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一条真也のハートフル・ブログ

2010-03-15

幸福の測り方

一条真也です。

鳩山由紀夫首相が、国民の「幸福度調査」を実施することを決めたそうですね。

おお、「友愛」の次は「幸福」!

わたし的にはテイストに合うのですが、先日の東京自由大学いのちを考えるゼミ」での海野和三郎先生の発言を思い出しました。

海野先生は、「鳩山首相の発想は一般人よりも高次元にある」という佐藤優氏のコメントを紹介した後、自分もそうかもしれないと思うと述べられたのです。

「兄弟愛」もままならない人に「友愛」が説けるのかという疑問はありますけれども、「幸福度調査」というアイデア自体は悪くありませんね。

たしかに次元の高い発想かもしれません。

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                      幸福とは何か


この発想の背景には、「GNH」という考え方があります。

グロス・ナショナル・ハピネス、つまり、「国民総幸福量」という意味です。ブータンの前国王が提唱した国民全体の幸福度を示す尺度で、世界的に注目されています。 

「GNP(国民総生産)」で示されるような「物質的豊かさ」を求めるのではなく、「精神的豊かさ」、すなわち「幸福」を求めるべきであるという考えから生まれたものです。

ブータンは経済的、物質的には世界でも最も貧しい国の一つですが、国民のなんと9割以上が「自分は幸福だ」と感じているといいます。驚くべき数字ですね。

ブータンは世界で唯一のチベット仏教を国教とする国であり、葬儀を中心とした宗教儀礼が非常に盛んなことで知られます。そのせいか、ブータンの人々は良い人間関係に恵まれているようです。人間関係の良好さが幸福感に直結しているのです。

わたしは、どんなにお金や社会的地位や健康に恵まれていても、人間関係に恵まれなければ、その人はやはり不幸だと思います。

現代人はさまざまなストレスで不安な心を抱えて生きています。

ちょうど、空中に漂う凧のようなものです。

そして、凧が安定して空に浮かぶためには糸が必要です。

さらに安定して空に浮かぶためには縦糸と横糸が必要ではないかと思います。

縦糸とは血縁です。時間軸で自分を支えてくれる「先祖」です。

また、横糸とは地縁です。空間軸から支えてくれる「隣人」です。

この二つの糸があれば、安定して宙に漂っていられる、すなわち心安らかに生きていられる。これこそ、人間にとっての真の「幸福」の正体ではないかと思います。

ブータンの人々は宗教儀礼によって先祖を大切にし、隣人を大切にして人間関係を良くしている。だから、しっかりとした縦糸と横糸に守られて、世界一幸福なのです。

日本人の「幸福度調査」を本気で行うなら、その人が先祖供養をきちんとしているか、また隣人と仲良く暮らしているか、この二つをぜひ調査すべきだと思います。

 

2010年3月15日 一条真也

感情労働の時代

一条真也です。

昨日の新聞に嫌なニュースが載っていました。

26歳の女性看護師が高齢の寝たきり患者の肋骨を次々と折っていたというのです。

フジテレビの「めざましテレビ」でも取り上げていましたが、容疑者の看護師は、いくら看護をしても患者から感謝の言葉がなかったのでキレたそうです。

この事件を知ってから、いろいろと考えさせられました。

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               3月14日付「西日本新聞」朝刊より


先日の京都大学「こころの未来研究センター」の研究報告会で、カール・ベッカー先生が「介護におけるバーン・アウト」について話されていたのを思い出しました。

介護するのに疲れた人々が燃え尽きてしまう問題ですが、わたしは介護される人から一言でも「ありがとう」の一言があれば、バーン・アウトの多くは防げたのではないかという感想を持ちました。

しかし現実は認知症の患者さんもたくさんいます。感謝の言葉を期待するのも難しい状況があるわけです。

今回だけでなく、高齢者の介護施設などで働く人々が高齢者を虐待したという事件はよく起こっています。

報道によれば、容疑者は普段は優秀な介護者で、評判も高いようです。

もちろん彼らの行為はけっして許されませんが、やはり、善意の人であり続けるのは大変なことのようです。

現代は、モノを生産したり加工したりする仕事よりも、人間を相手にする仕事をする人、すなわち「感情労働者」が多くなってきました。

感情労働とは、肉体労働、知識労働に続く「第三の労働形態」とも呼ばれます。

「感情社会学」という新しい分野を切り開いたアメリカの社会学者アーリー・ホックシールドは、乗客に微笑む旅客機のキャビンアテンダントや債務者の恐怖を煽る集金人などに丹念なインタビューを行い、彼らを感情労働者としてとらえました。

ホックシールドは言います。

マルクスが『資本論』の中に書いたような19世紀の工場労働者は「肉体」を酷使されたが、対人サービス労働に従事する今日の労働者は「感情」を酷使されている、と。

現代とは感情が商品化された時代であり、労働者、特に対人サービスの労働者は、客に何ほどか「感情」を売らなければならず、したがって感情管理はより深いレベル、つまり感情自体の管理、深層演技に踏み込まざるをえない。それは人の自我を蝕み、傷つけるというのです。



ひるがえって、わが社の場合を見ても、冠婚葬祭業にしろホテル業にしろ、確かに気を遣い、感情を駆使する仕事です。

お客様は、わたしたちを完全な善意のサービスマンとして見ておられます。

もちろん、わたしたちもそのように在るべきですが、なかなか善意の人であり続けるのは疲れることです。

しかし、感情労働のプロとして、ホスピタリティを提供しているということに対しての覚悟と矜持を持たなければなりません。

介護サービスの提供者を含め、感情労働のプロの「こころ」の問題は、今後の日本にとって重大な問題だと思います。

今回の事件の容疑者は昨年、結婚し、子どもも生んだそうです。

それを知って、ものすごく悲しい気分になりました。

このような悲劇が二度と起こらないことを心から願っています。


2010年3月15日 一条真也

混ざり合った日本の私

一条真也です。

わたしは、冠婚葬祭の会社を経営しています。

冠婚葬祭業ですから、神社や寺院とのお付き合いも当然多いです。

個人的に親しくさせていただいている神官や住職の方々もたくさんいます。

そのせいか、他人からは宗教に詳しい人と思われているようで、よく質問されます。

日本人と宗教の関わりについてのものが多いですね。



たとえば、次のような質問です。

「神社での神前結婚式が減ってきているようだが、日本人の心が神道から離れていっているのか」

「逆に、教会でのチャペル・ウエディングが増えているということは、日本でキリスト教の勢力が拡大しているのか」

「日本の仏教は『葬式仏教』などと言われる。この世に生きる人間の心を救うはずの宗教が葬式にばかり熱心なのはよろしくないのでは」

「儒教は宗教ではなく、道徳ではないのか」

「家に神棚も仏壇もあるが、神道と仏教を同時に信仰していることになるのか。おかしくないか」

「日本人ほど宗教に対して、いいかげんな国民はいないのではないか」

「日本人は基本的に無宗教ではないのか」

「日本には20万以上の神社仏閣があるという。コンビニの数倍であり、無宗教どころか、日本は宗教大国ではないのか」

「あいかわらず、各地では祭りが盛んである。祭り好きということは、実際は、やはり日本人は宗教好きなのか」

「天皇制というのは一種の宗教なのか」

「靖国神社は本当に神道の宗教施設なのか」

「オウム真理教は仏教を名乗っていたが、あれは仏教と呼べるのか」

「行政や大企業では信じられない不祥事が相次ぎ、少年たちは殺人、少女たちは売春に走る。どうして、日本人のモラルはここまで低下し、人心は荒廃してしまったのか。やはり、信仰心が欠如しているからか」

「武士道こそ日本人の本当の宗教であり、この精神をよみがえらせることがモラル復興につながるのではないか」

などなど、みなさんもよく耳にする質問ではないでしょうか。

どれも一見して素朴な疑問のようで、実は日本人の宗教心の核心を鋭く突いています。


わたしは、これらの問いをザイルとし、日本宗教という不可思議な山を登っていきました。とりあえずは見晴らしのよい場所までたどり着いたとき、日本宗教とは三つの大きな山から成る連山であることに気づきました。

三つの山の名前は、神道と仏教と儒教です。

わたしは、さらに日本人の「こころ」の謎を解くため、『知ってビックリ! 日本三大宗教のご利益〜神道&仏教&儒教』(だいわ文庫)という本を書きました。

日本人の「こころ」は、明らかに神道と仏教と儒教という三大宗教によってデザインされています。三大宗教は融合して、武士道や心学や冠婚葬祭を生み出しました。

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               神道&仏教&儒教を学ぶ最高のテキスト


では、三大宗教それぞれの最高のテキストを紹介したいと思います。

神道の最高のテキストは、『神道とは何か』鎌田東二著(PHP新書)。

仏教の最高のテキストは、『私だけの仏教』玄侑宗久著(講談社+α新書)。

儒教の最高のテキストは、『儒教とは何か』加地伸行著(中公新書)。

いずれも、コンパクトな新書本です。

もちろん、それぞれの宗教を本格的に勉強しようと思えば、参考書は無限にあります。

しかし、この3冊は初心者にもわかりやすく書かれた極上の入門書だと思います。

わたしも、この3冊で基本を勉強させていただきました。そして、『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益〜神道&仏教&儒教』(だいわ文庫)を書きました。



わたしは、自分の「こころ」の中に三大宗教が根づいていることを感じます。

日本文化のすばらしさは、さまざまな異なる存在を結び、習合していく寛容性にあります。それは、和え物文化であり、チャンプルー文化であり、ハイブリッド文化です。

かつて、ノーベル文学賞を受賞した記念講演のタイトルを、川端康成は「美しい日本の私」とし、大江健三郎氏は「あいまいな日本の私」としました。

どちらも、日本のある側面を的確にとらえていると言えるでしょう。

たしかに日本とは美しく、あいまいな国です。

しかし、わたしならば「混ざり合った日本の私」と表現したいと思います。

衝突するのではなく、混ざり合っているのです。

無宗教ではなく、自由宗教なのです。

わたしは、「混ざり合った日本の私」であることに心から誇りを抱いています。


2010年3月15日 一条真也

『世界宗教史』

一条真也です。

エリアーデの『世界宗教史』全4巻(筑摩書房)を部分的に再読しました。

ミルチア・エリアーデは、ルーマニアが生んだ20世紀最高の宗教学者です。

また、幻想文学作家でもあり、その生涯を通じて異界を見つめ続けた人でした。

エリアーデは膨大な著作を残しましたが、最後のライフワークとして取り組んだのが『世界宗教史』という壮大なプロジェクトでした。

惜しくも全巻の刊行を待たずにエリアーデは死去し、残りの部分は彼の弟子たちによってまとめられました。

第1巻の「序文」の冒頭に、エリアーデは次のように書いています。

「宗教学者にとっては、聖なるもののすべての顕われが重要である。すべての儀礼、すべての神話、すべての信仰あるいは神の図像は聖なるものの経験を反映しており、それゆえに存在・意味・真実の概念を含んでいる。」

エリアーデの学問のスケールの大きさを感じさせる言葉です。

経営学者のドラッカーにしろ、人類学者のレヴィ=ストロースにしろ、そして宗教学者のエリアーデにしろ、常に人類的視点というスケールの大きさを持っていたと思います。

この3人は、わたしが最もリスペクトする20世紀の「知の巨人」たちです。

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                  まさに人類の精神史!


第1巻には、オリンポスの神々を信仰した古代ギリシャの宗教が興味深く描かれます。

第2巻には、共訳者として、『葬式は、要らない』の著者である島田裕巳氏の名も出てきます。この第2巻には「ゴータマ・ブッダからキリスト教の興隆まで」というタイトルがつけられており、世界宗教史の中でも最も面白い時代を扱っています。

ブッダやイエスには、それぞれ数十ページと、かなりの重きが置かれています。

一方、古代中国の宗教家については、孔子が3ページちょっと、老子が7ページと物足りなさが残ります。

孔子については以下のような描写がありました。

「厳密に言えば、孔子は宗教的な指導者ではなかった。彼の思想、とりわけ新儒家の思想は普通、哲学史の分野で研究されている。しかし孔子は、直接、間接に、中国の宗教に根本的な影響を与えた。事実、その道徳的・政治的改革のほんとうの源泉は、宗教的なものである。彼は道や天空神や祖先崇拝といった、伝統的で重要な観念をすこしも否定しなかった。さらに、儀礼や慣習的な行動の宗教的な機能を高く買い、その再評価を行なっている。」


以上の描写は別に間違いではありませんが、孔子の正体や儒教の本質には触れていないと思います。

儒教ほど誤解されている宗教はないのではないでしょうか。

多くの人は、高級官僚をつくるための教養を与える宗教であるとしか思っていません。

中には儒教は道徳であり、宗教ではないという人もいます。

しかし、儒教くらい宗教らしい宗教はありません。

宗教の大きな目的の一つが魂の救済であるとするなら、儒教はそれに大きく関わっているからです。

中国の世界観では、人の魂(たましい)には「魂(こん)」と「魄(はく)」があるとされます。人が死ぬと、魂(こん)は天に昇り、魄(はく)は地に潜(もぐ)る。そして、子孫が先祖を祀る儀式を行えば、天と地からそれぞれ戻ってきて再生すると考えられています。

中国人にとって最大の不安は、子孫が途絶えてしまうことです。なぜなら、もし子孫が途絶え、先祖である自分を祀る儀礼を行ってくれないとしたら、わが魂(こん)と魄(はく)は分裂したままさまよい、永遠に再生できないからである。本当の意味で自分は死んでしまうからです。

ならば、どうすべきか。天下の乱れをなくしてしまえば、そのような事態を未然に防げると考えたのです。人々がみな幸福に暮らしていれば、家が絶えるという不幸な事態も起きないと考えたのである。そこで儒教では、政治を重んじた。正しい政治が行われることによって、生者のみならず死者もが救われるというのが儒教の思想でした。


儒教が宗教であることの理由はまだあります。

中国哲学者で、儒教研究の第一人者として知られる加地伸行氏によれば、宗教とは「死ならびに死後の説明者」であるといいます。

人間にとって究極の謎である死後の説明ができるものは宗教だけです。そして、個人のみならずその民族の考え方や特性に最もマッチした説明ができたとき、その民族において心から支持され、その民族の宗教になるのです。

中国の場合、漢民族に最もしっくりくる「死ならびに死後の説明」に成功したのが儒教であり、儒教のあとに登場する道教でした。

そのため、儒教や道教は漢民族に支持され、国民宗教としての地位を得たのです。

仏教は漢民族の支持を得られなかったため、中国では確たる地位を得ることができず、ついには国民宗教となることができませんでした。

この三つの宗教の死生観を見てみると、仏教には「輪廻転生」、道教には「不老長生」、儒教には「招魂再生」というコンセプトがあります。

仏教は生死を超えて「仏」になろうとする。道教は生死を一体化して「仙人」になろうとする。そして、儒教は生きているときには「聖人」や「君子」になろうとし、死後は祖先祭祀によって生の世界に回帰するわけです。


儒教ほど、葬礼を重んじる宗教はありません。

エリアーデほどの偉大な宗教学者にして、孔子や儒教の本質を見抜けなかったのは意外ですが、やはり彼自身が西洋人であったことが影響しているのでしょう。

『世界宗教史』を読んで、あらためて日本人の宗教観はユニークであると思いました。

神道・仏教・儒教の三つが合わさって日本人の「こころ」が作られています。

わたしたちは、神道や仏教についてと同じように、儒教についても知る必要があるのではないでしょうか。


2010年3月15日 一条真也

オリンポスの神々に見守られて

一条真也です。

映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」、本当に面白かったですよ!

さて、オリンポスの神々といえば、松柏園ホテルです。

同ホテルのガーデンには、オリンポス12神の等身大像が一同に揃っているからです。

これまでも12神のうちいくつかの像が揃うことはありましたが、すべての神々が、しかも平均180センチという等身大で揃うことは、全国でも初めてであり、大きな話題となりました。サンレーでは、メソポタミア神話や日本神話とのコラボも視野に入れた「パンテオン・プロジェクト」を進めているのです。

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               松柏園ホテルのオリンポス12神の前で

 

オリンポス12神について簡単に説明します。

まずは、ゼウス。最高神にして父なる神です。

ホメロスは『イリアス』の中で、「ゼウスが自分の宮殿に帰ってきた。父なる神が近づくのを見て神々はみな席から立ち上がった」と書いています。

ゼウスは天空を支配し、あらゆる気象現象を司り、他の神々すべてを合わせたより強い力を持ちます。オリンポスの玉座から神と人間を支配するのがゼウスなのです。

次に、ヘラ。ゼウスの妻で、結婚と誕生の女神です。

ポセイドンはゼウスの兄弟で、海神として有名です。泉を湧き出させ、馬や雄牛を造り出したとも言われます。

へパイトスはゼウスとヘラの息子で、火と火山の神です。鍛冶屋で魔術師でもあります。アレスも同じくゼウスとヘラの息子で、軍神です。

ディオ二ソスはゼウスの息子で、酒、植物、豊饒、演劇の神です。

太陽神として知られるアポロンはゼウスの息子で、光、予言、詩、音楽の神です。

疫病をもたらし、かつ癒す神でもあります。

ヘルメスはゼウスの息子で、雄弁家、商人、盗賊の神です。神々の使者で、死者の霊魂を導きます。

アテナはゼウスの娘で、芸術、技術、平和、戦の神です。一般には手工芸品と家政学の神として知られています。アルテミスもゼウスの娘で、野性味あふれる狩猟の女神です。子どもの守護神でもあります。

デメテルはゼウスの姉妹で、農業と豊作の女神。生命の再生を司ります。

そして最後に、アフロディーテ。愛と美と微笑みの女神です。

サンレーグループの衣装店のシンボルでもありますね。以上が、オリュンポス12神のオールスターキャストです。



古代ギリシャ人はヨーロッパの中でもとりわけ素晴らしい神話を創造しました。

そして、神々や英雄や人間や動物についての驚くばかりの物語を指すときに現在用いられている「神話」(ミス)という呼び名を生み出したのも、古代ギリシャ人です。

ギリシャ神話はまことに驚異とドラマに満ちており、その影響力は現代人の心の奥底の無意識にまで及んでいます。

神話は架空の物語ではあっても、明らかに真実を描き出しているからです。


ローマ人もやはり、ギリシャ神話の多彩さと力強さに感銘を受けました。それどころか、ギリシャ神話をそっくり借用して、自分たちのイタリアの神をギリシャの神と同一視することが多かったうえ、ローマ川に相当する神がなくてもギリシャの神を取り入れたことまでありました。ギリシャ神話とローマ神話の融合は進み、紀元前2世紀にはそのプロセスが完了したと言われています。 


現在、一時に比べればブームにやや翳りが見えてきたとはいえ、ヨーロッパ風の結婚式を売り物にするハウスウェディングがまだまだ頑張っています。

そこで打ち出しているのはイギリス、フランス、イタリアなどですが、それらヨーロッパ諸国の源流はいずれも古代ローマです。そして、その古代ローマの文化とは、「神話の継承」に象徴されるように古代ギリシャから受け継いだものです。

いわば、ギリシャ→ローマ→ヨーロッパ諸国と、文化は下ってきたわけです。

ハウスウエディングによってヨーロッパの香りをかいだ日本の若者たちが、さらなる本物志向にめざめて、ローマ、そしてギリシャへと関心が向かうのではないかと思います。

映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」が、そのきっかけになるかも。


2010年3月15日 一条真也