・9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録しています。「サザエさん」と並ぶ国民的アニメ番組となりました。

もものかんづめ (集英社文庫)

もものかんづめ (集英社文庫)



漫画は、シリーズ累計3200万部以上を記録。エッセー集『もものかんづめ』『さるのこしかけ』もベストセラーとなりました。わたしは、さくらさんのエッセー集をすべて読んでいますが、日常生活の中のささやかな「しあわせ」を綴っていて、心が洗われる思いでした。わたしの長女もさくらさんの大ファンで、訃報に接し、言葉を失っていました。
じつは、26日の日曜日に、わたしは「ちびまる子ちゃん」の放送を久々に観たのです。たまたまテレビをつけながら1人で食事中だったこともあって、2話すべてを観ました。子どもたちが成長した今、本当に10年ぶり以上となる久々の「ちびまる子ちゃん」で、なつかしく感じました。
その翌日の訃報でしたので、驚きました。




それにしても、15日に亡くなっていたとは・・・・・・。
逝去から12日も経っているではないですか。残念です。
さくらさんは顔も本名も非公開という主義でしたが、せめて「お別れ」のときぐらいはその当日に知りたかったと思うファンは多いでしょう。告別式はすでに近親者で行ったそうですが、どうか、多くのファンのために「お別れの会」をぜひ開いていただきたいと願っています。「ちびまる子ちゃん」の大スターだった西城秀樹さんも、ファンのための「お別れの会」を開いたのですから・・・・・・。そうしなければ、ファンの悲しみの行き場がありません。集英社やフジテレビなどの関係者のみなさん、どうかよろしくお願いいたします。最後に、さくらももこさんの御冥福を心よりお祈りいたします。



2018年8月28日 一条真也

2018-08-15

終戦の日  

一条真也です。
8月15日になりました。今年も「終戦の日」が来ました。
日本人だけで実に310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって73年目を迎えました。今年の夏はことさら暑いです。

f:id:shins2m:20150815111609j:image
70回目の「終戦の日」は靖国神社を参拝しました
f:id:shins2m:20150815115751j:image
靖国神社での黙祷のようす



ブログ「終戦70年の日」で紹介したように、70回目の大きな節目となった2015年の8月15日は靖国神社を参拝しましたが、今年は九州は小倉の地で黙祷いたします。
終戦60周年の2005年8月、わたしは次の短歌を詠みました。

ひめゆりよ知覧ヒロシマナガサキよ 
    手と手あわせて祈る八月 (庸軒)


先の戦争について思うことは、あれは「巨大な物語の集合体」であったということです。真珠湾攻撃戦艦大和、回天、ゼロ戦、神風特別攻撃隊、ひめゆり部隊、沖縄戦、満州、硫黄島の戦い、ビルマ戦線、ミッドウェー海戦東京大空襲、広島原爆、長崎原爆、ポツダム宣言受諾、玉音放送・・・挙げていけばキリがないほど濃い物語の集積体でした。
それぞれ単独でも大きな物語を形成しているのに、それらが無数に集まった巨大な物語の集合体。それが先の戦争だったと思います。

f:id:shins2m:20150817101729j:image
一昨年の靖国神社にて



実際、あの戦争からどれだけ多くの小説、詩歌、演劇、映画、ドラマが派生していったでしょうか・・・・・。「物語」といっても、戦争はフィクションではありません。紛れもない歴史的事実です。わたしの言う「物語」とは、人間の「こころ」に影響を与えうる意味の体系のことです。人間ひとりの人生も「物語」です。そして、その集まりこそが「歴史」となります。そう、無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。




戦争というものは、ひときわ歴史の密度を濃くします。ただでさえ濃い物語が無数に集まった集積体となるのです。
「巨大な物語の集積体」といえば、神話が思い浮かびます。そう、『古事記』にしろ『ギリシャ神話』にしろ、さまざまなエピソードが数珠つながりに連続していく物語の集合体でした。
いま、今日が「終戦の日」であることも知らない若者が増えているそうです。彼らにとって戦争など遠い過去の出来事なのでしょう。それこそ、太古の神話の世界の話なのかもしれませんね。




わたしの好きな歌の1つに「戦争を知らない子供たち」があります。この歌は単純な反戦ソングなどでなく、もっと深い意味があるように思えます。「神話からの解放」そして「新たな神話の創造」を宣言する歌のように思えるのです。戦争という愚行を忘れるのはいい。でも、先人の死を忘れてはなりません。死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえないからです。そんなことを考えながら「戦争を知らない子供たち」を聴くと、また違ったメッセージを感じることができます。わたしは、平和の歌を口ずさみながら、門司港にある世界平和パゴダを参拝する予定です。そこで、わたしなりに戦没者の方々に心からの祈りを捧げたいと思います。




世界平和パゴダでは、ミャンマー仏教などの上座仏教の根本経典である「慈経」が唱えられるでしょう。このお経は、ブッダが最初に説いたとされる平和の祈りです。わたしは、「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じています。「ブッダの慈しみは、愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。わたしは、この「慈経」を自分なりに自由訳したいと思い立ちました。そして、2014年に『慈経 自由訳』(三五館)を上梓しました。

慈経 自由訳

慈経 自由訳



生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視しました。そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために「慈経」のメッセージを残しました。そこには「すべての生きとし生けるものは、すこやかであり、危険がなく、心安らかに幸せであれ」と念じるブッダの願いが満ちています。




ちょうど1年前、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。自由訳してみて、わたしは日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることを発見しました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。最後に、先の戦争で亡くなられたすべての方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

般若心経 自由訳

般若心経 自由訳



2018年8月15日 一条真也

2018-08-12

日航ジャンボ機墜落事故の日   

一条真也です。
8月12日になりました。1985年の日航ジャンボ機墜落事故から33年目の日です。あの事故は、ちょうど40回目の「終戦の日」の3日前のことでした。1985年8月12日、群馬県の御巣鷹山に日航機123便が墜落、一瞬にして520人の生命が奪われたのです。
単独の航空機事故としては史上最悪の惨事でした。




遺体の確認現場では、カルテの表記や検案書の書式も統一されました。
頭部が一部分でも残っていれば「完全遺体」であり、頭部を失ったものは「離断遺体」、さらにその離断遺体が複数の人間の混合と認められる場合には、レントゲン撮影を行った上で「分離遺体」として扱われたそうです。まさに現場は、「この世の地獄」そのものでした。

f:id:shins2m:20100812101003j:image
御巣鷹山の日航機123便の真実



当時、群馬・高崎署の元刑事官である飯塚訓氏が遺体の身元確認の責任者を務められました。ブログ「『墜落遺体』『墜落現場』」で紹介した飯塚氏の著書を読むと、その惨状の様子とともに、極限状態において、自衛隊員、警察官、医師、看護婦、葬儀社社員、ボランティアスタッフたちの「こころ」が1つに統合されていった経緯がよくわかります。




看護婦たちは、想像を絶するすさまじい遺体を前にして「これが人間であったのか」と思いながらも、黙々と清拭、縫合、包帯巻きといった作業を徹夜でやりました。そして、腕1本、足1本、さらには指1本しかない遺体を元にして包帯で人型を作りました。その中身のほとんどは新聞紙や綿でした。それでも、絶望の底にある遺族たちは、その人型に抱きすがりました。亡き娘の人型を抱きしめたまま一夜を過ごした遺族もおられたそうです。その人型が柩に入れられ、そのまま荼毘に付されました。どうしても遺体を回収し、「普通の葬儀をあげてあげたかった」という遺族の方々の想いが伝わってくるエピソードです。 人間にとって、葬儀とはどうしても必要なものなのです。
そのことは、「沈まぬ太陽」や「クライマーズ・ハイ」といった、日航ジャンボ機墜落事故をテーマにした映画を観たときも痛感しました。

茜雲 日航機御巣鷹山墜落事故遺族の30年

茜雲 日航機御巣鷹山墜落事故遺族の30年



わたしは、ブログ『沈まぬ太陽』で紹介した山崎豊子氏の小説をはじめ、くだんの『墜落遺体』『墜落現場 遺された人たち』、さらには日航機墜落事故の遺族の文集である『茜雲〜日航機御巣鷹山墜落事故遺族の30年』(本の泉社)も含めて多くの資料を読みました。
その感想は拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書きましたが、あらためて葬儀とは「人間尊重」の実践であるという思いを強くしました。

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)



さらに、ヒトは葬儀をされることによって初めて「人間」になるのではないでしょうか。ヒトは生物です。人間は社会的な存在です。葬儀に自分のゆかりのある人々が参列してくれて、その人たちから送ってもらう――それで初めて、故人は「人間」としてこの世から旅立っていけるのではないでしょうか。葬儀とは、人生の送別会でもあるのです。

唯葬論

唯葬論



1人の人間が亡くなることは大事です。宇宙的事件です。
東日本大震災の直後に北野武氏が「2万人の人間が死んだんじゃない。1人の人間が死ぬという大事件が2万回起こったんだ」という名言を残されていますが、まさにその通りだと思います。それなのに、現代日本では通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」が流行し、さらには遺体を焼却後、遺灰を持ち帰らずに捨ててしまう「0葬」も登場。あいかわらず葬儀不要論も語られています。そういった風潮に対して、わたしは『唯葬論』(三五館)を書きました。絶対に、死者を忘れてはなりません。
いつの日か、520名の犠牲者が昇天した“霊山”であり、4名の奇跡の生存者を守った“聖山”でもある御巣鷹山に登ってみたいです。




ちょうど1年前、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。自由訳してみて、わたしは日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることを発見しました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。最後に、御巣鷹山で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

般若心経 自由訳

般若心経 自由訳



2017年8月12日 一条真也

2018-08-09

長崎原爆の日  

一条真也です。
沖縄に来ています。これから北九州に戻ります。
8月9日は「長崎原爆の日」です。詳しくはブログ「小倉に落ちるはずの原爆」をお読みいただきたいと思いますが、今日は、わたしにとって1年のうちでも最も重要な日なのです。

f:id:shins2m:20180810144758j:image
「読売新聞」2018年8月10日朝刊
f:id:shins2m:20180809093613j:image
今朝のサンレー本社の朝礼のようす



今朝、サンレー本社の朝礼では黙祷が行われましたが、わたしは那覇の地から鎮魂の祈りを捧げます。「長崎原爆の日」にあわせて、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「朝日」「毎日」「読売」「西日本」の各紙に広告を掲載しています。ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきました。

f:id:shins2m:20180808154725j:image
「朝日」「毎日」「読売」「西日本」新聞8月9日朝刊広告



新聞広告には満月のイラストをバックに「鎮魂」と大きく書かれ、「昭和20年8月9日−−小倉に落ちるはずだった原爆。」と続きます。そして「平和への願いを込めて、長崎に祈りを」として、次のように書いています。
「それは73年前のこと。昭和20年8月9日、長崎に第2の原子爆弾が投下されました。広島に人類最初の爆弾が落とされた3日後のことです。
長崎型原爆・ファットマンは8月6日にテニアン島で組み立てられました。
そして、8月8日にアメリカ陸軍在グアム第20航空軍司令部野戦命令17号において、小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、8月9日に投下する指令がなされました。8月9日に、ソ連が日本に宣戦布告。この日の小倉上空は前日の八幡爆撃による煙やモヤがたち込めていたため投下を断念。第2目標であった長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。小倉の軍需工場が爆弾投下の第1目標であったことを、皆さんはご存知でしたか。長崎ではこの原爆によって74000人もの尊い生命が奪われ75000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでいます。もし、この原爆が小倉に投下されていたら、あなたの家族や知りあいの方々が命を失い、あるいは大きな痛手を受けたことでしょう。もしかすると、この文章を読んでいるあなたは、この世に存在していなかったかもしれません。絶対に戦争の悲惨さを風化させないためにも、私共は原爆の犠牲になられた方々へのご冥福を祈るとともに、恒久平和への祈りを捧げていきたいと思います。
古来、世界各地で月はあの世に見立てられていました。夜空に浮ぶ月を見上げて手を合わせ、亡くなられた方々を想ってみてはいかがでしょうか。
私たちは、『人間の尊厳』を見つめながら、全国各地で真心を込めて、鎮魂と慰 霊のお手伝いをさせていただきたいと願っております。
株式会社サンレー代表取締役社長 佐久間庸和




また、9月22日(土)18時からサンレーグランドホテルで行われる「月への送魂」のセレモニーの案内をさせていただきました。ぜひ、今年も多くの方々にご参集いただき、月を見上げてなつかしい故人を偲んでほしいと思います。死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありません。

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門



さらに、『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)のプレゼント告知も行いました。年中行事とは、同じ暦日に毎年慣例として繰り返され続ける行事のこと。そこには、昔からの伝統を大切に守り、また時間の流れと季節の移り変わりを愛でる日本人の「こころ」と「たましい」が込められている。その年中行事の基礎知識を雑学風に読めるようにまとめ、正しく行うためのやり方をわかりやすく解説した入門書です。この『決定版 年中行事入門』を抽選で30名様に進呈いたします。ハガキでご応募ください。


《応募方法》
郵便ハガキに郵便番号・住所・氏名・電話番号・書籍名をご記入の上、下記宛へお送りください。なお、当選は発送をもって代えさせていただきます。
〒802−0022北九州市小倉北区上富野3−2−8
サンレー「鎮魂」書籍プレゼント係
2018年8月21日(火)消印有効

f:id:shins2m:20180809093538j:image
今朝の新聞各紙



2018年8月9日 一条真也

2018-08-08

翁長知事の訃報

一条真也です。沖縄に来ています。
那覇のホテルの客室でテレビをつけていたら、わが社の結婚式場「マリエールオークパイン那覇」のCMの後に沖縄県の翁長雄志知事が膵臓がんで亡くなったというニュースが流れ、驚きました。67歳でした。

f:id:shins2m:20180808235013j:image
OTV「プライムNEWS」より



翁長知事は、2014年の知事選で「普天間基地の県内移設」に反対を訴え、対抗馬に10万票以上の差をつけて圧勝しました。就任以来、政府との話し合いや国を相手取った裁判など、あらゆる手段で県内移設をやめるよう働きかけてきました。7月27日には、仲井眞弘多・前知事による名護市・辺野古沖の埋め立て承認を撤回すると表明したばかりでした。



翁長知事の訃報に接した8日の、わたしはちょうど普天間基地や嘉手納基地の前を車で通りました。沖縄に紫雲閣の新施設を作るべく、県内の建設候補地を車で視察して回ったのです。収穫大でした。
車中で、わたしはサンレー沖縄の黒木事業部長から、翁長知事が浦添の病院に入院されていることを聞き、その事実を初めて知りました。そして、その日の夜に訃報に接したわけです。

f:id:shins2m:20150501090847j:image
「毎日新聞」2015年5月1日朝刊



翁長知事の訃報に接し、「毎日新聞」2015年5月1日朝刊に掲載されたわが連載コラム「北九州発 ハートフル通信」の第33回目を思い出しました。タイトルは「沖縄のセレモニーホール」で、内容は以下の通りです。
「(2015年)4月4日、沖縄で7番目の紫雲閣となる『豊崎紫雲閣』の竣工神事が行われた。場所は沖縄最大のアウトレットモール『あしびなー』の真横という素晴らしい立地だ。竣工神事の終了後、わたしは主催者あいさつを行った。冒頭で『このように立派なホールを建設できて、本当にうれしく思います。これで、多くのサンレー会員様に満足のゆく『おもてなし』を提供することができます』と述べ、それから以下のような話をした。豊崎紫雲閣は豊見城市の中心部にある。豊見城という地名は、13世紀から15世紀の三山時代に、後の南山王となる汪応祖(わんおうそ)が漫湖を眺望する高台に城を築き、それを「とよみ」と呼んだことに由来するそうだ。この豊見城市だが、『都市成長力日本一』として有名である。東洋経済新報社が実施する都市の成長力ランキングでは、毎年のように全国約810市区の中で1位となっている。
このような成長力の高い都市にセレモニーホールは似合わないと思われた方もおられたかもしれない。いま、辺野古の新基地建設をめぐる問題が紛糾し、基地建設を推進している国と反対を掲げて沖縄県知事に当選した翁長知事とが対立している。ここで政治的な問題に立ち入ることは控えるが、わたしは、『セレモニーホール』とは『基地』の反対としての究極の平和施設ではないかと思っている。なぜなら、『死は最大の平等』であり、亡くなった方々は平和な魂の世界へと旅立たれるからである。セレモニーホールとは平和な世界への駅であり港であり空港なのだと思う。
沖縄は『守礼之邦』と呼ばれる。もともとは琉球の宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったようだが、わたしは『礼』を『人間尊重』という意味でとらえている。沖縄の方々は、誰よりも先祖を大切にし、熱心に故人の供養をされる。日本でも最高の「礼」を実現していると思う。
今年は、終戦70周年の年。先の戦争では、沖縄の方々は筆舌に尽くせぬ大変なご苦労をされた。わたしたちは、心を込めて、沖縄の方々の御霊をお送りするお手伝いをさせていただきたいと願っている。竣工式の最後に、わたしは『紫の雲ぞ来たれり豊見城 守礼之邦の礼を守らん』という歌を心をこめて詠んだ。沖縄の人たちは、何よりも先祖と隣人を大切にする。ここは大いなる有縁社会なのだ。
戦後70年、すべての日本人は無縁社会を乗り越えるために、『本土復帰』ならぬ『沖縄復帰』するべきではないだろうか」



このコラムを書いた当時と同じく、わたしは翁長知事が基地に反対してきたことをはじめ、政治的な問題に立ち入るのは控えます。しかし、わたしがたまたま沖縄に来て、基地の前を通った日に翁長知事の訃報に接したことには、大いに感ずるものがあります。翁長知事の御冥福をお祈りいたします。

f:id:shins2m:20180809104740j:image
「琉球新報」2018年8月9日朝刊



2018年8月8日 一条真也