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佐久間庸和の天下布礼日記

2015-11-10

現代社会の中で死と向き合う




10日の朝、北九州空港からスターフライヤーに乗って東京に行きました。
東京に着くと、そのまま渋谷にある國學院大學に向かいました。
ブログ「國學院大學オープンカレッジ特別講座」で紹介したように、昨年11月11日に一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会・互助会保証株式会社の共催による「國學院大學オープンカレッジ」の最終回に登壇し、「終活」をテーマに特別講義を行わせていただきました。

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國學院大學にて



10日に開催されたオープンカレッジは、2クール目の最終講義でした。
作家で僧侶の玄侑宗久先生が「現代社会の中で死と向き合う」というお話をされました。
玄侑先生とわたしはともに「京都大学こころの未来研究センター」連携研究員を務めており、シンポジウムなどでお話はよく伺っております。ブログ「『こころの再生』シンポジウム」で紹介したパネルディスカッションでは共演もさせていただいています。

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玄侑宗久國學院の教壇に立つ!



今朝、わたしが「今日は御講演ありがとうございます。とても楽しみにしています」と玄侑先生にメールを差し上げたところ、「バリ島に行く前日の忙しいときに、ありがとうございます。國學院は初めてお邪魔するので、楽しみにしています」との返信を頂戴しました。
また、玄侑先生はブログ「『寺院消滅』に思うこと」で紹介した日経電子版のコラムを読まれて、「お寺や神社が相互扶助システムというのは、全くそのとおりですし、私は御葬式のときの具体的な相互扶助こそ大切だと考えています。たとえばフィリピンの田舎のように、葬儀費用を捻出するための賭場開帳など、バリにはどんなシステムがあるのか、どうぞその点も視察してきてください。大阪などで行なわれている板シキビなどのやり方も面白いですよね」とメールに書いて下さいました。ありがたいことです。現代日本の仏教界を代表する現役僧侶である玄侑先生の特別講義は、法話のように聴きやすかったです。

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法話のように聴きやすい講義でした



この日、玄侑先生は以下のような内容を話して下さいました。
■ネオ・リベラリズムの潮流、格差の拡大。
■商品としての葬儀、葬祭。ニューパッケージ。
■「個人化」と「帰属意識」。
■帰属先としての「あの世」。
■「あの世」へ案内する「お迎え」現象。
■「アミターバ」
■岡部健医師と臨床宗教師。
■戦いでない、自然な死を迎えるために。
■瞑想による体験。

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今日のオープンカレッジのようす



玄侑先生は死後のガイドブックとして、源信の『往生要集』や『チベットの死者の書』などについて言及した後、自らがお書きになったブログ『アミターバ 無量光明』で紹介した名著も紹介されました。この本は「死後の生」がテーマですが、もはや臨死を超えた「死後体験」が生き生きと描写されているのです。自身の葬儀の場面なども故人が詳しく観察し、報告しており、これはもう前代未聞ではないでしょうか。


それも、「闘病」「死ぬ瞬間」「死後の世界」といったように区切って書かれているわけではありません。主人公の意識は変化を遂げつつも、あくまで1人の人間としての思いや考えや体験がそのまま連続して語られているのです。
病と治療の痛みに耐えて過ごす時間があるかと思えば、亡くなった夫が病室にやってきたり、娘婿の僧侶と来世について語り合ったりします。また、天使のような少女が現れたり、死を迎えて光となって残された者たちの間を舞ったり・・・・・すべてが連続しているのです。

アミターバ―無量光明 (新潮文庫)

アミターバ―無量光明 (新潮文庫)



これは、意識が次第に変容していくという「変性意識(アルタード・ステーツ)」を扱った小説としても第一級の作品であると思います。特に、主人公の病が進行するにつれて、時間の感覚が揺らいでいく場面が見事です。過去と現在、夢と現実が交錯する様子をこれほどさらりと書いてしまう著者の筆力にも脱帽ですが、主人公が「意識がない」状態でありながら痛みの表情を顔ににじませる場面などをはじめ、実際に死に逝く人を目前にしたことのある人なら、思い当たるところが多いのではないかと思います。

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國學院で、柳田vs折口の論争を紹介!



玄侑先生のお話はどれも興味深い内容ばかりでしたが、わたしは特に、「死後に『わたし』というまとまりはあるのか?」という話が強く心に残りました。これは、柳田國男折口信夫の大論争に発展した問題で、柳田は「死後も個性は存続する」と述べ、折口は「死後の霊魂は集団化する」と述べたのです。このエピソードはいかにも國學院にふさわしい話題であり、玄侑先生の一流のサービス精神の表れであると感じました。
玄侑先生は「折口の死生観には老荘思想的な要素がある」とも言われていましたが、これにはハッとさせられました。たしかに、折口は老荘的かもしれません。そして、「現代の折口信夫」であろう鎌田東二先生も老荘的であることに気づきました。

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みなさん、熱心に聴き入っていました



その他、「エンディングノートに死後の希望などを書くのは『わがまま』である」「『死』は自分のものではない」「『死』とは変化するプロセス」「ブッダは『深い瞑想によって体験できないことは、死しても体験できない』「瞑想によって死ぬ練習ができる」「日本人は死後、『行く』のではなく『帰る』」「『あの世』はなつかしい世界」「宗教の説く『天国』とか『浄土』は馴染みのない、行ったことがない世界」「最後はお迎えが来て案内してくれるから、死後のことは心配しなくていい」などの言葉が心に残りました。

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玄侑先生、今日はありがとうございました!



さらには、葬祭業界について言及された部分で、「善良な葬祭業者とは?」と聴講生に問いかけられ、「少なくとも、葬儀の安さを謳う会社は金儲けしか考えていませんね」と喝破されました。また、「コミュニティが葬儀を出す。一部の葬祭業者は『ウチが全部やりますから』と言って、まだ残っているコミュニティの力を潰してしまう」と、まことに鋭い指摘をされました。これらの発言はまさに「賢人の言葉」であり、業界にとって非常に貴重なアドバイスでした。
玄侑先生、今日は素晴らしいお話を本当にありがとうございました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年11月10日 佐久間庸和