定期的にやってくる現実逃避が必要な時 1Q84の感想にもならないような雑感

主にテストによってもたらされる、現実逃避が必要になる時が来た。
というか、最近は普段の生活ですら現実逃避になってるかもしれない。自分が何を優先するべきか分かっていながら、分かってないような日々の過ごしかたをしている。
他にも似たような態度を取る事はある。既に考えがまとまってるのに、わざと考えているような態度をとってから、ドヤ顔で意見を言うようなこと。こういう事ってみんなもするのかな。何故そんなことをするのかというと、なんでだろうなあ。即答するよりも、考えてから(実際は考えた振りなのだが)言ったほうが賢そうに見えると思ったからかな。それで思ったけど、この行動は思考の段取りをいくつかスキップしてるな。行動の根拠を確定させずに、輪郭のない思考のモヤをもやのまま行動に移るというスキップ。すべての物事に「理由」「根拠」を求めるのはこれはこれで問題だが、曖昧さに甘んじるのはもっと危ない。もう少しいろんなことを考える生活を心がけよう・・・。

今日、「1Q84」を読み終わった。以下ネタバレを含む。
俺は、物語の最後には1Q84年の世界の謎が痛快に解明すると思っていた。もしかしたら遠まわしな表現で明かされているかもしれなかったが、その場合でも俺はそれを読み取れなかった。結局、主人公たちの目的である、天吾と青豆の再開が果たされると、物語は終わってしまった。月が二つある世界に主人公たちが入り込んでしまうためのファクターが何だったのか?(トリガーは、青豆は首都高速の非常階段。天吾はふかえりとの関わりあいかな。)とか、リトル・ピープルは何を目的にしていたのか?とか、天吾と青豆がお互いに想い合う事と、1Q84年に二人が迷い込んでしまった理由とか、わからないことだらけだ。逆に、そういう謎とは違うベクトルの先にあるものが、この小説の核心なのかもしれないが、それもわからなかった。村上春樹氏の文章も、一見平易に思えたが場面の描写が細かいからスラスラと読むことはできなかったため、俺はこの本をじっくりと読んだ。でもわからなかった。この物語に対して何を読み取ればいいのかわからなかった。次の展開が気になってワクワクする事があったりして、読むのは楽しかったが、読んだ後にどういう感想を持ったかと効かれても答えられない困ったことになりました。

「結論を急いでしまうのは前頭葉の老化」言葉を思い出した一日だった