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一条真也のハートフル・ブログ

2010-03-08

事業承継フォーラム

一条真也です。

今日は、「事業承継フォーラムin九州」でパネリストを務めました。

主催は日本経済新聞社と独立法人・中小企業基盤整備機構で、後援が経済産業省とニュービジネス協議会でした。

会場はアクロス福岡のイベントホールで、多くの方々が参加して下さいました。

150名の定員だったそうですが、なんと200名を超える方々が集まって下さいました。

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                  企業のDNAを未来へ


最初に、オムロンの立石信雄相談役の基調講演がありました。

演題が「理念を基軸とした企業経営」ということで、たいへん勉強になりました。

パネルディスカッションのモデレータは、ソフィアバンク副代表の藤沢久美さん。

ソフィアバンクは、田坂広志さんが代表を務めるシンクタンクですね。映画「ガイア・シンフォニー」シリーズの監督である龍村仁さんも、ソフィアバンクの役員だそうです。

藤沢さんは、とても美しく聡明な方でした。

あと、弁護士や公認会計士の先生などがパネリストで、実際に事業承継を行った当事者としては、英進館株式会社の筒井俊英社長とわたしの二人でした。

英進館さんは九州でナンバーワンの予備校で、わたしの長女も通っていました。

なんでも、英進館さんとわが社が九州で順調に事業承継された代表的会社として選ばれたということで、非常に光栄でした。

40歳で情熱あふれる筒井社長のお話は、まるでドラマか映画みたいな波乱万丈の物語で、とてもエキサイティングでした。

わたしも自身の事業承継についてお話しました。

早いもので創業者である父から社長のバトンを渡されて、もう9年目です。

当初は不安な点も多かったのですが、なんとか今日まで順風満帆にやってこれたことは、会長である父のアドバイス、社員のみなさんの理解と協力、取引会社のみなさん、お客様のご支援のおかげです。心より感謝しています。

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             事業承継について、思いのたけを語りました


「事業承継」について、わたしは孔子とドラッカーの考え方を紹介しながら、自分の想いをそのままお伝えしました。まず、孔子は「孝」という考え方を重視しました。

日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生によれば、先祖から子孫へ、親から子へ、「孝」というコンセプトは、DNAにも通じる壮大な「生命の連続」ということです。また加地先生によれば、「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなくて、文字通り「遺した体」であるそうです。つまり本当の遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子なのです。

儒教を開いた孔子は、明らかにこのことに気づいていたと思います。



一方、ドラッカーには『会社という概念』(『企業とは何か』の題名で新訳が出ています)という初期の名著がありますが、まさにこの「会社」という概念も「生命の連続」に通じます。世界中のエクセレント・カンパニー、ビジョナリー・カンパニー、そしてミッショナリー・カンパニーというものには、いずれも創業者の精神が生きています。

創業者の身体はこの世から消滅しても、志や経営理念という彼らの心は会社の中に綿々と生き続けているのです。



重要なのは、会社とは血液ではなく思想で承継すべきものであるということ!

創業者の精神や考え方をよく学んで理解すれば、血のつながりなどなくても後継者になりえます。むしろ創業者の思想を身にしみて理解し、指導者としての能力を持った人間が後継となったとき、その会社も関係者も最も良い状況を迎えられるのでしょう。

逆に言えば、超一流企業とは創業者の思想をいまも培養して保存に成功しているからこそ、繁栄し続け、名声を得ているのではないでしょうか。

「孝」も「会社」も、人間が本当の意味で死なないために、その心を残す器として発明されたものではなかったかと思います。

ここで、孔子とドラッカーはくっきりと一本の糸でつながってきます。

陽明学者の安岡正篤も、このことに気づいていました。

安岡はドラッカーの“The age of discontinuity”という書物が『断絶の時代』のタイトルで翻訳出版されたとき、「断絶」という訳語はおかしい、本当は「疎隔」と訳すべきであるけれども、強調すれば「断絶」と言っても仕方ないような現代であると述べています。

そして安岡は、その疎隔・断絶とは正反対の連続・統一を表わす文字こそ「孝」であると明言しているのです。

「老」すなわち先輩・長者と、「子」すなわち後進の若い者とが断絶することなく、連続して一つに結ぶ。そこから「孝」という字ができ上がったというのです。




老 + 子 = 孝 




これは、企業繁栄のためには「継続」と「革新」の両方が必要であるといったドラッカーの考え方と完全に一致します。

ベテランと若いスタッフが一緒に協力する。これに尽きるわけですね。

そして何よりも大事なのは、先代の思想を継いで、新しい器に入れるということです。

「なぜ、この会社が生まれたのか」「なぜ、この事業をやるのか」という使命感や志、いわば会社の思想的DNAをうまくつないでいくことが承継の本質ではないでしょうか。

今日のパネルディスカッションでは、事業承継にはM&Aがつきものといった話が出ましたが、わたしもM&Aが必要だと思います。もっとも、わたしのいうM&Aとは「Mission & Ambition」、すなわち「使命感と志」ですが。

持ち株比率とか、そんなことよりも、思想の承継のほうがずっと大切だと思います。


また、「世襲」についてもお話しました。

よく世襲は悪だとか言われますが、承継すべきはその会社の理念を一番良く理解している人なのです。先代と一緒に暮らしてきた子どもが、最も先代の考え方を理解し、承継する確率が非常に高いわけです。親族だから承継したのではなく、企業の理念を一番理解しているのが親族だったから承継する。それが承継の大前提であるべきです。



以上のようなお話をさせていただきました。

時間が足りなくて、はしょった部分もありましたけど。

でも、9年前の社長就任の頃を思い出し、わたし自身がわが社の経営理念を再確認する良い機会となりました。

関係者のみなさん、聴講していただいたみなさん、本当にありがとうございました。



2010年3月8日 一条真也

『おひとりさまの老後』

一条真也です。

遅まきながら、上野千鶴子著『おひとりさまの老後』(法研)を読みました。

本日開催されるパネルディスカッションの会場がある博多の天神に向かう時間を利用して一気に読みました。

わたしは、これまで著者の本を読んだことがありませんでした。

もちろん、その勇名(!)は存じ上げておりました。

でも、上野氏の研究分野や著書のタイトルを知ると、なんだか自分には合わないと思っていたのです。この本を読むのも、正直言って、気が進みませんでした。

しかしながら、「葬式」や「隣人」についての本を書く上で、どうしても読まなければならない必読図書だとわかったのです。

読んでみると、最初は違和感もあったものの、読み進むうちに共感するところがたくさん出てきました。何よりも文章にリズムがあり、非常に読みやすかったです。

また、いわゆる独居老人の問題を扱っているのに全然暗くない。

これは、大変な筆力だと感心しました。

内容も、「友人にはメンテナンスがいる」「ベッドメイトよりテーブルメイト」「メシがうまくなる相手を少人数で」「大晦日ファミリー、失楽園なべ家族」など、ユーモアたっぷりに人間関係を豊かにするノウハウが惜しみなく紹介されており、非常に面白かったです。

「職場に友人はいなくてけっこう」とか「ヒマはひとりではつぶれない」などは少々、わたしには異論があるのですが。

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                    極上の人生論



「サクセスフル・エイジング」が「アンチ・エイジング」の別名にすぎないというのは同感で、わたしも『老福論』(成甲書房)に同じことを書きました。


最も共感したのが、「愛した記憶の『在庫』は多くても困らない」という文章です。

上野氏は次のように書かれています。

「喪失の経験がつらいのは、同じ時間と経験を共有しただれかが、その死ごと記憶をあちら側へ奪い去ってしまうから。記憶とは、そのひとのなかに自分が生きているということだから、そのひとの記憶のなかに生きていた自分の大切な部分をもぎとられてしまう。それはとりかえしのつかない喪失だ。埋めようと思っても埋めあわせすることのできない欠落感が生まれる。」

わたしが、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で書いたのも同じことでした。

上野氏は、自分が愛したことのある人には生き延びてほしいと願っているそうです。「たとえ過去に属するとしても、そのひとの記憶のなかに愛し合った思い出が生きていると思えるからだ」そうです。

そして、地球上のどこであれ、その人が生きている事実を知っているだけで安心できるというのです。いやあ、思っていたより、上野氏ってロマンティストなんですね!(失礼)

でも、わたしと同じ考えに触れて、すごく嬉しくなりました。


次の文章も心に残ります。

「ひとは死んでなにを遺すか?モノは散逸し、無くなり、腐る。不動産は人手にわたる。最後に遺るのは、残されたひとびとのうちにある記憶である。

ひとは死んで、残った者に記憶を残す。そして記憶というのは、それをもったひとが生きているあいだは残るが、そのひとたちの死とともにかならず消えてなくなる運命にある」

まさに、このコンセプトで、わたしは『思い出ノート』(現代書林)を作りました。

なんだか、わたしは本当は上野氏の本をたくさん読んでいて、いっぱい影響を受けているような気になってきました。


そして、「葬式」についてです。上野氏は既存の宗教による葬式に違和感をおぼえながらも、基本的には葬式は必要とお考えのようです。

わたしは、葬式とは最後の「自己表現」であると考え、個性的な演出には大賛成ですが、上野氏も「旅立ちの支度だから、どこか遠い国に行くように、あれこれ楽しく準備すればよい」として、さらに次のように書かれています。

「最近では人前結婚ならぬ、人前葬が増えてきた。故人の好きだった花で埋めつくすとか、音楽葬とかさまざま。祭壇には神の仏もいらない。故人の写真が一枚あればいいから、生前からお気に入りの写真を用意して、『これを使ってね』と友人に頼んでおくひともいる。結婚式にはプロに写真を撮ってもらったのだから、一世一代の旅立ちの写真もプロに撮ってもらえばよい。賛美歌やお経の代わりに、好きな音楽を流してもらおうと、音源を用意しているひともいる。死に装束をデザインして準備しているひとや、骨壷を自分で焼くひとまでいろいろ。」

この最後の、死に装束をデザインするというのは、おそらく「寿衣(じゅい)」のことだと思います。また、自分で焼く骨壷というのは、おそらく「解器(ほどき)」のことだと思います。寿衣も解器も、わたしの記憶では一冊の本にしか紹介されていません。

わたしが監修した『「あの人らしかったね」といわれる自分なりのお別れ<お葬式>』(扶桑社)です。

もしかすると上野氏は、わたしの監修書を参考にしてくれたのかもしれません。

だとしたら、とても光栄なことだと思います。

最後に、自分が死んだら、京都の大文字焼きの「大」の字を「犬」に変える「てん」の場所に遺骨を埋めてほしいというのです。愛してやまなかった小鳥と犬がすでにその位置に埋められているというのです。

わたしは、これを読んで泣きました。

これほど、おひとりさまの自由と(上野氏には怒られるかもしれませんが)哀しみを表現した文章を知りません。


世界一の高齢国である日本。

確実に「おひとりさまの老後」を迎える日本人は増えていきます。

本書は、そんな「おひとりさま」たちに対する素晴らしいエールです。

そして、極上の人生論となっています。

なんだか、上野千鶴子サンの熱烈なファンになりそうな気がしました。


2010年3月8日 一条真也