『デンマークが超福祉大国になったこれだけの理由』

一条真也です。

さあ、いよいよワールドカップ「日本vsデンマーク」の開戦が迫ってきました!
25日の午前3時30分にキックオフです。
ところで、『デンマークが超福祉大国になったこれだけの理由』ケンジ・ステファン・スズキ著(合同出版)を読みました
『なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか』の続編です。


                    希望社会のつくり方


本書のサブタイトルでは、日本は完全にデンマークに負けています。
なにしろ、そのサブタイトルは「どこが違うのか!?安心して暮らせる希望社会と無縁死3万人の国」なのです。
でも、本書に「無縁死」のことはまったく出てきません。
今年の4月の刊行ですから、おそらくは1月に放映されたNHKスペシャル「無縁社会〜無縁死3万2000人の衝撃」の反響の大きさをタイトルに取り入れたのでしょうね。
わたしが想像するに、編集者の判断だと思います。
さて、「世界一幸福な国」デンマークは小国ながら、「福祉大国」と呼ばれています。
「福祉大国」を実現したのは、国民の税金です。
デンマークには、何よりも国民が納得する税金システムがあるのです。
著者は次のように述べます。
「私がデンマークで生活をしながら感じることは、脱税してまでお金を貯めたいと思っている人たちがほとんどいないという事実です。おそらく、デンマーク人の長い歴史の中で育成された倫理教育と『共生の理念』が納税への姿勢となっているのでしょう。高度に発達した福祉国家を維持するためには、所得に応じて累進する納税制度と、納税行為が厳格に行なわれなければ不可能です」
「共生の理念」を実現するには、「応益負担」ではなく、「応能負担」の原則が必要です。
「応益負担」とは、社会的なサービスを必要とする人が、その利益の見返りとしてお金を払うというシステムです。
一方、「応能負担」とは、たくさん稼いだ人はたくさん税金を払って社会を支えるというシステムですね。
「応益負担」は公平なように見えます。でも、実際は貧困者を社会的保護から排除してしまう強者の論理だと言えるでしょう。



デンマークと日本を往復しながら暮らしている著者は、デンマークは世界で最も貧富の差がない国だと実感できるとして、次のように述べます。
デンマークでは社会が困難な事態に直面したり社会的弱者が発生すると、その問題に対して、国が乗り出す前に個人や市民グループによる先駆的な行動が始まり、それが国家事業になっていくという過程をたどるという特徴があります。自分たちで困難に立ち向かっていくという国民性が、弱者を保護・救済するさまざまな社会システムを生み出してきたと言ってもよいと思います」
弱者救済の国家方針は、障害児教育にも実現されています。
デンマークの障害児は朝夕、タクシーで自宅から学校まで送迎されますが、これはすべて公費負担の行政サービスです。



そして、わたしが気になることは葬儀です。
「世界一幸福な国」の葬儀は、どうなっているのでしょうか?
また、どれくらいの費用がかかるのでしょうか?
デンマークでは、亡くなった人の葬儀は、ほとんど本人の居住地(介護ホームを含む)を管轄する教会で行なわれます。
デンマークの教会ですが、その維持費は教会税で賄われています。
つまり牧師は公務員ですから、教会での葬儀費用の個人負担は基本的にありません。
しかしながら、教会は無料でも、葬儀社には棺の手配や飾り付けなどの手数料が必要です。これに対しては国庫から「葬儀支援金」が出ることになっています。
その金額ですが、最高額で8600クローネ(約17万円)だそうです。
日本では、生活保護者などの葬儀に対して行政から支給される「葬祭扶助金」がだいたい18万円〜20万円となっています。
葬儀に関しては、日本のサポートの方が進んでいますね。
デンマークで普通の葬儀をした場合の経費は、墓場の30年間の管理費、墓石の調達、あるいは棺や飾り付けなど葬儀社に支払う諸経費を含めると3万クローネ(約60万円)とされています。
ということは葬儀の費用を「葬儀支援金」だけでカバーすることは難しいわけです。
でも、少なくとも、通常の棺代は賄えるようになっています。



さて、島田裕巳著『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)は、「日本の葬儀費用は世界一高い」などとセンセーショナルに謳っており、本の帯にもそのことが書かれています。
日本の葬儀費用は平均231万円で、韓国は37万円、アメリカが44万円などと比較しています。
でも、この数字がまったくのウソであることを、葬儀専門誌「SOGI」の編集長である碑文谷創氏が暴いてくれました。
日本のデータは2007年(平成19年)のもの。
一方、韓国やアメリカは1994年(平成6年)のもの。
なんと、それらのデータには13年もの開きがあるのです!!
しかも、ブログ「韓国からの訪問者」に書いたように、この10年間で、韓国は葬祭会館の建設ラッシュで葬儀費用は飛躍的に高騰しているのです。
さらに、島田氏の国際比較には大きなトリックがあります。
日本の葬儀には香典という習慣があります。
香典を参列者からいただいた結果、喪家は飲食をふるまったり、香典返しとしての返礼品を用意します。
しかし、この比較においては、香典収入は一切カウントせず、逆に飲食代や返礼品代は支出費用としてしっかりカウントしているのです。
これは明らかに不正な費用算出であり、数字のトリックと言われても仕方ありません。
そして、香典などの収入を引いた日本の葬儀費用における自己負担は、だいたい60万円ぐらいとされています。
ということは、「福祉大国」であるデンマークの葬儀費用とまったく同じなわけです。
サッカーでは勝つか負けるかわからないけど、少なくとも葬儀費用では負けていない。
つまり、日本の葬儀費用はけっして高くない。
ましてや世界一高いなどとは笑止千万。
デンマークの本を読んで、とても大切なことを教えてもらいました。


2010年6月25日 一条真也

MJ命日

一条真也です。

おかげさまで、ブログが400本になりました。
ブログ開設から今日で132日目ですが、1日も欠かすことなく継続中です。
どこかで一旦途切らせて、息抜きしたい気もします。(笑)
でも、なかなかそうも行かないでしょう。
ここのところ、急激にアクセス数が増えています。
また、なぜか昨日は開設以来で空前のアクセス数の多さでした。
デンマーク関連の記事のせいかもしれません。


デンマークといえば、ワールドカップでは日本が勝ちました!
2年ぶりの決勝トーナメント出場、やりましたね。
カメルーン戦の直後にブログ「ワールドカップ」で、「戦争の代用品」としての国際スポーツ大会について書いたら、これも想像を超える多くのアクセスが集中しました。
ワールドカップが、戦争のない世界に結びつけば素晴らしいですね。
デンマーク人も、わたしたち日本人も同じ「ヒューマン・ネイチャー」です。
そして、みんな「ウィ・アー・ザ・ワールド」ですね。
そう、今日はマイケル・ジャクソンの命日なのです。
昨年の6月25日に、“KING OF POP”ことマイケル・ジャクソンが亡くなりました。


マイケルの歌には数多くのメッセージが込められていますが、そのすべてに「人間愛」が流れています。
そして、「ヒューマン・ネイチャー」という曲ほど、人間いや人類そのものの素晴らしさを歌い上げた作品はないでしょう。
まさに、「人類賛歌」と呼べる歌ですね。
しかし、素晴らしい人類がなぜ憎み合うのでしょうか。
同じ人類同士なのに、なぜ殺し合うのでしょうか。
また、豊かな人と貧しい人がいるのでしょうか。
わたしたちは同じではないのか。わたしたちは一つではないのか。
この壮大なテーマを歌ったのが、「ウィ・アー・ザ・ワールド」です。
1985年1月28日の夜9時から翌朝にかけて、LAのスタジオで収録されました。
集まった45人のミュージシャンたちは“USA・フォー・アフリカ”と名づけられました。
先行してチャリティー・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」を歌ったイギリスの“バンド・エイド”が、ロック、ポップ、ニュー・ウェイブ世代、つまり20代〜30代の白人男性アーティストが中心だったのに比べて、アメリカの“USA・フォー・アフリカ”は人種も性別も年齢もジャンルも入り混じりました。


プロデューサーは、クインシー・ジョーンズで、ソングライターはライオネル・リッチーマイケル・ジャクソン、そして企画段階から関わっていたスティヴィー・ワンダーとケニー・ロジャースでした。
しかし、マイケルの姉であるラトーヤ・ジャクソンは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の歌詞の99%をマイケルが書いたと主張しているそうです。
“USA・フォー・アフリカ”のその他のメンバーを並べると、男性はレイ・チャールズボブ・ディランブルース・スプリングスティーン、ダリル・ホール&オーツ、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、ビリー・ジョエルポール・サイモン、ジャーメイン以外のジャクソンズ、スティーヴ・ペリーケニー・ロギンス、ジェイムス・イングラム、ウィリー・ネルソン、アル・ジャロウスモーキー・ロビンソンなど。
女性はダイアナ・ロスティナ・ターナー、ザ・ポインター・シスターズディオンヌ・ワーウィックラトーヤ・ジャクソン、シーラ・E、シンディ・ローパーなど。
なんだかクラクラしてくるほどの豪華メンバーですね。
まるで、アメリカ版「紅白歌合戦」みたいです。
これだけのスターが一堂に集まれば、序列などでのトラブルはなかったのか?
そこは、達人クインシー・ジョーンズの名采配がありました。『マイケル・ジャクソンの教科書』(ビジネス社)で、著者の西寺郷太氏は次のように述べています。
シンディ・ローパー、ヒューイ・ルイスのようなここ数年勢いのある個性的な白人シンガー、それにスティーヴ・ペリーポール・サイモンビリー・ジョエルといったアメリカを代表するメロディ・メーカー達を入れることによって、人種の融和をアピールしなければいけない。ケニー・ロジャースやウィリー・ネルソンなど、カントリーのヴェテラン勢も絶対に外せない。だから一番のサビはマイケルだけど、二番のサビは白人労働者の英雄ブルース・スプリングスティーンだし、最後のリフレインでは柔道で言えば「大将」対決としてブルース・スプリングスティーンとスティヴィー・ワンダーが一緒に登場、そして誰もが尊敬するボブ・ディランレイ・チャールズの「伝説」対決は欠かせなかったりというところで、「真のアメリカ代表」というチームが完成する、クインシーはそこまできちんと考えていたのです。」
さらに驚くのは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」には大きく分けて25回のソロのタイミングがありますが、黒人が12回、白人が13回ときちんとバランス良く分けられているのです。
マイケル、スティヴィー、スプリングスティーン、そしてクインシーの秘蔵っ子だったジェームス・イングラムは2度づつ登場していますが。
ウィ・アー・ザ・ワールド」は純粋に音楽として今聴いても名曲だと思います。
86年2月25日、この「ウィ・アー・ザ・ワールド」でマイケルはグラミー賞を4部門獲得。
マイケルは作曲者として、年間最優秀曲の栄誉さるトロフィーをライオネル・リッチーとともに受け取ったのです。


それにしても、マイケルが最もわたしたちにインパクトを与えたのは、あのムーンウォークではないでしょうか。
ブログ「ムーンウォーク」にも書いたように、マイケルは「月をめざした」人間でした。
月をめざしたマイケルの魂は、地球を離れて、いまは月に在るに違いありません。
ちょうど、明日が満月です。今夜は月を見上げて、マイケルを想うことにします。


なお、わたしが監修した『思い出ノート』(現代書林)は好評につき5刷ですが、巻末には「著名人の死亡年齢」一覧が掲載されています。
その「50歳」の欄には、最初に「マイケル・ジャクソン」の名があります。
永遠の50歳、マイケル・ジャクソン
地球に身を置きながら月の上を歩いた奇跡の人よ、安らかに眠れ!


               『思い出ノート』「著名人の死亡年齢」より

 
              故人の命日には『思い出ノート』を開こう!


2010年6月25日 一条真也

MJ映画

一条真也です。

マイケル・ジャクソンは、真に偉大なアーティストでした。
まず、あれほど高音を出せた歌手はいません。
「Aw」や「Hooo!」といった独特の掛け声は、「神の声」と呼ばれていました。
そして、マイケルほどダンスがうまかった歌手もいません。
伝説のムーンウォークは、まさに人間を超えた存在を連想させました。それらの超人的なパフォーマンスは、彼の衝撃的な死の直後に製作・公開された映画「THIS IS IT」に余すところなく収められています。



わたしは、この映画を劇場で3回、自宅でDVDを3回観ました。何度観ても、本当に素晴らしい!
何が素晴らしいかって、50歳で死ぬ直前だったマイケルの動きの良さです。世界中から集められた超一流のダンサーたちの中に入っても、なんとマイケルの動きが一番良いのには驚きとともに、感動すら覚えます。



マイケル・ジャクソンの映画といえば、初のミュージカル映画である「ムーンウォーカー」が好きでした。
この作品の中に出てくる「スムース・クリミナル」は最高だったですね。体がそのまま斜めに前のめりになる光景に、誰もが驚いたのではないでしょうか。曲としても、「スムース・クリミナル」はPOPなナンバーです。聴いていて非常に気持ちの良い作品ですね。



それから、マイケルの映画といえば、忘れられない3D映画があります。かつて、東京ディズニーランド(TDL)のアトラクションとして上演された「キャプテンEO」です。もちろんウォルト・ディズニー社が製作しました。1980年代にアメリカと日本のディズニーランドで絶大な人気を誇りました。わたしも大好きで、何度も観ました。いや、何度も体験しました。


拙著『遊びの神話』(PHP文庫)で、わたしは「キャプテンEO」を20世紀大衆文化の頂点の1つとして、もう1つの頂点としての「パラード」と比較したことがあります。「パラード」とは「サーカスの呼び込み」という意味ですが、1917年にパリのシャトレ座で上演されたバレエのタイトルです。コクトーの台本、サティの音楽、ピカソの舞台装置、レオニード・マシーンの振付という、当時の超一流の才能が結集した夢のように贅沢な作品でした。
「パラード」が幕を開けたともいえる1920年代のパリの文化は、音楽においても、美術においても、演劇においても、映画においても、ファッションにおいても、フレッシュでブリリアントな時代でした。




そして、その20年代パリ文化と並ぶ、もう1つの20世紀大衆文化の頂点を、わたしは80年代のアメリカに見たのです。そこには、まず「エンターテインメントの神」としてのウォルト・ディズニーがおり、そのディズニー文化の系譜に多くの才能が連なりました。ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ、イリュージョ二ストのシークフリード&ロイ、画家のメラニー・ケント、そしてマイケル・ジャクソンなどです。「キャプテンEO」は、まさにディズニー人脈が結集した奇跡の立体映画であり、その中心にいた人物こそマイケルだったのです。
なお、2010年7月、TDLに「キャプテンEO」が復活するそうです。そして、最新映画「マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔」がいよいよ今日から全国公開されます。「THIS IS IT」とはまた一味違ったマイケルの真実の物語。観るのが、今からとても楽しみです。



2010年6月25日 [http://www.ichijyo-shinya.com/:title=一条真也]拝