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一条真也のハートフル・ブログ

2010-08-09

「あの世」のルール

一条真也です。

週刊現代」最新号(8月21・28日夏の合併超特大号)が本日発売されました。

先日、金沢で電話取材を受けた特集が5ページにわたって掲載されていました。

タイトルは、「知っておきたい『あの世』のルール」でした。

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                    「週刊現代」最新号


「『送る人』『送られる人』の常識」のサブタイトルで、以下のリードが書かれています。

「死んだら、一体どうなるのか・当たり前のように行っているお葬式、お墓参り・・・・・だが、きちんとその意味を知っている人はどれだけいるだろう。死ぬ前に押さえておきたい『死後』の常識とはーー。」

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                 知っておきたい「あの世」のルール


さすがは天下の講談社を代表する週刊誌の特集だけあって、インタビューに受けた顔ぶれは、以下のようになかなか豪華な布陣です。

宗教学者で慶應義塾大学准教授の樫尾直樹氏。

東洋大学ライフデザイン学部教授の井上治代氏。

『日本人のしきたり』著者の飯倉晴武氏。

葬送ジャーナリストの碑文谷創氏。

浄土真宗本願寺派 正福寺住職の末本弘然氏。

臨済宗福聚寺住職で作家の玄侑宗久氏。

臨済宗神宮寺住職の高橋卓志氏。

真言宗観蔵院住職の小峰弥彦氏。

京都大学大学院文学研究科教授の芦名定道氏。

上智大学神学部神学科教授でイエズス会・カトリック司祭の光延一郎氏。

宗教ジャーナリストの柿田睦夫氏。

宗教学者で『葬式は、要らない』著者の島田裕巳氏。

そして、『葬式は必要!』著者の一条真也

とまあ、こんな顔ぶれですが、よくぞまあ、これだけの人たちに意見を聞いたものです。



わたしの発言は次のように紹介されています。

「お葬式と違って、お墓やお仏壇はこの世にいる人にとって、故人に祈りを捧げるための手段であると考えます。死者が本当に願っているのは、自分のことを思い出してくれることなんです。そういった意味で、一番の供養というのは、お盆やお彼岸のときだけお墓の前で祈るのではなくて、死者のことを偲ぶ習慣をつけることだと思うのです」



さて、この特集自体が「お盆」を意識して編集されていることは明白です。

いよいよ、日本列島がお盆休みのシーズンに入りました。「盆と正月」という言葉が今でも残っているくらい、「お盆」は過去の日本人にとっての楽しい季節の一つでした。

一年に一度だけ、亡くなった先祖たちの霊が子孫の家に戻ってくると考えたからです。

日本人は、古来、先祖の霊によって守られることによって初めて幸福な生活を送ることができると考えていました。その先祖に対する感謝の気持ちが供養という形で表わされたものが「お盆」なのです。

一年に一度帰ってくるという先祖を迎えるために迎え火を燃やし、各家庭にある仏壇でおもてなしをしてから、再び送り火によってあの世に帰っていただこうという風習は、現在でも盛んです。

同じことは春秋の彼岸についても言えますが、この場合、先祖の霊が戻ってくるというよりも、先祖の霊が眠っていると信じられている墓地に出かけて行き、供花・供物・読経・焼香などによって供養するのです。



それでは、なぜこのような形で先祖を供養するかというと、もともと二つの相反する感情からはじまったと思われます。

一つは死者の霊魂に対する恐怖であり、もう一つは死者に対する追慕です。

やがて二つの感情が一つにまとまってきます。死者の霊魂は、死後一定の期間を経過すると、この世におけるケガレが浄化され、「カミ」や「ホトケ」となって子孫を守ってくれるという祖霊になるのです。

かくて、日本人の歴史の中で、神道の「先祖祭り」は仏教の「お盆」へと継承されました。そこで、生きている自分たちを守ってくれる先祖を供養することは、感謝や報恩の表現と理解されてくるわけです。

しかし、個々の死者に対する葬式や法事の場合は、死霊に対する感謝や報恩といった意味よりも、追善・回向・冥福といった意味のほうがはるかに強いと思います。すなわち、死者のあの世での幸福を願う追善と、子孫である自分たちを守ってくれていることに対する感謝とにまとめられるのです。



どんな人間にも必ず先祖はいます。しかも、その数は無数といってもよいでしょう。

これら無数の先祖たちの血が、たとえそれがどんなに薄くなっていようとも、必ず子孫の一人である自分の血液の中に流れているのです。

「おかげさま」という言葉で示される日本人の感謝の感情の中には、自分という人間を自分であらしめてくれた直接的かつ間接的な原因のすべてが含まれています。

そして、その中でも特に強く意識しているのが、自分という人間がこの世に生まれる原因となった「ご先祖さま」なのです。



日本人はいったい、そういう先祖の霊魂がどこから来て、どこへ帰ると考えているのでしょうか。仏教の庶民的な理解では、地獄、極楽あるいは浄土ということになるでしょう。

お盆の三が日は「地獄の釜も開く」と言われています。しかし、地獄や極楽とは庶民教化の方便として説かれたものです。それらは、人間の現世における行いによって未来永劫の住処となるはずのものなのです。そこから、どうして帰ってきたりすることができるのでしょうか。ましてその死霊が地獄から来ているのだとすれば、これを再び地獄へ送り帰すなど、肉親の情を持つ者にできることではありません。

ですから、盆行事を営んでいる日本人の多くは、おそらく自分たちの先祖が極楽に行っていると信じているのでしょう。



しかしながら、ここでも問題が出てきます。仏教では、この極楽浄土は西方十万億土の彼方にあると、庶民に説いています。そこは煩悩罪悪に汚されたこの世、穢土(えど)を厭離(おんり)して往生すべき理想郷のはずなのです。

せっかく往いて再生した浄土から、日本人はどうして厭離すべきこの穢土へ先祖の霊たちを迎え、また送り出さなければならないのでしょうか。これはどう考えても、日本人がやっていることと仏教の教えとの間に矛盾があると言わなければなりません。

たとえ宗教的に説明がしにくくても、日本人の「こころ」がお盆を必要としていることに変わりはありません。お盆の時期は、ぜひご先祖さまをお迎えして、こころ豊かな時間を過ごしていただきたいと思います。


2010年8月9日 一条真也

『娘よ、ここが長崎です』

一条真也です。

今日は、長崎原爆記念日です。

『娘よ、ここが長崎です(新装版)』筒井茅乃著(くもん出版)を再読しました。

何年か前の8月9日に、わたしは本書を2人の娘に贈りました。

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              子どもたちが平和に生きていてこその地球


著者の筒井茅乃さんは、長崎に原爆が投下された直後、自ら重症を負いながら救護活動に当たった永井隆博士の次女です。

昨年が生誕100年だった永井博士は、『長崎の鐘』『この子を残して』などの著作を通じて、世界中に平和を訴え続けましたが、2人の子を残して世を去ります。

著者は、その残された2人の子のうちの1人なのです。

本書は、「あの日」の38年後、著者が中学生の娘と一緒に長崎に帰郷したことからはじまります。原爆が落とされる少し前のころ、投下直後の悲惨な状況、父である永井博士の被爆者への必死の救護活動、父の闘病生活と死、その後の著者自身について、ありのままに語り、わたしたちに平和の尊さを伝えてくれます。



わたしは小倉に住んでいます。広島に続いて長崎に落とされた原爆は、実は小倉に落とされるはずでした。しかし、当日の小倉上空は前日の八幡爆撃による煙やモヤがたち込めていたため投下を断念。第2目標であった長崎に原爆が投下されたのです。

この原爆によって7万4000人もの尊い命が奪われ、7万5000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでおられます。

当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。

小倉に原爆が落ちていたら、当然ながら、わたしは生まれていません。

ある意味で、長崎の犠牲者が命の恩人であるにもかかわらず、その事実を知らない北九州市民が多いのは本当に悲しいことです。

死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありえません。

5年前の終戦60周年の8月9日、わたしは「長崎の身代わり哀し忘るるな小倉に落つるはずの原爆」という短歌を詠み、被爆者の方々の霊前に捧げました。

わたしは、いつか2人の娘を長崎に連れて行き、こう言うつもりです。

「娘たちよ、ここが長崎です。小倉に原爆が落ちていたら、ぼくも君たちも生まれてはこれなかった。娘たちよ、原爆で亡くなった長崎の人たちを絶対に忘れないで」と。


2010年8月9日 一条真也

小倉に落ちるはずの原爆

一条真也です。

8月9日になりました。

65年前に長崎に原爆が投下された日です。

わたしにとって、1年のうちでも最も重要な日です。

わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。

小倉とは何か。それは、世界史上最も強運な街です。なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。

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              8月8日付「朝日」「毎日」「読売」朝刊広告


長崎型原爆・ファットマンは65年前の8月6日にテニアン島で組み立てられました。

8日には小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、9日に原爆を投下する指令がなされました。9日に不可侵条約を結んでいたソ連が一方的に破棄して日本に宣戦布告。

この日の小倉上空は視界不良だったため投下を断念。

第2目標の長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。

この原爆によって7万4000人もの生命が奪われ、7万5000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでおられます。



もし、この原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたか。

広島の原爆では約14万人の方々が亡くなられていますが、当時の小倉・八幡の北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、想像を絶する数の大虐殺が行われたであろうとも言われています。

そして当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。

よって原爆が投下された場合は確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。



死んだはずの人間が生きているように行動することを「幽霊現象」といいます。

考えてみれば、小倉の住人はみな幽霊のようなものです。

そう、小倉とは幽霊都市に他ならないのです! 

それにしても都市レベルの大虐殺に遭う運命を実行当日に免れたなどという話は古今東西聞いたことがありません。

普通なら、少々モヤがかかっていようが命令通りに投下するはずです。

当日になっての目標変更は大きな謎ですが、いずれにせよ小倉がアウシュビッツと並ぶ人類愚行のシンボルにならずに済んだのは奇跡と言えるでしょう。

その意味で、小倉ほど強運な街は世界中どこをさがしても見当たりません。

その地に本社を構えるわが社のミッションとは、死者の存在を生者に決して忘れさせないことだと、わたしは確信しています。



小倉の人々は、原爆で亡くなられた長崎の方々を絶対に忘れてはなりません。

いつも長崎の犠牲者の「死者のまなざし」を感じて生きる義務があります。

なぜなら、長崎の方々は命の恩人だからです。

しかし、悲しいことにその事実を知らない小倉の人々も多く存在します。

そこで長崎原爆記念日にあわせて、サンレー北九州では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」の3大全国紙に意見広告を掲載しています。

今年は9日が休刊日に当たるので、8日に掲載しました。

しかし、広島の原爆記念日は各紙トップ扱いで、国連事務局長まで来ました。

一方で、長崎の原爆記念日は休刊日ですか?

これまでも広島と長崎の扱いの違いには違和感を持っていましたが、せめて2つの原爆記念日とか終戦記念日などの重要な日の休刊日はずらすべきではないでしょうか。

何よりも、国民に平和の大切さを訴える最大の機会ではないですか。



今朝の本社朝礼では、例年通りに、わたしは次の短歌を詠みました。

「長崎の身代わり哀し 忘るるな 小倉に落つるはずの原爆」

そして、社員全員で黙祷を捧げました。

死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありません。

長崎の原爆で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。

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         「長崎の身代わり哀し 忘るるな 小倉に落つるはずの原爆」 

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                   全員で黙祷を捧げました               


2010年8月9日 一条真也