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佐久間庸和の天下布礼日記

2013-06-03

上杉謙信(1)





第一義




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、戦国武将の上杉謙信の言葉です。
名将として知られる謙信は、とにかく「信義」の人でした。
最大のライバルであった信玄でさえも、死の床で「甲斐国に何かあったら謙信を頼れ」と言わしめたほどです。その謙信は「第一義」という言葉を座右の銘にしていました。

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上杉謙信が唱えた「第一義」



謙信が熱心な仏教信者であったことはあまりにも有名です。
その彼が掲げた「第一義」とは、仏教の開祖ブッダが悟った万物の真理のことを指します。
仏教の教えの中でも、謙信は特に禅の教えを重視しました。信義に厚い謙信の生き方も「第一義」の言葉も、禅の思想から生まれたものとされています。
そして、その背景には「達磨大師と梁の武帝の問答」というものがありました。



達磨大師は、5世紀頃インドに生まれ海路中国に入り初めて禅を伝えたとされるところか達磨大師は、5世紀頃のインドに生まれ、海路中国に渡って初めて禅を伝えたとされる人物です。その達磨大師が中国の梁の皇帝である武帝(464〜549)と問答したとされています。武帝は深く仏教に帰依しており、数十万の禅尼に供養したり、大寺院を建立したりしています。彼は、インドから偉い禅僧が来たというので、早速宮中に招いて問答を行いました。
まず、武帝は自身の仏教への信仰心の深さと、寺院建立をはじめとした支援政策、さらには民に対しても慈悲をもって接していることなどを述べました。ところが、自らの徳の高さをとうとうと自慢する武帝の話に、達磨大師はまったく興味を示しません。



そこで武帝が「如何なるか聖諦(しょうたい)の第一義」と達磨大師に尋ねます。
これは「仏法最高の真理、悟りの境地とはどんなものですか」という意味です。
達磨は「廓然無聖(かくねんむしょう)」と答えます。
これは「カラリとして何のありがたいものもない」という意味です。
それを聞いた武帝は「朕に対する者は誰ぞ」と言います。
「そういう、わたしの目の前にいるお前さんは誰なのだ」というわけです。
達磨は「不識(ふしき)」と一言答えます。「知らん」というのです。
これが、有名な「達磨大師と梁の武帝の問答」です。
その後、達磨大師は魏の国の嵩山少林寺に去ってしまったとされています。
少林寺拳法の発祥で知られる寺院ですね。そう、少林寺拳法の創始者も達磨だとされているのです。
その少林寺で、達磨大師は座禅三昧の日々を送りながら、真の求道者が現れるのをひたすら待ったとか。



さて、「達磨大師と梁の武帝の問答」において達磨が言いたかった真意とは何でしょうか。
それは、「禅とは言葉の教えではない。心と心の触れ合いであり、尊いブッダの心を受け継ぐことである。真実の教えは厳然として、いつでも、どこにでも在る。それをもっともらしく見せびらかすものではない」といったところではないかと思います。

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林泉寺山門の扁額「第一義」



その後、戦国時代の日本において、上杉謙信と林泉寺の和尚である益翁宗謙が「不識」という言葉について問答を行います。和尚は、「達磨大師が『不識』といった意味は何か」と謙信に鋭く迫ります。しかし、若き日の謙信はこの難問に答えられませんでした。それ以来、謙信は寝ても覚めても「不識」の意味について考え抜きました。
そして、あるとき、ハッと悟りを得、直ちに和尚のもとに趣いたのです。



和尚は越後に君臨する謙信と武帝を重ね見ていました。
そして、次のように思っていたのです。
為政者は民に対して「あれもしてやった」「これもしてやった」と思ってはならない。それは「欲の心」に過ぎない。梁の武帝は仏を利用して自分の存在をアピールしたが、謙信は武帝のような権力者になってほしくない。民あっての為政者であることを肝に銘じて、謙虚な心を忘れてほしくない、と。その和尚の心を理解した謙信は、林泉寺に山門を建立した際、「第一義」と大書して刻んだ大額を掲げました。

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林泉寺境内で売られている「不識達磨」



後に「不識庵」や「不識院」と称したのも、宗謙和尚との問答を会得したことに由来します。
さらには、「謙信」と名乗ったのも宗謙和尚のお弟子の礼をとられたことによるものです。
不識庵」といえば、「ベスト50レビュアー」こと、不識庵さんの名前が浮かびます。
彼は出身地である上越の英雄・謙信公を心から敬愛し、この名をアマゾンのハンドルネームとされました。彼のブログ「不識庵の面影」には謙信公への熱い想いが溢れていますが、「不識庵の由来」という記事にもそれがよく現れています。

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第一義扇子



最後に、謙信が「第一義」としたブッダによる万物の真理とは何か。それは、『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)にも書いたように、「すべては諸行無常であり、何ものにもとらわれてならない」ということではないでしょうか。
ゴータマ・ブッダこそは、この地上に肉体を置きながら、その精神は地球の重力圏を飛び出してはるか宇宙空間にまで至った人だと思います。考えてみれば、人間の持つ「煩悩」や「執着」などは心の重力そのものではないでしょうか。また、生まれや民族や国籍なども一種の重力だと言えるかもしれません。人間はさまざまな重力に縛られ、自由を奪われ、悩み苦しむのでしょう。ブッダこそは王子という身分も家族も故郷もすべて捨て去り、ひたすら真理を求めて修行した人でした。自分が人間であるということにさえ囚われず、生きとし生けるものすべての幸福を願う究極の平等を追求しました。ついには宇宙的真理を獲得しました。完全に地球人のレベルを超越したブッダこそは、人類最初の宇宙人だと言えるでしょう。
そして、ブッダが悟った宇宙の真理を「第一義」として掲げた謙信もまた、宇宙人をめざした人だったと思います。 

図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)

図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年6月3日 佐久間庸和