老人漂流社会

一条真也です。

ブログ休止中ですが、どうしても言いたいことがあり、特別にUPします。
今夜21時から放映されたNHKスペシャル「老人漂流社会」を観ました。
非常に切なくなるとともに、この現状を打開するための考えをめぐらしました。
21時49分に番組が終了し、急いでこのブログ記事を書きました。


NHKスペシャル「老人漂流社会」が放映されました



この番組については、じつはNHKプロデューサーの板垣淑子さんから「ぜひ御覧いただきたいと思います」と書かれた直筆のお手紙を頂戴していました。
板垣さんは、例のNHKスペシャル「無縁社会」のディレクターでもありました。
ブログ「豊かな心を求めて」で紹介した互助会保証(株)の藤島社長(『無縁社会を生きる』の著者)のパナマ勲章伝達式の直後に開催された互助会保証主催セミナーで板垣さんが「無縁社会」をテーマに講演され、そこで初めてお会いしたのです。
ブログ『無縁社会』で紹介した本の序章「“ひとりぼっち”が増え続ける日本」で板垣さんは、次のように述べられています。
「そもそも“つながり”や“縁”というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものではなかったのだろうか――。
その疑問は、取材チームの胸の内に突き刺さり、解消されることはなかった。
『迷惑をかけたくない』という言葉に象徴される希薄な“つながり”。
そして、“ひとりぼっち”で生きる人間が増え続ける日本社会。私たちは、『独りでも安心して生きられる社会、独りでも安心して死を迎えられる社会』であってほしいと願い、そのために何が必要なのか、その答えを探すために取材を続けていった」



また、第七章「絆を取り戻すために」でも、板垣さんは次のように書かれています。
「あなたの周囲に、居場所を失って困っている人がいたら、手を差しのべてください。
そして、自分自身にとって大切な“居場所”をも築いていってほしい、と――。
無縁社会という時代を生き抜くことは容易ではない。単身で暮らす人たちを支える社会保障の仕組み作り、ネットワーク作りといった課題も山積している。
しかし、制度や仕組みだけで無縁社会と立ち向かうことはできない。ひとりひとりが“つながり”を作ろうとするささやかな勇気の積み重ねこそが必要なのかもしれない。
『誰にも迷惑をかけたくない』とひとりで生きる人たち――。
『迷惑なんかじゃない。頼って、頼られて、それでいいじゃないか』
“無縁死”をなくすために、私たちは、そのことを“つながり”が薄れてしまった今の社会に伝えていかなくてはならないと覚悟している」
わたしは板垣さんのいう「独りでも安心して死を迎えられる社会」という言葉に非常に共感しました。いたずらに「生」の大切さを唱えるばかりでは、社会を良くすることはできないからです。この言葉はテレビでも流れましたが、NHKがこういう言葉を堂々と放送するようになったことは喜ばしいことだと思いました。


板垣プロデューサー、小木ディレクターの名が・・・



そして、今夜放映された「老人漂流社会」は、まさに「無縁社会」の続編ともいうべき番組でした。初めてお会いしたとき、講演後のティーパーティーで、わたしは「隣人祭り」や「隣人館」について板垣さんにお話したところ、非常に興味を持って下さいました。その後、拙著『隣人の時代』(三五館)や『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)をお送りしたところ、丁重なお手紙が板垣さんから届きました。
そして、「今度、『無縁社会』の続編である『老人漂流社会』を放送しますので、ぜひ御覧下さい」という丁重なお手紙を受け取ったのです。
なお、この番組のディレクターを務めた小木寛さんは、ブログ「NHK収録」の「徹底討論 ふるさと再生スタジアム〜どうする?あなたのお葬式・お墓」の責任者の方でした。


NHKホームページ「放送内容」より



今夜の番組の正式なタイトルは、「終の住処はどこに〜老人漂流社会」でした。
NHKホームページには、次のように放送内容が紹介されています。
「『歳をとることは罪なのか――』
今、高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっている。
ひとり暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなり、病院や介護施設も満床で入れない・・・「死に場所」なき高齢者は、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならない。
「歳をとり、周囲に迷惑をかけるだけの存在になりたくない…」 施設を転々とする高齢者は同じようにつぶやき、そしてじっと耐え続けている。
超高齢社会を迎え、ひとり暮らしの高齢者(単身世帯)は、今年500万人を突破。「住まい」を追われ、“死に場所”を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めている。
ひとりで暮らせなくなった高齢者が殺到している場所のひとつがNPOが運営する通称「無料低額宿泊所」。かつてホームレスの臨時の保護施設だった無料低額宿泊所に、自治体から相次いで高齢者が斡旋されてくる事態が広がっているのだ。しかし、こうした民間の施設は「認知症」を患うといられなくなる。多くは、認知症を一時的に受け入れてくれる精神科病院へ移送。
症状が治まれば退院するが、その先も、病院→無届け施設→病院・・・と自らの意志とは無関係に延々と漂流が続いていく。
ささいなきっかけで漂流が始まり、自宅へ帰ることなく施設を転々とし続ける「老人漂流社会」に迫り、誰しもが他人事ではない老後の現実を描き出す。さらに国や自治体で始まった単身高齢者の受け皿作りについて検証する。その上で、高齢者が「尊厳」と「希望」を持って生きられる社会をどう実現できるのか、専門家の提言も交えて考えていく。」(NHKホームページより)


万人の終の住処をめざす「隣人館



今夜は妻と次女との3人で番組を観ましたが、非常に考えさせられました。
番組の最後に登場する介護ヘルパーさんの「人を助けてあげて、いつか自分も助けてもらう」という言葉に感動しました。まさに「相互扶助」そのものです。
そして、わたしは、わが社が高齢者介護事業に進出し、「隣人館」をオープンしたことは間違っていなかったと確信しました。昨年2月20日の「隣人館」の竣工式において、わたしは以下のような施主挨拶をしました。まず最初に、「これまでは社会に良いことをすると儲からないと言われていましたが、社会に良いことをしないと儲からない時代、企業が存続していけない時代になりました」と言いました。
現在、日本の高齢者住宅は、さまざまな問題を抱えています。
民間施設の場合、大規模で豪華なものが多いですね。
数千万円単位の高額な一時金など、金銭的余裕のある人しか入居できていません。
また、公的施設の場合、比較的安価で金銭的余裕のない人でも入居はできます。
しかし、待機者が多くて入居するまでに相当な年数がかかるなどの問題があります。
さらに、高齢者はそれまで暮していた愛着のある地域を離れたがらない傾向があり、地域に根ざした施設が必要とされているのです。



わが社の「隣人館」の月額基本料金は、78000円となっています。
その内訳は、家賃:33000円、管理費:5000円、食費:40000円です。
まさに究極の地域密着型小規模ローコストによる高齢者専用賃貸住宅なのです。
飯塚市の次は、北九州市八幡西区折尾に2号店を計画しています。当初は自社遊休地へ建設しますが、将来的には伊藤忠商事をパートナーとして全国展開を図ります。
また、食事の調理が困難な、1人暮らし、あるいは夫婦のみの高齢者世帯などへの「宅配給食事業」への参入も検討しています。その際は、塩分を控えた高血圧食、糖分を控えた糖尿病食など、健康を意識したメニューの開発をめざします。



今さら言うまでもありませんが、わたしは孔子を尊敬しています。
孔子の説いた教えの2大ポイントは、「人は儀礼を必要とする」ということ、そして「人は老いるほど豊かになる」ということだと思います。
前者のほうは従来の冠婚葬祭事業がそのまま実践になっていますが、後者のほうはまさに高齢者介護事業がそれに当たります。その意味で、この事業は「人は老いるほど豊かになる」という長年の考えを実現するものであり、人間尊重を実行するという意味「天下布礼」の一環であることをお話しました。



大事なポイントは、とにかく「孤独死をさせない」ということです。
隣人祭りをはじめとした多種多様なノウハウを駆使して、孤独死を徹底的に防止するシステムを構築することが必要です。わたしは、日本で最も高齢化が進む政令指定都市である北九州市をはじめ、日本中に「隣人館」を作りたいです。
「隣人館にさえ入居すれば、仲間もできて、孤独死しなくて済む」を常識にしたいです。
全国の独居老人は、どんどん隣人館に入居していただきたいです。
わが社は、「礼」の心で高齢者介護事業に取り組んでいく覚悟です。


老人漂流社会の解決に取り組む覚悟です



「礼」とは、わが社の事業である冠婚葬祭の根本となるものです。
それは「人間尊重」の心であり、その心を世に広めることが天下布礼ということです。
天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることがサンレーの使命です。
わたしたちは、この世で最も大切な仕事をさせていただいていると思っています。
かつて織田信長は、武力によって天下を制圧するという「天下布武」の旗を掲げました。
しかし、わたしたちが目指すのは天下布礼です。
武力で天下を制圧するのではなく、「人間尊重」思想で世の中を良くしたいのです。
これからも冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをしていきたいものです。
また、わが社が隣人祭りを開催するのも、わたしが執筆をしたり大学で教壇に立ったりするのも、すべては天下布礼の一環であると考えています。その新たな第一歩として、わが社は「隣人館」をオープンしました。施主挨拶の最後、わたしは「この地より新たな一歩踏み出さん 天下布礼の介護の道を」という短歌を詠みました。わたしは、板垣さんのいう「独りでも安心して死を迎えられる社会」を実現させるために頑張る覚悟です。
板垣さん、「無縁社会」に続くやりがいのある宿題を頂き、ありがとうございます。
でも、この問題はすでに予想していた内容でした。後は解決するだけです。


人は老いるほど豊かになる



その基本的な考え方は、すでに『老福論』(成甲書房)に書きました。
ちなみに、「不識庵の面影」というブログで同書の素晴らしい書評を書いていただきましたので、ぜひお読み下さい。不識庵さんは、もうすぐアマゾンの「トップ100レビュアー」になる方です。達意の文章には、いつも感心しています。
老福論』のサブタイトル「人は老いるほど豊かになる」を実現するためにも、万人の終の住処である「隣人館」を全国展開して、孤独死をこの国から完全になくしたいです。
「老人漂流社会」を「老人安住社会」に変えなければなりません。


2013年1月21日 一条真也