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佐久間庸和の天下布礼日記

2017-06-05

天  



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この記事は、当ブログの1997本目の記事です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「天」です。



わたしは経営者である前に一人の人間として生きていくうえで、常に「天」というものを意識するように心がけています。天とは、まず宇宙のことだと考えます。ものすごい時代になったもので、ついに宇宙の年齢がわかってしまいました。2003年2月に米国NASAの打ち上げた人工衛星WMAPが、宇宙論研究の究極の課題だった宇宙の年齢が約138億年という事実を明らかにしたのです。



宇宙を1冊の古文書として見るならば、その解読作業は劇的に進行しています。
それというのも、20世紀初頭に生まれた量子論と相対論という、現代物理学を支えている2本の柱が作られたからです。さらにこの2つの物理学の根幹をなす法則を駆使することによって、ビッグバンモデルと呼ばれる、宇宙のはじまりの瞬間から現在にいたる宇宙進化の物語が読み取られてきました。



宇宙と人間との関係について考えると興味は尽きませんが、いわゆる「人間原理の宇宙論」というものがあります。現在、わたしたち人類がこの宇宙のなかに存在しているわけですが、物理的考察をすると、人類が宇宙のなかに存在しうる確立は、ほとんどありえないものとする考え方です。つまり、あたかも神によって「人類が存在できる宇宙」が必然的に選ばれたかのごとくに、さまざまな事柄が調整されて、はじめて人類が宇宙のなかで誕生し、存在することが可能になります。いや、そうとしか考えられません。



宇宙の中にある物質の量とか、宇宙の曲率とか、あるいは原子核同士が核融合反応を起こすときの核反応率とか、その他もろもろのあらゆる物理的諸条件の値がすこしでも違っていたら、太陽も地球も誕生せず、炭素もできず、炭素型の生命体であるわたしたちの存在もなかったわけです。
このように、現在の宇宙の様子をいろいろと調べると、わたしたち人間が存在するためには、きわめて計画的に、ものすごい微調整をしなければなりません。偶然にこうした条件が揃うようなことはまずありえないでしょう。



ですから、人類のような高度な情報処理のできる生命が存在していると事実を説明するときに、「これはもう、人類がこの宇宙に生まれるように設計した神がいたのに違いない」という発想が出てくるわけです。こういうことを常に考えながら生きていると、自然と謙虚な気持ちが生まれてくるように思います。 



さて話は変わりますが、佐藤一斎という人物がいます。吉田松陰や西郷隆盛に大きな影響を与えた幕末の儒者です。彼の考えに基づいて明治維新がなされたと言ってもよいほどですが、その一斎の言葉に「毀誉褒貶は、人生の雲霧なり。この雲霧を一掃すれば、すなわち青天白日」があります。「青天白日」つまり心に一点もやましいことのない境地に至ることが重要だといいます。



正しい気持ちをもって生きれば、何も恐れることはない。しかし、周りの評判を気にしてしまうと、自分の判断に迷いが生じる。それゆえ、毀誉褒貶は人々を戸惑わせる雲霧のようなものであるというのです。一斎は、歴史の流れについても「天の意思も人間世界のあり方も、刻一刻と変化している。それゆえ、歴史の必然的な流れをとどめることはできない。しかし、人間の力ではその流れを早めることもできない」と述べています。彼は、つねに天を意識していました。



その思想は西郷隆盛に受け継がれ、西郷は「敬天愛人」を座右の銘としました。ある日、陸軍大将であった西郷が、坂道で苦しむ車夫の荷車の後ろから押してやったところ、これを見た若い士官が西郷に「陸軍大将ともあろう方が、車の後押しなどなさるものではありません。人に見られたらどうされます」と言いました。すると西郷は、「馬鹿者、何を言うか。俺はいつも人を相手にして仕事をしているのではない。天を相手に仕事をしているのだ。人が見ていようが、笑おうが、俺の知ったことではない。天に対して恥じるところがなければ、それでよい」
他人の目を気にして生きる人生とは、相手が主役で自分は脇役です。正々堂々の人生とは、真理と一体になって生きる作為のない生き方です。天とともに歩む人生であれば、誰に見られようとも、恥をかくことはありません。  



東洋思想を象徴する言葉に「天人合一」があります。天、つまり宇宙と人生とは別のものではなく一貫しているという意味です。宇宙には「道」という根本的な法則性があって、宇宙の一員である人間も、そこを外れては正しい人生も幸せな人生も歩むことができません。それに対して、西洋では天、つまり自然と人間とを対立するものととらえてきた。人間は自然の一部というより、自然は人間が征服すべきものという考え方である。その結果が地球の環境破壊である。



西郷隆盛は明治以後の日本人で最も人徳、人望のあった人物と言われていますが、すべてのマネジメントに関わる人々も、天を相手に正々堂々と仕事し、生きたいものです。西郷の思想的先達は佐藤一斎であり、陽明学者である一斎の先達はもちろん明の王陽明です。そして、その源流ははるか古代の孔子にさかのぼることは言うまでもありません。わが社は「礼経一致」を企業理念としており、何より「礼」というものを重んじています。



「礼」は孔子が再発見したコンセプトですが、その根本は何よりもまず「天」を祭ることです。
天とは宇宙であり、神です。孔子はいつも「天」を意識していたのです。
さらに「天」を現代的に解釈すれば、「社会」ということにもなると思います。
ドラッカーは「会社は社会のもの」だと喝破しました。会社の主は、株主でも経営者でも従業員でもなく、顧客でさえなく、社会そのものなのです。
なお、「天」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年6月5日 佐久間庸和