Hatena::ブログ(Diary)

佐久間庸和の天下布礼日記

2016-07-27



f:id:shins2m:20160626171100j:image



たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「病」です。



だれでも病は苦しいです。病院で医師から病気であることを告げられると、心は暗く落ち込みます。ましてや、その病気が難病であれば、絶望の底に沈むでしょう。病のままで人生を最後まで送る人もいます。病のために障害者として生き続ける人もいます。しかし、それでも、人は生きていきます。



中村久子もそんな人でした。明治30年に生まれ、難病による両手両足の切断という重い障害を抱えながらも、72年の人生をたくましく生き抜いた女性です。
飛騨高山の貧しい畳職人の家ではありましたが、久子は結婚11年目に生まれた子であり、両親の寵愛を一身に受けます。しかし、彼女が数えで3歳のとき、「突発性脱疽」という病気を患います。


肉が焼け、骨が腐り、体の組織が壊れてしまうという難病でした。医師からは、「両足を切断しなければならない。だが、子どものことだから、命の保証はない」と宣告されます。両親は「切らずに治してください」と医師にすがる一方で、父は藁をもつかむ思いで新興宗教に走ります。久子の治療費と集会所へのお布施で、一家は貧困を極めていきます。



ある日、久子のけたたましく泣き叫ぶ声に、母が台所から駆け込んでくると、白いものが転げていました。左手首がぽっきりと包帯ごと、もげて落ちていたのです。母はあまりの驚きと悲しみのために気を失いました。久子は病院に担ぎ込まれ、その月のうちに左手首、ついで右手首、次に左足は膝かかとの中間から、右足はかかとから切断されました。その後、何度も手術を繰り返します。



そのうち、父が亡くなり、母も病気になります。生活苦から見世物小屋に自ら入り、「だるま娘」として23年間も好奇の眼にさらされました。それでも、障害者には他に生きる道がないため、じっと運命に耐えました。そして、自分の力で人生を好転させていくのでした。独学で読み書きを覚え、本を読んで教養と精神性を高めました。



久子は生きる希望を絶対に捨てませんでした。結婚や出産、そして育児までをも立派にこなしました。両手がなくとも、料理も作り、裁縫までして生計を立てました。「奇跡の人」として知られるかのヘレン・ケラーが来日して、彼女に初めて面会したとき、「私より不幸な人、そして偉大な人」と涙を流しながら言ったそうです。



晩年は全国を講演して回り、障害者をはじめ多くの病で苦しむ人々に勇気を与え続けた中村久子。彼女は「人生に絶望なし」と強調し、日常生活においては「いのち、ありがとう」を口癖とし、常に感謝の心を忘れませんでした。ちなみに、久子が両手のないことで唯一の不便を感じたことは、神仏を敬うために、また感謝の心を表わすために両手を合わせて合掌ができないことだったそうです。



中村久子の壮絶な人生は、私たちに多くの勇気と知恵を与えてくれます。どうしようもない難関を前にしたときこそ、「いのち、ありがとう」という魔法の言葉によって「生」への感謝に集中することが大切だと思います。そんな極限状況こそ、人間としての腕の見せ所かもしれません。なお、「病」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月27日 佐久間庸和

2016-07-26

仏教者との対話



26日、東京に向かいます。監査役を務めている互助会保証株式会社の監査役会および取締役会に出席するためです。翌27日は、宗教学者の島田裕巳氏と「葬儀」をテーマに対談します。場所は、島田氏の仕事場のある六本木ヒルズです。「時は来た!」という感じです。
さて、「サンデー毎日」2016年8月7日号が出ました。表紙の「シン・ゴジラ」がド迫力!
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第41回目のタイトルは「仏教者との対話」です。

f:id:shins2m:20160723001652j:image
「サンデー毎日」8月7日号



横浜でトークショーに出演しました。パシフィコ横浜で開催された「フューネラルビジネスフェア2016」で、仏教界きっての論客で知られる村山博雅老師と「葬送儀礼の力を問う〜葬儀の本質とは」をテーマに対談させていただいたのです。
村山老師は、「萩の寺」として有名な曹洞宗の東光院(大阪府豊中市)の副住職であり、全日本仏教青年会の第18代理事長として活躍されました。2014年には「第1回世界仏教優秀指導者賞」も受賞されている日本仏教のニューリーダーの1人です。



本番前の打ち合わせから、村山老師とは多様なテーマでお話しさせていただきました。わたしは、「無縁社会」や「葬式は、要らない」などの言葉が登場した背景には、日本仏教界の制度疲労にも一因があるように感じています。よく「葬式仏教」とか「先祖供養仏教」とか言われますが、日本の仏教が葬儀と先祖供養によって社会的機能を果たし、また一般庶民の宗教的欲求に応えてきたという歴史的事実を認めないわけにはいきません。



対話の中では東日本大震災の話題も出ました。2011年の夏、東北の被災地は震災の犠牲者の「初盆」を迎えました。この「初盆」は、生き残った被災者の心のケアという側面から見ても非常に重要でした。通夜に始まって、告別式、初七日、四十九日・・・日本仏教における一連の死者儀礼の流れの中で、初盆は1つの大きな節目です。また、年忌法要そのものが日本人の死生観に合ったグリーフケア文化となっています。



今後も仏式葬儀は時代の影響を受けて変化せざるを得ませんが、原点、すなわち「初期設定」を再確認した上で、時代に合わせた改善、いわば「アップデート」を心掛ける努力が必要ではないでしょうか。初期設定といえば、仏式葬儀は村山老師も属される曹洞宗によって基本的なスタイルが確立され、発展してきました。それでは、アップデートとは何でしょうか?
まさか、アマゾンの「お坊さん便」ではないとは思いますが・・・。

f:id:shins2m:20160725183950j:image
「サンデー毎日」8月7日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月26日 佐久間庸和

2016-07-25




f:id:shins2m:20160626171226j:image



たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「老」です。



以前ローマを訪れたとき、ベストセラー『ローマ人の物語』の著者である作家の塩野七生氏にローマ人たちの「老い」について質問したことがあります。いったい、あれほどの繁栄を極めたローマ人たちは高齢者をどう見ていたのか。



答えはこうでした。17歳から45歳まで兵役が義務づけられていたローマ帝国においては、老人は文字通り「健康な精神は肉体に宿る」という理念を体現した人と見られていました。戦争の絶えなかったローマにおいて、幾多の戦闘をくぐり抜けて生き残ってきた老人たちは、それだけで強い肉体と意志と勇気と知恵をあわせ持った理想の人間として尊敬を受けていたといいます。そして、ローマ人たちの多くは、45歳を過ぎてから、政治家になって国家の要職についたり、商売をはじめたり、それぞれが豊かな第二の人生を歩んだとのこと。



パクス・ロマーナ」と呼ばれるローマの平和な時代は、高齢者にとっても生きがいの持てる幸福な時代でした。日本において「パクス・ロマーナ」のような平和な時代を求めるなら、何と言っても270年の長きにわたって続いた江戸時代があげられます。
江戸時代こそは、日本史に特筆すべき「老い」が価値を持った社会でした。儒教に基づく「敬老」「尊老」の精神が大きく花開きました。



徳川家康は、75歳まで生きたことで知られています。当時の平均寿命から考えると、老人として生きた時期がものすごく長かったわけです。当然ながら、家康は「老い」というものに価値を置きました。幕府の組織を作るにあたっても、将軍に次ぐ要職を「大老」とし、その次を「老中」としました。それぞれの藩でも、藩主を支える「家老」がいました。家康がいかに「老い」を大事にしていたかがよくわかります。



また、江戸の町人たちも古典落語でおなじみのように横丁の隠居を尊敬し、何かと知恵を借りました。江戸には、旦那たちが40代の半ばで隠居してコミュニティの中心となる文化があったのです。江戸にしろ、ローマにしろ、「老い」に価値を置き、高齢者を大切にする社会ほど長続きすることを歴史は証明しています。社会でも会社でも、若者がいて年長者がいて、はじめて健全であり、成り立ってゆくとされるのです。



かつて世間を大きく騒がせた「ライブドア事件」はなぜ起こったのか。いろいろと原因はあるでしょうが、私はこう思う。ずばり、ライブドアには会長や相談役がいなかったからではないでしょうか。つまり、あの会社には人生の経験豊かな年長者がいなかったということ。当時30代前半の社長の堀江貴文氏以下、みんな若かったのです。平均年齢も低く、そのぶん年代の厚みがありませんでした。アクセルを踏む若者ばかりで、ブレーキ役がいないとどうなるか。暴走ゆえに崖から転落する運命が待っているのではないでしょうか。
なお、「老」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月25日 佐久間庸和

2016-07-24



f:id:shins2m:20160626171301j:image



たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「生」です。



古代ギリシャの哲人ソクラテスは「一番大切なことは、ただ生きることではなくて、よりよく生きることである」と述べ、その弟子である哲学者プラトンも「人は、ただ生きるだけではなく、よりよく生きることを求める」と言いました。その「よりよく生きる」ためのエンジンとは、一般に「生きがい」と呼ばれるものでしょう。



ある意味でソクラテスやプラトンよりも深く「生きがい」について考え抜いた日本人がいます。名著『生きがいについて』を書いた精神科医の神谷美恵子です。彼女は瀬戸内海の小島にある、ハンセン病の国立診療所に勤務した際に、180名の男性患者に文章完成テストを試みました。すると、ほとんど半数の患者が「将来に何の希望も目標も持っていない」と記したといいます。「毎日、時間を無駄に過ごしている」「無意味な生活を有意義に暮らそうと、無駄な努力をしている」「退屈だ」などと書いており、無意味感に悩んでいることがわかりました。



しかし少数の患者は、「ここの生活にはかえって生きる味に尊厳さがあり、人間の本質に近づくことができる。将来、人を愛し、己の命を大切にしたい。これは人間の望みだ。目的だ」というふうに書いたといいます。何が両者の差を生んでいるのかと言えば、ずばりそれは「生きがい」です。神谷は「人間がいきいきと生きていくためには、生きがいほど必要なものはないし、人間にこの生きがいを与えるほど大きな愛はない」と感じました。



彼女は、「生きがい感」というキーワードをあげました。
そして、その特徴を次のように6つ紹介しています。
「生きがい感」とは、
1.人に生きがい感を与えるもの
2.生活を営んでいくための実益とは必ずしも関係はない
3.やりたいからやるという自発性を持っている
4.まったく個性的なものであって、自分そのままの表現である
5.生きがいを持つ人の心に、一つの価値体系を作る性質を持っている 
6.人がその中でのびのびと生きていけるような、その人独自の心の世界を作る
 



この中でも、私は特に5の「一つの価値体系を作る」ということが重要であると思います。結局、リーダー、それも経営者の最大の仕事とは、部下に「働きがい」を超えた「生きがい」を与えることに尽きます。リーダーシップの本質とは、意義あるビジネスを生み出すこと、さらに言えば、意義ある人生を生み出すことにあるのです。その最大の鍵は、「なぜ、この仕事をするのか」「なぜ、この会社で働くのか」という意味を部下に語り、その価値を部下に与えることが求められます。部下の心に、1つの価値体系を作るのです。そこから、部下の「生きがい」が生まれます。なお、「生」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月24日 佐久間庸和

2016-07-23

儀式は絶対になくならない




サンレーグループ報「Ray!」7月号が発行されました。
リアルタイムで、わたしの最新メッセージをお伝えいたします。
タイトルは、「儀式は絶対になくならない 人間には礼欲があるからだ!」です。

f:id:shins2m:20160721103116j:image
「Ray!」2016年7月号



●イチローの偉業
米大リーグ・マーリンズのイチロー外野手は、6月15日(日本時間16日)、サンディエゴで行われたパドレス戦で2安打をマークし、ピート・ローズが持つメジャー記録の4256安打を日米通算で上回りました。わたしは、偉業達成後の記者会見でイチロー選手が語った言葉にとても感銘を受けました。記者会見で、イチロー選手は、「子どもの頃から人に笑われてきたことを常に達成しているという自負がある」と明かしました。
小学生の頃、プロ野球選手になる夢を抱き、毎日コツコツ練習を重ねてきましたが、周囲からは「あいつ、プロ野球選手になるのか」と笑われたそうです。それでも愛知・愛工大名電高で甲子園に出場し、1991年にドラフト4位でオリックスから指名を受けると、1994年にプロ野球史上初のシーズン200安打以上を達成するなど一気にスターの座に駆け上がりました。



●笑われ続けたイチロー
2001年にイチロー選手が大リーグへ移った時は「首位打者になってみたい」と目標を掲げました。周りで真に受ける人は誰もおらず、彼は冷笑を受けました。しかし、そこからメジャー1年目で首位打者を獲得。2004年には262安打を放ちシーズン最多安打を84年ぶりに更新と、活躍を続けてきたのです。イチロー選手は、大リーグだけで通算4256安打を超える可能性について問われました。彼は、「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にあるので。これからもそれをクリアしていきたいという思いはもちろん、あります」と語りました。それを聞いて、わたしは感動しました。「50歳で現役」という高いハードルにも挑むことを公言しているイチロー選手ですが、もう、その言葉を笑う者はいません。



●「儀式バカ一代」をめざして
何を隠そう、このわたしだって、これまで、いろいろと笑われてきました。現在も、宗教学者の島田裕巳氏との対談本の刊行、あるいは、儀式の必要性を理論武装する『儀式論』の出版などに対して、「そんなことをしてどうする」と笑う人もいるでしょう。
もちろん、わたしの人生など、偉大なイチローの人生と比べられないことはよくわかっていますが、彼と同じ「なにくそ!」「今に見ていろ!」の精神で走り続けたいです。
北島三郎の「兄弟仁義」という歌の3番には、「ひとりぐらいはこういう馬鹿が居なきゃ、世間の目はさめぬ♪」という歌詞がありますが、そういった心境であります。
かつて、極真会館を創設した大山倍達は「空手バカ一代」と呼ばれました。
考えてみれば、宮本武蔵は「剣術バカ一代」ですし、イチローは「野球バカ一代」です。
ならば、わたしは、「儀式バカ一代」になりたい!



●豊かな人間関係が宝物
そして、記者会見で最も胸を打たれたのは、「アメリカに来て16年、これまでチームメイトとの間にしんどいことも多かったけど、今は最高のチームメイトに恵まれて感謝している」という発言でした。内野安打を含む単打を連発するイチロー選手の野球スタイルは、「チームに貢献していない」「打率狙いのセコい野球」などと酷評されてきました。おそらくはチーム内にもそんな空気があったのでしょう。しかし、42歳にしてようやく彼は「最高の仲間」を手に入れたのです。「真の贅沢とは人間関係の贅沢である」というのは、フランスの作家サン=テグジュペリの言葉であり、わたしの信条でもあります。イチロー選手は、お金も名声もすべて手に入れてきました。夢もすべて実現してきました。しかし、彼が最も欲しかった宝物とは「最高の仲間」であり、ついにそれを手に入れた感動の表れが会見の涙だったのではないでしょうか。



●儀式には普遍性がある
わたしは『儀式論』を書くにあたり、「なぜ儀式は必要なのか」について考えに考え抜きました。そして、儀式とは人類の行為の中で最古のものであることに注目しました。ネアンデルタール人も、ホモ・サピエンスも埋葬をはじめとした葬送儀礼を行いました。
人類最古の営みは他にもあります。石器を作るとか、洞窟に壁画を描くとか、雨乞いの祈りをするとかです。しかし、現在において、そんなことをしている民族はいません。儀式だけが現在も続けられているわけです。最古にして現在進行形ということは、普遍性があるのではないか。ならば、人類は未来永劫にわたって儀式を続けるはずです。
じつは、人類にとって最古にして現在進行形の営みは、他にもあります。
食べること、子どもを作ること、そして寝ることです。これらは食欲・性欲・睡眠欲として、人間の「三大欲求」とされています。つまり、人間にとっての本能です。
わたしは、儀式を行うことも本能ではないかと考えます。



●「礼欲」の発見
ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。わたしは、この人類の本能を「礼欲」と名づけたいと思います。人間には、人とコミュニケーションしたい、豊かな人間関係を持ちたい、助け合いたい、そして儀式を行いたいという「礼欲」があるのです。
金も名誉も手に入れたイチローが「最高の仲間」を得て涙したのも、この礼欲のなせるわざでしょう。この「礼欲」がある限り、儀式は永遠に不滅です。


人はみな人と交わり儀式する
        礼の本能もつものと知れ  庸軒


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年7月23日 佐久間庸和