Hatena::ブログ(Diary)

一条真也のハートフル・ブログ

2012-08-31

ブログを休みます

一条真也です。

このブログ記事で、2000本目になりました。

2010年2月14日の開設以来、930日間、1日も休まずに続けてきました。

しかも、ご存知のように非常に長文のものも多かったです。

その文章量は、かなりのボリュームになると思われます。

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2000本目になりました



でも、思うところあり、この2000本目をもってブログを書くのを休もうと思います。

これまで「一条真也のハートフル・ブログ」を読んで下さったみなさんには、心から感謝しています。特に、ほぼ毎日のように大量の本を紹介してきた書評ブログは、じつに多くの方々にご愛読いただきました。いろんなテーマで2000本の記事を書いてきましたが、ちょっと「一条真也 」と「佐久間庸和」が混在してきたようです。

自分では使い分けているつもりでしたが、気づかないうちに難しくなっていました。

いつかまたブログを書くこともあるかもしれませんが、そのときは、「一条真也 」と「佐久間庸和」の色分けをきちんと区別して書きたいと思います。



このブログを書き続けた約2年半、いろいろな出来事がありました。

昨年の3月11日には、東日本大震災が起こりました

個人的には、愛犬ハリーを見送り、尾道の坂で転んで足を骨折しました

多くの冠婚葬祭施設や、グリーフケア・サロンの「ムーンギャラリー」、有料老人ホームの「隣人館」といった念願の施設をオープンすることができました。

葬式は必要!』(双葉新書)、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)、『隣人の時代』(三五館)、『満月交感 ムーンサルトレター』(水曜社)、『のこされた あなたへ』(佼成出版社)、『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)、『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)、『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)、『礼を求めて』(三五館)といった、わたしにとって重要な著作も書くことができました。

大学の教壇に立ち、各地の講演やシンポジウムに呼ばれ、取材も受けました。

何より忘れ得ぬ思い出は、「孔子文化賞」を授与されたことです。



ブログのおかげで、多くの方々との御縁も頂戴しました。ブログ「世界平和パゴダ再開」に書いたように、日本で唯一の上座部仏教の聖地が再開されることになりましたが、このパゴダ関係者の方々ともブログを通じて出会うことができました。

ブログという電子メディアを通じて、書き手と読み手には「電縁」というものが生まれます。この「電縁」も、有縁社会を成す大切な「えにし」の1つです。

みなさんとの「電縁」を頂けたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

ブログを休止するに当たっては万感の思いが胸にこみ上げますが、もう自分で決めたことです。わたしには、ブログを書くことよりも優先すべきことがたくさんあります。

ブログは止めても、「天下布礼」の旅は終わりません。

論語』と『ブッダのことば』を読み返して、これからのことを考えたいと思います。



とはいえ、休館していた世界平和パゴダだって再開しました。

わたしも、いつかまたブログを書くこともあるかもしれません。

そのときは、今の文章量よりも減らしてスリムアップするつもりです。

次にお会いするときは、「はてな」ではなく別のブログになるのか、ツイッターやフェイスブックになるのか、それとも、やっぱり「はてな」に落ち着くのか、それは分かりません。

でも一応の区切りとして、この「一条真也のハートフル・ブログ」は今回で打ち止めにしたいと思います。なお、オフィシャルサイト「一条真也のハートフルムーン」は従来通りですので、わたしの近況を知りたい方はぜひ、こちらを御覧下さい。

また、わたしに連絡を取りたい方も、こちらのアドレスにメールを下さい。

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これまでご愛読いただき、ありがとうございました



来月早々に海外に行きます。

ヨーロッパを業界の仲間たちと回ってきます。

今度の海外出張には、あえてパソコンは持参しません。

しばらく日本には帰ってきませんが、深夜0時1分にブログが更新されていないかと気にして下さる方々のことを思うと、胸が痛みます。

それらの方々には、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。

最後に、「謝」の一文字を記させていただきます。

感謝の「謝」であり、謝罪の「謝」です。

「ありがとう」と「ごめんなさい」です。

この二つの思いを「謝」の文字に込めたいと思います。



今夜の月は、とても美しい満月です。

しかも、今月二回目の満月となる「ブルームーン」です。

その月を見た者は幸せになるという言い伝えがあるそうです。

夏の終わり、葉月晦日のブルームーン・・・・・

満月は欠けていき、いつか夜空から姿を消します。

しかし、月は新たに生まれ、再び満ちていきます。

それでは、みなさん、お元気で・・・・・

いつかまた、必ずお会いしましょう!


2012年8月31日  ブルームーンの夜に  一条真也

『柔らかな犀の角』

一条真也です。

『柔らかな犀の角』山崎努著(文藝春秋)を読みました。

日本映画界を代表する名優として知られる山崎努さんの読書日記です。

「週刊文春」に好評連載された「私の読書日記」6年分が収録されています。

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山崎努の読書日記



表紙には犀の部分イラストが描かれ、帯には「演じる。書く。受け入れる。こんな風に、生きている。」というコピーに続いて、「読書の歓びから演技論、生と死の『かたち』まで、『本』から広がる名優の随想ノート、待望の単行本化」と書かれています。



本書の存在を知ったのは、たまたま観たテレビで「山P(ヤマピー)」こと山下智久クンが愛読書として紹介していたからでした。著者と共演した山Pは、以来、著者が持つ教養と人間性に心酔しているそうです。それを知ったわたしは、ちょうどブログ『すべては今日から』で紹介した故・児玉清さんの著書を読書中だったこともあり、同じように俳優によるブックガイドである本書を読んでみたいと思いました。


もともと、著者はわたしのお気に入りの俳優の1人でした。

冠婚葬祭業界に身を置く者なら、著者の姿をスクリーンで見ていない人は少ないでしょう。なにしろ、「お葬式」(1984年)、「おくりびと」(2008年)という二大葬儀映画に重要な役で出演しているのですから。特に、「おくりびと」での納棺会社の社長役は素晴らしく、社長室でフグの白子を焼いて食べるシーンは最高の名場面でした。

でも、わたしにとっての著者は、わたしが誕生した年に公開された黒澤明監督の名作「天国と地獄」(1963年)での犯人の青年役や、泉鏡花の幻想世界を見事に再現した「夜叉ヶ池」(1979年)の主人公の旅の僧侶役のイメージが強いです。本当に、「この人がいなくなったら、日本映画はどうなるのか」と思わせる名優だと言えるでしょう。



タイトルの『柔らかな犀の角』ですが、これは「犀の角のようにただ独り歩め」というブッダの言葉に由来します。ブログ『ブッダのことば』でも紹介しましたが、ブッダの思想を知る上で最重要テキストとして『スッタニパータ』という聖典があります。

そこには、「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズがたくさん出てきます。

著者は、このフレーズを若い頃から気に入っていたそうで、次のように書いています。

「何をするにも自信がなく、毎日が手探り及び腰、そのくせ鼻っ柱だけは強く、事あるごとにすぐ開き直る。そんな臆病な若造にとって『犀の角』や『ただ独り』は手軽で便利なキャッチコピーだったのだろう」



しかし、著者が「最後の賢人」として慕い、本書にも登場する哲学者・鶴見俊輔氏の著書『かくれ佛教』(ダイヤモンド社)を読んで、著者は以下の事実を知ります。

「ブッダの言う角はむろんインドサイのものだが、実はこの角、中はぶよぶよの肉で、とうてい闘争の武器にはならないヤワな代物なのだそうだ。

だから彼らはあまり戦わない。獰猛なのはアフリカの犀で、インドの連中はただ温和しく地味に密林を歩き回っているだけらしい。群れることもなく孤独にのこのこ山奥をうろついている。図体がでかいからむやみに攻撃される心配もないという」

『かくれ佛教』を読んでこの事実を知った著者は、次のように述べます。

「つまりあの勇ましい立派な角は、少なくとも喧嘩に関しては無用の長物。相手を威嚇するための張りぼてのようなものとか、まあ学問的にはそれなりの理由があるのかもしれないが、無用の長物としたほうが僕は愉しい」



ブッダといえば、「生老病死」の四苦を唱え、「老い」を苦悩として説きましたが、今年で75歳になる著者は、「老い」をけっして悲観的には捉えていません。

たとえば、養老孟司氏の著書について、次のように書いています。

「養老孟司が『養老訓』(新潮社)で、『年をとって良かったなと思うことがたくさんあります』と言っている。年寄りは上機嫌で生きましょう、『じいさんは笑っていればいいのです。先日亡くなられた河合隼雄さんは、いつもニコニコされて駄洒落ばかり言っていました。人の意見を訂正するなんてこともなかった』という。たしかに河合隼雄は、テレビでも活字の対談でも、他人の話をノーで受けることがなかった。いつも、まず『そうですね』『なるほど』とイエスで受けとめ、その上で穏やかに、相手の言葉に寄り添うように話し出す。あれは真似ができない。どうしても、思わず、『いや』『でも』と返してしまう。大人と小人、器が違うのだからしかたがないか。とりあえず僕は、話したあとに、ニコッと笑顔をつけ加えるようつとめている。それが気持悪いと言われたりするが」



「生老病死」の「死」についても、次のように書いています。

「映画『おくりびと』がなんとオスカーをとった。こいつぁ春から縁起がいい、何故か初雪まで降ってきた。お祝いの品もたくさん頂いた。その中に、『RFK』(Paul Fusco,Aperture Foundation)があった。あのロバート・ケネディの遺体を運ぶ葬送列車を線路端で見送る普通の人たち、その様を列車内からスナップした写真集。

100点に余るショットに写し出された何千何万の人々が全員打ちひしがれている。老若男女、皆、哀しみに打ちひしがれている。虚ろな目で1人ぽつんと立っている。『SO LONG BOBBY』と手書きした幕を掲げている3人。泣いている。唇を噛みしめ目をとがらせている。家族7人が背の順に整列し(きちんと等間隔に)気をつけをしている、父も母もずいぶん若い、端っこのちびは2、3歳、そいつも背すじを伸ばし葬送列車を凝視している・・・・・・。ゆっくりとページを繰った。死者を送る人間たちが美しい」

「死者を送る人間たちが美しい」とは名言ですね。まさに「おくりびと」の言葉。

わたしが思うに、「死者を送る人間たちが美しい」のは、それが人間の存在の本質に関わる営みであるからではないでしょうか。



また、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二氏の著書も紹介されています。

「そこにいるだけで、何となく緊張が解け、リラックスできる所がある。旅に出ると、あちこちぶらぶら歩き回って、そういう場所を探す。ここだ、と手応えがあったら、その地点に居坐り、うつらうつらしたりしてのんびりと過ごす(以前、南の島でそれをやり、日射病で死にかけたことがあるが)。そんなスポットを僕はいくつか持っている。鎌田東二著『聖地感覚』(角川学芸出版)に依れば、そのような場は、その人の『聖地』なのだそうだ」

「聖地」をめぐって、著者は次のように述べます。

「人はなぜ聖地を求め、巡礼をするのか? そこに決まった答えはない。人生がそうであるように『巡礼』も各人各様の理由とかたちをもっている。これからもくりかえし実践され、つづいていくに違いないと鎌田は言う。そう、アキバも冬ソナも軽々に扱ってはいけない。鰯の頭も信心から、その人にとってそれがかけがえのない信仰の対象であるならば(よほど悪質なものでない限り)認めてやらなければいけない。そもそもわれわれの『信仰』は、立場を異にする者から見ればすべて鰯の頭なのである」

さらに、著者は次のように書いています。

「古くから聖地、霊場として崇められている土地には、人間の聖なる感覚を刺戟し増幅させる自然の霊気が強くあるのだろう。三輪山、熊野、出羽三山等々を巡り歩いた鎌田のフィールドワークの記録が興味深い。湯殿山での滝行の描写など、臨場感があって紀行文としても優れている」



著者は、鎌田氏にいたく興味を抱いているようで、次のように書いています。

「著者鎌田東二は、宗教哲学、民俗学、日本思想史と、幅広い分野で研究を続けている学者である。この本の最大の魅力は、彼の底抜けに奔放なキャラクターが存分に発揮されているところだ。巻末の略歴紹介の欄に、石笛、横笛、法螺貝奏者、フリーランス神主、神道ソングライターとあって、笑ってしまった。

おもむくままにやりたいことをやっている。

毎朝、祝詞、般若心経を上げ、笛、太鼓、鈴、その他計十数種類の楽器を奉納演奏するので『時間がかかり、忙しいのだ』とぼやいている。お子さんに『お父さんはアヤシすぎる』と言われるそうだ。カバー折り返しに、著者近影の全身写真が載っている。カメラを意識してやや硬くなっているポーズがチャーミング。しばし見惚れた。『スピリチュアル・パワー』がメディアで安易にもてはやされている当節、鎌田の仕事は貴重である。彼のユーモアを大切にする柔らかなセンスに注目したい」

わたしは、この文章を読んで本当に嬉しくて仕方がありませんでした。

わが義兄弟のことを日本を代表する名優がこれほど高く評価してくれたのですから。

また、著者の鎌田氏に対する分析はまことに的を得ており、著者の人間を観る目には只ならぬものがあります。ちなみに、この文章が「週刊文春」に掲載されたとき、鎌田氏は大変喜ばれ、わざわざメールで知らせて下さいました。



そして、本書の白眉は、何と言っても映画に関する発言でしょう。

俳優である著者は、こころから映画を愛しており、こんな言葉も綴っています。

「映像の仕事は何といってもロケが楽しい。その土地の情景に囲まれただけでふしぎと役の人物に成れたような気分が生まれ、弾みがつく。風も陽の光も地べたも快い刺戟を与えてくれる。自分を(幾分かは)役に明け渡す、その感じがこたえられない」



次の文章などは、きわめて映画作りというものの本質を衝いているように思います。

「撮影の現場で一番偉いのは監督である。ただ1人、神様の如く偉い。名うての脚本家も優れたカメラマン、俳優も監督にはかなわない。だから業界では各々のチームを『黒澤組』『小津組』と監督の名前を冠にして呼ぶ。『七人の侍組』でも『東京物語組』でもない。われら配下の者はひたすら組の親分に奉仕する。想像力、創造力等々、命以外は全てを監督に捧げる。俳優が自身でいくらいい演技をしたと思ってもそんなことは何程でもない。親分のメガネに適わなければ切り捨てられてしまう。われわれは僕なのだ。一時、スター俳優が大金を投じてプロデュースするのが流行った時期があった。武田泰淳はそれを奴隷の反抗と評している。三島由紀夫の俳優願望は当時悪ふざけの過ぎた奇行と騒がれたが、実は大まじめな奴隷志願だったのである。その三島の意図を泰淳は即座に言い当てている」



「週刊文春」2010年4月1日号に掲載された「小津と笠、黒澤、グルメ」では、著者の知り合いの女性がDVDを持って訪ねてきた話が書かれています。

その30代の女性は小津映画にはまっており、「父ありき」「晩春」「麦秋」「東京物語」などのDVDを持参したとか。彼女は、小津映画で笠智衆原節子杉村春子らの登場人物のレトロな言葉遣いが外国語みたいで新鮮で「ひきつけられる」のだそうです。

彼女と一緒に小津映画のDVDを鑑賞した著者は、次のように書いています。

「むろん僕も『晩春』以降の小津作品はぜんぶ見ているが、彼女のように何度も見返すほどの熱心な観客ではなかった。しかし今回は目から鱗、今までぼんやりと見えていたものが突然ピントが合ってくっきりと現れてきた感じ。『!』と前傾姿勢になった。おれはこれまで何をどこを見てたんだ。うかつ、鈍感、脳たりんであった」



何が著者をそこまで思わせたのか? 著者は次のように書いています。

「これは異界から見た現世の風景だ。いや、末期の眼で見た世界だ。

ここに登場する人たちは、お互いさり気なく助け合って生きている。

親子、兄弟、友人、師弟、それぞれが支え合って暮らしている。

そしてそういう人々もやがて時が来て死んでゆく。

そんな人間たちをカメラがいとおしそうに見つめている。小津は楽園を描いているのだ。浮き世に散在する楽園の破片を大切に注意深くピックアップしているのだ。そこにはただただ懐かしく美しい出来事があるばかり。それ以外の醜いものは一切見ない。断固無視する。その無視にめっぽう力がある。被写体との距離のとり方も絶妙。だからいわゆる人情劇特有の湿っぽさがない。代りに若い女が笑い転げるユーモアがある」

うーん、小津映画の本質が「末期の眼で見た世界」だったとは驚きです!

小津映画のほぼ全作品を観たわたしも、まったく気付きませんでした。


著者は、小津安二郎について次のように述べています。

小津安二郎は生涯独身だった。『秋刀魚の味』に『人間は独りぼっちだ』というせりふがある。笠は、『ひとつだけ、先生について口はばったいことを言わせていただきます。/ご結婚なさったほうが良かったんじゃないでしょうか。なんとなく、そう思います』と書いて思い出話を閉じている。2人の深い係わりからの言葉でドラマチック」


また、小津安二郎と並ぶ日本映画最高の巨匠である黒澤明については、「黒澤さんはよく『昔のシャシンを見ると撮り直したくなる』と笑っていた。『その時一生懸命作ったんだからあれでいい』とも言ってたな」と、著者はさらりと触れています。

実際に「天国と地獄」という黒澤映画で世に認められ、その後、日本を代表する名優になった著者の言葉だけに重みがありますね。



著者は、万人が認める最高の「演技力」の持ち主です。

その本人が、「演技」について次のように書いています。

「ときどき『あの映画のあの演技にはどんな狙いがあったのか?』と聞かれることがある。これがほとんど覚えていない。比較的うまくいった演技ほど覚えていない。撮影現場の情況は絶えず動いている。相手役や監督の調子、天候、暖かかったり寒かったり風が吹いたり。その変化する環境に身を任せるよう自分を仕向けるのが僕のモットー。その場に反応して思いがけないアクションが生まれると楽しいし出来もいい(ような気がする)。頭より身体、結果は身体に聞いてくれ、が理想、記憶にないのが僕としてはベストなのだ。それが僕の『自由』、多少脱線したっていいじゃないか。あらかじめのプランは所詮ひ弱なのである。プランにこだわると身体が萎えてしまう」

本書は、ユニークなブックガイドとして、極上の映画論として、また魅力溢れる1人の名優の人生論として、さまざまな読み方ができる好著だと思います。最後に、著者がいつまでもお元気で、1本でも多くの日本映画に出演されることを願っています。


*このブログ記事は、1999本目です。


2012年8月31日 一条真也

『すべては今日から』

一条真也です。

『すべては今日から』児玉清著(新潮社)を読みました。

2011年5月16日に逝去した俳優の児玉清さんの遺稿集です。

児玉さんは大の読書家として知られ、本への熱き想いを綴った著書『寝ても覚めても本の虫』(新潮文庫)はわが愛読書でした。

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愛書家俳優の熱き遺稿集!



本書の表紙には穏やかな著者の肖像写真が使われています。

また、帯には次のように書かれています。

「もっと小説を読んで下さい。未来を築くために――」

「面白本を溺愛し、爽快に生きた“情熱紳士”が精魂込めて書き続けた日本人へのメッセージ!」「一周忌に贈る熱き遺稿集」

本書は、「本があるから生きてきた」「面白本、丸かじり」「忘れえぬ時、忘れえぬ人」「日本、そして日本人へ」という4つの章から構成されています。

また、巻末には息子さんである元タレントの北川大祐さんによる「父・児玉清と本――あとがきにかえて」が掲載されています。



本書には、基本的に児玉さんが読んで面白いと感じた本が紹介されています。

ミステリーが大好きで、英語の原書でも読んでいたほどの児玉さんだけに、紹介されている本はどれも魅力的に描かれています。

でも、やっぱりミステリーなので、ネタバレを避けるためにストーリーの核心部分には触れられておらず、その本当の面白さを知るには実際に読んでみるしかありません。

また本書には、児玉さんの本にまつわるさまざまな思い出が綴られていますが、中でも「本が産み出した家族の団欒」というエッセイが心に残りました。

著者が無理の本好きになったのは小学4年生のときで、教室で隣の席の男の子が「これ目茶面白いぞ!!」と言って、1冊の講談本を貸してくれたのがきっかけでした。

タイトルは『雷電為右衛門』。江戸時代に実在した最強の力士の物語です。

雷電の無敵とも言える強さと愛嬌溢れる人物像のもたらす面白痛快物語に夢中になってしまい、著者はいっぺんに本の虜にされてしまいました。

しかし、本当に嬉しかったのはその先で、著者は次のように書いています。

「それまでは、優しく温かい目で僕を見守ってくれていた父ではあったが、息子の僕との間には対話といったものがほとんどなかった。しかし、僕が読んでいる講談本を父が見た瞬間から、がらっと雰囲気が変ってしまった。実は父は無類の講談好きで、近所の寄席の高座などを聞きに行く常連客の1人だったのだ。

さぁ、それからは一気に父との会話が弾んだ」



雷電をきっかけに、千葉周作柳生十兵衛塚原卜伝などの剣豪物語を読み進むようになった著者は、父に質問を浴びせ、物語に登場する剣の達人をめぐって毎晩のように熱い議論を交すようになったそうです。晩御飯は父と息子の楽しい会話の時間となり、いつしか母と姉も話に加わるようになりました。1冊の講談本がきっかけで、著者の家の食卓は楽しく賑やかな一家団欒の場所へと変わったのでした。

著者は、このエッセイの最後で次のように書いています。

「そんな中で僕が一番感動したのは、父の本棚から自由に本を取り出して読んでいいという許可を貰えたことだった。時代小説を含めて書物好きだった父の本棚から、吉川英治の『神州天馬俠』や『宮本武蔵』、江戸川乱歩の『一寸法師』それに林不忘の『丹下左膳』などなど、本を通じて話ができることで、なにか男同士共通の秘密を分かち合えたような、一気に大人の男の仲間入りができたような誇らしい気持で胸が大きくふくらんだことが忘れられない。今は父との遠い思い出となってしまったが、佐々木小次郎の秘剣≪つばめ返し≫を父が木刀で、多分こうじゃないか、と僕に見せてくれたときの興奮、そのときの母の楽しそうな笑顔は僕の心の財産なのだ」

わたしは「本」と「家族」をめぐる、これほど幸せな文章を他に知りません。



そんな少年時代を経て、「本の虫」となった著者ですが、本書には息子さんの北川大祐さんとの本をめぐる心の交流も描かれています。

「父・児玉清と本――あとがきにかえて」で、北川さんは次のように書いています。

「僕自身は父のような読書家ではなく、子どもの頃に父から『本を読め』と言われた記憶もない。中学の頃に赤川次郎さんの本を読んで父に話したところ、『おまえが1冊読み終えたのか』と感動されたことだけはよく覚えている。大学生の頃からS・シェルダンなど海外の作家の作品も読み始めた僕は、やがて父の書棚からT・クランシー、P・コーンウェル、C・カッスラーといった作家たちの本を借りて読むようになり、父に『どうだった?』と聞かれるので感想を告げる。時折、そんな機会ができるようになった。ある意味で本は僕と父のコミュニケーションの道具になってくれていたのかもしれない」

この文章を読んで、わたしは自分のことをいろいろと思い出しました。

わたしの父も大の読書家でしたが、わたしが中学生くらいのときに『論語』の素晴らしさを教えてくれ、本居宣長平田篤胤柳田國男折口信夫南方熊楠といった人々の全集の前で、その偉大な業績について語ってくれたことを思い出したのです。

その後も、父とわたしの間では、いつも本はコミュニケーションの道具であり、考え方を伝授するテキストであったように思います。



本書で初めて発見したのは、著者の思想家としての顔です。

生前から保守的な考え方の持ち主として知られていたそうですが、第4章の「日本、そして日本人へ」に書かれた数々のメッセージには感銘を受けました。

「日本経済新聞」の夕刊に掲載されたコラムがもとになっていますが、そこには「日本人」としてのあるべき姿が説かれています。

たとえば、「マナーという言葉が眩い」では、次のように書いています。

「けたたましい若い女性の笑い声とともに仲間と思われる3、4人の男女の大笑いがどっと重なった。僕はそのあまりの凄まじさに思わず耳を両手でふさいだ。ある列車内でのことであったが、次から次へとゲタゲタ笑いと突拍子もない嬌声が続いた。

そのたびにこちらも耳をふさぐうちに、次第に腹も立ってきた。

なぜ彼らは近くに他人が沢山いることを気にしないのだろうか。

仲間同士はどんなに楽しいかもしれないが、事実、だから大笑いで笑っているのだろうが、あまりに事もなげなのだ。つまり傍若無人なのだ。

そういえば、こうしたことは最近ひんぱんに身近で見かけるのだ。

手をバシバシ叩きながら大仰に笑い、いかに面白いかを仲間たちに強調している若い男女のグループをいろんなところで見かけるのだ。心底楽しんでるんだから、といってしまえばそれまでだが、あまりにも慎みがない。他人の存在などてんから考えてないとしか思えないのだ。マナーという言葉が眩い」



「TPOはどこに」というコラムでは、服装について次のように書いています。

「異和感といえば、この夏、ある公共団体主催の表彰式に参列したときのことであった。表彰される者たちも、招かれた客たちもほとんど全員がネクタイ姿であるのに、表彰する側は皆クールビズということでノーネクタイであったことだ。

省エネのためのクールビズを徹底しようという、その心構えはわかるのだが、世にいうTPOではないが、社会の慣例として招かれた側が礼を重んじているのだから、表彰式という晴れの舞台であれば、贈る側のマナーとしてネクタイをつける洒落っ気もあってもなあ、とふと思ったのだ」



「我関せず人間」というコラムの冒頭では、次のように書いています。

「最近、車で走っていて気になることのひとつに、方向指示の明かりを点滅させないで、つまり右折か、左折かの信号を全然出さないで曲がる車が増えていることがある。その心を考えるに、それはおそらく≪どっちに曲がるかは、俺が、いや私がわかっているんだから、それでいいじゃないか≫ということなのだろう。ここで今さらいうまでもなく、方向指示の信号を出すのは自分のためではなく他の車に曲がる方向を教えることにある」



そして、このコラムの最後を次の文章で締めくくっています。

「ことは車に限らず、駅や空港や人の集る所、至る所で周りを気にしない我関せず人間が蔓延しつつある。改札口の手前で立ち話や挨拶をしていて、また空港の出口でツアー客に説明していて、人の流れを妨害しているのに、いささかも気付かない人。ちょっとした周囲への気配りさえあればなあ、と折にふれ考えてしまうのは、年寄りの小言幸兵衛的愚痴なのだろうか」



「髭剃りと幼児」の冒頭では、次のように書いています。

「国内線の早朝便でのことであった。着陸態勢に入った機内で突如ジョリジョリと髭を剃る電気カミソリの音が大きく響いた。僕は不快な音のする後の席を思わず振り返った。そこには無邪気に髭を剃っている中年の男性がいた。僕は耳を手でふさぎたくなる気持を押さえて、顔を元の位置に戻しながら≪せめてトイレへ行って髭を剃ってくださいよ≫と独り言ちた」

髭を剃っている自分は爽快かもしれません。しかし、他人の髭を剃る音は決して心地良いものではありません。他人のことを配慮しないデリカシーの無さも問題ですが、何よりも機内は公共の場であり、マナーの問題なのです。



続いて、「髭剃りと幼児」には次のようにも書かれています。 

「つい先だっても、東京へ帰る最終便の機内で、考えさせられる事態に遭遇した。2歳ぐらいの女の子を連れた30代前半と思える若き夫婦が、甲高い奇声を発ししゃべり続け、ときには歌も唄い出す娘に、≪静かにしなさい≫と制止しないのだ。いや、小さな声で何か父親が言っているのだが、制止どころかそれは恰も、自分たちの大事な宝物が喜んで話しているのだから、あなたがたも聞いてくださいね、といった感じなのだ。突拍子もない高い声が絶え間なく続く機内。一度気になり出したら、もうたまらない。しかし誰もそれを止める者がいない」



好感度の高いタレントが、全国紙に堂々とここまで発言するとは凄い!

「マナー」や「モラル」の問題はわたしの専門の1つでもありますが、著者の見識の高さと正義感の強さには心から感服します。

著者は世の中の無礼者に対して、ただ愚痴をつぶやいていただけではありません。

息子の北川大祐さんによれば、「ルールを守らないこと、礼儀やマナーに反することを何より嫌った父は、許せない態度に出会うと相手構わず喧嘩をしたり、容赦ない言葉を投げつけたりもした」そうです。うーん、児玉清さん、凄すぎる! 

そして、あまりにもカッコ良すぎる! 

じつは、わたし自身も何度かそんな経験をしています。

それだけに、児玉さんの益荒男ぶりが目に浮かぶようです。



「読書」と「常識」。これが本書の二大テーマであると言ってもよいでしょう。一見あまり関係がなさそうな2つのテーマですが、「詐欺」というコラムで見事に結びつきます。

振り込め詐欺の被害者が絶えない現状に対して、著者は次のように書いています。

「騙された方々には同情を禁じ得ないが、どうして、こうも簡単に騙されてしまうのかという不思議さも大きい。巧妙な手口を考案する悪辣な騙し屋の増殖する日本に危機感を抱き、猛烈に腹が立つのはもちろんだが、それにしても、ちょっとした大人の智恵があれば、相手のレトリックの疑わしさや齟齬に気付くはずだと考えてしまうのは酷だろうか」



そして、この「詐欺」というコラムの最後に、著者は次のように書くのでした。

「事件や事故を解決するために直ぐに金を振り込め、直ぐに儲かるから金を出せ、こうした不自然な話に疑うこともなく乗ってしまう、素朴さというのか幼稚さは一体どこからくるのか。読書離れの激しい国の特徴的傾向と考えてしまうのは僕の偏見であろうか」

これも、なかなか言えるセリフではありません。でも、わたしはまったく同感です。

「すごい、児玉さん、よく言った!」と快哉を叫んだ人は多かったのではないでしょうか。



何よりも読書を愛し、高い道徳性を持った著者は、真の教養人だったと思います。

本当のインテリジェンスは、大量の本を読むだけでは身につきません。

実際に体験し、自分で考えて、初めてその人の教養になるのです。

インテリジェンスには、さまざまなな種類があります。

学者のインテリジェンスもあれば、政治家や経営者のインテリジェンスもある。冒険家のインテリジェンスもあれば、お笑い芸人のインテリジェンスもある。

けっして、インテリジェンスというものは画一的なものではありません。

しかし、すべての人々に必要とされるものこそ、「心のインテリジェンス」であり、より具体的に言えば、「人間関係のインテリジェンス」ではないでしょうか。

つまり、他人に対して気持ち良く挨拶やお辞儀ができる。

相手に思いやりのある言葉をかけ、楽しい会話を持つことができる。これは、「マネジメントとは、つまるところ一般教養のことである」というドラッカーの言葉にも通じます。

マネジメントとは、「人間関係のインテリジェンス」に関わるものだからです。

いくら多くの本を読んだとしても、挨拶ひとつ満足にできない人は教養のない人です。

わたしは、読書という営みは、「人間関係のインテリジェンス」につながるべきだと思います。そして、その達人こそが著者・児玉清さんではなかったでしょうか。



わたしの妻は生前の著者の大ファンで、著者の声が好きと言っていました。

でも、わたしは著者の考え方と生き様が好きです。できることなら、わたしもいつの日か、著者のような「頑固爺さん」もとい「情熱紳士」になりたいと心から憧れています。

著者は「オリンピックおたく」と自称するほど五輪の開催を楽しみにしていたそうです。

2004年のアテネオリンピックでは、念願かなって現地で観戦したそうです。

今年のロンドンでの日本勢の活躍を見せてあげることができなかったのは残念ですが、きっとあちら側で応援していたことでしょう。

それにしても、本書に書かれた名調子がもう読めないとは残念です。

永遠の情熱紳士・児玉清さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


*このブログ記事は、1998本目です。


2012年8月31日 一条真也

『読書の技法』

一条真也です。

『読書の技法』佐藤優著(東洋経済新報社)を読みました。

著者は、「知の怪物」として知られる作家・元外務省主任分析官です。

ブログ『野蛮人の図書室』で紹介した本の著者でもあります。本書には、「誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術『超』入門」という長いサブタイトルがついています。

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熟読術・速読術「超」入門



帯には目玉をギョロッと剥いて腕組みをした著者の上半身の写真があります。

背景には書架が並んでいるので、著者自身の書庫で撮影したと思われます。

「佐藤流 本の読み方 初公開!」というコピーに続き、次の言葉が記されています。

「月平均300冊、多い月は500冊以上」「基本書は3冊買って、真ん中から読め」「1冊5分で読む『超速読』と30分で読む『普通の速読』を使いこなせ」「読書の要『基礎知識』は、高校の教科書と学習参考書で身につけろ」

惜しむらくは、書架に入った本の書名とかぶって帯のコピーが読みにくいこと。

書庫の写真は表紙に使って、帯は文字だけにするとか出来なかったのでしょうか。



ただ、本書の冒頭に掲載された8ページにわたるカラー写真は圧巻です。

「書斎と仕事場」「佐藤流 本の読み方」「佐藤流 ノートの作り方、使い方」などが写真とともに紹介されており、非常に興味深かったです。

著者の蔵書は自宅、自宅近くの仕事場、箱根の仕事場に分かれており、合計4万冊が収められているそうです。いずれの書架もきれいに整理されて並べられています。

収納スペースは、全体で約7万冊分確保しているそうです。これは、うらやましい!

わたしが将来、自分の書庫を作る際の参考にしたいと思います。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」

第1部 本はどう読むか

第1章:多読の技法〜筆者はいかにして大量の本を読みこなすようになったか

第2章:熟読の技法〜基本書をどう読みこなすか

第3章:速読の技法〜「超速読」と「普通の速読」

第4章:読書ノートの作り方〜記憶を定着させる抜き書きとコメント

第2部 何を読めばいいか

第5章:教科書と学習参考書を使いこなす〜知識の欠損部分をどう見つけ、補うか

    【世界史】【日本史】【政治】【経済】【国語】【数学】

第6章:小説や漫画の読み方

第3部 本はいつ、どこで読むか

第7章:時間を圧縮する技法〜時間帯と場所を使い分ける

「おわりに」

[特別付録]本書に登場する書籍リスト



第1章「多読の技法〜筆者はいかにして大量の本を読みこなすようになったか」の冒頭で、著者は「佐藤さんは、月に何冊くらいの本を読みますか?」という質問に対して、「献本が月平均100冊近くある。これは1冊の例外もなく、速読で全ページに目を通している。それから新刊本を70〜80冊、古本を120〜130冊くらい買う。これも全部読んでいる」と答えています。この驚異的な著者の読書量は、「熟読」「超速読」「普通の速読」と使い分けた読み方によって可能となっています。

本書のカバーの折り返しに掲載されている読み方の要点を以下に引用します。



佐藤流「熟読」の技法

1.まず本の真ん中くらいのページを読んでみる【第一読】

2.シャーペン(鉛筆)、消しゴム、ノートを用意する【第一読】

3.シャーペンで印をつけながら読む【第一読】

4.本に囲みを作る【第二読】

5.囲みの部分をノートに写す【第二読】

6.結論部分を3回読み、もう一度通読する【第三読】

▼熟読の要諦は、同じ本を3回読むこと

基本書は最低3回読む

  第1回目  線を引きながらの通読

  第2回目  ノートに重要箇所の抜き書き

  第3回目  再度通読

  熟読できる本の数は限られている

  熟読する本を絞り込むために、速読が必要になる



佐藤流「超速読」の技法(1冊5分程度)

1.5分の制約を設け、最初と最後、目次以外はひたすらページをめくる

▼超速読の目的は2つ

 本の仕分作業と本全体の中で当たりをつける



佐藤流「普通の速読」の技法(1冊30分程度)

1.「完璧主義」を捨て、目的意識を明確にする

2.雑誌の場合は、筆者が誰かで判断する

3.定規を当てながら1ページ15秒で読む

4.重要箇所はシャーペンで印をつけ、ポストイットを貼る

5.本の重要部分を1ページ15秒、残りを超速読する

6.大雑把に理解・記憶し、「インデックス」をつけて整理する

▼普通の速読は、新聞の読み方の応用

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わたしなりの「読書の技法」を示しました



本書は、非常に具体的なアドバイスが満載された実践的な読書術の本だと思います。

わたしには、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)という著書があります。

「万能の読書術」というサブタイトルがつけられた同書の第1部「技術篇」は、まさに、わたしなりの読書の技法について書きました。わたしの読書術は、本書『読書の技法』に書かれた佐藤優氏の読書術と重なる部分が多々ありました。もちろん全部がそうではありませんが、だいたい8割ぐらいは著者の読み方と共通していると思います。



その中でも、わたしが初めて触れた読み方もありました。熟読の技法の最初に紹介されている「まず本の真ん中くらいのページを読んでみる」という部分です。

著者は、何かを勉強するとき、まず基本書を3冊使うことを提唱します。

最初に、この3冊の基本書のどれから読み始めるかを決めなければなりません。

それにはまず、それぞれの本の真ん中くらいのページを開いて読んでみることだとして、著者は次のように述べています。

「なぜ、真ん中くらいのページを開くのかといえば、本の構成として、初めの部分は『つかみ』と言って、どのように読者を引き込むかという工夫を著者と編集者がしており、最終部の結論は、通常、著者が最も述べたいことを書いているので、読みやすいからだ。翻訳書の場合、そのような本自体の構成に加え、真ん中くらいになると緊張が続かなくなり、翻訳が荒れてくることがある。

真ん中くらいというのは、実はその本のいちばん弱い部分なのである。あえて、このいちばん弱い部分をつまみ読みすることによって、その本の水準を知るのである」



また、最終章である第7章「時間を圧縮する技法〜時間帯と場所を使い分ける」の以下のくだりも非常に参考になりました。

「筆者は1日2回、まとまった読書の時間を設けている。13時半〜19時の間の数時間と、24時〜26時だ。合計すると1日約6時間だが、どんなに忙しくても4時間を下回ることはない。少なくとも4時間というのは、自分の中で絶対に守らなければいけない読書のための時間だと考えている。

このときには、現在仕事で必要な本は極力読まないようにしている。本を読んでから、その情報が頭の中で整理されて、きちんと引き出せるようになるためには、一定の時間が必要になる。これには個人差があるが、筆者の場合、だいたい3カ月から6カ月とすると、新しい知識が『発酵』して頭に定着し、自分で運用できるようになる」

これまた、わたし自身と重なる部分が多くて、よく理解できました。



本書の第1部「本はどう読むか」は、『あらゆる本が面白く読める方法』の第1部「技術篇」の内容と重複します。しかし、本書『読書の技法』には第2部「何を読めばいいか」があり、そこで多くの名著が紹介されていますが、『あらゆる本が面白く読める方法』にはそのような読書案内のページがありません。ぜひ今度は、わたしも名著案内の役割を果たすブックガイドを書いてみたいと思います。

本書『読書の技法』は「知の怪物」の秘密を解き明かす好著ですが、わたし自身も大いにインスパイアされました。わたしも以前は著者に負けないほどの大量の本を読んでいた時期もありましたが、ここ最近はブログを書くこと、特に長文の書評ブログを書くことに時間を取られ過ぎてしまい、読む本の冊数がすっかり少なくなってしまいました。

もちろん書評ブログを書くことも大切なのですが、これまでの自分の姿と比べてみると、インプットに対してアウトプットの比重が高くなり過ぎた気がしています。

ブログばかり書いていないで、もっと本を読まなければと強く思いました。


*このブログ記事は、1997本目です。


2012年8月31日 一条真也

2012-08-30

読書コミック

一条真也です。

ブログ「図書館コミック」で、図書館をテーマにしたさまざまなコミックを紹介しましたが、本そのものをテーマにしたコミックも存在します。

わたしは「読書コミック」と呼んでいるのですが、なかなかの名作です。

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運命の本との邂逅を描く傑作漫画


まず、ご紹介したいのは『本棚の神様』深沢かすみ著(集英社)。

帯には「――人生を変えた1冊との邂逅を描く珠玉の読み切り漫画作品集――」と大きく書かれており、続いて「読書ガイドとしても最適!!」「元となった文学作品の解説コラム+BOOKガイド付き」と記されています。

また、カバー裏には次のような内容紹介があります。

「娘を兄に預け歌手の夢を追った母親、ちゃんと理解し合えぬまま姿を消した友人、互いの感情のすれ違いで崩壊寸前の家族・・・・・。さまざまな人生のさまざまな瞬間に訪れる、1冊の本との出会い、ふれあいを描いた漫画作品集」



本書の「目次」は、以下のようになっています。

BOOK  芥川龍之介杜子春

BOOK  太宰治「黄金風景」

BOOK  T・ウィリアムズ「ガラスの動物園

BOOK  野上弥生子「山姥」

BOOK  堀辰雄「風立ちぬ」

BOOK  八木重吉「定本 八木重吉詩集」

BOOK  イプセン「人形の家」

「BOOKガイド」



『本棚の神様』というタイトルから、わたしは最初、図書館の司書か書店員の物語なのかなと思いました。でも、それは勘違いで、この漫画には主人公はいません。それぞれの物語では、さまざまな人物が登場して、さまざまな人生の辛苦を味わい、そしてさまざまな本と出合って生きてきます。

ブログ『論語』ブログ『ネクスト・ソサエティ』にも書きましたが、文学作品ではないにせよ、わたし自身も本との出合いで人生の活路を得たという経験があります。

人生を変えた1冊というのは確かに実在します。もし、「自分には、そんなものは関係ない」と言う人がいたら、その人はまだその1冊に出合っていないだけでしょう。

その運命の1冊に邂逅するために、人は読書を続けるのかもしれません。

本書に収められた7つの物語は、いずれも読む者の胸を打ちます。

なんというか「人間が生きる意味」のようなものを問うているような気さえします。

これほどの名作が現在絶版中というのが本当に残念です。

本を愛するすべての人におススメしたいと思います。

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読書の歓びを繊細華麗に描き出す



続いてご紹介したいのが、『草子ブックガイド』第1巻、玉川重機著(講談社)です。

帯には「青春は、一冊の本からはじまった。」と大きく記され、続いて「読書の歓びを繊細華麗に描き出す幻の漫画家12年ぶりの新作」と書かれています。

アマゾンには、以下のように本書の内容が説明されています。

「内海草子(うつみそうこ)は本を読むのが好きで好きでたまらない中学生。いつも本を読んでいて、本の中の世界にひたっている。内気で、他人と打ち解けるのが苦手な草子にとって、古書・青永遠屋(おとわや)の店主は良き理解者。読んだ本の感想を描いた草子の『ブックガイド』が、店主を喜ばせ、さらには周囲の人々に本を読むことの素晴らしさを伝える。濃密な絵柄で、読書の魅力を最大限に表現する」



どこにも居場所がない草子は、東京の小さな古書店で万引きを繰り返します。

その行為そのものは立派な犯罪行為であり、けっして許されることではありません。

しかし、草子の孤独に気づいていた店主は、彼女の良き理解者となります。

草子は、青永遠屋を通じて出会った本を、ひたむきに読み解きます。そして、その感想をメモに記すことによって、徐々に人々や世の中と結びついていきます。

草子独自の「ブックガイド」は、読んだ本のポイントを繊細にすくいあげ、イメージ豊かに語り尽くします。それも、草子が本の中に登場するキャラクターに毎回なりきるのです。本の登場人物になるきることによって、草子は鮮やかな「読み」を披露します。



この第1巻には、『新約ロビンソン漂流記』『ティファニーで朝食を』『山月記』『名人伝』『山家集』などが登場します。いずれの話もそれぞれ面白いのですが、その中でも特に興味深かったのは、『ティファニーで朝食を』のエピソードです。

草子は、この本でブックトークに挑戦するのです。

ブックトークとは、テーマを1つ決めて、それに関連した本を数冊選び、それぞれの本につながりを持たせながら紹介していく方法です。

語りのうまい司書が話術を駆使して本を紹介していきます。

司書の代わりに、児童や生徒がやることもあります。



このブックトークの場面を読んで、わたしは現在流行中の「ソーシャル・リーディング」の原点であると思いました。「ソーシャル・リーディング」というのは、インターネットなどで多くの人と本の感想などを共有する読書法です。

本好きの人は1人で読書をしますが、それだと寂しくて、普通は何か共感したいという欲求があるものです。ということから、現在はいくつかのソーシャルリーディングサイトがインターネット上に作られています。その原点こそ、本書で草子が行ったブックトークなのです。読書というと、なんだか孤独な行為のように思いがちですが、読書によって他人とつながることもできるのです。本書は、そのことを教えてくれます。

第2巻の刊行が「待ち遠しい」と心の底から思います。


*このブログ記事は、1996本目です。


2012年8月30日 一条真也

図書館コミック

一条真也です。

いま、コミックの世界では「図書館コミック」というジャンルが生まれつつあります。

ブログ『鞄図書館』で紹介したコミックもそうですが、その他にもあります。

その代表作ともいえる名作が、『夜明けの図書館』埜納タオ著(双葉社)です。

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ほんのりあったか、図書館コミックの誕生



帯には「その疑問、新米司書がお手伝いします。」と大きく書かれ、続いて「利用者の調べものをサポートする『レファレンス・サービス』。難問・奇問の裏に隠された真実とは・・・!?」とあります。

そう、本書は市立図書館で働く新米司書・ひなこの物語です。

日々、ひなこは利用者からはいろんな質問を投げかけられます。

それも、「ある写真を探している」「光る影の正体が知りたい」などの難問ばかりでした。

こうした疑問に対し、適切な資料を紹介するのも図書館員の仕事なのです。

ひなこは、迷宮入りしそうな利用者の疑問に敢然と立ち向かっていくのでした。

まさに、新感覚の「ライブラリー・コミック」の誕生と言えるでしょう。



本書には、次の4つのエピソードが収められています。

第1話「記憶の町・わたしの町」

第2話「父の恋文(ラブレター)」

第3話「虹色のひかり・・・」

第4話「今も昔も・・・」



いずれのエピソードも、読者の知的好奇心を刺激し、最後はじんわりと感動させてくれるハート・ウォーミングな話ばかりです。そして、そこには少しのヒントでも見逃さずに、なんとか利用者の力になりたいという主人公ひなこのプロ根性があります。

わたしは、ひなこの情熱に「ホスピタリティ」を強く感じました。

そう、ホスピタリティとはけっしてホテルや飲食業だけのものではありません。

お客様のいる仕事なら、どんな仕事にだって求められるものなのです。

若い女性をはじめ、いろんな仕事に就いている人がいるでしょうが、本書を読めばきっと自分の仕事に前向きになれるのではないでしょうか。



本書のアマゾン・レビューの中に、こんな意見がありました。

「こんなに一生懸命になって、本を探してくれる司書がいたら、本を探してもらった人は、どんなにうれしいと思うだろう・・・。この作者さんの描き出す繊細な絵も、紡ぎだす言葉も、一つ一つの人生も、どれもが美しく、この本が好きになりました。『図書館に行きたいな』そう思ってしまう、暖かい物語でした」

わたしも、このレビュアーの方にまったく同感です。

こんなに読後爽やかな気分になったコミックは久しぶりです。

著者には、ぜひ続編を書いていただきたいと思います。

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「児童書のソムリエ」の物語



次に紹介する図書館コミックは、『図書館の主』1・2巻、篠原ウミハル著(芳文社)。

ある私立の児童図書館に勤める名物司書・御子柴の物語です。

彼は地味なメガネをかけた無愛想な男ですが、仕事は一流です。

図書館を舞台に「児童書のソムリエ」が活躍します。



この漫画には、「うた時計」「宝島」「幸福の王子」「少年探偵団」「ニルスのふしぎな旅」「貝の火」「クリスマス・キャロル」などの児童書が続々と登場します。

どれもが子どもの頃に夢中になって読んだ本ばかりで、とても懐かしかったです。

子どもの頃、本は魔法のじゅうたんでした。本を開けば、どんな場所にだって、どんな時代にだって、自由自在に飛んでいけました。

本書には翔太という少年が登場します。最初は本などに興味を示さなかった翔太ですが、御子柴のすすめで『宝島』を読み始めます。その面白さのとりこになった彼が「なんか全部読んでしまうのがもったいねーんだよなー」と言う場面があります。

その言葉、涙が出るほど、よくわかりますね。

でも、御子柴は「安心しろ」とひとこと言います。

そして、「『宝島』を読み終わったら、また新しい本を借りに来ればいい。ここには、こんなにお前を待ってる本があるんだ」と言うのです。いやあ、素晴らしいセリフですね。



本書の主人公である御子柴は「児童書のソムリエ」ですが、じつはわたしも「本のソムリエ」と呼ばれることがあります。というのも、新聞や雑誌で「ハートフル・ブックス」および「一条真也の読書塾」といった読書案内を連載しているからです。

これまで、じつに多種多様な本を毎月紹介してきました。時々、北九州の飲食店をはじめ、理髪店とか立体駐車場などに行くと、「この前紹介されていた本を読みました。とても面白かったです!」などと言われることがあるのですが、本当に嬉しいですね。その方の心の養分をプレゼントしたような気分になってきます。



もちろん、わたしが紹介する本の中には児童書も含まれています。

児童書といえば「童話」が思い浮かびますが、わたしには『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という著書があります。この本では、アンデルセンの「人魚姫」「マッチ売りの少女」、メーテルリンクの「青い鳥」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、そしてサン=テグジュぺリの「星の王子さま」といった童話の読み方について書きました。

まだ読まれていない方は、どうぞ御一読下さい。

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世界で最初の本を読みたい



最後に紹介したいのが、『永遠図書館』1・2巻、赤星治人著(講談社)です。

ちょっと絵柄が萌え系で、正直言って、わたしの趣味ではありません。

しかし、「図書館」がテーマということで読んでみた次第です。第1巻の帯には「世界で最初の本を読みたい。」と大きく書かれ、「少女は幼い頃からの願いを胸に、『永遠図書館』の白道司書(ベルベット)を目指す」と続きます。



アマゾンでは、第1巻の内容を次のように説明しています。

「『宇』とは空。『宙』とは時。そこは宇と宙の狭間に在るコネプルシア図書館。そこには全宇宙の歴史と英知が集まるが故に、通称『永遠図書館』と呼ばれています。そして、本が大好きな少女メシェは、幼い頃からの憧れだったその図書館の『白道司書<ベルベット>』を目指しています。いつか、『世界で最初の本』を読む日を夢見て──」

また、第2巻の内容は次のように説明されています。

「全宇宙の歴史と英知が集まるが故に『永遠図書館』とも呼ばれるコネプルシア図書館。その禁断の中央書庫塔の深奥にあるという『世界で最初の本』を 読む夢を抱く白道司書<ベルベット>メシェは、未だ見習いの身。そんな彼女に、白道司書<ベルベット>として独り立ちできるか否かを決する試練の 時が訪れようとしていました──」



まず、『永遠図書館』というタイトルが素晴らしいですね。

わたしの敬愛する作家であるボルヘスの『バベルの図書館』を連想させます。

また、本書のストーリー自体もボルヘスの世界を彷彿とさせる神話とファンタジーの融合のような幻想的な物語になっています。あまりにも超現実的な世界を描いていて、舞台は図書館というイメージを超越してしまっています。

まるで「図書館星」とでも呼ぶべき惑星の歴史を読んでいるようです。

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前代未聞! ワンダーランドのカタログ



わたしの監修書に『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)という本があるのですが、その本の中に紹介したいような図書館でした。

もともと、本とは「ここではないどこか」に連れていってくれる魔法のじゅうたんであり、その本が集まった図書館とはワンダーランドに他なりませんが、本書のようにここまで図書館という場所をファンタジーにしてしまったのは凄いと思います。


*このブログ記事は、1995本目です。


2012年8月30日 一条真也

パゴダ再開報道

一条真也です。

ブログ「世界平和パゴダ再開」に書いたように、昨日、休館中だった世界平和パゴダが再開しました。昨夕は、NHKをはじめ各テレビ局のニュースでも報道されました。

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パゴダ再開を報道する各紙の朝刊



また、「朝日」「毎日」「読売」「西日本」など、今日の各新聞の朝刊でも大きく報道されています。日本で唯一の上座部仏教の寺院である世界平和パゴダの再開に大きな期待が寄せられていることがわかります。

「毎日新聞」には、次のように書かれています。

「今回の活動再開は、休館の長期化を懸念したミャンマー側が新たに『僧侶2人の派遣』『半年間の2人の滞在費負担』『日本とミャンマー企業の寄付金による僧院整備』――などを決定して実現した。

29日から僧侶2人がパコダでの生活を開始。また、日本の有識者などでつくる『ミャンマー・日本仏教交流委員会』(佐久間進委員長)も同日発足した。今後は同委員会が運営の資金確保などを進めるという。佐久間委員長は『課題は多いが、幅広い企業、個人に資金協力を依頼し永続的な活動を実現したい』と述べた」

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記者会見で挨拶する佐久間委員長



たしかに佐久間委員長の言葉通り、課題は多いです。

でも、何としてもブッダの本心に近い上座部仏教の聖地を守らなければなりません。

今日の早朝、仙台市や三陸沖で震度5強の地震がありました。

1年半近く前になる東日本大震災の余震だそうです。

地震、津波、放射能、いじめ、孤独死・・・・・日本人の心は不安に揺れ動いています。

ミャンマーと日本の友好のためにも、戦没者の慰霊のためにも、また日本人の「こころの未来」のためにも、世界平和パゴダの存在意義は限りなく大きいと言えるでしょう。

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再開した世界平和パゴダ



なお、「世界平和パゴダ」についてのお問い合わせは以下までお願いいたします。

「ミャンマー・日本仏教交流委員会」事務局

TEL:093−551−9950 

(担当)石田、冨樫


*このブログ記事は、1994本目です。


2012年8月30日 一条真也

2012-08-29

世界平和パゴダ再開

一条真也です。

今日は、わたしにとって忘れられない日となりました。

閉鎖されていた「世界平和パゴダ」が、ついに再開したのです。

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再開した世界平和パゴダ



これまでの経緯については、ブログ「世界平和パゴダ」ブログ「大僧正のお別れ会」ブログ「世界平和パゴダ再訪」ブログ「ミャンマー大使館」ブログ「ブッダ・ミッション」などに書いてきた通りです。詳しくは、そちらをお読み下さい。

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威厳に満ちたミャンマー僧

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ウ・ヴィマラ長老(左)とウ・ケンミェンタラ僧(右)



昨日、北九州市小倉の松柏園ホテルに3人のミャンマー僧が来られました。

ミャンマー仏教界の最高位にあるウ・エンダパラ三蔵位大長老を筆頭に、新たにミャンマーから世界平和パゴダに派遣されたウ・ヴィマラ長老とウ・ケンミェンタラ僧です。

ウ・ヴィマラ長老は1964年9月16日生まれの47歳、マンダリン仏教大学教授でもあります。ウ・ケンミェンタラ僧は1981年6月15日生まれの32歳、インドとスリランカで厳しい修行をされました。新しく赴任されたお二人は昨夜は松柏園ホテルに宿泊されましたが、今夜から世界平和パゴダで生活されます。

つまり、本日をもって「世界平和パゴダ」が再開されたことになります。

お二人とも、とても清々しい目をされ、かつ威厳に満ちておられます。

まさに、宗教者としてのオーラを存分に放たれていました。

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記者会見のようす



また、この度、ミャンマーと日本両国の仏教交流及び親善のため、また再開された「世界平和パゴダ」の健全な運営を目的に「ミャンマー・日本仏教交流委員会」が発足しまし、松柏園ホテルで記者会見が行われました。

「ミャンマー・日本仏教交流委員会」のメンバーは以下の通りです。

委員長:佐久間進サンレーグループ会長)

委員:鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授)

委員:井上ウィマラ(高野山大学准教授)

委員:井上幸一(農業資源開発コンサルタント)

委員:八坂和子(宗教法人世界平和パゴダ理事)

委員:佐久間庸和(株式会社サンレー社長)

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佐久間委員長に委嘱状が手渡されました



テレビ、新聞を中心に多くのマスコミが取材に訪れました。

最初に、エンダパラ大長老とキン・マゥン・ティン駐日ミャンマー大使より、サンレーグループ佐久間進会長に世界平和パゴダ運営の委嘱状が手渡されました。

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エンダパラ大長老の挨拶

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駐日ミャンマー大使の挨拶



それから、ウ・エンダパラ三蔵位大長老より挨拶がありました。

大長老は「ミャンマーと日本両国の友好の証である世界平和パゴダが今日から再開され、まことに喜ばしい。テーラワーダ(上座部)仏教の普及によって、日本人の心の安らぎに貢献できることを願っています」と述べられました。

続いて、キン・マゥン・ティン駐日ミャンマー大使より「今回の世界平和パゴダ再開によって、両国の仏教交流と親善が進むことを願っています。日本のみなさまにも広く協力をお願いいたします」として、世界平和パゴダ運営のための募金の協力を日本人に呼びかけられました。振込先は、以下の通りです。

三井住友銀行 五反田支店

口座番号:普通 8416742

口座名義:WORLD PEACE PAGODA FUND AMBASSADOR KHIN MAUNG TIN

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挨拶する佐久間委員長



続いて、「ミャンマー・日本仏教交流委員会」の佐久間進委員長が挨拶しました。

佐久間委員長は、「世界平和パゴダはビルマ戦線での戦没者の慰霊塔のようなイメージが強いですが、もともとパゴダとは聖なる寺院です。この聖地を一日も早く復活すべく微力ながらお手伝いさせていただくことになりました。わたし個人としては、日本が無縁社会を乗り越えるための拠点にもしたいと考えています」と述べました。

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挨拶する八坂和子委員



委員の中では、八坂和子氏とわたしが記者会見に参加しました。

八坂氏は「世界平和パゴダの歴史は、ウ・ケミンダ大僧正とともにありました。御縁あって私が看取らせていただきましたが、ウ・ケミンダ大僧正が亡くなられたことによって、パゴダの第一幕は下りました。そして、いま、第二幕が上がりつつあります。この先のストーリーはまだ誰にもわかりません。これから、皆さんと一緒に力を合わせて素敵なドラマにしていきたいと思います」と、非常に感動的な挨拶をされました。

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最後に、わたしも話しました



そして最後にわたしもマイクを持って話させていただきました。

「『無縁社会』とか『孤族の国』といった言葉があります。日本人のこころの未来は明るいとは言えません。このような状況を乗り越えるシンボルに世界平和パゴダはなり得ると思います。日本で唯一の上座部仏教の聖地であり、ブッダの骨を収める仏舎利も有していることから観光的資源としても大きな可能性を持っています。さらには、建築デザインも素晴らしく、平和のモニュメントとしての意味も限りなく大きいと言えます。わたしは、将来的に広島の原爆ドームと同じく『世界文化遺産』にすることも夢ではないと考えており、ぜひ、ユネスコに申請したいと思っています。諸々のことを含めて、世界平和パゴダの意義と重要性を広く発信していきたいです」と申し上げました。

ユネスコ・世界文化遺産申請のアイデアは大使から大変喜ばれ、会見終了後には「全面的に協力させていただく」とのお言葉を頂戴しました。



記者会見は2時間以上にわたって続きました。

その模様は早速、今夕のTVニュースで放映されます。以下の通りです。

18:00〜19:00「こんばんは北九州」(NHK)

18:15〜19:00「今日感NEWS」(RKB)

18:15〜19:00「NEWS5ちゃん」(FBS)

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三蔵法師と孫悟空親子(?)



また明朝、「朝日」「毎日」「読売」「西日本」の各紙で報道されるようです。

会見終了後、ホテルのロビーでエンダパラ三蔵位大長老、佐久間委員長とともに記念撮影しました。悩める三蔵法師を助ける「孫悟空親子」として、これからもわたしたち父子は全力で頑張る所存です。すべてはブッダのお導きのままに・・・・・。


*このブログ記事は、1993本目です。


2012年8月29日 一条真也

『鞄 図書館』

一条真也です。

『鞄図書館』第1巻、芳崎せいむ著(東京創元社)を読みました。

ブログ『金魚屋古書店』シリーズで紹介したコミックと同じ作者による作品です。

主役は、あらゆる書物を所蔵するという、幻の「鞄図書館〉」です。

不思議な鞄と司書の2人が世界を巡り、出会った人々と温かな交流を繰り広げます。

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あらゆる本を揃えるという、幻の「鞄図書館」



現在、コミックの世界には「図書館もの」というジャンルがあるようで、本書をはじめとして、『夜明けの図書館』とか『図書館の主』とか『永遠図書館』といった作品がよく読まれているようです。大の本好きであるわたしは、もちろん図書館も大好きですので、こういったジャンルが育ってくれることは何とも嬉しい限りです。でも、本書『鞄図書館』は単なる図書館ものというよりも、摩訶不思議なファンタジーの部類に入るでしょう。

なにしろ、ひとつの鞄の中が途轍もなく広い空間になっていて、その中に、この世のありとあらゆる本がすべて納まっているという話なのですから・・・・・。



本書の帯には「出会いと知識を詰め込んだ、不思議な鞄の物語。」と大きく書かれ、「あらゆる本を揃えるという、幻の『鞄図書館』。あなたのお探しの本も、ここにあるかもしれません・・・・・」と続きます。鞄図書館の司書を務めるおじさんは、世界中いや、あるときは異世界にまでも足を延ばして本を貸し出します。

貸与期間は1年間で、そこにさまざまなハートフルなドラマが展開していきます。

それぞれのエピソードは約10ページ前後と短いですが、どれも内容が濃いです。

そして、登場する本たちのラインナップの渋いこと!



名作絵本の『ぐりとぐら』にはじまって、英国人エドワード・ウエバリーを主人公とする歴史小説『Waverley』、谷川俊太郎訳の『マザー・グース』。

アガサ・クリスティの『アクロイド殺害事件』、ダシール・ハメットの『血の収穫』。

ラヴクラフトの『ネクノロミコン』、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』、大阪圭吉の『とむらい機関車』、日本聖書協会の『聖書』、エドガー・アラン・ポーの『黒猫』。

レイ・ブラッドベリの『10月はたそがれの国』と『スは宇宙(スペース)のス』。

本書の版元が東京創元社で、もともとが同社のミステリ専門誌である「ミステリーズ!」に掲載されていたためでしょうか、創元推理文庫とか創元SF文庫が多いのが目につきますね。でも、それぞれの本たちはじつに魅力的に描かれ、なんだか読みたくなってきます。また、鞄はことあるごとにゲーテの言葉を持ち出しますが、これも味わいがありました。本好きには、たまらない短編集でした。早く、第2巻が読みたいです。


*このブログ記事は、1992本目です。


2012年8月29日 一条真也

『金魚屋古書店』シリーズ

一条真也です。

『金魚屋古書店出納帳』上・下巻、芳崎せいむ著(小学館)を再読しました。

知る人ぞ知る「漫画」がテーマの「漫画」です。

現在も月刊「IKKI」に連載中の「金魚屋古書店」が有名ですが、本書はその前に発表された、いわば序論であり、前奏曲です。こちらを先に読んだほうが登場人物の関係などが理解できて、「金魚屋古書店」のほうも楽しめます。

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登場するのはすべて実在の漫画



巨大な地下倉庫を持ち、「ないものはない」ほどの品揃えを誇る、伝説の漫画古書店の物語です。石森(石ノ森ではありません)章太郎の『サイボーグ009』にはじまって、水木しげるの『河童の三平』、手塚治虫の『キャプテンKen』、大城のぼるの『火星探検』、さいとうたかおの『ゴルゴ13』、あだち充の『タッチ』、田淵由美子の『フランス窓便り』・・・・・とにかく、実在する漫画作品が続々と登場します。

さまざまな漫画を中心にして、人々の心の交流が描かれます。

共通しているのは、けっして漫画の内容そのものには入っていかないこと。

あくまで、漫画は人間たちの繰り広げるドラマの脇役なのです。

これが続編の「金魚屋古書店」になると、漫画のほうが前面に出てくる感じで、ウンチクも多くなります。こちらの「金魚屋古書店」のほうはあくまで人間が主役なので、漫画に詳しくない人でも安心して読めます。



本書の下巻には、2つの漫画の神様の記念館が紹介されています。兵庫県宝塚市にある「手塚治虫記念館」と鳥取県境港市にある「水木しげる記念館」です。

この両記念館は、わたしも訪れました。考えてみると、わたしも結構な漫画好きかもしれませんね。本書に収録された作品の中では、個人的に、『火星探検』の登場する第6話「さらば火星よ」が一番好きです。また、『タッチ』をめぐって初恋が展開される第8話「青い空、白いボール」にはちょっと胸がキュンとしました。

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実在の漫画を素材にした古書店物語。



さて、『金魚屋古書店出納帳』の続編が、『金魚屋古書店』第1〜13巻、芳崎せいむ著(小学館)です。さまざまな漫画を取り巻く一話読みきりの作品が揃っています。

『金魚屋古書店出納帳』に比べると、一話の長さは短くなっています。

そのため、人間ドラマを描く余裕がなくなって、漫画のほうが主役になってきた感があります。金魚屋で働く人々やその周囲の人々のキャラクターは魅力的なのに、ちょっともったいない気がしました。それと、どんな人間ドラマでも強引に取り上げている漫画のテーマに合わせようとしている作品がいくつか目につきました。

もちろん、「漫画」をテーマにした漫画というアイデアは素晴らしいのですが、毎回そのテーマで感動させようというのは無理があるように思います。

1巻から13巻までを続けて読むと、ちょっと飽きてきます。



ただ、作者の漫画に対する愛情と知識には感服します。

わたしも、なつかしい漫画にたくさん再会することができました。

第1巻に出てくる『もーれつア太郎』(赤塚不二夫)、第2巻の『アドルフに告ぐ』(手塚治虫)、『宮澤賢治・漫画館』(手塚治虫ほか)、『銀河鉄道999』(松本零士)、第3巻の「楳図かずお」作品、第4巻の『デビルマン』(永井豪)、『怪奇ロマン傑作選』(わたなべまさこ)、第5巻の『あしたのジョー』(高森朝雄作・ちばてつや画)、第8巻の『ぼのぼの』(いがらしみきお)、『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)、第12巻の『キャプテン』(ちばあきお)、『ミステリアン』(西岸良平)、『MMR マガジンミステリー調査班』(石垣ゆうき)、そして第13巻の『MASTERキートン』(浦沢直樹)などが登場したときには感激しました。それぞれの作品に思い出がたくさん詰まっていることを確認しました。

思えば、わたしも、これまでに多くの漫画を読んできたものです。



本書では、実在する漫画をもとにストーリーが進んでいきます。

ですので、自分の思い出の漫画が登場すれば、間違いなく楽しめるでしょう。

でも、これまで漫画をあまり読んでこなかった人にとっては、面白くないかもしれません。そう、本書は徹頭徹尾、「漫画」の漫画なのです。各巻の終わりには、登場した漫画作品についてのウンチクが書かれており、これも漫画好きにはたまりません。


*このブログ記事は、1991本目です。


2012年8月29日 一条真也

2012-08-28

『テレキネシス』

一条真也です。

テレキネシス』全4巻、東周斎雅楽作、芳崎せいむ画(小学館)を読みました。

「山手テレビキネマ室」というサブタイトルがついていますが、山手テレビというテレビ局で「金曜深夜テレビキネマ館」という番組を作る人々の物語で、古今東西のさまざまな映画の名作が紹介されています。

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山手テレビキネマ室



関東最大の民放局である山手テレビの裏側には、昭和30年代に建てられた旧社屋があります。その古いビルの地下には、「テレキネシス」と名づけられた小さな映写室があります。この作品は、そのテレキネシスの番人である山手テレビの超問題社員・東崋山と、正義感いっぱいの新入社員・野村真希乃が繰り広げる「映画」をめぐる物語です。

グータラ社員と真摯な若手女子社員のコンビは、同じ小学館の人気漫画である『美味しんぼ』を連想させますね。



ハリウッドの伝説的映画監督であるエリア・カザンにちなんだ名前を持つ華山は、かつてはヒット・ドラマを連発する名物プロデューサーでした。

しかし、ある不祥事をきっかけに深夜の映画番組担当という閑職に回されます。

ところが、崋山がセレクトして放映する「金曜深夜テレビキネマ館」は、観ると元気になれるという不思議な番組でカルト的な人気を誇っていました。

テレキネシスでは、基本的に古い名画が上演されます。CGを駆使した最近の映画に押されて埋もれつつある昔の映画を思い起こさせてくれます。そして、古き良き時代の精神を現代人たちに教えてくれる作品ばかりです。これまで古い映画を見なかった新入社員マキノも、徐々に映画の力に魅了されていくのでした。


最初に、紹介されるのが「風と共に去りぬ」です。主人公スカーレットがすべてを失うという大作ですが、これを会社にも妻にも見捨てられた同僚に見せるのです。

その同僚は、「何もかも失った人間が観るのに、これ以上の映画はなかったよ」とつぶやき、「ありがとう! スカーレットを観ていたら、とにかく根拠のない勇気が湧いてきた!」と他局に移って新しい人生を始めることを決心するのです。

小学3年生とのときにテレビの「水曜ロードショー」で観て以来、この「風と共に去りぬ」はわたしが一番好きな映画なので、最初に登場して嬉しかったです。



さて、謎が多い華山ですが、彼が山手テレビに入社したのには理由がありました。

彼の亡くなった父親は、映画監督でした。生前最後の作品のフィルムは行方不明とされていましたが、華山は山手テレビにフィルムが隠されていると推測するのです。

この漫画では、ずっと古い名作映画の紹介が続きますが、3巻の途中ぐらいから崋山の父親が遺した幻の映画フィルムをめぐって物語が大きく動きます。

3巻の後半から4巻のラストまでは息をもつかせぬ物語の展開があり、そこに名画の紹介もしっかり絡ませて、見事な構成でした。

この漫画の画を担当した芳崎せいむには、『金魚屋古書店』という作品があります。

漫画専門古書店の店員が、悩みを持った人に対して、その人にふさわしい漫画を紹介し、生きる活力を与えるという話の短編集です。

この『テレキネシス』はまさに『金魚屋古書店』の映画版で、仕事や人間関係で困難にぶつかった人が崋山おススメの映画をみて活路を見出すのです。


最初に登場する映画は「風と共に去りぬ」でしたが、最後に登場する映画は「オズの魔法使い」でした。亡くなった崋山の父親の遺作は、この名作ミュジージカル映画へのオマージュだったのです。この「オズの魔法使い」もわたしの大好きな映画です。

思えば、この映画を観てから、わたしはファンタジーの世界に魅せられたのでした。

主演のジュディ・ガーランドが歌う「虹の彼方へ」も素晴らしい名曲でした。

後に、あれは実際に彼女が歌ってはいなかったと知りましたが、そんなことは関係なく、「虹の彼方へ」は、今でもわたしにとって最高の「こころの歌」です。



それにしても「風と共に去りぬ」で始まり、「オズの魔法使い」で終わるというところが泣かせます。幼いわたしに「愛」と「夢」の素晴らしさを教えてくれたこの二大名画は、ともに1939年に公開されています。

そう、この二作は同じ年のアカデミー賞を競ったのでした。

さらに、1939年にはアメリカ映画最大の名匠ジョン・フォードの西部劇の最高傑作「駅馬車」までも公開されています。まさに「奇跡の1939年」ですが、日本との開戦直前にこのような凄い名画を同時に作ったアメリカの国力には呆然とするばかりです。わたしは、アメリカという国があまり好きではないのですが、ハリウッドから多くの名画を日本にプレゼントしてくれたことだけは感謝すべきであると思います。

最後に、この『テレキネシス』には「風と共に去りぬ」や「オズの魔法使い」といった超有名な作品ばかり紹介されているわけではありません。

あまり知られていない名作や、わたしが未見の作品も多数ありました。それぞれの作品には、詳細な解説コラムもついており、本書は映画ガイドとしても大いに使えます。



いま、わたしの目の前の4冊のコミック本には、大量のポストイットが貼られています。

これからDVDを注文して観賞したいと思っている映画たちのコラムのページです。

「エルマー・ガントリー」「大いなる勇者」「アスファルト・ジャングル」「ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦」「ミスタア・ロバーツ」「砂漠の戦場 エル・アラメン」「パットン大戦車軍団」「シェナンドー河」「俺たちは天使じゃない」・・・・・これらの映画を観れば、だいたい本書に登場するすべての作品はカバーできると思います。

もちろん、わたしが未見の映画で、DVDも発売されていない作品もありますが。

それらの作品は、「縁」があれば、ぜひ観賞したいものです。それにしても、これから観るべき多くの映画が残されているなんて、なんて幸せなことでしょうか!



本書には、名画の紹介だけでなく、心に残る名セリフもありました。

第3巻の「シェナンドー河」のエピソードで、崋山がマキノに「何のために映画はあるのか」という本質論を語る場面があります。

そこで崋山は、「映画はな、現実に潜むドラマを見逃すな! 感動を見逃すな! そのための仮想現実として、感受性を磨く道具なんだって今は思ってる」と語ります。

そして、それ以上の意義が映画にはあるとして、「涙」という言葉をつぶやきます。

「涙?」と不思議そうに問い返すマキノに対して、崋山は言います。

「不幸じゃないのに、なぜか悲しい夢を見て、号泣して目が覚めたことってないか?」

「あるある、あります! なのに、どういう夢を見たか忘れていたり・・・・・そのくせ妙にさわやかな感じがしたり・・・・・」と言うマキノ。「大地に雨が必要なように、人には定期的に涙が必要なんじゃないかなあ」と言う崋山。

そして、「定期的に泣くこと?」と問うマキノに、崋山は「きっと映画は、実際の人生でなかなか泣けない人のために存在しているんだよ」と語るのでした。

わたしは、この崋山のセリフを読んで、なぜ自分が忙しい時間をやり繰りしてまで映画を観続けているのか、その理由がわかったような気がしました。

たしかに、暗い映画館で、さまざまな映画を観て、わたしは涙を流しています。

映画館の闇は、その涙を隠してくれるためにあるのかもしれません。そして、映画で他人の人生を仮想体験して涙を流した後は、心が洗われたようになるのです。

涙は世界で一番小さな海』(三五館)に書いたように、わたしは人間にとっての涙の意味を考え続けてきましたので、崋山の「きっと映画は、実際の人生でなかなか泣けない人のために存在しているんだよ」というセリフはとても納得できました。



もう1つ、本書で心に残ったセリフがあります。

第4巻の「ジキル博士とハイド氏」というエピソードに出てきます。ドラマの売れっ子プロデューサーだった崋山が、ある俳優を重要な役で起用しようとします。

しかし、その俳優は小劇団で悪役を演じるだけの無名な人物で、しかも重病を抱えていて、余命いくばくもありませんでした。

その俳優の実力を見抜いていた崋山は、テレビに出演するように説得します。

体調を理由に断る俳優に崋山は、こう言うのでした。

「オレの仕事はドラマです。いいドラマを作って、テレビの向こう側の何万人もの視聴者を感動させることです。でも、もう1つ使命がある! ドキュメンタリーです」

「ドキュメンタリー?」と聞き返す俳優に対して、崋山は言います。

「すごい役者達を記録する。記録して視聴者の記憶に残す! オレはあんたのために出演をお願いしてるんじゃない! オレ自身のためです!」

この言葉に心を打たれた俳優は結局、崋山のテレビ・ドラマに出演を果たすのですが、わたしも感動しました。

ブログ「ヘルタースケルター」で、わたしは次のように書きました。

「この作品は、映画というよりも人類の『美』の記録映像としての価値があるとさえ思いました。沢尻エリカの人生には今後さまざまな試練が待っているとは思いますが、こんなに綺麗な姿をフィルムに残せたのですから、『これで良し』としなければなりませんね」

この言葉は、崋山のセリフから影響を受けたことを告白しておきます。

このようなセリフを崋山に吐かせた原作者の東周斎雅楽氏は、心の底から映画やドラマを愛しているのでしょう。


*このブログ記事は、1990本目です。


2012年8月28日 一条真也

『映画は父を殺すためにある』

一条真也です。

『映画は父を殺すためにある』島田裕巳著(ちくま文庫)を読みました。

これまで、このブログで著者の本を何冊か紹介してきました。正直言って批判した本もありましたが、本書はまことに読み応えのある好著でした。

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通過儀礼という見方



サブタイトルは「通過儀礼という見方」で、帯には「ローマで王女は何を知った? 寅さんは、実は漱石だった?」と書かれています。

またカバー裏には、次のような内容紹介があります。

「映画には見方がある。“通過儀礼”という宗教学の概念で映画を分析することで、隠されたメッセージを読み取ることができる。日本とアメリカの青春映画の比較、宮崎映画の批判、アメリカ映画が繰り返し描く父と息子との関係、黒沢映画と小津映画の新しい見方、寅さんと漱石の意外な共通点を明らかにする。映画は、人生の意味を解釈する枠組みを示してくれる」



本書の「目次」は、以下のようになっています。

「予告編」

1.『ローマの休日』が教えてくれる映画の見方

2.同じ鉄橋は二度渡れない――『スタンド・バイ・ミー』と『櫻の園

3.『魔女の宅急便』のジジはなぜことばを失ったままなのか?

4.アメリカ映画は父殺しを描く

5.黒澤映画と小津映画のもう一つの見方

6.寅さんが教えてくれる日本的通過儀礼

「総集編」

「文庫版あとがき」

「掲載映画一覧」

解説「僕の通過儀礼、そして再会」(町山智浩



本書で、著者は映画のテーマとは通過儀礼に他ならないと主張します。

「通過儀礼」という概念は、ブログ『通過儀礼』で紹介したアルノルド・ヴァン・ジェネップによって使われました。同書は、1909年にパリで書かれた儀礼研究の古典的名著です。誕生、成人式、結婚、葬式などの通過儀礼は、あらゆる民族に見られます。

ジェネップは、さまざまな儀式の膨大な資料を基にして、儀礼の本質を「分離」「移行」「合体」の体系的概念に整理しました。そして、儀礼とは「時間と空間を結ぶ人間認識」であると位置づけ、人間のもつ宇宙観を見事に示しています。


本書の著者である島田裕巳氏は、ジェネップの『通過儀礼』の理論を紹介しつつ、第1章「『ローマの休日』が教えてくれる映画の見方」で、次のように述べます。

「映画の重要なテーマが通過儀礼を描くことにあるとするなら、映画はじゅうぶんに宗教学の研究の対象となるはずだ。あるいは、宗教学の観点に立つことによって、映画のテーマやおもしろさがよりよく理解されてくるのではないだろうか。さらに、映画は通過儀礼が僕たちにとってどういう意味を持っているかを教えてくれるのではないか」

ちなみに本書は、1995年に刊行された『ローマで王女が知ったこと――映画が描く通過儀礼』(筑摩書房)を加筆修正して文庫化したものです。


本書で取り上げられている『ローマの休日』とか『スタンド・バイ・ミー』が通過儀礼の物語であることは著者に指摘されなくても理解できますが、興味深かったのは日本映画についての著者の見方でした。通過儀礼とは、試練を乗り越えて成長していく物語でもあります。第5章「黒澤映画と小津映画のもう一つの見方」で、著者は黒澤明が通過儀礼の試練を「水」として表現したとして、次のように述べています。

「黒澤映画の登場人物たちは、つねに自分の前に立ちはだかる、水とかかわるものと戦っている。彼らにとって、水との戦いが試練としての意味を持っている。三四郎は、自らの心の迷いを象徴する蓮池から自力で飛び出してこなければならなかった。『羅生門』の登場人物たちは、激しい雨によって視界がさえぎられたような戦乱の世の中で、真実を見いだしていかなければならなかった。『酔いどれ天使』の真田や松永たちも、彼らの行く手をはばむ水、この場合にはメタンの泡立つ汚れた沼からぬけだしていかなければならなかった。雨のなかの合戦のシーンは、『七人の侍』が世界の映画史上はじめてのこととされるが、黒澤がそういった新奇なアイデアを思いついたのも、彼の映画において、雨が試練に直結していたからにほかならない」



黒澤映画と水の関係については、ブログ『「百科全書」と世界図絵』で紹介した本にも登場しました。さらに、黒澤映画について、著者は次のように述べています。

「黒澤は、アメリカ映画とはことなり、あまり家庭を描くことはなかった。そのため、父親と息子との葛藤がテーマとなることはまれで、例外はシェークスピアの『リア王』を土台にした『乱』くらいである。この映画にしても、中心は父親の方で、その狂気が描かれるが、息子たちはひ弱な人物としてしか描かれていなかった。

したがって、黒澤映画の主人公は、父親というのりこえるべき明確な目標を持ちえなかった。むしろ、彼らは社会の退廃や人間の心の弱さといったとらえどころのない抽象的な敵を相手に戦っていた。そこで黒澤は、そういった姿の見えない敵を水として表現することによって、映画に登場させたのではないだろうか。黒澤映画は、水に注目することによって、通過儀礼としての性格がはっきりとしてくるのである」



また、黒澤明と並ぶ日本映画史を代表する巨匠である小津安二郎については、著者は次のように述べています。

「小津もまた通過儀礼の問題に強い関心を示した監督であることはまちがいなかった。それは『生れてはみたけれど』について考えてみればわかる。

ただし、小津映画における通過儀礼は、黒澤映画における通過儀礼のように、主人公が水によって象徴される過酷な試練をのりこえて、精神的な成長をとげていくといった典型的なパターンをたどってはいかない。むしろ、その過程は穏やかに進み、主人公の変化もかなり微妙なかたちでしか描かれていない。

たとえば、小津が自らのスタイルを完成させた作品として高く評価されてきた『晩春』は、そういった小津的通過儀礼の典型を示している」

ブログ「小津安二郎展」に書いたように、小津の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。言うまでもなく、結婚式や葬儀こそは通過儀礼の最たるものです。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。


小津映画の最高傑作といえば『東京物語』ですが、この作品は一種のロードムービーでした。著者は、「老夫婦の東京行きは、自分たちが安らかに人生をまっとうしていくための準備の旅であり、それは彼らにとっての生の世界から死の世界に移行するための通過儀礼だった」と分析した上で、さらに小津映画について次のように述べます。

「家庭劇が家庭のなかでだけ展開されるのであれば、そこにはドラマは生まれない。アメリカ映画では、父親と息子との葛藤や夫婦のあいだの不和という要素を導入することによって、矛盾を作りだし、その矛盾を解決する方向に物語を展開させていくことで、家庭をドラマの舞台へと変えていった。小津の方は、片親を残しての娘の結婚といった要素を使ってドラマを作り上げるとともに、旅という要素を導入することで、日常と非日常の世界を対比させ、その対比からドラマが生み出されていくように工夫をこらした。旅という非日常においては、日常では知ることのない事実に直面することになるからである」



本書を読んで興味深かったのは、小津映画の代名詞ともなっているローアングルが性的な欲望に通じていたのではないかという指摘です。

小津のほとんどの作品では、原節子をはじめとする女性の登場人物が、カメラに尻を向けて畳みの上に腰をかけるシーンが見られます。

著者は、執拗に繰り返される小津のローアングルについて、次のように書いています。

「小津には、女性の後ろ姿や尻に対するフェティッシュな欲望があったのではないかとさえ邪推したくなる。撮影所の所長でのちに松竹の社長になった城戸四郎は、小津の映画の試写を見て、『また小津組はしゃがんだ位置か』といい、『女のあれをのぞくようなことをやっているのか』と評し、小津の心証を害したというが、案外、城戸の見方は当たっていたのではないだろうか」



そして、著者は次のように小津安二郎の秘密に迫るのです。

「小津は、生涯独身を貫き、母親と暮らしたが、女優たちとの噂は絶えず、とくに原節子との関係は、小津の死後においてもとりざたされた。小津の死後に、原が映画界を引退したことも、その噂に真実味を与えることになった。噂に、どれほどの真実が含まれているかはわからないが、小津映画における原は、周囲から美しいといわれ、結婚相手として求められつつも、操を守り通す女として描かれている。原は“永遠の処女”と呼ばれたが、小津は、映画のなかで、原を“永遠の貞女”にとどめてしまった。あるいはそこに、小津の原に対する独占欲が働いていたのかもしれない。

女性に対して恥ずかしがり屋で、生涯独身を通した小津は、むしろ性に対して過度の関心を持っていた。しかし、彼には一方で性に対する関心を不潔だと思う倫理観が存在し、心のなかでは、性への関心と倫理とがはげしく葛藤していたのではないだろうか。しかも、女性に対しては貞淑さを求め、たとえやむをえない理由があったとしても、操を守れなかった女性にはスクリーンのなかできびしい罰を与えた」

わたしも小津映画はほぼ全作品を観ていますが、著者のこの見方は鋭いと思いました。まさに「うーん、一本取られたなあ!」という感じです。


さらに、わたしを唸らせたのは、『野菊の如き君なりき』と『男はつらいよ』という松竹の歴史を代表する名画を結びつける推理でした。

そこには、松竹映画のアイコンともいえる笠智衆の存在があります。

笠智衆といえば、『男はつらいよ』シリーズの御前様役で知られます。『男はつらいよ』といえば柴又ですが、文豪・夏目漱石が柴又を訪れたときに渡ったのが矢切の渡しです。この矢切の渡しは、寅さんもとらやへ帰ってくるときに第1作をはじめ何度か渡っています。ところが、この渡しは、伊藤左千夫の『野菊の墓』で、主人公の政夫が千葉の中学に行くために、幼い恋心を抱いた民子と涙の別れをする場所でもありました。



これらのエピソードを踏まえて、著者は次のように大胆な推理を行います。

「『野菊の墓』は、1955(昭和30)年に木下惠介監督によって『野菊の如き君なりき』の題名で松竹で映画化されている。このときには、東京と川1本隔てただけの矢切を舞台にしたのではリアリティに欠けると判断されたのか、物語は信州に移されていたが、大人になった政夫の役を演じていたのが笠智衆であった。『野菊の如き君なりき』と『男はつらいよ』が同じ松竹の製作であることからも考えて、僕は、2つの作品をつなぎ合わせ、自分の写真と手紙を枕の下に敷いて死んだ民子のことを忘れられなかった政夫が、その苦しみから出家し、民子の菩提を弔うために題経寺で住職をつとめてきたという連想をしてみたくなった。漱石が柴又に出向いたとき、矢切の渡しで、『野菊の墓』のことを思い起こしたにちがいない。あるいは、『野菊の墓』の記憶が、漱石を矢切の渡しへと誘ったのかもしれないのである」

『野菊の如き君なりき』の政夫が長じて『男はつらいよ』の御前様になっていたとは!



この大胆推理には大いなるロマンがあります。

わたしは、すっかり著者を見直しました。「葬式は、要らない」とか「人はひとりで死ぬ」などの物言いから、著者のことをニヒリストとばかり思っていましたが、こんな発想ができるということは意外とロマンティストなのかもしれませんね。

いずれにしても、これだけの発想力、筆力を持った著者が、葬式無用論を唱えたり、孤独死を肯定するような著作を書くだけではもったいないと思いました。まさに、宝の持ち腐れですね。このことは、ブログ「『こころの再生』シンポジウム」で書いたように玄侑宗久氏や島薗進氏と京都の百万遍で飲んだときにも話しましたが・・・・・。



わたしは、本書を優れた映画論として読みました。

現代の日本で映画論の第一人者といえば、ブログ『トラウマ映画館』で紹介した本を書いた町山智浩氏でしょう。その町山氏は、解説「僕の通過儀礼、そして再会」で、『映画は父を殺すためにある』という刺激的なタイトルに触れつつ、次のように述べています。

「父との相克をアメリカ映画が繰り返し描く理由には、大きく2つあると考えられる。ひとつはユダヤ・キリスト教の伝統。本文中でも『エデンの東』と旧約聖書の関係が論じられているように、聖書は「神」を父、キリストをその息子、というイメージで描いており、その父子関係が世界理解の基本になっている。もうひとつはアメリカという国独自の歴史。イギリスに対して反抗して独立したアメリカという国は、常に自分を父と戦った息子としてイメージせざるを得なかったのだ。

ただ、アメリカと違う歴史と文化を持つ日本では、物語も当然違ってくる。アメリカ映画が描く厳しい成長物語や激しい父と子の相克には違和感を持つ日本人も多いだろう。だから、本文で「寅さん」シリーズに日本人独特の成長物語を見出す章は興味深い。僕自身も寅さんのように、通過儀礼に時間がかかった」



町山氏は、本書の中で紹介されているさまざまなイニシエーション(通過儀礼)について、次のように書いています。

「イニシエーションを最も自覚的に行ってきたのは、宗教だ。どの宗教も入信の儀式が最も重要だ。特に新興宗教において、イニシエーションはより強烈になる。信者として完璧に生まれ変わらせるために、相手の内面にまで入り込んで、それまでの彼(彼女)を完璧に殺す。それはしばしば『洗脳』と呼ばれる。

それを教え子たちに実体験させようとしていた教授がいた。東大で宗教学を教えていた柳川啓一教授は、ゼミ生に、実際に宗教に入信することを勧めていた。島田先生も柳川啓一教授のゼミ生だった。ほかには、中沢新一、植島啓司、四方田犬彦、それに映画監督の中原俊などがいる。中原監督が『櫻の園』でイニシエーションを描いたのは偶然ではないのだ」



かつて編集者であった町山氏は四方田犬彦氏の担当だったそうで、島田氏が柳川ゼミ生としてGLAという宗教団体に入った話も聞かされたとか。

その後、島田氏はヤマギシズムに入りました。そして、かのオウム真理教を認める内容の発言によって、世間から猛烈なバッシングを浴びます。

じつは、島田氏がオウムと接触するきっかけとなった仕事こそ、編集者である町山氏が持ちかけた仕事だったのです。町山氏は、自分が紹介した仕事が原因で社会的に抹殺されたも同然の島田氏に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったそうです。


解説の最後には、次のような一文が書かれています。

「2011年、震災後の4月、石原都知事の花見自粛発言に反発した僕はツイッターで都庁前での花見を呼びかけた。集まった300人の有志のなかに島田先生を見つけた。16年ぶりの再会だった。その間、地獄も見たであろう先生はただ笑って握手してくれた。本当にありがとうございます」

野菊の墓』の少年が『男はつらいよ』の御前様になるという物語に劣らず、島田氏と町山氏の現実の関わりもドラマティックです。

人生も映画のようなものなのかもしれない。

本書の解説を読んで、そのように思いました。


2012年8月28日 一条真也

『雪男は向こうからやって来た』

一条真也です。

『雪男は向こうからやって来た』角幡唯介著(集英社)を読みました。

著者は、1976年北海道生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業ということで、わたしの後輩に当たります。また、早大探検部のOBということで、辺境作家にしてUMAハンターの高野秀行氏の後輩に当たります。

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謎の生き物とそれを追う人間たちの真正面ドキュメント!



本書の帯には、以下のように書かれています。

「デビュー作『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で、2010年第8回開高健ノンフィクション賞、2011年第42回大宅壮一ノンフィクション賞、2011年第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。気鋭の探検作家が放つ受賞第一作!」

「2012年第31回新田次郎賞受賞! 祝」

「謎の生き物とそれを追う人間たちの真正面ドキュメント!」



また帯の裏には、次のような内容紹介があります。

「いったいソイツは何なのだ? なんでそんなに探すのだ? 

2008年10月22日、われとわが目を疑った人は、日本中に大勢いたに違いない。『ヒマラヤに雪男? 捜索隊が足跡撮影、隊長は“確信”』の見出しとともに、雪男のものとされる足跡の写真が新聞を飾った。まさに、それを撮った捜索隊に加わり、かつて雪男を目撃したという人々を丹念に取材した著者が、厳しい現場に再び独りで臨んでえぐり取った、雪男探しをめぐる一点の鋭い真実とは?」



本書の「目次」は、以下のようになっています。

「プロローグ」

第一章:捜索への正体(2008年3月17日 日本)

第二章:シプトンの足跡

第三章:キャラバン(2008年8月17日 カトマンズ)

第四章:登山家芳野満彦の見た雪男

第五章:密林(2008年8月26日 アルチェ)

第六章:隊長高橋好輝の信じた雪男

第七章:捜索(2008年8月30日 タレジャ谷)

第八章:冒険家鈴木紀夫だけが知っている雪男

第九章:撤収(2008年9月26日 コーナボン谷)

第十章:雪男単独捜索(2008年10月15日 ポカラ)

「エピローグ」



著者は大学卒業後、朝日新聞社に入社しますが、08年に退社します。

同じ年にネパール雪男捜索隊隊員となるのですが、本書はそのときからの長期取材によって書かれました。雪男といえば、早大探検部の先輩である高野秀行氏もブータンで雪男探しに挑みました。しかし、ブログ『未来国家ブータン』に書いたように、高野氏は本気で雪男の存在を信じていなかった感があります。

その点、本書の著者である角幡唯介氏の立場はちょっと違います。

著者は、「雪男の存在に触れることは、ある意味で恐ろしいことだった」といいます。もし本当に雪男の痕跡を見つけ、その存在を本気で信じてしまったら、その後の人生にいかなる展開が待ち受けているのかと考えてしまうというのです。

「プロローグ」で、著者は次のように書いています。

「わたしは論理的なものの考え方をする質の人間なので、たとえこの目で何かを見たとしても雪男のような非論理的な存在を容易に受け付けることはないだろう。だが、雪男には見た者を捉えて離さない魔力があるらしく、わたしのそのようなつまらぬ良識など吹き飛ばしてしまうかもしれない。足跡を見ることによって、自分の人生が予想外の方向に向かうことは十分考えられた。例えば、アルバイトで細々と資金を貯め込み、毎年双眼鏡を片手にひとりでヒマラヤの山中にこもるというような人生。世間から浴びる、ともすれば嘲笑的な視線。もしくは滑稽な人間という不本意な烙印。自分はそういう人生を望んでいるのだろうか。たぶん望んではいないだろう。しかしそうなる可能性もないとはいえない。それが雪男というものなのだ。足跡を期待する反面、わたしはそれを確認することに変なためらいも感じていた。二律背反的な奇妙な感覚・・・・・。

雪男の足跡を見てしまうのが、わたしは怖かった」



本書には、数多くの文献や雑誌記事などの引用があります。

著者は、雪男探しの先達たちの証言を丁寧に紹介してくれます。

それにしても、世界的な登山家たちの多くが雪男を目撃していたという事実には驚かされました。今井通子田部井淳子といった人々をはじめ、雪男の目撃者は他の未確認生物に比べて信用できそうな人が多いです。

そう、インチキくさい怪獣やエイリアンの目撃者とは信用度が違うのです。

特に、冒険家の故・鈴木紀夫などは、フィリピンで旧日本兵の小野田さんを発見した人です。その晩年は雪男探索に情熱を注いだそうですが、彼の死の真実というか「最期」に関する著者の考察には感銘を受けました。



雪男の正体については、さまざまな説があります。

ネアンデルタール人の生き残り、ゴリラ、ヒグマ、ユキヒョウ、カモシカなどなど。

雪男の捜索を終えた著者の雪男に対する認識はどうなっているのでしょうか。

著者いわく、捜索に参加する以前の、雪男がいるとは考えにくいという常識的なものに再び戻りつつあるとして、次のように述べます。

「捜索に関わったひとりとして、わたしがそう思う根拠を挙げてみよう。わたしは生物生態学や古人類学、動物学、サル学、植物学などに関しては素人で、ここに述べるのは専門的な見地からではなく、あくまで捜索現場の印象をもとにした個人的な感想に過ぎない。そのような立場から、わたしが雪男の存在を肯定しにくい最大の根拠は、ある種の解釈の問題につきると言える。足跡にしろ、雪男の目撃談にしろ、これまで報告されたほとんどの雪男現象は、客観的には、例えばカモシカやクマといった従来の四足動物の見間違えで説明できてしまう気がするのだ。それらの報告が四足動物のものかどうかは不明であり本当に雪男のものかもしれないが、ここでわたしが言いたいことは、雪男の正体がカモシカやクマなどの四足動物であるということではなく、カモシカやクマなどの四足動物でその現象を説明しても説得力を持ち得るという点にある」



この文章を読んだだけでも、著者が非常に論理的な思考をする人物であることがよくわかります。でも、常識的な考えに戻りつつあるという著者は、こうも書いています。

「しかしわたしは、現在のところまでのこの差し当たっての自分の結論が、何かを体験したら一瞬で吹き飛んでしまうガラス細工程度の強さしか持ち合わせていないことも分かっている。それらしい推論など事実の力強さの前には常に無力だ。わたしは事実を知らないので推論に頼らざるを得ないだけなのだ」



そして、最後に著者は次のように述べるのです。

「わたしは自分が行った捜索や客観的な目撃談、あるいは足跡の写真の中に雪男の論理的な存在を認めることはできなかった。

わたしは雪男の存在を、実際の捜索現場ではなく、接した人の姿の中に見たのだ。

考えてみると、彼らとて最初から雪男を探そうとか、死ぬまで捜索を続けようとか思っていたわけではなかった。さまざまな局面で思ってもみなかったさまざまな現象に出くわしてしまい、放置できなくなったのが雪男だった。人間には時折、ふとしたささいな出来事がきっかけで、それまでの人生ががらりと変わってしまうことがある。旅先で出会った雪男は、彼らの人生を思いもよらなかった方向に向けさせた。そこから後戻りできる人間はこの世に存在しない。その行きずりにわたしは心が動かされた。

雪男は向うからやって来たのだ」



『雪男は向うからやって来た』という書名について、わたしはてっきり未確認動物としての雪男が雪山の向こうから二本足で歩いてこちらにやって来たという意味だと思っていましたので、この一文には「うーん」と唸りました。

良く言えば含蓄のあるタイトルですが、悪く言えば確信犯的な勘違いの誘発。

しかし、秘境ともいえる山の奥に入り、未知の生物についての思いをめぐらせる著者は、この上なく哲学的であったと思います。彼の思考は雪男の実在など超えて、おそらくは「存在とは何か」といったレベルにまで達していたのではないでしょうか。

わたしは、矢作直樹氏、稲葉俊郎氏という2人の山男を知っています。両氏とも東大病院の医師にして、人間の「こころ」の秘密を見つめる哲学者でもあります。

昔から山男に対して、「なぜ、山に登るのか」という質問があります。

それに対して、「そこに山があるから」という答えが有名ですが、おそらくは「人間とは何かを知るため」ということもあるのではないでしょうか。

わたしは山男ではありませんので、本当のところはわかりませんが・・・・・。

最後に、矢作先生、稲葉先生にも、ぜひ本書を読んでいただきたいと思います。



2012年8月28日 一条真也

2012-08-27

『未来国家ブータン』

一条真也です。

『未来国家ブータン』高野秀行著(集英社)を読みました。

著者は、ブログ『幻獣ムベンベを追え』ブログ『怪獣記』で紹介した作家です。

UMA(未確認動物)を求めて、世界中を駆け巡る人物です。

最新作である本書は、「世界でいちばん幸せな国」とされるブータンの紀行本です。

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「世界でいちばん幸せな国」の秘密



本書の帯には、「わが国に未知の動物はいません。でも雪男はいますよ」「そのひと言にのせられて、私はヒマラヤの小国に飛んだ」「GNPよりGNH、生物多様性、環境立国・・・・・、今世界が注目する『世界でいちばん幸せな国』の秘密を解き明かす!!」といった言葉が書かれています。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」

第一章:ブータン雪男白書

第二章:謎の動物チュレイ

第三章:ラムジャム淵の謎

第四章:ブータン最奥秘境の罠

第五章:幸福大国に隠された秘密



著者は、「誰も行ったことのない場所に行き、誰も書いたことのないものを書く」を信条とし、これまで過酷な条件で未知の土地に足を踏み入れてきました。

ところが今回は、なんと、「ブータン政府公認プロジェクトで雪男探し」です。

とある企業の調査員としてブータンに入国した著者は、政府の随行員と一緒に決められた日程で薬草やフォークロアを調査します。これまでの著者の旅とはまったく違う異色な旅となっているのです。「あの国には雪男がいるんですよ!」とのひと言に乗せられて、著者はブータンヘ飛びました。



「はじめに」で、著者は次のように書いています。

「私は20年前から世界中の未知の動物(未確認動物)を探し回ってきた。コンゴの謎の怪獣モケーレムベンベ、中国の野人、トルコの巨大水棲獣ジャノワール、ベトナムの猿人フイハイ、アフガニスタンの凶獣ペシャクパラング・・・・・。

1つも見つかっていないから自慢にもならないが、私ほど、未確認動物を客観的かつ徹底的に探してきた人間は日本にはほかにいない。世界でもいないんじゃないか。もちろん、雪男のことも話としてはよく知っているが、“本場”はネパールである。ブータンの雪男は初耳だった」



第一章「ブータン雪男白書」で、著者は雪男について次のように書いています。

「『雪男(スノーマン)』は外国の登山家がつけた名前だ。雪山でよく足跡が発見されたからそう呼ばれたのだが、雪男自体は森の中に棲んでいると(ネパールでもブータンでも)思われている。当然だ。雪の上では食べるものがないし寝るところもない。だから最近では世界中どこでも『スノーマン』でなく、ネパールの呼び名である『イエティ』と呼ぶのが普通だ。もっともブータンではイエティとは言わない。一般的に『ミゲ』だが、東部では『ドレポ』とか『グレポ』などとも呼ぶらしい。

イエティもミゲもドレポもみな同じものを指すわけだから、いっそのこと日本語では『雪男』に統一してもいいんじゃないかと思ったのだが、困ったことに、ときどき『雌の雪男』というのが登場する。『雌の雪男』は変だ。じゃあ『雪女』かというと、それは別物である」



「雪女」といえば、日本の妖怪です。妖怪を扱う学問は民俗学ということになりますが、日本の民俗学を確立したのは柳田國男であり、彼の著書『遠野物語』ということになっています。じつは本書『未来国家ブータン』の冒頭には、「願わくばこれを語りて平地民を戦慄せしめよ」という『遠野物語』の一句が記されています。つまり、著者は岩手県遠野村のフォークロア=民間伝承を集めた『遠野物語』のように、ブータンのフォークロア、特に雪男についての伝承を集めた本書を執筆したことがわかります。

ということは、かつてのモケーレムベンベやジャノワールのように実在する怪獣としてではなく、著者はフォークロア的存在としての雪男を求めたのかもしれません。実際、本書を読むと、著者がそれほど本気で雪男の存在を信じてはいないように思えます。


さて、雪男を探しながら、著者は次第にブータンという国の実情を掴んでいきます。

「世界でいちばん幸せな国」は、国王を中心に小さく巧妙にまとめられていることに著者は気づきます。ブータン国内での国王の人気は驚くほど高いそうです。

昨年、ブータンの第5代国王であるジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻が来日され、爽やかな印象を残されました。日本では、ちょっとしたブータン・ブームが起きました。第4代国王のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王ですが、親子で大変な人気だとか。

その人気の凄まじさについて、本書には次のように書かれています。

「ブータンの国王、恐るべし。この国では国王は『尊敬の対象』どころではない。

日本で言うならジャニーズ事務所所属の全タレントと高倉健とイチローと村上春樹を合わせたくらいのスーパーアイドルである。

4代目は先代の急死により16歳で即位。『世界で最も若く最もハンサムな国王』と騒がれた。50代の今でも十分にハンサムだ。稀にみるほど賢い人で、若くしてGNH(国民総幸福量)の概念を考え、環境立国の道を切り開いた」


現在の第5代国王も若くてハンサムですが、昨年は日本の国会で素晴らしいスピーチをされました。わたしたち日本人は、国王のスピーチを聞きながら、「さすがは、世界一幸せな国の国王だ」と感心したものでした。

本書で著者も書いているように、国王を求心力としたブータンのシステムは国内では非常にうまくいっているようです。しかしながら、著者はブータン社会の問題点(一種のカースト制度)にも国王が自ら取り組んでいることも紹介しています。

ブータンには「ネパール系住民」という最大の内政問題が存在します。これは隣国のシッキムがインドに吸収された最大の原因であり、人権問題にも発展しています。ブータンが今後存続していく上で最大の問題であると言えるでしょう。



第五章「幸福大国に隠された秘密」では、著者は「ブータン方式とは国民の自発性を尊重しつつ明確に指導すること、もう1つは巧みな補完システム」であると述べます。

著者がブータンを1ヵ月旅して感じたのは、この国には「どっちでもいい」とか「なんでもいい」という状況が実に少ないことでした。著者は述べます。

「何をするにも、方向性と優先順位は決められている。実は『自由』はいくらもないが、あまりに無理がないので、自由がないことに気づかないほどである。国民はそれに身を委ねていればよい。だから個人に責任がなく、葛藤もない」



著者は、ブータンのインテリについて、次のように書いています。

「アジアの他の国でも庶民はこういう瞳と笑顔の人が多いが、インテリになると、とたんに少なくなる。教育水準が上がり経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え、葛藤がはじまるらしい。自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。

でもブータンのインテリにはそんな葛藤はない。庶民と同じようにインテリも迷いなく生きるシステムがこの国にはできあがっている。

ブータン人は上から下まで自由に悩まないようにできている。

それこそがブータンが『世界でいちばん幸せな国』である真の理由ではないだろうか」


「上から下まで自由に悩まないようにできている」国家ブータン。

ある意味で超管理社会ともいえるブータン社会に、著者は未来を感じるそうです。

かつて、「未来惑星ザルドス」というSF映画がありました。

猿の惑星」シリーズと同じ20世紀フォックスの名作ですが、未来の超管理されている惑星の物語でした。ザルドスで反乱を起こす主役は、「007」シリーズで初代ジェームズ・ボンドを演じたショーン・コネリーが務めています。わたしは、『未来国家ブータン』という書名を最初に見たとき、「未来惑星ザルドス」を真っ先に思い浮かべました。

著者は、もしかしたらブータンとザルドスを重ね合わせているのではないでしょうか。

ザルドスは強大な石像の頭部が空中を飛ぶ世界でしたが、本書の表紙には空を飛ぶ王宮の絵が描かれており、どうしてもザルドスを連想してしまいます。



「――未来国家。またしてもこの言葉が頭に浮かんだ」と、著者は書いています。

どうして著者はブータンに未来を感じるのでしょうか。

それについて、著者は次のように述べています。

「自分で旅してみれば、特に田舎に行けば、ブータンで感じるものは過去であり、未来ではない。多くの土地ではまだ電気も水道も通っていない。

高度な教育や医療、福祉の恩恵にあずかれる人はごく一部だ。

反面、建物も人の服装も伝統がきちんと守られている。人々は信仰に生き、雪男や毒人間、精霊や妖怪に怯え、家族や共同体と緊密な絆で結ばれている。

人情は篤く、祖父母から受け継いできた文化や言い伝えを次の世代に伝えようとしている。『未来』でなく『古き良き世界』である。

特に顔や文化の似通った日本人はノスタルジーをかき立てられる。

だから、ある人はブータンのことを『周回遅れのトップランナー』などと呼ぶ」



著者が見たブータンは、「伝統文化と西欧文化が丹念にブレンドされた高度に人工的な国家」でした。それは「国民にいかにストレスを与えず、幸せな人生を享受してもらえるかが考え抜かれた、ある意味ではディズニーランドみたいな国」でした。著者は、ブータンに「私たちがそうなったかもしれない未来」を感じるといいます。

というのは、アジアやアフリカの国はすべて同じ道筋を歩んできました。

その道筋について、著者は次のように説明します。

「まず欧米の植民地になる。ならないまでも、経済的・文化的な植民地といえるほどの影響を受ける。独立を果たすと、政府は中央政権と富国強兵に努め、マイノリティや政府に反対する者を容赦なく弾圧する。自然の荒廃より今の景気を優先し、近代化に邁進する。たいてい独裁政治で抑圧はひどいが暮らしは便利になる。やがて、中産階級が現れ、自由、人権、民主主義などが推進される。迷信や差別とともに神仏への信仰も薄れていく。個人の自由はさらに広がり、マイノリティはよりきちんと理解されるとともに、共同体や家族は分解し、経済格差は開き、治安は悪くなる。政治が大衆化し、支配層のリーダーシップが失われる。そして、環境が大事だ、伝統文化が大切だという頃には環境も伝統文化も失われている――」



国や地域によって差はあっても、大まかにはこういう徹を踏んでいるわけです。

しかし、後発の国は先発の国の欠点や失敗がよく見えるはずであり、それを回避できるはずです。それなのに、なぜわざわざ同じ失敗を繰り返すのか。

考えてみれば、不思議な話です。著者によれば、ブータンだけが例外だそうです。

ブータンだけは、まるで後出しジャンケンのように、先進国の長所だけを取り入れて、短所はすべて避けているというのです。その結果、ブータンは世界のほかの国とはまるで違った進化を遂げました。「まるで同じ先祖をもつとされるラクダとクジラを見比べるようだ」という著者は、次のように述べています。

「日本だって、明治初期まで遡ればブータン的進化を遂げる可能性があったのではないか。今でも国民はちょんまげに和服で刀を差し、伝統的な日本家屋に住み、神仏を固く信じ、河童や神隠しを畏れ、天皇を尊び、自然環境を大切にする。自分の収入が減るより国のことを案じ、でもどう生きるかという葛藤はなくて、おおむね幸せである。いっぽうで、行政は地元住民の幸せを真剣に考え、人権や民主主義は行き渡り、一部のエリートが国のために尽くそうと心から願っている。高度な医療はないからちょっと難しい病気にかかったら諦めなければいけないし、贅沢どころか、職業選択の自由もないが、生物資源の開発でそこそこ生活は成り立つ。休みの日にはエリートも庶民も、みんながお洒落をして高僧の説教にキャーキャー言って押し寄せる――」



日本もそんな社会になっていたかもしれないと、著者は推測します。

そして、「SFでいうところの『平行世界(パラレル・ワールド)』だ。宇宙のどこかにはそんな日本があるのではないか。そんな妄想にまで駆られてしまうのである」と書きます。

そう、未来国家ブータンも、そして未来惑星ザルドスも、もう1つの日本だったのかもしれません。最後に、わたしは雪男探しの興味から本書を読み始めました。その意味では、肩透かしの感もありました。しかし、文明批評の書としては優れており、本書を読むことができて非常に満足しています。


2012年8月27日 一条真也

2012-08-26

『怪獣記』

一条真也です。

『怪獣記』高野秀行著(講談社文庫)を読みました。

ブログ『幻獣ムベンベを追え』で紹介した本と同じく、UMA研究家でもある著者が謎の水棲生物を探すエキサイティングなノンフィクションです。

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100%ガチンコ・ノンフィクション



表紙カバーの裏には、以下のような内容紹介があります。

「トルコ東部のワン湖に棲むといわれる謎の巨大生物ジャナワール。果たしてそれは本物かフェイクか。現場に飛んだ著者はクソ真面目な取材でその真実に切り込んでいく。イスラム復興主義やクルド問題をかきわけた末、目の前に謎の驚くべき物体が現れた!興奮と笑いが渦巻く100%ガチンコ・ノンフィクション」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

第1章:驚きのUMA先進国トルコ

第2章:ジャナ、未知の未知動物に昇格

第3章:天国の朝

第4章:謎の生物を追え!

「エピローグ」

「あとがき」

「文庫のためのあとがき」

解説(宮田珠己



第1章「驚きのUMA先進国トルコ」の冒頭で、著者は次のように書いています。

「私はなんでも『未知』が好きである。

土地でも民族でも植物でも遺跡でも、もう『未知』と聞くだけで神経がざわめいてくる。

今(2007年)から18年前、大学探検部時代に仲間たちとアフリカ・コンゴに謎の怪獣ムベンベとやらを探しに行ったのが、私の未知探求の原点だ。

コンゴには通算4回も足を運んだし、その後、中国で野人を探したりもした。

ここ10年くらいは、別の『未知』に気をとられ、未知動物とはごぶさたしていたが、前年からはじめたインドの怪魚『ウモッカ』探しで久々に未知動物に復帰した」



そして、著者は本書のテーマである「ジャナワール」を探すことになるのでした。

本書の主人公ともいえる「ジャナワール」とは何か。著者は書いています。

「トルコ東部にあるワン湖に棲むとされ、一言でいえば、ネッシー型の巨大水棲動物ということになっている。体長は約10メートルとネッシー級だが、どうもそれがいわゆる『潮を吹く』といった感じらしいので、UMAファンの間では『クジラの祖先であるバシロサウルスがかつて海だった可能性のあるワン湖に取り残されて生き残っているのではないか』と推測するというか夢見る人もいる。もっとも実際にはバシロサウルスは子孫のように潮を吹かなかったらしく、それでは成り立たないらしいが、なにしろ、関心がないので細かいことはよく知らない」



ここで、著者はジャナワールに「関心がない」と明言しています。

未知の動物には目がないはずの著者が、いったいどうしたのでしょうか?

著者がジャナワールに関心を持てないのには理由があるそうです。それは、ジャナワールが話題になったことには、現代メディアが生んだ共同幻想という側面があることです

1997年に現地の人の手でビデオで映像が撮影され、CNNを筆頭に世界の各メディアで流されました。さらに本格的なネット時代の到来と重なっていたため、ジャナワールの映像は世界中の誰もがいつでもウェブサイトで見られるようになりました。著者にとってのジャナワールとは、「巨大マスコミとインターネットの作り上げたファンタジー」でした。

著者は、「UMAというのは一種の病気であり、感染力は強い。近くに強力な症状を発症している患者がいると、『そんなもんにかかってなるものか』という自分の意志とは関係なく、罹患することがある」



しかし、目に見えない運命の糸に操られて、著者はトルコを訪れ、ジャナワール探しに挑戦することになります。トルコといえば、世界遺産が多いことで知られるように、古代遺跡の宝庫です。数多くの謎も残っており、その最たるものこそ、アララト山に漂着したという「ノアの箱舟」の伝説でしょう。この『旧約聖書』に登場する「ノアの箱舟」は、幼いわたしの心を鷲掴みにし、小学生3年生ぐらいから「いつか大人になったら、アララト山にノアの箱舟を探しに行こう」と思っていました。

しかし、本書に書かれた著者の言葉に、わたしは愕然となります。トルコという国は「フェイク」つまり「ニセモノ」だらけと書いた後で、著者は次のように述べるのです。

「なかでも最大のフェイクは『ノアの箱舟』である。雲の覆われたアララット山が間近に見える場所にそれはあったが、『どうしてこれが?』という代物だった。

なにしろ、箱舟と言いつつ、木は何もない。ただ、土が大きい菱形に盛り上がっていて、それが旧約聖書に描かれた箱舟の形とサイズにぴったり一致するという。しかし、箱舟は木造のはずだ。どうして木が土になってしまうのか。

ばかばかしいにもほどがある。だいたい、聖書によれば、箱舟はアララット山の山頂に着いたのだ。なぜかというと、アララット山が聖書の世界ではいちばん高い山で、洪水のあと、いちばん最初に水面から顔を出した土地がそれだったからだ。

なのに、どうしてアララット山の頂上でなくて、ふもととも言えない場所に箱舟があるのだ? 富士山と静岡市くらい離れており、あまりにも遠い」

このようなわけで、著者たちはワン湖周辺=フェイク天国=噴飯モノと決めつけ、当然ながらジャノワールのこともフェイクと疑うのでありました。



そんな著者ですが、なんと本当にワン湖でジャノワールと思しき大きな魚影に遭遇するのです。UMA研究家としては、まさに千載一遇の機会ですが、そのときの著者の反応は以下のようなものでした。

「『目撃者の心理』というのも初めて味わった。てっきり、とんでもなく興奮するだろうと思ったが、ちょっとちがう。図鑑にあるような恐竜や古代生物がぐいっと頭をもたげたりしたら話は別だろうが、何かわからないので、興奮するというより『なんだ、なんだ?』と首をかしげ、眉をひそめ、頭をポリポリかき・・・・・そう、ただただ困惑するのだ」



ジャノワールと思しき物体は遠くに、しかも水の中にいます。それが困惑の要因で、とりあえず向こうがこちらに害を与えることもないですし、著者たちが向こうを追いかけたり捕まえたりできるわけでもありません。

そんな思考を巡らせる著者たちをあざ笑うかのように、いくつものバカでかいものが水面を浮いたり沈んだりを繰り返しました。著者は、次のように書いています。

なにか、「陽気な無力感」というものを感じ、「これをあとで人に訊かれても困るな・・・」と思ったという著者は、次のように書いています。

「今まで目撃談が切迫してないとか情熱がないとか言いたい放題だったが、今になって『そりゃそうだ』とわかる。なにしろ、目の前で見ているときですら困惑しているのだ。それをあとで他人に説明したらますます困惑するに決まっている。ただ不思議なものというのは、切迫とか情熱という感情とは無縁なのである」

これは、実際にUMAを目撃してしまった人間の正直な言葉であると思います。



さらに、著者は次のように示唆に富んだ発言もしています。

「集団目撃の危険性にも気づかされた。百人で見ても信憑性が百倍になるわけじゃないのだ。集団では声の大きい人間が勝つという、一般世間の法則がここでもあてはまるのだ」著者がいたちっぽけな集団でさえ、中心メンバーの1人の主張にみんな反論できませんでした。ましてや、集団の中に地元の有力者などがいたらどうでしょうか。

村長なり部長なり知事なりが「あれは間違いなくジャノワールだ。頭はドラゴンのようで体は10メートルもあった」と言えば、他の99人はもう何も言えません。

「あれ、黒っぽい物体にしか見えなかったよなあ・・・・・」と、あとで仲間内でささやきあうのがせいぜいなのです。



とはいえ、著者は確かにジャノワールらしき強大な黒い影を水中に見ました。

それをビデオ撮影することにも成功しています。著者は書きます。

「あの黒い物体の正体はわからない。

しかし、それは少なくとも魚、草、岩、鳥、カメなど、誰かが思いつくものじゃない。

何かわからないが、もっと意表をつくものだろう。

そして未知のものかもしれない」

この一文を読んで、わたしは本当に爽やかな気分になりました。

またしても、著者から「根拠のない勇気」を与えられた心境です。

なお、26日の朝、ヤフー映像トピックスで「イギリスのビーチで目撃された謎の生物」という動画を見ました。まだまだ世界には怪獣のロマンが溢れているようです。


*このブログ記事は、1990本目です。


2012年8月26日 一条真也

2012-08-25

ブッダ・ミッション

一条真也です。

ミャンマー大使館を訪れたわたしたち親子は、大使館に隣接した大使公邸に案内されました。ここで、キン・マゥン・ティン大使御夫妻およびミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンパラ大僧正が迎えて下さいました。そして、大使と大僧正のお二人からサンレーグループ佐久間進会長が重大なミッションを授かりました。

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左からミャンマー大使、大僧正、佐久間会長

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佐久間会長に委嘱状が授与されました



そのミッションとは、閉鎖されている世界平和パゴダの再開に向けて「ミャンマー・日本仏教交流委員会」を正式に発足し、委員長に佐久間会長が就任するというものです。

エンパラ大僧正、ティン大使、ミャンマー中央仏教委員会の委員長であるバダンナ・クマラビウィンタ大長老の署名入りの委嘱状を佐久間会長が授与されました。依頼状には、「ミャンマーと日本両国の仏教交流および親善のために、1957年に門司に設立された世界平和パゴダの管理・運営を佐久間進氏にお願いする」と書かれています。

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佐久間会長に手渡された委嘱状

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立ち合ったわたしも感激しました



これで、ようやく日本で唯一の上座部仏教寺院が再開される道筋が整いました。ブログ「世界平和パゴダ」ブログ「大僧正のお別れ会」ブログ「世界平和パゴダ再訪」などに書いたようにパゴダ再開を夢みてきたわたしの胸には、熱いものがこみあげました。

今月28日にはエンパラ大僧正と2名のミャンマー僧侶が北九州を訪れます。

そして29日にはティン大使も合流して、小倉の松柏園ホテルで「世界平和パゴダ再開に向けて」と題する記者会見が開かれる予定です。

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委任状授与式の後は、昼食会が開かれました

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大使自らが大僧正にサービスされていました



委任状授与式の後は、昼食会が開かれ、本格的なビルマ料理をいただきました。

どの料理もとても美味しかったです。また、大使自らが大僧正に料理を取ってあげたり空いた皿を下げたりといったサービスをされているのが印象的でした。

仏教国ミャンマーでは、人々は僧侶に対して最高の敬意を払います。

僧侶のトップである大僧正に対しては、大統領でさえ平伏するほどです。

エンパラ大僧正は、すさまじいほどの宗教者としてのオーラを発していました。

わたしが最初にエンパラ大僧正の名を知ったのは、今年1月11日の「読売新聞」に掲載されたコラム「解」を読んでからです。

三蔵法師の憂い」という題のコラムで、次のように書かれていました。

「『私は三蔵法師です』。去年の暮、こう自己紹介する人に東京で会った。西遊記に出てくる玄奘とは関係ない。仏教国ミャンマー(旧ビルマ)で、僧の最高位にいるダッタンダ・エンパラ大僧正(51)だった。

三蔵は経蔵、津蔵、論蔵に分けた仏教聖典の総称で、すべてに精通したと認められた僧だけが三蔵法師と呼ばれる。試験は難しく、敬虔な仏教徒が多いこの国でも、合格者は戦後で12人だけ。ミャンマー人たちは『生き仏』と敬う。

それほどの人物が東日本大震災以外に、日本で心を痛めていることがある。北九州市・門司港のミャンマー仏教寺院『世界平和パゴダ』が昨年末から休院になったことだった。設立は1958年。仏塔と僧院があり、かの地から派遣された僧が住んでいた。日本で唯一の本格的なパゴダだった。

運営費を旧ビルマ戦線の戦友会からの寄付に頼っていたが、高齢になった会員の死去が相次ぎ、赤字が続いていた。『戦いに敗れ、飢え死にしそうだった私たちを助けてくれた。その恩を忘れない』。そんな思いで支えてきた戦友会も、半世紀を経て力尽きた。

ミャンマーは民主化と改革に向けて動き始めた。日本政府は本格的な経済支援を決め、日本企業も投資先として熱い視線を注ぐ。両国の関係改善がこれから進もうとする時期に、友好の証しだったパゴダの休院は、何とも寂しい。

『両国の友好の象徴がなくなることに等しい。何とか再開できないものか』

憂う三蔵法師を助ける孫悟空は、現れるだろうか」 (西部本社社会部 牧野田亨)

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「現代の三蔵法師」と呼ばれるエンパラ大僧正



そう、エンパラ大僧正は、かの玄奘三蔵と同じくあらゆる仏教経典を暗記している超人なのです。暗記する経典の内容は、じつに『六法全書』2冊半ぶんに相当するとか。

ミャンマーの歴史では、これまで50万人以上が「三蔵法師」にチャレンジしましたが、わずか13人しか合格しなかったそうです。

その偉大な大僧正は「ブッダは生きている。パゴダの閉鎖によってブッダの心を閉じ込めてはならない」と言われました。また、「すべては、人が一番大事である。ススム・サクマは、これまで出会った日本人の中で最も尊敬でき、信頼できる人物である」と述べられ、わたしたち親子は非常に感激しました。

わたしは孔子と深い縁を得ましたが、父はブッダと深い縁を結ぶことになります。

これほど名誉なことはありませんし、ブッダの心を日本人に伝えるお手伝いをさせていただくとはこの上なく重要なミッションであると言えます。

もちろん、わたしも「ミャンマー・日本仏教交流委員会」の委員長となる父を全力でサポートする覚悟です。親子で、三蔵法師の憂いをなくす孫悟空となりたいです。

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テーラワーダ仏教の本をいただきました



今日は、『テーラワーダ仏教が伝える 慈経』『三帰依と共にある・・・・・テーラワーダ仏教の戒律』という2冊の本を頂戴しました。テーラワーダ仏教とは「上座部仏教」のことで、ブッダの本心に最も近いとされる仏教です。

これから、親子で本を読んで、徹底的に勉強したいと思っています。

そこから、「無縁社会」を乗り越えるヒントもあるような予感がします。

今日は、わたしたち親子がめざす「天下布礼」においても記念すべき日となりました。

すべてを導いて下さったブッダに心から感謝いたします。合掌。

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ブッダの本心を伝えたい・・・・・


2012年8月25日 一条真也

ミャンマー大使館

一条真也です。

今朝、サンレーグループ佐久間進会長と一緒に、東京都品川区北品川4丁目にあるミャンマー大使館を訪れました。緑豊かで閑静な住宅街の中にある大使館です。

ここで、ミャンマーのキン・マゥン・ティン大使にお会いすることになっているのです。

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ミャンマー大使館の前で、佐久間会長と

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ミャンマー大使館の看板



ミャンマーは、今もっとも注目されている国の1つです。大使館の正門前で、ミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンパラ大僧正とお会いしました。

今日は土曜日なので大使館は休みですが、わたしたちのために特別に中に入れていただきました。大使館の敷地内にはテニスコートなどもあり、のどかな雰囲気です。

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ミャンマー大使館の掲示板



ブログ「世界平和パゴダ」にも書いたように、ミャンマーは上座部仏教の国です。

上座部仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もありましたが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れています。

ブログ「平和のために」に書いたように、現在の日本は韓国・中国・ロシアなどと微妙な関係にある国際的に複雑な立場に立たされています。日本を取り囲む各国は自国の利益のみを考えているわけですが、それでは世界平和などには程遠いですね。

わたしは、ミャンマーこそは世界平和の鍵を握る国であると思っています。



現在、国際的に「仏教ブーム」だそうです。

その背景には、一神教への不安と警戒が大きくあります。

キリスト教世界とイスラム教世界の対立は、もはや非常に危険な状態に立ち入っています。この異母兄弟というべきキリスト教とイスラム教の対立の根は深く、これは千年の昔から続いている業です。しかもその業の道をずっと進めば、人類は滅びてしまうかもしれない。それを避けるには、彼らが正義という思想の元にある自己の欲望を絶対化する思想を反省して、憎悪の念を断たねばならない。

この憎悪の思想の根を断つというのが仏教の思想に他なりません。

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ミャンマー大使と大僧正が迎えてくれました



仏教は、正義より寛容の徳を大切にします。

いま世界で求められるべき徳は正義の徳より寛容の徳、あるいは慈悲の徳です。

この寛容の徳、慈悲の徳が仏教にはよく説かれているのです。

わたしは、仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じています。

そのブッダの考え方が生きているミャンマーの大使館を訪れ、非常に感無量でした。

その後、ミャンマーと日本にとって非常に重要な出来事がありました。

いま時間がありませんので、詳しくは後ほど報告いたします。


2012年8月25日 一条真也

平和のために

一条真也です。

おはようございます。東京にいます。

昨日は、親戚の葬儀に参列するために千葉県に行ってきました。

夜は、ある業界関係者の方と都内でお会いしました。

その方は、わたしのブログをいつも読まれているそうです。

もともと社内研修用に始めたブログであり、わが社の社員ぐらいしか読んでいないと思っていたので、驚きました。今後は発言にも気をつけなければいけないと強く思いました。

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「産経新聞」8月25日朝刊



ところで、昨夜は野田佳彦首相が首相官邸で記者会見を開き、島根県・竹島や沖縄県・尖閣諸島について日本の領土であることを明確に宣言しました。

首相は、「わが国の主権に関わる事案が相次いで起こり、誠に遺憾の極みだ。わが国として看過することはできない」と表明し、さらに「毅然とした態度で、冷静沈着に、不退転の覚悟で臨む」と述べました。各人いろいろ感想はあるでしょうが、日本の首相が領土問題について明言したことは意義があったと思います。

竹島を不法占拠している韓国は、案の上、反発しているようですが・・・・・。

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「朝日新聞」8月25日朝刊



韓国、中国、そしてロシア・・・・・日本を取り巻く各国の思惑は、「世界平和」からは程遠いものです。わたしは、ある国を世界平和の鍵として見ています。

じつは、これからその国の大使館に佐久間会長とともに行ってきます。

今日、新しい平和の物語の幕が開く予感がします。

詳しいことは、また後で報告いたします。


2012年8月25日 一条真也

『幻獣ムベンベを追え』

一条真也です。

『幻獣ムベンベを追え』高野秀行著(集英社文庫)を読みました。

アフリカ大陸・コンゴの奥地には、太古の昔より謎の怪獣モケーレ・ムベンベが生息するといわれています。そのムベンベ発見に挑む、早稲田大学探検部11名の密林サバイバル78日間を記録したノンフィクションです。

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謎の怪獣を追う痛快ノンフィクション



本書は、もともと1989年に『幻の怪獣・ムベンベを追え』(早稲田大学探検部)としてPHP研究所より刊行されました。1966年生まれの著者は早稲田大学第一文学部卒業なので、わたしの大学の後輩に当たります。ちょうど、わたしの家内とは学部の同級生になりますね。著者を含むワセダ探検部のメンバーはアフリカの奥地に怪獣を探しに出掛けたわけですが、こんな凄い連中が同級生だったとは、家内も驚くでしょう。

卒業後、著者はノンフィクションライターとなりました。本人の公式サイトによれば、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをして、それを面白おかしく書く。 をモットーに執筆活動をつづける辺境作家」だそうです。そして「辺境作家」の他にも、著者には「UMA(未確認生物)研究家」という肩書きがあります。



本書の「目次」は、以下のようになっています。

「プロローグ」

第一章:コンゴ到着

第二章:テレ湖へ

第三章:ムベンベを追え

第四章:食糧危機

第五章:ラスト・チャレンジ

第六章:帰還

「エピローグ」

「あとがき」

早稲田大学探検部コンゴ・ドラゴン・プロジェクト・メンバー一覧

文庫版あとがき

SPECIAL THANKS

解説(宮部みゆき



まず、本書の主役ともいえる「ムベンベ」とは何か。

「プロローグ」で、著者は次のように書いています。

「怪獣の名は、通称コンゴ・ドラゴン、本名モケーレ・ムベンベ(これは現地語で“水の流れをせきとめるもの”の意味だそうだ)、年齢不詳、おそらく太古の昔より棲息していると思われる。現地の人々は古くからその存在を信じており、一種の魔物として恐れているという。この怪獣はコンゴのこのテレ湖以外でも広く見られており、ヨーロッパの文献にも早い時期から登場している。18世紀後半、フランスのキリスト教伝道団が、90cmもある大型動物の足跡を発見したのをはじめ、『茶色がかった灰色の長くしなやかな首をした動物を見た』(1913年)、『巨大な蛇がカバを殺したあと、首を伸ばして岸辺の草を食べていた』(1930年)など、多数の目撃報告がある。

それらの証言を総合すると、長い首、太い胴、ゾウのような四肢、体長10〜15m・・・・・どうもネス湖のネッシーのような恐竜像が浮かび上がってくるではないか。しかも、このコンゴのジャングルは、世界で最も氷河期の影響が少なかった地域だという」


世界一有名なUMAであるネッシーが登場しましたが、第四章「食糧危機」で著者はネッシーについて次のように書いています。

「ネス湖のネッシーもソナーによる徹底的な調査で否定的な結果が出て以来、実在論者は『ネス湖は海にトンネルで通じておりネッシーがそこを往来している』という説を前面に押し出しているらしい。調査のときはたまたまどこかに出かけていて留守だったということか。私はネッシーについては研究していないのでよく知らないが、自分ならソナー調査の結果をまず疑うだろう。あんなに広い湖なのだ。それほど厳密な調査ができるわけがない。“徹底的な”とは主催者側の発表でそれをうのみにすること自体が危険である。生物が潜んでいそうな湖底の岩陰、小さい穴など意外にとらえられていないんじゃないか。また、調査を行った人間が、ネッシーについてあらかじめどのような意見を抱いているかも問題だ。断言してもいいがおそらく正体不明の影も結構映っていたことだろう。否定論者なら、どんなえらい学者でもろくに確かめもしないで『あー、そんなの水草、水草』なんてことにすぐなってしまいそうな気がする。ま、われわれくらいは、自分の見たもの、自分の足で確かめたことだけを信じていきたいものだ」



また、本書の「あとがき」に著者は次のように書いています。

「何事にも『理由』があると思う。たとえば、ネッシーは今まで何百人もの人々によって目撃されているという。『そんなのいるわけないよ』というのは簡単だが、『いるわけない』のなら、なぜそのような現象が起きるのだろうか。

もし、特定の場所で何百人もの人々が声をそろえてウソをついているとすれば、それは古代の一生物が生き残っているのと同じくらい珍しい事であると言わねばならない」

と、このように著者のムベンベ発見にかける姿勢は真剣そのもので、シャレなどではありません。完全なガチンコ探検だったのです。

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「幻獣とは何か」の仮説を立てました



「幻獣」といえば、わたしは2010年2月に『世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社)という監修書を出版しました。表紙を憧れの永井豪先生に描いていただいた一冊ですが、そこでわたしは「幻獣とは何か」について考察しました。

そして、幻獣の正体について、わたしは4つの仮説を立てました。

第1の仮説は、幻獣とは人間の想像力が生み出した存在であるということ。

第2の仮説は、幻獣とは未発見の実在する生き物であるということ。 

第3の仮説は、幻獣はこの世界ではなく異界において実在するということ。

そして第4の仮説は、幻獣とは人間の無意識の願望が生み出したというものでした。

これは、第1の想像力仮説とは違います。想像力はあくまで意識的なものですが、これは無意識のうちに幻獣を生み出すという人間の心のメカ二ズムに根ざしています。



現代において最大の幻獣といえば、やはりネス湖のネッシーが思い浮かびます。

ナショナル・ジオグラフィックの制作する「サイエンス・ワールド」という番組でネッシーが取り上げられたことがあります。わたしは、市販されているそのDVDを観たことがあるのですが、非常にショックを受け、深く考えさせられました。1933年に初めて写真撮影されてから、多くの目撃証言が寄せられ、写真や映像が公開されてきたネッシー。最初の写真はトリックだったと明らかになり、その他の写真や映像もほとんどは、流木の誤認をはじめ、ボートの航跡、動物や魚の波跡などであったといいます。

その正体についても、巨大ウナギやバルチックチョウザメ、あるいは無脊椎軟体生物などの仮説が生まれました。今のところ、どの説も決定打とはなっていません。

しかし、そんなことよりも、わたしは番組内で行なわれた1つの実験に目が釘付けになりました。それは、ネス湖に棒切れを1本放り込んで、湖に漂わせておくのです。それから、ネス湖を訪れた観光客たちにそれを遠くから見せるのです。その結果は、驚くべきことに、じつに多くの人々が棒を指さして「ネッシーだ!」と興奮して叫んだのでした。



わざわざネス湖にやって来るぐらいですから、ネッシーを見たいと願っていた人々も、その実在を信じていた人々も多かったでしょう。

そして、現実の結果として、彼らの目には棒切れが怪獣の頭に映ったのです。

人間とは、見たいもの、あるいは自分が信じるものを見てしまう生きものなのです。

幻獣も興味深いですが、それを見てしまう人間のほうがずっと面白いと思いました。

ネッシーを見たのと同じメカ二ズムで、かつてドラゴンや人魚や河童や天狗を見てしまった人間は多いはずです。いや、幻獣だけではありません。神や聖人や奇跡など、すべての信仰の対象について当てはまることではないでしょうか。  



きっと、人間の心は退屈で無味乾燥な世界には耐えられないのでしょう。

そんな乾いた世界に潤いを与えるために、幻獣を必要とするのではないでしょうか。

いま、ファンタジー、アニメ、ゲームなどで昔ながらの幻獣が大量に復活し、大活躍しています。きっと、これも現実の世界が乾いていて、つまらないせいでしょう。

人間が生きていく上には幻獣の存在が欠かせないようです。

そう、幻獣が世界を豊かにするのですね。そして、本書の著者などはまさに「退屈で無味乾燥な世界には耐えられない」心を持った人なのだと思います。

いわば、少年のような心を持った大人だと言ってもよいでしょう。わたしにもそういう部分があると自覚しているのですが、大学の後輩である著者にはとてもかないません。

本書を読めばわかりますが、大変な苦労をして準備し、費用を捻出し、実際にアフリカの奥地にまで怪獣を求めて探検に行くわけです。

現地では、ゴリラ、チンパンジー、カワウソ、トカゲ、ワニまで食べます。

メンバーの中にはマラリアにかかって生死を彷徨う者も出ます。

そこまでして怪獣発見に情熱を燃やす姿は、「バカじゃないか」という思いを通り越して、「これは凄いわ!」という感動さえ呼び起こします。

わたしには、とてもここまで出来ません。この素晴らしい後輩たちは、ある意味でもっとも「ワセダらしい」連中ではないかと思いました。


わたしは、子どもの頃に放映されていた水曜スペシャルの「川口浩探検隊」シリーズが大好きでした。わたしより少し下の世代である探検部の彼らも、きっとこの番組を観て、影響を受けた部分が大きかったのではないかと思います。

それにしても、「怪獣を探しに行く」という発想をし、実際に行動してしまう人が本当にいるのですね。わたしは、かつて、若き日の石原慎太郎都知事がネッシーを探しにネス湖の探検隊に参加したことを思い出しました。

いやあ、「怪獣探し」に勝る男のロマンがあるでしょうか?

わたしは、かつての石原知事や本書の著者を心から羨ましく思います。

IT化が進行し、グーグルマップやストリートビューで全て明らかにされていく世界は、どんどんロマンが失われていく世界でもあります。こんな世界において、辺境を旅し、未知の生物を求め続ける著者の生き方は注目すべきだと思います。

これからも、著者のロマン溢れるノンフィクションを読んでみたいです。


2012年8月25日 一条真也

2012-08-24

『エリア51』

一条真也です。

『エリア51』アニー・ジェイコブセン著、田口俊樹訳(太田出版)を読みました。

「世界でもっとも有名な秘密基地の真実」というサブタイトルがついています。

著者のアニー・ジェイコブセンは、アメリカの調査報道ジャーナリストです。

「ロサンゼルス・タイムズ・マガジン」の編集などに携わっているそうです。

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世界でもっとも有名な秘密基地の真実



本書の帯には、「全米に衝撃を与えたベストセラー。100人を超える関係者に徹底取材。禁断の秘密基地の全貌が遂に明らかに。核実験、ロズウェル事件、知られざる人体実験―米政府がいまだ存在を認めない軍事施設の驚愕の歴史」と書かれています。

また、カバーの折り返しには次のような内容紹介があります。

「ネヴァダ州の砂漠地帯に位置する軍事施設エリア51。

UFO墜落・宇宙人の遺体回収で知られる『ロズウェル事件』の舞台として世界的に有名であるにもかかわらず、現在も当局によってその存在は伏せられている。

調査報道ジャーナリストの著者は、極秘の開発計画に携わっていた物理学者への取材をきっかけに、エリア51に住み、勤務した30人以上から貴重な証言を得ることに成功。その結果、冷戦下の軍事秘史が初めて明らかになった。大統領さえも除外される厳重な管理体制のもと、いったい何が行なわれてきたのか? 100人以上の関係者証言をもとに、大きな謎に包まれた秘密基地エリア51の内部に初めて踏み込む!

超音速爆撃機の開発をめぐるソ連との攻防、ロズウェル事件の真相、核および人体実験の知られざる驚愕の事実など、アメリカ軍事史の闇の迫る渾身のノンフィクション」



本書の「目次」は、以下のようになっています。

プロローグ:秘密都市

第1章:エリア51の謎

第2章:架空の宇宙戦争

第3章:秘密基地

第4章:陰謀の種子

第5章:情報適格性

第6章:原子力事故

第7章:ゴーストタウンからブームタウンへ

第8章:転落するネコとネズミ

第9章:基地の再構築

第10章:科学、テクノロジー、仲介の達人たち

第11章:どんな飛行機?

第12章:さらなる隠蔽

第13章:汚くて退屈で危険な任務は無人偵察機

第14章:砂漠のドラマ

第15章:究極の男社会

第16章:ブラックシールド作戦とプエブロ号事件の知られざる歴史

第17章:エリア51のミグ

第18章:メルトダウン

第19章:月面着陸捏造説と、エリア51にまつわるその他の伝説

第20章:空軍の支配――カメラ室から爆弾倉まで――

第21章:驚くべき真実

エピローグ

訳者あとがき

取材協力者と参考文献



第1章「エリア51の謎」の冒頭には、次のように書かれています。

「エリア51はまさしく謎である。誰もがその正体を知りたがっているのに、そこでおこなわれていることを完全に把握している者はごくわずかしかおらず、多くの人がこう考えている――エリア51というのは最先端の諜報活動および戦闘システムに関連した秘密基地だと。なかにはこんなふうに考えている者もいる――エイリアンや捕獲したUFOの存在する闇の世界だと。実際のところどうかと言えば、エリア51というのは、どの国より迅速に軍事科学技術を発展させる目的でつくられた連邦政府の秘密施設だ。それがなぜネヴァダ州南部の高地砂漠――周囲を山でぐるりと囲まれた、世の中から隔絶された場所――にこっそりとつくられたのか。それこそエリア51最大の謎だ」


500ページ以上のボリュームの本書では、その「エリア51の謎」の謎について書き尽くしています。エリア51というと、やはりUFOやエイリアンの死体のことをまず連想しますが、わたしはUFOについての考えをブログ「UFOについて」に書きました。

UFOが最も頻繁に目撃されたのは冷戦時代のアメリカです。

冷戦時代に対立したアメリカとソ連の両大国は絶対に正面衝突できませんでした。

なぜなら、両大国は大量の核兵器を所有していたからです。そのために両者が戦争すれば、人類社会いや地球そのものの存続が危機に瀕するからです。

そこで、第二次大戦後には、米ソ共通の外敵が必要とされました。

その必要が、UFOや異星人(エイリアン)の神話を生んだのではないかと思います。

いわゆる「空飛ぶ円盤」神話が誕生したのは、アメリカの実業家ケネス・アーノルドが謎の飛行物体を目撃した1947年です。第二次大戦から2年を経過し、3月には事実上の冷戦の宣戦布告であるトルーマン・ドクトリンが打ち出されています。

東西冷戦がまさに始まったその年に、最初のUFOがアメリカ上空に出現したのです。


かつて米ソ共通の最大の敵といえばナチス・ドイツでしたが、その後任として、宇宙からの侵略者に白羽の矢が立てられたとは言えないでしょうか。

「UFOはナチスが開発していた」とか「ヒトラーは地球の裏側で生きていた」などというオカルティックな俗説が流行するのは、新旧の悪役が合体したイメージに他なりません。

本書『エリア51』に書かれているUFOの正体は、わたしの考えとほぼ合致したので非常に納得できました。しかし、最後に明かされるロズウェル事件で実在したというUFOの搭乗員の死体、いわゆるエイリアンの死体の正体だけは突拍子もない説が述べられます。これならば、いっそ地球外生命としての宇宙人が正体であったというほうが理解しやすいぐらいです。


本書はノンフィクションですが、その核心部分(UFOとエイリアンの正体)についてはネタバレになるように思われるので、あえてここでは明かしません。

興味がある方は、ぜひ本書を通読されてみて下さい。

ちなみに、本書にはアポロが月に行かなかったという「月面着陸捏造説」に関する話題も登場します。UFOに対する関心だけでなく、軍事問題に関心のある方には途方もなく面白い本であることを保証します。一言でいうと、本書の最大のテーマは「米ソ冷戦」であり、その優れたノンフィクションとなっています。


そして、もう1つの大きなテーマは「核」であり、「放射能」です。

エリア51は、ずばり、ネヴァダ州の核実験エリアのど真ん中に位置していました。

「訳者あとがき」には、次のように書かれています。

「現在わが国が抱えている大きな問題、放射能汚染に関する記述にも驚かされる。米ソのあいだで部分的禁止条約が締結され、地上での実験が中止されるまで、1950年代から60年代初頭にかけて、ネヴァダ核実験場でおこなわれた核実験管理のなんと杜撰だったことか。コスト削減というだけのために核爆弾を気球に吊るして爆発させたり(その気球が風で吹き飛ばされ、ラスヴェガス方面に流されるという事故が現に起きている)オゾン層が破壊されてもそんなものはすぐに修復されるなどと真面目に論じられていたり、核実験の除染がまったくおこなわれていなかったりと、これまた今なら誰もが怖気立つような事実だ。さらに、条約締結後も162回という核実験が地下でおこなわれ、その半数近くで大気圏への『偶発的な放射漏れ』が発生しているという。それらの放射能はどこに飛散し、今どこに蓄積されているのか。半世紀もまえのことではないかと言うなかれ。プルトニウムの半減期は2万年を超えるのである」



そう、人類を滅亡させることが可能なのは宇宙人の攻撃ではなく、地球上で生まれた放射能なのです。ブログ「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように、7月11日の夜、京都の百万遍で作家の玄侑宗久さんや宗教学者の島薗進さんたちと飲みました。

そのとき、玄侑さんと島薗さんのあいだには放射能の人体影響についての認識の違いがあり、激論が交されました。ちょうど、玄侑さんがアメリカの陰謀について話をされたので、わたしは読了したばかりの本書の内容を簡単に説明しました。玄侑さんは、「アメリカという国なら、そういうことも有り得るでしょうね」と言われたのが印象的でした。


プルトニウムの半減期は、じつに2万年を超えるといいます。

それにもかかわらず、アメリカは1945年の世界初の「トリニティ実験」から1992年のアメリカ最後の「ジュリアン作戦」まで、数えきれないほどの核実験を行ってきました。

この事実を受けて、訳者の田口俊樹氏はアメリカについて次のように述べます。

「核爆弾の威力だけでなく、放射能が生物に及ぼす影響に関しても膨大なデータを持っていても不思議ではない。しかし、今回のわが国の原発事故に関して、チェルノブイリやスリーマイルはよく引き合いに出されても、『米軍の資料によれば』といった報道は訳者の知るかぎりまったくなされていない。それはこうしたデータもまた『機密事項』だからなのだろうか。軍事機密には軍の最高司令官である大統領さえ知ることのできない情報があるというからには、そんな勘繰りもしたくなる」

さらに、訳者の次の一文を読んだとき、わたしは戦慄しました。

「放射能汚染について本書では、もうひとつ興味深い指摘がされている。ミミズが移動させる土壌の量が半端ではないというのだ。そうしたミミズはどこにでも飛んでいる鳥に食べられ、鳥はどこにでも糞をする。言われてみればもっともなことで、これが事実とすれば、今の日本でいったいどんな対策が取れるのか。いささか不安になる」

放射能問題について考えている人にも、本書をお勧めします。


最後に、エリア51から発着していた「ドラゴンレディ」の愛称で知られる「U−2」偵察機が多くの人々によって空飛ぶ円盤に誤認されたと本書には書かれています。

U−2機は長い翼を持ち、地上から見上げるとまさに未知の飛行物体でした。それが当時の常識を遥かに超えた高さをこれまた常識外れの速さで飛行したのです。そのため、エリア51周辺の人々をはじめとした多くの「UFO目撃者」を生んだというわけです。

U−2の後継機である「オックスカート」ことA−12、「ブラックバード」ことSR−71といった超高速・高高度偵察機もしばしばUFOとして目撃されることになります。

この事実を初めて知ったわたしは非常に驚くとともに、話題の「オスプレイ」こと「V−22」軍用機のことを連想しました。言わずと知れた垂直離着陸輸送機ですが、あの動きなどはまさにUFOを思わせるのですが・・・・・


2012年8月24日 一条真也

2012-08-23

冠婚・衣装責任者会議

一条真也です。

ブログ「葬祭責任者会議」ブログ「総務・人事責任者会議」で書いたサンレーグループの会議に続いて、22日は「全国冠婚・衣装責任者会議」が開催されました。

会場は、松柏園ホテルのバンケット「フェーリーチェ」でした。

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冠婚・衣装責任者会議のようす



各地から、わが社の誇る“むすびびと”たちが集結しました。

わたしの社長訓話の前に、参加者は大分県中津市の新しい結婚式場「ヴィラルーチェ」を視察しました。いま、ブライダル業界において話題になっている式場で、「スタイリッシュ&モダン」をコンセプトとし、光、水、緑、空、自然の「5つのエレメンツ」をふんだんに取り入れた、開放感溢れる空間づくりを目指しました。

採光豊かなバンケットや、プールを備えたレストランウエディング会場、4面マルチスクリーンによる壮大な演出・・・・・まったく新しいウエディングスタイルを提案しています。

ヴィラルーチェを初めて訪れた社員も多く、みんな非常に感動していました。

まず最初に、わたしはヴィラルーチェの感想について、いろんな社員に質問しました。

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儀式の持つ力について話しました



中津だけではなく、わが社はこれから各地に新しい結婚式場を作っていく予定です。

最高の立地に、最高のデザイン、そして最高のハード・・・・・。

もちろん、それらに加えて最高のサービスを提供しなければなりません。

冠婚葬祭サービスを提供するという儀式産業であるサンレーは、何よりも儀式というものを大切にしています。儀式には「かたち」が必要です。

そう、「かたち」には「ちから」があるのです。

結婚式とは、不完全な男女の魂に「かたち」を与えて完全なひとつの魂として結びつけること。葬儀とは、人間の死に「かたち」を与えて、あの世への旅立ちをスムーズに行うこと。そして、愛する者を失い、不安に触れ動く遺族の心に「かたち」を与えて、動揺を押さえ悲しみを癒すこと。儀式の持つ力とは、「かたち」によって発揮されるのです。

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すべて私にお任せください!



さらに、最高のホスピタリティを象徴する言葉として、わたしは「すべて私にお任せください」という一言を紹介しました。この言葉は、冠婚葬祭やホテルといったホスピタリティ産業に従事する者にとっての魔法の言葉です。

飛行機やホテルでキャンセル待ちしているとき、大事なクレジットカードを紛失したとき、そして愛する家族を失ったとき、この一言は人の心に限りない安心感を与えます。

それから、お客様の話を「聞く」ことの大切さについても話しました。

真のホスピタリティ・マインドは相手の話をよく聞くことから生まれます。

また、上司と部下との間でも「聞く」という行為が非常に重要です。

松下幸之助は、「部下の話を聞くときに、心掛けないといかんことは、部下の話の内容を評価して良いとか悪いとか言ったらあかん、ということやな。部下が責任者と話をする、提案を持ってきてくれる、その誠意と努力と勇気をほめんといかん」と語っています。



部下の意見を聞くことがリーダーにとって大事なことは言うまでもありませんが、中世・近世では「意見」を「異見」と書きました。そして、異見を聞き、率直に自己を反省することができる人物を「人望がある」と評したのです。戦国武将のなかでは、武田信玄徳川家康黒田長政の三人が意見を聞くことで知られました。 

さらに諫言というものがあります。耳に痛い直言のことですね。

歴史上の人物はみな、この諫言を聞くか聞かないかで、成功するかしないか、生き残るか滅びるかの岐路に立ちました。織田信長の育て役の平手政秀が、ヒッピーのような生活をしていた信長を諌め、それでも言うことを聞かないので切腹したのは有名です。

諫言の難しさを「人間関係」としてとらえたのは、家康で、「諫言者は、戦場の一番槍よりもむずかしい。その後の人間関係がどうもギクシャクする。正しいことを言ったのだが、言った方が疑心暗鬼になり、主人からにらまれたのではないか、と思うようになる。だから、そういうことを承知のうえで直言する真の諫言者は、一番槍異常の功労者である」と言いました。リーダーとは、異見や諫言を聞かなければならないのです。



部下に限らず、人の話を聞くときの態度も重要で、絶対にしてはならないのが腕組みと足組みです。人と会話しているときは、その人とコミュニケーションをする姿勢をするのが礼儀です。腕組みは相手とのあいだに柵を設けることであり、自由なコミュニケーションを拒否するという心理的圧力を与える結果になります。そのうえに足まで組んでいれば、さらに相手を遠ざけようとすることになります。満員電車の中で足を組む場合、自分の前に突起物を構築して、それ以上に人が近づいてこないようにする。人が攻めてきても、すぐに蹴ることができる態勢をとっているわけであり、失礼千万ですね。

わたしは人と接するとき、腕組み、足組みは絶対しないように心がけています。 



逆に、するように心がけているのは、次の3つです。

まず、必ず相手の目をやさしく見つめながら話を聞くこと。

次に、相手の話には必ず、あいづちを打つこと。

相手をほめる言葉を混ぜると、さらに相手は饒舌になる。

そして3つ目は、自分が話すときには意見ではなく、質問のスタイルをとることだ。話を聞く達人とは、表情の達人、あいづちの達人、質問の達人なのです。

今日は、そんなことなどを話しました。みんな熱心に聴いてくれていました。

少しでも日々の仕事や生活に活かしてくれればと願っています。

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懇親会で挨拶する佐久間会長



その後は、総勢50名での懇親会を開催し、親睦を深めました。最初に佐久間進会長が挨拶し、「わが社は、これから冠婚にどんどん力を注ぎます」と宣言しました。続いて、わたしも挨拶し、「今夜は、大いに懇親を図って下さい」と言いました。

それから乾杯の音頭で懇親会がスタートし、宴は大いに盛り上がりました。

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最後は「末広がりの五本締め」で



最後は、サンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。

わが社オリジナルの文化は色々とありますが、この「末広がりの五本締め」もそのひとつです。やはり、「かたち」には「ちから」があるのだと実感させてくれます。

懇親会の後は、松柏園のラウンジで二次会も開かれ、大いに交流の輪を広げた夜となりました。わたしは、3日連続の社長訓話と懇親会で、ちょっとグロッキー気味です。


2012年8月23日 一条真也

2012-08-22

総務・人事責任者会議

一条真也です。

21日、サンレーグループの「全国総務・人事責任者会議」が行われました。

会場は、松柏園ホテルのバンケット「THE JEWEL BOX」です。

わたしは、社長訓話をするために「世界平和パゴダ」から大急ぎで駆けつけました。

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総務・人事責任者会議のようす



総務・人事責任者会議が開かれるのは久しぶりですが、長年わが社の総務課長として活躍して下さった末さんの定年退職を前にして開催されました。2005年には人事の、06年には総務の責任者会議を開きましたが、そこでわたしは短歌を詠みました。

人事については、「人事とは 人の良き面引き出して 人の振り見て我が振り直せ」。

総務については、「総務とは 法を守りて人守り 祭り護りて社を護る」。

以上のような歌を詠み、今日も改めてみなさんに紹介しました。

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人事とは何か

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総務とは何か



それから、総務・人事共通の訓話として「人間関係」について話しました。最初に「縁」と「絆」という言葉を取り上げ、「縁」は先天的で「絆」は後天的であると述べました。

そして、「良い人間関係づくり」のためには、まずはマナーとしての礼儀作法が必要となります。いま、わたしたちが「礼儀作法」と呼んでいるものの多くは、武家礼法であった小笠原流礼法がルーツとなっています。

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真剣に聴く参加者たち



小倉の地と縁の深い小笠原流こそ、日本の礼法の基本です。特に、冠婚葬祭に関わる礼法のほとんどすべては小笠原流に基づいています。

小笠原流礼法などというと、なんだか堅苦しいイメージがありますが、じつは人間関係を良くする方法の体系なのです。小笠原流礼法は、何よりも「思いやりの心」「うやまいの心」「つつしみの心」という三つの心を大切にしています。これらは、そのまま人間尊重の精神であり、人間関係を良くする精神ではないでしょうか。

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「縁」と「絆」についても話しました



原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。

このような行為が礼儀作法、すなわち礼法の起源でした。

身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化・発展して今日の礼法として確立されてきたのです。ですから、礼法とはある意味で護身術なのです。剣道、柔道、空手、合気道などなど、護身術にはさまざまなものがあります。しかし、もともと相手の敵意を誘わず、当然ながら戦いにならず、逆に好印象さえ与えてしまう礼法の方がずっと上ではないでしょうか。

まさしく、礼法こそは最強の護身術である。そのように、わたしは思います。

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「人間関係を良くする魔法」について話しました



さらに、わたしは礼法というものの正体とは魔法に他ならないと思います。

フランスの作家サン=テグジュペリが書いた『星の王子さま』は人類の「こころの世界遺産」ともいえる名作ですが、その中には「本当に大切なものは、目には見えない」という有名な言葉が出てきます。本当に大切なものとは、人間の「こころ」に他なりません。

その目には見えない「こころ」を目に見える「かたち」にしてくれるもの。

それこそが、立ち居振る舞いであり、挨拶であり、お辞儀などではないでしょうか。

それらを総称する礼法とは、つまるところ「人間関係を良くする魔法」なのです。

また礼法以外にも、江戸しぐさ、愛語、笑い、祭り、掃除など、人間関係を良くする魔法がこの世には多く存在します。それらのサワリを紹介しました。

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懇親会のようす

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最後は「末広がりの五本締め」で



訓話の後は、末廣課長の送別会も兼ねた懇親会が松柏園ホテルで開かれました。

サンレー北九州の中野執行役員・管理本部長の乾杯の音頭でスタートしました。

最後は、末廣課長による「末広がりの五本締め」で締めました。

さらに懇親会の後は、松柏園のラウンジで二次会も開かれました。

日頃は離れて仕事をしている仲間たちが大いに親睦を深めた夜となりました。



2012年8月22日 一条真也

2012-08-21

世界平和パゴダ再訪

一条真也です。

ブログ「世界平和パゴダ」で紹介した寺院は、日本における上座部仏教の唯一の拠点です。今日は、それを管理する宗教法人の関係者の方々と一緒に、世界平和パゴダを訪れました。わたしにとっては、今年3月3日以来の訪問です。

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関係者のみなさんと門の前で

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パゴダの前で、佐久間会長と



前回は閉鎖されたパゴダ内に入ることはできませんでしたが、今回は宗教法人の代表役員を務める方に鍵を開けていただいて、中に入ることができました。

生まれて初めて入るパゴダは、素晴らしい聖なる空間でした。

まず最初に、わたしは黄金の仏像が置かれている祭壇に向かって合掌しました。

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まずは祭壇に向かって合掌しました

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黄金の仏像が置かれている祭壇

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初めてパゴダの中に入りました



三方に貼られているステンドグラスには孔雀が描かれており、じつに見事でした。

また、ブッダの生涯を描いたビルマの仏教画がたくさん飾られていました。

この空間にいるだけで、ブッダの息吹に触れているような気がしました。

それもそのはず、パゴダの下には仏舎利が納められているそうです。

そう、ここは日本で唯一の仏舎利を有する上座部仏教の聖地なのです。

今日はサンレーグループ佐久間進会長と一緒の訪問でしたが、わたしたち父子ともども、なんとか、この貴重な宗教施設の再開に向けて尽力したいと心から思いました。

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ステンドグラスが見事でした

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ビルマの仏教画も素晴らしかったです



また、わたしは世界平和パゴダを見上げながら、「月」のイメージを強く感じました。

上座部仏教とは、ブッダの本心に近い仏教であると言えると思いますが、ブッダは満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったそうです。

ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。

言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。

わたしは、やわらかな月の光を見ていると、それがまるで「慈悲」そのものではないかと思うことがあります。ブッダとは「めざめた者」という意味ですが、めざめた者には月の重要性がよくわかっていたはずです。「悟り」や「解脱」や「死」とは、重力からの解放に他ならず、それは宇宙飛行士たちが「コズミック・センス」や「スピリチュアル・ワンネス」を感じた宇宙体験にも通じます。ミャンマーをはじめとした東南アジアの仏教国では、今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。

仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」かもしれません。

初めて世界平和パゴダの中に入ったわたしは、そんなことを考えました。

この世界にも誇れる「月の寺院」が一日も早く再開されますように・・・・・。

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世界平和パゴダにて


2012年8月21日 一条真也

葬祭責任者会議

一条真也です。

今月20日から22日まで、サンレーグループの「葬祭責任者会議」、「総務・人事責任者会議」、「冠婚・衣装責任者会議」と、3日連続で全国会議が開かれます。

20日の16時半からは「全国葬祭責任者会議」において、社長訓話をしました。

各地から、わが社の誇る“おくりびと”たちが集結しました。

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全国葬祭責任者会議のようす



最初に、わたしは「国誉め」について話しました。

6月に6つの紫雲閣(せきぜん会館)がグランドオープンしたのも束の間、7月17日には新しい飯塚紫雲閣が、同月24日には新しい門司港紫雲閣がオープンしました。

ブログ「飯塚紫雲閣竣工式」ブログ「門司港紫雲閣竣工式」に書いたように、わたしは2つの紫雲閣のオープンに当たり、

その土地の伝説や歴史を調べ、それを歌に詠み込みました。

飯塚は「なつかしき故人は何処 この地より魂を送らん飯塚の里で」と詠み、門司港は「いにしへの浪漫あふるる門司港の魂の港はここにありけり」と詠みました。

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「国誉め」について話しました



これは、古代日本の「国誉め」という儀式に通じます。

日本最初の歌を詠んだのはスサノオノミコトとされています。

怪蛇ヤマタノオロチを退治した後、次のような歌を詠みました。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」

これが和歌の第一号のようですが、「出雲」という地名が歌われています。これは、そのまま「国誉め」すなわち、祝福の言霊となっています。

その土地の地名を歌に詠むことは、産土の神様への最高の礼なのです。

梅雨明けしましたが、このたびの九州の豪雨は凄まじく、まさに「経験したことのない大雨」が降りました。自然の脅威を再認識するとともに、わたしは土地の神様をおまつりすることの大事さを痛感しました。「国誉め」は産土の神にさらに礼を尽くすことです。

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グリーフケアについて話しました



次に、7月11日に京都大学の稲盛記念館で開催された「こころの再生」シンポジウムで報告した「東日本大震災グリーフケア」について話しました。

わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。

大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。

家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失った。

しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。

グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。

2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。

月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。

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「心のケア」について説明しました



1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、1年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれます。

16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。

グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。



被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。

グリーフケアは、けっして商売道具ではありません。

それは、愛する人を亡くした人の悲しみを癒す最も崇高な「こころの仕事」です。

そして、これからの“おくりびと”は単なる葬儀の実務だけでなく、ご喪家の心のケアのお手伝いもさせていただく“いやしびと”にならなければならないと述べました。

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サンレー名物「末広がりの五本締め



その後、松柏園ホテルで懇親会が開かれました。大いに盛り上がりましたが、最後はサンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。

さらに懇親会の後は、松柏園のラウンジで二次会も開かれました。

日頃は離れて仕事をしている仲間たちが大いに親睦を深めた夜となりました。

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二次会も大いに盛り上がりました


2012年8月21日 一条真也

2012-08-20

日本人の尖閣上陸

一条真也です。

日本人が尖閣諸島の魚釣島に上陸しました。

19日朝、尖閣諸島の周辺海域で行われていた戦時中に亡くなられた方々の慰霊祭に参加した日本人のうち10人が、船から泳いで上陸したのです。

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「産経新聞」8月20日朝刊



上陸した10人のうち5人は、東京都や東京の杉並区、荒川区、兵庫県、それに、茨城県取手市の地方議員だとのこと。上陸した人々は、灯台付近で国旗を掲げたりした後、午前10時前までに全員が泳いで船に戻ったそうです。

慰霊祭には、国会議員や地方議員、それに、一般の人などおよそ150人が参加していました。政府に上陸許可を申請したそうですが、政府は、「政府関係者以外が上陸すると、島の平穏かつ安定的な維持管理が損なわれるおそれがある」として、申請を認めていませんでした。今月15日、中国の領土だと主張し、魚釣島に上陸した香港の活動家らが不法入国の疑いで逮捕されました。

17日に強制送還されたばかりですが、これを受けて中国では25都市で反日デモが行われ、日本料理店が襲撃されるなど一部で暴徒化しているようです。

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「産経新聞」8月20日朝刊



上陸した東京都荒川区議の小坂英二氏と茨城県取手市議の小嶋吉浩氏は「誰かが日本領土だと示す必要がある」と語ったそうですが、まさに同感です。

「日本が実効支配している島に泳いで渡っていって、どうするのか」「上陸した人々の行為を正当化するのは難しい」という声もあるようですが、わたしは彼らはよくやったと思います。どう見ても街のチンピラにしか見えない香港の活動家とやらが魚釣島に上陸して以来、また韓国大統領が竹島に上陸して以来、わたしは「どうして、日本の右翼は何も行動を起こさないのか」と思っていましたが、右翼などではなく、日本の地方議員たちが勇気ある行動を起こしてくれました。彼らの社会的立場を考えると、本当に「よく、やった」と思います。まさに、「義を見てせざるは勇なきなり」です。

彼らの行為は、軽犯罪法違反などとは比較にならないほど価値あるものでした。


尖閣諸島は沖縄県ですが、わが社は沖縄本島でも石垣島でも冠婚葬祭事業を展開しています。沖縄といえば、成人式が毎年荒れるのが話題になりますが、わたしはこれを苦々しく思っていました。「守礼之邦」である沖縄のイメージを著しく損ない、また成人式という大事な通過儀礼を冒涜するものだからです。

それで以前、わたしは「守礼」と書かれた旗を持って会場に乗り込み、成人式を妨害する若者たちを叱責しようと考えたのですが、社員の猛烈な反対にあって断念したことがあります。今回も、本当はわたし自身が魚釣島に上陸したかったぐらいです。

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「朝日新聞」8月20日朝刊



中国大使も、丹羽宇一郎氏から西宮伸一氏に交代するようです。

大変な苦労続きだった丹羽大使には、心から「お疲れ様でした」と言いたいです。

今年は、日中国交正常化40周年のアニバーサリー・イヤーです。

そんなに記念すべき年に、わたしは「孔子文化賞」を受賞させていただきました。

それだけに、一連の中国からの挑発行為は本当に残念でなりません。

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「産経新聞」8月20日朝刊



無法国家なのは、中国だけではありません。19日、なんと韓国は島根県の竹島(韓国名は独島)で李明博大統領直筆の石碑の除幕式を行いました。

これは、もう悪質な挑発行為以外の何物でもありません。それにしても、こんな時でさえ、韓流ドラマやK−POPに夢中になっている日本人が多いのは情けない!

日本には軍事力がないので、諸外国から完全に舐められています。

加えて、基本的な外交方針を持たない現政権のていたらく。

いくら軍事力がなくても、日本は国際社会に対して「間違っていることは間違っている。正しいことは正しい」と言い続けなければなりません。

もうすぐ銀座で五輪メダリストの凱旋パレードが行われますが、オリンピックのときしか愛国心を自覚できない日本人が多いのは不幸なことですね。


2012年8月20日 一条真也

『死ぬことが怖くなくなるたったひとつの方法』

一条真也です。

『死ぬことが怖くなくなるたったひとつの方法』矢作直樹・坂本政道著(徳間書店)を読みました。「『あの世』をめぐる対話」というサブタイトルがついています。

勇気の人」こと矢作直樹氏は、1956年生まれの東大医学部教授です。

ブログ『人は死なない。では、どうする』の本と同じく、矢作氏から贈呈された本です。

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向こう側がわかれば、死ぬのはまったく怖くない!



一方の坂本氏は、モンロー研究所レジデンシャル・ファシリテーターです。

1954年生まれ。東京大学理学部物理学科卒、カナダトロント大学電子工学科修士課程終了。77年から87年まで、ソニー(株)で半導体素子の開発に従事しました。

87年から2000年までは、米国カリフォルニア州にある光通信用半導体素子メーカーSDL社にて半導体レーザーの開発に従事。

2000年、変性意識状態の研究に専心するために退社。有名な「体外離脱」研究のメッカであるモンロー研究所のスタッフとして、『体外離脱体験』『死後体験』シリーズ、『絵で見る死後体験』『SUPER LOVE』『ヘミシンク入門』など多くの著書を上梓します。



本書の帯には、次のように書かれています。

「人は死んだらどうなる? あの世はいったいどこにある?

向こう側がわかれば、死ぬのはまったく怖くない!

『人は死なない』『死後体験』ベストセラー対談が実現」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

はじめに――「あの世」と「この世」をめぐって(矢作直樹)

序章:死を考えると「常識の壁」を超える

第一章:日本人と霊性

第二章:宗教、スピリチュアリズム、そして科学

第三章:三次元世界の実相

第四章:超常識な現象について

第五章:これからの生き方

おわりに――常識の壁を越えて(坂本政道)



「はじめに」で矢作氏は、これまで坂本氏の一連の著書を読み、あちらの世界を目に見えるように描いたことに大いに感動したと述べ、さらに次のように書いています。

「特に最初の著『体外離脱体験』の序文の“私は、大学で物理を専攻したぐらい徹底した物質論(唯物論)者だった。すべての現象は、物質とエネルギーで説明できると固く信じていた。人間の精神活動も、脳細胞の、つまりは、物質の作用だと信じて疑わなかった。この体験は、そういった考えが間違いであること、人間の存在はこの肉体だけではないこと、というよりむしろ、人間の本質はこの肉体(物質)から独立して存在し、精神とでも呼ぶべき非物質のものであることを明らかに教えてくれた。物質論的な考え方は誤りだった。――”というくだりは、衝撃的でした。体外離脱体験については、海外では近代になってからもスウェーデンボルグ以来、幾多の人たちの報告があるものの、物理学を修めた日本の現役のエンジニアがこのような詳細な記録を残したことにたいへんな感銘を受けたものです」



序章「死を考えると『常識の壁』を超える」で、坂本氏は次のように述べています。

「『死』は誰にとっても共通項です。にもかかわらず、世の中には、まだ『死』というテーマに対するタブーが根強くありますから、いい意味でそれを破りたいと思うわけです。

日本では現在、年間で約120万人が死んでいます。大都市1個分くらいが毎年死んでいるわけです。出生率はなかなか回復しませんし、他国と違って移民政策もありませんから、日本の人口は着実に減っています。今後は急激に減少するでしょう。

世界の人口は70億人を突破したそうですが、それでも毎年1億人は死んでいるはずです。世界的に見ると平均寿命が50歳くらいでしょうか。

この『毎年1億人が死んでいる』という数字のスケール感はすごいです。日本の人口分くらいが、毎年毎年、地上から消えているわけですから。2011年に起きた東日本大震災でも2万人前後の方々が死亡、もしくは行方不明になりました。そしてあの大震災で、皆感じたと思います。『死の問題は他人事ではない、実はすごく身近な問題なのだ』と。本当は常日ごろから、真剣に考えなければならないテーマです」



興味深かったのは、「固定観念によって簡単に色づけされてしまう」という坂本氏の話です。ある夫婦がUFOを見たそうですが、見たUFOを後になって絵に描くと、夫婦それぞれに形状が違っていたそうです。互いに「どうして嘘を言うのか」と口論になったそうですが、これについて坂本氏は述べます。

「人間が何かを見た時には、自己の記憶にあるいくつかのパターンを引っ張り出し、それを視覚映像として認識します。本当は2人ともエネルギー体みたいなものを見たのだと思いますが、それを見た瞬間、自分の中にすでにあるUFO像を持ってきてしまう。しかしお互いの頭にある像は当然違いますから、違うものを見てしまうというわけです」

また、坂本氏は「自分が見ている、認識しているはずのものは、自分の記憶からあるパターンを引っ張り出して、それに一番近いものを『見ている』わけです。しばらく見ているとパッと変わるんですが、その瞬間だけは、はっきりと認識させます。ここが怖い。認識というのは嘘をつくんだなと感じます」とも述べています。


第一章「日本人と霊性」で、矢作氏は日本人について次のように述べます。

「西洋では霊というかスピリットを感じても、先祖崇拝という感覚がないと言われます。ところがゲリー・ボーネル(心理学者、催眠療法家)いわく、日本人は霊的なものと先祖的なもの(=肉体的なつながり)の両方を併せ持つ、特殊な感覚の持ち主だと述べていますが、私はこの表現が腑に落ちました」

日本人の先祖崇拝について、矢作氏はさらに述べます。

「ただ、昔から先祖崇拝があったかと言えば、奈良時代や飛鳥時代の前は、一般人は風葬していたので墓は持っていなかったはずです。もちろんそのもっと前の、例えば青森県の三内丸山遺跡みたいに、5000年くらい前の縄文人たちは、ずっとその数千年、コミュニティーの構成分子が変わらず、そこには人が亡くなったら埋める場所という意味での墓というか、亡くなった人を『戻す場所』という感覚はあったように思えます。

ひょっとしたら、心の中にそういう墓の感覚を持っていたのかなと、思う部分もあります。

それこそ古代人たちにとっては、“つながる”といった時に、スピリット的にもつながるし、先祖という感覚でもつながる、つまりその両方を自然と持っていたのだろうと思います」

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先祖を崇拝する日本人



わたしは、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)に書いたように、先祖崇拝こそは日本人にとって最大の信仰であると考えています。

幕末の国学者・平田篤胤はわが国の民間信仰の根幹をなすものとして「先祖祭り」を重視しました。氏神信仰などは「先祖祭り」の典型と言えます。

祭りの対象は、先祖代々の霊すなわち「祖霊」ということになります。

通常は33年の最終年忌をトムライアゲ・トイアゲといって、葉付塔婆やうれつき塔婆という塔婆を立てます。これを境に死者は死穢から清まり、先祖や神になるといいます。

最終年忌がすむと、位牌を流したり、墓石を倒したりする地方もあります。

ちょうど一世代たつと、死霊は個性を失って、祖霊という群霊体に融合し、子孫や郷土を守る先祖として祀られるわけですね。ドラマティックな「先祖」の誕生です!

今はやりのスピリチュアル用語を使えば、ここでいう「死霊」とは「ソウル」、祖霊という群霊体は「グループ・ソウル」ということになるでしょうか。

これまで宜保愛子細木数子江原啓之といった人々がテレビをはじめとしたメディアを騒がせ、「霊視」とか「占星術」とか「スピリチュアル」とか多様な表現を使ってきました。

でも、彼らのメッセージの根本はいずれも「先祖を大切にしなさい」ということでした。

日本人にとっての最大の信仰の対象とは「先祖」に他ならないことをメディアの申し子である彼らは熟知していたように思います。

まさに、伝統宗教から新興宗教、新宗教、そしてスピリチュアルまで、日本人の精神世界における最大のコンセプトとは「先祖供養」なのだと思います。日本人にとっての三大宗教である神道・仏教・儒教も、いずれも「先祖崇拝」という共通点を持っています。



ところで、本書にはいわゆるオカルトの話題がたくさん登場します。

主に坂本氏がムー、アトランティスなどの超古代大陸、あるいはUFO、地球外生命などについて実在を前提として語っています。

矢作氏のほうも心霊に関してはかなり大胆な発言をしており、たとえば第二章「宗教、スピリチュアリズム、そして科学」の中で次のように語っています。

「飛び込み自殺のすべてがそうだとは思いませんが、あれは憑依の可能性が結構あるのだという話を聞いたことがあります。私自身、その可能性は否定できないと考えます。憑依は、実はそれほど珍しいことではないのですが、仮に憑依現象を科学で認めると、厄介な問題になってしまいます。

法曹関係者にも見えない世界が理解できる人がいますが、彼らが一番悩むのが憑依です。例えば、ある殺傷事件が憑依だと判明した場合、被疑者が心神喪失になってしまうと、その時点で無罪になってしまうからです。

これはつまり『憑依が存在する』ことを法律で認めることが、今の社会でできるのかという論争ですね。一般的には『そんなものは存在しない』とされます。その点は私たちのような医療関係者も、頭の隅に置いておかないといけないと思います」

正直言って、わたしは「東大医学部教授がここまで言うか!」と仰天しました。



同じく第二章に登場する「死ぬんだけれども死にたくないというパラドックス」という矢作氏の話も面白かったです。矢作氏は次のように述べています。

「100年後には死んでいるのに、でも何とかそこから逃れようとするという、これはある意味でのパラドックス(妥当に思える推論から受け入れ難い結論が導き出されること)です。そんなパラドックス感が人類のほぼすべてに存在するということが、逆に私には不思議でなりません。理解するかしないか、受け入れるか入れないかに関係なく、死は誰もが等しく現実に迎えるものであり、そこに執着しなくてもいいのだけれど、心構えとして意識の中に入れておいてもいいではないですか」


また坂本氏は「死は科学理論がすべて破綻してしまう出来事」だとして、モンロー研究所の創設者ロバート・モンローが開発した「ヘミシンク」について説明します。

ヘミシンクというのは意識の中心をずらすことで別の世界にアクセスするためのサポートツールです。人によっては、モンロー氏が体験した意味での体外離脱的なことをする人もいます。その場合、肉体はほとんど意識しません。別の世界を100%意識しているというか、自分はすでに別の次元に存在していると知覚する人もいます。

私の場合はそうではなくて、どちらかと言えばこの肉体を感じながら、他の世界のことを把握できるような感覚です。これは『バイロケーション』と言われます。つまり、2つの状態を同時に把握できるような感覚です。ヘミシンクというのは、そういうことも可能にするのです。その結果、実にいろいろなことがわかります。自分が持っている狭量かつ極めて三次元的な、要は物質世界的な価値観から、もっと大きくて悠然とした価値観にシフトします。すると、より『自由な身』になれます。今までの古い価値観や不要なものがたくさんありますから、そこから解き放たれ、もっと気軽で身軽になれます。

ヘミシンクはそのための方法です。山の頂上を目指すのにさまざまな方法があるのと同じことで、上の世界にアクセスするための、下の物質世界的な価値観からもっと自由な価値観へと移るための方法です」


 

第四章「超常識な現象について」では、矢作氏は「この世」と「あの世」は断絶していないとして、次のように述べています。

「病理で解剖というのがあります。ちょっと表現が悪いかもしれませんが、あえて言うと、身体がこんなになるまでよく生きていたなという状態の方に遭遇します。

1分1秒前まで、その身体が生きていたのだと思うと、非常に不思議なご遺体がたくさんあるのです。その時、私は理屈抜きに思います。

『本物は、本当のその人は、そこにいるはずがない』

そんなふうに直感で思ってしまうわけですね。

それは理屈ではありませんので、自分はそうだと感じたというくらいしか、ここでは表現できません。しかしこれは正直な感想です。臓器なんかもボロボロです。

ではそこにスピリットが入れば動くのかと言うくらい、どこもかしこもボロボロな身体を大勢見ていると、そこに感じるものがあるのです。

例えが適切ではないかもしれませんが、人が住まなくなった家はすぐに傷むと言います。家の中を掃除するとか、風を通したくらいで、そんなに違うものかなと、私は不思議でしょうがないのですが、人が住まなくなると傷みが早いのは事実だそうです。

要するに、肉体も家も、『器』や『入れ物』なんだと思います」

東大医学部教授にして東大病院における緊急医療の最高責任者である矢作氏の言葉だけあって、非常に説得力がありますね。


最後に、坂本氏の「死後世界の体験は一種の社会貢献である」という言葉が印象的でした。体外離脱とかチャネリングといった分野は広く世間に認知されてきたけれども、未だにトンデモ扱いされている現状であるとして、坂本氏は述べます。

「ロバート・モンローがヘミシンクを開発して、ある程度はシステマチックに死を超えた先を自分で体験できるようなアプローチを作りましたが、それがさまざまなメディアを通じて伝播されているのが、唯一の救いです。ヘミシンクを使えば、ギリシャ時代から懸案となっている『死後世界の問題』がはっきりするわけです。あとはもう少し、実験データというか現象を検証したデータが蓄積されると、より多くの人の理解度が高まります。その結果、常識として受け入れられるようになります」



ただし、向こう側の世界は夢と同じで、それぞれの人が自分の体験を通して知るという状況だとか。坂本氏は、夢について次のように述べています。

「夢というのはみんなが見ますから、誰も夢が存在することを否定しません。

夢というのは存在する、それと同じで、死後世界もみんなが体験すれば『存在するんだ』と納得します。科学という意味での証明にはならないかもしれませんが、皆が何らかの方法で死後世界を自分で体験し、死者と会って話をしたとか、すると死後世界の実在が当たり前になります。すると何が起きるか?

答えは、死に対する恐怖の激減です。これが大きな目的じゃないかなと思うのです」

これは、一種の社会貢献に当たるというのです。正直言って、本書における坂本氏の発言のすべてに納得したわけではありませんが、この「死に対する恐怖の激減」こそは社会貢献であるという考え方には大いに共感しました。


2012年8月20日 一条真也

2012-08-19

『人は死なない。では、どうする?』

一条真也です。

今年のお盆は終わりました。でも、死者はつねに生者とともにいます。

『人は死なない。では、どうする?』矢作直樹・中健次郎著(マキノ出版)を読みました。

「東大医学部教授と気功の泰斗の対論」というサブタイトルがついています。

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東大医学部教授と気功の泰斗の対論



本書は、「勇気の人」こと矢作直樹氏から贈呈された本です。

本書の著者の1人である矢作氏はブログ『人は死なない』で紹介した本の著者でもあります。もう1人の中氏は、気功家で鍼灸師だそうです。

本書の帯には、「静かで実直な魂に響く対話。目に見えない世界を深く感じました」という作家・田口ランディ氏の推薦の言葉が掲載されています。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

はじめに「混迷の時代を生きるヒントにしてほしい」(矢作直樹)

第一章:生とは何か? 死とは何か?

(コラム)気にしないことが最善の健康法

第二章:病気とは何か? 老いとは何か?

(コラム)自分の体に耳を傾け、少食を実践

第三章:人は死んだら、どこへ行くのか?

(コラム)76キロでメタボだったのが、今は58キロ

第四章:見えないものの世界

(コラム)気功と瞑想――実践するためのヒント

終わりに「否定も肯定もせず、あるがままを愛してください」(中健次郎)



本書は対話集ですが、矢作氏の「気にしないことが最善の健康法」というコラムが興味深かったです。コラムの冒頭で、矢作氏は次のように書いています。

「老いとはなんでしょうか。これに対する私の見解は、『死に対する準備期間』ではないかというものです。もしも仮に、人生のピークが80歳だったとすれば、80歳になって死期が近いといわれても、それに納得して死ねるかたは少ないでしょう。

実際は、20歳前後をピークとして、体のさまざまな機能がゆるやかに衰えていきます。これはつまり、少しずつ死への心構えを育てることにもなるわけです。こうした意味でも、人間というのは、よく作られたものなのです」

また、同じコラムの最後は、次のように書かれています。

「私の健康法を強いて挙げるなら、『極力気にしないこと』ということになるでしょう。『老いたらどうしよう?』『ハゲたらどうしよう?』といったことでは、いっさい思い悩まないことが肝心です。いつだったか、私があまりに服を持っていないので(いい服を着たいという欲求がまるでないのです)、知人からひどくあきれられ、驚かれたことがありました。最近、よく感じることですが、物への執着をなくせば、ストレスというものはびっくりするほどへるものです。老いへの執着にとらわれず、すなおに受け入れることが、ある意味でほんとうのアンチエイジングなのかもしれません」



また、次のような矢作氏の古神道に関する発言も興味深いです。

古神道の1つで、白川伯王家、あるいは、通称伯家により伝えられてきた『伯家神道』と呼ばれる神道があります。白川伯王家は、神祇伯として神拝作法の伝授や神職免許の授与を行い、伝統的な宮中祭祀や特殊な神事・神法を担い、その作法や行事を伝承してきました。この中で、特殊神事として密かに継承されてきたものが、『祝之神事』と呼ばれるものです。『祝之神事』は、皇太子が天皇に践祚されるときに、神と天皇が不二一体になられる非常に重要な神事だといわれています。一説には、明治天皇は、そうやって得た霊力によって多くの人間のスピリチュアル・ヒーリングを行ったともいわれています。明治の元勲たちが明治天皇に心酔していたのはそのためだともいうんですね」

明治天皇がスピリチュアル・ヒーラーだったとは初耳ですが、天皇家とも関わりの深い矢作氏の言葉であるだけに重みがあります。



矢作氏は、次のように葬儀や供養についても発言しています。

「こちら側の人間は供養を捧げたり、亡くなった人に感謝の気持ちを持ったりすれば、じゅうぶんなのではないかと私は思います。感謝の気持ちは、必ずあの世の家族にも伝わりますから。後は、こちら側で元気に暮らしているのがいちばんです。向こう側にいる人も、それをなによりも喜ぶのです」



本書では「死」そのものについても大いに言及されていますが、「死の恐怖は、向こう側へ気安く飛ばないための安全弁」として次のように語られています。

【矢作】 死が怖くなかったら、大変なことになります。人間のような未熟な意識の場合、もしも死んだ後、どうなるかということがはっきりわかってしまったら、浅薄な結論に飛びつく人が大量に出現するのではないでしょうか。例えば、善良に生きて死んだ後、だれでも天国へ行けるとわかったら、未熟な意識は、このめんどうな生にさっさと見切りをつけて、どんどんあの世へと行ってしまうおそれがあるんですね。

【中】 確かにそうですね。いかにもありそうな話です。

【矢作】 つまり、死への恐怖というのは、ある意味では、私たちが向こう側へ気安く飛ばないようにする安全弁のような働きをしていると思うんです。この肉体というものは、非常にうまくできている。人間の脳はすばらしいというけれど、しかし、脳も、また、もっと高い存在から見れば、非常に出来が悪いわけです。その出来の悪い脳のフィルターを通して、私たちはすべてを見ている。



本書の中で、中氏は多くの神秘家あるいはオカルティストについて語っています。

中でも驚いたのは、中氏はかのサイババの超能力を今でも信じていることでした。

サイババについては、ブログ「サイババ死す」で詳しく書きました。「終わりに『否定も肯定もせず、あるがままを愛してください』」で、中氏は次のように述べています。

「私は、自分が過去に出会った何人かの聖人や覚者についてふれています。しかし、会話が進み、矢作先生の仕事ぶりや人柄、考え方を深く知るにつれ、私の目の前にいるこの矢作先生こそ、寡欲で執着心のない賢者であり、里の仙人なのだという思いが強まっていきました。今も、その気持ちは変わっていません。こういうと、矢作先生はきっと謙遜して、首を振って否定なさるに違いありませんが」



わたしは、矢作氏に実際にお会いしたことがあります。

ブログ「矢作先生との再会」に書いたように、つい先日もお会いしました。

わたしも、「寡欲で執着心のない賢者」や「里の仙人」という表現には大賛成です。

矢作氏と話していると、不思議と魂が浄化される気がします。

本書は、東大医学部教授でありながら「人は死なない」という真実を堂々と語る「勇気の人」こと矢作直樹氏の人となりを知る最適の一冊であると言えるでしょう。


2012年8月19日 一条真也

2012-08-18

先祖に見守られて

一条真也です。

今日の午後、サンレーの社長室に大型郵便が届きました。開封すると、東京都民銀行・とみん経営研究所が発行する「とみん経営ビジネス21」の最新号が入っていました。

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「とみん経営ビジネス21」No.284号の表紙



この雑誌には、わたしのインタビュー記事が3ページにわたって掲載されています。

もともと、「世間師」こと清家遊歩さんの紹介でお受けしたインタビューでした。

タイトルは、「先祖に見守られ支えられる生き方」です。

その中で、わたしは「自分の葬儀をイメージしてみましょう」「遺された人が、迷わないために」「先祖と共生してきた日本社会」などのテーマで発言しています。

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「とみん経営ビジネス21」No.284号より



拙著『葬式は必要!』『ご先祖さまとのつきあい方』(ともに双葉新書)の内容をベースにしたインタビューとなっています。そう、お盆のシーズンにぴったりですね。

この「とみんビジネス」最新号は、お盆に入る直前に刊行されました。

そして、東京都民銀行の顧客のみなさんに広く配布されたそうです。

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「とみん経営ビジネス21」No.284号



無縁社会」が叫ばれ、血縁が崩壊しつつある今こそ、日本社会のモラルをつくってきたはずの「先祖を敬う」という意識を復権しなければなりません。わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちに他なりません。

その流れを意識したとき、何かの行動に取りかかる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは次のように考えるのです。

「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」

「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」

こういった先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。いま、わたしたちに必要なのは先祖を意識し、先祖とくらす生活です。

別に、ことさら特別なことをすることではありません。

日常生活の中で、「先祖とつながっている」ことを意識してほしいということです。




インタビューの最後に、わたしは次のように言いました。

「あなたの『おくりびと』になってくれるのは、血縁、地縁をはじめとした様々な縁でつながった人たちです。今こそ、これらの絆をもう一度強く結び直し、安心して老いることができる社会、安心して死ぬことができる社会、そして安心して葬儀があげられる社会、そんな『有縁社会』を実現するお手伝いを、私はしたいと思っています」

東京は血縁・地縁の希薄化、つまり社会の「無縁化」が日本で最も進行しているとされます。このインタビュー記事を読んだ方が1人でも多く、「葬儀」や「先祖供養」の意義や重要性を知っていただければ嬉しいです。


2012年8月18日 一条真也

秋季例大祭

一条真也です。

今朝、松柏園ホテルの顕斎殿で秋季例大祭を行いました。

わたしは、参列者を代表して玉串奉奠しました。

参列者のみなさんの健康・幸福、それから社業の発展を祈願しました。

この秋季例大祭でいよいよ秋の訪れを感じるはずですが、現実にはまだまだ暑い日が続いていますね。いやはや、「秋は遠し」といった感じです。

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秋季例大祭のようす

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朝粥会のようす


それから、参列者全員で朝粥会を開きました。

佐久間進会長の挨拶に続き、戸上神社の是則宮司による音頭で、食事がスタートしました。社長のわたしが言うのも何ですが、松柏園のお粥は非常においしいです。

塩鮭、明太子、玉子焼き、ホウレン草のおひたしなどをおかずに、みんな黙々とお粥をすすっていました。「共食信仰」という言葉がありますが、社員のみなさんと一緒に食事をすると、「こころ」が一つになるような気がします。

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平成心学塾」のようす

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「霊」と「礼」の話を中心に話しました



朝粥会の後は、「平成心学塾」を開催しました。

今日は、ブログ「怪力乱神を語り、無記に反す」で述べたような死者の霊に関する話などをしました。まずは最近、お手紙と著書を送って下さった池田邦吉さんという方についてお話しました。池田さんは、日本を代表するノストラダムス研究家だそうです。

大晦日のビートたけしのオカルト特番などによく出演されています。

東日本大震災の後、東京から小倉へ移住されたそうです。

最近、身内の方の葬儀をわが社の沼紫雲閣で行われたそうですが、故人が入ったお棺のもとに神々が集結して光り輝いておられたとか。葬儀の場面というのは、神々が集う神聖な瞬間であると著書『神様がいるぞ!』(明窓出版)に書かれていました。

お手紙には、わたしの正体がイザナギ神の分霊であり、今回で6回目の生だとも書かれていました。池田さんはあの船井幸雄氏とも共著を数冊出されており、その本も贈呈して下さいました。このような方が小倉におられるとは知らず、非常に驚きました。


また、ブログ「礼なき国々」で述べた韓国や中国における「礼」の不在の問題、さらには国際社会の中での日本の針路などについて話しました。

大津のいじめ事件ではありませんが、日本が国際社会のいじめられっ子にならないためにも、現政権は毅然とした対処を取る必要があります。

みんな、わたしの話に何かを感じたようで、一心不乱にメモを取っていました。

平成心学塾」を終えた後は、採用面接、会議、訪問者との面談などをこなしました。

一息ついてホテルの外に出ると、まぶしい陽射しが照りつけてきました。

やはり、まだまだ秋は遠いようです。


2012年8月18日 一条真也

「スライヴ」

一条真也です。

映画「スライヴ(THRIVE)」を観ました。タイトルは「繁栄」という意味です。

ブログ「矢作先生との再会」に書いたように、東京大学医学部教授の矢作直樹先生に先日お会いしましたが、そのときにこの映画の話題になりました。

わたしはDVDを持ってはいましたが、未見でした。ようやく、この盆休みに観ました。

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スライヴ」のDVD



DVDのパッケージには、片目を包帯で覆われた女性の顔が描かれています。

なんだかブログ「アイズ」で紹介したような眼球にまつわるホラー映画のようにも思えますが、そうではありません。「スライヴ」は世界を支配している陰謀について暴露するという、いわゆるドキュメンタリー映画です。パッケージの顔は、片目を包帯で覆われたのではなく、両目を覆われていた包帯を解かれたのでした。

目隠しされていた彼女は、少しづつ真実を見つめ始めたわけです。



アマゾンのDVD「スライヴ」のページには、次のような内容紹介があります。

「今、世界は目覚めようとしている 。

人類史上最大の陰謀を暴く、衝撃のドキュメンタリー!

環境破壊、飢餓、戦争、天災、そして経済破綻と、次々に世界を襲う危機は、とどまることがない。これらの危機に対し、人類はなんら有効な解決策を手にすることができていない。しかし本当に何も手立てがないのだろうか?

はたして、我々は常に真実を知らされているのだろうか?

グローバル企業、P&G(プロクター・アンド・ギャンブル)社の創業一族の息子 として生まれ育ったフォスター・ギャンブルは、若き日にそのような疑問を抱く。彼は、実業家になる道を捨て、科学者となり、この問題解決の追及に生涯を費やす決心をする。長い探求の旅の果てに彼が見つけ出した真実は、メディアでは絶対に語られることのない、

全ての人類を支配する驚愕すべきシステムの存在だった。あらゆる産業、農業、医療、経済、軍事、マスコミにまで及ぶ、完璧とも言える支配体制が世界規模で構築されていた。この支配の真の姿を白日のもとに晒し出し、人類を解放し、真の繁栄(THRIVE)を奪還するため、彼は私財480万ドルを投じ、本作『THRIVE』を製作した。

2011年11月11日「リセットの日」に、『THRIVE』は全世界に向けて公開された。

その衝撃と感動は大きなうねりとなって、全人類へと確実に広がっている」



また、《日本の皆さまへ》として、映画の制作者であるフォスター・ギャンブル氏が以下のようなメッセージを送っています。

「3・11東北関東大震災と福島原発事故から1年が過ぎた今、映画スライヴの製作チーム、妻のキンバリーと私は、健康、環境そして経済における逆境、史上無比な惨事に瀕して立ち向かう皆さま方の尽力を想い、皆さまがたが身を以て示された勇気を心から讃えます。そして、原子力を否認するため立ち上がってくださったことに感謝しています。

人類がクリーン・エネルギーへと転向して行くために、また、エリートたちによる破滅的な中央集権銀行システムから脱していくうえで、日本が世界の手本となるために、この作品が少しでもお役に立ちますよう願っています。合気道が、私の人生に多大な影響を及ぼしたように、今、あなた達が示してくださるお手本を通して、世界中の人々もまた日本から多く学ぶことでしょう。映画スライヴが、今日の日本の皆さまのためになればと願っています。私たち万人のため、そして互いの子孫のために皆が望む、真に繁栄し合う世界を共に構築して行きましょう」


現在、YouTubeにおいて「スライヴ」全篇が日本語で視聴できます。(上の動画)

また、英語での「THRIVE公式サイト」あるいは日本語での「THRIVE MOVEMENT in Japan」でも無料視聴することができ、さらに詳しい内容を知ることもできます。 



日本人に向けられたフォスター・ギャンブル氏のメッセージには「クリーン・エネルギー」という言葉が登場しますが、これは「フリーエネルギー」のことです。

新刊『死ぬことが怖くなくなるたったひとつの方法』(徳間書店)で、矢作先生は「フリーエネルギーを利用する未来もあるかもしれない」として、次のように述べています。

「アメリカの企業プロクター&ギャンブル社のギャンブル家の御曹司フォスター・ギャンブルが制作した衝撃の映画『THRIVE(スライヴ)』では、フリーエネルギーについて詳細に報告されています。このフリーエネルギーを利用できれば誰でもどこでも電力を得られます。このフリーエネルギーの流れの形をトーラスと言い、このトーラスはベクトル平衡体という骨格構造を呈しています。宇宙や原子などの自立的に運動しているものは皆この形です。そしてこれらの構造はエジプトのオシリス神殿の壁、紫禁城の唐獅子の乗る球、現在時々畑に出現する謎のミステリーサークルなどにも見られます。

この映画では、この素晴らしいフリーエネルギーが普及できない理由として完全な世界支配を企てている国際銀行家たちの存在に勇気を持って言及しています。

彼らにとって世界支配のための方便であるエネルギーが誰でもどこでも自由に得られては具合が悪いからです。しかしこれからは万難を排してこの方面の研究を進めていかなければならなくなるでしょう」



スライヴ」を観たわたしの感想は、「大変な労作だ」と思いながらも、その内容に関しては、正直言って「すべてが真実ではないが、すべてが嘘でもない」です。

ブログ『陰謀論にダマされるな!』ブログ『世界の陰謀論を読む』ブログ『陰謀史観』にも書いたように、わたしはいわゆる「陰謀論者」に対しては批判的な見方を持っています。その点、この「スライヴ」では、世界支配を企む陰謀集団の頂点を「イルミナティ」としており、そこには落胆しました。また、古代文明の由来を安易に地球外生命に求めたり、爬虫類人類(レプティリアン)の実在を被害妄想的に唱え続けるディヴィッド・アイクのインタビュー映像を何度も流すことにも違和感を感じました。

ただし、「トーラス」についての説明、世界の金融システムの仕組みなどの解説は、じつに見事であると思いました。金融の解説など、そのへんの経済番組でのエコノミストの解説などよりもずっとわかりやすく、本質を衝いています。

もちろん、安易に陰謀論に組することは避けなければいけません。

しかし、「陰謀論の中には必ず真実がある」と主張する人もいます。

作家の五木寛之氏などもその1人で、ブログ『下山の思想』で紹介した本の中で、五木氏は「真実は必ず一種の怪しさを漂わせて世にあらわれる」と述べています。


最後には、合気道の開祖である植芝盛平が登場したので、驚きました。

なんでも、フォスター・ギャンブル氏は合気道をたしなんでいるそうです。

同氏は合気道を「暴力に拠らない現代武術」として紹介し、「合気道は世界支配勢力に対して効果的で非攻撃的な対処をする上で強力な指針となります」と述べます。

植芝盛平は、「合気道を実践するには、原子や銀河の動きを真似なければならない」と教えたそうです。フォスター・ギャンブル氏は、非暴力を実践したガンジーやキング牧師の名を挙げながら、「世界支配勢力に対しては攻撃的であってはならない。そうすれば、相手の警察機能を強化するだけで逆効果である」として、モラル的にも戦略的にも「非攻撃的」が重要であると訴えます。


合気道といえば内田樹氏の顔が思い浮かびますが、大阪市の橋下徹市長との確執が話題になりました。内田氏が、理想の行政を合気道道場の経営になぞらえて発言したことが橋下市長の逆鱗に触れたのです。

その後、橋下市長はツイッターや記者会見で著者を批判しています。

でも、内田氏の言いたかったのは単なる行政のモデルとしてではなく、フォスター・ギャンブル氏の言う合気道の本質だったのかもしれないなどと思いました。


フォスター・ギャンブル氏の目指す社会は、わたしが『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で描いた社会とも共通する部分が多いと感じました。みなさんは、この驚愕のメッセージに満ちたドキュメント映画「スライヴ」をどのように見るでしょうか?

特に、ゴアの「不都合な真実」を観てショックを受けた方は、ぜひ御覧下さい。

きっと、あの映画を遥かに超える衝撃を受けることでしょう。


2012年8月18日 一条真也

2012-08-17

「ヒミズ」

一条真也です。

日本映画「ヒミズ」をDVDで観ました。

ブログ「園子温の世界」で紹介した映画監督の最新作です。

また、ブログ『ヒミズ』で紹介したコミックの映画化でもあります。


この作品のストーリーについては、アマゾンに次のように紹介されています。

「住田祐一、茶沢景子、『ふつうの未来』を夢見る15歳。

だが、そんな2人の日常は、ある“事件”をきっかけに一変。

衝動的に父親を殺してしまった住田は、そこからの人生を『オマケ人生』と名付け、世間の害悪となる“悪党”を殺していこうと決めた。

自ら未来を捨てることを選んだ住田に、茶沢は再び光を見せられるのか ──」



非常に期待して観た作品ですが、正直な感想は「うーん、園子温に原作ものは合わないかも」です。もちろん、コミックをそのまま映像化しているわけではなく、いろいろと改変を加えています。その最たるものは、物語の舞台を被災地に変えていることです。

原作と無関係の東日本大震災を絡めるということに関しては賛否両論あったようですが、わたしは失敗だったと思います。何よりも安易なヒューマニズム映画という色を帯びてしまい、園監督が持つ「毒」を活かせなませんでした。

また、ラストも180度変わってしまい、まったく違う物語になってしまいました。



ラストの改変も東日本大震災をからめた結果ですが、これは個人的には良いのではないかと思いました。特に、最後に「頑張れ」という言葉が主役の2人から連発されます。これは、園監督らしい捻りの効いたメッセージではないかと思いました。

というのも、あの震災で最も悪く言われたのが「頑張れ」という言葉だったからです。

被災者に向かって「頑張れ」と声をかけることは上から目線の悪行のようにさんざん言われました。特にインテリ層にそのような人々が多かったですね。

しかし正直言って、わたしは違和感を抱いていました。「人を励ましたり、応援したりするのに、素直な心で『頑張れ』といって何が悪いの?」と思ったのです。

「頑張れ」という言葉をタブーにすることは、サザンオールスターズの「TSUNAMI」を封印歌にするような一種の言葉狩りの匂いを感じていたのです。そのわたしと同じ思いがあったのかどうかは知りませんが、ラストで震災の瓦礫のシーンを流しながら、これでもかとばかりに「頑張れ」という言葉を流した園監督には大いに共感しました。


それでも、園監督は実在の事件にインスパイアされるのはいいけれど、原作ものは似合わないと思います。原作を読んだ者にとって、大胆な改変が気になって、作品に集中できないのです。この映画に関しては、古谷実の漫画のほうが勝っていると思います。

主演の2人は、文句なしに素晴らしい演技でした。染谷将太と二階堂ふみは、第68回ヴェネチア国際映画祭で日本人初の快挙となる最優秀新人俳優賞(マルチェロ・マストロヤンニ賞)をがダブル受賞しました。余談ですが、染谷将太は元・男闘呼組高橋和也、二階堂ふみは宮崎あおいによく似ていますね。

中学生の役を演じた2人ともまだ若いので、今後の活躍が楽しみです。

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ヒミズ」のDVD


主演2人の周りは、渡辺哲、吹越満、神楽坂恵、光石研、渡辺真起子、黒沢あすか、でんでん、村上淳といった個性派俳優たちが固めていました。

さらに窪塚洋介、鈴木杏が初めて園作品に参加した他、過去の作品で高く評価された吉高由里子、AAAの西島隆弘が再び参加しています。

なかなかの豪華キャストですが、直前に観た「冷たい熱帯魚」に出演していた渡辺哲、でんでん、吹越満、神楽坂恵、黒沢あすからが軒並み勢揃いしていたので、ちょっと引いてしまいました。特に「冷たい熱帯魚」で夫婦役を演じた吹越満と神楽坂恵が再び夫婦役で登場というのは「いかがなもの」でしょうか。

どうしても前作の印象が強すぎて、新作を観るときの邪魔になってしまいます。

あと、この映画は130分の長さですが、特典ディスクにはまだまだ未公開シーンがたくさん収められていました。その中には、どうしてもカットしてはならないシーンもあるように感じました。東日本大震災がらみのヒューマン・ムーヴィーに仕上げるために泣く泣くカットしたのかもしれませんが、いくつかの未公開シーンが復活すれば、狂気をプンプン感じさせるいつもの園ワールドに近くなると思います。

ぜひ、園子温監督によるディレクターズ・カットの完成版を観てみたいです。


2012年8月17日 一条真也

2012-08-16

礼なき国々

一条真也です。

尖閣諸島の魚釣島に自称中国籍の活動家が上陸し、入管難民法違反容疑で男14人が逮捕されました。先日は、日本政府の中止要請を無視して、韓国の李明博大統領が竹島に上陸しました。言うまでもなく尖閣諸島および竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ 国際法上も明らかに日本固有の領土です。

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「朝日新聞」8月16日朝刊



それにしても、平和の祭典であるオリンピックが終わったと思ったら、それと同時に領土問題が深刻化するとは、本当に嫌な世の中です。

サロンの達人」こと佐藤修さんが「竹島問題」というブログ記事で、「土地を私的所有するという発想になじめない私としては、領土問題もまた、なかなか理解できません。すべての土地は、地球からの借り物であり、所有地といえども所有者の勝手にはできないと私は思っています」と書かれていますが、わたしも同感です。

しかし、それはそれとして、他国の領土に勝手に足を踏み入れる行為は許されません。

消費増税法の成立、原発再稼動なども重要な問題かもしれませんが、自国の領土に勝手に上陸されることは一大事です。中国の外務省は、丹羽宇一郎大使を呼び出して「即時の無条件釈放」を要求したといいます。まさに、言語道断です。


逮捕された人々は「法」に反したわけですが、それ以前に「礼」に反しています。

韓国大統領の一連の発言も、明らかに「礼」を欠いています。

ブログ「礼とは何か」にも書いたように、「礼」とは、2500年前の中国の春秋戦国時代において、他国の領土を侵さないという規範として生まれたものだとされています。

その「礼」の思想を強く打ち出した人物こそ孔子です。

そして、逆に「礼」を強く否定した人物こそ秦の始皇帝でした。

それは、始皇帝は自ら他国の領土を侵して中国を統一する野望を抱いていたからです。

彼は『論語』をはじめとする儒教書を焼き払い、多くの儒者を生き埋めにしました。

世に言う「焚書坑儒」です。人類史上に残る愚行とされています。

しかし、始皇帝が築いた秦帝国はわずか14年間しか続きませんでした。

しょせんは「人の道」を踏み外した人間の作った国など、長続きしなかったのです。



残念ながら現代の中国には「礼」のかけらもありません。

それを痛感したのが、2004年のサッカー・アジア杯における日本戦での中国人サポーターたちの態度です。相手国の国歌斉唱時の際にブーイングをしたり、国旗を焼くなどの傍若無人のふるまいは、「非礼」「失礼」「無礼」千万でした。

また、ブログ「非礼にも程がある」に書いたように、2011年9月に韓国・全州で行われたACL準々決勝・全北現代モータース―セレッソ大阪戦では、全北サポーターが「日本の大地震をお祝いします」と日本語で書かれた横断幕を掲げ、東日本大震災で被災した日本を侮辱しました。信じられない暴挙と言えるでしょう。


本来、韓国という国は世界で最も儒教が生きている国です。

孔子孟子を生んだ中国などよりも、ずっと儒教思想が根づいています。

つまり、世界で最も「礼」を重んじる国のはずなのに、本当に残念です。

儒教は中国で生まれ、朝鮮半島を経て、日本へと伝わりました。

現在、わたしは大学の客員教授として「孔子研究」の授業を担当しています。

大勢の学生の中には、中国や韓国からの留学生もたくさんいます。日本人のわたしが、中国人や韓国人である彼らに「礼」を説いているわけです。そのことの意義の重大さを改めて痛感しました。わたしが教えた留学生たちが、中国や韓国に帰って「礼」の思想を広めてくれる。これこそ、「天下布礼」そのものであると思っています。

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金澤小蘭「天下布礼



ブログ『2022年――これから10年、活躍できる人の条件』で紹介した本の中で、著者の神田昌典氏は日本・韓国・中国を含めた東アジア全体が、これから10年は大きく成長していくと訴えました。神田氏は、東アジアの国々には「儒教国」という共通点があるとして、次のように述べています。

「儒教とは、キリストに先立つこと500年前に生まれた、孔子を始祖とする思想体系。

儒教には四大書籍があるが、孔子の言葉を集めた『論語』は最も知られている。

この論語を生活の規範として、共通に持っている国々が東アジア地域に集まっている。

マクロヒストリーを専門とするローレンス・トーブ氏は著書『3つの原理』(邦訳・ダイヤモンド社)で、この儒教を共通に持つ東アジアの国々が、儒教経済圏を形成し、21世紀前半における世界のリーダーになるだろうと予想している。この儒教経済圏は、日本、中国、朝鮮で構成される。『中国』には、中国、台湾、香港、マカオ、『朝鮮』は韓国と北朝鮮を含むと定義されている。これらの国々は、仲が悪いように見えて、実は、世界から見れば、似たもの同士。文化的にも人種的にも思想的にも、ほとんど区別できない」



ローレンス・トーブの『3つの原理』は、わたしも読みました。

著者が監修をした本ですが、「儒教経済圏」という考え方が非常に新鮮でした。

たしか、この本は内田樹氏も注目していましたね。

さて、著者は「儒教経済圏」について次のように述べています。

「この儒教経済圏が求心力となり、東南アジア諸国を含めた市場が拡大していくから、おそらく2025年頃、遅くとも2033年頃までには、EUと似たような経済圏を、実質的に形成していくだろう。私は、この経済圏を、アジア・ユニティ(AU)と呼んでいる。総人口は20億人を超える。しかも世界で最も成長率が高い国々が連携をとるわけだから、おそらく、その時点で世界は、アジアを中心に再編成されると言ってもいい。なんといってもEUの人口は約5億人。アメリカは3億人しかいないのだから」

たしかにAUが成立して力を持てば、その人口数や経済成長性からいっても世界最大の勢力となるでしょう。そして、その根底には儒教があり、孔子がいて、『論語』がある。

ローレンス・トーブゆずりの神田氏のこの予言には、わたしは全面的に賛成でした。

しかし、ここ最近の国際情勢を見ると、そんなに楽観的にもなれません。

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中国人にも韓国人にも「礼」の心があるはず



礼を求めて』(三五館)で、わたしはさまざまな角度から「礼」について書きました。

もともと、中国人や韓国人には「礼」の心があるはずです。しかし、現在の中国や韓国は「礼なき国々」と呼ばれても仕方がありません。それでも、中国人や韓国人の「こころ」に儒教的思想のDNAがあるなら、何とかならないものか。

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さらなる「天下布礼」の必要性を感じます



社団法人・世界孔子協会も何らかの役割が果たせないか。

わたしは、いま、そのようなことを考えています。

今年、孔子文化賞を授与された者として、真剣に考えています。

旧約聖書』という同じ啓典を心のよりどころにしながらも、憎み合い、殺し合うようになったユダヤ教・キリスト教・イスラム教の信徒の歴史を考えると、『論語』を心のよりどころにする中国人・韓国人・日本人が同じ道をたどらないように祈るばかりです。

論語』が再び三国の人々の「こころ」をひとつにしてくれますように・・・・・。

わたしは、さらなる「天下布礼」の必要性を感じています。


2012年8月16日 一条真也

園子温の世界

一条真也です。

ロンドン五輪も閉幕し、この盆休みはDVDばかり観ました。

これまで買い置きしていたDVDを固めて観ているのです。

園子温監督の映画を3本続けて鑑賞しましたが、完全に園子ワールドにハマりました。

愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「恋の罪」の3本ですが、いずれも大傑作でした。

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DVD化された園子温監督の作品



園監督は1961年、愛知県豊川市生まれです。

映画監督の他にも、脚本家、詩人、パフォーマーなどの顔を持っています。

特に、詩人としての才能は高く評価されており、17歳で「現代詩手帖」や「ユリイカ」などに投稿し、「ジーパンを履いた朔太郎」と呼ばれたそうです。

もちろん映画監督としての才能も非凡で、1987年に「男の花道」で「ぴあフィルムフェスティバル」グランプリを受賞します。また、ベルリン国際映画祭の正式招待作品になった「自転車吐息」をはじめ、次々に問題作を発表して、90年代のインディーズ系映画界を席巻しました。それらの作品は、横尾忠則、荒木経惟、麿赤児、吉本ばなな、荒川眞一郎といった著名な文化人たちによって絶賛されました。

園監督は日本における「インディーズ映画」の代名詞的存在になりました。

しかし、2001年以降はメジャー映画会社とも手を結び、これまた問題作を連発して、国際的にも高い評価を得ます。2008年の「愛のむきだし」では、ベルリン国際映画祭の「国際批評家連盟賞」「カリガリ賞」を受賞しました。


愛のむきだし」は、4時間近い大長編です。

なんと開始から1時間半ぐらいしてからタイトルバックが出てきます。

映画史上最長のイントロだと言えるでしょう。

しかし、この長い映画を、わたしはまったく飽きずに一気に観ました。

いやあ、こんなに感動した作品は久々です。荒唐無稽といえば荒唐無稽な話なのですが、「宗教」と「愛」の本質を見事に描いています。

主演は、AAA(トリプルエー)の西島隆弘と満島ひかりですが、どちらも素晴らしい演技力でした。特に、浜辺で満島ひかり扮するヨーコが西島隆弘扮するユウに向かって『新約聖書』の「コリントの信徒への手紙」第13章・愛の賛歌を絶叫するように暗唱するシーンが圧巻でした。満島ひかりの主演作では「カケラ」も最近観たのですが、本当に演技力が半端ではありませんね。日本映画では、大竹しのぶ、松たか子らに続く実力派女優だと思います。また、ミュージシャンの西島隆弘クンも俳優としての才能を惜しみなく発揮していました。この映画を観て、わたしは2人のファンになりましたね。

安藤サクラ、渡辺真起子、渡部篤郎といった助演陣も良かったです。


2011年の「冷たい熱帯魚」も凄い映画でした。第67回ヴェネチア国際映画祭、第35回トロント国際映画祭にも出品され、世界で絶賛されました。

一言でいうと、スプラッタームービーを超えた血みどろの犯罪映画です。

クエンティン・タランティーノ北野武の作品も連想させますが、彼らの世界をも突き抜けた、もう手加減なしの猛毒エンターテインメントと言えるでしょう。

殺した死体を切り刻むシーンなど、この作品が映画史上最もリアルではないでしょうか。

主演は吹越満で、でんでん、黒沢あすか、神楽坂恵、渡辺哲らが出演しています。


そして、2011年には「恋の罪」も公開されています。

第64回カンヌ国際映画祭監督週間に正式出品されました。

これもまた、これまで見たこともないような凄い映画でした。

90年代の渋谷・円山町のラブホテル街を舞台に不思議で妖しい物語が展開されます。

水野美紀冨樫真、神楽坂恵という3人の女優が身も心もむきだしの演技を見せてくれます。なお、前作「冷たい熱帯魚」に続いて体当たりの演技を見せてくれた神楽坂恵は、この作品の完成後に園監督と婚約したそうです。



園子温という映画監督は間違いなく天才であると思います。

わたしが続けて観た「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「恋の罪」は、いずれも実際に起きた事件からインスパイアされている点が興味深く感じました。

愛のむきだし」は、「オウム真理教事件」。

冷たい熱帯魚」は、「埼玉愛犬家連続殺人事件」。

恋の罪」は、「東電OL殺人事件」。

以上のように、実在の事件をもとにして映画が作られています。

それも、事件をそのまま再現するのではなく、大きな改変が行われています。

オウム真理教は仏教系の新興宗教を名乗っていましたが、「愛のむきだし」に登場するゼロ教会はキリスト教系です。「冷たい熱帯魚」では、愛犬家ではなく熱帯魚の愛好家が殺されます。「恋の罪」に登場する女性エリートは東電OLではなく、東大と思しき超一流大学の日本文学の准教授でした。

このような改変を済ませた後は、もう遠慮なく異常な世界を描いています。

次に、鬼才・園子温がインスパイアされる実在の事件とは何か。

個人的には、「北九州監禁殺人事件」を取り上げてくれないかと思っています。

北九州市在住の作家である佐木隆三氏も自身のライフワークにしているという前代未聞の猟奇事件ですが、ぜひ園監督に映画化してほしいと思います。

もちろん、舞台は北九州市以外の都市に改変して・・・・・。


2012年8月16日 一条真也

2012-08-15

想像力の旅

一条真也です。

終戦の日」の今日、正午に自宅で黙祷しました。

Uターンラッシュのピークだそうですが、わたしは夏休みはずっと自宅にいます。

どこにも行かずにDVD三昧で、買い置きしていたいろんな作品を観ました。

話題になった「ピラミッド 5000年の嘘」も、やっと観ることができました。


「ピラミッド 5000年の嘘」公式サイトでは、以下のように内容が紹介されています。

「世界4大文明の一つ、古代エジプト文明の象徴として世界中の人々がその存在を知るギザの大ピラミッド。これは紀元前2700〜2500年代に建造されたと伝えられているピラミッドの中でも最大規模を誇り、クフ王の墓として知られている。しかし、私たちが今まで教えられ、学んできたこの常識が、すべて“嘘”だったとしたら・・・・・。

本作は、ギザの大ピラミッドに関して37年間にも渡る調査と研究を実施、6年間徹底的に検証して“真実”を導き出した物語であり、突飛な仮説に基づく夢物語ではない。

検証は考古学だけにとどまらず建築・物理・地質・数学・気候学・天文学など、多方面から冷徹な科学の視点で行われ、各々の分野の第一級の専門家の数々の驚くべき証言が、これまでの常識の無理、不合理を追及し、突き崩し、まったく新たなピラミッド像を浮かび上がらせる。人類史上最大の『嘘』を暴き、文明進化の歴史さえも覆してしまう本作の発表は、ピラミッドをめぐる学説の真偽に世界の注目が集まっている中で、強い衝撃と多くの論争を巻き起こそうとしている」

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「ピラミッド」と「イースター島」のDVD



ブログ「古代エジプト展」にも書いたように、わたしは古代エジプト文明に非常に興味があります。これまで何度もエジプト訪問を計画しましたが、そのたびに直前に現地でテロ事件は発生して、家族や社員に止められ、泣く泣くエジプト行きを断念しました。

そんなわたしにとって、「ピラミッド 5000年の嘘」は興味深い内容でした。

ただ、そこで語られている驚愕の事実なるものは、すでに知っていることばかりでした。

オカルト的にも、特に新しい情報はなかったように思います。グラハム・ハンコックの『神々の指紋』やアンソニー・ウエストの『天空の蛇』などと内容が重なっています。

ピラミッドが現代人類にメッセージを残しているという点は同感ですが、マヤ暦による人類滅亡の年に当たる2012年に向けて商業的に作られた印象もありました。



ただ、この「ピラミッド 5000年の嘘」を観たことによって、わたしのロマン魂に火がつき、続けて日経ナショナル ジオグラフィック社のDVD「イースター島 文明崩壊の謎」を観ました。絶海の孤島イースター島には「モアイ」という謎の巨石文明が花開きました。この島の地下洞窟から明らかになる緑あふれる楽園の繁栄と崩壊のドラマはスリリングで、感銘を受けました。いわゆる宇宙人がモアイ像を作ったなどのオカルト的要素は一切なく、あくまでも学術的に考察されています。

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「エリア51の真実」と「雪男伝説を追え!」のDVD



「イースター島 文明崩壊の謎」が面白かったので、同じ日経ナショナル ジオグラフィック社のDVDである「エリア51の真実」と「雪男伝説を追え!」も観ました。

「エリア51の真実」のパッケージの裏には次のように書かれています。

「米国ネヴァダ州にある、極秘軍事基地エリア51。

米国政府は公式には存在を肯定も否定もせず、UFOとの関わりすら取り沙汰されたが、最近一部の機密が解禁。関係者がついに口を開いた。

極秘プロジェクトとは何だったのか。エリア51の真実に今、ナショジオが迫る!」

『エリア51』アニー・ジェイコブセン著、田口俊樹訳(太田出版)という本を読んでいたので(もうすぐ、このブログで紹介します)、このDVDの内容もよく理解できました。



また、「雪男伝説を追え!」のパッケージの裏には次のように書かれています。

「ヒマラヤ、北米にそれぞれ伝わるそっくりな『雪男伝説』の謎にナショジオが挑む!

ヒマラヤの“イエティ”と北米の“サスクワッチ”

2本足で歩く、ゴリラに似た大きな生き物は実在するのか?

足跡、頭皮、被害者へのインタビュー・・・・・探検家と科学者が、雪男の謎に迫る!」

これまた、『雪男は向こうからやって来た』角幡唯介著(集英社)という本を読んでいたので(この本も、もうすぐブログで紹介します)、このDVDの内容もよく理解できました。

DVDの最後で、霊長類学者が「イエティもサスクワッチも存在しないという可能性も受け入れなければいけない。でも、存在しないことを証明することは難しい。ある日突然、それらが発見される可能性もある」という言葉には重みがありました。

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「サイエンス・ワールド」のDVDシリーズ



ナショナル ジオグラフィックの番組はいたずらにオカルトに走らず、その一方で未知の世界の可能性を否定しないので好感が持てます。ナショナル ジオグラフィックのDVDといえば、「サイエンスワールド」シリーズがあり、わたしも何枚も持っています。

「アトランティス 消えた大陸」「ピラミッドの神秘」「宇宙からの交信」「地球外生命」「地球移住計画」「月〜MOON〜」「ネス湖 伝説の真実」「バミューダ・トライアングルの謎」「ストーン・ヘンジ」といったタイトルが並びます。

わたしは全作品を観ましたが、特に「ネス湖 伝説の真実」が名作でした。

これらのDVDも久々に観直してみたくなりました。



わたしが小学生の頃、夏休みに学校の図書館から『20世紀のなぞとふしぎ』という本を借りたことがあります。そこには、ネス湖の怪獣、ヒマラヤの雪男、空飛ぶ円盤、イースター島の巨石像、そしてピラミッドの謎などが紹介されていました。

少年だったわたしは、それらの謎をワクワクしながら想像したものです。

今年の夏休み、わたしは4枚のDVDによって、エジプトへ、イースター島へ、ネヴァダ州の秘密基地へ、ヒマラヤの山奥へと想像上の旅をしました。

そして、小学生だった頃へと時間を超える旅をしました。

想像力の旅のおかげで、心豊かなひとときを過ごせたように思います。


2012年8月15日 一条真也

『オカルト』

一条真也です。

8月15日は、67回目の「終戦の日」です。

『オカルト』森達也著(角川書店)を読みました。

著者は、ドキュメンタリー映画監督、テレビ・ドキュメンタリー・ディレクターです。特に「A」や「A2」などのオウム真理教関連のドキュメンタリー映画を製作したことで知られます。

そして、ノンフィクション作家としても多くの作品を書き、やはりオウムについての『A3』(集英社インターナショナル)で講談社ノンフィクション賞を受賞しました。

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現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ


著者は1956年5月10日生まれで、わたしと誕生日が同じですね。ご本人は立教大学の出身ですが、現在、早稲田大学と明治大学の客員教授を務めています。

わたしは、著者が書いたノンフィクションをほとんど読んでいます。

オウムにはじまって、「放送禁止歌」とか「悪役レスラー」とか「死刑」とか非常に興味深いテーマが多く、どれも読み応えがあります。

中でも「超能力」をテーマにした『職業欄はエスパー』(角川文庫)は、わたしにとって特別な一冊です。なぜなら、同書に登場する3人のエスパー(超能力者)のうち、清田益章、秋山眞人の両氏とは親しくさせていただいていたからです。

ブログ『ルポ 現代のスピリチュアル』にも書きましたが、以前、わたしが経営していた(株)ハートピア計画で「超能力」をテーマにした本を企画し、清田益章さん、秋山眞人さん、わたしの3人で鼎談本を作ったことがありました。

東京都港区高輪の泉岳寺に隣接したオフィスで、3人で大いに語り合いました。

その本は残念ながら刊行されませんでしたが、大変なつかしい思い出です。

清田さんは、スプーン曲げの代名詞的存在でした。秋山さんは、UFO呼びや霊視などを得意としていました。この2人に加えて、振り子を使って人の潜在意識を呼び起こして森羅万象の疑問に答えるという「ダウジング」の第一人者である堤裕司さんの3人が『職業欄はエスパー』で取り上げられました。

そして、10年ぶりに刊行された同書の続編が本書『オカルト』です。もともと、「本の旅人」(角川書店)で2008年10月号から2011年5月号まで連載されていた「職業欄はエスパー2」を再編集の上、大幅に加筆修正し、書き下ろし原稿を加えたそうです。



まず、本書は装丁が素晴らしいですね。装画は一見すると横尾忠則風ですが、よく見るとちょっと違います。扉の向こうから光が漏れてくる描写はテーマとも合致して、なかなか味があります。シライシュウコさんの作品だそうですが、いい絵を描かれる方ですね。

帯には、作家の伊坂幸太郎氏が以下のような推薦文を寄せています。

「人間の力を超えた『オカルト』を追う森さんの姿は、とてつもなく人間味に溢れていて、しかも『フェアでありたい』という思いが伝わってくるからか、読んでいてこちらも『頼む! 超能力、成功して!』と祈らずにはいられませんでした。青春小説のように、もしくは、ホームズの冒険のようにも読めて、とにかく面白いのです」

また、黄色い文字で「それは科学か? インチキか? 本当のオカルト(隠されたもの)か??」と書かれ、「講談社ノンフィクション受賞後第1作」となっています。



さらに帯の裏にも、次のように書かれています。

「数年ごとに起きるオカルト、スピリチュアルブーム。

繰り返される真偽論争。何年経っても一歩も進まないように見える世界。

なぜ人は、ほとんどが嘘だと思いながら、この世界から目をそらさずに来たのか? 

否定しつつ惹かれてしまう『オカルト』。――いま、改めて境界をたどる。」

「エスパー、心霊研究者、超心理学者、スピリチュアルワーカー、怪異蒐集家、陰陽師、UFO観測家、臨死体験者、メンタリストetc.に直撃!!」

とにかく、この帯、表も裏も情報満載なのです。

的確に内容が紹介されており、装丁同様に帯も良く出来ていると思いました。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

開演:「でもオレは結局曲げちゃうよ」

   “超能力者”はふてくされたように言った

第1幕:「よく来てくれた。そしてよく呼んでくれた」

    恐山のイタコは語り始めた

第2幕:「現状は、誠実な能力者には不幸でしょう」

    オカルト・ハンターの返信はすぐに来た

第3幕:「僕たちはイロモノですから」

    “エスパー”は即答した

第4幕:「いつも半信半疑です」

    心霊研究者は微笑みながらつぶやいた

第5幕:「わからない」

    超心理学の権威はそう繰り返した

第6幕:「批判されて仕方がないなあ」

    ジャーナリストは口から漏らした

第7幕:「当てて何の役に立つんだろう」

    スピリチュアル・ワーカーは躊躇なく言った

第8幕:「毎日、4時40分に開くんです」

    店主はてらいがなかった

第9幕:「解釈はしません。とにかく聞くことです」

    怪異蒐集家は楽しそうに語った

第10幕:「これで取材になりますか」

     雑誌編集長は問い質した

第11幕:「僕はこの力で政治家をつぶした」

     自称“永田町の陰陽師”は嘯いた

第12幕:「匿名の情報は取り合いません」

     UFO観測会の代表は断言した

第13幕:「今日はダウジングの実験です」

     人類学者は口火を切った

第14幕:「今日の実験は理想的な環境でした」

     ダウザーはきっぱりと言った

第15幕:「あるかないかではないんです」

     超心理学者は首をかしげてから応じた

第16幕:「夢の可能性はあります」

     臨死体験者はそう認めながら話し出した

第17幕:「わからないから研究したい」

     科学者たちは当然のように答えた

第18幕:「僕らは超能力者じゃあありませんから」

     メンタリストはあっさりと言い放った

終幕:パラダイムは決して固着しない。

    だからこそ、見つめ続けたい


本書の冒頭の「開幕」には、清田益章さんが登場します。

著者は少年時代から彼がメディアによって人生を翻弄されてきたとしながら、次のように有名な超能力騒動について書いています。

「日本近代史における超能力は、その発端からメディアと結びついていた。1910(明治43)年9月14日、東京帝国大学福来友吉博士による千里眼(透視)実験が行われた。被験者となったのは、そのころ千里眼の持ち主として巷で大きな評判になっていた御船千鶴子だ。東京帝国大学元総長の山川健次郎が紙片に文字を書いて鉛管に入れ、千鶴子は鉛管の中の文字の透視に成功した。ところがその後に、鉛管の中に入っていたのは山川が文字を書いた紙片ではなく、福来が練習用に千鶴子に与えた紙片であったことが発覚した。鉛管そのものが入れ替わってしまった可能性もある。明らかに実験する側の不備なのだが、新聞各紙は千鶴子の透視能力について、きわめて否定的な論調を強く打ち出した。結果として千鶴子は自殺する。新聞や世間からのバッシングに耐えられずに自殺したとの解釈が多いが、この時期に家庭内の問題もあったし遺書は残していないので、その断定は難しい。

御船千鶴子が自殺してからも、千里眼を持つ他の候補として長尾郁子や高橋貞子らを発掘した福来博士は、念写や透視の実験をくりかえし行った。

しかし彼女たちもまた、実験後に実験の不備を指摘されるというパターンで、メディアによる激しいバッシングの標的となった。

千里眼騒動で始まったメディアと超能力との関係は、斥力と引力とを常に滲ませながら、その後の歴史を綴ってゆく。特にテレビ時代が始まって以降、超能力にとってメディアは、生存のためのきわめて重要な環境因子のひとつとなった。だから相互に依存し合いながらも、結局のところ優位にあるのはメディアのほうだ」

   

「開幕」の最後には、清田さん以後にスプーン曲げで話題を呼んだ綾小路鶴太郎、その死後に登場したアキットらの能力についても触れられています。

わたしも彼らのスプーン曲げをテレビで観たことがありますが、スタッフが用意した硬いスプーンを、いともたやすく一瞬で湾曲させたりねじったりしていました。彼らのスプーン曲げは「長野曲げ」というそうですが、かのユリ・ゲラーのそれとも明らかに違います。

アキットは自身を「超能力者」ではなく「魔法使い」と名乗っていますが、そのスプーン曲げを著者と一緒に観察した秋山眞人さんは「きわめて効果的な腕力の使い方と超能力の融合と考えるべきでしょうね」と感想を述べたそうです。


「第1幕」では、恐山のイタコが取り上げられます。

「イタコ」は、多くの日本人にとって死者と会話する霊媒の代名詞とも言えるでしょう。

自ら恐山を訪れイタコとも面談した著者は、次のように書いています。

霊が降りてきてイタコに憑依するのではなく、降りてきた霊はイタコとまずは会話をして、それからイタコは霊の言葉を依頼者に伝えるという手順のようだ。つまりイタコは通訳のような役割なのだ。それが一般的な解釈なのかどうかはわからないけれど、少なくともこのタクシーの運転手は、そう断言した。

東北弁のマリリン・モンローが降りてきたなどとよく笑い話のように語られるけれど、その現象はこれで説明がつく。イタコは霊に自らの身体を提供して喋らせるのではなく、霊をまずは自らの内側に降ろして会話し、その会話の内容を依頼者に伝えるという手順なのだ。どうやってマリリン・モンローとコミュニケーションしたのかという謎は残るが、交わした会話の内容を人に伝えるときに、自分の母語(東北弁)に翻訳することは当然だ」



また、ブログ『恐山』でも紹介したように、彼らは恐山やその菩提寺などとは関係のない個人営業主のような存在です。そのイタコと仏教(恐山の場合は曹洞宗)との微妙な関係についても、著者は次のように書いています。

「宗派によって若干の違いはあるが、仏教の教義としては、死んだ人の魂は六道輪廻する。あるいは浄土に行く。宗祖である仏陀(釈迦)に至っては、死んだ人の魂や来世のことなど、一切口にしていない。基本の理念は無常と縁起なのだ。あらゆるものが移ろいゆく。魂だけが不変であるはずがない。宗教よりもむしろ哲学に近いとされる所以はここにある。ただし死後の世界を担保することは、最大の現世利益だ。死んで消えますでは布教ができない。だから仏教は伝播する過程で世俗化した。

成仏や供養などの概念を、釈迦入滅後に加算した。

加算はしたけれども教義的には(お盆の時期は別にして)、死んだ人たちに気軽に帰って来られたら困るのだ。だから寺としては、イタコの存在を肯定しづらい。しづらいというかできない。それは想像がつく。でも同時にイタコたちがいなければ、これほどに立派な宿坊を維持するほどの観光客が集まらないことも確かだ。片頬に曖昧な微笑の余韻を貼りつけながら、僧侶は困ったように首をかしげ続ける」



本書では、オカルトは、見たい者に対し時に現れて、認めない者が現れた途端に隠れるということが繰り返し述べられます。

心霊にしろ超能力にしろUFOにしろ、「絶対に間違いない」という目撃者が存在する一方で、その現象がきちんと記録されていないのです。

著者も、このジャンルには「よりによってそのときに」や「たまたまカメラが別の方向を」式の話法がとても多いことを認めています。

スプーン曲げなど超能力のデモンストレーションだけではありません。

「霊を見た」とか「雪男に遭遇した」などの体験談にしても、シャッターを切ったのにカメラには映っていなかったとか、足跡だけが確認できたなどのパターンが見られるのです。

この問題について、自身が映像作家でもある著者は次のように述べます。

「ジャンルそのものが意思を持つのか、大きな意思が人から隠そうとするのか、あるいは人が無意識に目を逸らそうとしてしまうのか、それとも所詮はトリックやイカサマばかりだからなのか、それは今のところわからない。

わからないけれど、そんな力が常に働いているともし仮定するならば、映像と音声メディアが誕生した20世紀以降、オカルトはその『隠れたい』(あるいは『隠したい』)との衝動をさらに激しく揺さぶられ、そして引き裂かれてきたはずだ。なぜなら発達したメディアは、隠されてきた何かにかつてとは比べものにならないほどの量の光を当てながら、やはりかつてとは比べものにならないほどの数の衆人の視線に晒そうとするのだから」



そして、サブタイトルにもなっている「現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ」という本書のテーマについて、著者は述べます。

「オカルトは人目を避ける。でも同時に媚びる。その差異には選別があるとの仮説もある。ニューヨーク市立大学で心理学を教えていたガートルード・シュマイドラー教授は、ESPカードによる透視実験を行った際に、超能力を肯定する被験者グループによる正解率が存在を否定する被験者グループの正解率を少しだけ上回ることを発見し、これを『羊・山羊効果(Sheep−goateffect)』と命名した。

この場合における『羊』は超能力肯定派を、そして『山羊』は否定派を示している。つまり超能力を信じる者たち(羊)が被験者となる実験では、超能力の存在が照明されるかのような結果が出るのに対し、超能力に否定や懐疑の眼差しを向ける者たち(山羊)が被験者となる実験では、超能力を否定するかのような結果が出る現象が羊・山羊効果だ。

つまりどちらにせよ、現象が観察者に迎合する。媚びようとする。あるいは拒絶する」


この「羊・山羊効果」という言葉は、オカルトについて考える上でのキーワードになりますが、これについて秋山眞人さんも本書の中で次のように述べています。

「歴史をさかのぼって調べれば調べるほど、羊・山羊効果や見え隠れ的な側面を実感します。だからオカルトなんですね。つまり隠されたもの。カルタの語源との説もあります。伏せて隠すもの。もしかしたら解明してはいけないジャンルなのかもしれない。調べれば調べるほど、それを実感します。例えば現象の解明について画期的な証拠をつかんだ研究者が急に早死にしたりとか、認められそうになると不慮の事故が起きたりとか、そんな事例はとても多い。福来友吉博士の透視実験もそうです」


本書の中で特に興味深かったのは、著者がプロレスについて述べた部分です。

ノアの三沢光晴が試合中の事故で死亡した直後、著者は「プロレスのこれから」というテーマでインタビューを受けたのです。かつては東京ドームを満員にしたプロレス界も、総合格闘技ブームの影響などにより完全に衰退してしまいました。

まあ、現在ではその総合格闘技さえも衰退してしまったわけですが。

いずれにせよ、プロレスの人気は低下し、観客動員数は減り、テレビ放送は打ち切られ、選手たちは無理をし、ついには悲惨な事故が起こる・・・・・このような「負のスパイラル」に巻き込まれていったわけです。しかし、プロレスに関する著書もあり、基本的にプロレスの味方である著者は次のように述べます。

「実のところ、僕はこの状況を、それほど悲観的に捉えているわけではない。プロレスとはそもそもが日陰のジャンルだ。華々しいスポットライトを浴びるようなジャンルではない。カーニバルや場末の酒場に発祥した、不健全で隠微で薄暗いジャンルなのだ」

そして、プロレスについて話しながら、著者はオカルトのことを考えていたそうです。

「ダーウィニズム(市場原理)の観点から考察すれば、オカルトは今、どのような位相にあるのだろう。誰が求めているのだろう。誰が嫌悪しているのだろう」と書いています。



プロレスとオカルトを結びつける著者の発想には強く共感しました。

なぜなら、わたしもよくこの2つのジャンルを関連づけて話すからです。

「フェイク」という言葉をご存知でしょうか。ニセモノという意味ですが、この言葉がよく使われるジャンルが2つあります。オカルトと格闘技です。

映画「トリック」を観てもわかるように、超能力者とか霊能力者というのは基本的にフェイクだらけです。わたしも、以前よくその類の人々に会った経験がありますが、はっきり言ってインチキばかりでした。でも、スウェデンボルグとか出口王仁三郎といった霊的巨人は本物であったと思っています。

わたしが実際に会った人物では、清田益章さんのスプーン曲げや東急エージェンシー時代のの先輩であるタカツカヒカルさんのヒーリング・パワーは今でも本物じゃないかと思っています。ですから、すべてがフェイクではなく、本当にごく少数ですが、なかには本物の能力者もいるのでしょう。



次に格闘技。わたしは子どものころから格闘エンターテインメントとしてのプロレスをこよなく愛し、猪木信者、つまりアントニオ猪木の熱狂的なファンでした。

でも、何千という猪木の試合のなかで、いわゆるセメント(真剣勝負)はかのモハメッド・アリ戦とパキスタンの英雄、アクラム・ペールワン戦の2回だけと言われています。

だから良いとか悪いとかではなく、それがプロレスなのです。

でも、わたしは逆にその2回に限りないロマンを抱きます。

また、力道山vs木村政彦、前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアント、小川直也vs橋本真也といった試合は一方の掟破りでセメントになったとされ、今では伝説化しています。

やはりフェイクだらけの中にある少しの本物に魅せられる。

オカルトも格闘技もフェイクという大海のなかにリアルという小島があるわけです。

それらの世界に魅せられる人々は、小島をさがして大海を漂う小舟のようですね。



ついでに言えば、スナック、クラブ、キャバクラなどの水商売も同じです。

水商売の女性との心の交流は、はっきり言って、擬似恋愛であり、ホステスが演技をして恋人ごっこをしてくれるわけですが、時々、ホステスさんが本気で客と恋愛することがあります。この数少ないロマンを求めて、男たちは懲りもせず飲みに出かけるのですな。

つまり、「オカルト・プロレス・水商売」はオールフェイクではないのです!

それらのジャンルは限りなく胡散臭くて、基本的にウソで固めています。

しかしながら、中には紛れもない「リアル」が隠れている。

霊能力者もプロレスラーもホステスも、中にはガチンコの本物が実在する。

オカルトもプロレスも水商売も「リアルさがし」のゲームであり、冒険の旅であると考えるのなら、「ダマサレタ!」と腹も立たないのかもしれません。



でも、本書のテーマは「リアルさがし」のゲームではありません。

あくまでも、著者は本書で「リアルとは何か」を追求しています。

オカルトの本質を突き詰めるなら、やはり宗教にさかのぼります。

著者も、次のように述べています。

「最も初源的な宗教のアーキタイプは、自然界のすべての現象や物質に霊的な心象が宿ると考えるアニミズムだ。日本に仏教が伝来するはるか前の縄文時代から、人々は死んだ人の腕や足の関節を無理矢理に曲げて埋葬していた。いわゆる屈葬だ。その意味については諸説あるけれど、死後の魂が災いを為さないようにと考えたとする説が一般的だ。2007年にシリアで発見された世界最古(8500年前)の墓地から掘り出された遺骨のほとんども、やはり手足が折り曲げられていた。

つまりオカルトは、人類の歴史とともにある。

でもならば有史以降、あるいはメディア発達以降、オカルトは少しでも前に進んだのだろうか。あるいは後退したのだろうか。あるいは横にずれたのだろうか。

何も変わらない。見事なほどに。アニミズムやトーテミズムのころから、オカルトはこの社会において、同じ位置にあり続ける。しぶとく残り続ける。同じ形のまま。同じ量のまま。まるで存在することそのものが、存在する理由であるとでもいうかのように」


そして、340ページを超す本書の「終演」の終わりに、著者は次のように書いています。

「今こうしているあいだにも、オリオン座ベテルギウスは超新星爆発を起こしているかもしれない。バルト海の深さ84メートルの海底で発見されて世界的なニュースになった巨大な円盤状の物体の正体が、判明しているかもしれない。理論上の存在で『神の粒子』と呼ばれたヒッグス粒子が、はっきりとその姿を現すかもしれない。2011年に東南アジアで発見された下顎に歯を持つカエルは、進化の過程で失われた身体的な構造は二度と復活しないとする『ドロの法則』(進化非可逆の法則)を覆すだろうと言われている。光を媒介するエーテルの存在は否定されたけれど、重力レンズ効果などの観測方法で、ダークマターの存在はほぼ証明された。パラダイムは決して固着しない。常に揺らいでいる。説明できないことや不思議なことはいくらでもある。確かにそのほとんどは、錯誤かトリックか統計の誤りだ。でも絶対にすべてではない。淡い領域がある。曖昧な部分がある。そこから目を逸らしたくない。見つめ続けたい」

ここで著者は、「理論上の存在で『神の粒子』と呼ばれたヒッグス粒子が、はっきりとその姿を現すかもしれない」と書いています。

この文章が書かれたのは、2012年3月ですが、それから4ヵ月後、現実にヒッグス粒子が発見されたことは記憶に新しいですね。

本当に、この世は何が起こるかわかりません。

たしかに、「羊・山羊効果」も存在するのでしょうが、いつかわたしたちの前に「隠れるモノ」が「現れるモノ」となる可能性はゼロではないのです。



それにしても、この文章はなんと格調高く、優しいことでしょうか。

著者の書いた本に『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(ちくま文庫)という名著がありますが、まさにそういった感じの文章です。

著者のルポは、いつも誠実な語り口によって書かれており、読んでいて安心できます。

本書でも、オカルトに関わる人々を軽蔑したりする悪意はまったく感じられません。

オカルト現象そのものに対しても、安易に信じることもしませんが、また一方的に否定もしません。本書にも、「世界」や「人」への根本的な愛情が流れているように感じました。わたしの書斎には、著者が監督したドキュメンタリー映画「A」「A2」、そして著書『A3』もあります。いつか、これらの作品も味わってみたいと考えています。


2012年8月15日 一条真也

2012-08-14

『オカルト「超」入門』

一条真也です。

『オカルト「超」入門』原田実著(星海社新書)を読みました。

さまざまなジャンルのオカルトの歴史を作った重大事件について、その成り立ちと背景を歴史研究家の視点から解説した本です。

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歴史と背景から学ぶ決定版!



著者は、ブログ『もののけの正体』で紹介した本も書いています。

また、トンデモ本を批判的に楽しむ団体である「と学会」の会員でもあります。

本書の帯には、いわゆる「アダムスキー型・空飛ぶ円盤」の写真とともに「ソ連への恐怖がUFOを生み出した!」「歴史と背景から学ぶ決定版!」と書かれています。

カバーの折り返しには、次のような内容紹介があります。

「UFO、超能力、オーパーツ、UMA、心霊・・・・・オカルトは教養だ!」

「本書は、オカルト史を形作った“オカルト重大事件”について、その成り立ちと背景を歴史研究家の視点から解説したものだ。オカルトは好き者の道楽や雑学だと思われがちだが、歴史家の視点で見ると全く違った顔を見せる。実はオカルト世界の事件や遺物・文献などは、その時代を反映したものばかりなのだ。例えば1950年代以降に発生したUFO目撃現象には、冷戦下での米国民の不安が色濃く影を落としている。そう、オカルトとは単純に『信じる・信じない』の不思議な現象ではなく、その時代の社会背景をも取り込んだ『時代の産物』なのだ。そして、オカルトの世界を覗き見ることで、この世界を『異なる視点』で読み解くことができるようになる。さあ、教養としてのオカルトの世界へ旅立とう」



本書の「目次」は、以下のようになっています。

序文:オカルトが教養になるために

第1章:UFOと宇宙人

第2章:心霊と死後生存

第3章:超能力・超心理学

第4章:UMAと超地球人

第5章:超古代文明とオーパーツ

第6章:フォーティアン現象

第7章:超科学

第8章:予言

第9章:陰謀論

終章:オカルトがわかれば世界がわかる



本書を一読して、わたしは「じつに、よく、まとめられているな」と思いました。

『もののけの正体』のような雑駁さは、本書にはまったく見られません。

正直言って、「自分も、こんな本が書きたかったな」と思いました。

もし本書のテーマでわたしが書くなら、おそらく『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)のようなスタイルになると思います。

わたしは、これまでに著者の本を何冊か読んできました。

「と学会」の会員であることから、いわゆるオカルト否定派なのかと思われがちですが、どうも著者の場合はそうではありません。

オカルトを信奉するのではなく、かといってトンデモ論で一蹴したりもせず、さまざまなオカルト現象の背景にある社会情勢などを考えており、その姿勢には好感が持てます。


帯にも写真が掲載されていますが、「アダムスキー型」と呼ばれるUFOがあります。

ジョージ・アダムスキーという人物が遭遇したという空飛ぶ円盤です。空飛ぶ円盤に乗り込み、宇宙人とも会ったというアダムスキーは、いわゆる「コンタクトの先駆け」です。彼は天文台勤務者を自称していましたが、著者は彼は天文台に勤務していたのではなく、天文台の近くのハンバーガーショップで働いていたにすぎないと明かしています。でも、それをセンセーショナルに書くのではなく、あくまで淡々と書いています。

そんな著者ですが、どうしてオカルト現象の数々を検証しようとするのでしょうか。



著者は、序文「オカルトが教養になるために」で、「オカルトが好きだからこそ、検証」するとして、次のように述べています。

「オカルトの話題について、情報の真偽を問うたり仮説の検証を行なったりする人は、しばしばオカルト嫌いとみなされていまいがちだ。時には、無粋だと言われることもある。

しかし、人は本当に好きなもの、関心があるものに関しては、偽物や出来の悪い物をつかまされるのを拒むものである。エルメスのブランドマークらしきものが入ってさえいれば、どんな紛い物でも買うというエルメスのファンはいない。

ところが、オカルトに関しては、ファンなら内容にこだわらないはずないというおかしな認識が蔓延しているわけだ。それは多くの人に、『オカルトなどうさんくさいものだ』という思い込みがあるからかもしれない。

もともとうさんくさいものなのに、検証などしてどうなるのだというわけだが、考えてみれば、それこそオカルトに対して失礼な話である。

本当に不思議なものを求めるには、不思議とされているものの中から、実は不思議ではなかったものを丁寧によりわけていく作業が必要だろう。

その結果、ほとんどの事例が、不思議でもなんでもないということになるかもしれない。しかし、不思議なものに関心がある限り、この作業をやめるわけにはいかない。

世界のどこかに、未だ隠された、本当に不思議なものが転がっているに違いない――少なくとも、その可能性を否定はできないと思うからだ」

この著者の考え方、よくわかります。というより、共感しますね。


わたしも、子どもの頃から「不思議なもの」には人一倍関心があるほうなのですが、本書を読んで、いろいろと納得したことがありました。

たとえば、ネス湖のネッシーに代表される「湖の怪物」というものがあります。

ネッシーを筆頭に、カナダのオカナガン湖に棲むというオゴポコ、アフリカ大陸コンゴのテレ湖に棲むというもモケーレ・ムベンべといった世界の怪物たち、日本では北海道・屈斜路湖のクッシー、洞爺湖のトッシー、山梨県・本栖湖のモッシー、鹿児島県・池田湖のイッシーなどが有名です。その正体については、恐竜や首長竜の生き残り、ウナギやチョウザメといった大型の魚、ナメクジのような軟体生物の巨大なもの、アザラシやジュゴンのような大型の水棲哺乳類といった説があります。

しかし、じつはこれらの説のいずれでも湖の怪物は説明できません。

このことを踏まえて、著者は次のように述べています。

「生物学者でUMA(未確認動物)にもくわしい佐久間誠氏が指摘していることだが、湖の水面では空気中の酸素が水に溶け込んでいるものの、それを下の方に運ぶ対流が起こりにくい。そのため、つねに潮流でかきまわされている海と違い、水深わずか数メートルくらいのところから無酸素の層が広がってしまう。

つまり、水中の酸素をえらで呼吸する魚や軟体動物にしても、肺で空気を直接呼吸する必要がある恐竜や大型哺乳類にしても、長い間、湖底に身を潜めることができないのだ。水面近くにいるところをしょちゅう目撃される動物なら、謎の怪物扱いはされないだろう。つまり湖の怪物は、ずっと湖底に身を潜めることができる既知の動物ではない異質の生物か、生物以外の何物かとしか言いようがないのである」

この説明、非常にわかりやすいと思いました。


また、マヤ暦に基づいて2012年前後に人類が滅亡するという有名な予言についても、著者は明快に解説します。まず、わたしたちの使っている暦は12年で1周し、さらに60年で還暦を迎えます。干支を用いているわけですが、これは古代中国で発祥し、日本や朝鮮半島、ベトナムなどを含む漢字文化圏に広まったものです。循環する暦においては、暦の単位の始まりと終わりがあることは終末の到来を意味しません。

むしろ世界の永続性を保証する方向に働くのであり、このような時間概念の下では、個々の国が亡んだとしても、その滅亡は世界全体にまでは及びません。

それを踏まえて、著者は次のように書いています。

「日本で毎年、正月になるとあちこちで聞こえてくる唱歌『一月一日』(千家尊福作詞・上眞行作曲、1893念発表)の歌いだしには『年の始めのためしとて終なき世のめでたさよ』とあるが、このような観念は循環する暦を用いていることと無関係ではないだろう。

一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の教典である『旧約聖書』は、世界が神による創造を起点として、あらかじめ予言された終末へと向かうという直線的時間観念を内包している。マヤの暦は中国や日本の干支と同様、循環的時間概念に基づいていた。2012年終末説なるものは、マヤの暦を誤読した結果、生じたものだったのである」

これまた、非常にわかりやすい説明ですね。

読者は、2012年に人類が滅亡しないという根拠を知り、安心します。


さらに、「陰謀論」についても、著者は次のように一刀両断に斬ります。

陰謀論は、この世界が明確な神の意志によって支配されているというユダヤ・キリスト教的世界観の粗悪なパロディである。聖書では、歴史は神の計画によって動くわけだが、陰謀論者の世界観では陰謀が神の計画に代わって歴史を動かしている。

陰謀論者の脳裏で、この世界の支配者である(あるいは支配者たらんとする)陰謀の黒幕が、全知全能に等しい力を持ってしまうのもおかしくはない。そして、その陰謀を見抜く自分は、その全知全能の力に迫っているわけである。逆説的だが、陰謀論者にとって、陰謀の黒幕と自らの関係は聖書における神と預言者の関係にも等しい。つまり、神が預言者にその計画を教え、民に広めさせるように、陰謀論者は陰謀の黒幕がもたらすメッセージを読み解き、その陰謀を世界に広めるのである。

あいにく彼(もしくは彼女)が明らかにした陰謀もその黒幕も、脳内にしか存在しないものだったりするわけだが」

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カバラ」「グノーシス」「スーフィーズム」について書きました



著者の発想には、つねにユダヤ・キリスト教的世界観というものを背景にしていることが興味深いですね。考えてみれば、「オカルト」とは「隠されたもの」という意味であり、その反対に位置する「隠されていないもの」とは『聖書』に記された言葉に他なりません。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は三大「一神教」と呼ばれますが、それぞれにオカルト的な神秘主義の要素を抱えています。それは、ユダヤ教において「カバラ」、キリスト教において「グノーシス」、イスラム教においては「スーフィーズム」と呼ばれます。

わたしは、かつて『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)を書いたときに、「カバラ」「グノーシス」「スーフィーズム」についても詳しく説明しました。

なお同書には、「UFO」の正体についてのわたしの自説も述べてあります。



これらの一神教の中でも、著者が特に重要視するのはキリスト教です。

終章「オカルトがわかれば世界がわかる」において、「オカルトは社会的に規定される」として、著者は次のように述べています。

「キリスト教的自然観では、自然は神の被造物であり、両者は峻別されている(そして、人間は被造物に属する)。

中世ヨーロッパのスコラ哲学では、自然法則を学ぶことはそれを創造された神を讃えることに通じるという考え方が生まれ、それが自然科学への道を開いていく。

だが、一方でキリスト教は、自然法則に従わずに起きる現象の存在を認めていた。それは、神の意志によってなされるものであり、すなわち奇跡である。たとえば、キリストの死と復活などは奇跡の最たるものであり、それを自然科学の立場からありうるかどうか議論しても無駄ということになる。また、自然法則から外れた現象には、悪魔が人を惑わそうとして起こす奇跡のまねごともあるわけで、それは魔術として禁忌された。

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自然法則から外れると「オカルト」になる!



わたしは、これらの文章を読んで、拙著『法則の法則』(三五館)を連想しました。

西洋のオカルティズムの源流には、ネオプラト二ズムの存在があるとされます。

「新プラトン主義」と訳されるネオプラト二ズムは、プラトン哲学にストア主義などを融合して3世紀以降に成立した、きわめて神秘主義的傾向の強い学派です。また、「法則」というものと非常に深い関わりがあり、同書でも紹介しています。同書では、ナチスやヒトラーについても論じていますが、ここにもキリスト教の強い影響が見られます。つまり、『法則の法則』は「キリスト教」と「オカルト」の関係に言及した本でもありました。



キリスト教における「法則」について触れた後、著者は次のように述べます。

「つまり、キリスト強敵世界観では、この世界に起きる現象は自然現象、奇跡、魔術に峻別されることになる。ところが、地動説や進化論によって、伝統的なキリスト教的世界観に揺らぎが生じたため、それまで奇跡や魔術で説明されていた現象を、神や悪魔から切り離して説明しようとする動きが出てきた。そこで、従来の自然現象の範疇に入らないものを特に超自然現象=超常現象と呼ぶようになったわけだ。超常現象とされるものに聖書やキリスト教聖人伝説に出てくる奇跡や、魔術に似た話が多いのはそのためだ。また、聖書には、巨人や大魚など怪物に関する話も多く、それらを連想させるような生物の目撃証言も超常現象に加わった(つまりはUMAである)」

聖書に登場するエピソードというのは、キリスト教文化圏の人々にとってはユングのいう「元型」につながります。おそらくは「こころ」の中に潜む元型が表出して、さまざまなオカルト現象を目撃してしまうのかもしれません。



UFOにしろ、心霊にしろ、超能力にしろ、その他の怪奇現象にしろ、人間はオカルト的なものに関心を抱きながら生きています。たとえ、「そんなものは存在しない」という否定派であっても、占いや迷信に心を惑わされた経験はあるはずです。

本書の最後で、著者は人間とオカルトの関係について、次のように述べます。

「オカルトは人間の実際の経験から生まれたものである。その経験は、第三者からすれば錯覚や妄想、ペテンにひっかかっただけに見えるかもしれないが、当事者にとって自分の経験である以上、否定することはできない。

それらの経験は、いわば日常生活に入り込むノイズのようなものだ。

ノイズは、それ自体は意味を持たないし、気にしさえしなければ大した問題ではない。しかし、いったん気になってしまうと、ちょっとした音にすぎなくともそれに心とらわれてしまうというのは、誰しもありがちな経験である。ましてや、そのノイズが何かの不具合の予兆であはないか、などと考え出すと本気で対策を立てざるを得なくなる」

この「オカルトはノイズである」という著者の言葉は、至言であると思いました。

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あらゆるオカルト現象の統一理論?

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「と学会」会長が書いた凄い小説



本書は、多種多様なオカルト現象を見事に整理した好著です。

それにしても、オカルト現象の種類の多さには目を見張ります。UFO、エイリアン、悪魔祓い、ポルターガイスト、テレパシー、千里眼、念力、ネッシー、雪男、妖精、聖母出現、空から降るカエル、人体発火現象、アトランティス、ムー、地球空洞説・・・・・etc

すべてのオカルト現象を一貫して説明する統一理論の仮説はないのでしょうか。

わたしがこれまで読んできた本の中で、2冊にだけ、その理論が書かれていました。

1冊は、『神々の指紋』で世界的ベストセラー作家となったグラハム・ハンコックの『異次元の刻印』。日本では上・下巻に分かれてバジリコから翻訳出版されています。

もう1冊は、著者も会員である「と学会」の会長を務める山本弘氏のSF小説『神は沈黙せず』(角川書店)です。これはもう、読者の世界観が揺らぐほどの衝撃の名作です。

わたしも初めて読んだとき、頭がクラクラしてきました。とにかく、オカルト現象の謎がすべて解けた気がする凄い小説です。興味のある方は、ぜひ読んでみて下さい。


2012年8月14日 一条真也

2012-08-13

格闘大国ニッポン

一条真也です。

今日からお盆ですね。

熱戦を繰り広げたロンドンオリンピックが無事に閉幕しました。懸念されたテロも発生せず、大会運営に大きな混乱もないまま17日間の会期は無事に終了しました。

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「朝日新聞」8月13日朝刊



大会最終日、レスリング男子フリースタイル66キロ級の米満達弘(自衛隊)が優勝しました。レスリング日本男子としてはソウル五輪以来、24年ぶりの金メダル獲得です。

また、11日に行われたボクシング男子ミドル級の決勝では、村田諒太(東洋大職)が日本勢としては48年ぶりとなる金メダルを獲得しました。

重量級であるミドル級での金は本当にすごい!

米満選手にしろ村田選手にしろ、日本男児は強かった!

わたしが何より嬉しかったのでは、レスリングとボクシングは格闘技の原点である「パンクラチオン」が分かれたものであり、それぞれ組み技系と打撃系の頂点に位置する競技だからです。パンクラチオンは、古代オリンピアの最大の花形競技でした。



男子だけではなく、日本の女子も強かった!

柔道女子57キロ級の松本薫選手、レスリング女子48キロ級の小原日登美選手、55キロ級の吉田沙保里選手、63キロ級の伊調馨選手も金メダルに輝きました。

特に、吉田選手と伊調選手は3連覇という偉業を成し遂げました。

今回、7人誕生した金メダリストのうち、体操の内村航平選手以外は柔道・レスリング・ボクシングと全員格闘技の選手でした。

日本は、いまや世界に冠たる「格闘大国」ですね。



残念なのは、柔道の男子で金メダリストが出なかったことです。

講道館の創始者である嘉納治五郎講道館は、日本のオリンピック参加における最大の功労者でもああっただけに残念です。もっとも嘉納治五郎のめざした柔道は、きれいな一本が取れる「美しい柔道」、相手を思いやる「礼の柔道」、すなわち「武道としての柔道」であり、現在のようなポイント制の「スポーツ柔道」ではなかったとは思いますが。



それにしても、今大会では日本勢が大活躍しました。

今大会での日本の金メダルは7個で、「15個以上」とした目標には届きませんでした。

しかしながら、メダル総数は2004年アテネ大会を上回る史上最多の38個に達し、25個にとどまった前回の北京大会から大きく盛り返しました。


ブログ「ロンドン五輪の開幕」に書いたように、古代ギリシャにおけるオリンピックの発生には自国の大量の死者を弔う葬送儀礼の意味がありました。今回のロンドン五輪に参加した日本勢は、東日本大震災の犠牲者の供養を果たしたのではないでしょうか。

それにしても、葬儀から派生したオリンピックが終わった日に、日本列島がお盆に突入するというのも感慨深いですね。わたしたちは、常に死者とともに生きています。

そして、人間の営みの基本には「死者への想い」があります。

わたしは新作『唯葬論』(仮題)の構想を練りながら、ロンドンオリンピックの閉会式をテレビで観賞しました。いよいよ明後日、日本は「終戦の日」を迎えます。


2012年8月13日 一条真也

『もののけの正体』

一条真也です。

『もののけの正体』原田実著(新潮新書)を読みました。

著者は1961年生まれ、広島県出身。龍谷大学を卒業して、古神道や日本の霊学関係の専門出版社である八幡書店に勤務したこともある歴史研究家です。

また、トンデモ本を批判的に楽しむ団体である「と学会」の会員でもあります。

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怪談はこうして生まれた



わたしは、『もののけの正体』というタイトルよりも「怪談はこうして生まれた」というサブタイトルのほうに惹かれました。本書の帯には「鬼、天狗、見越し入道、水の精、コロボックル、キジムナー、アカマタ」「妖怪たちの誕生の秘密!」と書かれています。

また、カバーの折り返しには、次のような内容紹介があります。

「鬼に襲われた、天狗に出くわした、河童を目撃した・・・・・ほんの数十年前まで、多くの日本人が、妖怪や幽霊など『もののけ』の存在を信じ、体験や伝説を語り継いできた。もののけたちはどうやって生まれてきたのか。日本の怪談や奇談の数々から民俗学的な視点で、その起源の謎に迫る。日本古来の妖怪や魔物をはじめ、江戸時代の化物、琉球地方や蝦夷地のアイヌに伝わるもののけも多数紹介! 

日本人の恐怖の源泉を解き明かす」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「まえがき」

第一章:もののけはどこから来たか?

第二章:もののけ江戸百鬼夜行

第三章:『百物語』のもののけたち

第四章:恐怖の琉球――南国のもののけ奇談

第五章:もののけ天国・蝦夷地――アイヌともののけ

終章:もののけと日本人――なぜ怪を求めるのか?

「あとがき」

「主要参考文献一覧」

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著者・原田実氏の書いた本



わたしは、これまで著書が書いた本を何冊か読んでいます。

その中でも、本書とテーマが重なる『日本化け物史講座』(楽工社)は妖怪や幽霊を網羅的に取り上げつつ、うまくカテゴライズしてまとめており、なかなかの好著でした。

本書の場合もさまざまな妖怪や幽霊が登場するのですが、その分類があまりにも雑駁というか、コンセプトが見えておらず、読後の満足は得られませんでした。

それと、とにかく引用部分が多過ぎて、読みにくかったです。

本書のテーマのような民俗学的な内容を書く場合、資料からの引用は避けられませんが、それにしても多過ぎます。本書のアマゾン・レビューに「コピペで一冊できました」というものがあり、「black bird」というレビュアーが次のように書いています。

「冒頭の鬼娘に関する一文から、他の書籍からの孫引きであり、続く内容の殆ども先行研究からの切りばりである。著者は他者の論考を、あたかも自分が考えたことのように文章化している。もちろん参考文献には一次資料が一切見当たらない」

もちろん、「コピペで一冊できました」とまではわたしは思いませんが、このレビュアーの言うことにも一理あります。



アマゾン・レビューといえば、なんと著者である原田実氏も実名で本書のレビューを投稿しています。著者本人がレビューを投稿するのは初めて見ました。ちょっと驚きましたが、レビューの内容は「週刊読書人」に掲載された原稿の転載だそうです。

そのセルフ・レビューの最後に、著者は「本書をつらぬくテーマを一言でいえば、だ、ということである。そして、妖怪が忌まれるのもファンシー化するのもその装置が異なる方向に機能した結果なのである。冒頭で示唆したように、妖怪という装置は現代もなお機能し続けている。本書が現代人と妖怪とのより良い付き合い方を考える上での一助となれば、著者として幸いそれに過ぎるものはない」と書いています。



この「妖怪とは人間が生きていく上で欠くべからざる文化的装置」という意見にはまったく賛成ですが、わたしは「幽霊も人間が生きていく上で欠くべからざる文化的装置」と考えています。本書のサブタイトルは「怪談はこうして生まれた」ですが、怪談の主役ともいえる幽霊についての記述の少なさは期待外れでした。

妖怪の正体にしても、海の妖怪「磯撫」の正体がシャチであるとか、熊の化け物である「鬼熊」の正体がヒグマであるとか、さらには「雷獣」の正体がイタチであるとか、先人の研究を紹介しつつ書いていますが、どうもパンチに欠けるというか、物足りません。


しかし、第四章「恐怖の琉球――南国のもののけ奇談」は、なかなか興味深い内容でした。沖縄には、「キジムナー」という古木の精の伝説があります。

キジムナーとは「木に憑く物」という意味で、地域や木の種類によっては「キムジン」「キムナー」「ブナガヤー」「ハンダンミー」とも呼ばれます。その姿は、赤い顔の子どものようだとも、全身が毛に覆われているともいわれています。

水辺を好むところから、本土でいるところの「河童」の一種だという説もあります。

この伝説のキジムナーが、1970年代半ばから沖縄で恐ろしい悪霊として語られるようになり、その原因が、アメリカ映画「エクソシスト」にあるというのです。


著者は、キジムナーのイメージの変容について、次のように述べます。

「かつての沖縄ではキジムナーは夜、寝ている人や夜道を歩く人に他愛のないいたずらをしかけるとされていた。言い換えると当時の人は寝床の中や夜道でなにか違和感を覚えた時に、それをキジムナーのしわざにしていたわけだ。キジムナーにいたずらされる、言い換えるとキジムナーに憑かれるというのはその時代の人にとってはよくある経験であり、過度に怖がる必要がないものだった。むしろ人懐こいキジムナーをイメージすることで、そうした違和感にとらわれてパニックに陥ることを防いでいたわけである。

ところが『エクソシスト』という映画は迫真の映像で、人間が姿なき何者か(映画の中での脈絡でいえば悪魔)に憑かれることの恐怖を描き出していた。

そのため、それまで大したこととみなされていなかった、キジムナーの憑依が新たな恐怖の対象になったわけである。『エクソシスト』のアメリカ公開は1973年12月、日本公開は74年7月のことである。米軍基地内では映画の公開はアメリカ本国に合わせた時期となるため、基地が多い沖縄では日本の他の地域での宣伝が本格化する前からこの作品の噂が広まっていた可能性もある」


ブログ「沖縄復帰40周年」にも書いたように、1972年5月15日、沖縄は占領国のアメリカから日本に復帰しました。それ以降、沖縄では県内の諸制度をアメリカ基準から日本基準に変更するための努力が重ねられましたが、それは簡単にできることではありませんでした。自動車がアメリカ式に右側走行から日本式の左側走行に改められたのが、やっと1978年7月30日だったというぐらい、制度の変更は難航したのです。

この事実を踏まえて、著者は次のように述べています。

「沖縄の人々にとって、それは単にうわべの制度だけでなく、沖縄の支配者がアメリカから日本政府に替わったということを心理的にも受け入れていく過程であった。アメリカも日本政府も、琉球時代以来のコミュ二ティからすれば外部の勢力に違いはない。その外部からの支配者の交替を受け入れ、それを帰属意識にも反映させていこうとしている時期、『エクソシスト』は封切られたのである。それはまさに外部の者の憑依で、人の意識が左右されてしまう現象を恐怖として描いた作品であった。外部の勢力からの影響に対する不安を強く感じていた沖縄の人が、日本の他の地域の人以上に強い影響を受けたとしてもおかしくはない。キジムナーに関する伝承や意識の変化は、そうした影響の1つとして解釈できる。いわばキジムナーは、沖縄の本土復帰のとばっちりを受けて、さほど罪のないいたずら者から、凶悪なもののけへと変身させられたわけである」



キジムナーに限らず、沖縄の習俗伝承には、憑き物系のもののけや来訪神に関わるものが多い。著者は、これを沖縄の社会事情と深く関連していると分析します。

沖縄では、ノロやユタといった神女たちがさまざまな祭祀を執り行い、庶民の生活に深く関わる存在となっていますが、これについて著者は次のように述べます。

「彼女たちの職掌というのはつまるところ来訪する神を迎え、憑き物を払うことなのである。彼女たちが人々の生活に深く関わっている以上、来訪神や憑き物は社会的・文化的に認知された存在であり続けるし、またそうしたものたちが認知されている以上、神女たちの職掌も必要とされ続けるのである」



本書の中で、この沖縄のキジムナーやノロ・ユタといった神女について書かれた第四章が最も興味深い内容でした。いっそ、江戸時代の妖怪話とか、『絵本百物語』の紹介など一切やめて、この沖縄のもののけ問題だけを取り上げて深く書き進めれば、きわめて知的好奇心に満ちた一冊になったのではないでしょうか。

とはいえ、新書出版の現場とは、著者の意向よりも版元や編集者の意向が何かと強いもの。そのへんはわたしもよく理解していますので、著者に同情する点も多々あります。


2012年8月13日 一条真也

2012-08-12

『怪談文芸ハンドブック』

一条真也です。

『怪談文芸ハンドブック』東雅夫著(メディアファクトリー)を読みました。

ブログ『遠野物語と怪談の時代』ブログ『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』で紹介した本の著者による本格的な怪談入門書です。

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愉しく読む、書く、蒐める



「愉しく読む、書く、蒐める」というサブタイトルがついています。

また帯には、以下のような言葉が並んでいます。

「怪談の定義を知る」「怪談とホラーの違いは?」「創作怪談と実話怪談は別物?」「長篇の書き方」「取材や蒐集のコツは?」「古今東西の名作会談の魅力とは・・・・・」

「これ一冊で怪談のすべてが分かる、史上初!の『即効性』入門ハンドブック」

「文芸の極意は怪談にありと見つけたり!?」



本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

第一部 怪談をめぐる七つのQ&A

Q1.怪談の定義とは?

Q2.怪談に特有の魅力とは?

Q3.ホラーと怪談の違いは?

Q4.なぜ今、ホラーではなく怪談なのか?

Q5.創作怪談と実話怪談

Q6.長い怪談と短い怪談

Q7.怪談の蒐集執筆のコツは?

第二部 怪談の歴史を知る

第一章:古代の文学と怪談と

第二章:欧米怪談文学史をたどる

第三章:日本における怪談文芸の系譜



最初に、著者は怪談の基本は「お化け話」であるとして、次のように怪談を定義します。

「お化け――すなわち幽霊や妖怪や怪物といった超自然の存在や、合理的な説明のつけられない不可思議な現象に遭遇したときに惹き起こされる、恐怖や驚愕、怪しみや不思議さを、文章や話芸を通じて、読み手(聞き手)にまざまざと体感せしめる物語が怪談である、というふうに規定してよいのではないかと思います」



怪談という広大なジャンルを整理・分類した人に、かの江戸川乱歩がいます。

乱歩は探偵雑誌「宝石」に連載し、後に評論集『幻影城』に収録された「怪談入門」という優れたエッセイを残しています。この「怪談入門」の中で乱歩は、文芸ジャンルとしての怪談について、2種類の「怪談分類表」を示しています。

1つは、イギリスの作家であるドロシイ・セイヤーズによる分類であり、もう1つはそれをもとに乱歩自身が試みた分類です。以下の通りになっています。



「ドロシイ・セイヤーズによる怪談分類表」

A.マクロコスモス(超自然怪談)

1.幽霊、化け物(例、ヒチェンズ「魅入られたギルデア教授」)

2.魔術的恐怖

a.妖魔(例、ジェイコブズ「猿の手」)

b.吸血鬼 (例、ベンスン「アムオース夫人」)

c.フランケンシュタインもの(例、ビアス「モクソンの主人」)

d.憑きもの、怨霊(例、スチヴンスン「スローン・ジャネット」)

e.運命の恐怖(例、レ・ファニュ「緑茶」)

B.ミクロコスモス(人間そのものの恐怖)

1.疾病、狂気(例、マイケル・アーレン「アメリカから来た紳士」)

2.血みどろ、残虐(例、ストーカー The Squaw)



江戸川乱歩による怪談分類表」

1.透明怪談(例、ウエルズ「透明人間」)

2.動物怪談(例、ブラックウッド「古き魔術」)

3.植物怪談(例、ホーソン「ラパッチニの娘」)

4.絵画彫刻の怪談(例、ベン・ヘクト「恋がたき」)

5.音の怪談(例、ラヴクラフト「エリヒ・ツァンの音楽」)

6.鏡と影の怪談(例、エーウェルス「プラーグの大学生」)

7.別世界怪談(例、ラヴクラフト「アウトサイダー」)

8.疾病、死、死体の怪談(例、ホワイトLukundoo、フォークナー「エミリーの薔薇」)

9.二重人格と分身の怪談(例、ポー「ウイリアム・ウイルソン」)



乱歩の「怪談分類表」には例としてラヴクラフトの作品が2つ出てきます。

ブログ『クトゥルー神話全書』にも書いたように、H・P・ラヴクラフトは「20世紀最大の怪奇作家」とまで呼ばれたアメリカン・ホラー中興の祖です。

彼は、「恐怖」についての有名な以下のような言葉を残しています。

「人間の感情の中で、何よりも古く、何よりも強烈なのは恐怖である。その中でも、最も古く、最も強烈なのが未知のものに対する恐怖である。これは殆どの心理学者が認める事実であろう」(植松靖夫訳)




このラヴクラフトの名言を受けて、著者は次のように述べています。

「そもそも、人はなぜ恐怖するのでしょうか。

それは自分という存在が脅かされ、損なわれること――肉体や精神に傷を負ったり、苦痛を与えられたり、自由を奪われたり、果ては死に至るような危険な事態に陥ることへの警戒・防衛本能であるといわれます。激越な恐怖を感ずることによって、人は本能的に、我が身に迫り来るリスクを回避しようとするわけです。

モダンホラーの帝王と異名をとるスティーヴン・キングは、恐怖小説やホラー映画は、誰もがいずれは直面することになる『死』へのリハーサルなのだという意味のことを、その著『死の舞踏』(1981)の中で述べていますが、これまた傾聴に値する言葉でしょう」



さて本書には、わたしが最近注目している「gentle ghost」という言葉が紹介されています。これについて、著者は次のように述べています。

「『gentle ghost』とは、生者に祟ったり、むやみに脅かしたりする怨霊の類とは異なり、絶ちがたい未練や執着のあまり現世に留まっている心優しい幽霊といった意味合いの言葉で、日本とならぶ幽霊譚の本場英国では、古くから『ジェントル・ゴースト・ストーリー』と呼ばれる一分野を成しています。私はこれに『優霊物語』という訳語を充ててみたことがありますが、あまり流行らなかったようです・・・・・」



このジェントル・ゴースト・ストーリーは、英米だけでなく、日本にも見られる文芸ジャンルです。古くは『雨月物語』の「浅茅が宿」から、近くは山田太一の『異人たちとの夏』や浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』『あやし うらめし あな かなし』まで。

浅田次郎といえば、ブログ『降霊会の夜』で紹介した本や、著者・東雅夫氏が解説を書いているブログ『押入れのちよ』で紹介した荻原浩の作品なども典型的なジェントル・ゴースト・ストーリーであると言えるでしょう。

このように、日本でもじつに多種多様な優霊物語の名作が書かれています。

また著者は、『剪燈新話』や『聊斎志異』をはじめとする中国の怪談文芸にも、このジャンルに属する恋愛怪談の名作が多いことを指摘しています。



「なぜ今、ホラーではなく怪談なのか?」という問いに対しては、どうでしょうか。

著者は、「人間そのものの恐ろしさを描く」ことを主眼とするサイコ・ホラーが実は古くから存在していたとして、次のように述べています。

「ミステリーとホラーの両ジャンルから傍流扱いされていたサイコ・ホラーが、現代的なエンターテインメントの新分野として脚光を浴びるようになったのは戦後、ロバート・ブロックの長篇『サイコ』(1960)が、ヒッチコック監督による映画化で大きな反響を呼んだあたりからと考えてよいでしょう。やはりハリウッドで映画化されて日本でも大いに人口に膾炙したトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』(1988)であるとか、あるいは先にも触れた貴志祐介の『黒い家』(1997)など、傑出したサイコ・ホラー作品は、しばしば超自然系ホラーを凌駕する絶大なポピュラリテイを獲得するに至りました。なぜでしょうか?

やはり最大の要因は、サイコ系ホラーに描かれる恐怖が、超自然系ホラーのそれよりも身近で分かりやすく、誰でも容易に怖さを実感できる点に求められると思います。

死んだ人間の怨霊がテレビのモニターを通り抜けて襲いかかってくるような恐怖と、変質者やストーカーに執拗につきまとわれたり、隣の住人や自分の恋人が実は凶暴な殺人鬼だったと判明する恐怖――現代人にとって、どちらがよりリアルに感じられるかは明白でしょう」



そして、著者は「現代の怪談」としてのサイコ・ホラーについて次のように述べます。

「超自然の恐怖を描くホラーや怪談文芸は、書き手にとって挑戦し甲斐のある分野であり、『文学の極意は怪談である』(佐藤春夫)と云われる所以でもあるわけですが、実際問題として、日々量産されるエンターテインメント作品の多くに、そうしたハイレベルな達成をコンスタントに求めることは難しいでしょう。映画やテレビドラマに先導される形で日本の読書界に定着したサイコ系ホラーが、身近な日常にひそむリアルな恐怖を追求するエンターテインメントとして、ミステリー読者をも巻き込んで幅広く読まれ、超自然ホラーを駆逐しかねない勢いで浸透していったのも無理からぬところでした」



本書の第二部は、怪談の歴史を知るというテーマです。

古今東西の名作や名場面が紹介されており、怪談の歴史を俯瞰するには最適です。

怪談愛好家はもちろん、これから怪談を書こうという人にも、本書は必携のガイドとなるでしょう。わたしは、本書を読んで、ますます怪談が読みたくなりました。

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わが書斎の怪談文芸コーナー


2012年8月12日 一条真也

2012-08-11

「異界百物語」

一条真也です。

11日の午後、ネットで非常に興味深い動画を観ました。

このブログを毎日読んでいる長女が、「パパは最近、幽霊や怪談のことを調べているみたいだね。ネットでこんなのを見つけたよ」とメールで教えてくれたのです。

いつもの「YouTube」ではなく、中国の動画共有サイト「YouKu」の動画でした。

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異界百物語〜Jホラーの秘密を探る〜」より


NHKのBSハイビジョン特集フロンティア「異界百物語〜Jホラーの秘密を探る〜」という番組でした。2008年4月24日の夜に放映されたそうですが、2年間もの歳月を経て制作されたというだけあって非常に凝った作りで、見応えのある内容でした。

ブログ『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』で紹介した本とも関係の深い内容でした。

NHKオンラインHP「異界百物語 国際版〜Jホラーの秘密を探る〜」には、次のような内容紹介があります。

「呪いのビデオ、家に棲みついた霊、水道から溢れる髪の毛・・・・・。

ここ数年、日本のホラー映画=Jホラーの恐怖が世界を駆け巡っている。

きっかけは『リング』のリメイク作品。世界で100億円を超える興行収入を上げた。

さらに、オリジナルを撮った日本人監督を起用した『呪怨』ハリウッド版も大ヒット、ブームを決定付けた。Jホラーはなぜ世界を魅了するのか?

その秘密を解明しようと、アメリカの映画関係者や研究者は分析を続ける。

背景には、『理屈を超えた怪異』『不滅の怨霊』『湿気の中の恐怖』など、日本人独特の文化があると指摘する。日本人は古代から異界を語ってきた。夜、ロウソクの火を囲んで幽霊の話を語り、怪談を書き残し、次世代へ伝えてきた。

そして、異界を題材にした能や歌舞伎の作品が創作され、妖怪や幽霊が描かれ、怪談映画や漫画、そして、Jホラーが生み出されたのである。

『異界百物語』は、Jホラーが西洋の観客をひきつける要因を取材、その背後に広がる日本の異界を描き出し、日本人が千年以上に渡って引き継いできた素晴らしい文化を、百物語スタイルで伝えていく知的エンターテインメントだ」

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108分にわたる映像でしたが、わたしは夢中になって一気に観ました。

「リング」呪怨」をはじめとして、ハリウッドを魅了したジャパニーズホラーの原点を探り、日本文化の底流を流れる異界の魅力に迫っています。

番組内では、ラフカディオ・ハーン小泉八雲)と節子の夫妻も再現ドラマに登場します。

そこで、ハーンが「日本では人間の世界と死者の世界は共存していた。日本人は皆、霊的な世界を信じている」と語った言葉が印象的でした。

また、この番組にはハーンが最も好きだった怪談である「飴屋の幽霊」が映像化されており、興味深かったです。死んだ母親の幽霊が、飴で赤ん坊を墓場で育てるこの物語は、まさに「グリーフケアとしての怪談」そのものだと感じました。

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歌舞伎・能・小説・浮世絵・・・・・日本人が千年以上育ててきた独特の文化がふんだんに紹介されており、大変興味深かったです。そして、「死者との交流」こそが日本文化の核心ではないかという気さえしてきます。いや、おそらく日本だけではなく、人類の文化そのものが「死者との交流」に根ざしているのだと思います。

なにしろ、葬儀という行為から人類の文化は始まったのですから。

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この番組には、映画監督の清水祟・高橋洋・落合正幸・中田秀夫・鶴田法男の各氏、作家の瀬戸内寂聴京極夏彦の各氏、民俗学者の小松和彦氏などが次々に登場し、日本文化における「死者との交流」について語ります。また、三遊亭円朝の「怪談乳房榎」を桂歌丸が披露し、竹中直人氏が陰陽師の安倍晴明を演じるという豪華版です。

さらには、三大怪談映画として「雨月物語」「地獄」「怪談」という国際的にも高い評価を受けた日本映画も紹介されています。じつに盛りだくさんの贅沢な内容で、嬉しくなってしまいますね。これは、もう単なる映画のドキュメンタリー番組などというより、映像による優れた日本文化論であると言えるでしょう。

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それにしても、お盆を前にして、この動画を観ることができて良かったです。

構想中の新作『唯葬論』(仮題)のイメージも膨らんできました。

父親の仕事を少しでもサポートしたいと気を遣ってくれる長女に感謝です。

またNHKへのお願いですが、ぜひこの素晴らしい番組を再放送、オンデマンド、DVD発売のいずれかで多くの日本人が観賞できるようにしていただきたいです。


2012年8月11日 一条真也

『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』

一条真也です。

夏真っ盛りです。お盆も近く、怪談の季節ですね。

『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』東雅夫著(学研新書)を読みました。著者は当代一の「怪談スペシャリスト」で、ブログ『遠野物語と怪談の時代』でも紹介しました。

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最新日本怪談入門



本書の帯には、「江戸から現代まで300年を見渡す 最新日本怪談入門」と書かれています。また、表紙カバーの折り返しには、次のように書かれています。

「なぜか日本では百年ごとに実話怪談が流行っている。

では、百年前、二百年前には何があったというのか? 

江戸の一大怪談ブームから、明治・大正の黄金期、

そして平成の実話怪談ムーブメントまで、

意外な視点でつづる新たな日本怪談文学史、誕生!」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」

第一章:二つの震災の間で

第二章:怪談百年周期説

第三章:文化文政の怪談作家たち

第四章:明治大正の怪談作家たち

第五章:平成の怪談作家たち

「おわりに」

付録「日本怪談文芸年表」


 

「はじめに」で、著者は次のように述べています。

「まさに世は怪談全盛時代――実はこの現象、平成の現代ばかりでなく、戦前にも、さらには江戸時代にも、奇妙なことにピタリ1世紀、百年ごとに、非常によく似た時代が到来していたのである。

そこで私は考えた。それぞれの時代を代表する怪談作家たちと、かれらが生み出した名作佳品の数々を押さえていけば、日本が世界に誇るべき文化である『怪談』のもっとも良質な部分を、それこそピンポイントで堪能することができるのではないか。

さらには、怪談というものの本質にも迫ることができるのではないか。

以上のようなアイデアのもとに執筆されたのが、本書である」



第二章「怪談百年周期説」の冒頭では、平成の現在からちょうど1世紀ほど前、明治30年代から大正時代にかけて、著名な文化人たちのあいだで「怪談」が一大ブームとなりました。本書には、次のように書かれています。

泉鏡花はもとより、夏目漱石小泉八雲幸田露伴や森鷗外、芥川龍之介谷崎潤一郎等々、たとえ作品は読んだことがなくても名前くらいは誰でも知っているような文豪たち。鏑木清方や小村雪岱、鰭崎英朋、岡田三郎助らの画家たち。

歌舞伎の尾上梅幸や新派の喜多村緑郎、花柳章太郎などの役者たち。

柳田國男や井上圓了、平井金三、日夏耿之介といった学究たち。

平山蘆江松崎天民、鹿塩秋菊をはじめとするジャーナリストたち。

まさに文化の全領域にわたって、『おばけ好き』な名士たちが、こぞって怪談を書いたり、描いたり、演じたり、あるいは学問の対象として真剣に調査考察をしたり、夏ともなれば誘い合って百物語怪談会に興じたり・・・・・それこそ『怪談黄金時代』とでも呼びたくなるような光景が年々歳々、繰りひろげられていたのであった」

そして、そうした同時代の怪談ブームを直接の原動力として誕生したのが怪談実話集としての性格を持つ柳田國男の『遠野物語』(1910)だったのです。



「怪談百年周期説」という言葉からもわかるように、著者は1世紀ごとに怪談ブームが到来し、そこには大災害をはじめとして人々に大きなストレスを与える時代背景があったとしています。本書の記述をもとに、わたしが以下に整理してみました。

●300年前(元禄〜宝永年間)  

『伽婢子』(浅井了意)、『諸国百物語』(作者不詳)

西鶴諸国話』(井原西鶴)、『懐硯』(井原西鶴

『死霊解脱物語聞書』(残寿)、『怪談全書』(林羅山

・・・・・元禄地震(M8.1)、宝永地震(M8.7)、富士山の宝永大噴火

●200年前(文化文政年間)

雨月物語』(上田秋成)、 『雨月物語』(上田秋成)     

『桜姫全伝曙草紙』(山東京伝)、『近世会談霜夜星』(柳亭種彦)

稲生物怪録』『仙境異聞』『勝五郎再生記聞』(平田篤胤

南総里見八犬伝』(曲亭馬琴)、『東海道四谷怪談』(鶴屋南北

・・・・・幕藩体制の矛盾の露呈、財政の窮乏、諸外国からの圧力

●100年前(明治末〜大正時代)

『怪談』(小泉八雲)、『高野聖』(泉鏡花

『夢十夜』(夏目漱石)、『遠野物語』(柳田國男

『百物語』(森鷗外)、 『妖怪百談』(井上円了

『人面疸』(谷崎潤一郎)、『金の輪』(小川未明

『妙な話』(芥川龍之介)、『冥途』(内田百痢

・・・・関東大震災(M7.9)、ハレー彗星来襲(1910年)



以上のリストを見ると、時代の幅が長すぎると思う人もいるかもしれませんが、たしかに1世紀ごとに怪談がブームになっていることがわかります。この流れで見ると、1995年の阪神・淡路大震災(M7.3)およびオウム真理教事件から2011年の東日本大震災(M9.0)へと至る現代が一大怪談ブームであると言えるかもしれません。

現在、日本の文芸界には「平成ホラー・ジャパネスク」と著者が名づけたムーブメントが見られます。そこでは、日本の風土に固有の恐怖や怪異の伝承世界を追い求めてやまない作家として、坂東眞砂子篠田節子恩田陸小野不由美の「新鋭女流ホラー四天王」をはじめ、小池真理子宮部みゆき、そして京極夏彦といった人々が本書でも紹介されています。このブログでも書評を書いてきた彼らの怪談はベストセラーとなり、いくつかは映像化もされてきました。

間違いなく、現代日本は怪談ブームのさなかにあるのです。

100年周期の怪談ブームは、民衆の無意識の不安の表れなのでしょうか。

ブームの期間が長すぎることは事実であり、たとえば200年前の怪談ブームの期間は約20年間、100年前のブームに至っては約30年間となっています。まあ、「怪談百年周期説」に関しては、参考意見程度にとどめておいたほうがいいかもしれません。



多くの怪談愛好家たちにスルーされがちな「怪談百年周期説」よりも、本書の白眉は、著者の考える怪談の本質にあります。

第五章「平成の怪談作家たち」で、著者は自身が編集長を務める「幽」を「怪談小説専門誌」ではなく「怪談専門誌」と銘打った理由を次のように述べています。

「およそ怪談くらい、その名を冠する諸ジャンル――怪談小説、怪談実話、怪談漫画、怪談映画、怪談芝居、怪談噺等々のジャンルが、相拮抗して存立してきた分野も珍しいと思うのだ。特にポイントとなるのが『実話』で、恋愛映画とかSF漫画とはいっても、恋愛実話、SF実話というものは、ジャンルとして想定しにくい。まあ、『犯罪』ならば、実話でも小説でも大丈夫だろうが、犯罪漫画とか犯罪芝居、犯罪噺というのは・・・・・」

そんなこんなで「幽」では「怪談小説」「怪談実話」「怪談漫画」を三本柱に据えることになったそうですが、ここには「怪談」というジャンルの特殊性が見事に語られています。



そして、誰でも知っているように、日本では昔から「怪談」は夏の風物詩として受容されてきたことを指摘しつつ、次のように述べます。

「心胆を寒からしめることで銷夏の一助とする。だから蒸し暑い夏場が怪談のシーズンなのだ――という解釈は、感覚的には得心させられるけれども、実のところ俗説である。むしろ注目すべきは、お盆の風習との関わりなのだ。

釈迦の弟子・目連尊者が、餓鬼道にあって苦しむ母親を救うための供養をしたという『盂蘭盆経』の伝承にもとづく盂蘭盆会は、日本古来の祖霊信仰と結びついて、近世にいたると精霊会、魂祭などの名称で民間に定着をみた。

陰暦の7月なかば(地方により時期に異同あり)、家々の門前で迎え火を焚き、精霊=祖先の霊や新仏、さらには無縁仏までをもお迎えし、供物を捧げて冥福を祈る。夜となれば寺社の境内や集落の広場で、慰霊のための舞踊がにぎやかに催される・・・・・今に続く盆踊りの行事には、踊りの輪の中に精霊を迎え入れ、生者と死者がもろともに歌舞に興ずるという祖霊供養の性格が色濃く認められるのであった」



ちなみに慰霊・鎮魂と舞踊といえば、中世以来の夢幻能が連想されます。

そう、世界にも稀な幽霊劇といえる夢幻能もまた、見えないモノとの交感に由来する芸能でした。また、歌舞伎の祖とされる出雲阿国は、京都で盆踊りの原型である踊り念仏を主宰と伝えられています。能にしろ歌舞伎にしろ、近世の芸能には、慰霊と鎮魂の宗教儀礼としての要素が秘められているのです。

さらには、「日本最初の怪談実話集」と呼んでも過言ではない仏教説話集『日本霊異記』も、近世における怪談文芸の最初の成果とされる仮名草子『伽婢子』も、いずれも著者は僧侶でした。近代において語りとしての怪談の担い手となった噺家や講釈師のルーツもまた、近世仏教の説教僧であったとされています。



これらの史実を踏まえて、著者は次のように述べます。

「要するに、われわれ日本人は、怪異や天変地異を筆録し、語り演じ舞い、あるいは読者や観客の立場で享受するという行為によって、非業の死者たちの物語を畏怖の念とともに共有し、それらをあまねく世に広めることで慰霊や鎮魂の手向けとなすという営為を、営々と続けてきたのであった。

たとえば、菅原道真の御霊伝説にせよ、あるいは四谷怪談にせよ、怪談というものは、総てを奪われ、ついには命まで落とした人たちの思いが、現実には何もできない、だからこそ現実を超えた物語として発動する・・・・・という構造を共通して抱え持っている。

しかも、そうして生まれた物語を、私たちは延々と繰り返し、演劇や映画の形で上演したり、物語として本に書いたり、さらには天神様のように神社を建ててお祀りしたりして、その出来事を延々と語り伝えてきているのだ。

仏教における回向の考え方と同様に、死者を忘れないこと、覚えていること――これこそが、怪談が死者に手向ける慰霊と鎮魂の営為であるということの要諦なのだろう」

そう、怪談の本質とは「慰霊と鎮魂の文学」なのです。



本書の最後で、著者は「ガレキの下から人の声」という奇妙な話を紹介しています。

これは、東日本大震災から16日が経過した2011年3月27日の朝、石巻市の津波被災地で「ガレキの下から人の声が聞こえる」という情報が警察に寄せられ、自衛隊などによって大がかりな捜索が行われたというものでした。しかし100人態勢で捜索したにもかかわらず、結局のところ生存者も、遺体も、何も見つかりませんでした。

著者は、「これを怪談として捉えたら」と考えて、次のように述べています。

「大がかりな捜索がおこなわれたこと、多くの人たちが必死に探し求めてくれたこと。

それ自体が、せめてもの供養に、手向けになったとは考えられないだろうか。

現実には何もできない、してあげられない、だからこそ、せめて語り伝える物語の中で何とかしたい。何かをなしたい。そこにこそ、怪談という行為の原点があり、この世において果たすべき役割があるのだと、私には思えてならないのである」

そう、「慰霊と鎮魂の文学」としての怪談とは、残された人々の心を整理して癒すという「グリーフケア文学」もあるのです。



東日本大震災以来、被災地では幽霊の目撃談が相次いでいるそうです。

たとえば、2012年1月18日付のMSN産経ニュースでは、「『お化けや幽霊見える』心の傷深い被災者 宗教界が相談室」という記事が紹介されています。津波で多くの犠牲者を出した場所でタクシーの運転手が幽霊を乗車させたとか、深夜に三陸の海の上を無数の人間が歩いていたとかの噂が、津波の後に激増したというのです。

わたしは、被災地で霊的な現象が起きているというよりも、人間とは「幽霊を見るサル」であり、「死者を想うヒト」なのではないかと思います。

故人への思い、無念さが「幽霊」を作り出しているのではないでしょうか。

そして、幽霊の噂というのも一種のグリーフケアなのでしょう。

夢枕・心霊写真・降霊会といったものも、グリーフケアにつながります。

恐山のイタコや沖縄のユタも、まさにグリーフケア文化そのものです。そして、「怪談」こそは古代から存在するグリーフケアとしての文化装置ではないかと思います。

怪談とは、物語の力で死者の霊を慰め、魂を鎮め、死別の悲しみを癒すこと。

ならば、葬儀もまったく同じ機能を持っていることに気づきます。

葬儀で、そして怪談で、人類は物語の癒しによって「こころ」を守ってきたのでしょう。

本書を読み終えたわたしは、心の底から「怪談は必要!」と思いました。


2012年8月11日 一条真也

2012-08-10

『災害と妖怪』

一条真也です。

『災害と妖怪』畑中章宏著(亜紀書房)を読みました。

著者は、1962年生れの著述家・編集者です。中沢新一氏が所長を務める多摩大学芸術人類学研究所の特別研究員で、日本大学芸術学部写真学科の講師だそうです。

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柳田国男と歩く日本の天変地異



本書には、「柳田国男と歩く日本の天変地異」というサブタイトルがついています。

また帯には、「河童や天狗は、私たちのうしろめたさの影なのか?」と書かれています。

さらに帯の裏には、「地震、飢饉、干ばつ、洪水などの災害の記憶は、河童、座敷童、天狗、海坊主、大鯰、ダイダラ坊・・・・・おどろおどろしい妖怪に仮託され、人々の間に受け継がれてきた。自然への畏怖、大切な人を失った悲しみ、自分だけ生き残ってしまったうしろめたさ・・・・・が妖怪たちを生んでいるのか」と書かれています。



カバー折り返しには、次のような内容紹介があります。

「柳田国男の『遠野物語』『妖怪談義』『山の人生』を繙くと、日本列島は、大地震だけでなく、飢饉、鉄砲水、干ばつなど、繰り返し災害に見舞われている。そこかしこで起こる災害の記憶は、河童、座敷童、天狗、海坊主、大鯰、ダイダラ坊・・・・・おどろおどろしい妖怪に仮託され、人々の間に受け継がれてきたのだ。遠野、志木、柳田の生まれ故郷の辻川(兵庫)、東京の代田などをたどり直し、各地に残る妖怪の足音を取材しながら、ほそぼそと残る『災害伝承』を明らかにする」



本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

一章:河童は死と深く結びつくものであるという事

二章:天狗が悪魔を祓うといまも信じられている事

三章:洪水は恐るべきものでありすべての始まりでもある事

四章:鯰や狼が江戸の世にもてはやされたという事

五章:一つ目の巨人が跋扈し鹿や馬が生贄にされた事

「あとがき」



「はじめに」の冒頭では、柳田国男が書いた『遠野物語』(明治43年・1910年)の序文が「詩情溢れる遠野郷の描写と来るべき民俗学への布石を示す主張がないまぜとなった魅力的な文章」と表現されています。

また、この序文の中にはとても大切な言葉がちりばめられていると述べられています。

それは「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という有名な一節であり、「これは目前の出来事なり」「要するにこの書は現在の事実なり」という言葉です。

これらの言葉を受けて、著者は次のように述べています。

「『遠野物語』一巻を、数かずの妖怪が登場する怪異譚集としてみた場合、『平地人を戦慄せしめよ』と呼びかけられているのは、河童や天狗、山男に山女、そしてザシキワラシといった妖怪や小さな神々であるだろう。そして『目前の出来事』『現実の事実』という言葉に着目するとき、こういった怪異はいつまでも実在したかに思いをめぐらさずにおれないのである」



2011年3月11日に発生した大地震と大津波により、東北地方には甚大な被害がもたらされ、大量の犠牲者が生まれました。

その中で、岩手県の中央に位置する遠野市は、内陸と沿岸部を結ぶ地の利から、災害に対する後方支援の拠点として機能したそうです。

ブログ「『遠野』の絆」でも、そのことを紹介しました。

著者は、「復興に携わる多くの人々を受け入れることができたのは、遠野が『遠野物語』で知られる観光地として、宿泊施設が充実していたからにほかならない。柳田国男がわずか350部あまりを自費出版した本が、101年後に予想もしなかったであろう機能を果たしたのである」と書いています。

日本民俗学の幕を開けたとされる『遠野物語』について、わたしは、これまでにもブログ『水木しげるの遠野物語』ブログ『幽霊記』ブログ『遠野物語と怪談の時代』ブログ『遠野物語と源氏物語』などで書いてきました。



『遠野物語』といえば、震災以降、第99話が注目を浴びています。

遠野出身の北川福二という人物が、三陸沿岸の田の浜に婿入りしましたが、そこで明治三陸大津波(明治29年・1896年)に遭います。

福二は大津波で妻と子を亡くし、残された2人の子どもと小屋を建てて住んでいましたが、ある夜、浜辺で妻の幽霊に遭遇するという話です。

サロンの達人」こと佐藤修さんが、ご自身のブログで「福二の願望」という記事で、この99話について書かれています。以下に、『遠野物語』の原文を引用いたします。



「土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。代々の山臥にて祖父は正福院と云ひ、学者にて著作多く、村の為に尽くしたる人なり。清の弟に福二と云ふ人は海岸の田の浜へ婿へ行きたるが、先年の大津波に遭ひて妻と子とを失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。

夏の初の月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遙々と船越村の方へ行く崎の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、振返りてにこと笑ひたる。

男はと見れば海波の難に死せり者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてあると云ふに、子供は可愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物言ふとは思われずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。

追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明まで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。」

(『遠野物語』第99話より)



福二と同じく、津波で亡くなった犠牲者の幽霊を目撃したという報告が被災地で相次いでいます。2012年1月18日付の「産経新聞」には、「水たまりに目玉、枕元で『遺体見つけて・・・』『幽霊見える』悩む被害者」という見出しの記事が掲載されました。それによれば、「お化けや幽霊が見える」という感覚が、東日本大震災の被災者を悩ませているというのです。震災で多くの死に直面した被災者にとって、幽霊の出現は「こころの傷」の表れだという見方もあります。

行政でも対応できる部署はありませんし、親族にも相談しづらいため、宗教界が教派を超えて取り組んでいるという内容でした。「水たまりに目玉がたくさん見えた」「海を人が歩いていた」という被災者の目撃談も絶えません。遺体の見つかっていない家族が「見つけてくれ。埋葬してくれ」と枕元に現れたという報告もありました。

宮城県栗原市の曹洞宗寺院の住職は、お化けの悩みに関する講話の際に、「多くの人が亡くなり、幽霊を見るのは当然。怖がらないでください」と語ったそうです。

さらに住職は「幽霊について悩むことは、亡くした家族のことから少し離れて生と死を考えるきっかけにもなる。そこから生の世界で前に進む姿勢を示せるようになることにつながればいい」と語ったとか。



著者は、「はじめに」の最後に、柳田の『妖怪談義』の序文の一節を紹介しています。

「化け物の話を一つ、できるだけきまじめにまた存分にしてみたい。けだし我々の文化閲歴のうちで、これが最も閑却されたる部面であり、従ってある民族が新たに自己反省を企つる場合に、特に意外なる多くの暗示を供与する資源でもあるからである。私の目的はこれによって、通常の人生観、わけても信仰の推移を窺い知るにあった」

これにならって著者も、本書において、災害にまつわる妖怪や怪異現象について「できるだけきまじめに」考えていきます。


本書での著者の主張は、「妖怪は私たちのうしろめたさの影」であるというものです。

柳田国男といえば日本民俗学の祖ですが、彼の『遠野物語』『妖怪談義』『山の人生』などを繙くと、日本列島は、大地震だけでなく、飢饉、鉄砲水、旱魃など、始終、災害に見舞われました。そして、河童、座敷童、天狗、海坊主、大鯰、ダイダラ坊といった妖怪たちは、災害の前触れ、あるいは警告を鳴らす存在として、常に日本人の傍らにいたのです。 安政の大地震をはじめ、毎年そこかしこで起こる災害の記録は、おどろおどろしい妖怪に仮託され、人々の間に受け継がれてきたのでした。

特に、河童のイメージは津波や洪水などでの水死者と重ね合わされました。

「水」がもたらす災いは現実に、いまも豪雨などであります。地方によっては水害の要因を河童に求めるために、その部分だけが強調されて伝わってきてしまったというのです。

著者は、遠野、志木、生まれ故郷の辻川(兵庫)、東京の代田などをたどり直し、各地に残る祭りや風習などを取材します。そこで、細々と残る「災害伝承」、民俗的叡智を明らかにしていくのでした。妖怪たちの背後から、自然への畏怖、親しい人の喪失、生き残ってしまったうしろめたさ、言葉にならない悲しみが漂ってきます。



本書には、わたしが知らなかった多くのことが書かれていました。たとえば、柳田国男の後継者の1人である民俗学者の早川孝太郎が「海坊主」を目撃していていたこと。

早川が見た「海坊主」は、水死者の幽霊ともUMA(未確認生物)とも推測されますが、いずれにしても驚きました。また、遠野地方が何度も飢饉に遭っていたこと、関東地方が巨人伝説の宝庫であったことも初めて知りました。

「巨人伝説」について、著者は次のように書いています。

「『巨人伝説』は世界各地に分布し、『遠い過去の存在』は人並みはずれた体で、標準を超える姿と想像するとともに、異常な存在として畏怖や蔑視の対象にしてきた。そして、世界の秩序を揺るがしたり世界を創造するといったように、この世の成り立ちにかかわる役割を果たすことが多いとされる。日本でも鬼・天狗・英雄などの異人や神、またはその使者が巨人とされることがあり、池や湖沼を巨人の足跡や腰をかけた跡、山や島をその持ち物や排泄物などと説く例は少なくない。地形創出伝承の主人公は、ダイダラ坊や大人のほかに、鬼八、金八、弥五郎などと呼ばれるものもいた。ダイダラという名前の系統では、ダイダラ坊、ダイダラ法師、ダイダラボッチ、デエラボッチ、ダイラ坊、大太法師、大道法師、デーデーボなど各地でさまざまな呼び名がある」

なんとなくブログ『進撃の巨人』で紹介した漫画を思い出してしまいますが、ダイダラボッチとかデエラボッチという名前を聞いて、アニメ映画「もののけ姫」に登場する「シシ神」の別名である「ディダラボッチ」を思い浮かべる人もいることでしょう。


著者は、このシシ神について次のように書いています。

「宮崎駿によるスタジオジブリの長篇アニメーション『もののけ姫』の舞台は、室町時代の日本とされる。この物語で、山林を開拓して鉄をつくるタタラの民と対立し、森を守ろうとする『もののけ』の長は『シシ神』、あるいは『ディダラボッチ』と呼ばれる巨大な森の神である。制作ノートによると、このシシ神=ディダラボッチは、『生命の授与と奪取を行う神。新月に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返す。その首に不老不死の力があると信じられている。夜の姿はディダラボッチで、独特の模様と半透明な体を持つ。体内で青い光を放ちながら、夜の森を徘徊する』ものだとされる」



本書の終わりには、柳田の『一目小僧その他』の最後に置かれた「熊谷弥左衛門の話」が紹介されます。各地に点在する稲荷の小祠の由来について考察した文章ですが、この一篇は「そこでたった一言だけ、私の結論を申し上げます。曰く、およそこ世の中に、『人』ほど不思議なものはない」という言葉で締めくくられています。この言葉を受けて、著者は次のように述べます。

「人は大きな苦難も小さな不思議もほかの人に伝えようとして、あまりうまくいかなかったかもしれない。でもそういう営みを丹念に見ていくと、なにか未来への手がかりが得られるのではないか。柳田国男の民俗学は、そんな野心に満ちたものだったはずだ。不思議な存在である『人』がいるかぎり、災害と妖怪は生み出されるのであり、それらとの葛藤をささやかな文化にしていくのもまた『人』なのであった」

本書は、現在構想中の『唯葬論』(仮題)にインスピレーションを与えてくれました。

ただ、「柳田国男」という人物はいませんので、表記を「柳田國男」と正確にしてほしかったです。本書を読んでいる間、そのことがずっと気になって仕方がありませんでした。


2012年8月10日 一条真也

2012-08-09

福地先輩との再会

一条真也です。

今日、わたしが心から尊敬する方と再会しました。

アサヒビールを統括するアサヒグループホールディングズの福地相談役です。

わざわざ、小倉の松柏園ホテルまで訪ねてきて下さいました。

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尊敬する福地先輩と



ブログ「マイケル・サンデル白熱教室」で紹介した小倉高校の大先輩が直々にお越し下さるなんて、身に余る光栄です。ご実家が戸畑なので、お墓参りに帰られたそうです。

福地会長は、松柏園の庭などを眺められながら、何度も「良いホテルですね」と言って下さいました。アサヒビール社長&会長、NHK会長などの要職を歴任され、今も新国立劇場の理事長を務められる財界の超大物から親しく接していただき、非常に感激しました。やはり、高校の先輩というものは有難いものです。

ブログ「『こころ』と『かたち』」では、先輩の貴重なアドバイスについて書きました。

今日は、松柏園の茶室で、冷えたスーパードライを飲みながら昼食を御一緒させていただきましたが、いろんな話に花が咲きました。

大相撲の話、歌舞伎の話、オペラの話、幸福感の話・・・・・日本における文化界の頂点に立っておられるだけあって、いずれのお話も含蓄が富み、勉強になりました。



その中で、「無縁社会」の話にもなりました。

わたしは、これまでNHKの「無縁社会キャンペーン」に疑問を呈してきました。

それどころか、「無縁社会」という言葉は日本語として破綻しているとまで何度も発言してきています。福地先輩はNHKの元会長であり、会長時代にあの「無縁社会キャンペーン」が展開されました。いわば当事者というかキャンペーンの最高責任者だったわけであり、わたしに対して悪い印象を持たれていないかと少し心配しました。

しかし、そこは太っ腹で、まったく気にされておられませんでした。

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松柏園ホテル正面前で



福地先輩自身も「無縁社会ではいけない」「日本人は、もっと縁や絆を見直さなければいけない」と言われていました。また、「長幼の別」などの倫理観を取り戻す必要があると言われました。わたしの唱える北九州市を高齢者福祉特区にというプランも興味深く聞いて下さいました。近いうちに、同様の提案を新聞紙上でされるそうです。

会話を重ねれば重ねるほど、わたしは福地先輩の人柄に魅了されていきました。

いつも笑みを絶やさず、ときどき見せられる厳しい表情にも、「超一流」を感じます。

このような素晴らしい先輩との御縁を得ることができて、わたしは本当に幸せです。

やっぱり、この世は有縁社会。そのことを痛感いたしました。

福地先輩、今日はお会いできて嬉しかったです。

不肖の後輩ですが、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


2012年8月9日 一条真也

鎮魂

一条真也です。

今朝、新聞各紙にわが社の意見広告が掲載されました。

「長崎原爆の日」にあわせた「鎮魂」の広告です。

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「朝日」「毎日」「読売」「西日本」新聞8月9日朝刊広告



今日は、わたしにとって、1年のうちでも最も重要な日です。

わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。

小倉とは何か。それは、世界史上最も強運な街です。なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。

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朝礼で長崎原爆の話をしました



今朝、サンレー本社の朝礼に参加しました。

そして、社員のみなさんに長崎原爆の話をしました。

67年前、原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたか。

広島の原爆では約14万人の方々が亡くなられていますが、当時の小倉・八幡の北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、広島以上の大虐殺が行われたであろうとも言われています。

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犠牲者の御冥福を祈って黙祷しました

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社員全員で犠牲者の冥福を祈りました



当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。よって原爆が投下された場合は確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。

死んだはずの人間が生きているように行動することを「幽霊現象」といいます。

考えてみれば、小倉の住人はみな幽霊のようなものです。

そう、小倉とは幽霊都市に他ならないのです! 

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社員の中には、長崎県人もいました



それにしても数万人レベルの大虐殺に遭う運命を実行当日に免れたなどという話は古今東西聞いたことがありません。普通なら、少々モヤがかかっていようが命令通りに投下するはずです。当日になっての目標変更はずっと大きな謎でした。

ブログ『原爆投下は予告されていた』で紹介した本を読み、ようやく納得しました。

いずれにせよ小倉がアウシュビッツと並ぶ人類愚行のシンボルにならずに済んだのは奇跡と言えるでしょう。その意味で、小倉ほど強運な街は世界中どこをさがしても見当たりません。その地に本社を構えるわが社のミッションとは、死者の存在を生者に決して忘れさせないお手伝いをすることだと、わたしは確信しています。

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みんな神妙な顔で話を聴いていました



今日の朝礼では、社員全員による長崎原爆犠牲者への黙祷を捧げました。

小倉の人々は、原爆で亡くなられた長崎の方々を絶対に忘れてはなりません。

いつも長崎の犠牲者の「死者のまなざし」を感じて生きる義務があります。

なぜなら、長崎の方々は命の恩人だからです。

しかし、悲しいことにその事実を知らない小倉の人々も多く存在します。

そこで長崎原爆記念日にあわせて、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「朝日」「毎日」「読売」「西日本」の各紙に広告を掲載しています。ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきました。



新聞広告には満月のイラストをバックに「鎮魂」と大きく書かれ、「昭和20年8月9日−−小倉に落ちるはずだった原爆。」と続きます。

そして「平和への願いを込めて、長崎に祈りを」として、次のように書いています。

「それは67年前のこと。昭和20年8月9日、長崎に第2の原子爆弾が投下されました。広島に人類最初の原爆が落とされた3日後のことです。

長崎型原爆・ファットマンは8月6日にテニアン島で組み立てられました。

そして、8月8日にアメリカ陸軍在グアム第20航空軍司令部野戦命令17号において、小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、8月9日に投下する指令がなされました。

8月9日に、ソ連が日本に宣戦布告。この日の小倉上空は前日の八幡爆撃による煙やモヤがたち込めていたため投下を断念。

第2目標であった長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。

小倉の軍需工場が原爆投下の第1目標であったことを、皆さんはご存知でしたか。長崎ではこの原爆によって74000人もの尊い生命が奪われ75000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでいます。

もし、この原爆が小倉に投下されていたら、あなたの家族や知りあいの方々が命を失い、あるいは大きな痛手を受けたことでしょう。もしかすると、この新聞を読んでいるあなたは、この世に存在していなかったかもしれません。

絶対に戦争の悲惨さを風化させないためにも、私共は原爆の犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに、恒久平和への祈りを捧げていきたいと思います。

古来、世界各地で月はあの世に見立てられていました。夜空に浮かぶ月を見上げて手を合わせ、亡くなられた方々を想ってみてはいかがでしょうか。

私たちは、『人間の尊厳』を見つめながら、全国各地で真心を込めて、鎮魂と慰霊のお手伝いをさせていただきたいと願っております」



そして、9月29(土)18時からサンレーグランドホテルで行われる「月への送魂」のセレモニーの案内をさせていただきました。ぜひ、今年も多くの方々にご参集いただき、月を見上げてなつかしい故人を偲んでほしいと思います。

今朝、わたしは例年通りに自宅で次の短歌を詠みました。

「長崎の身代わり哀し 忘るるな 小倉に落つるはずの原爆」

死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありません。

長崎の原爆で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


2012年8月9日 一条真也

『恐山』

一条真也です。

8月9日になりました。「長崎原爆の日」です。

67年前、本当は小倉に落ちるはずの原爆でした。

小倉に落ちていたら、わたしはこの世に生まれてきませんでした。

長崎の多くの犠牲者を想わずにはいられません。

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死者のいる場所



『恐山』南直哉著(新潮新書)を読みました。

「死者のいる場所」というサブタイトルがつけられ、帯には「人は死んだらどこへゆく――『恐山の禅僧』かく語りき。」と書かれています。

また、表紙カバーの折り返しには、次のような内容紹介があります。

「死者は実在する。懐かしいあの人、別れも言えず旅立った友、かけがえのない父や母――。たとえ肉体は滅んでも、彼らはそこにいる。日本一有名な霊場は、生者が死者を想うという、人類普遍の感情によって支えられてきた。イタコの前で身も世もなく泣き崩れる母、息子の死の理由を問い続ける父・・・・・。

恐山は、死者への想いを預かり、魂のゆくえを決める場所なのだ。

無常を生きる人々へ、『恐山の禅僧』が弔いの意義を問う」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「まえがき」

第一章:恐山夜話

第二章:永平寺から恐山へ

第三章:死者への想いを預かる場所

第四章:弔いの意味

「無常を生きる人々〜あとがきに代えて」



1958年(昭和33年)生まれの著者は、恐山の菩提寺住職代理(院代)です。

かの永平寺で20年間も修行していたそうです。

同じ曹洞宗でも永平寺と恐山のカラーはまったく違いますので、著書が初めて受けた衝撃の大きさが本書から伝わってきます。

最初に著者は、「古くから日本人に知られる霊場でございますから、そこがどんなにおどろおどろしい場所であるか、それを知りたいと思っている方もたくさんおられることでしょう。『日本三大霊場』『日本三大霊地』『日本三大霊山』、そのいずれにもランク・インしているのは恐山だけであります」と述べています。

ちなみに、それらの「三大霊〜」の内容は以下の通りです。

「日本三大霊場」(恐山:青森・白山:石川・立山:富山)

「日本三大霊地」(恐山:青森・立山:富山・川原毛:秋田)

「日本三大霊山」(恐山:青森・高野山:和歌山・比叡山:滋賀)


このように恐ろしい場所の代名詞にもなっている恐山ですが、わたしが初めてその名を知ったのは小学4年生のときでした。その頃、「少年マガジン」に「うしろの百太郎」の連載がスタートしました。つのだじろうによる心霊マンガでしたが、その第1回目に恐山で撮影された心霊写真が紹介されていたのです。

わたしは、「心霊写真」などというものも初めて知りました。

それ以来、中岡俊哉の「恐怖の心霊写真集」シリーズにハマリました。

わたしは、「うしろの百太郎」によって、心霊の世界について啓蒙(?)されたのです。



「うしろの百太郎」の心霊写真には、たしかイタコのような老婆が写っていました。

「イタコ」といえば、「恐山」の代名詞のようになっています。

「イタコ」とは、いったい何なのか。本書『恐山』には、次のように書かれています。

「はたして、イタコとは何者なのか。もとは青森を中心とする北東北地方で霊媒をする女性のことを指すようです。まあ、霊媒師というか巫女さんのことです。

『口寄せ』と呼ばれる降霊術を行い、死者の魂を呼ぶと言われています。しかしこれは起源がはっきりしていません。目の不自由な女性の生業として始まったのだろうと言われていますが、はっきりとした起源はない。古くからこの地域の民間信仰にもとづいたものだとは思うのですが、それについては一般に大きな誤解があります。それは、『恐山のイタコ』というものは、元来存在しない、ということです。つまり、恐山がイタコを管理しているわけでも、イタコが恐山に所属しているわけでもないのです。両者の間に一切の契約関係はございません。そのことをまず申し上げなくてはいけない」

つまり、イタコというものは個人事業主なわけですね。


どうしても恐山というと、イタコに興味が向けられます。

著者も、7年以上も恐山にいればイタコが死者の霊を「口寄せ」した事実はあったのだろうというケースを耳にすることも当然ありました。しかし、その前に著者は、次のように死後の世界や霊魂の行方に関する仏教の公式見解を述べるのでした。

「『はたして死後の世界は霊魂があるのか、ないのか』と問われたときに、『答えない』というのが、ブッダの時代からの公式見解です。それを仏教では『無記』と呼びます。

ある男が、この世の成り立ちや死後の世界の有無についてブッダに解答を迫るが、ブッダは一貫してそのような質問には答えなかった、という故事があります。

ブッダのそのような態度が『無記』と呼ばれるものなのです。

なぜ答えないのか。それは『ある』と答えても、『ない』と答えても、いずれにせよ論理的な矛盾が生じて、世界の体系が閉じてしまうからです」

著者はまた、「必ずしも簡単とは言えない人生を、最後まで勇気を持って生き切るにはどうするか。それこそが仏教の一番大事なテーマであって、死んだ後のことは、死ねばわかるだろう、ぐらいに考えればいい」というのが仏教の公式見解であると述べます。



では、「恐山の禅僧」である著者は、いわゆる幽霊を見たことはないのか。

著者は、「見た」ことは一度もないと断った上で、次のように述べます。

「ただ、私が見ていないからといって、『ない』とは言い切れません。私はこの世に常識や科学で説明できない不思議な現象が多く存在することを否定しません。先ほど述べたように、『ある』とも『ない』とも断言できません。もしかしたらその不思議な現象を、『心霊』モデルで説明した方が、納得しやすい場合もあるでしょう。しかしお坊さんとしては、『心霊』の実在の有無ではなく、それが人間の生き方にどう関わるのか、それこそが問題だと思っています。心霊が実在するとしたら、それは人間の問題の何を解決するのか、より良い生活を導くのか、他人との関係が豊かに深くなるのか。

肝心なのは、そのことなのです」



本書には、「死者のいる場所」というサブタイトルがついています。「死者のいる場所」というのは「心霊スポット」というだけではなく、「慰霊の場所」という意味合いもあります。

霊場恐山には故人を思慕する人々がたくさん訪れ、五月人形や花嫁人形、あるいは故人が生前着ていた遺服を供える人もいるそうです。

こういった遺族の行為について、著者は「人形や服を供えることで、何とかその亡くなった人を存在させようとしているのです。このことを私は、単純に『悲しみ』『切なさ』『懐かしさ』のような、気持ちや感情の問題として考えることができません。ここには何か、圧倒的なリアリティがある。それが恐山の凄みでもあるのです」と述べます。



著者は「霊場恐山は、幽霊が出るから1200年続いたわけではない」としながらも、その一方で「魂の有無に恐山はかかっている」とも述べます。

そして、「魂とは何か」について、「私に言わせれば、それは人が生きる意味と価値のことです。大和魂と言えば、日本人として生きる意味と価値のこと。武士の魂と言えば、侍として生きる意味と価値のことです」と述べています。

魂とは、どこにあるのか。この問いに対して、著者は次のように答えます。

「魂というものは、1にかかって人との縁で育てるものです。

他者との関係の中で育むものでしかないのです。

よくよく考えてみればわかるでしょう。魂というものの最初の種、これを植えてくれる人があるとすれば、母親をおいて他にいないと思います。本当は両親と言いたいところですが。私も父親なので誤解のないように言っておきますが、父親の役割や責任を免除しているわけではありません。客観的に考えて、私は母親だと思うのです」



本書には、「人は死んだらどこへゆく」という問題についても語られています。著者が修行僧時代、出家してしばらくした頃のこと。著者が使えていた老僧から「おまえは人が死んだらどこへ行くか知っているか」と質問され、答えられなかったそうです。すると、その老師は、「人が死ぬとな、その人が愛したもののところへ行く」と語ったとか。

続けて老師は「人が人を愛したんだったら、その愛した者のところへ行く。仕事を愛したんだったら、その仕事の中に入っていくんだ。だから、人は思い出そうと意識しなくても、死んだ人のことを思い出すだろう。入っていくからだ」と言い、さらには「愛することを知らない人間は気の毒だな。死んでも行き場所がない」と言ったというのです。

この言葉は、非常にわたしの心に突き刺さりました。さすがは禅の老師ですね。



著者によれば、霊場恐山は1200年の間、「もう一度会いたい 声が聞きたい」「また会いに来るからね」という死者への想いによって支えられてきました。

その想いが地層のように積み重なり、それが形になった場所が恐山だといいます。

そして、世間では最近「パワースポット」という言葉が流行していますが、著者は恐山のことを「パワーレス・スポット」と呼び、次のように述べます。

「パワースポットと呼ばれる場所は、そこに何かありがたいもの、超自然的なもの、人知で計りがたいものがあって、そこから不思議なパワーが発散される場所のことでしょう。だからそこに行けば、元気をもらえたり、癒されたり、何かご利益を得ることができると信じられ、それを求めて人が集まる。そのような場所がパワースポットだというのならば、恐山は真逆でございます。恐山が霊場であるのは、パワーがあるからではないんです。力も意味も『ない』から霊場なんです。つまり恐山は、『パワーレス・スポット』なのです」



第三章「死者への想いを預かる場所」は、慰霊・鎮魂・さらにはグリーフケアという問題も絡んで、非常に読み応えがありました。

著者は、恐山を「仏教では割り切れない場所」であるとし、「死者供養を例に考えてみましょう」と読者に呼びかけて、次のように述べます。

「それまで永平寺で学んだ仏教の理論をもってすれば、『無記』というカードを使って、『死後の世界や霊魂を“ある”とも“ない”とも言わない。それが仏教の考え方です』と、答えを保留することができます。

『死後の世界や霊魂が“ある”と思う人は“ある”と思えばいい。“ない”と思うならそれでいい』そのように仏教の公式見解を伝えて、放っておけばいい。そう割り切ればいいのです。そのカードを切ってしまえば、別にこちらが困ることはありません。

仏教教義上、間違ったことは決して言っていないし、理論的な混乱も生じません」

しかし、一方で著者は次のようにも述べます。

「ところが恐山に身を預け、いざ当事者になってみると、そうはいかないのです。

『無記』のカードだけでは割り切ることのできない、動かしがたい、圧倒的な想いの密度と強度――それを私はリアリティと呼んでいます――がそこにはある」



そして著者は、ついに「死者は実在する」と考えなければ、恐山のことは理解できないと思い至ります。そこから、「死」についての著者の思索は深まっていきます。

まず最初に「死者=死」ではないとして、次のように述べます。

「一見、死というものは死者に埋め込まれている、張り付いていると思われがちです。しかし私が恐山でつかんだ感覚としては、死は実は死者の側にあるのではありません。むしろそれは死者を想う生者の側に張り付いているのです。

なぜなら、死こそが、生者の抱える欠落をあらわすものだからです。その欠落があるからこそ、生者は死者を想う。欠落が死者を想う強烈な原動力になっているのです。

死者のことが忘れられない、というのは、忘れられない構造が人間の中にあるからです。死者を忘れるということは、生きている人間が抱える欠落を、何か適当な意味をつくってふさぐことに等しい。しかし、死とはあらゆる意味を無効にしてしまう欠落です。死者こそがこれを意識させる。私が恐山に来てつくづく思ったのは、『なぜみんな霊の話がこんなに好きなのだろうか』ということです。それは人間の中に根源的な欲望があるからです。そしてその欲望は不安からやって来ます。

つまり、霊魂や死者に対する激しい興味なり欲望の根本には、『自分はどこから来てどこに行くのかわからない』という抜きがたい不安があるわけです。

この不安こそがまさに、人間の抱える欠落であり、生者に見える死の顔であり、『死者』へのやむにやまれぬ欲望なのです」



死というものを考えるとき、よく「1人称の死」「2人称の死」「3人称の死」と3種類に分ける言葉が使われます。その言葉自体は、名著『死』を書いたフランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチによって広められたものです。

このジャンケレヴィッチの言葉に対して、著者は次のように述べます。

「1人称の死、というのは、自分の死。

2人称の死、というのは、家族や近親者の死。

3人称の死、というのは、他人の死。

そのように“死”を分けて考える。

だけど私に言わせれば、2人称と3人称の死、というのは、“死”ではありません。

それはただの“不在”か“消滅”です。他者の不在や消滅を目の当たりにした者が、これが自分にもいずれ起こることだと考えたときに、初め“死”がリアルなものとして立ち上がり、死についての自覚が生まれるのではないでしょうか。

2人称、3人称の死というのは、1人称の死を投影しただけです。他人の死というものは、自分の死の参考には決してならないものです。何人称であろうが、つまり「あなたの死」であろうが、「彼の死」であろうが、ある不在が自分にも起こると思った瞬間に、死という言葉が我が身にもリアルに迫ってくるのです」



「人は死んでも関係性は消えない」とする著者は、次のように述べます。

「自分に欠落したものを死者が見せ、その欠落が欲望するものを死者に預けていく。

『死者に会いたい』と考える根底のところでは、そのような無意識のはたらきがあるのではないでしょうか。友人であれ夫婦であれ家族であれ、生前に濃密な関係を構築し、自分の在りようを決めていたものが、死によって失われてしまう。

しかし、それが物理的に失われたとしても、その関係性や意味そのものは、記憶とともに残存し、消えっこないのです」

ただし、関係性や意味を生者がずっと抱えていくことは困難です。

生者が抱えたままでは日常生活を送ることができなくなります。



ならば、どうするのか。著者は、次のように述べます。

「死者にその関係性を預かってもらうのです。私たちの想い出す、懐かしむという行為によって、死者は現前し続けます。不在のまま、我々に意味を与え続ける。だけど生者はその意味を持ちようがない。抱えきれない。

相手が生きていれば、その関係性や意味を互いに持ち合うことができます。また、意味を変化させたり、再生産したりすることもできるでしょう。

しかし相手が不在の場合、これはどうしようもありません。お手上げです。両者をつなぐ意味だけが残り、しかもそれは生者の行動さえも変えてしまう力を持つのですから、その力に押されて精神的に参ってしまう人がでてもおかしくありません。身近な人の死に囚われて、一時期は一歩も身動きが取れなかったという人が、よく恐山を訪れますが、まさにそれです。生者は、死者という『不在の関係性』を持ち切れません。その代わり、死者にその『不在の意味』を担保してもらう他ないのです。

死者に関係性や意味を預かってもらうしかないのです」



死者に関係性や意味を預かってもらう場所こそ、霊場恐山なのです。

さらに、続けて著者は次のように述べます。

「重要なのは、生者との関係性が消えてしまうと、その関係性の密度は、むしろ死んでしまった後の方が強化される、ということです。

よく言うでしょう。『自分の親が死んでからそのありがたさがわかった。生きている間に親孝行しておけばよかった・・・・・・』

いつまでも相手がいると思うと、愚かにもその人をあまり大切にしなかったり、会いに行かなかったりします。しかし、いつでも会えると思っているうちに相手が死んでしまったら、後々まで大きく響きます。感謝でも謝罪でも、その人が生きているうちにしておかなければ、それは後悔という形で永遠に残ってしまいます」



関係性のあった相手が亡くなると、その後に残る意味は強烈なものになります。

それはイメージや観念として残るのですが、生者だけでは持ちきれないので、死者に預かってもらうしかないのです。著者は述べます。

「死者の想い出というのは、それが懐かしさを伴うものだろうが、恨みを伴うものだろうが、死者に背負わせるべきものなのです。生者が背負うものではなく、死者に預かってもらうしかないのです。恐山というところは、そのような死者の想い出を預かる場所なのです。『恐山は巨大なロッカーである』とも言えるでしょう。想い出というのは、預けておく場所が必要です。よく『過去を引きずるな』と言いますが、それは『死者の想い出を生者が持ち切れない』からです。『死んだ人のことは忘れなさい』とも言いますが、忘れられるわけがありません。それが大事な人だったらなおさらのことでしょう。その想い出は死者に預かってもらうより他ないのです」



「恐山は巨大なロッカーである」とは、名言ですね。ロッカーといえば、わたしは納骨堂をイメージしてしまいます。よく考えると、納骨堂や墓に預けるものとは遺骨だけではなく、故人の思い出もそうですね。ここで、供養の問題が出てきます。

著者は、供養について次のように述べています。

「死者と向き合う、というのは、仏教の問題とは直接関係がないのです。

どの世界のどの宗教にも死者と向き合う儀式があります。亡くなった人への想いというのは全世界共通のもののはずで、その感情をどのような枠に入れて処理するか、というところでそれぞれの宗教の問題になってきます。

それは仏教的なものもあれば、キリスト教的なものもあれば、恐山的なものもある。どれを使っても別にいいわけです。仏教の中でも極楽浄土を設定するものもあれば、我々禅宗のやり方でもいい。それはその人が生きている世界や縁で決まってくるもので、そこには優劣も本質的な違いもないと私は思います」

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死者儀礼のあり方について考える



供養の問題は、当然ながら、葬儀という死者儀礼の問題につながります。

最近、「葬式は、要らない」という言葉に代表されるように、あちこちで葬式仏教批判が行われています。葬式仏教の形骸化が叫ばれ、仏教の僧侶を必要としない無宗教の葬儀も増えています。このような風潮に対して、わたしは『葬式は必要!』(双葉新書)を書いたわけですが、著者も次のように述べています。

「死者に対して何かを想うということと、死者儀礼というのは別のものです。

しかしもっと決定的なのは、こうした儀式仏教に対する批判や意識の変化が、死者の扱い方とは別問題だということです。儀礼の煩雑や金銭問題などは、所詮、枝葉の話です。

むしろ問題は、生者の側にあります。

最大の原因は、他者や自己の存在感が希薄になっていることです。

死者供養の形骸化というのは、生者が軽く扱われていることと並行して考えるべき問題です。生者の意味が軽くなっているから、死者の意味も軽くなっているのです。

繰り返し述べているように、死者のリアリティと生者のリアリティは同じである、と私は思っています。生のリアリティの根本にあるのは他者との関係性です。他者との関係性が軽くなってしまえば、生きている人間の存在感も軽くなる。他者に強い思い入れもなければ、他者から得るものも当然少なくなってきます。

それは他者とて同じこと。存在感が希薄になりつつある生者に、死者を想い出す余裕はありません。葬式に対する意識が薄くなるのも当然です」

この著者の意見に、わたしもまったく同感です。



「葬式無用論」とセットになっているのが「無縁社会」の問題です。いつも指摘していますが、NHKスペシャルで「無縁社会」が最初に放映されたのも、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)の初版が刊行されたのも、ともに2010年の1月でした。

このとき、日本人の「こころ」は大きな曲がり角を迎えたと思っていますが、結局、「無縁社会」と「葬式は、要らない」は同じ意味というか、同義語ではないかと思います。

著者も、「無縁社会」について次のように述べています。

「『無縁社会』と呼ばれる昨今は、『最近、葬式抜きで、いきなり埋葬する方法が増えてきています。これはお坊さんとしては反対でしょう?』と尋ねられたことも数度あります。

残念だとは思いますが、反対ではありません。どう葬ろうと、葬る人の自由です。仏教の教義をどんなに検討しても、そこから直接現在のような葬式をしなければいけないという確実な根拠は、引き出せません。仏教僧が葬式をできるのは、それを望む人がいる限りにおいてです。したがって、今後も僧侶が葬式に関わりたいと思うなら、仏教のファンを増やし、僧侶への信頼を培い、『仏教僧侶であるあなたに自分の葬式をしてほしい』と、檀家なり信者なりに言ってもらう努力をするしか、対策はないのです。

私は巷間言われている『葬式仏教』に未来はない、と思っています」


 

そして、著者は「死者儀礼」そのものの意味を問い、次のように述べます。

「死者儀礼の場合、人が人を弔うことには、どのような意味があるのか。そしてそれをなぜ仏教が担うのか。お坊さんが果たす役割とは何か――。

そこまで問いを深く下ろして、考えなければいけないのです。

弔いという行為は、人類共通のものです。古今東西、どの民族、どの文化にも存在します。人が人と死に別れるためには、何らかの儀式が必要なのです。そこを見つめない限り、葬儀のイノヴェーションもあり得ないでしょう」



「弔いの意味」について考える上で、著者は述べます。

「人が誰かと死別するということ、その死別を悲しむ人がいるということ、そして追憶には長い時間を要する、ということについて真剣に考えなければいけません。

人間だけが人間を看取ります。

人間だけが人間を埋葬します。

そして人間だけが故人を想い出します。

そのことをふまえて、根底から弔いの意味を問い直さなければいけないのです」



わたしは、葬式仏教が日本人の宗教的欲求を満たしてきたことの意味は大きいと思っています。また、遺族の悲しみを癒すグリーフケアにおいても、日本では仏教が最大の役割を果たしてきました。著者は仏教を「死者を想うための器」として、述べます。

「人間は水を飲むのにもコップという器を使います。

人間の衝動というものは、何かで汲み上げられない限り感情にはなり得ません。

死に対する衝動を汲み上げるにも、何らかの器が必要なのです。

その器として機能したのが、日本の場合は仏教だったのです。

それは恐山でも同じです。仏教の器があるからこそ、そこに入っているものの匂いや味、形がわかるのです。人が死を思い、故人を拝むには器が必要なのです。

目に見えるものをよすがとしなければ、死者というものも立ってきません。

何もないところで、『自由に死者を想い出してごらん』と言われても、思考は次第にとりとめなく拡散するばかりで、しまいにはどうしてよいかわからなくなるでしょう。

そこには何らかの器が必要なのです」

同感です。この文章は、葬式仏教の理論武装に今後なりうる可能性を持っています。


 

また、著者の「死者」についての考え方にも強く共感しました。

著者は「死者は懐かしくて恐いもの」であるとして、次のように述べます。

「おそらく、人間には拝むものが必要なのです。

なぜなら、死や死者に対する懐かしさと恐れが、人間には抜き難くあるからです。

なぜ、そのような感情が生じるかというと、死という、わけのわからない何かが自分の内側にもあるからです。それを処理するためには、拝む対象がどうしても必要になってくる。ただ、むき出しの死者に対して拝むことはできません。それは恐いことです。

死者を拝むためには、死者の輪郭をはっきりさせて、自分との距離を作ってくれるものが必要になってきます。それが宗教の仕掛けなのです。

お墓でも、仏像でも、位牌でも、イタコでもいい。

一定の距離を生者と死者の間に作るために、そのような装置が必要になってきます」



最後に、本書には東日本大震災で生まれた膨大な犠牲者(死者)と被災者(遺族)のことが書かれています。震災後、20歳そこそこの頭を金色に染めたヤンキー風の若者が、著者の寺を訪れたそうです。気仙沼から来たという彼は、震災の犠牲となった妻と赤ん坊のために塔婆の供養に来たのでした。しかし、彼からはまったく悲しみが感じられず、まるでコンビニしているのと変わらぬ様子だったそうです。

そんな姿に呆然としながらも、著者は「彼はいま、悲しくないのだ」と気づきます。

そして、次のように書いています。

「彼らには、まだ死者がいない。失われた人が死者になりきっていないのだ。死そのものを理解できない人間は、別離という生者の経験になぞらえて死を考えるしかない。

別れとは何か。それは、今まで自分の人間関係の中に織り込まれていた人物を、不在者として位置づけなおすことである。『不在』という意味の存在者に仕立てることである。

だから、別れには挨拶がいるのだ。作法が要るのである。挨拶は、そのような存在の仕方を互いに許し、確認する行為である。死による別離も事情は同じである。弔いという行為が人間の社会にあるのは、生者に挨拶があるのと同じことなのだ。この過程を経ないと、別れは別れにならず、死者は死者として『存在』できない。

その『存在』と生者は新しい関係を結ぶことができない。適当な距離をとれない」



人間にとって、いったい「弔い」とは何なのでしょうか。著者は述べます。

「そもそも、弔いとは時間のかかる行為なのである。ときに儀礼の形式をかりながら感情を整理して、死者を死者たらしめるには、短くない過程が必要なのだ。

突然の大量の犠牲者と被災者の状況を思えば、おそらく彼らには十分な別れがない。つまり、『死者』になりきれない。遺体が発見されなければなおさらだ。その意味では、事故などで急に家族を奪われた遺族も同じである。失われた人への様々な想いも、死者になりきれない存在には預けようがない。『ひょっこり帰ってきそうな気がする』人に、『なぜ死んじゃったの』と、剥き出しの悲しみをぶつけることはむずかしい」



東日本大震災後、多くの日本人が「死」を見つめています。

死者とは何か。死者儀礼とは何か。供養とは何か。

ある意味で現代的なこれらの問題を前にして、1200年にわたって「死者のいる場所」であり続けてきた恐山という窓を覗きながら考えることは非常に意味があると思います。

仏教の枠を超えた著者の哲学的思索にも、知的好奇心を大いに刺激される好著です。


2012年8月9日 一条真也

2012-08-08

福岡中央銀行講演

一条真也です。

朝、スターフライヤーに乗って東京から北九州へ帰ってきました。

午後3時から、リーガロイヤルホテル小倉で福岡中央銀行「MUSBO元気塾北九州」が開催され、多くの企業の代表者が集まりました。

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「MUSBO元気塾北九州」が開かれました

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福岡中央銀行・末松頭取の挨拶



福岡中央銀行さんは、九州を代表する銀行のひとつです。

ホテルの控室で関係者の方々と名刺交換しましたが、末松頭取以下、すべての役員の方々がブログ「表紙の人」で紹介した「ふくおか経済」8月号を18ページもある記事の隅々まで読まれていたのには驚くとともに恐縮しました。頭取は、「ちょうどウチの講演の時に表紙になられてタイミングが良かったですよ」と言われていました。

わたしは、「MUSBO元気塾北九州」の基調講演の講師を努めさせていただきました。

講演テーマは、「孔子とドラッカー〜ハートフル・マネジメント」でした。

最初に、同行の末松取締役頭取が挨拶されました。

末松頭取は、過分な講師紹介だけでなく、拙著『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)の紹介までして下さいました。なんだか恐縮しました。

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基調講演を務めました



登壇したわたしは、次のような話をしました。

「マネジメント」という考え方は、ドラッカーが発明したものとされている。

ドラッカーの大著『マネジメント』(ダイヤモンド社)によれば、まず、マネジメントとは、人に関わるものである。その機能は、人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。これが組織の目的だ。

また、マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものである。組織はすべて学習と教育の機関である。あらゆる階層において、自己啓発と訓練と啓発の仕組みを確立しなければならない。

このように、マネジメントとは一般に誤解されているような単なる管理手法などではなく、徹底的に人間に関わってゆく人間臭い営みなのである。

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マネジメントについて語りました



2001年10月に冠婚葬祭会社の社長に就任して以来、経営学者ピーター・ドラッカーの全著作を精読し、ドラッカー理論のもとに会社を経営していると自負しています。

彼の遺作にして最高傑作『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)に感動し、同書の内容をわたし個人に対するドラッカーからの問題提起ととらえ、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)というアンサーブックを上梓したくらい彼をリスペクトしています。

また、40歳を直前にして「不惑」たらんとし、その出典の『論語』を40回読みました。

古今東西の人物のなかでもっとも尊敬する孔子が開いた儒教の「礼」の精神を重んじ、「礼経一致」をもって会社経営にあたっています。

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孔子とドラッカーについて語りました

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みなさん、真剣に聴いて下さいました



今から約2500年前、中国に人類史上最大の人間通が生まれました。

言わずと知れた孔子です。孔子は、「人の道」としての儒教を開きました。

ドラッカーが数多くの経営コンセプトを生んだように、孔子は「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」といった人間の心にまつわるコンセプト群の偉大な編集者でした。

孔子の言行録である『論語』は東洋における最大のロングセラーとして多くの人々に愛読されました。特に西洋最大のロングセラー『聖書』を欧米のリーダーたちが心の支えとしてきたように、日本をはじめとする東アジア諸国の指導者たちは『論語』を座右の書として繰り返し読み、現実上のさまざまな問題に対処してきたのです。

そして、孔子とドラッカーの両者の思想における共通点を説明しながら、「会社は社会のもの」「人が主役」「人はかならず心で動く」ことを訴えました。

50分の講演を終えると、盛大な拍手を頂戴し、感激しました。

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末松頭取と

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頭取と歓談しました

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まー、おひとつ、どーぞ!



講演の後は、タナベ経営さんによる勉強会などが行われました。

そして、懇親会が行われました。福岡中央銀行の関係者の紹介に続いて、今日の参加者が全員紹介され、みなさん一言づつ挨拶されました。

それから乾杯が行われ、わたしは末松頭取の隣席でお話をさせていただきました。

末松頭取のお酒に強さにも驚きましたが、非常に気さくに接していただきました。

また、「今日の基調講演は、素晴らしかったですよ」と言って下さり、嬉しかったです。

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次々に名刺交換しました

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いろんな方から講演の感想をお聞きしました



参加者の方々も、次々にわたしの席に来て下さいました。

そして、みなさんと名刺交換して、お話しました。

みなさん、「基調講演が大変勉強になりました」と言って下さいました。

また、乾杯の音頭を取られた日之出食品の比嘉俊一社長をはじめ、現在38歳という人が何人かいて、みなさん「これから『論語』を40回読みたいです」と言っていました。

ゆっくり食事もできないぐらい、次から次へとわたしのもとに参加者の方が訪れて下さり、本当に講師冥利に尽きる夜でした。このような機会を与えていただいた末松頭取をはじめとした福岡中央銀行のみなさまに心より感謝いたします。



2012年8月8日 一条真也



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事業継承委員会

一条真也です。

東京に来ています。

7日、四谷にある三五館を訪問しました。

出版界の丹下段平」こと星山社長、「出版界の青年将校」こと中野さんに久々にお会いしました。星山社長が膝を骨折され、ギプスを嵌めておられていたのには驚きました。1日も早いご回復を心よりお祈りいたします。

また、今日の打ち合わせの結果、構想中の次回作『グリーフケアとしての怪談』(仮題)をさらにスケールアップして『唯葬論』(仮題)とすることになりました。

わたしは人間を「ホモ・フューネラル」と定義しており、あらゆる人間の文化的活動の本質は「葬儀」にあると考えています。人間とは、「死者を想うヒト」なのです。

『唯葬論』は、わたしのこれまでの総決算的な本であり、代表作となる予感がします。

もちろん、「幽霊」や「怪談」についても大いに語っていきますので、お楽しみに!

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事業継承委員会が開催されました



四谷でお二人と昼食をともにした後は、新橋へ・・・・・。新橋には(社)全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の本部があり、今日は事業継承委員会が開催されたのです。

わたしは、この委員会の委員長に新たに就任することになりました。

ちなみに、これまでは広報・渉外委員会の委員長を務めていました。

15時から新委員長として事務局と打ち合わせ、その後、16時から委員会が開かれました。担当副会長であるアークベルの北村社長をはじめ、副委員長を引き受けていただいたメモリードの吉田常務、アルファクラブ武蔵野の神田専務といったメンバーの方々が全国各地から集まってくれました。

この委員会は、全互協会の前会長である柴山ラック社長の熱い想いから生まれた委員会で、互助会業界の円滑な経営のバトンタッチをサポートすることを目的としています。互助会業界はだいたい事業継承を終えたとされていますが、メモリード、アルファクラブ武蔵野など事業継承を控えている大手もまだ残っています。

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委員長として考えを述べました



北村副会長の御挨拶に続いて、委員長であるわたしも挨拶しました。

わたしは、「実際の互助会の事業継承に役立つ研修会を開催したい。そのためには、互助会のナウ・リーダーとニュー・リーダーの両者から話を聞きたい」として、互助会のオーナーおよびその後継者2人による講演を中心にした研修会を提案しました。

これまで「事業継承」というと、「事業継承される」側だけの発想でしたが、これからは「事業継承する」側の発想も併せて全互協の会員互助会に提供したいと願っています。

テーマは、「互助会の原点と未来」といったところでしょうか。わたし個人としては、大手互助会各社の親子経営者からお話を聞きたいと思っています。

事業継承に対するわたしの考え方は、ブログ「事業承継セミナー」に書きました。



委員会の後は、新橋の「梅花(メーファ)」という中華料理店で懇親会が開かれました。

ブログ「矢作先生との再会」に書いた矢作先生との昨日の会食場所は「梅の花」でしたが、今日の懇親会場は「梅花」です。全互協・事務局の鈴木さんが糖分制限の料理に凝っており、この「梅花」も糖分を控えたヘルシー・レストランだそうです。

ボリュームたっぷりの中華コース(7品)で総カロリー930kcal、総糖質15gだとか。ちなみに普通の御飯は茶碗一膳で総糖質55gぐらいあるそうです。料理とともに、糖分控えめのレモンサワーや赤ワインをたくさん堪能しました。今夜は、初めてお会いしたメンバーの方もいて、非常に有意義かつ楽しい時間が過ごせました。

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新橋のネオンが魅惑的でした



懇親会を終えて外に出ると、新橋のネオン街が怪しくわたしを誘惑していました。

でも、翌日は朝一番で北九州に戻らなくてはなりません。

8日の午後から、銀行さんの勉強会で基調講演を依頼されているのです。

演題は、「孔子とドラッカー〜ハートフル・マネジメント」であります。

新橋のネオンを横目で見ながら、わたしは赤坂見附にある宿へと急ぎました。



2012年8月8日 一条真也



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2012-08-07

『トーチソング・エコロジー』

一条真也です。

『トーチソング・エコロジー』第1巻、いくえみ綾著(幻冬舎コミックス)を読みました。

朝日新聞の書評で知って興味を持ち、購入しました。平凡な役者志望の若者の前に、自分にしか見えない不思議な少女が現れるというファンタジー漫画です。

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生者の側には、いつも死者がいる!



帯の裏には、次のような内容紹介があります。

「しがない役者、清武迪。最近なぜか頭の中で聴いたことのない歌が鳴っている。そんなとき、アパートの隣の部屋に、高校時代の同級生だった日下苑が引っ越してきて!?そして彼女に寄り添う謎の少女とは・・・・・。この世の片隅で鳴る、不思議な失恋歌」

そう、「トーチソング」とは「失恋歌」という意味なのですね。



著者は、わたしより1歳下の1964年生まれで、北海道名寄市出身だそうです。

現在は北海道札幌市に在住とのこと。1979年、「マギー」でデビューし、2000年に『バラ色の明日』で第46回小学館漫画賞を受賞、さらに09年には『潔く柔く』で第33回講談社漫画賞少女部門を受賞しています。

ペンネームの「いくえみ綾」は「いくえみ・りょう」と読みます。

これは、尊敬する漫画家くらもちふさこの『小さな炎』『白いアイドル』『糸のきらめき』それぞれの登場人物の名前に由来するそうです。



わたしは著者の漫画を読むのは初めてなのですが、絵もうまく、物語にもすっと入っていけました。なんというか、少女漫画の絵の中には生理的に合わない作品が多々あり、また恋愛偏重のストーリーにも違和感を覚えることが多いのです。

でも、この作品は、どちらかというとわたし好みの漫画でした。

何よりも、「生者は死者とともに生きている」という世界観がわたしにマッチしました。

主人公の清武迪は、隣人・日下苑が恋心を寄せていた高校時代の親友の霊が見えるのです。彼は自殺したのですが、そのことは迪にとって大きな出来事でした。

「親友を亡くした人は、自分の一部を失う」という言葉があります。

まさに、親友の死によって迪の一部は失われてしまったのでした。

そんな迪の前に、ときどき親友の霊が現れては、他愛もない会話を交すのでした。

といっても、この作品はいわゆるホラーではありません。

死者が生者の側に寄り添っていることを当たり前のこととして自然に描いています。

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魂のエコロジー」を提唱しました



このナチュラルな死者の描き方がタイトルの「エコロジー」という言葉につながるように思います。わたしは、本書のタイトルから「魂のエコロジー」という言葉を連想しました。

かつて、わたしが『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)で提唱した言葉です。わたしは、同書で次のようなことを書きました。

現代の文明は、その存在理由を全体的に問われていると言えます。

近代の産業文明は、科学主義、資本主義、人間中心主義によって、生命すら人為的操作の対象にしてしまいました。そこで切り捨てられてきたのは、人間は自然の一部であるというエコロジカルな感覚であり、人間は宇宙の一部であるというコスモロジカルな感覚です。ここで重要になるのが、死者と生者との関わり合いの問題です。



日本には祖霊崇拝のような「死者との共生」という強い文化的伝統がありますが、どんな民族にも「死者との共生」や「死者との共闘」という意識が根底にあると言えます。

20世紀の文豪アーサー・C・クラークは、SFの金字塔である『2001年宇宙の旅』の冒頭に、「今この世にいる人間ひとりの背後には、20人の幽霊が立っている。それが生者に対する死者の割合である。時のあけぼの以来、およそ1000億の人間が、地球上に足跡を印した」と書いています。私はこの数字が正しいかどうか知りませんし、また知りたいとも思いません。重要なのは、私たちのまわりには数多くの死者たちが存在し、私たちは死者たちに支えられて生きているという事実です。

多くの人々が孤独な死を迎えている今日、動植物などの他の生命はもちろん、死者たちをも含めた大きな深いエコロジー、いわば「魂のエコロジー」のなかで生と死を考えていかなければなりません。本書『トーチソング・エコロジー』が、「魂のエコロジー」を日本人が考え直すきっかけになることに期待しています。

第2巻以降を読むのは、今からとても楽しみです!


2012年8月7日 一条真也

2012-08-06

冠婚葬祭の意味を問う

一条真也です。

サロンの達人」こと佐藤修さんが、ご自身のHPの中で『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)を紹介して下さいました。佐藤さんには、これまでにも多くの著書を紹介していただいています。いつも、心より感謝しています。

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佐藤修さんのHPより



佐藤さんは、2010年にNHKの「無縁社会」キャンペーンが話題になった頃、ブログで「無縁社会」についての示唆に富んだ記事を書かれています。

『無縁社会』という言葉を使うのはやめましょう」という記事です。

そこで、佐藤さんは次のように書かれています。

「最近、無縁社会という言葉がよく使われるようになりました。私はそのことをとても残念に思います。たしかに、一見、無縁社会であるように感じさせる事件は少なくありません。しかし、本当に無縁社会と言っていいのでしょうか。言葉は現実を説明すると同時に、新たな現実をつくりだします。そこに大きな懸念を感じています」

そんな佐藤さんは、『無縁社会から有縁社会へ』を果たしてどのように読まれたのでしょうか。気になりますが、佐藤さんは次のように書かれています。

「『無縁社会』という言葉を巡っての議論も面白いですが、私が一番興味を持ったのは、一条さんの次の発言です。

『互助会の存在は、戦後の日本社会にとって大きな意義がありました。戦後に互助会が成立したのは、人々がそれを求めたという時代的・社会的背景がありました。もし互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません』

しかし、その一方で、一条さんはこう発言しています。

『おそらく、互助会は便利すぎたのではないでしょうか。結婚式にしろ、葬儀にしろ、昔はとても大変な事業だった。親族や町内の人がみんないっせいに集まるような、一大事のイベントだった。それが、互助会にさえ入っておけば、安いかけ金で後は何もしなくてもOK、結婚式も葬儀もあげられるという感覚を生み出してしまった。そのことが、結果として、血縁や地縁の希薄化を招いた可能性はあると思います』」



このわたしの発言について、佐藤さんは次のように述べられています。

「一条さんは、全日本冠婚葬祭互助協会の理事です。

そして本書は、その全日本冠婚葬祭互助協会主催の公開座談会の記録なのです。

そうしたことを踏まえて考えると、『無縁社会』と言われるような状況を生み出した責任の一因が互助会にある、という一条さんの発言は実に刺激的です。

もちろん、だからこそ、冠婚葬祭互助会は新しい社会的役割と使命を真剣に考えなければいけないと言っているわけです。一条さんは、そうした新しい取り組みを始めていますので、その発言には説得力があります。

この発言を聴いた『業界』のみなさんが発奮してくれるといいのですが。

その気になれば、大きな風を起こせるでしょう。

しかし残念ながら、風はなかなか起こっていないような気がします」

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冠婚葬祭の意味やあり方を改めて問う



まことに耳の痛い言葉です。たしかに互助会業界は「有縁社会」を呼び込む大きな風を起こせる力を持っていながら、まだ起こしていません。佐藤さんは、さらに述べます。

「一条さんは、『冠婚葬祭が行われるとき、「緑」という抽象的概念が実体化され、可視化される』と考えています。そして、これからの互助会の役割は、縁を見えるようにし、良い縁づくりのお手伝いをすることだと最後に話しています。私も、冠婚葬祭の意味やあり方を、改めて問うべき時代にきているように思います。ちょっと特殊な本のように思えるかもしれませんが、生き方を考える上での示唆が沢山含まれています」



いま、冠婚葬祭互助会の社会的役割と使命が問われています。

わたしは、互助会の役割とは「良い人間関係づくりのお手伝いをすること」、そして使命とは「冠婚葬祭サービスの提供によって、たくさんの見えない縁を見えるようにすること」だと思います。それは、そのままサンレーのミッションでもあります。

佐藤さんの言葉をしかと受け止めて、これからの冠婚葬祭のあり方を問いつつ、具体的な方策を示していきたいと考えています。


2012年8月6日 一条真也

矢作先生との再会

一条真也です。

東京に来ています。とても暑いです。

5日、「勇気の人」こと矢作先生に久々にお会いしました。「梅の花」銀座並木通店の個室で待ち合わせし、豆腐と湯葉の懐石コースのランチを御一緒しました。

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矢作先生と稲葉先生の師弟コンビ



矢作先生は、ブログ『人は死なない』で紹介した本の著者です。

東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授にして、さらに東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長です。

今日は、東大病院の循環器系内科医師の稲葉先生も御一緒でした。稲葉先生は、作家の田口ランディさんと親しく、『人は死なない』の出版に際してサポートもされています。同書の「あとがき」にも名前が登場しますが、東大病院きっての読書家であり、東京大学医学部山岳部監督にして東京大学医学部涸沢診療所所長でもあります。

矢作先生と同年代かと思っていたのですが、なんと20も年下の33歳でした。

東大医学部で矢作教授の講義を受けておられ、精神世界を中心とした読書の影響も受けられたとか。なお、稲葉先生はこの「一条真也のハートフル・ブログ」を必ず毎日読まれ、特に書評ブログを楽しみにしておられるそうです。

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ウーロン茶で乾杯しました



アルコールを嗜まれない両先生にならって、わたしもウーロン茶を注文(本当は、日曜だし、冷えた生ビールが飲みたかった!)し、3人で乾杯しました。

そして、福岡から東京に進出を果たした「梅の花」のヘルシーな料理を味わいながら、両先生と神秘的でディープな会話を堪能しました。

古神道から大本教、そしてオウム真理教といった「宗教」の話もしました。

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矢作先生が送って下さった新刊2冊



最近、矢作先生は2冊の対談本を刊行され、わたしにも送って下さいました。

気成功家・鍼灸師の中健次郎氏との対談本『人は死なない。では、どうする?』(マキノ出版)、モンロー研究所公認レジデンシャル・ファシリテーターの坂本政道氏との対談本『死ぬことが怖くなくなるたったひとつの方法』(徳間書店)の2冊です。

いずれも非常に刺激に富んだ興味深い対談本であり、それらの内容はいずれ当ブログで詳しく紹介する予定です。まずは2冊の本の御礼を申し上げた後、その驚愕の内容について、わたしは次々と矢作先生を質問攻めにしました。その話題は、心霊からはじまって、超能力、UFO、地球外生命、超古代大陸、雪男、フリーエネルギーまで・・・・・。

さながら、古今東西の「謎」と「不思議」のワンダーランドのようでした。

矢作先生がいわゆる「オカルト」と呼ばれるジャンルに広く深く通じておられることに驚きましたが、わたしは「何か、おススメの本はありませんか?」と質問しました。

すると、矢作先生は一瞬の躊躇もなく、『黎明』葦原瑞穂著(太陽出版)の名を挙げられました。すべての神秘領域を遍く説明した物凄い本だそうです。なんでも、著者は元音楽プロデューサーで、現在は山で仙人のようにして暮らしているとか。

稲葉先生も、「『黎明』は、自分がこれまで読んだ本の中でも五指に入りますね」と言われていました。早速、わたしはアマゾンで『黎明』を注文しました。

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3人で大いに不思議な話をしました



わたしは、一番聞きたかったことを矢作先生にお聞きしました。『人は死なない』を上梓し、大きな話題となったことで、ずばり東大からの圧力はなかったかということです。

わたしの不躾な問いに対して、矢作先生は「ありませんでした」と即答され、その理由を「わたしは東大病院の現場で、誰よりも多くの時間頑張っていますから」と述べられました。この矢作先生の矜持あるいはプライドに、わたしは大きな感銘を受けました。

そして、わたしは「矢作先生の御活躍を、あの世で福来友吉博士がさぞ喜んでおられることでしょう」と申し上げました。福来博士というのは、超能力実験を行ったために東京帝国大学助教授の地位を追われた人物です。すると、稲葉先生が「矢作先生も公開実験などをされたら、どうなるかわかりませんよ」と笑いながら言っていました。

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矢作先生が推薦文を書いて下さいました



わたしが、矢作先生に御礼を申し上げた件がもう1つありました。それは、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)の推薦文を矢作先生が書いて下さったことです。このたび大増刷となった同書の帯に矢作先生は、「死別。それは人生でもっとも苦しい試練のひとつです。親・配偶者・子・恋人・友人との死別。後に残された様々の人に寄り添った愛のメッセージがこの『手紙』に込められています。そしてそれは亡くなった方々からあなたへの心からの幸せを願う言葉でもあるのです」との言葉を寄せて下さいました。

現役の東大医学部の教授がグリーフケアの書の推薦文を書いて下さいました。

わたしには、この出来事がグリーフケアの流れを変える予感がします。

この矢作先生の言葉によって、より多くの「愛する人を亡くした人」たちが同書を手に取り、死別の悲しみを少しでも軽くしてくれることを願ってやみません。

矢作先生、このたびは本当にありがとうございました。

今度は、ぜひ、先生と対談本を上梓したいです。

できれば、沖縄あたりで対談したいものですねぇ。

稲葉先生も、今日はいろいろなお話ができて楽しかったです。

ぜひ、矢作先生に続いて「こころの医療」の世界を拓かれて下さい。

両先生、今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたします!

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新文化」2012年8月30日号より


2012年8月6日 一条真也

2012-08-05

『死者は生きている』

一条真也です。

『死者は生きている』和田惟一郎著(PHP研究所)を読みました。帯には「死者の霊魂は実在し、生者と交信したがっている!」と赤字で大書され、続いて「心霊現象に懐疑的だったドイルは、なぜ心霊主義者になったのか。医師として科学的な態度で探求を続け、魂の実在を確信するに至った多くの証拠と研究を紹介。」と書かれています。

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コナン・ドイルが見つけた魂の世界



また、アマゾンには、本書の内容が以下のように紹介されています。

「死者は生きている。なぜなら、霊能力者を介して私たちに語りかけ、また私たちの前に幻像として現われるからである。死者の霊魂は実在し、私たちに何事かを語りかけようとしている。いわゆる幽霊が本当にいるかどうか科学的に探求しようとしたのが、19世紀後半に英国で誕生した心霊現象研究協会(SPR)である。SPRは当時流行していた交霊会や心霊現象のインチキを暴く一方で、どんなに実験をしても真正と認めざるを得ない心霊現象も数多く報告している。メンバーの言葉を借りれば『人を20回も絞首刑に処せられるほど証拠はそろっている』のである。

このSPRに所属していたコナン・ドイルは、当初心霊主義には懐疑的だったが、嘘偽りのない霊現象を目の当たりにし、最後には確固たる心霊主義者となった。本書はなぜドイルが霊の実在を確信するようになったか、多くの事例と研究を紹介しつつ、霊現象の科学的な背景にも迫る野心的な試みである」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」

「プロローグ」

第一章:コナン・ドイルとはどのような人物か

第二章:「死者は生きている」をドイルはどう証明したのか

第三章:英国心霊現象研究協会(SPR)

第四章:コナン・ドイルの論証は正しいか



「目次」を見てもわかるように、本書は作家コナン・ドイルを中心に、イギリスの心霊研究の歴史について書かれた本です。『死者は生きている』というタイトルから、わたしはブログ『人は死なない』で紹介した本を連想しました。考えてみれば、あの本の著者である矢作直樹氏も、コナン・ドイルも医師という共通点がありますね。

現役の東大医学部の教授で臨床医である矢作氏は「人は死なない。そこにいる」と述べていますが、それは本書『死者は生きている』のメッセージとまったく同じです。

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本書のテキストとなった3冊の翻訳書



さて本書は、著者も「プロローグ」で述べているように、『コナン・ドイルの心霊学』コナン・ドイル著、近藤千雄著(新潮選書)、『英国心霊主義の抬頭』ジャネット・オッペンハイム著、和田芳久訳(工作舎)、それにブログ『幽霊を捕まえようとした科学者たち』で紹介したデボラ・ブラム著、鈴木恵訳(文春文庫)の本の3冊を主なテキストにして書かれています。というよりも、ほぼこの3冊の内容のダイジェストと言ってもいいでしょう。

でも、翻訳書が持つ読みにくさをリライトすることで解消し、心霊の世界に詳しくない読者でも気軽に読めるライトな本に仕上がっています。



本書の主人公というべきコナン・ドイルは言うまでもなく作家です。

そう、シャーロック・ホームズの産みの親として有名です。

著者の和田氏はドイルほど知的で推理能力の優れていた人はいなかったとして、ホームズのシリーズに触れながら、以下のように述べています。

「主人公のホームズは犯罪学を研究している設定になっているのだが、ホームズの犯罪学は犯人の身体的特徴や癖、犯行現場に残る痕跡などから犯人像に迫る、非常に科学的なものである点である。ドイルはホームズを、足跡や付着した泥、繊維などから犯人像や経路などを判断する、地質学、博物学などあらゆる科学的な知識に通じた人物とし、科学的な捜査をする探偵とした」

犯罪学は、有名なチェーザレ・ロンブローゾによって確立されます。

ロンブローゾはイタリアの精神科医で犯罪人類学の創始者ですが、ホームズはそれ以前にその手法に通じた探偵として世に現れました。

ホームズシリーズがあらかた発刊された頃、エジプト総督府の警察官学校では、教材としてホームズシリーズが使われていたそうです。

著者は、「ドイルは小説という分野をもって、近代的な犯罪学の先駆モデルをつくっていたと言ってよい」と述べています。



そのように科学的な人物であったコナン・ドイルが、なぜ心霊主義者になったのか。

これについて、本書には次のように書かれています。

「ドイルが心霊主義を告白するに至った動機は、自分の長男と弟、義弟はじめ多くの身内を奪った第一次大戦の衝撃であり、特にそれが首謀国ドイツはじめ主要なキリスト教国どうしの戦争であったことに、ドイルは深く傷ついていた。

そして第一次大戦の開戦とあわせるかのようにドイルの身辺で頻発した心霊現象が、ドイルの心霊主義を決定的にした」



それでは、ドイルが心霊主義を擁護する論拠とは何だったのか。

それは、霊媒のもとで既存の科学で説明できない超常現象が起こることと、死者と交信できるのが事実であることの2つでした。

そしてドイルは、そのような現象は『聖書』にも多く記述されており、イエスも12人の弟子も霊能者であったと主張します。著者は、イエスが起こした奇跡と心霊主義を結びつけるドイルの考えについて、次のように述べています。

「このドイルの思想には、論じなければならない重要な要素が含まれている。なぜなら、イエスの時代に『しるしと不思議』がたて続けに起こったように、心霊現象が19世紀のなかばまら劇的かつ爆発的に起こり、社会現象にまで発展し持続したのは、人間の思惑を越えた何かがあると、ドイルは考えていたからである。つまりドイルは、19世紀以来、誰もが見たり聞いたりできるようになった心霊現象は、人類に道徳と生存の危機が迫っているということを知らせ、人類を道徳的、霊的に目覚めさせるために、高級霊界が人間の世界に起こしているのだ、と認識していた。そして迫りくる生存と道徳の最大の危機は、第一次世界大戦であるとドイルは考えたのである」

このドイルの抱いていた危機感というものを、わたしも強く共感します。



さて、本書はドイルを中心としたイギリスの心霊研究についての翻訳書を要約した部分があると前述しましたが、それでは著者自身の考えはどうなのでしょうか。

本書には、次のように書かれています。

「筆者が導いた結論をあえて言うならば、心霊現象をみられるような超常現象が実在することは疑えない、ということである。超常現象がニュートン力学を核とする世界観には完全に反すると承知したうえで、なおかつ超常現象は現に実在すると、筆者は判断するのである。断っておくが、とりあえず肯定するのは、心霊現象を含む超常現象が存在するというこの一点である。こうした超常現象は霊が起こすとか、霊が霊界で永遠に生きているなどという心霊主義全体を肯定するかはさておき、心霊現象と呼ばれる超常現象は実在する、と筆者は判断する」



では、この「筆者」とはどういう人なのでしょうか。

本書の〈著者略歴〉によれば、「1944年、神戸市生まれ。歴史研究家。神戸大学経済学部中退。1985年頃から知的理性的人間に興味をもち、その典型としてアインシュタインと織田信長の研究を始める。公務員の傍ら、自然科学と精神医学などを学び、作家として活躍」とあります。アインシュタインを研究し、自然科学を学んだというだけあって、本書には次のように書かれています。

「私たちが日々経験している物理的世界を構成している物質は、全て素粒子という量子によって構成され存在している。そしてこの量子は量子力学が明らかにしたように、人間が観測するまでは物理学的に存在せず、観測した瞬間に姿を現わすのである。アインシュタインがボヤいたように月は人間が見たときだけ存在し、コンピューターの原理を確立した超天才フォン・ノイマンが断言したように、山や河は人間が見たときに現出するのである。これを量子力学では波束の収縮とか観測者効果というが、量子力学はどこまでも正しい理論であると認められ、ニュートン力学は量子力学の一部の範囲だけに近似的に成り立つ理論であることが判明している」



さらに、著者はアインシュタインの「相対性理論」について述べます。

「そもそも相対性理論の光速度の法則は、物理学の舞台である空間から人間の理解を越えたものを排除したいという、物理学者たちの願望と一致しているのである。もちろん、それが自然を論理で理解するという意味でもあるのだが。

しかし量子力学で数々の実験を試みると、量子は無限の速度で情報を交換するとしか考えられない現象が続出した。そしてひとりの天才が、空間を越えた量子の相関が実証されれば、空間を含む全ての繋りが実証されると考え、それが実証できる方程式と、それを検証する実験を考察したのである。このジョン・ベルが考察した実験は何年か後に実施が可能になり、ジョン・ベルの方程式は全ての相関を示す結果を導くことが実験で検証されたのである。これをベルの定理という」



それまでの物理学においては、ニュートンからアインシュタインまで、すべての存在は無関係に孤立して存在するという前提で成り立っていました。

しかし、「ベルの定理」によって、事象の伝播に時間を要さない、連続した一体の宇宙という自然像が明らかになったのです。その「ベルの定理」とは、量子力学から生まれたものです。ですから敷衍すれば、人間の意志と空間の意思の相関が考えられる理論でもあるとして、著者は次のように述べます。

「量子力学は、粒子やエネルギーが無から突然発生する現象や時間の逆行、情報の永遠の不滅など、心霊現象を想わせる現象や理論に満ちた、ダイナミックで柔軟な理論である。この量子力学が物理学の限りのない根本理論であることを認識すれば、超常現象や心霊現象への偏見が探究心に変わり得ると筆者は想うのである」



本書の最後は、量子力学についての著者の想いが綴られています。

そして、そこには量子力学こそが超常現象や心霊現象の実在を証明してくれるのではないかという強い期待がこめられています。

本書の〈著者略歴〉には、「2010年、逝去」と書かれています。本書の刊行日は2011年10月7日となっていますが、著者は本書の完成を見ずに亡くなったのでした。

心霊研究に生涯を捧げた英国心霊現象研究協会(SPR)の科学者たちの多くは、自身の死後に、霊界からメッセージを送ってきたとされています。わたしは、これほど心霊研究への情熱を持ち、量子力学にも精通していた著者が、あちら側から、なんらかの形で「死者は生きている」というメッセージを送ってくれるような気がしてなりません。



それにしても、『死者は生きている』という書名は、『人は死なない』を連想させますね。

ちょうど、わたしは、いま東京に来ています。

5日は、同書の著者である「勇気の人」こと矢作直樹先生にお会いする予定です。

矢作先生の同僚である稲葉俊郎先生にもお会いできるとのこと。稲葉先生といえば、『人は死なない』の「あとがき」にも登場する東大病院きっての読書家であり、東京大学医学部山岳部監督、東京大学医学部涸沢診療所所長でもあります。

お二人とは銀座でランチを御一緒する予定ですが、とても楽しみにしています。


2012年8月5日 一条真也

2012-08-04

『近代スピリチュアリズムの歴史』

一条真也です。

『近代スピリチュアリズムの歴史』三浦清宏著(講談社)を読みました。

1848年のアメリカで忽然と生まれた近代スピリチュアリズム

それは、死者と生者との交信は可能であるという思想運動でした。本書は、19世紀の「心霊研究」から20世紀の「超心理学」へと至る網羅的な通史となっています。

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心霊研究から超心理学へ



1930年(昭和5年)生まれの著者は、作家にして心霊研究家です。

イギリスでスピリチュアリズムを研究後、日本心霊科学協会の理事になりました。

また、1998年には「長男の出家」で第98回芥川賞を、2006年には「海洞」で第24回日本文芸大賞を受賞しています。

心霊関係の作品では、わたしも読んだ『イギリスの霧の中へ』(ちくま文庫)があります。



本書は2008年、いわゆる日本の「スピリチュアル・ブーム」の最中に出版されたものですが、ずっと書斎の片隅に置かれたままでした。

このたびの一連の「幽霊」研究で、ついに読書の機会が訪れた次第です。

まず本書を手に取って思ったことは、表紙に描かれている絵が素晴らしいこと。

これは、著者の出身地である室蘭在住の画家・佐久間恭子氏の作品だそうです。

力強い筆致で神秘的なヴィクトリア朝風邸宅群が描かれていますが、著者はここに描かれた家を「降霊会を始めようとしている家」と見ているそうです。

また本書の帯には、「守護霊、オーラ、ポルターガイスト、念写」「心霊現象は物理現象か」「研究の歴史を詳細に検証する本邦初の労作!」と書かれています。



さらに帯の裏には、次のような内容紹介があります。

「1848年、アメリカ・ニューイングランド。

『それ』はハイズヴィルの小村から始まった。

ポルターガイスト、降霊会、心霊写真、念写。

欧米世界を熱狂させ、また毀誉褒貶の渦へと当事者たちを巻き込んだ『超心理現象』。

近代とともに誕生したその歴史を芥川賞作家がたどる本邦初の試み」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」

第一章:ハイズヴィル事件とその波紋

第二章:ハイズヴィルに至る道のり

第三章:心霊研究の黄金時代1〜霊能者の活躍

第四章:心霊研究の黄金時代2〜霊能者たちvs研究者たち

第五章:心霊研究後期〜英国以外の研究者たちとその成果

第六章:スピリチュアリズムの発展と挫折

第七章:超心理学の時代

第八章:日本の事情

「心霊年表」「参考文献」「あとがき」「索引」



本書が刊行された当時、某スピリチュアルカウンセラーをはじめ、テレビでは多くの「心霊」をテーマにした番組が作られ、放映されていました。

そのことについて、著者は「はじめに」で次のように述べています。

「今はテレビなどでずいぶん心霊現象が取り上げられるようになりましたが、ただおもしろがったり怖がったりするだけでなく、今までにどんな心霊現象があったのか、それらについて先人たちがどんな研究をしてきたかを知っていれば、もっと冷静に、興味深く眺めることが出来るのではないかと思います。なんとムダなことをしているのだ、と思うこともあるでしょう。私も時々、テレビ会社が莫大な金を使って外国から霊能者を呼んだり実験したりするのを見て、これを学術的に利用できたらどんなに役に立つかと思うことがあります。中には貴重な実験だと思われるものもあり、お金のない研究者にとってはまったくうらやましいことでしょう。また霊能者が話す番組などでは、聞く方の人が驚いたり涙を流したりするのをよく見かけますが、基本的なことを知っていれば、もっと突っ込んだことを訊いたり、霊能者と互角に話し合えるのではないかと思います。テレビに取り上げられるほとんどのことは、もうすでに出尽くしているばかりでなく、もっと驚くべきことが過去にはたくさんあったのです」



さて、本書はアーサー・コナン・ドイルの『スピリチュアリズムの歴史』、ナンダ・フォダーの『心霊科学事典』、ジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』の3冊を主要なテキストとして書かれています。

著者は、スピリチュアリズムについて「これは新しい時代の科学だった、少なくとも科学の仲間入りをしようとした、ということである」と述べています。スピリチュアリズムとは19世紀の科学の誕生と発展を抜きにしては考えられないというわけです。

かつて、全米スピリチュアリスト連盟は「スピリチュアリズムとは、霊媒が霊界の住人たちとの交信によって一般に提供した事実に基づく科学、哲学、宗教である」と定義をしましたが、真っ先に「科学」が挙げられています。



著者は、「科学」としてのスピリチュアリズムについて次のように述べます。

「心霊科学が科学であるかどうか、ここで論議するつもりはないが、スピリチュアリズムの誕生が当時発展途上にあった科学(とくに物理学と化学)と密接に結びついたことは疑いのないことである。叩音(壁や床を叩く音)と共に霊界からの通信が送られてきたというのは、当時始まったばかりのモールス符号による電信になんとよく似ていることだろう。実際霊媒たちが叩音と共に降霊会を始め、『叩音霊媒』という名さえもらったのはこの頃だけで、今ではほとんど稀な現象である。また科学実験の対象として有名な、人体や物品の空中浮揚や幽霊の出現などのいわゆる『物理現象』が盛んに起こったのも、D・D・ホームが活躍した1850年代から70年代にかけての初期の頃である(その後1890年代初頭にユーサピア・パラディーノが出ているが)。そのうえ最初にこうした心霊現象に夢中になったのは科学者たち、しかもクルックス、ロッジ、リシェ、W・ジェイムズなどの当時の科学の最先端にいた者たちである」



本書は、19世紀に始まった「心霊研究」だけでなく、20世紀の「超心理学」までもフォローしています。いわば、ブログ『幽霊を捕まえようとした科学者たち』で紹介した本とブログ『超常現象を科学にした男』で紹介した本を合体させたような内容です。

そこで著者は、「シャルル・リシェの言うようにウィリアム・クルックスが初めてD・D・ホームを対象に実験した1871年を心霊研究元年とすると、1930年代に超心理学が始まるまでに約60年、それから現在までさらに70年余が経っている」と述べています。

ところが、後の70年は社会的反響の強さで前の60年に及びません。

その最大の原因は、なんといっても優れた霊媒の激減であり、特に空中浮揚や死者の出現などの出来る「物理霊媒」がまったく出てこなくなったからだとされています。



このことについて、著者は次のように興味深い問題を提唱します。

「なぜ19世紀末の短い期間に彼らが集中して現れたのか、まったく不思議である。これは単なる流行というようなものではない。音楽や絵画や文学などが、或る時期に集中的に大作家を出し、流行を作ることはあるが、それはそれまでの文化的蓄積が優れた才能に影響を与え、花開くからである。しかし、体が浮き上がったり、幽霊を出したりする霊媒は、いったいどういう文化的蓄積が花開いたものなのだろうか。むしろ文化的蓄積の無いところから突然出現するのが、霊能である」

著者いわく、アンドリュー・ジャクソン・デイヴィス、フォックス姉妹、ユーサピア・パラディーノなどみなそうだとか。そして、「霊能」とは霊能者自身の言葉を借りれば「神からの贈り物」であって、人間が作る文化や社会とは関係なく現れるはずだというのです。

もちろん、「霊能」をトリックや奇術の一種と見なす者にとっては関係のない話ですが。



なぜ、優れた物理霊媒たちは集中して現れたのか。著者は述べます。

「『霊媒の時代』が出現したのは、スピリチュアリストたちが言うように宇宙を統一する知性が人類に真理を告げようとして始まったためなのか(始めたのはいいが、人間たちがあまりにも頑迷なので、一時中止して次の機会を待っているとも言われるが)、それとも、カール・ユングの言う『共時性』という宇宙意識の潜在力の働きなのか、それとも単なる偶然でしかないのか、筆者には断言することが出来ない。しかし、1930年を境として舞台ははっきりと回ったのである。『霊媒の時代』は去り、誰でもが実験に参加出来る『一般能力者の時代』となった。暗室の中での『心霊現象』から、明るい部屋の中でのESPカードやサイコロによる『サイ(PSI)の時代へ、現象があればそこへ出かけてゆく『臨床的心理学』から実験室の中で現象を起こす『実験心理学』の時代へ、一言で言えば、『心霊研究』から『超心理学』の時代へと移っていったのである』」



そして、その「超心理学」の時代を開いた人物こそは、米国ノースカロライナ州にあるデューク大学の心理学の若手教員でした。名前をジョゼフ・バンクス・ラインといいます。

1934年にラインの『超感覚的知覚』という論文が出版されるや、やがて「超心理学」と呼ばれて、たちまち「心霊研究」という古い呼び名をアカデミズムから駆逐したのです。

タイトルの原題である『Extra−Sensory Perception』の頭文字(ESP)は「テレパシー」や「透視」に代わって新しい学術用語になりました。

新しい学問の誕生を告げるのろしが上がり、人々はこれを「ライン革命」と呼びました。



本書には簡潔ながら日本についての記述もありますが、1948年にラインの著書『心の領域』が「リーダーズ・ダイジェスト」日本版に紹介されたそうです。

このとき、日本人は初めて「超心理学」「ESP」「PK」などの言葉を知りました。

『超感覚的知覚』の出版による「ライン革命」から14年後のことですが、若い日本人学徒の中にはこの新しい手法を取り入れて実験を始めました。

彼らは「日本心霊科学協会」の協力のもと、1950年に研究会を発足させ、翌年には「超自然科学研究会」と命名しました。そのときのメンバーが、大谷宗司、橋本健、恩田彰、本山博、金沢元基といった人々でした。著者は、次のように書いています。

「ラインと文通を始めていた大谷宗司は、キリスト教社会主義運動家として国際的に著名な賀川豊彦の推薦もあって超心理学研究会創立の年に渡米し、ライン研究所で研鑽を積み、本場の洗礼を受けた日本人超心理学者第1号になって帰国する。彼の仲間の数学者の金沢はESP理論に、恩田は禅の悟りや坐禅時の瞑想などとESPとの関連に、興味を持って研究に取り組んだ。一方超自然科学研究会の橋本健は超常理論の応用、商品化の方面へ進み、本山は自分が設立した『超心理学研究所』の所長として宗教と心理学の融和を目指す活動に専念、気や経絡の測定、ヨーガのチャクラの研究など、超心理学の基準を超えた研究分野に乗り出していく」

ここに登場する人々の名前は知っていましたし、何人かの著書も読んだことがありましたが、このような歴史があったことは知りませんでした。



本書を読んで初めて知った日本関連の情報はいくつかありましたが、中でも福来友吉博士が見つけた超能力者・三田光一のくだりには強く興味を惹かれました。

1030年代に東京帝国大学心理学助教授であった福来友吉は、特に透視を研究対象としました。当時評判だった「千里眼」御船千鶴子や長尾郁子(「リング」貞子の母親のモデルとされています)を使って実験を行いましたが、世間の偏見は強く、被験者の霊媒たちも相次いで死にました。

最後には、福来が東大の職を追われるという不幸な結果に終わっています。

その福来が「日本において自分が出会った最高の霊媒」だと絶賛したのが三田光一でした。三田は、与えられた文字や絵を念写することも可能でしたが、さらには亡くなった人物、遠くにある絵、外国に住む特定の人物、異国の景色といった「目の前にないもの」を念写して乾板に写し出すこともできたといいます。

さらに、念写の対象となった事物や人物に関する背後の事情も透視できたとか。

三田が透視した人物の中には、2・26事件で襲撃された政治家の牧野伸顕、イギリスの心霊写真家ウィリアム・ホープ、そして弘法大師などがあります。

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遠隔の地を念写したものでは、イギリスの郊外の景色などもありますが、なんと「月の裏側」の写真が残されています。当時は、もちろん人工衛星も宇宙船も実現しておらず、けっして見ることができない「月の裏側」は最大の謎とされていました。

この「月の裏側」の念写写真について、本書には次のように書かれています。

「昭和60(1985)年、福来の死後33年後に、元東大教授で日本心霊科学協会常任理事の後藤以紀が『月の裏側の念写の数理的検討』を同協会研究報告の第2号として出版した。後藤は工業技術院院長も務めたことのある電気工学界の長老で、とくに数学に長けていると言われていた。この報告書は三田光一が念写した月の裏側の写真を、NASAが作成した図形上のクレーターや『海』の位置と比較したものである。NASAは1969年7月から1972年12月にかけて月面探査機アポロ11号から17号までを打ち上げ、撮影した月の写真に基づいて地図と月球儀を作り、クレーターや『海』の名称と、月面の緯度、経度による位置を発表した。後藤は東京日本橋の丸善でその地図と月球儀を見て、三田光一の念写写真と非常によく似ているのに驚いたという。彼は買い求めた月面地図の上に31ヵ所の地点を定め、それらが三田光一の念写写真の上の何処に求められるかを(つまりどのような角度で写されているかを)計算によって判定し、1つ1つ確かめていったところ31ヵ所すべてが一致したという。これは驚くべきことだ。一致したという事実が驚くべきことであると共に、心霊(超心理学)研究上驚くべき業績だと言える」



わたしも、この一文を読んで、非常に驚きました。

福来友吉や三田光一のことはもちろん知っていましたが、この「月の裏側」の後日談は初めて本書で知りました。三田光一の念写そのものをトリックだして否定する人もいるようですが、著者は「本物と違わない月の裏側を月面探査機の無い時代にどういうトリックを用いて写すことが出来るだろうか。そんなトリックがあったとしたらそれこそ超能力としか名づけようがない」と述べています。わたしも、まったく同感です。

アメリカの心理学者にして哲学者であったウィリアム・ジェイムズは、心霊に関する無数のインチキやトリックを「黒いカラス」と表現して、ごくわずかな真実のことを「白いカラス」と呼びました。この「月の裏側」の念写写真こそは、その「白いカラス」なのではないでしょうか。本書には、このような貴重な情報が満載であり、最後には「索引」もついていて有用性が高いと思いました。



最後に「あとがき」で、著者は本書のことを「最初は選書メチエから出版の予定だったが、制限枚数を遥かに超えてしまったので、最終的には担当者の山崎比呂志さんと出版部長のご好意により選書以外の形で出していただくことになった」と書いています。

でも、これはちょっと鵜呑みにはできないと思います。本書のボリュームは300ページ程度であり、講談社選書メチエに収まり切れないというほどではありません。選書以外の形での出版となったのは、枚数よりも、むしろ本書の内容によるものでしょう。

わたしもよく読みますが、選書メチエは学者によるアカデミックな内容のものが多いです。しかし、本書の内容を見ると、「心霊研究史」を謳いながら、はっきり言って「心霊主義」の啓蒙書となっています。そう、著者はサイキカル・リサーチの人ではなく、スピリチュアリズムの人なのです。まあ、そのような立場を明確にしているがゆえに、本書はメリハリの効いた好著になったのだと思います。本書を読んでいると、その独特の文体から「心霊」に対する著者の愛情さえ感じられました。


2012年8月4日 一条真也

2012-08-03

『超常現象を科学にした男』

一条真也です。

『超常現象を科学にした男』ステイシー・ホーン著、ナカイサカヤ訳、石川幹人監修(紀伊國屋書店)を読みました。ブログ『幽霊を捕まえようとした科学者たち』で紹介した本の続編という印象を受けました。同書はアメリカの心理学者ウイリアム・ジェイムズが主人公でしたが、本書は同じくアメリカの超心理学者であるジョゼフ・バンクス・ラインが主人公です。この2冊によって、19世紀以来の超常現象研究の歴史がつながります。

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J・B・ラインの挑戦



本書のサブタイトルは「J・B・ラインの挑戦」となっています。また、帯には「これはオカルトではない!」「超心理学のアインシュタインとも言われた男の軌跡を、20世紀という激動の時代とともに描いた瞠目のノンフィクション」と書かれています。

著者のステイシー・ホーンは1956年生まれのジャーナリストで、90年にニューヨークでソーシャル・ネットワーキング・サービスの先駆け的存在であるEchoNYCを立ち上げるという経歴の持ち主でもあります。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「主要登場人物」

「プロローグ」

第1章:交霊会

第2章:ESP

第3章:名声と苦闘

第4章:戦争と死者

第5章:悪魔祓い

第6章:声なき声

第7章:ポルターガイスト

第8章:特異能力者

第9章:サイケデリックと冷戦

第10章:幽霊と科学者たち

第11章:遺産

「エピローグ」

「謝辞」「解説」

「年表――J・B・ラインと超心理学」

「参考文献」「索引」


「プロローグ」の冒頭で、著者は次のように書いています。

「怪談は魅力的だ。

だが一般的に科学者たちは、超常現象の報告や、それらを厳密に研究しようという考えを軽蔑し続けてきた。しかし20世紀の前半、今までになく薄くなった現実というベールの下に、目に見えない力や波、粒子などを発見し、宇宙が膨張していることを科学が証明していった時代があった。そのごく短い期間、長らく〈超常現象〉としてカ学者たちがろくに調べもせずに片づけてきた事象に対し、科学的なアプローチが可能かもしれないという考えを受け入れる余裕が学問の世界に生まれた。このわずかな絶好の機会のあいだに、デューク大学は超心理学研究所を開設したのだった」



研究所のリーダーの名は、J・B・ライン。かつて「超常現象のアインシュタイン」とまで呼ばれた人物です。1934年に刊行された著作『超感覚的知覚(ESP)』は世間に大きな衝撃を与え、ラインは一躍時代の寵児となりました。

彼は、「超心理学」という新しい学問を確立しようとしました。

超常現象を人間の発揮する能力によって引き起こされるものと考え、それを科学的に解明しようとする学問です。「超心理学」という言葉そのものは1889年のドイツで使われ始めたものですが、ラインが広く普及させました。

また、ESP(超感覚的知覚)をはじめ、テレパシー(他人の心から情報を得る)、透視(物体など、心以外のものから情報を得る)、予知(未来を見る)、PK(念力、心で物体を動かす)などの各事象の定義は、すべてラインの研究から生まれたものです。


ラインは、非常に多くの有名な人々と関わりがありました。

たとえば、ノーベル賞物理学者のアルバート・アインシュタイン、社会派作家のアプトン・シンクレア、行動心理学者のB・F・スキナー、アメリカ大統領のリチャード・ニクソン、小説家のオルダス・ハクスリー、作家で「ホロン」の提唱者であるアーサー・ケストラー、そして心理学者のカール・ユングなどです。また、元ハーバード大学の心理学教授でLSDを世間に広めたティモシー・リアリーは、1961年にデューク大学を訪れ、ラインと研究所のスタッフ数人にシロシビンによるトリップを体験させています。

かのヘレン・ケラーもラインと会いました。彼女は指をラインの唇に置いて、自分はたびたびESPを経験していると語りました。



そして、ラインの研究は軍事にも影響を及ぼします。

本書には、次のように書かれています。

「陸軍と海軍は超感覚的知覚の動物実験を研究所に委託し、また空軍はESPマシンを作った。これは実験の一部を自動化した比較的簡単な構造のコンピュータである。ジェネラル・ダイナミクス社のような防衛産業が、政府の高等研究計画局の要請を受け、研究所の実験の進み具合を見学しに訪れた。鉄のカーテンの向こう側から、ロシアにも超心理学研究所があるとの情報が流れてきたとき、超心理学のマンハッタン計画が取りざたされたこともある。CIAはやがてマインドコントロールの開発に数百万ドルを費やすことになる」



また、産業界もラインの超心理学研究所に興味を持ちました。

早くも1938年の事典で、ラインはIBMとESPマシンを作る話をしており、当初IBMは非常に乗り気でした。AT&T,ゼニス・コーポレーション、ウェスティングハウスのようなアメリカを代表する大企業の代表者も、ラインと連絡を取っていました。

彼らは、いつの日か現実世界で利用されるかもしれない「未知の精神的な力」についてもっと研究するための実験を試みたのです。

高名な実業家にして自然科学者でもあったアルフレッド・P・スローンや、ゼロックスの創始者であるチェスター・F・カールソンらは、ラインの実験結果に興奮し、ポケットマネーでラインの研究所に投資しています。

さらには、ロックフェラー財団もラインの研究所に財政援助を行っています。



このように、J・B・ラインはまさに「時代の寵児」でした。しかし彼が確立しようとした超心理学という学問は、正統的な科学の手法を踏襲しているにもかかわらず、本流の科学者たちからはまともに相手にされませんでした。それでも、「少しばかり戦いが好き」だったラインは、ひたすら批判者たちに立ち向かい続けたのです。

著者のステイシー・ホーンは彼の研究所が所有する700箱の資料を読み解き、関係者にインタービューしています。そして、ライン流超心理学の流れをたどり、ラインたちが生きた20世紀という時代を描いています。



ラインの名前は、もちろん昔からよく知っていました。

1992年に上梓した拙著『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)では、「超能力マーケティングの可能性」という一章を設けて、ラインの研究について書いています。

ラインというと、わたしにとっては「超能力研究の第一人者」というイメージでした。

しかし、本書では心霊現象や悪魔憑きといったオカルトとされる現象にも多くのページが割かれており、非常に面白かったです。

これについて、本書の「解説」で監修者の石川幹人氏は「ステイシーの興味の中心が『死後生存』にあったためか、ややそのテーマに比重が置かれている。従来の『ライン流超心理学は、ESPカードやサイコロの実験に終始した』という、よくなされる論調とは一線を画している。それがかえって、本書の大きな魅力となっている」と述べています。

わたしも、まさに石川氏の言われる通りだと思いました。

おそらく、実験を中心としたESP研究の歴史に特化していたら、きっと退屈きわまりない本になったことでしょう。



実際、ライン自身の興味の発端は「超能力」ではなく、「死後生存」にありました。また、超心理学に資金援助を申し出た人々のほとんどは、死後生存研究を希望してのことでした。本来、ラインは「幽霊を捕まえようとした科学者たち」の1人だったのです。しかし、超心理学を学問として認めさせるためには、死後生存研究からは距離を置く必要がありました。ラインは、そのはざまで苦悩し続けたわけです。石川氏は、続けて述べます。

「さらに本書では、超心理学の周辺領域に対し、ラインがどのように考え、そして行動したかが、みずみずしく描かれている。退行催眠やUFOなどのオカルトとされる現象、超能力捜査、ドラッグの効果から超能力の軍事利用まで、これまでラインの伝記的記述ではなかなか手がまわっていなかった側面に切りこんでいる。当時の有名人たちとラインとの関わりなどが随所に出てくるところは、本書の歴史的な価値も高めていると言っていいだろう」


その当時の有名人についての記述の中でも、ひときわ興味深かったのが、アインシュタインとユングのそれです。まず、アインシュタインですが、彼が1回だけ参加した交霊会が完璧な失敗に終わったことが本書で明かされています。

そのとき3年もブランクがあったオストージャという名の霊媒は、もう一度やらせてくれと頼みましたが、アインシュタインは多忙でした。「死後生存」を信じる人々は、きわめて影響力が強い科学者であり、かつ味方になってくれる可能性のあったアインシュタインに、強い印象を与えるという得難い機会を逃してしまったのでした。

実際は、最初からアインシュタインを説得できる見込みはありませんでした。

彼の秘書によれば、アインシュタインは「もし幽霊をこの目で見たとしても信じないだろう」と語っていたそうです。



1940年、ラインはアインシュタイン宛の手紙を出しました。そこには、ラインが自分の事件結果を説明できるような「適切な物理額的仮説を見つけ出す困難さ」について述べています。それに対するアインシュタインの返答は、次のようなものでした。

「(ラインの本を読んではいるが)正直なところ、問題となっているような現象が現実に存在するのか、私は懐疑的です。とはいえ、あなたが協力者とともに得た肯定的な結果への何の説明手段も持ちあわせておりません。どちらにしろ、私は関係する問題の解明に効果的な貢献をすることはできないように思われます」

しかし、超心理学者ジャン・アーレンワルドのテレパシーに関する本を読んだ後、アインシュタインはアーレンワルドに次のように述べています。

「あなたの本は私にとって、とても刺激的でした。そして、ある意味、この複雑な問題全体に関して私がもともと持っていたきわめて否定的な態度を和らげることになりました。人は目を閉ざして世界を歩んでいってはいけないのです」


また、スイス人精神科医カール・ユングは、ラインと文通をしていました。ライン宛の手紙に、ユングは「魂が持つ時間と空間に関連する奇妙な性質にとても強い興味を持っている」と書きました。さらに、ユングは何よりも「特定の精神活動において時空の概念が消滅すること」に興味があり、心霊研究にも期待していると書いてきたのです。

他の書簡では、ユングは自身の超常現象体験についても触れています。このユングの赤裸々な告白について、本書には次のように書かれています。

「心理学者が、こんなにも簡単にESPを肯定してくれたのは初めてだった。しかもユングのような高名な学者である。しかしラインは、ユングに対して『我々は心についての仮説を「今のところ」何も持っていません。それがあれば、これらの事実を考察する際の手掛かりになるのですが』と認めざるを得なかった。ユングは励ますような返事を送ってきた。『これらの出来事は、単に現代の人類の頑固な脳では理解できないだけなのです。正気じゃない、あるいはイカサマだと捉えられる危険があります』



そしてユングは、ラインに対して次のように述べたそうです。

「私が見たところ、正常で健康でありながらそのようなものに興味を持つものは少数です。そして、このたぐいの問題について思考をめぐらせられるものはさらに少数です。私は今までの歳月における経験で確信を持つに至りました。難しいのはどのように語るかではないのです。どのように語らないかなのです」

『ユング自伝』などを読むと、ユングは早い時期からESPやテレパシーの存在を確信していたことがわかります。しかし、アカデミズムの世界で心霊的概念を語る事は、あまりにも危険でした。そのために、ユングは「集合的無意識」という用語を作り出したとも言えるでしょう。人類の「こころの未来」を拓く可能性のある研究を「イカサマ」扱いされないために、ユングはラインに心あるアドバイスをしたのでした。

ところが、ラインがユングの助言を聞き入れることはありませんでした。

きっと、世間の偏見と闘い続けてきたラインには意地があったのでしょう。


さて本書には、もう1人の高名な学者が登場します。

文化人類学者のマーガレット・ミード女史です。

1946年末、ラインはニューヨークのアメリカ自然史博物館に在籍していた彼女に手紙を書きました。ミードが専門とする文化人類学研究の過程で、超心理学的な出来事に遭遇しているかという質問を書いたのです。

ミードは、心霊研究には共感するところが多いが、「わたしのフィールドワークの蓄積から言えば、未開社会でも超感覚的能力が発達した人は、我々の社会におけるのと同様に少数であると感じています」などと書いています。

しかし彼女は、そのようなできごとには注目してきており、バリ島の幽霊やニューギニアの予知夢などについて説明しています。



そのミードが、この手紙の23年後にラインの人生に大きな影響を与えます。

1969年、超心理学協会は権威ある米国科学振興協会の加入メンバーになろうと、4回目の挑戦をしていました。ボストンでは米国科学振興協会の委員が投票の準備をしていました。全米矯正精神医学協会に続いて超心理学協会の加入が検討されたとき、予想通りに反対意見が出ました。

1人の科学者が「このサイ現象と呼ばれているものは現実に存在せず、したがってこの分野での科学的研究などは不可能です」と言えば、もう1人が「我々は超心理学の何たるかを知らない。どうやら投票をする資格などなさそうです」と述べました。

ここで、驚くべき出来事が起こります。本書には、次のように書かれています。

「超心理学協会の加入問題は今までにも何度も何度も投票で否決されてきており、今回もまた否決で終わるようにみえた。ところがそこで、高名な人類学者であるマーガレット・ミードが立ち上がった。『過子10年にわたり、我々は科学を構成するものと科学的方法とは何か、そして社会はそれをどう使うのかについて議論してきました。盲検、二重盲検、統計。超心理学者はそれらをすべて使っています。すべての科学の進歩の歴史には、それまでの学問的権威がそこにあると信じなかった現象を調査研究した多数の科学者なしには語れません。私は我々がこの協会の研究を尊重する方向で、投票を実施することを提案します』」

このミードの発言によって動議は可決され、超心理学協会はようやく米国科学振興協会に受け入れられました。ラインが創始した「超心理学」は、ついに科学の仲間入りをしたのです。それにしても、ミードの言葉には感動を覚えずにはいられません。

これこそ、真の科学的精神の表明であり、真実を追求する学者の声です。



1980年2月20日、ラインは84歳でその生涯の幕を閉じます。

悲願であったESP解明の飛躍的前進は、とうとう起こりませんでした。

ラインの死後、超心理学は低迷しましたが、今でもラインの後継者が細々と研究を続けています。本書の最後には、以下のように書かれています。

「アメリカを代表する哲学者であり、米国心霊研究協会の初代会長であるウィリアム・ジェイムズは、『心理学、生理学、医学では、神秘論者と科学者の議論があり、結着がつくとき、たいてい神秘論者は事実について正しく、科学者は仮説において正しい』と述べている。死後生存の問題はまだ決着がついていない。

超心理学研究所の物語は、手詰まりではじまり、手詰まりで終わる。

実験はテレパシーを確認したが、広く受け入れられることはなかった。

死後生存の証拠を探したが、証拠は決定的ではなかった。

私たちが愛する人々はみんな死を迎え、去っていく。そして記憶よりも確かなものが残るのかどうかは、科学的には答えようのない問いである。

最後に超心理学研究所の人々に残されたのは、プラットが言う『死後への恐れと、信じることの慰めのあいだの不安定な休息所』である。それはおそらく私たちすべてが、永遠に心のよりどころとしなくてはならない場所なのであろう」



本書を読み終えて、わたしは無常観のようなものが心に浮かんできました。

しかし、それは、暗いものではなく、なんというか爽やかな無常観です。

未知の世界に挑戦する人間の姿に「爽やかさ」を感じたのです。

本書は340ページ以上もあるハードカバーで、読む前は覚悟を必要とするかもしれませんが、読み始めると、翻訳のうまさもあって非常に読みやすく、一気に読了しました。

また、ラインの代名詞である「ESPカード」の図柄を使用した装幀もセンスが良いですね。さすがは、紀伊國屋書店です。20世紀という時代を生き生きと描いたノンフィクションでもあり、ぜひ本書を多くの方々に読んでほしいと思います。


2012年8月3日 一条真也

2012-08-02

やったぜ、内村!

一条真也です。

ロンドンオリンピック体操の男子個人総合で、内村航平選手が金メダルを取りました。

義理の祖母の葬儀で妻が広島に帰省しており、昨夜は次女と2人で留守番しました。

朝一番、次女が「パパ、内村が金メダル取ったよ!」と教えてくれました。

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ヤフー・ニュース「ロンドンオリンピック」より

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内村選手は、6種目通じて安定した演技で92・690点を叩き出しました。

個人総合では、84年ロサンゼルス大会の具志堅幸司選手以来の28年ぶり5人目となる金メダルを獲得したわけです。これは快挙です!

今回の内村選手は調子が悪いと思っていただけに、正直言って意外でした。


内村選手は、団体総合の予選、決勝と、あん馬で2度失敗しました。

しかし男子個人決勝では、あん馬をきっちりノーミスでスタートし、その後もほぼノーミスでした。16・266をマークした跳馬をはじめ、高得点を連発しました。

5種目めの鉄棒はコールマンを構成から外しながら15・600。

最後の床運動は若干着地に失敗しましたが、それでも15・100点。

6種目すべて15点以上と安定感抜群のうちに競技を終えました。

そして、彼は見事に金メダルに輝いたわけです。


今大会での内村選手は、予選ではミスを連発し、まったく奮いませんでした。

期待の団体総合も銀メダルに終わり、「今まで何をやってきたんだろう」と悔しさをにじませていました。ちょうど、トヨタのCMで「ドラえもん」の出木杉くんを演じたこともあり、多くの人々は「浮かれているから、こんな結果になるんだ」と思ったことでしょう。

かくいうわたしも、「こりゃあ、出木杉くんの呪いだな」と思ったものです。

もちろん、オリンピック選手のCM出演は本人の意思とは関係ないことは承知してはいましたが、「それにしても、本番を前にして、出木杉くんはないだろ!」と思いました。

そのプレッシャーも大きかったでしょうが、内村選手はやりました。

彼は、本当に出木杉くんでした。いやあ、カッコいいにも、ほどがあります!



わたしが内村選手を心からリスペクトするのは、一度はプレッシャーに押しつぶされて失敗したにもかかわらず、その後(それも直後に)、反省と修正を重ねて、見事に成功したことです。特に、2度も失敗したあん馬が本番ではノーミスでした。

誰でも過失を犯します。失敗しない人間など、この世にはいません。

孔子もドラッカーもその点はよくわかっていて、「過ちを犯すな」とは言っていません。

人間が過ちを犯すことはやむを得ないことであり、むしろ犯した後の行動が大切であるとしています。しかし、絶対に犯してならない過ちもあります。

それは、プロが知っていて害をなすことです。

これはプロにとって最大の責任であり、古代ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中にも「知りながら害をなすな」という言葉で明示されています。ドラッカーは、この言葉こそプロとしての倫理の基本であり、社会的責任の基本であるとしました。



孔子は、本当の過ちについて述べています。

論語』衛霊公篇に、「過ちて改めざる。是れを過ちと謂う」とあります。

「過ちをしても改めない。これを本当の過ちというのだ」の意味です。

また学而篇には、「過てば則ち改むるに憚(はばか)ること忽(な)かれ」という言葉もあります。「過ちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ」というのです。

論語』には「過」という言葉がたくさん登場しますが、過ちを犯した後の態度は小人と君子では違うといいます。子張篇に「小人の過つや、必ず文(かざ)る」とあります。「小人が過ちをすると、必ず飾ってごまかそうとする」というのです。

一方で同じ子張篇に、「君子の過ちや、日月の蝕するが如し。過つや人皆なこれを見る、更(あらた)むるや人皆なこれを仰ぐ」という言葉もあります。「君子の過ちというものは日食や月食のようなもの。過ちを犯すと一目瞭然なので、誰もがそれを見るし、改めると誰もがみなそれを仰ぐ」というわけですね。

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「過ち」は繰り返さないことが大事です



このように過失を犯してしまったら、決してごまかしてはなりません。

そして、反省した上で二度と同じ失敗を繰り返さないことが重要です。

以上のことは、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

東西の二大賢人が説いた「過ち」の思想を日本の体操選手がオリンピックの檜舞台で見事に証明してくれたことに、わたしは感動しました。

最後にひとこと。やったぜ、内村! 君は、リアル出木杉くんだ!


2012年8月2日 一条真也

ラマダーン晩餐会

一条真也です。

先程、博多から小倉に帰ってきたばかりです。

今夜は、博多駅前の「ホテル日航福岡」で夕食懇談会が開催されました。

マレーシアの元首相マハティール・モハマド御夫妻をお迎えしての晩餐会です。

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夕食懇談会で微笑むマハティール元首相



ブログ「マハティール元首相」に書いたように、今年2月17日にはマレーシア「ペトロナス・ツイン・タワー」内のレストランで開かれたご夫妻との昼食懇談会にも参加させていただきました。御夫妻とは、5ヵ月半ぶりの再会となります。

マハティール元首相は、7月31日の午前中に宗像市グローバルアリーナにて「日本の次世代リーダー養成塾」の講演をされ、8月1日の午前中には電気ビル共創館にて「九州・アジア経営塾」の講義をされました。

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歓迎の挨拶をする福岡経済同友会・石原代表幹事

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スピーチするマハティール元首相



今夜の夕食懇談会は、福岡経済同友会の国際委員会の主催でした。

2月のマレーシア視察での昼食懇談会へのご招待へのお礼とともに、より一層、マハティールご夫妻との懇親を深めることが目的だそうです。

参加者ですが、福岡経済同友会からは、石原代表幹事(JR九州会長)、橋田副代表幹事(九電工社長)、磯山国際委員会委員長(西日本シティ銀行専務)、土屋国際委員会副委員長(正興電機製作所最高顧問)が参加。

日本の次世代養成塾から、麻生福岡空港ビルディング社長(前福岡県知事)、谷井宗像市長など。わたしも入れて、合計で19名の参加者でした。

ブログ「孔子文化賞受賞祝賀会」において発起人を務めて下さった岡野バルブ会長、豊川建築設計事務所代表も参加され、久々にお会いすることができました。何人かの方々からブログ「表紙の人」の話題が出て、恐縮しました。

最初に、石原代表幹事が歓迎の挨拶をされました。

マハティール御夫妻は非常に福岡を愛しておられ、今回で9回目の来福だそうです。

その後、マハティール元首相がスピーチをして下さいました。

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わたしも挨拶をさせていただきました

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日本のリーダーにも恥を知ってほしいものです



その後、参加者が一言づつスピーチしました。

わたしは、マハティール元首相が「恥を知ることが大事」と話されていたことに感銘を受けましたので、「リーダーには何よりも倫理感が必要であるといつも思っておりますが、閣下が『恥』について話されたことに感動いたしました。日本のリーダーたちも恥を知ってほしいものです」と言ったところ、みなさん爆笑されていました。

マハティール元首相は、にこやかにわたしのスピーチを聴いて下さいました。

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世界一わかりやすい宗教の本

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「ラマダーン」についても納得!



さて、今夜の夕食懇談会は、20時半過ぎからの開始でした。

マハティール御夫妻はムスリム(イスラム教徒)ですが、7月20日から8月18日までは「ラマダーン」に当たるため、この時間となりました。「ラマダーン」については、わたしが監修した『100文字でわかる世界の宗教』(ワニ文庫)に次のように説明されています。

イスラム暦9月のこと。この月の日の出から日没まで、毎日いっさいの飲食を断つ。これはイスラム教徒によって大切な義務であり、五行のひとつ。断食といっても夜は食事をしてもよく、病人や異教徒には強制されない」

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シャンパンで乾杯!

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夕食懇談会のようす



ようやく、21時くらいになって夕食懇談会がスタートしました。

まず、マハティール元首相の音頭でシャンパンで乾杯しました。

乾いた喉にシャンパンの泡が心地良かったです。

それから、ホテル日航福岡自慢のフレンチを頂きました。ムスリムであるマハティールご夫妻は一切アルコールを召し上がりませんでした。でも、わたしは、シャンパンの他にも、ビール、白ワイン、赤ワインをたくさん堪能させていただきました。

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石原代表幹事から記念品の贈呈

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最後は、みんなで記念撮影しました



マハティールは相変わらずお元気で、食事と会話を楽しんでおられました。

わたしにも親しい言葉をかけていただき、感激しました。

食事が終わり、福岡経済同友会の磯山委員長が中締めの挨拶をされました。

その後、石原代表幹事からマハティール御夫妻に記念品が贈呈されました。

わたしたちも、ご夫妻からマレーシアの紅茶をプレゼントしていただきました。

最後は、参加者全員で記念撮影をしました。今夜は、良い思い出になりました。

帰りは、岡野会長と一緒に新幹線で小倉駅まで御一緒しました。

マハティール御夫妻、今夜は福岡でお会いできて嬉しかったです。

いつまでもお元気で、これから何度も福岡を訪れて下さい!


2012年8月2日 一条真也


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2012-08-01

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』

一条真也です。

8月になりました。「夏は死者の季節」ですね。

幽霊を捕まえようとした科学者たち』デボラ・ブラム著、鈴木恵訳(文春文庫)を読みました。文春文庫の海外ノンフィクションの1冊です。このシリーズは『フロイト先生のウソ』(R・デーケン著)を読んで以来です。どちらも読み応えがあり、素晴らしい内容でした。

本書を書いたデボラ・ブラムは、米国ウィスコンシン大学マディソン校科学ジャーナリズム論教授で、サイエンスライターとして活躍しています。1992年には『The Monkeys Wars』(邦題『なぜサルを殺すのか』白揚社)でピュリッツァー賞を受賞しています。

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様々な心霊現象の解明に挑む



本書の表紙には、ベッドに寝ている女性の体から幽体が離脱しているという神秘的な絵が使われています。裏表紙には、以下のような内容紹介が書かれています。

「19世紀半ば、欧米で心霊現象への関心が高まり降霊会がブームになった。多くの科学者が否定するなか、ケンブリッジ大を中心とするノーベル賞学者2人を含む研究会が、本気で幽霊の存在を証明しようとした。時に協力し合い時に見解の相違を見つつ、様々な心霊現象の解明に挑んだ彼らが行きついた『死後の世界』とは?」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。 

前奏曲〜タイタス事件〜

1.ポルターガイストと幽霊屋敷

2.「科学vs宗教」の時代

3.ケンブリッジの三人組

4.サイコメトリー

5.死の間際のメッセージ

6.幻覚統計調査

7.テレパシーか、霊との交信か

8.エクトプラズム

9.よみがえった霊

10.死の予言

11.交差通信

12.終わりなき探求

「謝辞」

「登場人物小事典  ゴーストハンターズ、アンチ・ゴーストハンターズ、霊媒たち」

「心霊研究関連年表」

「原注」

解説「グレーゾーンを科学する」渡辺政隆



本書には、いわゆる「サイキカル・リサーチ」と呼ばれる心霊研究の歴史が紹介されています。一連の「幽霊」研究の一環で手に取った本です。

もともと、わたし好みのテーマだっただけに夢中になって読みました。

ジャネット・オッペンハイムの名著である『英国心霊主義の抬頭』の続篇を意識して書かれたような印象でした。この本は、かつて角川学芸出版の取締役である宮川多可志さんにお会いしたときに知りました。宮川さんとは鎌田東二さんの紹介で知り合ったのですが、ちょうどこの本を鎌田さんに紹介されていたのです。興味を抱いたわたしは、すぐさま神保町の三省堂書店の精神世界コーナーに直行して購入、ハードカバーで600ページ以上もある同書を寝食を忘れて一晩で読んだ記憶があります。

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本書の先駆をなす『英国心霊主義の抬頭



その続篇ともいうべき本書も、わたしの好みにマッチした内容で、読書中は至福の時間を過ごせました。19世紀後半から20世紀にかけて、アメリカとイギリスを中心にノーベル賞級の学者たちが心霊研究に没頭しました。

主なメンバーは、ウィリアム・ジェイムス(実験心理学創始者)、ヘンリー・シジリック(功利主義哲学者)、アルフレッド・ウォレス(ダーウィンと共に進化論を発表)、レイリー・ストラット(ノーベル物理学賞受賞)、シャルル・リシュ(ノーベル生理学医学賞受賞)、ウィリアム・バレット(ケイ素鋼を発見)、オリバー・ロッジ(検波器を発明)、ウィリアム・クルックス(タリウム発見と真空放電管発明)などです。さらには、2度にわたってノーベル賞を受賞したキュリー夫人も降霊会に登場していました。

ノーベル賞そのものは1901年から始まったので、まだ生まれたてであり、現在ほどの権威はなかったと思われますが、それにしても当時の超一流の科学者たちが受賞したことは事実です。今からは想像もつかないような豪華メンバーが心霊研究を行っていたわけですが、当時はダーウィンの『種の起源』によって『聖書』の「天地創造」が明確に否定され、科学と宗教が対立していました。その狭間で、多くの科学者たちは「科学では説明できない人間らしさ」を探そうとしたのです。



科学技術が大発展を遂げた19世紀後半において、彼らの行動は一見、心霊現象さえも科学の力で解明できるはずだという科学信仰に基づくのではないかと思わせます。

しかし、彼らの行動の根底には、物理法則至上主義の科学が偏狭さに陥っていることへの反省、そして超常現象を科学で解明することで、「科学と宗教の架け橋」になろうという壮大な志があったのではないでしょうか。わたしは、そう思いました。

まずイギリスで心霊研究会(SPR)が、次いでアメリカで心霊研究協会(ASPR)が設立されます。「ポルターガイスト」「エクトプラズム」「テレパシー」「サイコメトリー」「テレキネシス」といった用語は、この一連の研究から生まれました。

世間の偏見の目と戦いながら、科学者たちは真剣に科学の力で「幽霊を捕まえようと」しました。しかし、現実は厳しく、95%は信頼のおけないデータでした。それでも、残りの5%の真実を求めて地味な実験を続ける科学者たちの姿には感動さえ覚えます。



科学者たちの実験が地味な一方、霊媒たちのパフォーマンスは派手でした。彼らが開いた交霊会では、椅子が勝手に動き、ラッパがひとりでに鳴り、死者が出現しました。

本書に書かれているフォックス姉妹、ダニエル・ダングラス・ヒューム、ヘレナ・ペトロ・ブラヴァッキー、フローレンス・クック、レオノーラ.エヴェリーナ・パイパー、エウサピア.パラディーノといった著名な霊媒師の調査報告は面白すぎる内容になっています。

この中でも、ヒュームやパイパー夫人などは最後までインチキやトリックが見つかりませんでした。心霊現象ではなかった場合の唯一の可能性が集団催眠というのですから、その凄さは想像以上です。パイパー夫人の霊能力などは、ウィリアム・ジェイムスによって「真実」を意味する「白いカラス」と認定されたほどでした。

本書には、科学者たちの「疑い」が「驚き」に変わっていく様子がよく描かれています。

ちなみに霊媒たちが普及したスピリチュアリズムは「心霊主義」と訳され、これは一種の宗教的要素がありました。サイキカル・リサーチとしての「心霊研究」と「心霊主義」とは違うものであることを忘れてはなりません。


さて、本書には多くの科学者や霊媒が登場しますが、なんといっても主役はアメリカ実験心理学の権威であったウィリアム・ジェイムズでしょう。

哲学者でもあり、『プラグマティズム』や『宗教的経験の諸相』などの著書は有名です。

じつは、本書の副題は「ウィリアム・ジェイムズと死後の世界の科学的探究」であり、最初からジェイムズを中心に書かれた本だったのです。

そのジェイムズについて、本書の冒頭には次のように書かれています。

「超常現象の重要性に関してほかの研究者と論争になった際には、科学というものは――電灯や発電機、電報や電話を生み出した19世紀の原動力ではあるが――不遜にもなれば、誤りも犯す、と冷静に指摘した。また、研究倫理の確立に熱心な雑誌《サイエンス》に、自分は科学者という言葉をうやうやしく使うのが嫌いだ、とも書いている。『その言葉が連想させるのは、科学とは宗教に反するもの、感情に反するもの』、現実の経験にさえ反するものだという『思いあがった偏狭な科学観である』と。

ジェイムズのこうした姿勢は、大学の同僚たちの見解と相容れないことも多く、そうした同僚を、ジェイムズは“正統派”と呼ぶこともあった。彼の非正統性は自然に身についたものだった。めまいがするほど不安定な家庭で育ったジェイムズは、自分が生きる時代の文化的不安定さを肌で感じ取っていたのだ。

時代は極度の道徳的不安定期にあった。宗教は明らかに科学に包囲され、科学技術が現実の法則を書き換えようとしているように見えた。

そこになんらかの均衡を見いだすことは、変わりゆく世界に存在する意義を見いだすことであり、絶対に必要なことだと、ジェイムズには思えた」



本書を読んで個人的に胸を打たれたのは、ジェイムズが三男ハーマンをわずか1歳で亡くしたくだりでした。ジェイムズと妻アリスは、猩紅熱に冒された幼いハーマンを7月9日に見送ります。そして、その2日後、ケンブリッジ墓地にあるジェイムズ家の墓所の小さな松の木の下にハーマンは葬られました。本書には、次のように書かれています。

「ウィリアムとアリスは息子の棺を小さな白いフランネルの毛布でくるみ、それが地中におろされると、花と蝶でまわりを囲んだ。自分はかねがねそんな儀式は軽蔑していた、と、のちにジェイムズはおばのひとりに告白している。『でも、古くからの習慣には、どれも人間の要求がうまく表れているのだと、ふたりとも感じました』夫妻は息子を揺りかごに入れ、枝と葉でおおい、『そこに寝かせて』きたのだった。

そしていま、この8月末の晩、ジェイムスはその借家に戻ってきて、おぼろな月の光の中にじっとたたずみ、はかない息子の命を思っていた。

翌日、ジェイムズは従兄弟にこう書いている。『あの子には何かもっとすばらしい運命が待っているにちがいない』何か地上の生を超えた約束が」

この幼い息子の死がジェイムズを心霊研究へと駆り立てたことは想像に難くありませんが、それにしても「古くからの習慣には、どれも人間の要求がうまく表れている」という言葉は葬儀や埋葬という行為の根拠にもなりうる名言だと思います。



1910年、ウィリアム・ジェイムズは急性の心臓肥大で亡くなります。

アメリカでもヨーロッパでも、その死は新聞でおごそかに報じられ、「現代のもっとも高名で影響力のあるアメリカ人哲学者」を失ったと伝えられました。

弟の作家ヘンリー・ジェイムズは「言葉に尽くせないほど生き生きとしたすばらしい」存在であったと、兄への追悼の言葉を記しました。

本書には、次のように書かれています。

「ウィリアムの死後しばらくのあいだ、アリスとヘンリーは――とくにアリスは――彼が生きつづけているというメッセージを期待して、何人かの霊媒を訪ねた。スタンリー・ホールとの苦い出会いのあと、引退を表明していたレオノーラ・パイパーとは交霊会を行なわなかったが、ボストンのほかの霊媒との交霊会では、ヘンリーに言わせれば、死者の断固たる拒絶のほか、何も伝えられなかった。

アリスは落胆したが、確信は揺らがなかった。霊的宇宙に生きるには『信じる意志』が何よりも大切だというウィリアムの考えが、昔から好きだった。『わたしは不死を信じています』と友人への手紙に書いている。ウィリアムが『無事に生き、愛し、働いており、わたしたちのそばから完全にいなくなったわけではない』と信じています」



本書を読んで、わたしは「愛する人を亡くした人」たちの故人への思慕の強さを再認識しました。数年前に突如として流行した「スピリチュアル・ブーム」もすでに去りました。

現代の日本では、「死者の霊」について語られる機会が減っています。

それでも、わたしたち生き残った者は、けっして死者を忘れてはならないと思います。

ところで昨日、広島に住む妻の祖母が亡くなりました。享年96歳でした。

平安祭典の広島西会館で1日の18時から通夜、2日の11時から葬儀が行われます。

妻は、幼いころ大変な「おばあちゃんっ子」だったそうです。

2人の娘たちも、「ひいおばあちゃん」が大好きでした。合掌。


2012年8月1日 一条真也