shirasagikaraの日記

2016-03-25 「ブログ終了」のお知らせ

shirasagikara2016-03-25

この2016年3月25日をもって「藤尾正人のブログ」は終了します。長年お読みいただき、メールや、電話や、葉書で感想をお寄せくださり、ありがとうございました。

ブログは、じつに楽しく書けました。「書くんだ」という気持ちがあると、ヒントがぴょんぴょん飛び出すのです。主がつぎつぎマナを降らせてくださるのです。

牧師や伝道者もそうではないでしょうか。「毎週、福音を話すのだ」という気持ちでいると、新しい説教や聖書講解ができるのだとおもいます。日曜日、日本中いや世界中の教会や集会で、聖書があきもせず語られているのは、「話すのだ」という強い気持ちがあるからでしょう。おそらく「ブログ終了」で、わたしは「書かなくてよい」となると「書く意欲はへなへなと萎え」ヒントは枯れるとおもいます。

ただ、これから新しくしたいことが一つあります。使徒パウロの小さい立像を彫ることです。それもパウロが大笑いしている顔を彫るつもりです。題は「そうだったのかイエスの福音」と決めました。福音がわかったパウロが口を大きく開けて喜び笑う、これまで世界で見たことのないパウロの顔を考えています。「あのパウロ大笑いせしか福音はそうだったのかと卓撃ちしとき」。まだ十二使徒群像を彫った痛みが左親指つけ根に残りますし、いい歳ですから未完成に終わるかもしれません。「男児壮図半ばにして斃るまた快ならずや」。

ことし、91歳になった2016年の1月から、これまでの10年のブログ全800編から、さらに90編をせっせと選んで、新著「イエスさまが笑った 90歳までの10年のブログ90撰」をつくりました。4月14日刊行の予定です(195ページ、頒価1000円)。

それとあわせて「ブログ終了」と決めました。目も少しかすんできましたし、よい潮時とおもいます。「何事にも時がある」(コヘレト3・1)。わたしの80歳代は、ブログのおかげで、楽しく実り豊かな10年となりました。

ただしブログはやめても、ウエブは残します。そこにはこれまでの「ブログ」と合わせ1000編の短文が「またのお出でをお待ちしています」。説教のヒントなどになればうれしいことです。また気が向けば「聖書話」や「人物短評」などは追加します。「なんという恵み、なんという喜び」(詩篇133・1)<写真は紅椿>

2016-03-15 「各隊、使役3名!」受動から能動へ

shirasagikara2016-03-15

<予告・この3月をもって「藤尾正人のブログ」は終了します>

むかし日本帝国陸軍の兵士だったころ、ときどき「各隊、使役3名!」という命令が来ます。「使役(しえき)」とは任務以外の雑用作業です。「ここのものを、あちらに運べ」とか、「便所の汲み取り」とかをやらせるのです。しかし、これは個人指名ではありません。各隊というグループへの命令です。そのとき進んで出るものは少ないのです。

しかし、わたしはいつも喜んで出ました。なぜなら、わたしは「天皇のためには死なない」「キリスとの兵士だ」と心に決めていたからです。だから軍隊は、わたしにとってまるで修道院の生活でした。規律正しく、質素で、忠実で、勤勉でした。

クリスチャンであることがわかり聖書は実家へ送り返されました。教会も、牧師も、聖書もない軍隊でも、神さまがいられ、いつでもお祈りはできました。天を見上げ、走りながら祈っていて穴に落ちたことがあります。通りかかった週番将校が「何をしている」とどなりました。「祈っています」とも言えず困りました。

軍隊生活は奴隷だ」という見方もあります。「朝は早よから起こされて/人の嫌がる拭き掃除/八時のラッパでメシを食い/食うや食わずで呼集され/東を向いては捧げ銃(つつ)/西を向いては担え銃」。たしかに自分の意思は踏みにじられ、上官の命令に絶対服従の軍隊奴隷の立場に似ています。

ところが見方をかえて、奴隷とおもわれる軍隊キリストの兵士と心得て見回せば、目が上に向きます。だから規則でがんじがらめの兵営でも、じつに生き生きと動けるのです。するとそこは「主に導かれる軍隊」になりました。「各隊、使役3名!」のとき、ボランティアとして出てゆくと、たいていいつも、出てくるのは同じ顔ぶれでした。そんな戦友と仲良くなりました。それまでやったことのない「超くさい便所の汲み取り」の使役も、戦友が宇都宮高等農林(いまの宇都宮大學農学部)の学生で、「まかせな」といって、器用に肥え桶に汲んでくれ、ふたりで天秤棒をかつぎ、なんども往復しました。

わたしたちの生活も、つらい、いやだの受動ではなく、環境に支配されない能動に切り替えれば、「主に導かれる日常」に変わること請け合いです。「キリスト・イエスの良い兵士として、わたしと苦しみを共にしてほしい」(第2テモテ2・3)<写真は奥丁子桜>

2016-03-05 月のかげ、十字架のかげ

shirasagikara2016-03-05

「月かげさやかに み空にかがやく、ハレルヤハレルヤ、」(讃美歌75番)。アッシジの聖フランチエスコの作詞です。この「月かげ」の原文は「月の光」に違いないのですが、日本語らしい「月かげ」という翻訳です。「かげ」というのは、ほんらい「光によってできる物の影のこと」です。ところが日本人は万葉集の時代から「ともし火のかげにかがよう」と、「光」を「影」としてとらえています。

なぜ日本人は「光」と「影」という正反対のものを、ひとつにとらえたのでしょう。「影」を通して「光」を考えたからではないでしょうか。日本人は光だけを見ないのです。「光」と「影」を複眼で同時にとらえているのです。「影」は「光」が強いほど濃くなります。「影」は「光」なしに生まれません。「影」があるということは「光」があることです。つまりこの二つは一つなのです。光が消えれば影も消えます。ここから「日の光」「月の光」「星の光」を、「日かげは移り」とか、「月かげさやか」とか、「星かげのワルツ」などのことばを生んだのです。

これが日本人の感性です。つまり「裏を見て表をさとる」のです。裏をじっと見つめることを大事にします。16世紀、日本に来たポルトガル宣教師ルイス・フロイスは日本人が着物の表より裏に上等の布を使うのに驚いています。それは今にいたるまで日本の伝統です。人に見せない羽織の裏や襦袢はもちろん背広の裏まで凝った模様にします。こういうことは外国にみられません。茶道でも表千家があり、裏千家があります。裏が劣るとはだれもおもいません。裏のほうが上等という思いがあるからです。

エスさまの十字架の表側を、ローマの兵士も母マリアも見ていました。弟子に捨てられ、民衆にあざけられ、ユダヤのリーダーから「これでイエス宗教運動は終わり」と烙印(らくいん)をおされた弱々しい姿でした。

ところがどっこい、その「十字架の裏側」で「罪のゆるし」というすごいことが完了していたのです。「十字架の表」は敗残のイエスさま。「十字架のかげ」は勝利のイエスさま。おのおのがた、表とかげを同時に見ることが大事でござるぞ。「キリストは、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった」(第1コリント5・6)<写真はクリスマスローズ

2016-02-25 「終活」準備完了して待機する友

shirasagikara2016-02-25

2月15日、古い友人の勝原文夫君をたずねた。彼はかつての職場の同僚で「農の美学」三部作のある風景論学徒でもあり俳人だ。

彼がわたしに「もしものさいはキリスト教で葬儀を」と頼んだのは2009年の春。喉頭ガンの疑いで検査入院する前だ。検査の結果疑いが晴れ、それを機にわたしは月1回、自宅をたずねて聖書の話を始めた。

勉強家の彼は聖書もよく読み、2009年暮れには「信仰によって義とされる」という聖書の意味が解け、「キリスト信仰告白」をしてクリスチャンにされた。これで「死の備え」は整えられた。

勝原君は学徒出陣で入隊すると、ベッドの右に牧師の息子、左に無教会の戦友がいた。勤めた国立国会図書館調査局では、右に石原義盛、左に藤尾正人と「同期三人」で並び、石原、藤尾は聖書研究会創設の面々。おまけに、その聖書研究会の講師の山崎孝子・津田塾大学教授は彼のいとこ。しかし彼は、むしろ親鸞に惹かれてキリスト教には近づかなかった。

ところがキリスト教入信いらいの彼の「終活」(人生の終末をめざした活動)は見事だ。まず2010年には、近くの葬儀会館で自分の葬儀会場を視察した。そこには葬儀される本人、司式する藤尾、遺族代表、友人代表も同行したので会館もびっくり。2011年には米寿記念に「残照〜一市井人の生と死」を出版して遺言がわりに配った。それでも「お召し列車はまだ来ない」。

そこでわたしは勝原君の「葬儀の式次第」もつくった。彼が葬儀で歌ってほしい讃美歌、挨拶する友人家族や、彼の自選俳句も刷りこんだ。あとは「葬儀」の日付を入れるだけだ。お墓も用意されている。その上、2月15日にたずねると、彼の死後1年、3年などの記念会をどうするという相談までした。勝原君はあす召されても、百まで生かされても感謝なのだ。その死を待つ柔和な笑顔がいい。

ところが、こんなに完璧に用意万端整えられると、神さまはかえって「死」を遠ざけられるようだ。「人はその使命が終わるまでは死なない」とは、アフリカ伝道・探検家リビングストンのことば。勝原君の使命もまだ終わらないらしい。「わたしの時は、あなたの御手にあります」(詩篇31:16)<写真はフキのトウと福寿草

2016-02-15 イエスさまの真逆の命令

shirasagikara2016-02-15

マルコ福音書1章で「重い皮膚病患者」が癒されます。5章では「重い精神の障がい者」が癒されます。イエスさまは、重い皮膚病を癒したあと「だれにも言うな」と厳命されます。ところが、精神の障がいに苦しんだ人には「家に帰り、主が、あなたにしてくださったことを、ことごとく知らせよ」と言われます。正反対の真逆の命令です。どうしてでしょう。

重い皮膚病のかたは、癒されるまでは信仰一筋でした。しかし、癒されたとたん不信仰になったからです。43節の「厳しく注意し」は、「馬が後ろ足で立ち上がるさま」です。イエスさまは彼の不信仰をよほど危ういと、いきり立たたれたのです。重い皮膚病のかたは、主にひざまずいて願い、それが聴かれて癒されました。その喜びを人々に伝えて何が悪いのでしょう。ところがイエスさまは、癒されたあと、その人が何を見つめるかを問題にされました。

彼は、自分のかじかんだ両手がひらくのを感じました。弱かった足もしっかりしたのです。「うわあ〜治った!」と自分を見つめます。「彼は(「だれにも言うな」の厳命にそむき)大いにこの(自分が治った)出来事を人々に言い広め始め」ます(45節)。おかげで「病気癒しのイエス」の評判が立ち、かんじんの福音伝道がさまたげられました。

いっぽうの重い精神の障がいに苦しんだかたは、「汚れた霊、出てゆけ!」というイエスの叫びに衝撃を受け、頭のてっぺんから足の先まで、す〜と全身が治まってゆくさまをからだに感じました。ここまでは、重い皮膚病患者と同じです。

そのあと彼の目はイエスに注がれました。ガリラヤへ向かうイエス一行の舟に、彼は「いっしょに行きたい」と願うのです。自分の病気が癒されたことより、イエスご自身を見つめ、イエスと共にいることを喜びとしているのです。

信仰深いかたでも不信仰になることがあるのです。自分や子どもが癒されるように熱心に祈るときは信仰一筋でしたのに、癒されたとたん、癒されたことを喜んで、癒しの本源のイエス・キリストを見ないとき、それは起こります。心すべきことにこそ。

「そこで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた」(マルコ1・45)<写真は紅梅>

2016-02-05 「山がない・月の武蔵の江戸育ち」

shirasagikara2016-02-05

「さてそのつぎに控ぇしは、月の武蔵江戸育ち」は、歌舞伎「白波五人男」の三人目、忠信利平の口上です。この「月の武蔵江戸」というのは、関東平野が広く、身近に月をさえぎる山がない武蔵(いまの東京埼玉)だからこそ生まれたことばです。

東京都民の多くは、だいたい日本各地からの出身者です。その田舎者が東京へ来て、まず驚くのは「山がない」ことです。もちろん、遠くに富士山筑波山が見えます。しかしそばに「山がない」のです。じつは日本中、山だらけです。だから近くに山がないとふつうの日本人は、なれるまで落ち着きません。

神戸淡路震災のあと、ある神戸大学名誉教授が、娘の住む湘南茅ヶ崎疎開されました。しかし毎日見なれた六甲山が見えないと、また元の神戸の仮家屋へ帰られました。

精神科医の関根義夫先生からお聴きした話。

「ある孝行息子が、母の死後父のため古い家を改築した。そのあと父がうつ状態になり口をきかない。医師が話を聞くと『音がしない』とぽつりと言った。古い家で、毎日ガタピシ開け閉めしていた雨戸の音。お手洗いの扉がギイーッと閉まる『聞きなれた音』だ。息子は医師と相談して、父が『見なれ』母が『使いなれた』戸棚類を、納屋から取り出し父の部屋に据えた。やがて父のうつも癒えた」という。

「見なれた山」「聞きなれた音」「使いなれた棚」は、日常の「あくびが出るような 」平凡なものばかりです。その平凡の中に宝があるのです。田舎の「見なれた山」は、それを見ただけで方角さえわかります。「聞きなれた音」は、激しい川の流れさえ心が安らぎます。「使いなれた棚」は、家族の歴史を思い出させます。

ふつう非凡が偉いとされがちですが、だれもが非凡になれません。大部分のわれわれは平凡のうちに一生を終えます。そして、この平凡であり続けることこそ非凡なのです。イエスさまは、みなが「見なれ、聞きなれた」野の花、空の鳥を指さして珠玉のことばを語られます。「栄華を極めた(非凡な)ソロモンでさえ、この(平凡な)花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ6・29)

「空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈りいれもしない。だが天の父は鳥を養ってくださる」(マタイ6・26)<写真は庭の白梅>

2016-01-25 「〇からの出発」と「九〇点からの出発」

shirasagikara2016-01-25

70年前の1946年正月の今ごろ、全国どこの駅前にも「ヤミ市」ができ、すきっ腹をかかえた失業者があふれ、日本はへとへとの敗戦の中にいました。敗戦後の日本は「〇からの出発」でした。それが30年たつと日本の経済力は押しも押されもせぬ世界トップ級になっています。なぜでしょう。大きな理由は教育の力です。

その70年まえの失業者は、徳川封建時代から、明治・大正・昭和をへて、よく教育され、考える力、物をつくる力、組織運営の力を持った失業者でした。しかも世界最高水準の読み書き能力があり、勤勉で正直な日本人失業者だったからです。おかげで30年後には世界水準で「九〇点」まで急速に復興できたのです。

孫たちを見ていると、すべてが備わった「九〇点の日本」に生まれ育ち、出発しています。快適な生活をべつに驚きもなく感謝もしません。空気と同じなのです。それは成熟社会のしるしです。しかし、わたしたち老人が「九〇点」とおもう地点が、じつは孫たちにとっては新しい「〇からの出発点」なのです。毎日激変する世界に生きているのです。

キリスト信仰も似ています。日本でキリスト教の宣教がゆるされてから150年、日本にも親代々のクリスチャン家庭がたくさん生まれています。しかし、それぞれの世代はたえず「〇からの出発」をするのです。ここが仏教徒とちがいます。「家の宗教」でなく「個人の信仰」だからです。

初代は、キリストの救いに感動して涙を流さんばかりの「〇からの出発」でしたが、4代、6代となると感激もうすれます。それはキリスト信仰が特別のことではなく、当たり前のこととして受け入れる「九〇点から出発」した成熟のしるしでもあります。しかし、祖父の目から見れば「九〇点からの出発」が、孫にとっては「〇からの出発」です。

たしかに初代や二代目クリスチャンのような激しさはありません。さりとてお寺さんとは関係なく、信仰といえばキリスト教抜きには考えられなくなっています。キリスト信仰遺伝子が埋め込まれいるのです。

まだ洗礼を受けていない孫からカードが届きました。「また、おじいちゃんの聖書の話を聞きに行くからね」。孫たちも主が育ててくださいます。彼らなりに新しい「〇からの出発」を目ざしているのです。

「自分の子どもたちが真理に従って歩んでいると聞くほど、うれしいことはありあせん」(第三ヨハネ4節)<写真は雪の燈籠>