亀戸散策


東京に来ています。15日、会長を務める全互連の理事会に出席するため、信じられないほど大量の花粉が舞う中、わたしは定宿のある赤坂見附からJR四谷駅まで歩きました。行き交う人々はほぼ全員がマスクをしており、なんだか東京都民の約半数がマスク姿の印象がありました。四谷駅からは総武線に乗って亀戸へ向かいました。


菜苑」の外観

菜苑」の前で



この日は13時半から正副会長会議、14時から理事会が開催されましたが、わたしは11時には亀戸駅に到着しました。駅の改札口には全互連の専務理事で、亀戸に本社を置く冠婚葬祭互助会である(株)日冠の小泉社長と待ち合わせました。ブログ「日冠社長来る!」で紹介したナイスガイです。先日はインド視察にも一緒に行った仲です。
じつは、早めに亀戸に到着したのには意味がありました。
先日の土日、「孤独のグルメ Season5」のDVD−BOXを一気に観たのですが、その中に亀戸の「旨いもの」が登場したのです。わたしは「孤独のグルメ」が三度の飯より好きで、原作コミックも繰り返し読んでいますし、DVD−BOXもすべて持っています。亀戸の「旨いもの」というのは、中華料理店「菜苑」の純レバ丼です。


孤独のグルメ Season5」では、松重豊北九州市出身!)扮する主人公の井之頭五郎が腰痛で入院し、まずい病院食に辟易とします。待望の退院後、彼が向かったのは亀戸にある中華料理店「菜苑」でした。その映像があまりにも旨そうだったので、わたしは「そうだ、15日に亀戸に行くから、昼飯は菜苑に行こう!」と心に決めました。早速、「亀戸のKING」の異名を持つ小泉社長に電話し、「小泉さん、菜苑って知ってる?」と尋ねたところ、「もちろん知ってますよ。そこの息子さんが同級生で、よく行きますよ。つい2日前も飲んだ帰りに行ったばかりです!」と言うではありませんか。狂喜乱舞したわたしは、小泉社長と亀戸駅で待ち合わせして、菜苑に連れていってもらうことにしたのです。菜苑は11時半からの営業ですが、早くから行列ができるとのことで、早めの待ち合わせにした次第です。


これが、井之頭五郎が食べた餃子だ!



孤独のグルメ Season5」の話に戻しますが、菜苑のカウンターに座った五郎はまず餃子を注文します。入院中に、医師と看護婦が美味しそうな餃子の話で盛り上がっており、頭の中が餃子でいっぱいになっていたのです。餃子といっても酢醬油で食べるのではなく、酢にコショウをふりかけて、その上にラー油を垂らしたもので食べるのです。わたしも同じようにやってみましたとも! 初めての食べ方ですが、感想は「OK牧場!」でした。


カウンターに置かれた案内書

これが、純レバ丼だ!

このネギの山を見よ!

これを混ぜるのだ!

辛くて旨いのだ!

吾輩は完食したのだ!



餃子に続いて、五郎が注文したのが菜苑名物の「純レバ丼」でした。これは濃い味付けのレバ炒めライスの上に山のようなネギが乗った絶品料理で、一度食べたら忘れられないほどのインパクトがあります。ネギとレバ炒めとライスをかき混ぜて食べるのですが、唐辛子がたくさん入っているので、はっきりいって辛いです。旨いけど辛い。食べていると汗が出てきます。辛いけど旨い。けっこうなボリュームでしたが、一気に完食しました。大食いタレントの木下ゆうかチャン(北九州市出身!)に10杯ぐらい食べさせてみたい!


亀戸天神社の鳥居の前で

スカイツリーもよく見えました


純レバ丼と餃子を平らげて満腹になったわたしたちは、腹ごなしに近くの亀戸天神社を訪れました。スカイツリーもよく見えました。公式HPの「ご縁起」には、「菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。 古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として『東宰府天満宮』、あるいは『亀戸宰府天満宮』と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました」と書かれています。


幸運を招く鶯(うそ)

社殿の前で



亀戸天神社には、その他にも「幸運を招く鶯(うそ)」、「御神牛」、「国産マッチの創設者の石碑」などがありました。なんだか楽しくなってきます。
天気も良いし、スカイツリーもよく見えるし、他にも珍しいものがいろいろあるし、わたしはすっかり幸せな気分になって社殿に参拝しました。柏手を打ちながら、「全互連加盟の互助会各社が仲良く平和に発展しますように・・・・・・」と祈願しました。


船橋屋本店の外観


亀戸天神社を後にしたわたしたちは、「くず餅の発祥地」として有名な船橋屋本店を訪れました。公式HPには「船橋屋の創業と『くず餅』のはじまり」として、「東京の下町情緒が色濃く残る江東区亀戸三丁目、亀戸天神のすぐ側に「船橋屋」があります。船橋屋は、江戸は文化二年(1805年)、十一代将軍徳川家斉の頃、創業致しました。船橋屋初代の勘助の出身地は下総国(千葉県北部)の船橋で、当時、下総国は良質な小麦の産地でした。勘助は、亀戸天神が梅や藤の季節に、参拝客でにぎわうのを見て上京し、湯で練った小麦澱粉をせいろで蒸し、黒蜜きな粉をかけて餅を作り上げました。それがまたたく間に参拝客の垂涎の的となり、いつしか『くず餅』と名づけられ・・・江戸の名物の一つに数えられる程の評判をとりました」とあります。


船橋屋本店の前で

これが、船橋屋本店の「くず餅」だ!



わたしたちは歴史の重みを感じる船橋屋本店に入って、名物の「くず餅」を頂きました。歯応えがあって、美味しかったです。でも、そのボリューム感には圧倒されました。純レバ丼といい、くず餅といい、亀戸の飲食店はサービス満点ですね。その亀戸の観光協会の幹部でもある小泉社長が亀戸の魅力をとうとうと語ってくれました。その様子がカッコ良かったので、わたしは「小泉さんは3代以上の江戸っ子ですか?」と聞くと、「20代ぐらいですかね」という答えが返ってきたのでビックリしました。これはもう生粋の江戸っ子ですね。なんでも、小泉家は江戸時代に金魚の養殖をやられていたそうです。


いただきます!



船橋屋本店の店内は1人で来ている女性のお客さんが多かったです。あちこちで「ハクション!」というクシャミの音が聞こえました。一瞬、花粉症によるクシャミかと思いましたが、じつは「くず餅」に大量にふりかけられた黄粉のせいでした。同じクシャミをするなら、花粉より黄粉のほうがいいですよね!(笑)


亀戸城としての「アンフェリシオン」の前に立つ小泉社長



ひとしきり世間話や全互連についての話をしたわたしたちは、再び歩いて理事会の会場である「アンフェリシオン」に向かいました。「アンフェリシオン」は亀戸の城です。近くに「ガラスの城」というホテルがありますが、本当の亀戸城は「アンフェリシオン」です。先日訪れた姫路の(株)117さんの結婚式場「ラヴィーナ姫路」もそうですが、全互連の各社は各地に城を持っているのです。その城は結婚式や各種の通過儀礼や宴会が行われるコミュニティの活性の場です。亀戸城としての「アンフェリシオン」の前に立った小泉社長はキラキラ輝いていました。その顔には「俺は、腹の底から亀戸が好きなんだ!」と書いてありました。それを見て、わたしは「亀戸って、いいね!」と大きな声で言いました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年3月16日 佐久間庸和