ワーテルローの思い出

ブログ「オランダの思い出」ブログ「ベルギーの思い出」を読まれた方はわかるでしょうが、昨年9月の欧州視察は仕事オンリーでした。しかし、最終日だけは観光でワーテルローに行きました。ワーテルローは、ベルギーのブラバン・ワロン州基礎自治体です。世界史を学んだ者で、「ワーテルロー」の地名を知らない者はいないでしょう。


陽光に輝くワーテルローの「ライオンの丘」

ライオンの下に立ちました



1815年6月18日にナポレオン・ボナパルト率いるフランス帝国軍は、同盟軍(イギリス・プロイセンなど)に大敗しました。その戦いが「ワーテルローの戦い」と呼ばれます。ただし、ワーテルローは戦場ではなく、イギリス軍の司令部の所在地でした。
そのイギリス軍の司令官ウェリントン公が、「ワーテルローの戦い」の命名者でした。
わたしたちが訪れたのは、ワーテルロー南南東5kmのモン・サン・ジャンです。ここには、記念碑、通称「ワーテルロー・ライオン」があり、ライオン像がフランスを向いています。記念碑のある人工の丘は「ライオンの丘」と呼ばれます。


「ライオンの丘」頂上からの眺め



観光名所の丘には階段で登ることができ、わたしたちも登りましたが、昼食後でワインをかなり飲んでいたこともあり、正直きつかったです。
丘の上の眺めは最高で、ナポレオンの時代を偲ばせます。
「人間界の奇跡」と呼ばれ、あれほど強かったナポレオンも、この地で敗れ去りました。わたしは、丘の上からの眺めを見ながら、「滅びないものなどない」と改めて思いました。そして、「正しければ滅びてもよいのだ」と思い至りました。隣を見ると、今回のミッションの団長である互助会保証の藤島社長も感慨深げに丘からの景色をながめておられました。
ブログ『無縁社会を生きる』で紹介した本を書かれた方です。


ワーテルローの戦い」のジオラマ

ナポレオンの肖像画



丘から下りて記念館のような場所に入ると、「ワーテルローの戦い」のジオラマがありました。また、出口にはナポレオンの肖像画が飾られていました。もう二度と来ることもないでしょうが、ナポレオンゆかりの世界史に残る場所で業界や会社の未来について考えることができました。
なお、帰りに売店で「ワーテルローの土」を記念に2個求めました。1個は甥へのおみやげにして、もう1個は自宅の書斎に置いてあります。


記念に求めた「ワーテルローの土」



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年3月30日 佐久間庸和