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一条真也のハートフル・ブログ

2012-06-21

トシちゃんはBIG!

一条真也です。

巨人の原監督のスキャンダルが大きく報道されたり、井岡一翔選手が日本初のボクシング世界統一王者になったり、昨日はいろいろなニュースがありました。

でも、気になるというか嬉しい出来事が芸能界でありました。「トシちゃん」こと田原俊彦が、都内で68枚目のシングルのリリース記念ライブを行ったのです。


その曲、なんと「Mr.BIG」というタイトルなのです!

かつて、「僕はビッグ」発言で物議を醸したトシちゃんだけに仰天です。

94年2月17日、トシちゃんは「何事も隠密にやりたかったけど、僕みたいにビッグになるとだめだなと思った」と発言しました。マスコミからは激しくバッシングされました。

元モデルだった夫人との交際発覚から取材攻勢にあったことへの反発だったそうですが、メディア、評論家、ファンからも「高飛車」「勘違い男」と批判されたのです。

その直後、トシちゃんはジャニーズ事務所を退社し、メディアへの露出は激減しました。



もちろん、本人とっては悔いの残る失言だったはずです。

しかし、18年を経てその言葉がシングルのタイトルになりました。

作詞は、田原のアイドル時代をテレビで見てきた「氣志團」の綾小路翔が担当しました。サビの部分には「男じゃないか!」「デカく行こうぜ!」などのフレーズがあります。

タイトル名を聞いた時は、さすがにビッグなトシちゃんも驚いたそうです。

記者会見では、「初めて聞いたときはビックリしましたよ。だけど、翔君はシャレもきくし、僕の歴史を全部知ってくれているから。男たるもの、1度きりの人生ですから。ポジティブな歌詞になっているんで、気持ちが入りやすいですし、歌いやすいですよ」と語ったそうです。曲名について聞かれると、トシちゃんは「まあ、元がビッグですからね。何の問題もない」とさわやかに笑ってみせたとか。さすが、BIGですね!

そのトシちゃんは、今日21日からデビュー33年目に突入します。


じつは、わたしは昔からトシちゃんの大ファンでした。

最初に「哀愁でいと」で彼を見たときの衝撃は忘れられません。

けっしてホモではありませんが、わたしは「カッコいい男」が大好きです。

沢田研二、郷ひろみ、東山紀之、及川光博といった人々も好きですが、なんといってもトシちゃんが一番好きでした。高校時代はTVで「ザ・ベストテン」に出てくるトシちゃんの登場シーンを録画しては、歌の振り付けを真似したものです。

その頃のトシちゃんのライブ映像が残っていますが、バックダンサーは少年隊が務めています。たしか、このライブ映像は「Toshi Foever」というタイトルでビデオが発売され、わたしも購入しました。それも、Betamaxで!(泣笑)


トシちゃんは2012年6月18日にも、「HEY!HEY!HEY!」(フジテレビ系)でヒットメドレーと「Mr.BIG」を披露していますが、51歳とは思えないダンスのキレには驚嘆するばかりです。踊り続けるトシちゃんの姿には、司会のダウンタウンも感心していました。

83年のメドレーから30年経過していることを思えば、本当に驚異的ですね。

何よりも素晴らしいのは、デビュー以来、絶対に口パクで歌わなかったこと。

たとえ「音程が外れすぎ」などと言われようとも、そこだけは譲りませんでした。

普通、あれだけ踊りまくったら、息が切れてもおかしくありません。

しかし、トシちゃんはたゆまぬ努力によって、激しく踊りながら生で歌ったのです。

現在でもコンサートで2時間歌って踊っているそうです。もちろん、生歌で。

このエンターテイナーとしてのプロ意識を後輩たちも見習ってほしいですな。



それにしても、トシちゃんのダンスはすごすぎます!

郷ひろみ、東山紀之のダンスもたしかにエレガントでしょう。

しかし、彼らのレベルは根本的にトシちゃんとは違います。

おそらく、日本の歌手では田原俊彦は最高のダンサーだと思います。そのダンスの凄みは、「抱きしめてTONIGHT」の1994年バージョンで最高潮に達しています。

CONVOYの今村ねずみと石坂勇を従えての勇姿にはシビレました。

興味のある方は、こちらをクリックして、どうぞ御覧下さい。



また、18日放送の「HEY!HEY!HEY!」では、ある事件が起こりました。

それは、ジャニーズ事務所所属のHey!Say!JUMPとトシちゃんが同じ番組に出演していたことです。ジャニーズ事務所出身のタレントと現役の所属タレントが一緒に出演することは有り得ませんでした。おそらくはテレビ局が自主規制を解除したのでしょうが、「山が動いた」という感じです。それも、すべてはトシちゃんが再び上昇気流に乗ってきたからに他なりません。彼は、自分の力で山を動かしたのです。

トシちゃんは、どん底から自力で這い上がり、運命を切り拓いて行きました。

その姿は、わたしの人生ともオーバーラップして、胸が熱くなります。



もともとトシちゃんのデビューから、現在に至るジャニーズ事務所の快進撃がスタートしたと、わたしは思っています。あおい輝彦も所属したジャニーズの後にはフォーリーブスが出て、その弟分として郷ひろみがデビュー。そして、たのきん、シブがき隊、少年隊、光GENJI、SMAP、TOKIO、V6、KinKi−Kids、嵐、タッキー&翼、NEWS、KAT−TUN、Hey!Say!JUMP・・・と続きました。まさに、華麗なる歴史ですね。

なんといっても、芸能界に一大旋風を巻き起こしたのは「たのきん」ブームからです。

その切り込み隊長こそ、トシちゃんでした。次に、マッチが続きました。

すべてはトシちゃんが「哀愁でいと」でデビューしたときから始まっていたのです。

その意味で、OBであるトシちゃんと現役バリバリのHey!Say!JUMPが同じ番組に出演したことは、ジャニーズ・ファンにとっても朗報ですね。


昨日のライブ前、トシちゃんは、今月3日に再々婚を発表した同期デビューの松田聖子に言及し、「聖子ちゃん、おめでとっ!」と祝福したそうです。

14日には、自身のブログで「4回目がないことを友達として心から願っております。5回目ぐらいはオレとしようぜぇ〜!!」と冗談を言っていましたが、昨日は「5回目? なんで俺がそんな“お古”なんだよ。俺1番だから!!」と発言したとか。

今でも聖子ちゃんの存在感は、トシちゃんにとって刺激になるようですね。

最後には、「3回目の結婚は、聖子ちゃんらしいといえば聖子ちゃんらしい結婚だね」としみじみとコメントしています。わたしの世代には、トシと聖子のグリコ・ポッキーのCMとか、「ザ・ベストテン」や「レッッゴーヤング」での共演などが懐かしいですね。

あの頃、二人はいつも並んで微笑んでいました。お似合いの二人でしたね。

同世代の方は、こちらをクリックして、あの頃の甘い思い出に浸ってみませんか?

トシちゃん、がんばれ! 聖子ちゃん、お幸せに! 

そう、日本の50代は枯れちゃいないぜ!


2012年6月21日 一条真也

2012-06-16

癒しのコトリンゴ♪

一条真也です。

コトリンゴって、知っていますか?

最近、わたしがハマッているミュージシャンです。

「ミュージシャン」よりも「シンガーソングライター」と呼んだほうがしっくりきます。

本名は三吉里絵子という女性ですが、わたしは日本が誇るアーティストの1人と思っています。なんというか、彼女の曲を聴くと、とても癒されるのです。


1978年に大阪に生まれた彼女は、5歳でピアノを始め、7歳で作曲をするようになったそうです。大阪、福岡、名古屋と転居して、高校卒業後は神戸の甲陽音楽学院に入学しました。卒業後は特別奨学生としてバークリー音楽大学に留学しました。

そして、そこでジャズ作編曲科やピアノ演奏科を専攻しています。

その後、学位を取得すると2003年にニューヨークに生活拠点を移し、05年の秋より自宅で曲作りを始めました。06年3月、自作のデモテープを坂本龍一氏のラジオ番組「RADIO SAKAMOTO」(J−WAVE)のオーディション宛に送りました。

友人の勧めによるものでしたが、それが坂本氏の耳に留まりました。

そして同年11月、「こんにちは またあした」でデビューすることになります。


わたしは、坂本龍一氏が彼女を気に入った理由が何となくわかります。

というのも、コトリンゴの声は坂本氏の夫人である矢野顕子さんにそっくりだからです。

「おいでよ」という曲など、矢野さんの「ごはんができたよ」に通じるものがあります。

矢野さん以外では、「黒のクレール」などを歌った大貫妙子さんにも似ています。


コトリンゴ」という名前ですが、自身が大好きな「小鳥」と毎日食べていた「りんご」を合わせたものだそうです。彼女の名前はアニメ映画「マイマイ新子と千年の魔法」の主題歌「こどものせかい」で一躍知られました。

この「マイマイ新子と千年の魔法」という映画、高樹のぶ子の自伝小説『マイマイ新子』が原作で、09年に片渕須直監督によってアニメ映画化され、文部省特選作品となりました。一見してスタジオジブリの作品風ですが、じつはスタジオジブリ「魔女の宅急便」のスタッフが参加しています。そう、「マイマイ新子と千年の魔法」の片岡須直監督は、「魔女の宅配便」で監督補を務めていたのです。

それでも無名な映画で、配給宣伝もほとんど行われませんでした。

また、各種メディアもその存在を伝えることはありませんでした。

無名なまま上映公開が始まり、当初の集客は低迷しましたが、有志がネット署名など集めるようになりました。その結果、インターネットなどを通じて徐々に評価が広まり、結果的には1年以上のロングランとなりました。山口県防府市が舞台で、地元との良好な関係が話題となったそうですが、わたしはまったく知りませんでした。

でも、コトリンゴの主題歌を聴くと、映画の優しい世界が目に浮かんでくるようです。


わたしが最もハマっているのは、コトリンゴが往年の名曲をカバーしたナンバーです。

2010年9月に「picnic album 1」というカバーアルバムが出ています。

「恋とマシンガン (Young,Alive in Love) 」(フリッパーズギター)、「渚」(スピッツ)、「シカゴ」(クラムボン)、「AXIA〜かなしいことり」(斉藤由貴)、「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ)、「以心電信」(YMO)、「う、ふ、ふ、ふ、」(EPO)、「ノーサイド」(松任谷由実)などが収録されています。

最初の「恋とマシンガン (Young,Alive in Love) 」は絶品で、イントロを聴いた瞬間から、わたしはコトリンゴの世界へワープしてしまいました。もう最高です!!

ボサノヴァ風で、なんともいえぬ「癒し」のワールドを形成しています。

また、わたしは昔、斉藤由貴の大ファンだったのですが、彼女の名曲「AXIA〜かなしいことり」もコトリンゴの魔法にかかって、泣かせる大人のバラードになりました。

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最近は、コトリンゴにハマっています♪



2011年1月には、「picnic album 2」というカバーアルバムも発表しています。

このアルバムには、洋楽のカバーナンバーが集められています。

「Downtown」(Petula Clark)、「Video Killed The Radio Star」(Buggles)、「Let Down」(Radiohead)、「I Want You Back」(The Jackson5)、「Hyperballed」(Björk)、「Hallelujah」(Jeff Buckley)、「She’s A Rainbow」(The Rolling Stones)、「Kiss Me」(Sixpense None the Richer)といった名曲が揃っています。最近のわたしは、永ちゃん以外では、コトリンゴの「picnic album 1」および「picnic album 2」を聴いて、ひたすら癒されております。

みなさんも機会があったら、ぜひお聴き下さい。癒されますよ!


2012年6月16日 一条真也

2012-05-26

今頃、永ちゃんに夢中!

一条真也です。

矢沢永吉・・・・・。その存在は、「完全無欠」「天上天下唯我独尊」「ご意見無用」の永遠のヒーローとして、日本のロック界に燦然と輝いています。「永ちゃん」の愛称で親しまれていますが、わたしはこれまで“永ちゃんワールド”が苦手でした。

正確に言うと、永ちゃんのファンの人々が苦手だったと言えるでしょう。

ずばり、ヤンキーの方々が多いような気がしていたのでございます。

ところが、ここ最近、永ちゃんが好きでたまらなくなってきました。今頃になって!


わたしが50歳を目前に控えてたことが関係あるのかないのか知りませんが、矢沢永吉やミック・ジャガーといった不良中年のアイドルが急にカッコ良く思えてきました。

『論語』の「五十にして天命を知る」ではありませんが、「五十を前にして永ちゃんの魅力を知る」といったところでございます。いや、ほんとに。

おそらく、「東京の止まり木」ことカラオケ・スナック「DAN」にスタンドマイクが導入されたことが原因かもしれません。ブログ「スタンドマイク」に書いたように、わたしは永ちゃんの「時間よ止まれ」を歌い、1位の栄誉に輝きました。

じつは、この曲は昔から大好きでした。たしか資生堂のCMソングでしたが、とても爽やかで青い海が目に浮かんでくるようでした。「罪な奴さ、Ah〜パシフィック」という歌い出しから、もうリゾート気分になれましたね。永遠の夏の名曲だと思います。

ゲーテの不朽の名作『ファウスト』には、「時間よ止まれ、君は美しい」という有名な言葉が出てきます。恋人グレートヒェンに対して、ファウストが吐いた魂の叫びです。

永ちゃんが『ファウスト』を読んでいたのかどうかは存じません。

でも、理想の恋人に邂逅したとき、人は「時間よ止まれ」と言うのでございましょう。


CMソングといえば、コカ・コーラの「YES MY LOVE」も名曲です。

永ちゃんのファンは、クールスの時代のファンキーな歌を好む人が多いですが、わたしは「時間よ止まれ」や「YES MY LOVE」のようなバラードが大好きです。

この歌を歌う永ちゃんは、男から見ても、本当にセクシーですね。

また、コンサートでの身のこなしがスマートで、カッコいい!

永ちゃんの魅力は、じつはその姿勢の良さと所作の美しさにあるような気がします。

背筋をぴんと伸ばして歩く姿を見ていると、ウットリしてしまいますね。


そして、永ちゃんのバラードといえば、「チャイナタウン」も好きです。

この歌は、DANのマスターがスタンドマイクで歌ってくれたのを聴いて、知りました。

横浜の中華街を歌った曲ですが、切なくて甘いムードのナンバーになっています。

ブログ「横浜」に書いたように次女とともに、そしてブログ「横浜再訪」に書いたように長女とともに歩いた中華街。この曲を聴くと、それぞれの娘たちとの束の間の散策の様子、そこで交わされた他愛もない会話の内容などが思い出されます。



このブログ記事は、みなさんに読んでもらうためというより、わたし個人のために書きました。「時間よ止まれ」「YES MY LOVE」「チャイナタウン」の3曲のYouTubeを貼り付けて、いつでも気軽に聴けるようにするためです。

今年の夏は、この3曲を数え切れないほどたくさん聴く予感がするのでございます。


2012年5月26日 一条真也

2012-04-09

「仰げば尊し」

一条真也です。

ムーンサルトレター」第81信がUPしました。

7日の夜にわたしが書いたレターをTonyさん(鎌田東二先生)にお送りしたばかりなので、今回のUPはこれまでで最速ではないでしょうか。

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ムーンサルトレター第81信



今回わたしからのレターでは、次女の小学校の卒業式のことを書きました。

そして、そこで歌われた「仰げば尊し」について触れました。

卒業生たちが「仰げば尊し」を合唱したとき、会場の感動は最高潮に達しました。

もともと、この歌は、わたしの大好きな歌なのです。

この名曲は、師弟の縁・学友との縁を歌った「有縁社会」の歌だと思います。


「仰げば尊し」は、明治17年(1884年)に作られた文部省唱歌です。

その歌詞は、以下のようになっています。

1.仰げば 尊し 我が師の恩

  教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)

  思えば いと疾(と)し この年月(としつき)

  今こそ 別れめ いざさらば

2.互(たがい)に睦し 日ごろの恩

  別るる後(のち)にも やよ 忘るな

  身を立て 名をあげ やよ 励めよ

  今こそ 別れめ いざさらば

3.朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓

  蛍の灯火 積む白雪

  忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月

  今こそ 別れめ いざさらば


かつて日本映画『二十四の瞳』でこの歌が流れたとき、わたしは感動で涙しました。

その場面は、YouTubeでも御覧になれます。こちらをクリックして下さい

「我が師の恩♪」というフレーズが流れたとき、わたし自身の小学校のときの先生のことを思い出しました。大変なイタズラ小僧で先生方にはいつも御迷惑ばかりかけていましたが、あの頃のワルガキが成人して自分の子どもの卒業式に参列して、しかも保護者を代表して謝辞を述べたと知ったら、みなさん、どんな顔をされるでしょうか。 あの先生方は、まだお元気なのか。それは存じません。しかし、突如として思い出された「我が師の恩」への感謝で、わたしの胸は一杯になりました。

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ムーンサルトレター第81信



わたしは、ざっと以上のようなことを書きました。

すると、鎌田先生から以下のような言葉が返ってきました。

「実は、わたしは『仰げば尊し』という歌がとてもとても好きなのですよ。特に、サビから三・四行目の『思えばいと疾しこの年月 今こそ別れめいざさらば』のところが、中でも、『別れめ』のフェルマータの箇所でグッとくるのです。いつも」

おおっ、鎌田先生も「仰げば尊し」が大好きだったとは!!

さすがは義兄弟です。しかも、鎌田先生は続いて次のように書かれています。

「この曲は、スコットランド民謡かとばかり思っていましたが、ウィキペディアによると、『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』という、1871年にアメリカで出版された楽譜に収録されていて、作詞者T.H.ブロスナン、作曲H.N.Dとあります」

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共同通信社の記事より



さらに、鎌田先生は2011年1月24日に共同通信が『「あおげば尊し」原曲の楽譜発見 19世紀米国の歌』という記事を配信したことを教えてくれました。

それは、以下のような内容です。

<卒業式でよく歌われてきた唱歌「あおげば尊し」の原曲とみられる米国の歌の楽譜を、一橋大名誉教授(英語学・英米民謡、歌謡論)の桜井雅人さん(67)が24日までに発見した。研究者の間で長年、作者不詳の謎の曲とされていた。

桜井さんによると、曲名は「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」。米国で1871年に出版された音楽教材に楽譜が載っていた。直訳すると「学校教育の終わりのための歌」で、友人や教室との別れを歌った歌詞という。作詞はT・H・ブロスナン、作曲はH・N・Dと記されていた。

旋律もフェルマータの位置も「あおげば尊し」と全く同じという。桜井さんは約10年前から唱歌などの原曲を研究。何十曲もの旋律を頭に入れ、古い歌集や賛美歌などを調べていたところ、1月上旬に楽譜を見つけた。

桜井さんは「日本にはたどれる資料がなく、今の米国でも知られていない歌。作詞・作曲者の実像など不明な点も多く、今後解明されればうれしい」と話している。>


この共同通信の記事について、鎌田先生は次のように書いています。

「そうだったんですね。でも、たぶん、この『H・N・D』さんは、スコットランドかアイルランドからの移民だったのではないかな。そんな気がします。楽曲の響きの感じが。まちがいなく、アイルランドースコットランドーケルト的です」

鎌田先生は、「仰げば尊し」の原詞(英詞)もレターで紹介してくれました。

それは、以下のようなものです。


We part today to meet, perchance, Till God shall call us home;

And from this room we wander forth, Alone, alone to roam.

And friends we've known in childhood's days May live but in the past,

But in the realms of light and love May we all meet at last.

Farewell old room, within thy walls No more with joy we'll meet;

Nor voices join in morning song, Nor ev'ning hymn repeat.

But when in future years we dream Of scenes of love and truth,

Our fondest tho'ts will be of thee, The school-room of our youth.

Farewell to thee we loved so well, Farewell our schoolmates dear;

The tie is rent that linked our souls In happy union here.

Our hands are clasped, our hearts are full, And tears bedew each eye;

Ah, 'tis a time for fond regrets, When school-mates say "Good Bye."


この直訳が、ウィキペデイアに載っていますが、それは次のような訳です。


私たちは今日別れ、まためぐり逢う、きっと、神が私たちをその御下へ招く時に。

そしてこの部屋から私たちは歩み出て、自らの足で一人さまよう。

幼年期から今日までを共にした友は、生き続けるだろう、過去の中で。

しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。

さよなら古き部屋よ、汝の壁の内で、楽しく集うことはもう無い。

朝に声を揃えて歌うことも、午後の賛美歌も、もう繰り返すことはない。

だが、幾年も後の未来に、私たちは愛と真実の場を夢見る。

私たちの最も大切な思い出は、汝、幼き日々の教室となるのだろう。

さよなら私たちがかく愛した汝よ、さよなら親愛なる級友たちよ。

私たちの魂を、幸せなひとつの繋がりとしてきた絆は解かれた。

私たちの手は固く握られ、心は満ち、そして目には涙をたたえ。

ああ、これぞ惜別の時、級友たちの言葉は「さよなら」。

 

鎌田先生は、この原詞と訳詞について、「すばらしいですね。この原詞。直訳も。わたしたちが歌っている日本語訳よりずっと情感があり、また神への祈りと級友たちとの惜別の念に満ちていて。特に、一番の四行目の『But in the realms of light and love May we all meet at last.(しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。)』のところなど。『いまこそ別れめ いざ さらば』もいいのですが、抽象的です。それよりも、具体的で、キリスト教の祈りを感じます」と書かれています。


いやあ、思わぬところで「仰げば尊し」についての知識が増えました。

そして、いろんなヒントを得ることができました。

鎌田先生は、今回のレターで次のようにも書いて下さいました。

「Shinさんの娘さんの卒業式の話を読んで、わたしも息子の卒業式のことを思い出しました。息子が中学三年の時、わたしはPTAの会長を務めました。埼玉県大宮市立大成中学校と言います。ちょうどどの時は、創立50周年だったので、わたしは50周年記念事業の実行委員長も務めることになりました。そんな節目に当たる年に、あの『酒鬼薔薇聖斗事件』起こったのです。わたしの息子は酒鬼薔薇聖斗と同学年でした。その衝撃から、わたしは『神道ソングライター』になったと言っても過言ではありません。

1998年3月、わたしは校長先生の式辞に続いて、PTA会長として祝辞を壇上から述べました。その時、わたしたちはみなひとりひとりが『世界の果て・宇宙の果て』であるという話をしました。だからこそ、その『世界の果て・宇宙の果て』から、新しい地平を切り開き、新しい海に航海していきましょうというような話をした記憶があります。

その冒頭で、息子が生まれた時の話をしました。

彼はそのころ妻が勤務していた東京の虎の門病院で生まれました。住んでいた川崎市宮前区宮前平のマンションから虎の門病院に初めて面会に行った日の帰り、電車の中で胸の中に火が点ったような何とも言えないあったかい気持ちになりました。その火は今も消えずに胸の奥に燃え続けています。いのちというものは、そのようなあたたかい火なのだと、その時実感し、今もそう感じています」



わたしは、この文章を読んで、とても感動しました。

息子さんとは何度かお会いしたことがあります。

小倉のわたしの実家にも遊びに来てくれました。

国際基督教大学の附属高校から横浜市立大学の医学部に進学されました。

このたび卒業され、国家医師試験にも合格し、4月1日より、研修医として、母校の横浜市立大学附属市民総合医療センターに勤め始められたそうです。

素晴らしいですね。本当に、おめでとうございます!



鎌田先生は、次のようにも書いて下さいました。

「Shinさんのレターの感動的な話を読みながら、そんな昔のことをあれこれ思い出して、なんか、なつかしい気持ちに浸りました。そして、『仰げば尊し』の歌詞をもう一度調べてみようといろいろ検索していて、上記の記事に行き当たり、新たな発見に至りました。

まことにありがとうございました」

それから、魂を揺さぶるような素晴らしい満月の写真(鎌田先生が撮影)を見せていただいた後、レターの最後には次のようにも書かれていました。

「『仰げば尊し』という感じを満月はもたらしてくれます。

Shinさん、いろいろなことを思い出させてくれて、ありがとうございます」



とんでもない、お礼を述べるのはわたしのほうです。

鎌田先生との毎月のレター交換は、わたしにとって魂の養分となっています。

今回のレターも、じつに高カロリーの栄養を与えていただきました。

お釈迦様に誕生日に、昼間は満開の桜を楽しみ、夜は満月を楽しむ。

そして、敬愛する師から栄養たっぷりのレターが届く・・・・・。

わたしの胸は、幸せな気分でいっぱいです。

鎌田先生、本当にありがとうございました。

鎌田先生ご自身が、わたしにとって「仰げば尊し」という感じをもたらしてくれます。

なお、教師経験者の葬儀では、ぜひ教え子のみなさんは「仰げば尊し」を歌われるといいと思います。「別れめ」のフェルマータは、きっと故人の魂にも届くことでしょう。


2012年4月9日 一条真也

2012-03-18

岡村ちゃんは天才

一条真也です。

岡村靖幸という人を知っていますか? ニックネームは「岡村ちゃん」です。

故・尾崎豊や吉川晃司と同じ1965年生まれのロックミュージシャンです。

生前の尾崎豊とは大親友だったそうです。また、音楽プロデューサーとして吉川晃司にも楽曲を提供しています。その岡村ちゃんに、わたし、最近ハマッています。


ブログ「恋とマシンガン」ブログ「すげえぞ、須藤元気!」などにも書いたように、わたしは突如として、あるミュージシャンの存在を知ってハマることがあります。それは、すでに有名であるにもかかわらず、わがアンテナには引っ掛からなかった人が多いです。

この岡村ちゃんは「和製プリンス」などと呼ばれて、一世を風靡したそうです。

65年生まれといえば、完全にわたしと同世代ですが、彼の活躍は知りませんでした。

マイケル好きのわたしは、プリンスそのものがあまり好きではありませんでした。

それで、岡村ちゃんをアンテナが捕らえきれなかったのかもしれません。



じつは、彼は3度にわたって覚醒剤の使用で逮捕されています。

そして、3度にわたって復帰も果たしているわけです。

最新作である「ぶーしゃかLOOP」の動画を見て、わたしは仰天しました。

岡村靖幸公式サイト」のトップにも登場する動画ですが、じつに凄い作品です。

もう、間違いなく天才だと思います。日本に、こんなロックの天才がいたとは!


最近になって彼を知ったのは、2つの偶然が重なったからでした。

1つは、わたしの大好物である(笑)コンビニマンガの最新刊を読んだこと。

囚人は見た! 有名人刑務所体験記』に、彼の収監生活が書かれていたのです。

もう1つは、ブログ「孤立死と孤独死」に書いたように今月7日に亡くなったとされる故・山口美江さんが岡村ちゃんのシングル「だいすき」のPVに出演していることをネットで知ったこと。山口さんは妖艶な美女役で、チョコレートを食べながら出演しています。

スタイルも抜群で、この頃の山口さんは本当に美しかった!


「だいすき」では、岡村ちゃんはダンスも披露しています。

彼は歌中で「シンガーソングライターダンサー」と自称しています。その独特のダンスは観る者に強い印象を与え、ライブ・パフォーマーとしての評価も高いそうです。

もともと、彼は無名時代に渡辺美里のレコーディングにコーラスで参加していましたが、空き時間に踊っていたダンスをプロデューサーから評価され、それがシンガーとしてのデビューにつながったほどなのです。しかし、「だいすき」のPVで観た彼のダンス・パフォーマンスは、80年代後半の「あの頃」の雰囲気はよく伝わってくるものの、はっきり言って「ださいな」と思ってしまうものでした。



あの頃、わたしは六本木に住んでいたことがあり、ディスコ通いをしていました。

詳しくは、ブログ「君の瞳に恋してる」をお読み下さい。

当時、一流のダンス・パフォーマンスにも多く触れてきました。そのわたしには、「だいすき」で披露されているようなダンスは田舎臭く感じられたのです。

しかし、そんなわたしの観方が一変したのは「どぉなっちゃってんだよ」のPVをみてたときです。外人ダンサーを従えて踊る岡村ちゃんのダンスは本物でした。

ある意味、彼のダンスは現在のEXILEにも通じているような気がします。

腰をくねらすセクシー・パフォーマンスは「ミッチー」こと及川光博も連想させます。


彼の代表作の1つに「カルアミルク」があります。まさに、わたしが六本木で遊んでいた時期、つまり「バブル前夜」の六本木を歌った曲です。

歌の中に「ファミコン」とか「ディスコ」とか「レンタルのビデオ」とかいった単語が登場しますが、それらはすべて消えてしまいました。時間の流れの速さには呆然としてしまいますが、そのメロディーは懐かしい印象も与え、新しい印象も与えてくれるものです。

つまり、普遍性のようなものを感じさせてくれます。「六本木で会おうよ」というフレーズが、わたしのハートにヒットして、泣かせてくれました。

「カルアミルク」のYouTube動画には、巨漢の歌手が出てきます。この人は、おやじダンサーズともパパイヤ鈴木とも関係がありません。そう、岡村ちゃんその人です。

ストレスのせいか、岡村ちゃんは一時期ずいぶん肥大化したようです。

でも、最新の「ぶーしゃかLOOP」を見ると、またスリムになったようですね。



岡村靖幸。彼は、間違いなく天才だと確信しました。

岡村ちゃん、これまで、あなたのことを知らなくてゴメンね。

あなたは天才です。これからも、才能あふれる音楽を作って下さいね。

もちろん、ムショではなくシャバで・・・・・。


2012年3月18日 一条真也