日向へ!  

11日、朝いったん会社に寄った後、JR小倉駅へ。
サンレー宮崎の新施設である「別府(びゅう)紫雲閣」の起工式が12日に行われるため、現地に向かうのです。JR小倉駅から「ソニック17号」に乗って大分へ。


JR小倉駅のホームで

ソニック車内で駅弁を食べました

ソニック車内で『映画で学ぶ現代宗教』を読む

映画で学ぶ現代宗教

映画で学ぶ現代宗教


JR中津駅を通過しました



ソニック17号の車内では、まず駅弁を食べました。食事中、JR中津駅を通過するときに、わが社の結婚式場である「ヴィラルーチェ」の外観がよく見えました。
食後は、読みかけだった『映画で学ぶ現代宗教』井上順孝著(弘文堂)を読みました。
じつは、弘文堂の鯉淵友南社長に拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)を献本させていただいたところ「ウチでも以前こういう本を出しました」と、お返しに送られた本です。


JR大分駅で乗り換えました

にちりん13号で日向に向かう

にちりん車内で『宗教を物語でほどく』を読む

JR大分大分駅からは「にちりん13号」に乗り換えて、日向に向かいました。にちりん車内では、『宗教を物語でほどく』島薗進著(NHK出版新書)を読みました。上智大学で特別講義をした際に、同大学グリーフケア研究所の所長である島薗先生から「今度、新しい本が出るので送りますね」と言われ、その後に献本していただきました。この日に読んだ本は2冊ともとても興味深く、「映画」や「物語」によって宗教がいかに語られてきたのかがよくわかりました。


JR日向市駅に到着しました

ひょっとこ祭り発祥の街

若山牧水像の前で



15時31分、「にちりん13号」はJR日向市駅に到着しました。
改札で、サンレー宮崎の尾崎執行役員と谷上支配人が待っていました。
駅の改札を出ると、「ひょっとこ祭り発祥の街 日向へようこそ!」という看板がありました。
また、近くには日向ゆかりの詩人。若山牧水銅像がありました。
わたしが記念写真を撮影したのは言うまでもありません。


2年ぶりに大御神社を訪れました



それから、ブログ「大御神社」で紹介した神社を約2年ぶりに訪れました。サンレーグループの総守護神である「皇産霊神社」の瀬津神職も一緒でした。
大御神社の公式HPの「由緒・沿革」には次のように書かれています。
大御神社は、皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる『神明記』その他の古文書によれば、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されたと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。また、神武天皇御東遷の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、鉾島が細島に転じたと伝えられているが、天皇はこの時、伊勢ヶ浜(港)に入られ、皇大御神を奉斎する御殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は、神武天皇の先鋒の天櫛津大久米命の名に因むものであると言う。その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官等に尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、且つ親しんできたのである。最近ことに、御神徳を慕って県内外の参拝者が激増している。大御神社の社名は、天照皇大御神の大御をいただいて社名とした、と伝えられているが、本殿に残る天保安政年間より大正5年までの祈願木札には天照皇大神宮と記されている」


社殿で祈願していただきました

祈願祭のようす

玉串奉奠しました

新名宮司のお話を拝聴しました



大御神社の新名光明宮司にも再会し、社業発展ともうすぐ刊行される大著『儀式論』(弘文堂)の成功を祈願していただきました。その後は、同神社の境内にある日本一の「さざれ石群」や「龍玉(ドラゴンボール)」、大怪獣ガメラのような「亀岩」、そして龍宮の「昇り龍」などを回りました。今回の参拝は、「日向のお伊勢さま」あるいは「元伊勢」とも言われている大御神社を初参拝したという皇産霊神社の瀬津神職は非常に感激していました。わたしも一度、彼をこの場所に連れてきたかったので、実現して良かったです。


社殿を背景に新名宮司

日本一の「さざれ石群」を背景に

龍玉(ドラゴンボール

大怪獣ガメラのような亀岩

龍宮のある洞窟の前で

洞窟内で見事な「昇り龍」を拝みました



それから、わたしたちは日向紫雲閣が移転することになったため、その移転先の土地を視察しました。現在の場所よりもずっと好立地で安心しました。その後、車で延岡市へ移動。宿泊先の「ホテルメリージュ」にチェックインしました。
明日は朝一番でブログ「日本一の弘法大師像」で紹介した今山大師を訪れ、社業発展ともうすぐ刊行される宗教学者島田裕巳氏との共著『葬式に迷う日本人』(三五館)のベストセラー祈願をいたします。大御神社といい、今山大師といい、神仏が平和に共生する国・日本で暮らす幸せをしみじみと感じます。その後は、11時から別府紫雲閣の起工式を行います。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年10月11日 佐久間庸和

日本人には和が似合う

11日、小倉からJRを乗り継いで、宮崎に向かいます。
今日は、ブログ「大御神社」で紹介した神社に参拝し、社業繁栄を祈願します。明日は、延岡市に新しく建設する「別府紫雲閣」の起工式を執り行います。
さて、「サンデー毎日」2016年10月23日号が発売されました。表紙は俳優の本木雅弘さんです。15日公開の「永い言い訳」が楽しみです。わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。第51回目のタイトルは、「日本人には和が似合う」です。


サンデー毎日」10月23日号



ブログ「和婚で平和な結婚を!」で紹介した前回のコラムでも取り上げましたが、片岡愛之助さん、藤原紀香さんの挙式・披露宴は大きな話題となりました。新婦は上賀茂神社での挙式で白無垢を着て、帝国ホテルでの披露宴でもドレスなしの和装のみというスタイルで、梨園の妻の姿勢を貫きました。



その反響ですが、「やはり美しい」といった肯定的な意見に加え、「年齢的に無理がある」や「再婚なのに白無垢はおかしくないか?」という否定的な意見もあったようです。
結論から言うと、まったく問題はありません。それどころか、芸能人という立場上、いろんな意見の飛び交うことが予想されたにもかかわらず、神前で堂々と愛を誓い合ったことは天晴れであったと思います。新婦の凛とした白無垢も見事でした。



わたしの経営するホテルでは海外からの研修生を受け入れていますが、彼らは「結婚式の際、なぜ日本人は積極的に和装にしないのか?」と疑問をもつといいいます。実はそのホテルでは、日本庭園が人気ということもあり、和装率が7割以上と全国平均を大きく上回っているのですが・・・・・・。



それでも海外から来た彼らは違和感を禁じ得ないといいます。確かに結婚式のとき、韓国の人たちはチマ・チョゴリを着ますし、インドの人たちはサリーを着ます。その他、タイ、ミャンマーハンガリーウクライナ、そしてイスラム圏・・・・・・世界中の人々が、結婚式では自分たちの民族衣装を身にまとうはずです。そう考えると、日本の結婚式には、やはり和装がないと物足りないように思います。あなたも思いませんか?



言うまでもなく、和装は日本の民族衣装です。日本人の女性は和装が一番似合い、一番美しく見えるのは当然なのです。そもそも肌の色や体型に合わせて、日本の女性を最も美しく見せるようにデザインされたものが和服だからです。
新婦だけではありません。新郎の和装姿は「侍」を連想させ、男ぶりを大いに上げます。
ぜひ、これから結婚式を予定されている方は和装にしてほしいですね。
日本人には和が似合うのです。


サンデー毎日」10月23日号



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2016年10月11日 佐久間庸和