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一条真也のハートフル・ブログ

2012-03-23

葬儀人類学者

一条真也です。

東京から北九州へ帰ってきました。かなり雨が降っています。

夕方から、東京から来られたお客さんとサンレー本社でお会いしました。

東京大学大学院総合文化研究科・超域文化科学専攻・博士課程の田中大介さんです。田中さんは「葬儀」を専門に研究している人類学者です。

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田中大介さん



田中さんは1972年、東京都生まれです。主専攻は人類学で、副専攻は日本民俗学・死の社会科学(Social Science of Death,Dying and Disposal)です。

現在、国内では日本文化人類学会・日本民俗学会・日本社会学会、国外では米国人類学会(American Anthropological Association)に所属しています。

その研究内容は「現代日本の葬儀業に関する人類学的研究」です。2002年から葬儀業者および葬儀関連業者への実地調査を開始。その後、東京都内の葬儀社において実際に従業員として勤務するという調査形態を採った長期フィールドワークを実施し、その後も現在に至るまで国内・海外各地におけるフィールドワークを進めています。

東京造形大学、埼玉工業大学の非常勤講師も務めておられます。

また、葬祭ディレクター技能審査協会の中央技能審査委員も務めています。

この4月からは、早稲田大学人間科学学術院人間環境学科の助手に就任します。



ブログ「社会貢献基金助成金交付式」に書いたように、今月5日に東京・新橋の全互協本部で、田中さんとわたしは初めてお会いしました。

日本における葬儀文化および葬儀産業を研究している田中さんは、わたしの著書をたくさん読まれています。『のこされた あなたへ』(佼成出版社)も読まれていました。

そして、以前わが社で調査を行った鈴木光さん(当時、ハーバード大学大学院)と親しいとか。鈴木さんと「葬祭」についての共著刊行の予定があると聞いて、驚きました。

なんでも、田中さんは三菱商事に勤務する商社マンだったそうです。しかし、どうしても葬祭業のことを学問的に研究したくて、東大の大学院に入り直して文化人類学を学ばれたそうです。ちなみに、商事時代は情報事業部でIT関連の仕事をされていたとか。



田中さんは研究を始めたばかりの頃に方向性で悩んでいた時、『ロマンティック・デス』(国書刊行会)を読んで鮮烈な体験をされたそうです。加えて、鈴木光さんがわが社で行った調査をもとにしたエスノグラフィを読んで興味を掻き立てられたとか。

ロマンティック・デス』といえば、この本を読んだハーバード大大学院の鈴木光さんがアメリカからはるばる北九州までやって来られたことも思い出しました。

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わたし以上に、わたしのことを知っていました



田中さんは、今朝、北九州空港に降り立ちました。そして、わが社の隣人館サンレーグランドホテルグランドカルチャー教室北九州紫雲閣小倉紫雲閣ムーンギャラリーなどを視察された後、サンレー本社に来られました。

そこで、わたしは1時間半ほどのインタビューを受けました。

わたしの著書をたくさん持参されていましたが、そのすべてに膨大なポストイットが貼られているのに驚くとともに感激しました。最初に、ブログ「世界最古の洞窟壁画」で紹介した映画の話をすると、とても興味を持たれたようでした。

それにしても、田中さんがわたしの著書をはじめ、ブログ記事、これまで新聞や雑誌などに掲載されたわたしの発言などを事細かに知っていたのには驚きました。

わたし自身よりもはるかに知っていると言ってよいでしょう。

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非常に礼儀正しい態度でした



インタビューの間、またその後も、田中さんの礼儀正しさが強く印象に残りました。

わたしは、田中さんほど深々とお辞儀をされる方を見たことがありません。

その「礼」を尽くされる姿勢に非常に好感を抱くとともに、「葬儀」研究に対する意気込みや使命感が感じられました。インタビューは、作家「一条真也」と経営者「佐久間庸和」のバランス感覚についての質問が多かったように思います。

わたしは、質問されたことに対して、すべて正直にお答えしました。

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葬儀やグリーフケアについてお話しました



インタビューが進んで、グリーフケアの話題になりました。

わたしは、「グリーフケアは魂の次元、あるいは霊的次元にまで踏み入らないと解決できない。心理学だけでは限界があると思う」と言いました。

また、次回作として構想している『グリーフケアとしての怪談』についてもお話しました。

さらに、わたしはが「人類にとって神話と儀礼が不可欠だと思う。神話学は確立されているが、儀礼学はまだ確立されていないので、ぜひ日本にも儀礼学の礎を築きたい」と述べると、その考えに賛同してくれました。

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田中さんと有意義な時間を過ごせました



今日は、気鋭の葬儀人類学者と意見を交換できて有意義な時間を過ごせました。

田中さん、今日は北九州まで来ていただいて、嬉しかったです。

今後とも、葬儀文化の研究のために、何でも協力させていただきますので、いつでもお声がけ下さい。これからも、どうぞ、よろしくお願いします。


2012年3月23日 一条真也

2012-03-01

江戸しぐさの語り部

一条真也です。

今夜、「江戸しぐさ講演会」に参加しました。

講演会の開始前、講師の越川禮子先生にお会いしました。

ブログ『身につけよう! 江戸しぐさ』で紹介した本の著者です。

ブログ『死ぬには良い日だ』で紹介した本の訳者のお母様でもあります。

越川先生は現在86歳とのことですが、非常にお元気です。

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越川禮子先生



越川先生は1926年生まれ、チャキチャキの江戸っ子です。

44年に青山学院女子専門部を卒業されました。

66年、(株)インテリジェンス・サービスを設立され、代表取締役社長に就任されました。市場調査と商品企画などを手掛ける女性スタッフだけの会社ですが、それにしても当時では画期的な社名だったと思います。

86年、アメリカの老人問題を取り上げたドキュメント『グレイパンサー』を上梓。

『グレイパンサー』は、「潮賞ノンフィクション部門」の優秀賞を受賞しました。

以後、合理的で科学的、しかも美的で人にやさしいイキな商人道である「江戸しぐさ」を含め、共生を一貫したテーマとして、研究執筆活動を続けておられます。



特に、「江戸しぐさ」の伝承者であった柴三光氏に学ばれ、師匠の遺志を継いで「江戸しぐさ」の普及に努めてこられました。講演活動も盛んに行っておられます。

2007年、NPO法人「江戸しぐさ」を設立、理事長に就任されました。

「江戸しぐさ語り部」として、今日も「思いやりのかたち」を説いて回る日々です。

わが社の佐久間進会長は、自ら小笠原流礼法の普及に尽力していますが、以前から江戸しぐさに注目していました。そのため、この道の第一人者である著者をお招きして、教えていただいたこともあります。

もともと、わが社は会長の教育方針により、小笠原流を会社ぐるみで学んでいました。

小笠原流は武家の礼法ですが、江戸しぐさは商家の作法。

武士と商人の違いはありますが、ともに「思いやりのかたち」としては同じです。

じつは、佐久間会長も越川先生の講演会に来たがっていました。

しかし、どうしても所用で来られず、とても残念がっていました。

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久々にお目にかかれて嬉しかったです



数日前、越川先生からお電話を頂戴し、29日の講演会にお誘いを受けました。

今日お会いしますと、「昨日、孔子文化賞だったんでしょ。稲盛さんと御一緒ですって。本当に、良ござんしたねぇ」と江戸弁で祝福のお言葉をかけられ、感激いたしました。

今回の講演会でも、1時間半をノンストップで語られるエネルギーに脱帽しました。

越川先生、久々にお目にかかれて嬉しかったです。

また、非常に有意義なお話をありがとうございました。

これからも、お元気で、「江戸しぐさ」を日本中に広めてください!


2012年3月1日 一条真也

2012-02-17

ゼティ中央銀行総裁

一条真也です。

クアラルンプールに来ています。

マハティール元首相との昼食懇談会を終えたわたしたちは、ペトロナス・ツイン・タワーを後にしました。そこからバスで、次の訪問先のマレーシア中央銀行に向かいました。

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「美人総裁」として名高いゼティ氏



ここでも、またマレーシアを代表する有名人にお会いしました。

マレーシア中央銀行のゼティ・アクタル・アジズ総裁です。

「美人総裁」として日本でもよく知られている方です。

64歳の年齢ながら、たしかに整った顔立ちをされていました。

イギリスの元首相であるマーガレット・サッチャー女史にちょっと雰囲気が似ていますが、ゼティ総裁は「鉄の女」とは違って、笑顔が素敵な方でした。

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懇談会のようす

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秘書の女性も美人でした



中央銀行の会議室で懇談会が開かれましたが、ゼティ総裁の隣に座った秘書の女性も理知的で美人でした。それはともかく、ゼティ総裁によれば、マレーシアは世界銀行の格付けで5年連続ナンバーワンだとか。

155カ国中で1位だというのですから、すごいですね。

ゼティ総裁は以下の5点を重視しているそうです。

1.通貨の安定、2.金融の安定、3.経済の安定、4.政治の安定、5.社会の安定。

それぞれの項目につても詳しく話してくれましたが、マレーシアの経済がかなり開放的であり、金融政策が非常に安定していることがよくわかりました。

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新しい通貨を見せるゼティ総裁



ゼティ総裁は、マラヤ大学を卒業後、アメリカ・ペンシルバニア大学で博士号(金融・国際経営)を取得。卒論のテーマは、「資本移動と政策への影響」だそうです。

1985年にマレーシア中央銀行に入行され、95年に副総裁、2000年に総裁に就任されています。日本銀行の総裁は白川方明さんですが、小倉高校のご出身です。

つまり、岡野社長や豊川社長の後輩で、わたしの先輩に当たります。

その「小倉高校の星」である白川総裁についてのコメントを岡野先輩が求めたところ、「日本の金融問題はベリー・ディフィカルト・ジョブだが、白川総裁は最善を尽くしておられる」とゼティ総裁は言われていました。

最後にゼティ総裁は、マレーシアの新紙幣、新貨幣を見せてくれました。

さらに、それを、わたしたちにプレゼントしてくれたので驚きました。

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ゼティ総裁に博多織タペストリーを贈呈

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ゼティ総裁と記念撮影しました



懇談会が終わった後、マハティール氏に贈られたものと同じ博多織のタペストリーがゼティ総裁にも贈られました。非常に驚かれ、そして、大変喜ばれていました。

その後、わたしはゼティ総裁と一緒に記念撮影していただきました。



それからマレーシア中央銀行を後にしたわたしたちは、宿泊先のマンダリン・オリエンタルへ。そこでチェックインして30分後に再集合というハード・スケジュールです。

部屋に入ったわたしは、電気がまったく点かないので困りました。

シンガポールのホテルではモーニングコールが鳴りませんでしたが、なんだかホテルではトラブル続きです。ちょうど廊下に若いホテルマンがいたので、外出から帰るまでに電気を復旧してほしいと頼みました。

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夕食交流会のようす

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おいしい中華料理をいただきました



その後、ロビーに集合して、ホテル「リッツカールトン・クアラルンプール」へ。

そこで、マレーシア日本人商工会議所との夕食交流会が行われたのです。

現地で活躍される商社や銀行の責任者の方々が来て下さいました。

料理は中華でしたが、非常に美味しかったです。

特に最後のシーフード・チャーハンが絶品でした。

お酒も、タイガー・ビールと紹興酒をしこたま飲みました。

朝が早かったので、今日は長い一日となりました。

海外視察も残すところ1日になりました。

それでは、おやすみなさいzzz


2012年2月17日 一条真也


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マハティール元首相

一条真也です。

16日の昼、わたしたち一行は、スカイブリッジのすぐ隣にある「ペトロナス・ツイン・タワー」内のレストランに向かいました。マレーシアの元首相マハティール・モハマド氏との昼食懇談会がここで行われるのです。

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挨拶するマハティール元首相

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スピーチのようす


1925年生まれのマハティール氏は、「哲人宰相」として有名だった方です。

マレーシア第4代首相であり、マレーシアの首相の中では最長の22年間を務め上げられました。もともとは開業医でしたが、政治家に転身されました。

マハティール氏の政策は「ルックイースト政策」と呼ばれます。他の東南アジア諸国のように欧米に見習うのではなく、日本の経済成長を見習おうというものです。

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昼食懇談会のようす



非常な親日家であるマハティール氏は、これまでに70回も来日しています。

福岡にもよく来られているそうで、門司港でバナナの叩き売りを見学したときには自ら実演してみました。すると、バナナの叩き売りのおじさんが「この人は筋がいい。というより、昔、この商売をやっていたのではないか」と言うほど上手だったそうです。

何を隠そう、実際にマハティール氏は若い頃にバナナを売っていたことがあるそうです。

また、東急ハンズが大好きで来日すると必ず寄るとか。



首相時代のマハティール氏は、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させました。日本の政治全般に対するコメントとして、「日本の首相は早く交代し過ぎる」と言われていました。

マハティール氏いわく、首相というものは1年目は首相としての見習い期間であり、2年目でじっくりと実力をつけて、3年目で新しいことを打ち出すべきであるそうです。

それが日本の首相は、1〜2年で交代してしまうので、何もできないというわけです。

マハティール氏がマレーシアの首相を務めた22年間、じつに日本では9人の首相が誕生したそうです。やはり、日本の政治環境は異常なのです。

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非常に理知的で温厚な方でした



わたしは、新時代のイスラム教徒としてのマハティール氏を尊敬しています。

やはり深くリスペクトするマハトマ・ガンディーのイメージと重なります。シンガポールへ向かう飛行機の中で著書『立ち上がれ日本人』(新潮新書)も読みました。

実際にお会いしたマハティール氏は、非常に理知的で温厚な方でした。

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博多織タペストリーが贈呈されました



今日は、フランス料理のフルコースを頂戴しながら、マハティール氏の日本へのメッセージをお聞きしました。その後、日本からのお土産を磯山団長がお渡ししました。

マハティール氏の顔写真を元にした博多織のタペストリーです。土屋直知氏副団長が最高顧問を務められる(株)正興電機製作所さんが開発された新システムで作られた博多織です。手に取ったマハティール氏は、奥様ともども大変喜ばれていました。

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マハティール・モハマド氏と

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日本からの飛行機の中で読みました

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本にサインをしていただきました



マハティール氏は、とても気さくな方でした。写真撮影にも気軽に応じて下さり、その上、『立ち上がれ日本人』にサインまでして下さいました。

わたしは、これほど笑顔の魅力的な男性を見たことがありません。

真のリーダーとは最高の笑顔ができる者だということを教えていただきました。


2012年2月17日 一条真也


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2012-02-16

シンガポールの猛牛

一条真也です。

シンガポールで、大学時代の親友に会いました。

野村シンガポールリミテッド副会長の三浦君です。

野村證券の執行役員も務めています。同社で最年少の役員です。

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野村證券執行役員の三浦さん



本人の希望でフルネームを書くのは控えます。

なんでも、ネットで検索すると出てくるのが恥ずかしいそうです。

わたしは、彼と大学時代、同じサークルだったこともあり、本当によく一緒に時間を過しました。彼は、かなりの読書家で、さまざまなジャンルの本を読んでいました。

今から考えても、彼は本当に頭脳明晰で理論的な学生だったと思います。

情緒的に物を考える傾向のあるわたしは、彼とのディスカッションでかなり鍛えられたと思います。当時は毎日のように会って、酒を飲んだり、議論を戦わせたり、将来の夢や志について熱く語り合ったりしました。

でも今はお互いが多忙なこともあって、数年に1回会うかどうかです。



三浦君が数年前に野村の福岡支店長に就任したことがあり、これでしょちゅう会えるかなと思いましたが、実際はお互いが多忙で、ほとんど会えませんでした。

ブログ「大学の同窓会」に書いたように、昨年秋に大学の同窓会を開催し、三浦さんもシンガポールから駆けつけてくれるはずでしたが、直前になって都合が悪くなりました。

久々に、彼と再会して飲むのを楽しみにしていたわたしはガッカリしたものです。

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シンガポール証券取引所にて



証券業界という生き馬の目を抜く世界で、彼は本当に忙しそうです。

また、日々、動かしているお金の額もハンパではありません。

シンガポール証券取引所の入口に、牛と熊の置物がありました。

その意味を問うと、牛は下から角で突き上げる、すなわち上げ相場のシンボル。

熊は上から覆いかかる、すなわち下げ相場のシンボルだそうです。

ブル&ベア・・・・・そして証券マンとはブルを好むものだとか。

ならば、三浦君は「シンガポールの猛牛」といった言葉が似合うと思います。

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久しぶりに学生時代の親友と飲みました



今夜は、フォーシーズンズ・ホテルのバーでお酒を御馳走になりながら、いろんな話をしました。大学時代の思い出にはじまり、3・11以後の日本のことなど・・・・・。

また、わたしの父が人格者であるとか、わたしの弟が自分(三浦君)によく似ているといった話が印象に残りました。彼の記憶力の良さにも感心しました。

昼食のとき、辛い唐辛子をバンバン入れる辛党ぶりは学生時代から変わっていませんでした。夕食で三浦さんがシャンパンを差し入れしてくれたのですが、これまた学生時代のわたしの誕生日にシャンパンをプレゼントしてくれたことを思い出しました。



その他にも、いろいろと思い出は尽きません。

ずっと会わなくても、再会した瞬間から「あの頃」に戻れるのが同級生の良いところ!

三浦君、今夜は会えて、とても嬉しかったです。

今度は、ぜひ日本で再会したいですね。

東京でも福岡でもいいけど、北九州にも遊びに来てよ。

それでは、友よ、また会おう!


2012年2月16日 一条真也

2012-02-02

孔子の子孫

一条真也です。

東京に来ています。

今日は、11時から赤坂見附のホテルで素晴らしい方とお会いしました。

孔子の第75代子孫であり、社団法人・世界孔子協会の会長である孔健氏です。

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孔子の第75代子孫である孔健氏



孔健氏は、ご先祖様である孔子のイメージそのものの方でした。

すなわち、「叡智」と「人間的魅力」を兼ね備えられた方でした。

わたしが人類史上の中でも最も孔子をリスペクトしていることは御存知かと思いますが、その直系の子孫の方にお会いするということで、非常に緊張しました。

ブログ「四大聖人と日本人」にも書いたように、孔子といえば「世界の四大聖人」の1人ですが、ブッダやイエスやソクラテスの子孫というのは聞いたことがありません。孔子の子孫のみがこの世に実在しているということは物凄いことだと思います。

それは、まさに孔子が開いた儒教の説く「孝」の実現に他なりません。



ブログ『何のために論語を読むのか』でも紹介した孔健氏は、1958年生まれです。

孔子直系の第五家系藤陽戸75代当主として生を受けられましたが、孔子家では物心がつくと同時に学問を叩き込まれるそうです。

孔健氏も4歳のときから祖父より『論語』をはじめとした「四書五経」を学ばれたとか。

長じて山東大学日本語学科を卒業、85年に来日されています。

96年には日本において「週報チャニーズドラゴン新聞」を創刊、孔子思想の普及、日中経済交流の促進および日中関係の改善に努めてこられました。

著書も多く、テレビにも数え切れないほど出演されている有名な方です。

社団法人・世界孔子協会の会長として、昨年からは「孔子文化賞」を創設されました。

第1回目は、プロ野球・東北楽天名誉監督で野球評論家の野村克也氏、ワタミグループ創業者の渡邉美樹氏、 SBIホールディングスの北尾吉孝代表取締役執行役員CEO、比叡山延暦寺大阿闍梨の酒井雄哉氏の4名が受賞されています。

第2回目の授賞式は、今月2月28日に目白の椿山荘で開催されるそうです。

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孔健氏から頂戴した『日中英対訳 新版 論語』



ありがたいことに、孔健氏は小生のことをよく御存知でした。

孔子とドラッカー 新装版』(三五館)や『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)などの拙著をお読み下さったそうです。

今日は、『日中英対訳 新版 論語』(儒教伝播協会)という立派な本を頂戴しました。

わたしは三五館の星山佳須也社長と一緒だったのですが、星山社長が『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)を孔健氏に渡して下さいました。

同書は本名の「佐久間庸和」として書きましたが、孔健氏は「庸和」という名前を気に入って下さり、『日中英対訳 新版 論語』の扉に「中庸之和」と書いて下さいました。

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本の扉に「中庸之和」と書いて下さいました



「庸和」という名は、祖父の栗田光十郎がつけたそうです。

「庸」と「和」は同義語に近い文字であり、ともに非常に深い意味を持っています。

そして、いずれも『論語』を出典としています。

雍也篇に、「子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな」があります。

「先生が言われた。中庸の道徳としての価値はいかにも最上である」の意味ですが、この中庸というコンセプトは後に四書五経の1冊をなす『中庸』の誕生につながりました。中庸について、朱子は「中とは過不足のないこと、庸とは平常の意」と記しています。

「和」といえば聖徳太子の「和を以って貴しと為す」が有名ですが、実はこの語句の出典も『論語』です。「有子曰く、礼の用は和を貴しと為す」が学而篇にあります。

「有子が言われた。礼のはたらきとしては調和が貴いのである」の意味で、聖徳太子に先んじて孔子がいたのです。



この「庸」と「和」を合体させて「庸和」とした祖父のセンスはただごとではないと最近つくづく感じます。祖父は『論語』を愛読していたそうですが、ともに『論語』に由来する2字から成る庸和という名を持つわたしは、『論語』の子と言えるかもしれません。

そして、祖父はもうひとりの『論語』の子を世に送り出しました。松柏園ホテルです。

「子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る」が、子罕篇にあります。

「先生が言われた。気候が寒くなってから、はじめて松や柏が散らないで残ることがわかる」と訳しますが、春や夏で樹木がみな緑のときは、松や柏といった常緑樹の青さはあまり目立たない。しかし、しだいに寒くなり、他の木がすべて落葉した時節になると、はじめて松柏の輝きが目立つという意味です。

転じて、人も危難のときにはじめて真価がわかると孔子は言いたかったのでしょう。

この「松柏」から命名されたのが、わが社の発祥でもある松柏園ホテルなのです。

いつか、孔健氏をぜひ松柏園に御招待させていただきたいと思います。

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憧れの方との初顔合わせでした(撮影:星山佳須也)



孔健氏は、「庸和」や「松柏園」というネーミングに大変興味を持って下さいました。

また、「サンレー」というわが社の社名が「讃礼」という意味であること、わが社のスローガンが「天下布礼」であることもお伝えすると、「うーん、素晴らしいですね」と言って下さいました。さらに今日、孔健氏から非常に有難いお言葉を頂きました。

でも、それはここでは内緒にしておきます。

きっと、近いうちにビッグニュースをお伝えできるのではないかと思います。

かねてから敬愛させていただいていた孔健氏にお会いして、わたしは孔子の「人間尊重」思想を世に広める「天下布礼」の道をさらに突き進みたいと心から思いました。


2012年2月2日 一条真也



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