思いやりが基本

論語塾」の第12回は、「思いやりがすべての基本」です。
1年間にわたって『論語』について話してきましたが、今回で最終回となります。
孔子が一番言いたかったことは「思いやり」の大切さではないでしょうか。「思いやり」をブッダは「慈悲」、イエスは「隣人愛」として説きましたが、孔子においては「仁」でした。


「リビング北九州」2013年4月27日号



「仁」は、儒教において最高の徳目とされています。『論語』には「仁」がたくさん出てきますが、仁という言葉自体は孔子以前にも使われています。
詩経』にある古い歌では、男性の立派さ、美しさを表す語として用いられていました。
孔子はこの仁を、より広く深く進化させました。
論語』には、次のようにあります。
「樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す」〈顔淵篇〉
「仁とは何か」という弟子の質問に対して、孔子は「人を愛することだ」と答えています。



また、『論語』には次の言葉もあります。
「子貢、問うて曰わく、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子の曰わく、其れ恕(じょ)か。己れの欲せざる所、人に施(ほどこ)すこと勿(な)かれ」〈衛霊公篇〉
「生涯それだけを実行すればよい、一言があるだろうか」と弟子が尋ねたとき、孔子は「まあ恕だね。自分の望まないことは人にしむけないことだ」と答えました。
この「恕」も「思いやり」のことです。



あるいは、曾参が「夫子の道は忠恕のみ」と述べた「忠恕」もこれと同じです。
真心からの思いやりも、仁であると言えるでしょう。
このように、孔子が唱えた「仁」の重要な側面として、愛とか思いやり、あるいは真心からの思いやりと表現できるものがあり、これは愛の仁=仁愛などと呼ばれています。



その一方で、『論語』には次の言葉もあります。
「顔淵、仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す」〈顔淵篇〉
自己の私心を克服して礼に立ち戻ることが仁だ、とも孔子は説いています。厳しく自己規制して規範を守ることも仁なのです。



孔子は、人間が「社会の中で幸せに生きる」方法を考え続けた人です。そして、「仁」という思いやりこそ、すべての人が持つべき心のあり方であると思い至りました。
ただし、思いやりは目に見えません。それを目に見せる方法こそが、挨拶やお辞儀といった「礼」です。そう、仁は「こころ」であり、礼は「かたち」。
仁と礼があれば、人は幸せに生きていける。これが孔子のメッセージなのです。
全部で12回にわたった「論語塾」は、『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)の内容をベースとしています。コラムを読んで興味を持たれた方は、ぜひ本をお求め下さい。


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年4月27日 佐久間庸和