稲見一良(いなみいつら)という作家はワイルドな食べ物の描写を書かせたらピカイチだった。
「猟犬探偵」という連作集の主人公 竜門は大阪の北 能勢の山奥で愛犬ジョーと暮らす。
オオカミのような犬ジョーとは缶ビールをいっしょに飲む仲だ。
この小説の何でもない食事の描写がたまらなくいい。
山林は黄と緑に萌えていた。五月の新緑である。俺は熱い紅茶、
焦げ目をつけて焼いたトースト、目玉焼き、ハーフグレープフルーツという
十年一日の如き朝食をたっぷり食って、腹だけは満ち足りていた。
昨夜炊いた飯が残っていたので、昼飯はチャーハンにした。
大きめのフライパンに、玉ネギ、ニンジン、ベーコン、缶詰のアサリ貝、
それにうちでとれた親指の先ほどのキノコをぶち込んで、一人前の飯を焼いた。
ジュージューと音を立てる鍋の中味をほうり上げてやると、パッと焔が立った。
塩と胡椒で味をつけ、刻んだ薬味のネギを散らした。火をとめて醤油を少したらした。
たちまち香ばしいにおいを放散するチャーハンを二等分した。
片方をジョーの食器に入れてやった。
氷河のように冷えた自家製のプラムジュースと、熱い紅茶で昼飯を食った。
手間も暇もかからない、ものぐさでサイフの軽い探偵の昼飯だ。
(稲見一良「猟犬探偵」より)
犬と暮らすのは僕の永年の夢だ。
同じ稲見一良の小説「ダブルオー・バック」の中にも犬と暮らす老人が登場する。
狩猟を生業とする老人は永年ともに暮らしたジロを突然現れた凶悪犯に殺されてしまう。
小屋に立て籠もった犯罪者に老人が料理を振る舞う。
僕が読んだすべての小説の中で、もっとも悲しく、かつもっとも食欲をそそられる描写だ。
バターで炒めた猪のあばらの肉を一昼夜炭のトロ火で煮て味噌で味をつけた濃いスープに、
ぶつきりの山の芋、大根、ごぼう、人参、千切ったコンニャクをぶち込んだ熱いシチューを、
丼の冷や飯にどっさり掛けてやった。男は一心に食い、獣のように呻いた。
ジロのことが頭をかすめた。ジロもわしもいつも同じものを食ってきた。
狩りの後は、ジロも喉の奥でうなりながら貪り食ったもんだ。
(稲見一良「ダブルオー・バック」より)
ああ、腹がへってきた。
実に痛快な小説群だった。
稲見一良の「猟犬探偵」「男は旗」「ダックコール」「ダブルオー・バック」、
また風間一輝「男たちは北へ」、「地図のない街」、「今夜も木枯らし」他。
いずれも食い物と酒が満載で、とびきり“面白い”。
景山民夫の初期のシリーズもいいなあ。
「虎口からの脱出」「遙かなる虎跡」 この2作は冒険小説として出色だ。
(稲見、風間、景山、ああ 3人とも故人。もう彼らの小説は読めない)
同時に、まだ読んでない人が羨ましい。
嫉妬さえ覚える。