「Spill Simmer Falter Wither」(Sara Baume)


◆参考:"Sara Baume awarded Rooney Prize for Irish Literature"(The Irish Times)
他にも主要な文学新人賞には必ず顔を出している、という感じなので読んでみましたが、これがなるほど素晴らしかった!:


Spill Simmer Falter Wither

Spill Simmer Falter Wither


57歳の主人公は、ある日リサイクルショップの掲示板で見つけた片目の捨て犬を"One Eye"と名付けて自宅に引き取ることにした。父親を亡くしてから一人暮らしだった彼にとって唯一の家族であるOne Eyeは可愛くも賢くもないのだが、その純粋さ、奔放さを主人公は愛するようになる。しかしOne Eyeがちょっとした事件を起こしたことで、彼らは自宅からの逃避行を余儀なくされ…


読み進めていくうちに主人公がただの偏屈な中年ではなく、何か沈鬱なものを抱えている男性だということが段々感じられてきます。日々の生活の描写と並行して、それまでの父親との暮らし(母親は出産時に亡くなった、らしい)が回想されるのですが、その中身がなんだか少し歪んでいるようでもやもやする…。
独白の端々にもそんな生い立ちが影を落としています。例えばOne Eyeの躾をするときも、

I was wrong to try and impose something of my humanness upon you, when being human never did me any good.

人間でいて良いことなんて一つもなかったのに、それなのに犬のお前に人間界のルールを押しつけてごめんね、なんて言ってしまう。そんな彼だからOne Eyeを人のようには扱わず、むしろ自身がこの犬の失われた片目に代わって、犬の目線で世界を生き直していく、そんな風にも読みとれます。


タイトルは春夏秋冬(Spring Summer Fall Winter)をちょっと言い換えた風。言葉遊びというにはあまり穏やかでない変換で、居心地が悪くて身悶えしているような主人公の心境がここからも感じとれます。各単語がそれぞれ章題になっていて、One Eyeとの1年間の共同生活が季節の移り変わりと共に語られます。
本文中に具体的な地名はあまり出てこないのですが、主人公の家がTawny Bay沿いにあると言及されているのでドネガル州の辺りが舞台のようです。辺境、とは言わないまでも豊かな自然を反映して、樹木や鳥や貝の名前が散りばめられた独特の自然描写が本書の魅力の一つとなっています。
例えば秋の落葉:

Last night, the in-between leaves dropped altogether and at once, as though a herd of nocturnal giraffes came sweeping through, stretching their prodigious necks intothe treetops, stripping the branches bare and then scattering the stripped leaves over their footprints so no-one will know who to blame. This morning,now freed, the stripped leaves skip and soar and shapeshift. They scuttle like pigmy shrews, jump like natterjack toads, flutter like common chaffinches.They spread across the road and content into letters of the alphabet, miniature whirlwinds, religious apparitions. Did you see it? Did you see the Jesus face?

幻のキリンの群れが夜を駆け抜けたあと、散らされた葉は地面に秘密のメッセージを書き残す…。うーんなんとも魅惑的な情景。


冬になり一旦家に戻った主人公の行動と独白に胸をつかれつつ、最後まで緊張感を持続しながら読了しました。今後がとても楽しみな作家をまた一人発見しました。日本でもきちんと翻訳が出ると良いなあ。