十二使徒群像「ヤコブとヨハネはイエスの従兄弟?」

shirasagikara2010-02-01

わたしの十二使徒群像では、上段中央にペトロが立ち、向かって左にアンデレ、右にユダを従える。中段真ん中にヤコブヨハネの兄弟が並び立ち、左にフィリポ、右にマタイが控える。さらに下段には5人が上を支える。つまりペトロ、ヤコブヨハネの三人が中心だ(写真)。最初からこの構図を考えたわけではない。彫っていったらこうなっただけ。しかしよかったと思う。
そして彫っているあいだ、なぜイエスはこの三人を、高い山の変貌、ヤイロの娘の復活、ゲッセマネに連れていったか疑問だった。それが十字架までついていった女性を調べていて、ああそうかとわかった。なんとヤコブヨハネはイエスの従兄弟(いとこ)だった。
もちろん聖書学の通説ではそんなことは言わない。マタイ福音書27章、マルコ15章、ヨハネ19章の十字架の場面の女性名を比較するのは無意味とする。それを承知の上で、素人が比較するのも面白い。群像製作者としては大いに興味がある。
十字架の場面で、三つの福音書いずれにも登場する女性は三人だ。まず「マグダラのマリア」。ついでマタイとマルコには「(小)ヤコブとヨセフ(ヨセ)の母マリア」とあるのが、ヨハネ福音書の「クロパの妻マリア」らしい。残るのは「ゼべタイの子らの母」だ。これはマタイ福音書にしるされ、使徒ヤコブヨハネの母に間違いない。それがマルコ福音書では「サロメ」とある。そしてヨハネ福音書では「母マリアの姉妹」がそこにいたことになる。それがサロメでないか。ヨハネ福音書ではこの三人のほかに、母マリアも十字架のもとにいた。
すると「ゼべタイの子らの母」は、母マリアの姉妹になり、使徒ヤコブヨハネは、イエスと従兄弟になる。そういえばマタイ福音書20章で、「ゼべタイの子らの母」が、ふたりの息子の優遇を頼むのも、ヨハネ福音書19章で、十字架の上からイエスが母マリアとヨハネに「あなたの息子」「あなたの母」といわれたのもわかる気がする。
「もしこれら(「ゼべタイの子らの母」=「サロメ」=「母の姉妹」)が同一人物ならば、イエスヤコブヨハネは従兄弟ということになる」(「新聖書大辞典」キリスト新聞社 p569「サロメ」)。
「十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた」(ヨハネ福音書19・25)