ヘレン・ケラー(1)


耳の聞こえない人が聞こえることに感謝し、
  目の見えない人が世界にある恵みを悟る





言葉は、人の人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、「奇跡の人」と呼ばれたヘレン・ケラーの言葉です。
1880年に生まれ、1968年に没した彼女は、アメリカの教育家、社会福祉活動家、著作家です。見えない、聞こえない、話せないという「三重苦」の障害を背負いながらも、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に尽くしました。彼女は「耳の聞こえない人が聞こえることに感謝し、目の見えない人が世界にある恵みを悟る」という言葉を残しています。


奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)


彼女は現象的には。三重苦の世界にいたのかもしれません。
しかし、誰よりも豊かな心の世界に生きていたように思います。
わたしたち人間には、ふつう「五感」というものが備わっています。
説明するまでもなく、五感とは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の5つの感覚器官を通して受ける感覚です。仏教においては、眼・耳・鼻・舌・身の「五識」をいいます。「五感を使う」などと言うと、「ふだん見たり、聞いたりしていることではないのか。別に、ことさら問題にすることではない」と答える方も多いでしょう。しかし、果たして、わたしたちは本当に見ていて、見えているのでしょうか。あるいは、本当に聞いていて、聞こえているのでしょうか。



あなたは、自分の部下や後輩の顔にホクロがあることを覚えているでしょうか。顔の右にあるか、左にあるか、それとも額にあるか。毎日見ていてもわからないというのは、やはり見ていないのです。意識されないホクロは見えないのです。
また、うわの空では、他人が何を言っても聞こえないでしょう。
音としては、確かに聴覚に入ってきているのでしょうが、意識がこれをキャッチしていないのです。はっきり言って、こういう人は五感を使っていない人なのです。



ヘレン・ケラーは、あるとき、森を散歩してきた友人に「何を見てきたの?」と尋ねました。ところが、その友人は「別に何も」という返事をするだけでした。
彼女は驚きました。「いったい、そんなことがあるのか」と。
彼女は、“THREE DAYS TO SEE“という一文の中で、もし自分に3日間だけ「見る」ことが許されたら、何を見たいのか書いています。それによると、まず初日には、アン・サリバン先生を見る。それはただサリバン先生の顔や姿を見るのではなく、先生の思いやり、やさしさ、忍耐強さといったものを読み取るために「じっと見る」のだというのです。また、赤ん坊、親しい人々を見て、さらに森を散歩して、沈む夕日を見て、祈るというのです。
2日目の早朝は、雄大な日の出を見て、さらに美術館で人間の歴史を眺めてみたいといいます。美術作品を通して、人間の魂を探りたいのです。そして夜には、すでに認識の上では「見た」ことのある映画や芝居を、本当に見てみたいというのです。
3日目、再び雄大な日の出から始まり、ニューヨークという活気ある街とそこで働く人々に目を向けます。橋・ボート・高層ビルを見て、ウインドウ・ショッピングを楽しみます。そして夜は、再び劇場で人生ドラマを楽しみたいといいます。



ヘレン・ケラーのこの切ない願いを知って、みなさんはどのようにお感じでしょうか。わたしは、泣けて泣けて仕方がありませんでした。そして、自分が五感で何も感じていないことを心から深く反省しました。わたしたちは、3日間といわず、何日間でも目が見えるのです。見えることが、かえって見えることの素晴らしさを忘れさせていることは事実でしょう。
しかし、せっかく見えるのです! 聞こえるのです!
このことに素直に感謝し、家族や周囲の人たちの声をもう一度聞きたいものです。
もう一度、すべてのことを感じてみようではありませんか。


ヘレン・ケラー 光の中へ

ヘレン・ケラー 光の中へ


自身は目が見えずに光とは無縁の世界に生きながらも、多くの人々に希望の光を与え続けたヘレン・ケラー。彼女が心の支えにしていたのは、スウェ―デンの偉大な神秘主義者であるイマニュエル・スウェデンボルグの思想でした。
そのことは『ヘレン・ケラー 光の中へ』鳥田恵訳(めるくまーる)という本に詳しく紹介されています。なお、同書の序文を書いているのは、宗教哲学者の鎌田東二氏です。
19世紀に「人間界の奇跡」と呼ばれた人物が世界に2人いました。1人は、最下層の階級から出てヨーロッパを支配したナポレオン・ボナパルト、そしてもう1人がヘレン・ケラーです。そのヘレン自身は、「20世紀の三大重要人物は誰と思うか」と質問されたことがあります。その問いに対して、彼女は、エジソンチャップリン、レーニンの3人の名を挙げたそうです。



「奇跡の人」と呼ばれたヘレンは、世界的な有名人となりました。
しかし、そんな彼女を快く思わない者も少なくありませんでした。
日本の外交官・政治家であった重光葵の手記『巣鴨日記』によれば、巣鴨プリズンに収監されている元将官たちの中には、ヘレンのニュースが耳に入ってきた際、ヘレンのことを「あれは盲目を売り物にして居るんだよ」と吐き捨てるように言い放つ者もいたそうです。このことに関して重光は「彼等こそ憐れむべき心の盲者、何たる暴言ぞや。日本人為めに悲しむべし」と元将官たちを痛烈に批判し、その見解の偏狭さを嘆いています。



ヘレン自身は大変な親日家でした。幼少時の彼女は、塙保己一を手本に勉強したといいます。塙保己一とは、失明しながらも『群書類従』『続群書類従』の編纂という一大事業を成し遂げた江戸時代の国学者者です。ヘレンは、塙のことを母親から言い聞かされていたそうです。また、成人して来日した際には、四肢切断の身体障害者であった中村久子と面会し、彼女のことを「わたしより不幸な人、そして偉大な人」と讃えました。中村久子に対するこの言葉からは、ヘレンの謙虚で偉大な人格がわかります。なお、今回のヘレン・ケラーの名言は、『孔子とドラッカー新装版』(三五館)にも登場します。


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年5月13日 佐久間庸和