『フランケンシュタイン・コンプレックス』

一条真也です。
文芸評論家の小野俊太郎氏が書いた『フランケンシュタイン・コンプレックス』(青草書房)という本を読みました。
フランケンシュタイン』『ドラキュラ』『ジーキル博士とハイド氏』『透明人間』などの怪奇小説やSFの古典的名作を通して、「人間は、いつ怪物になるのか」をさぐるという、なかなか興味深い論考でした。


                  人間は、いつ怪物になるのか


わたしには『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』(PHP文庫)や『よくわかる「世界の怪人」事典』(廣済堂文庫)といった監修書がありますが、それらの本で追求したテーマこそ「人間と何か」でした。魔人、怪人、そして怪物・・・・・・。
「怪物」というと、さまざなイメージが湧いてくると思います。
哲学者のニーチェは、『善悪の彼岸』の中で、「怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである(竹山道雄訳)」と述べました。



怪物の一般的イメージは、怖いもの、醜いもの、遠ざけておきたいもの、などでしょう。
そうした怪物の代名詞こそ、「フランケンシュタイン」です。
誰でも知っている、その固有名詞は何かを怪物視するときに利用されます。
たとえば、遺伝子組み換え食品が「フランケン(シュタイン)フード」と呼ばれるように。
人間が作り出したおぞましい怪物食品というわけですね。 
この名のもとになった小説は、1818年に20歳をすぎたばかりのメアリー・シェリーが発表したものです。フランス革命ナポレオン戦争によって、ヨーロッパ中の価値観がゆらぐ時代、メアリーは「人間と怪物の境界線をどこに引くのか」という疑問を抱きました。
著者の小野氏は、この疑問は今でも厄介な問題であるといいます。
地下鉄サリン事件(1995)、酒鬼薔薇聖斗事件(1997)、9・11米国同時多発テロ(2001)、附属池田小事件(2001)、秋葉原無差別殺傷事件(2008)など、最近だけでも、「怪物のしわざ」と名づけたくなるような醜悪な犯罪行為がマスコミ報道をにぎわせてきたからです。こうした凶悪事件の原因には、どのように調べてもうかがい知れない部分が残ります。そして、マスコミや識者はそれを「心の闇」といった表現であらわします。心が「ブラックスボックス」に入り込んだわけです。


フランケンシュタイン』という「怪物小説」の主人公は、じつは怪物ではありません。
北極をめざすイギリス人探検家ロバート・ウォルトンです。彼が書きとめたヴィクター・フランケンシュタインという若き科学者の告白が物語の中心です。
野心にあふれたヴィクターは「天地の秘密」を学びたいとこころざし、学問をはじめます。彼は大学で化学を学び、解剖学や死体の腐敗の観察を通じて大いなる秘密を手に入れます。そして、それを実践するのです。
複数の死体を寄せ集めた肉体に電気を通して、新たなる生命創造に挑んだ彼は、ついに怪物を作りだしてしまうのです。怪物は暴走し、最後には生みの親であるヴィクターを殺そうとするのですが、小野氏は次のように書いています。
「怪物が暴走したのは、材料となった死体がもつ遺伝的性質のせいではない。むしろ、新たな生命を得た怪物が、いやおうなしに生きることになった社会での『人間関係』によってそうした行動をとったのである。『孤児』として誕生した彼に、怪物が体験した社会的関係のネットワークのなかから憎悪が生まれ、殺意を作りだした。しかも、いきなり暴走が生じたわけではない。現実の事件と同じように、小さなズレやいさかいが積み重なって、ヴィクターの家族や関係者を殺す怪物となったのである。」
なんと、怪物暴走の原因が「人間関係」にあったとは!
わたしは、もともと社会における最大の問題は「人間関係」であると思っていました。
「人間」ではなく、「人間関係」が問題なのです。



ここまで書いたら、テレビで愛子さまのニュースをやっていました。
愛子さまが同級生の男の子に乱暴され、学校に行けなくなってしまわれたというのです。なんと、天皇家をいじめる子が学習院に出現したとは!
多くの意味で驚きですが、いずれにせよ「人間関係」が最大の問題と再認識しました。
人間を悩ませ、怖れさせるもの。それは怪物ではなく、人間関係なのですね。


2010年3月6日 一条真也

博覧強記は誰だ!?

一条真也です。

『百科全書』と世界図絵」をブログに書いたら、すかさず、「さすが、博覧強記の面目躍如ですね!」というメールを知人からいただきました。
最近、よく「博覧強記の一条真也」といった言い方をされます。
もともとは三五館から出している著書の著者プロフィールに「無類の博覧強記として知られ」と書かれていましたが、その後、『あらゆる本が面白く読める方法』を上梓してから、そのイメージが強くなったようです。
そう言われるたびに、恥ずかしい思いでいっぱいになります。
もちろん、わたしは自分のことを「博覧強記」などと思ってはいません。



かつて、『遊びの神話』を東急エージェンシーから出したとき、山口昌男さんの本からたくさん引用させていただいたので、礼状を書いて本をお送りしたことがあります。
すると、なんと山口さんから直接お電話があり、お会いすることになったのです。
その日の夜、新宿の「火の子」というバーでご馳走になりました。
「火の子」は吉本隆明さんや栗本慎一郎さんも愛用した店です。
山口昌男さんといえば「知の巨人」として知られていますが、『遊びの神話』が刊行された1989年当時は「ニューアカの親分」として大変な威光でした。
わたしは山口さんの著書をほとんど読んでいました。



当時は博覧会ブームで、「花と緑の博覧会」「横浜博覧会」「アジア太平洋博覧会」など、さまざまなイベントを東急エージェンシーが受注し、新人だったわたしも企画やプロモーションなどの末端の仕事を担当していました。
山口さんの著書は文化の本質に触れており、イベントのコンセプト立案やプランニングなどに役立つこと大だったのです。
そのことを「火の子」で山口さんにお伝えし、「山口先生みたいな博覧強記の方に憧れますよ!」と言ったところ、「博覧強記?キミは博覧会狂気じゃないの、ワッハッハ」と高笑いされたことを憶えています。
その御縁で、山口昌男さんとは『魂をデザインする〜葬儀とは何か』という本で対談させていただきました。その本では、山折哲雄さんや井上章一さん、横尾忠則さんなどとの対談も収められています。何よりも、義兄弟の鎌田東二さんに初めてお会いしたきっかけとなった本であり、わたしにとって忘れられない人生の宝物です。



さて、「博覧強記」といえば、対談させていただいた山口昌男山折哲雄井上章一鎌田東二といった方々の知識量はハンパではありませんでした。
その他、「博覧強記」としてすぐに思い浮かぶのは、立花隆松岡正剛荒俣宏高山宏鹿島茂といった方々です。
ちなみに、荒俣宏さんは松岡正剛さんによって発見されました。また、鎌田東二さんは『世界神秘学事典』(平河出版社)や『神秘学カタログ』(河出書房新社)などで荒俣宏さんに抜擢されました。わたしの著書についてのアマゾンか何かのレビューで、「松岡正剛荒俣宏を発見し、荒俣宏鎌田東二を発見し、鎌田東二一条真也を発見したのです」というものがあり、たいへん感激したことがあります。


                    博覧強記の饗宴
 
ビジネスマンが読む本の著者では、渡部昇一谷沢永一堺屋太一大前研一といった「一」がつく名前の方々が「博覧強記」として浮かんできます。
歴史を遡ればキリがありません。たとえば江戸時代では、新井白石荻生徂徠本居宣長も三浦梅園も「博覧強記」でした。
群書類従』を完成させた塙保己一も、『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴もそうでした。
明治以降の日本人では、幸田露伴徳富蘇峰南方熊楠柳田國男折口信夫樋口清之安岡正篤白川静澁澤龍彦といったところが正真正銘の「博覧強記」でしょうか。吉川英治司馬遼太郎松本清張といった近代の作家たちも「博覧強記」ですね。
以上のメンバーは、あくまで日本だけの話です。
世界に人選の枠を拡げれば、もう際限がありません。


わたしは、自分がまだ何も知らないことを知っています。
ソクラテスの「無知の知」を気取るわけではありませんが、本当の「知」とは自分が知っていることと知らないこととの区別を知ることではないでしょうか。
安岡正篤は、「物識り」よりも「物分り」が大事と喝破しました。
ネット検索で簡単に知識が手に入る時代において、わたしは今後も好奇心のおもむくままに読書しながらも、いつの日か本物の「物分り」になりたいと切に願っています。


2010年3月6日 一条真也

ムーンサルトレター

一条真也です。

東京の寒さから風邪を引いてしまったようです。
ものすごく喉が痛く、熱もあるみたいです。
明後日は、日本経済新聞社主催の「事業承継フォーラム」でパネリストを務めますので、なんとか早めに治さないと。でも、体に力が入りません。
やっとの思いでパソコンを開くと、新しい「ムーンサルトレター」がUPしていました。
宗教哲学者の鎌田東二先生と毎月1回交わしている文通です。
満月の夜に手紙を交わすから、ムーンサルトレターなのです。

  
                 世にも不思議な満月通信


最初、鎌田先生は占星術研究家の鏡リュウジさんと満月の文通をされていました。
「カマタトウジ」と「カガミリュウジ」、なんとなく二人の名前は似ています。
さらに二人の顔も似ているということから、ムーンサルトレターを始められたそうです。
そのうち、鏡さんは「時の人」となって超多忙になりました。
なかなかレターを書く時間が取れなくなり、鎌田先生は「Tonyのムーンサルト独りレター」というのを書いておられました。
でも、やはり一人では寂しかったのでしょうか。
次なる文通相手として白羽の矢を立てられたのは、わたしでした。

こうして、2005年10月18日の満月の夜、わたしが第1信を書きはじめました。
鎌田先生が20日に返信を書かれて、ついに「ShinとTonyのムーンサルトレター」がスタートしたのです。
レター・ネームの「Shin」というのは鎌田先生がつけて下さいました。
もちろん「一条真也」の「真」から取っているのですが、メソポタミア神話の最古の神である月神シンの意味もあるそうです。
「Tony」というのは、鎌田先生の前世の名前だそうです。なんでも、先生がパリのセーヌ河のほとりを歩いていたとき、自分がかつてフランス人であったことを思い出されたとか。そのときの名前が「トニー・パリ・カマターニュ」(笑)というのだそうです。
「ふんどしロック」の鎌田東二の前世がフランス人というのは、ちょっとピンと来ませんけどね。(苦笑)


さて、記念すべき第1信の冒頭で、わたしは「敬愛する鎌田先生の満月レターのお相手に指名していただき、正直おどろいています」と書き出しました。
そして、前任者の鏡さんがその第1信に「満月のごとに書簡を往復させようなんて、なんて素敵なアイデアなのでしょうか。こんなロマンティックな企画の相手に僕を指名してくださったこと、とても光栄に思います」と書かれてていたことに触れ、今の自分もまったく同じ気持ちであることをお伝えしました。

あれから早いもので、もう55信です。
鏡さんが全部で41信でしたが、わたしはとてもそこまでは続けられないだろうと思っていました。じつは途中でフェードアウトすることも想定していたのですが、いまや4年半を超え、5年目になろうとしています。よく、ここまで続いたものです!


一度、鏡リュウジさんが小倉の松柏園ホテルに来てくれてお会いしたことがありました。鎌田先生抜きで新旧二人の文通者がコーヒーを飲んでいるのは、まるで夫抜きで前妻と後妻が直接会っているかのような不思議な感覚でした。(笑)

               レターの前任者である鏡リュウジさんと


進化論のチャールズ・ダーウィンの祖父にエラズマス・ダーウィンという人がいました。
彼は月が好きだったようで、18世紀、イギリスのバーミンガムで「ルナー・ソサエティ(月光会)」という月例対話会を開きました。まさに、鎌田先生も鏡さんもわたしも、現代のルナー・ソサエティのメンバーなのかもしれません。

4年半の間、いろいろな話を鎌田先生としました。
お互いの著書のこと、プロジェクトのこと、考えていること。
話題も政治や経済から、宗教、哲学、文学、美術、映画、音楽、教育、倫理、さらには広い意味での「世直し」まで。

まあ、わたしがある話題に終始すれば、鎌田先生はまったく違う話題に終始するといった形であまり噛み合っていないことも多いですが(笑)、これからもお互いが言いたいことをつれづれなるままに書き、たまにはスウィングしながら、少しでも「楽しい世直し」につながっていけばいいなと思っています。


わたしが商売人の身であるにもかかわらず、さまざまな文化人や学者の方々とお話しても何とかついて行けるのは、鎌田先生との文通で展開している議論のおかげかもしれません。わたしには、「自分は日本を代表する宗教哲学者と文通を続けているのだ」という自負と、「だから誰と対話することになっても怖くない」という自信があります。

鎌田先生、いつも胸を貸していただき、本当にありがとうございます。
とりあえずは、60回目=5周年に向けて、よろしくお願いいたします!


最後に、このブログをお読みになられている出版関係者の方々にお願いがあります。
ムーンサルトレター」は必ず面白い本になりますので、ぜひ単行本化をお考え下されば幸いです。


2010年3月6日 一条真也