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一条真也のハートフル・ブログ

2010-03-27

F−ace

一条真也です。

今日、先日収録したテレビ東京系の「F−ace」が放映されました。

テレビに出るのは、あまり好きではありません。

テレビに自分の顔を映し出されるのは、なんだか違和感があるからです。

でも今回の番組は、わが社の理念をきちんと紹介してくれ、ありがたかったです。

わが社の若い社員たちも、よく映っていました。


ひとつ、お断りしておきたいことがあります。

それは、わたしが番組のオープニングとエンディングで腕組みをしていることです。

わたしは、普段は絶対に人前で腕組みをしないことに決めています。

ビジネスマンとして絶対にしてはならないのが、腕組みと足組みだからです。

江戸しぐさでは、「衰運しぐさ」として非常に嫌われました。



とくに人と会話しているときは、コミュニケーションの姿勢をとるのが礼儀です。

腕組みは相手との間に柵を設けることであり、自由なコミュニケーションを拒否するという心理的圧力を与える結果になります。

そのうえに足まで組んでいれば、さらに相手を遠ざけようとすることになります。 

満員電車の中で足を組むのは、自分の前に障害物をつくって、それ以上人が近づいてこないようにするということです。

人が攻撃してきても、すぐに蹴ることができる防御態勢をとっているわけであり、失礼千万です。

わたしは人と接するとき、腕組み、足組みだけは絶対しないように心がけています。

お客様を相手にするサービス業の社長が偉そうに腕組みなどしていたら、その会社は非常に危険だと思っています。

やっぱり、傲慢な印象を与えますからね。

経済誌などの社長インタビュー企画で、カメラマンの方から「腕組みをしていただけますか」とよく言われるのですが、「わたしの信条なので」とお断りしてきました。

しかしながら、今回は番組自体のフォーマットとなる演出であり、出演者全員がそうしているとのことで、やむなく腕組みをした次第です。はい。



さて、「FACE」ということで顔について考えてみました。

自分の顔は目が小さくてあまり好きではありませんが、47歳にもなろうというオッサンが今さら親を恨んでも仕方ありません。

成人してからの顔は、完全に自己責任ですよね。

かつて「男の顔は領収書、女の顔は請求書」という言葉が流行しました。

うまいことを言うものです。

たしかに男の顔には人生が滲み出ているのかもしれません。

よく、年齢を重ねると、顔に締まりのない元アイドル歌手などがいます。

いわゆる、良い年の取り方をしていない感じがします。

一方、けっしてイケメンではなくとも、香川照之さんなどは実にいい顔をしていますね。



わたしは、顔というのは目や鼻の大きさとか全体のバランスといった容姿ではなく、とにかく表情が重要であると思っています。

とくに、政治家にしろ経営者にしろ、リーダーは表情が大切ではないでしょうか。

『孫子』に「軍に将たるの事は、静にして以って幽なり」とあります。

軍を率いる時の心構え、つまり、リーダーの心構えは静であり幽であれ、というのです。

「幽」とは、計り知れないほど奥が深いという意味ですね。

わかりやすく言うと、味方がピンチに陥った時に動揺を顔に表わすようでは、リーダーの資格はない。

組織がピンチになれば、部下は真っ先にリーダーの顔色をうかがう。

そんなとき、リーダーがあたふたと動き回ったり、緊張しすぎたりすれば、部下はいっそう動揺する。常に冷静沈着であってこそ、部下の信頼は得られるというのです。


 

最後に、最も素敵な表情とは、やはり笑顔でしょう。

笑顔のもとに人は集まります。

笑顔など見せる気にならない時は、無理にでも笑ってみることです。

感情にしたがって動作が起こるように見えます。

でも実際は、感情と動作は並行するものなのですね。

ですから、快活さを失った場合は、いかにも快活そうにふるまうことが、それを取り戻す最高の方法なのだと思います。

まあ、そうは言っても、なかなか難しいですけどね。

イケメンでなくてもいいから、いつも笑顔の似合う人になりたいものです。


2010年3月27日 一条真也

『マンガは越境する!』

一条真也です。

大学時代の同級生である本浜秀彦君から本を送っていただきました。

『マンガは越境する!』(世界思想社)という本です。

沖縄出身の本浜君は、現在、沖縄キリスト教学院大学准教授を務めています。

大学卒業後に川崎製鉄に入社、琉球新報記者を経て、ついには学者になりました。

比較文学、メディア表象論が専門です。

そんな彼が編者の1人として名を連ねた本が、この『マンガは越境する!』です。

帯には、「マンガとMANGAのボーダーを越える、グローバル化時代の新たなマンガ論!」というコピーが書かれています。

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                  マンガは世界を変えるか


いま、世界の人々から日本文化が熱い注目を浴びています。

たとえば、「クール・ジャパン」という言葉をよく聞くようになりました。

「COOL」は本来の「涼しい」から「爽快」、そして「カッコいい」とか「素敵」の意味で使われています。

つまり、「クール・ジャパン」とは「カッコいい日本」「素敵な日本」という意味ですね。

もともとは、アメリカの財団の研究員であるダグラス・マグレイによる造語です。

彼は、「現代の国力を計るときには、一国の持つクールさで計る必要がある」と述べ、「日本は80年代の経済大国を超える文化大国になった」と断言しています。

いま世界から「クール」な国として賞賛されている日本ですが、なんといっても日本がマンガ、そしてマンガから派生したアニメの母国であることが大きいでしょう。


そんな世界が注目する日本のマンガ文化を11人の気鋭の学者たちが多様な視点で斬り込んでいます。

本浜君は、最後の第11章「マンガにおける場所と記憶〜『SEX』にみる戦後的無意識と皮膚の欲望」を担当しています。

『SEX』というマンガは、「ヤングサンデー」誌に1988年から92年まで連載された上條淳士の作品だそうです。わたしは、まったく知りませんでした。

本浜君の論文は、この『SEX』から、沖縄〜東京〜神奈川の主人公を通して変わらない背景として描かれる「米軍基地」に焦点を当てています。

そして、「記憶」の中に隠されてきた歴史性や政治性を浮かびあがらせる有効な表現としての「マンガ」を検証しています。



巻末に掲載されている執筆者の「一言紹介」で、本浜君は、雑誌掲載時に読んで心酔した作品をあげています。

それによれば、「海の姉妹」(手塚治虫)、『仮面ライダー』(石森章太郎)、『あしたのジョー』(ちばてつや、原作;高森朝雄)、『ぼっけもん』(岩重孝)だそうです。

この中で、わたしと共通しているのは、『仮面ライダー』くらいですかね。

『あしたのジョー』なんて、1968年から1973年の連載です。

幼稚園の年長から小学4年生ぐらいだと思うのですが、そんな頃にリアルタイムで心酔していたなんて、本浜君はずいぶん大人びていたんですね!



かつて、わたしは20世紀を代表する20のマンガを選んだことがあります。

現在、オフィシャルサイト「ハートフルムーン」の「私の20世紀」の中に「20冊のコミック」のタイトルで掲載されています。

それには、『仮面ライダー』と一緒に『あしたのジョー』もちゃんと入っています。

今度、沖縄に行くときは、ぜひ本浜君に連絡を取ろうと思います。

泡盛を飲みながら、同級生とマンガ談義をするのが今から楽しみです!


2010年3月27日 一条真也

『水木しげるの遠野物語』

一条真也です。

『水木しげるの遠野物語』(小学館)を読みました。日本民俗学の原点ともいわれる柳田國男の『遠野物語』を、あの水木しげる大先生がマンガにしたのです。

柳田國男×水木しげる! こんな豪華な顔合わせはめったにありません。

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                   前世の記憶がよみがえる


遠野物語』は、岩手県の遠野出身の研究者である佐々木喜善の記憶の中にある民話を、柳田國男がまとめたものです。

遠野地方において親から子へ、先祖から子孫へと代々語り継がれてきた昔話、民間伝承、説話、怪異譚などをそのまま聞き書きしたもので、必ずしも起承転結などにはとらわれていません。その幻想的な『遠野物語』を水木大先生が見事にビジュアル化してくれました。山男、山女、サムトの婆、オシラサマなど、よく知られたキャラたちが、ユーモラスな造形でよみがえります。



わたしは、『遠野物語』のような民俗的口承文化とは、「共同知」の問題に関わっていると思います。伝統的共同体においては、「共同知」は、まず儀式というものに表れます。しかし、儀式のみではありません。

しきたり、言い伝え、あるいは老人の知恵、民話や童謡、そして祭りというかたちで蓄積され、伝承されてきたのです。かつてグリム兄弟が採集し、われらが柳田國男が調査してきたのは、このような「共同知」の全貌だったと思います。

そこには、昔話のようでいて、実はコミュティを維持し運営するための問題解決の方法や、利害対立が起こったときの対処のノウハウなどがたくさん語られています。

逆に、そのような意図があることを忘れてしまった地域や都市において、祭りも伝説も形骸化してしまったのだと言えるでしょう。



本書の終わり近くで、水木大先生は柳田翁の幻影と会話をします。

そこで、柳田翁に対して、「自分は前から遠野に関心があったんです」とか「『遠野物語』は避けて通れないと思っていたね」などと語りかけます。

なぜかというと、『遠野物語』にはあまり妖怪の名前は出てこないけれども、みんな妖怪の話に他ならないからだというのです。

遠野物語』の最終話は、第119話です。そこで、柳田翁は遠野郷に古くから伝わる「獅子踊り」の歌を書きとめています。実際に、五穀豊穣を願う遠野の「獅子踊り」を初めて見た水木大先生は、「これは凄いじゃないのッ!!」と大変コーフンします。

獲物を狙う山の獣を獅子に見立て、それが人間と激しく格闘する様子を表現した郷土芸能ですが、見ているうちに大先生は、前世に遠野にいたような気がしてきます。

そして、「人間ていうのは生まれ変わっているのかも分からん・・・・・心っていうのは浮遊して体に入り込むんじゃなかろうか?」「前世の魂は血縁(肉体)とは違う別の所からやって来るのかも試練・・・・・想像を絶するようなやり方で・・・・・」と言うのです。

柳田翁は『先祖の話』で、先祖の霊が子孫に生まれ変わるという祖霊観に共感を寄せていますから、生まれ変わりは血縁によるものだという考えのようです。

柳田翁と真っ向から意見が対立した水木大先生ですが、最後にぽつりと、こうつぶやきます。「いや、前世 遠野に存在していたのは確かなようだ」と。

88歳になって、だんだんあの世に近づいてきた大先生には、「魂のしくみ」がわかってきたのかもしれません。



今年は、『遠野物語』の発刊から100周年です。

多くの記念イベント、記念出版が予定されているようです。

わたしは一昨年、遠野を初めて訪ねました。

かねてから聞いていた通り、ちょっと観光化され過ぎている観もありましたが、そこかしこに無性に懐かしい空気を感じました。

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                     『遠野物語』を求めて


それと、遠野では不思議な経験をしました。記念館の座敷わらしを紹介した部屋で写真を撮ったのですが、そこに不思議な光の玉が写り込んでいたのです。

わたしの左肩の上方に二つの玉が見えます。奇しくも、その場にいた人が「座敷わらしの部屋では、よく光の玉が写るんですよ」と言っていました。

このことをずっと忘れていましたが、天河での光の玉の一件で思い出しました。

本当に何なんだ、この光の玉は?!

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                    光の玉は座敷わらし?


2010年3月27日 一条真也

神社はパワースポット

一条真也です。

天河で一夜を明かしました。

鎌田東二さんが吹く法螺貝の音で目を覚まし、6時からの朝食前に宿泊している民宿から歩いて天河大弁財天社へ参拝に。

早朝の天河の山頂には霞がかかり、神域には清々しい気が充満していました。

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                     早朝の天河大弁財天社


ちょうど、鳥居のところで柿坂神酒之祐宮司にお会いしました。

神職の方々は、本当に朝が早いのですねぇ。

写真を撮っていたら、「わたしが写してあげましょう」と宮司さん。

なんと、柿坂宮司にわたしの写真を撮影していただきました。まことに恐縮しました。

後で写真を見てみたら、光の玉がたくさん写っていて、ビックリ!

なんなんだ、この光の玉は?!

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          写真に不思議な光の玉が!(撮影:柿坂神酒之祐)



天河を出発した後は、近くの丹生川上神社へ寄りました。

ここは「水の神様」をまつっていますが、天河と同じくプラスの気に満ちていました。

手水場で口をゆすぎ、美味しいお水をいただいてから、参拝させていただきました。



いま、神社が見直されているようです。

とくに若い人たちの間で、「パワースポット」として熱い注目を浴びています。

いわゆる生命エネルギーを与えてくれる「聖地」とされる場所ですね。

神道研究の第一人者である鎌田さんによれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。

世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。

ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのですね。

まさに、天河大弁財天社にしろ、出雲大社にしろ、伊勢神宮にしろ、神社とは穴の開いたパワースポットなのです!



わたしも、疲れたときなど、よく神社に行きます。

何よりもまず、神社は木々に囲まれた緑の空間です。

ゆたかな緑の中にいると、いつの間にか元気になります。

また、神社はさまざまな願いをかなえてくれる場所でもありますね。

わたしは、しばしば志を短歌に詠み、神社に奉納します。

不思議とその後は物事が順調に進み、願いがかなうような気がしています。

八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、根本的に開かれていて寛容なところです。まったく神社ほど平和な場所はありません。

伊勢神宮や出雲大社には心御柱がありますが、すべての神社は日本人の心の柱だと思います。そんな考えから、わたしは一昨年、『開運!パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)を監修しました。

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                  神社は日本人の心の柱    


最近、人々の絆がなくなり、「無縁社会」が叫ばれていますが、もともと神社とは日本人の血縁と地縁を強める場所でした。

わが社では、地域の方々が集う食事会である「隣人祭り」の開催をサポートさせていただいていますが、最近は神社で開催することもしばしばです。

今後、ますます神社の重要性は高まっていくように思います。

これから、いよいよ桜の季節。

多くの神社の境内には桜の木が植えられています。

さあ、あなたも花見もかねて、近くの神社に行ってみませんか?


2010年3月27日 一条真也