インド講話

東京に来ています。台風18号の影響で豪雨です。
14時から神谷町の互助会保証(株)で「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」が開催され、わたしも参加しました。とにかく凄い雨で、タクシーから降りたとたんにビショ濡れになりました。


東京はすごい雨でした

研究会のテーマは「インド」でした



今日の研究会のテーマは「インド」でした。
研究会では、来年2月にインドに現地調査に行く予定なのです。
韓国、台湾、ベトナムミャンマーに次いで、ついにインドに至るといった感じです。現地では、仏教やヒンドゥー教の聖地を巡ります。


インドの結婚式について説明して下さいました

動画でも説明して下さいました



14時半からは、「インド講話」として、経済産業省製造産業局産業機械課の課長補佐である深宮氏が講演をして下さいました。深宮氏のお話は多岐にわたって、わかりやすく、大変勉強になりました。特に、インドの結婚式については動画も使って説明して下さいました。


大雨のエリア・メールに驚きました



講演の途中で、参加者たちのケータイが鳴り始めて驚きました。
見ると、港区のエリアメールで大雨の避難情報でした。
東京で地震のエリアメールは経験しても、大雨は初めてです。


資料も充実していました



講演後の質問コーナーでは、わたしはカースト制度の現状などについて質問させていただきました。深宮氏のお話は非常にポイントを得て、わかりやすかったです。資料も充実して、深宮氏には心より感謝いたします。


小谷みどりさんから新著を頂戴しました



この日は「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」平成27年度の第1回研究会でしたが、わたしは引き続き副座長を拝命しました。もう1人の副座長は、第一生命経済研究所の主任研究員である小谷みどりさんです。小谷さんからはこの日に刷り上がったばかりという著書『だれが墓を守るのか』(岩波ブックレット)を頂戴しました。小谷さん、ありがとうございます。わたしも『墓じまい・墓じたくの作法』(青春新書インテリジェンス)を送らせていただきます!


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年9月9日 佐久間庸和

恩師の訃報


東京に来ています。8日の夜に飲んでいたら、妻からケータイにメールが届きました。どうせ「あまり飲みすぎないで」みたいな内容かなと思って見ると、大学のゼミの恩師が亡くなったという連絡で驚きました。恩師は孫田良平先生というのですが、御遺族からの葉書が自宅に届き、先生が亡くなられたことが記されていました。葬儀は親族のみで8月28日にすませられたそうです。直筆の死亡通知書をコピーして知り合いに送って下さいというのが遺言だそうです。香典やお花や訪問を固く辞退しますとも書かれていました。それを見て、涙が出ました。


わが結婚披露宴で祝辞を述べられる孫田先生



わたしは、孫田先生には大変お世話になりました。
わたしの結婚披露宴にも来ていただき、祝辞を述べていただきました。
著書をお送りするたびに、いつも丁重な直筆の礼状を頂戴しました。
2011年の3月に『隣人の時代』(三五館)をお送りしたところ、お礼の葉書が届いたのですが、本の感想を含む便箋5枚におよぶ丁重な礼状をいただきました。恐縮しました。


孫田先生からの手紙



先生は1920年(大正9年)1月8日のお生まれですから、享年95歳でした。以前から「ドラッカーに似た方だな」と思っていましたが、奇しくもドラッカーとまったく同年齢でこの世を旅立たれました。2011年、先生が92歳のときに心筋梗塞で倒れられたとお聞きし、大変心配しました。でも、無事に退院されたと聞き、安心しました。『隣人の時代』をお送りしたのは、先生が退院された直後だったようです。先生はご自宅で静養されながら、ありがたいことに、同書をじっくりお読み下さったそうです。先生は、お手紙に「読後感は大へん嬉しい想いです」と書いて下さいました。特に、同書で取り上げられている「孤独死」の問題に触れられていました。


隣人の時代―有縁社会のつくり方

隣人の時代―有縁社会のつくり方

じつは同書を読まれた頃に、先生の戦友の方が孤独死をされたそうです。
戦時中、その方は京大生でしたが、早大生だった先生と同じく学徒出陣をされました。
戦後の抑留でも一緒でした。その方は奥様に先立たれて十数年独り暮しをされていました。定年後、持ち前の語学力を生かして特許事務所で外国特許取得業務をされていましたが、85歳で引退され、先生とは、ときどき新橋の料理店で会われていたとか。
それが最近、その方の階下に住む人から長女(その方は西東京に独居、長女は港区住まい)に「新聞が3日分溜まっている」との知らせがありました。
急いで駆けつけたところ、その方は寝姿で亡くなっていたとのことです。
検査医はこれを「心筋梗塞による死」として処理しましたが、孫田先生は「これも孤独死」とされ、「知らせた隣人も三日間放置していた、カギも預りながらとみれば『隣人にも距離あり』です」と書かれていました。



さらに孫田先生は、お手紙に次のように書かれていました。
「お書きになった問題は想像以上に意味ある問題提起です。今度の津波激震災害は被害の方々すべて避難所で隣人、新人間関係にゆくりなくも入るわけですが、普段の心構えがないと『新隣人』『新友人』になれません。どの人も縁を感じる心をどう育てるか、新しい課題です。IT時代の『見かけ友達 ホントは他人』も課題です。面識もない通信友達(感)ですから」
わたしは、これを読んで、「うーん」と唸りました。
まさに、現代の日本人が直面している問題がここに書かれています。
孫田先生は、昭和19年の早大政経学部卒業生の会をはじめ、政経ジャーナリストと研究者の会など、多くの会を立ち上げられ、自ら幹事役を務められてこられたそうです。
いずれの会も「新奇無縁の人が親友となる会でした。オトナになっても縁の会となる例でした」とのことです。本当に素晴らしいことだと思います。



ずっと、孫田ゼミのOBによる「産業政策研究会」という勉強会が続いていました。
わたしもよく案内をメールでいただくのですが、東京から離れているため、なかなか参加できません。会場は、四ッ谷駅前の「しんみち通り」にあるルノアール内「マイ・スペース」だそうです。わがホームベースである三五館のすぐ近くですので、いつか機会を見て参加させていただきたいと考えていました。しかし結局、一度も参加することができませんでした。悔いが残りますが、ブログ「三五館訪問」に書いたように、三五館そのものも移転してしまいました。その新しいオフィスを昼間訪れた日の夜に先生の訃報が届いたのも不思議な縁ですね。



孫田先生は、わたしにとって「人生の師」とも言える方でした。
日本における労働問題の第一人者で、ゼミでも「労働賃金」をテーマとされていました。
あるとき、卒論のテーマが話題となり、孫田先生は次のように言われました。
「誰か、三浦梅園の『価原』をテーマに選んでくれませんか?
いつか自分でも研究したいのですが、なかなか時間が取れなくて・・・」
それを聞いた瞬間、わたしは「何がなんでも、『価原』をやろう!」と思いました


梅園全集

梅園全集

江戸時代の国東半島に生まれた自然哲学者・三浦梅園の経世論である『価原』は、おそろしく難解な書物でした。しかし、歴史的にも非常に重要な本でした。
日本で初めて、「米ではなく貨幣で武士に給与を払うべし」と主張した本なのです。
架空の島を設定していることから、トマス・モアの『ユートピア』を連想し、知恵熱が出るほど構想に苦しみながら、卒論の提出締切り日の前夜に、ほぼ一夜漬けで書き上げました。
その題名は、「三浦梅園『価原』における賃金思想と経済学的ユートピア」。
孫田先生は非常に喜ばれ、わたしの卒論に最高点である98点をつけて下さいました。この卒論はけっこう話題になり、「週刊朝日」にも紹介されたほどです。全体の構成案を極限まで考え抜き、一気に書くというスタイルは、わたしのその後の執筆活動に確実に影響を与えたと思います。このときの孫田先生の喜ばれた顔が忘れられません。そういえば、松岡正剛氏のオフィスで松岡氏と田中優子氏に初めてお会いしたとき、卒論で『価源』について書いたと申し上げたところ、お二人が非常に驚いたような表情をされたことを記憶しています。


老福論―人は老いるほど豊かになる

老福論―人は老いるほど豊かになる

その後、1989年5月20日に小倉の松柏園ホテルで開かれたわたしの結婚披露宴に、孫田先生はわざわざ東京からお越し下さり、祝辞を述べて下さいました。
住まいは離れても、ずっと年賀状だけは交換させていただいていました。
たしか2004年頃に、孫田先生の教え子たちが集って先生を囲む会が東京・有楽町の「ホテル西洋銀座」で開かれました。わたしも参加させていただきました。
ゼミで同期だった青山フラワーマーケット社長の井上英明君も一緒でした。



久しぶりでお会いした孫田先生は、80代半ばであったにもかかわらず矍鑠とされていて驚きました。ビシッとした礼服を着られ、「今日は、わたしの生前葬だと思って、やって参りました」と挨拶され、それから1時間の講義を立ったままでされました。
孫田先生の姿に「人は老いるほど豊かになる」と感じたわたしは、小倉に戻ると、『老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)を先生に送らせていただきました。
すると、しばらくして先生から丁重なお手紙が届きました。
そこには、本のお礼と詳細な感想が書かれていました。


恩師からの手紙に感激したわたしは、その後も著書が出るたびに、送らせていただきました。あるとき、先生から「くれぐれも作文社長にはなるな」という戒めの言葉を頂戴し、思わず背筋を伸ばしたこともありました。
また、2006年の年賀状で、孫田先生は次のように書いて下さいました。
「この人心が荒れた世の中で、直接の人的サービスを提供できる仕事は最高です!」
わたしは、この一文の本当に感動し、大いに励まされました。
わが社の社員にも広くこの言葉を紹介しましたし、社内報にも書きました。本名の「佐久間庸和」で書いた『ハートフル・カンパニー』(三五館)の409ページに先生の言葉が紹介されています。92歳の高齢でありながら、大昔に教えた教え子にわざわざ直筆で便箋5枚もの手紙を書かれる孫田先生を、わたしは心から尊敬しています。
そこには、わが社がミッションとしている「人間尊重」の精神があります。



孫田先生から教わった労働賃金の細かいところは忘れてしまいましたが、「労働者も人間であることを経営者は忘れてはならない」という根本的思想はよく憶えています。
それは、わたしが敬愛するピーター・ドラッカー賀川豊彦にも通じる考え方でした。
わたしは、孫田先生のゼミで学ぶことができ、本当に幸せでした。
卒業して四半世紀が経っても、教え子に素晴らしいアドバイスを下さるとは、まさに最高のアフター・サービスでした。わたしも大学の客員教授などをさせていただいていますが、学生に対して、孫田先生のような「人間尊重」の態度で接したいです。
孫田先生、これまで本当に御指導ありがとうございました。



本当は黒澤明の「まあだだよ」のようなイメージで教え子一同で先生をお送りする夢を持っていたのですが、よく考えたらもう10年も前に先生は生前葬を終えてらっしゃいました。今はただ、心より御冥福をお祈りするばかりです。わたしは、先生のことをけっして忘れません。
あちらの世界で先生に褒めていただけるように社会に役立つ人間になるよう努力したいと思います。孫田先生、95年間大変お疲れ様でした。いつか、またお会いいたしましょう!



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2015年9月9日 佐久間庸和