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一条真也のハートフル・ブログ

2010-08-22

『賀川豊彦を知っていますか』

一条真也です。

賀川豊彦を知っていますか』(教文館)を読みました。

賀川豊彦献身100年記念事業の一つとして企画されたラジオ放送の講演集です。

6人の人々が、それぞれに賀川豊彦について語っています。

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                     「隣人愛」の実践を学ぶ


賀川豊彦。1888年7月10日に生まれ、1960年(昭和35年)4月23日に亡くなった社会運動家にして社会改良家にして作家。

キリスト教における「隣人愛」を実践した「貧民街の聖者」として、日本よりもはるかに世界的な知名度が高いことで知られる偉人。

評論家の大宅壮一は、「明治、大正、昭和の三代を通じて、日本民族に最も大きな影響を与えた人物ベスト・テンを選んだ場合、その中に必ず入るのは賀川豊彦である。ベスト・スリーに入るかも知れない」と述べているほどです。

いま、わたしにとって最も関心のある人物こそ賀川豊彦です。

わたしは本業の冠婚葬祭のみならず、「隣人祭り」や「グリーフケア・ワーク」といった活動を通じて、「ハートフル・ソサエティ」を呼び込みたいと願っているのですが、賀川豊彦こそはわが道の先達と思えてならないからです。



なぜ、日本人は賀川豊彦を忘れてしまったのか?

これは、わたしの心から消えない大きな疑問でした。

ノーベル平和賞に3回、ノーベル文学賞に2回、それぞれノミネートされたという偉業にもかかわらず、ほとんどの日本人は彼の名を知りません。

賀川豊彦とは何者か。まず、彼はキリスト教の伝道者です。

そして、その伝道は日本に限られません。キリスト教の中で彼は長老教会に所属します。しかし、教派にはこだわらず超教派(エキュメニカル)の世界で生きた彼は、メソジスト派の創始者ジョン・ウェスレーを尊敬していました。

ウェスレーは、18世紀のイギリスで炭鉱で働く労働者への野外説教を行ったことなどで有名で、その伝道は「産業革命の内的精神」になったとまで言われています。

ウェスレーの伝道はイギリスにとどまらず、「世界は私の教区だ」と語ったそうです。

それと同じく、賀川豊彦も全世界の伝道者だったのです。

実際、彼ほど国際的な日本人は少なくとも戦前にはいませんでした。

20世紀の「聖人」といえば、多くの人々はマザー・テレサの名をあげるでしょうが、彼女は戦後の聖人です。戦前では、インドのガンディー、アフリカのシュヴァィツァー、そして日本の賀川豊彦が「三大聖人」と呼ばれたのです。



にもかかわらず、なぜ賀川豊彦は日本のキリスト教界でも高く評価されなかったのか?

その理由の一つは、彼が所属していた長老教会が、たまたま彼が批判した神学的あるいは知的な教会そのものであり、都市中産階級の教派であったからかもしれません。

さらに、賀川豊彦ほどの巨人が日本人から忘れられた理由として、明治学院大学名誉教授で賀川豊彦記念松沢資料館館長の加山久夫氏が次のように推測しています。

「一般に、たとえば、内村鑑三や植村正久、夏目漱石や湯川秀樹など、一つの道を究めた人は記憶されますけれど、賀川豊彦のような多くのことに関わったマルチ人間は忘れられやすいのではないかと思います。」



そう、賀川豊彦ほど、その生涯において多くの営みをなし、そのすべてが最高レベルに達した才能は珍しいでしょう。本を書けば大正時代の最大のベストセラーとなり、事業を起こせば、「コープこうべ」や「JA共済」などを次々に立ち上げ、成功させました。

こんなすごい日本人、なかなかいません。

あえて挙げるとすれば、「論語と算盤」を唱え、孔子の精神を追求しながらも500以上の大企業を興して「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一くらいでしょうか。

渋沢栄一の『論語』、賀川豊彦の『聖書』と、彼らの旺盛な活動の背景にはいずれも東西の聖典の存在があったことは興味深いですが、その渋沢栄一でさえ賀川豊彦ほどの国際性は持ちえませんでした。もちろん、彼らの生きた時代の違いはありますが。

いずれにせよ、渋沢栄一賀川豊彦は、わたしの尊敬する二大日本人です。

ともに「人間尊重」を重んじた人ですが、賀川豊彦は労働運動において「労働者は人格である」「労働力は単なるモノではない」と訴えました。

これは、ドラッカーの「従業員はコストではなく資産である」という考え方にも通じます。

ちなみに、ドラッカーが最もリスペクトした経営者こそ、日本の渋沢栄一でした。



さて、賀川豊彦の多彩な活動の根本には、「イエスのように生きたい」という強い想いがありました。イエスは、彼が生きた時代の社会で蔑ろにされていた人々の間で、言葉と行為をもって神の愛の福音を伝えました。賀川豊彦が16歳で洗礼を受けたとき、キリスト教社会主義者であったトルストイ、安部磯雄、木下尚江などの著作を読み、イエスの教えを実践することを考えるようになりました。

そもそもイエスという人自身が貧しい人々や寄る辺なき人々の友となり、隣人愛を唱え、それを自ら実践した人でした。

このイエスの足跡に従いたいという想いが賀川豊彦を突き動かしたのです。

賀川豊彦にとって、信仰と隣人愛の実践は、車の両輪であり、どちらが欠けてもなりませんでした。このように「隣人愛」が賀川豊彦の思想を読み解くキーワードと言えますが、もともとは『新約聖書』の「ルカによる福音書」に出てくる言葉です。

次のように記されています。



すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。

「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」

イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。

「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」

しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。

イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」

そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

(『新約聖書』「ルカによる福音書」10章25〜37節より)




わたしは「隣人祭り」の開催をサポートする活動を行ってますが、現代の日本に必要なものこそ「隣人愛」であり、その実践であると信じています。

現代の日本社会は「貧困社会」「格差社会」「無縁社会」などと呼ばれていますが、それらを乗り越えるヒントが賀川豊彦の人生にはあるように思えてなりません。

わたしは、今の社会がどんなに絶望的な「ハートレス・ソサエティ」であろうとも、それを「ハートフル・ソサエティ」に進路変更したいと強く願っています。

そして、「心ゆたかな社会」としての21世紀社会をデザインした人こそ賀川豊彦ではなかったのかと思うようになりました。

本書で、加山久夫氏は次のように述べています。

賀川豊彦は終生一貫して、唯物論的共産主義に批判的でした。人間には心の次元が不可欠であり、人々を画一的なイデオロギーの鋳型にはめ込むことに反対だったのですね。他方、利益優先の資本主義にも批判的でした。ですから、第三の道として、愛と協同を旨とする相愛互助の協同組合主義を主張したのです。現代の世界において、共産主義体制は崩壊しました。他方、資本主義も制度疲労を起こし、破綻してきています。現在の深刻な金融危機はその最たるものです。その意味で、賀川豊彦が目指した第三の道はこれからますます注目すべきものとならざるを得ません。ある方が『賀川豊彦は二十一世紀のグランドデザイナーである』と言っていますが、私もそう思います。」



加山氏がいう「ある方」とは、神奈川県立保険福祉大学名誉教授で横須賀基督教社会館会長の阿部志郎氏のようです。阿部氏は、本書所収の「ボランタリズムと賀川豊彦」の最後で次のように述べています。

「二十世紀は戦争の時代でした。人と人とが憎みあい民族と民族が対立し、国と国とが戦う暗い時代でした。二度の世界戦争で国家の名によって命を奪われた人は一億人を越えているといわれています。しかし同時に二十世紀に、国際連合が発足し、社会保障が充実し、福祉国家が誕生し、アソシエーションが発展し、災害には相互に救援し合い、難民を受け入れるNPO、ボランティア活動が、展開を始める愛の世紀でもあったのです。魂の救いと生活の解放を切り離すことなく人類の『愛と協同』という壮大な夢の実現のために命を献げた賀川の生き方の前に謙虚になることが私たちに求められます。愛の二十世紀を切り拓いてきた賀川豊彦に続いてこの『愛と平和』の二十一世紀のために努力するのが、私たちの責任なのではないでしょうか。賀川を二十一世紀のグランドデザイナーと呼んでも決して過言ではないと思います」

わたしは、この文章を読んで、本当に驚きました。

なぜなら、拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の冒頭は次のように始まるからです。

「二十世紀は、とにかく人間がたくさん殺された時代だった。何よりも戦争によって形づくられたのが二十世紀だと言えるだろう」

これは、「二十世紀は戦争の時代でした」という阿部氏の文章の冒頭と同じです。

わたしは、戦争の話題から現代社会が「ハートレス・ソサエティ」に進んでいることを警告し、そこから「ハートフル・ソサエティ」へのシフトを訴えたわけですが、まさに賀川豊彦がすでに予見していたことでした。

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                 「愛」と「平和」の21世紀のために


ところで、加山氏は「「賀川豊彦は終生一貫して、唯物論的共産主義に批判的でした」と述べています。賀川豊彦は社会党の発起人の一人になったり、1921年(大正10年)に神戸川崎および三菱造船所の労働争議を実行委員長として指導したことなどから、いわゆる「左翼」と多くの人々から思われたようですが、実態はまったく違います。

当時の日本の労働組合運動には2つの流れがありました。

1つは、大正デモクラシー運動の指導者であった吉野作造の弟子でクリスチャンの鈴木文治を指導者とする「友愛会」です。暴力否定の普通選挙運動の立場に立ち、賀川豊彦は関西友愛会代表でした。

もう1つは、無政府主義者(サンディカリスト)の直接行動主義に立つ麻生久、荒畑寒村、大杉栄たちのグループです。こちらは、普通選挙運動反対、議会主義否定の過激な立場を取っていました。

両者の意見はまったく噛み合わず、「賀川の無抵抗主義ひっこめ」「ヤソ坊主ひっこめ」という声が大きくなり、賀川豊彦は労働組合運動から閉め出されてしまいます。

彼のベースは政治的立場などではなく、あくまでも信仰するキリスト教にあったのでした。阿部氏は、次のように述べています。

「賀川は革命家にあらず、社会機構の変革を理想と志した人でもなく、政治的野心の持ち主でもありません。むしろ社会の悪は愛の欠乏からくると認識し、相愛互助の精神を強調しました。愛の原理の働く社会を築くために、インドのガンジーの非暴力主義に共鳴して、労働争議で先頭に立ちながら過激派の主流に同意せず非暴力を貫き、相愛互助の協同組合を組織し、医療、福祉、農業の分野でも愛の実践者として終始しました。」



そんな賀川豊彦の活動を貫くキーワードに「ボランタリズム」があります。

「ボランタリズム」は、「ボランティア」という行為の根幹をなす精神です。

そもそも、ボランタリズムがヨーロッパで誕生した背景には、キリスト教の教会の問題がありました。国の制度として税金によって国教会が維持されるというあり方に反対する信者たちが自分で献金し、教会の建物を建て、それを維持し、牧師を支えたのです。

そんな信者たちの意思と行動から生まれたボランタリズムですが、社会的には、労働組合、農民組合、協同組合、セツルメント、YMCA、NPOのようなアソシエーション(任意団体)として表現されました。

セツルメントというのは「隣保館」とも訳されますが、貧困・教育・差別・環境問題などにより世間一般と比較して劣悪な問題を抱えるとされる地域の住民に対して適切な援助を行う社会福祉施設のことです。

日本最初のセツルメントは1923年(大正12年)の関東大震災のときに隅田川の近くに設置されたとされ、その指導者が賀川豊彦でした。

彼はテントを張って、炊き出しをし、学校に代わって子どもに勉強を教え、診療所を開き、相談所を設けて小さな子どもたちの保育をしたのです。

セツルメント活動は「建物ではなく態度」という言葉を掲げていますが、まさにわが社のような冠婚葬祭互助会にも通じる言葉だと思いました。

そして、賀川豊彦が始めたセツルメントにはボランタリズムの真髄があるように思います。阿部氏は、「ボランタリズムと賀川豊彦」において次のように述べます。

「法律、制度や、既存の組織という枠の中に安住して日常生活を送り、新しく派生する問題やニーズは避けて通りたい私たちですが、ボランタリズムとは、ニーズに対応しようと枠をこえて迸(ほとばし)り出るエネルギーのことです。

賀川が最も苦しむ人の友になろうとした共存共生の生き方とその行動がボランタリズムを象徴しているかもしれません」

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              賀川豊彦の「隣人愛」について書きました


ボランタリズムとは、ニーズに対応しようと枠をこえて迸(ほとばし)り出るエネルギー。

ならば、親に置き去りにされる子ども、子から見捨てられた老人、増え続ける孤独死・・・・・これらの現実的ニーズに対応しようとして噴出した民衆のエネルギーこそが「隣人祭り」ではないでしょうか。わたしには、そう思えてなりません。

わたしは、『隣人の時代』(三五館)を東日本大震災の発生直後に上梓しました。

そこで、賀川豊彦の「隣人愛」の実践としてのボランタリズムこそ、最大の道しるべとなると書きました。ぜひ、ご一読下さい。


2010年8月22日 一条真也