組織の業。。。

過去に、NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」3回に分けて放送された。
大変な反響を呼んだ番組であり、DVDでも販売されている。
今回、改めて、番組制作に携わったNHKの人達が執筆した、新潮社刊の本を読んだ。

以下は、3回の放送で、放映の最後に語られた内容であり、全て、同書からの引用です。


1.開戦 海軍あって国家なし
それぞれの仕事に埋没し、国民ひとりひとりの命が見えなくなっていった将校たち。
その姿勢は、海軍あって国家なしと言わざるを得ません。
そうした内向きの姿勢は、戦後に至っても続き、元将校たちは、反省の弁を述べながらも、その記録を国民に公開しませんでした。
しかし、私は、彼らを一方的に非難することにためらいを感じてしまいます。
縦割りのセクショナリズム、問題を隠蔽する体質、ムードに流され意見を言えない空気、責任のあいまいさ
元将校たちが告白した戦争にいたるプロセスは、今の社会が抱える問題そのものであり、私自身がそうした社会の一員であるからです
元将校たちは、二度と過ちを犯さないために、反省会を始めたと語っていました。
彼らの言葉を真の教訓としていける社会でなくてはならないと強く感じました。
それが、あまりにも多くの犠牲者を生んだこの国に生きる私たちの責任だと思うのです。


2.特攻 やましき沈黙
反省会に参加していたひとりひとりは、特攻は決して命じてはいけない作戦だと、心の中ではわかっていました。
しかし、その声が、おもてに出ることはありませんでした。
間違っていると思っても、口には出せず、そうした空気に倒人が呑み込まれていく
そうした海軍の体質を、反省会メンバーの一人が、「やましき沈黙」という言葉で表現していました。
しかし、私は、この「やましき沈黙」を他人の事として済ますわけにはいかない気持ちになります
今の社会を生きる中で、私自身、この「やましき沈黙」に陥らないとは断言できないからです。
特攻で亡くなった若者たちは、陸海軍あわせて五千人以上。
そのひとりひとりが、どのような気持ちで出撃していったのか。
決められた死にどう向かっていったのか
その気持ちを考えると、いま、私たちが反省会の証言から学び取るべきものは、ただ一つのことではないかと思います。
それは、ひとりひとりの「命」にかかわることについては、たとえどんなにやむをえない事情があろうと、決して「やましき沈黙」に陥らないことです。
それこそが、特攻で亡くなった若者たちが、死をもって、今に伝えていることではないかと、私は思います。


3.戦犯裁判 第二の戦争
ここは、海軍反省会が行われていた水交会です
十一年にわたって続けられた反省会は、平成三年四月に聞かれた百三十一回が確認できる最後の回となりました。
その後、膨大な証言の記録は、埋もれたままになっていました。
ここで交わされた議論から見えてきたのは、無謀な作戦でも、いったん始まると誰も反対できなくなる組織の空気です。
本来、ひとりひとりを守るために存在する国家や組織が、あるべき姿を見失い、逆に個人をいとも簡単に押しつぶしてしまうという現実でした。
この反省会での議論は、今の社会にも通じるものがあると私は思います。
今回番組で取り上げた人たちの多くは、海軍という組織のために忠実に自分の役割を果たしていました。
そのことが、結果として、組織の利益を優先し、個人の存在を軽視することへとつながっていきました。
そこに、現代の組織にも通じるものを感じざるを得ないのです。
あの戦争では、日本人だけでも三百十万人、アジアではさらに多くの命が失われています。
この悲劇を二度と繰り返さないため、反省会の証言から、読み取るべき教訓とは何なのか。
それは、どんな組織よりも、ひとりひとりの命のほうが重いということではないかと、私は思うのです。



これらのこと、過去の話ではなく、現在に通じている。
じっくり、考えてみよう。。。。