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一条真也のハートフル・ブログ

2010-03-30

女のセンチメンタリズム♪

一条真也です。

「男のセンチメンタリズム」の次は、「女のセンチメンタリズム」です。

「センチメンタル」とは、「感傷的な」ということ。

「センチメンタリズム」とは、「感傷主義」とでも訳しましょうか。

男女に限らず、「感傷」というものは、恋人との別れに関わっていますね。

その世界に関しては、やはりユーミンが第一人者だと思います。

わたしの学生時代は、とにかくユーミンの全盛期でした。

女子大生は、みんなユーミンを聴いていました。

彼女の曲から感じられる「女のセンチメンタリズム」に酔っていたのかもしれません。


まずは、「海を見ていた午後」からです。

横浜にある山手の「ドルフィン」というレストランが舞台です。

このレストランで一組のカップルが別れてしまう。

その後、彼女が一人で訪れて昔を振り返る歌です。

インクが滲む紙ナプキンに「忘れないで」ってやっと書いた遠いあの日・・・・・。

「ソーダ水の中を貨物船が通る」というフレーズは、今聴いても素晴らしい!

言葉が見事に映像を呼び起こしています。

ユーミンは本当に詩人としても天才ですね。

われらが桑田佳祐とともに、日本が誇る叙情詩人だと思います。

学生時代、「ドルフィン」にはよく行きました。

車のカーステレオでこの曲を何度もかけながら・・・・・。


次は、「グッド・ラック・アンド・グッド・バイ」です。

人ごみの中で再会する元カップルの物語です。

元カレに見送られ、彼女は現在の恋人のもとへバスで帰ってゆきます。

天才詩人ユーミンの歌詞は映像的で、その光景が視覚として浮かんできます。

先に降りた元カレに見えるように、彼女は曇ったバスの窓に文字を書きました。

何度聴いても、やさしい気分になれる曲です。


最後は、「悲しいほどお天気」です。

このタイトル自体がまた素敵ですね。

天才詩人の才能が遺憾なく発揮されています。

なぜ、「お天気」なのに「悲しい」のか?

そこに、「センチメンタリズム」の真骨頂があるわけですね。

なぜ、あんなに愛し合った二人が別れてしまったのだろう。

どこで道は二手に分かれていったのだろう。

そんな、あの頃を振り返る最高の名曲がユーミンの「悲しいほどお天気」です。

美大生同士のカップルは、いつも二人で屋外スケッチをしていました。

ずっと、「一緒に歩いてゆける」と信じていました。でも・・・・・。



この曲と同じアルバムには「DESTINY」という曲も入っています。

この曲も別れた恋人との再会を歌っています。

キレイになって振った元カレを見返してやろうと決めていた彼女ですが、実際に再会したときは、たまたま安いサンダルを履いていたという悲しい歌です。

当時、作家の田中康夫さんとかコラムニストの泉麻人さんなどが、よく「DESTINY」を取り上げていましたね。たしか、泉さんは、「この彼女はサンダルだけでなく、足の指にはバンドエイドが巻かれていた気がする」と書いていました。

それを読んで以来、なんだか「DESTINY」という歌には夢がなくなってしまいました。

「悲しいほどお天気」のほうが、ずっと好きです。

なんだか、桜をながめながら、ユーミンのCDベスト盤を聴きたくなってきました。

咲き誇る桜もいつかは散る。人の出会いは「一期一会」です。

縁あれば結婚へと至るカップルもいますし、違う相手と出会って別々の人生を歩むカップルもいる。それでも、一度会ったという縁は永遠に消えません。

すべての出会いを大切にしたいものですね。


2010年3月30日 一条真也

男のセンチメンタリズム

一条真也です。

「ハートカクテル」、いかがでしたか?

いま見ると、やはり古い感じはしますけれども、わたしは大好きですね。

たまらなく「男のセンチメンタリズム」を感じます。

映画の名作である「カサブランカ」や「第三の男」のラストシーンには、最高の「男のセンチメンタリズム」がありますね。

つまり、「男のセンチメンタリズム」の一番の出番は、恋人と別れたときですね。

そして、別れた恋人との思い出を振り返るときですね。

さらには、別れた恋人に再会するときではないでしょうか。


「コスモス・アベニュー」の主人公の男性は、一緒に暮らしていた彼女と別れます。

彼は、彼女が置いていった自転車を新居に届けてあげます。

再会した二人には何が起こるのでしょうか。

美しい映像と音楽も印象的です。



次の話は、「オールドハワイ・コナ」。

これも、別れた彼女の新居を訪ねて行く話です。

なんだか未練がましい気もしますね。

男にとって「センチメンタリズム」よりも大事なものがあります。

それは、「ダンディズム」ではないでしょうか。

彼女の心が自分から離れたら、スッパリとあきらめる。

けっして恨み言や愚痴など言わない。

そして、彼女の幸福を願ってあげる。

男なら、そういう器量を持ちたいものです。

愛する彼女が幸せになれるのなら、別に相手が自分でなくたっていいじゃないですか!

まあ、そうは言っても、完全に自分のことを忘れられるのは寂しい・・・・・。

タイトルのオールドハワイ・コナとは、コーヒー豆の種類ですね。

では、「オールドハワイ・コナ」をどうぞ!



「ハートカクテル」はストーリーも洒落ていますが、BGMの音楽もいいですよね。

この2話は、松岡直也の曲です。

その他にも、島健、トニーズ・ショー、そして三枝成彰などが担当していました。

どれも透明感のある名曲揃いでした。

当時、カセットテープに録音したこれらの曲を今でも聴くことがあります。

とても、なつかしいですね。


2010年3月30日 一条真也

「ハートカクテル」

一条真也です。

春になると気分が浮かれてきます。

そして、人生で一番浮かれていた学生時代を思い出します。

あの頃の世界は、面白いもの、楽しいもの、感動するもので溢れていました。

そんな中に、「ハートカクテル」がありました。

わたせせいぞう原作のオールカラー・ショート・コミックです。

雑誌「コミック・モーニング」に連載されていました。

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                     カラフル&ハートフル


たしか、大学の同級生だった三浦公輝君(現在は、野村證券の福岡支店長)に教えられて、一発ではまった記憶があります。三浦君は仙台出身の伊達男で、オシャレなものや、トレンディなものについての情報に詳しかったのです。

「ハートカクテル」は、とにかくオシャレでセンチメンタルな話だらけでした。

講談社から出た大型のコミック本も揃えましたが、アニメ化もされて日本テレビで深夜に放映されていました。日本たばこがスポンサーでした。

たとえば、「ガラスの靴」という話は、JR東海の一連の「シンデレラ・エキスプレス」の原型となったストーリーです。



わたしが一番好きなのは、「思い出ワンクッション」という話です。

ホットな時期の恋人たちが、他愛もないジョークを交わします。

女「もし、もし、仮にヨ、別れちゃった後、町で会ったらどうする?」

男「もちろん知らない顔ですれ違うだけサ。君は?」

女「そうネ。じゃア、私もそうするワ」

ところが、その後、二人は本当に別れてしまい、あるレストランで偶然出会うのです。

さてさて、どうなることでしょう?


いやあ、いい話ですよねぇ。こういう話、大好きですねぇ。

わたしは、1988年に上梓したデビュー作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)で、「ハートカクテル」について書きました。

そこで、「ハートカクテル」は男のセンチメンタリズムのようなものを描いており、女のセンチメンタリズムを描いている代表はユーミンの曲だと述べています。

「ハートカクテル」の作者、わたせせいぞうサンは北九州の出身で、小倉高校から早稲田大学と、わたしの完全な先輩に当たります。故郷である北九州に関係する仕事も多く、現在は門司港に「わたせせいぞうギャラリー」があります。

「ハートカクテル」の舞台は、一見するとアメリカの街並みのようですが、よく見ると、北九州を連想させる光景がよく出ていたのを記憶しています。

とにかく、学生時代のわたしは、「ハートカクテル」が好きでした。

「ハートカクテル」には多くの「ハート」たちが登場します。そのイメージから、わたしは「ハートフル」というキーワードを思いつき、『ハートフルに遊ぶ』を書いたのでした。

いま、北九州市は「ハートフル・北九州」というコピーを打ち出しています。

わたせサンに憧れていた身としては、なんだか憧れの先輩と自分が「ハート」というキーワードでつながったようで、不思議な気分ですね。

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               「ハート」化時代のやわらかな卒論


2010年3月30日 一条真也

『親鸞』

一条真也です。

五木寛之著『親鸞』(講談社)上下巻を読みました。

この小説は、2008年9月より2009年8月までの1年間、全国の主要地方紙で連載され、2010年1月1日に単行本が刊行されました。

宗教哲学者の鎌田東二さんが、毎月交わしている「ムーンサルトレター第55信」において絶賛していましたので、興味を引かれて読んだのです。

また、新時代の宗教小説として注目を集めている村上春樹著『1Q84』(新潮社)のBOOK3の刊行が近いとあって、読み比べてみたいという思いもありました。

かたや日本最大の教団(本願寺教団=浄土真宗)の物語、こなた明らかにオウム真理教をモデルとしたカルト教団の物語。

かたや国民的作家・五木寛之。こなた世界的作家・村上春樹

ご両人とも、その筆力は当代一を争います。

どちらの作品が宗教の本質をとらえるのか。ワクワクしながら読み始めました。

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              「平等」という仏教の根本精神を求めて


結論から言いますと、上巻こそ、小学生時代に夢中になって読んだ大佛次郎の『ゆうれい船』を思わせる、少年向け歴史小説のような筆致で読みやすかったのですが、下巻になると読み進めるのがしんどくなってきました。

その原因は、ひとつに、主人公の名前が変わりすぎることがあると思います。範宴、綽空、善信、そして親鸞・・・・・もちろん歴史上の事実ですから仕方ないといえばそれまでですが、なんとも読みにくく感じました。

浄土真宗の関係者や仏教に関心が深い人なら、こういった一連の改名は常識かもしれません。でも一般読者を想定した場合、これは人物表が必要な本だと思いました。

見ると、帯の裏に「主な登場人物」が掲載されています。

でも、わたしのようにカバーもろとも帯を外して読書する人間にとっては、やはり本の巻頭か、もしくは栞として人物表を付けてほしかったです。



とはいえ、浄土真宗の祖である親鸞の青年時代を生き生きと描いた小説であるとは感じました。

まず、世間でさげすまれている者たち、都の闇にうごめく影のような男女たち、たとえば牛飼い、車借、馬借、辻芸人、傀儡(くぐつ)、行商人、遊び女、神人、博奕(ばくち)の徒、さらには盗人や、流れ者、主のいない侍など、彼らは若き日の親鸞を仲間扱いし、彼を慕ってゆく姿が描かれています。

そして、社会の底辺で暮らす人々と交わった若き親鸞は、比叡山で修行を治め、法然の教えに強く心を惹かれます。法然の教えは時代の常識を打ち破る過激なものでした。そこには新時代を呼び込む力がありました。

鎌田さんも「ムーンサルトレター第55信」でも引用していますが、五木氏は以下のように書いています。

「真実の言葉を語れば、かならず周囲の古い世界と摩擦をおこすものです。できあがった体制や権威は、そんな新しい考えかたや言動に不安をおぼえることでしょう。おそれながら、上人さまの説かれることの一つ一つが鋭い矢のように彼らの胸に突き刺さり、肉をえぐるのです。ことに上人さまがつねづねいわれる選択ということは、骨から肉をけずりとるように、これまでの仏法の権威を否定する教えです。わが国の仏法は、異国から伝わってくる教えや知識を、必死でとり入れ、つけくわえ、つけくわえして大きく豊かに花開いた世界です。ところが、上人さまは、それらの教えや、修行や、教説を一つ一つ捨てていこうとなさっておられます。知識も捨てる。学問も捨てる。難行苦行も、加持祈祷も、女人の穢れも、十悪五逆の悪の報いも、物忌みも、戒律も、なにもかも捨てさって、あとにのこるただ一つのものが念仏である、と説かれております。これまでそのような厳しい道にふみこまれたかたは、だれ一人としておられません。それが真実だからこそ危ういのです。危うければ真実だと、わたくしは思いました。」

「上人さま」というのは法然のことです。

さらに親鸞は、悪人さえもが往生できるという「悪人正機説」を唱え、師である法然より急進的な教えを説きました。

それは、念仏を唱えることは揺るぎない信頼と阿弥陀への感謝の念に他ならず、念仏だけが救われる唯一の方法であると主張し、ついには浄土真宗を開いたのです。

その後、8代目の教主として蓮如が現れ、組織づくりにおいて天才ぶりを発揮しました。こうして本願寺教団とも呼ばれる浄土真宗は大成功を収めたのです。

今日の日本で、浄土真宗は、仏教のあらゆる宗派の中で、約1500万人という最も多くの信者を抱えています。



本書で興味深かったのは、聖徳太子を深く尊敬する親鸞の「こころ」を見事に描いている部分です。

いわゆる仏教の開祖は釈迦ことゴータマ・ブッダですが、日本仏教の開祖は聖徳太子であるとされています。

その見方を確立した人物こそ親鸞その人です。

親鸞は、とにかく聖徳太子を尊敬していました。

古代日本に異国から伝わった仏教は、多くの文化や文明を連れてきました。

たとえば天文の学、建築工芸の技法、地理、算術、音楽、本草の学、医方の術、歴史、養生法、呼吸法、人の心の奥をきわめる学、美しい詩文、衣服の作法、航海術、鍛冶や石工の技術、料理の法などなど。

聖徳太子はそれらすべての知識に通じていました。

しかも深く仏道に帰依し、多くの法制をととのえ、寺院を建立しました。

しかし、若き親鸞は、比叡山の行者である法螺坊の激しい言葉に衝撃を受けるのです。

それは、こんな言葉でした。

「しかし、われら下々の者たちが太子を慕うのは、そのような立派な業績をのこされたからではない。四天王寺を建てられたとき、みずから尺をもち、工事の現場で大工たちに建築の技を教えてくださったのだ。石工や鍛冶といえば、河原者とおなじく卑しまれたこともあったのに、太子は身分をこえ、先輩として手をとって指導なさった。職人や、聖や、道々の者たちが太子を慕うのは、そのゆえじゃ。船乗りや船頭たちに、風を見、星に方位を知ることを教えられたのもそうじゃ。仏の道とともに、われらに生きるすべを教えてくださったかただからじゃ。異国からやってきた人びととも、親しくまじわられた。」

この法螺坊の言葉に託して、五木氏は理想の宗教者の姿を語っているように思えてなりません。まさに親鸞は、この聖徳太子のような聖人をめざして生きるのです。

ちなみに、比叡の山で法螺貝を吹くこの法螺坊という男、明らかに鎌田東二さんをモデルとしていますね。

鎌田さんは法螺吹きとして知られ、現に3日前の朝も天河の民宿で鎌田さんの法螺の音で目を覚まさせられました。(笑)

また、五木氏の著者『霊の発見』(平凡社)では鎌田さんを対話者として迎えています。お二人は親しい仲なのです。



それはともかく、晩年の親鸞が「皇太子聖徳奉讃」をはじめ、3種類の聖徳太子和讃をつくっていたことはよく知られています。

まさに親鸞は、太子を「和国の教主」として、日本仏教の開祖の位置にまで高めたのです。

また、父母のごとき慈悲を持つ救世観音の示現としてたたえています。同時代の明恵も、叡尊も、やはり「太子和讃」で聖徳太子の功績をたたえていますが、彼らは、いずれも聖徳太子を救世観音菩薩の化身・示現として尊崇していました。

とりわけ、親鸞の聖徳太子に対するリスペクトの深さはただごとではありませんでした。

親鸞は、叡山仏教の腐敗に腹を立て、どう生きるべきかに悩んでいました。

そして、京都の六角堂にこもった末、二度までも六角堂の本尊である救世観音のお告げを聞いたといいます。

親鸞は、憧れの対象である聖徳太子のように生きようとしたのだと思います。



本書を読んで、ブッダから聖徳太子へ、さらには親鸞に受け継がれたのは、「平等」という仏教の根本精神であると思いました。

そして、わたしは「死は最大の平等である」を口癖とし、そのセレモニーである葬儀も平等に執り行われるべきであると確信しています。

現在の日本仏教は「葬式仏教」などと揶揄され、「葬式無用論」までが登場する状況ですが、あらゆる人にとって「死」は平等に訪れ、「葬」は平等に提供されるべきであるということを忘れてはならないと思います。

そのことを一番わかっていた人物こそ親鸞であるような気がします。



最後に、本書は上下二巻となっていますが、やはり晩年の親鸞を描いていないので、消化不良を感じてしまいます。できれば、『1Q84』のようにもう一冊追加してほしいですね。そこで、「聖人」としての親鸞の物語を読みたいと思いました。


2010年3月30日 一条真也