老人安住社会へ

これから、スターフライヤーに乗って北九州に帰ります。
本日、サンレーグループ報「Ray!」3月号が刊行されました。
というわけで、リアルタイムで3月度の社長訓示を紹介いたします。
タイトルは、「老人漂流社会の到来 さあ、サンレーの出番だ!」です。


「Ray!」2013年3月号


●老人漂流社会
今年1月20日に放映されたNHKスペシャル「老人漂流社会」が話題を呼んでいます。
番組は、高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっているというショッキングな内容でした。一人暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなった高齢者。しかし、病院や介護施設も満床で入れません。そのために、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならないというのです。
超高齢社会を迎えた日本では、一人暮らしの高齢者、いわゆる「単身世帯」が今年で500万人を突破しました。「住まい」を追われ、「死に場所」を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めています。



●「無縁社会」の続編
この番組については、じつはNHKプロデューサーの板垣淑子氏から「ぜひ御覧いただきたいと思います」と書かれた直筆のお手紙を頂戴していました。板垣氏は、例のNHKスペシャル「無縁社会」のディレクターでもありました。互助会保証(株)の藤島安之社長(『無縁社会を生きる』の著者)のパナマ勲章伝達式の直後に開催された互助会保証主催セミナーで板垣さんが「無縁社会」をテーマに講演され、そこで初めてお会いしたのです。
NHKスペシャル「無縁社会」の中で、板垣氏の「独りでも安心して死を迎えられる社会」という言葉が紹介されています。この言葉には非常に共感しました。いたずらに「生」の大切さを唱えるばかりでは、社会を良くすることはできないからです。
この言葉は「無縁社会」の放映でも流れましたが、NHKがこういう言葉を堂々と放送するようになったことは喜ばしいことです。



●隣人館のオープン
そして、このたび放映された「老人漂流社会」は、まさに「無縁社会」の続編ともいうべき番組でした。番組の最後に登場する介護ヘルパーさんの「人を助けてあげて、いつか自分も助けてもらう」という言葉に感動しました。あれは、まさに「相互扶助」そのものです。
わたしは、わが社が高齢者介護事業に進出し、「隣人館」をオープンしたことは間違っていなかったと確信しました。昨年2月20日の「隣人館」の竣工式において、わたしは施主挨拶で、「これまでは社会に良いことをすると儲からないと言われていましたが、社会に良いことをしないと儲からない時代、企業が存続していけない時代になりました」と言いました。
わたしは、もともと「社会が直面している難問を解決していくことにビジネス・チャンスはある」と考えています。そして、老人漂流社会の解決こそはまさにこれに当てはまるケースです。



●社会的問題を解決する
現在、日本の高齢者住宅は、さまざまな問題を抱えています。民間施設の場合、大規模で豪華なものが多いですね。数千万円単位の高額な一時金など、金銭的余裕のある人しか入居できていません。また、公的施設の場合、比較的安価で金銭的余裕のない人でも入居はできます。しかし、待機者が多くて入居するまでに相当な年数がかかるなどの問題があります。さらに、高齢者はそれまで暮していた愛着のある地域を離れたがらない傾向があり、地域に根ざした施設が必要とされているのです。
わが社の「隣人館」の月額基本料金は78000円となっています。その内訳は、家賃:33000円、管理費:5000円、食費:40000円です。まさに究極の地域密着型小規模ローコストによる高齢者専用賃貸住宅なのです。



孤独死をさせない
当初は自社遊休地へ建設しますが、将来的には全国展開を図ります。また、食事の調理が困難な、一人暮らし、あるいは夫婦のみの高齢者世帯などへの「宅配給食事業」への参入も検討しています。その際は、高血圧や糖尿病などの症状のある方々にも配慮して、健康を意識したメニュー開発をめざします。
大事なポイントは、とにかく「孤独死をさせない」ということです。隣人祭りをはじめとした多種多様なノウハウを駆使して、孤独死を徹底的に防止するシステムを構築することが必要です。わたしは、日本で最も高齢化が進む政令指定都市である北九州市をはじめ、日本中に「隣人館」を作りたいです。その構想は各方面からも注目されています。新聞や雑誌の取材も多く受けましたし、先日は経済産業省の方々がわざわざ視察に来て下さいました。



●老人安住社会へ
隣人館にさえ入居すれば、仲間もできて、孤独死しなくて済む」を常識にしたいです。全国の独居老人は、どんどん隣人館に入居していただきたいです。わが社は、「礼」の心で高齢者介護事業に取り組んでいく覚悟です。隣人館の竣工式での施主挨拶の最後、わたしは「この地より新たな一歩踏み出さん 天下布礼の介護の道を」という短歌を詠みました。「独りでも安心して死を迎えられる社会」を実現させるために全力を尽くします。
「人は老いるほど豊かになる」という言葉が真理であることを証明するためにも、万人の終の住処である「隣人館」を全国展開して、孤独死をこの国から完全になくしたいです。
「老人漂流社会」を「老人安住社会」に変えなければなりません。それはそのまま互助会のイノベーションとなることでしょう。




さまよへる老いたる者を迎へ入れ
 最期看取らん終の住処で(庸軒)




*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年3月23日 佐久間庸和

冠婚葬祭は家族の絆

ブログ「サムシング・グレート」では、今年の1月度の社長訓示を紹介しました。なかなかの反響がありましたので、今度は2月度の社長訓示を紹介します。
タイトルは、「見えない縁を可視化する 冠婚葬祭こそ家族の縁だ!」です。


「Ray!」2013年2月号



●葬儀と成人式
新年早々に義父が亡くなりました。1月4日に訃報が届き、5日に通夜、6日に葬儀を行いました。義父は広島県に住んでいましたので、地元の互助会に入会し、滞りなく葬儀をあげていただきました。わたしは喪家の1人として、棺をかつぎ、火葬場で骨も拾いました。そして、セレモニーホールの担当者に何度も「ありがとうございます」とお礼を述べました。大切な家族の葬儀のお世話をしてくれて、心の底から有り難いと思ったからです。
また、13日には長女が成人式を迎えました。振袖を着ましたが、松柏園ホテルで着付と美容を行いました。ついこの前まで子どもだと思っていた娘の晴れ姿を見て、父親として感無量でした。わずか1週間の間に義父の葬儀と長女の成人式が行われ、非常にあわただしい中にも「家族の絆」というものを強く感じました。そして、冠婚葬祭互助会の存在意義を痛感しました。



小津安二郎が描いた冠婚葬祭
わたしたちは、さまざまな縁によって生かされています。
多くの縁の中でも最も重要なのが血縁です。結婚式、葬儀、そして成人式などの通過儀礼はすべて血縁の大切さを再認識させてくれます。
今年、2013年は、日本を代表する映画監督であった小津安二郎の生誕100周年です。「晩春」「麦秋」「お茶漬けの味」「東京物語」「早春」「彼岸花」「秋日和」「小早川家の秋」「秋刀魚の味」といった名作が有名ですね。
わたしは、昔から小津映画が大好きで、ほぼ全作品を観ています。
黒澤明と並んで「日本映画最大の巨匠」であった彼の作品には、必ずといってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。多くの作品でヒロインを演じた原節子は花嫁衣裳を着たり、喪服を着たりしました。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。



●冠婚葬祭は家族の思い出
紫雲閣グループでは、葬儀の最後に「思い出のアルバム」のDVDが流すことが多いですね。それらを観ると、故人が生まれたときの写真、子どもの頃、成人してからの写真。本人の宮参り、七五三、成人式、結婚式、そして、わが子の宮参り、百日祝いなどなど、冠婚葬祭の写真が多いことに気づきます。冠婚葬祭は家族との思い出そのものです。 わたしは、数年前に奥さんを亡くされたある社員のことを思い出しました。亡くなった奥さんも残されたご主人もともに30代前半の若さでしたが、葬儀の最後に思い出のDVDが流されました。ラストの写真は、幸せいっぱいの結婚披露宴のショットでした。その4年前に、松柏園ホテルで二人は結婚式をあげたそうです。そのときの参列者が、ほとんどそのまま当日の葬儀に来ていました。わたしは、家族の絆を結び、多くの方々との縁を再確認し、感謝の心を思い起す場として「結婚式」も「葬儀」も必要であると心の底から思いました。



●この世は縁に満ちている
現在の日本社会は「無縁社会」などと呼ばれています。
しかし、この世に無縁の人などいません。どんな人だって、必ず血縁や地縁があります。そして、多くの人は学校や職場や趣味などでその他にもさまざまな縁を得ていきます。この世には、最初から多くの「縁」で満ちているのです。ただ、それに多くの人々は気づかないだけなのです。わたしは、「縁」という目に見えないものを実体化して見えるようにするものこそ冠婚葬祭ではないかと思います。結婚式や葬儀、七五三や成人式や法事・法要のときほど、縁というものが強く意識されることはありません。
冠婚葬祭が行われるとき、「縁」という抽象的概念が実体化され、可視化されるのではないでしょうか。そもそも人間とは「儀礼的動物」ではないでしょうか。わたしは、かつて『葬式は必要!』(双葉新書)に、「冠婚葬祭やめますか、そして人間やめますか」と書きました。冠婚葬祭とは、人間としての存在基盤にほかならないのです。



●互助会の役割を知る
いま、冠婚葬祭互助会の社会的役割と使命が問われています。解約手数料の問題をはじめ、互助会というビジネスモデルが大きな過渡期にさしかかっていることは事実でしょう。
その上で、わたしは、互助会の役割とは「良い人間関係づくりのお手伝いをすること」、そして使命とは「冠婚葬祭サービスの提供によって、たくさんの見えない縁を可視化すること」に尽きると思います。そして、「縁っていいなあ。家族っていいなあ」と思っていただくには、わたしたち冠婚葬祭業者が本当に参列者に感動を与えられる素晴らしい結婚式やお葬儀を、1件1件お世話させていただくことが大切だと思います。
その上で、互助会が「隣人祭り」などの新しい社会的価値を創造するイノベーションに取り組めば、無縁社会を克服することができるのではないでしょうか。
「豊かな人間関係」こそ冠婚葬祭事業のインフラであり、冠婚葬祭互助会は「有縁社会」を再構築する力を持っています。これからの時代、冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命はますます大きくなるでしょう。わたしは、そのように思います。




目に見えぬ縁と絆を目に見せる 
 素晴らしきかな冠婚葬祭(庸軒)




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2013年3月23日 佐久間庸和