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2016-09-24 お知らせ このエントリーを含むブックマーク

はてなダイアリーで立て続けに不備がおきたためこちらのブログに移転します。

http://shirooo305.hatenablog.com/

以降更新の際はこちらで行うと思われますので、宜しくお願い致します。今までこちらのブログでご観覧頂きましたみなさまには深く御礼申し上げます。 

2016-08-16

マイベストエピソード10選

この度、こちらの企画に参加させて頂く運びとなりました。ルールは以下の通り。

・ 劇場版を除くすべてのアニメ作品の中から選出(配信系・OVA18禁など)
・ 選ぶ話数は5〜10個(最低5個、上限10個)
・ 1作品につき1話だけ
・ 順位はつけない


さらに個人的な縛りとして2011年以降に放映されたアニメからは選出しないというルールを設けました。これは全ての年代から挿話を抽出すると明らかに10選では足りず選出が不可能なためと、その年以降の作品に関しては年末に行われる年度別話数単位10選の企画に参加しているためです。ですので今回は本年度の作品からも選出はありません。また、アダルトアニメに関しましては評価のベクトルが一概にTVアニメとは纏められないため全て外しています。では、早速ですが以下が作品の選出結果となります。


ef - a tale of memories. 2話 「upon a time」

脚本:高山カツヒコ 絵コンテ:帆村壮二 演出大沼心 作画監督:潮月一也、古川英樹

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物語の “起” を描いた挿話としては歴代最高峰の挿話です。美少女ゲームらしく楽しいやりとりの序盤と立ち込める暗雲のバランスが絶妙で、受け手の不安を駆り立てる演出がとても冴え渡っていました。ラスト数分にはまさしく濁流が押し寄せるような衝撃があり、私自身初めてこの作品を観た時は身体が硬直し動くことが出来なかったのを今でも鮮明に覚えています。フラッシュバックと規律よく寄せる波の対比。まるで走馬灯のようで、現実との境界が曖昧になるような。本当に素晴らしい挿話だったと思います。



マリア様がみてる 春 5話 「いつしか年も

脚本:吉田玲子 絵コンテ:ユキヒロマツシタ 演出:平向智子 作画監督:相澤昌弘

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淡々と進む卒業式に誰もいない校舎や教室劇伴として流れる仰げば尊しもその歌声がフェードアウトすれば一段と静けさは強まり、画面からは一層として侘び寂びの美徳が滲み出します。おそらく卒業を主軸に据えた回ではこれまで観てきたアニメの中で一番素晴らしかった挿話だと手離しで称賛せずにはいられないほど。スカートのプリーツは乱さないように、 白いセーラーカラーは翻さないようにゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。凛とした背筋のまま学園を去る三人の卒業生の後姿が今も忘れられません。




君に届け 6話 「友達

脚本:金春智子 絵コンテ:古橋一浩 演出:出合小都美 作画監督:井川麗奈

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キャラクターの感情を繊細に切り取るフィルムがとても素敵だったこの挿話。爽子の独白から明らかになる彼女の心情を目の前に突き出されるともうどうしたって泣かずにはいられないのです。「友達が欲しかった。でもいつも諦めていた。けど、あなたたちだけは諦めたくなかった」 と語り出す彼女の心情にシンクロするように差し込む陽の光と零れ落ちる水滴の音。演じられた能登さんの優しく包み込むような語り口も本当に素晴らしく、全ての要素が巧く噛み合った挿話だったと思います。この作品らしいデフォルメを生かしたコメディパートとの兼ね合いも凄く良かったと思います。




ARIA The ORIGINATION 4話 「その 明日を目指すものたちは…」

脚本:竹下健一 絵コンテ:井上英紀 演出:井上英紀 作画監督:井上英紀

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ARIAシリーズの分岐点となった挿話です。感情が存分に載った豊かな表情をじっくりと映し切り取っていくカメラワークは、これまで描かれてきた本作の雰囲気をしっかりと踏襲しつつ、そこへ新たな価値観を見出してくれたように思います。それぞれが想い描く夢と期待、そして不安。各々が見据える先に輝き続けた一等星は、そんな少女たちの未来をも予見してくれていたのかも知れません。井上英紀さんのコンテ・演出・一人原画というのも素晴らしいですね。まさしく最高峰の挿話です。




 CLANNAD AFTER STORY 18話 「大地の果て」

脚本:志茂文彦 絵コンテ:高雄統子 演出:高雄統子 作画監督:盒郷人子

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何度観ても何年経ってもこの挿話を観れば必ずといっていいほど嗚咽が出る程に泣いてしまう挿話です。高雄さんの演出、キャラクターに対する寄り添い方が本当に優しく、朋也が父親の陰を自分自身に重ねながら、娘である汐と向き合い始めるその過程は今でもしっかりと心に焼きついています。あれから少し年を重ねた今だからこそ分かることも多く、年々自分にとっても感じることが多く重みのましていく挿話でもあるように思います。




紅 kurenai 6話 「貴方の頭上に光が輝くでしょう」

脚本:松尾衡 絵コンテ:松尾衡 演出:松尾衡 作画監督:中村深雪

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会話劇の面白さや楽しさが溢れ出る本作において、この挿話はまさしくそのを代表となるようなフィルムになっていたように感じます。序盤から中盤に掛け描かれる各キャラクター同士のやりとりと、そこからシームレスにミュージカルへと移ろう作劇の巧さ。プレスコだからこそ描くことの出来る台詞への感情の乗せ方は実に生き生きとした表情を幾つも産み落としてくれていたように感じます。狭い空間を巧みなレイアウトで切り取り、色とりどりのモーションで鑑賞者を楽しませてくれたのも素晴らしいです。こういう悪ふざけみたいなノリに作画のカロリー費やすのもかなりロックですね。




苺ましまろ 6話 「真夏日」

脚本:横手美智子 絵コンテ:神戸守 演出:神戸守 作画監督:阿部達也

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何もないとある夏の日の出来事をただありのままに切り取った挿話。本作らしい絶妙なテンポと極力BGMを排し環境音だけで繰り広げられる彼女たちの意味不明な遊びは、一度ツボに嵌ると抜けられない魅力に溢れていて、私自身いつも我慢できず吹き出してしまいます。この挿話は特にサイレントコメディなんかにも挑戦していて特に意欲的に感じられます。でも、最後はみんなで揃ってアイスを食べながら夕陽を眺めるなんていう静けさもありつつ、なんだか子供の頃に感じたあの懐かしい日々を想い出してしまうような感傷に浸れるのもこの挿話の強みなのかなとも思います。




イリヤの空、UFOの夏 3話 「十八時四十七分三十二秒」 (OVA)

脚本:横手美智子 絵コンテ:中村健治 演出:中村健治 作画監督:志田ただし

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時間の圧縮と凝縮。テンポの良さと決して損なわれることのない不思議な夏の質感。ひと夏の恋と永遠の恋が交差する瞬間をその心情を汲み取りながら丁寧に描いたまさに名話です。あらゆるモチーフに込められた意図は言うに及ばず、ラストシーンにおける “たった二人だけ” のキャンプファイヤーフォークダンスは筆舌に尽くせない素晴らしさ。ラストカットが差し込まれた瞬間には自分がどれだけこの挿話に魅了されていたのかということにいつも驚嘆させられます。本当に素晴らしい挿話です。




トップをねらえ2! 3話 「トップレスなんか大嫌い」 (OVA)

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:平松禎史 演出:平松禎史 作画監督:林明美(キャラ)、阿蒜晃士(メカ)

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叶うはずのない奇跡を叶える物語。宇宙空間に降り注いだ雪はまさしくそうした数々の奇跡の象徴で、それは何重の意味にも折り重なりながら遂には彼女の想いをもあの人の元へと届けてくれたのでしょう。奇跡は叶えることが出来ないから奇跡なんじゃない。奇跡を叶えるために居るのが私たちトップレスであり、私たち自身が奇跡になるんだという、まさしく願いそのものが形を成したようなフィルムだったんじゃないかなと感じます。恋に破れた少女がそれでもその運命に抗い、時空を越えてまでその想いに生きた証として、私自身この挿話は永遠に語り継いでいきたいと思います。




ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 12話 「蒼穹ニ響ケ」

脚本:吉野弘幸 絵コンテ:神戸守 演出:神戸守 作画監督:赤井俊文

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「音は響いて、そして伝わる――」 その言葉を最大限の美しさを持って表現したこの最終話は私にとっても本当に掛け替えのない挿話になってくれたように思います。さらには各キャラクターの心と感情の清算もしつつ、眠っていたタケミカヅチ武力をもしっかりと描いてくれたのでもう個人的には申し分のない最終回でした。観る度に泣いてしまうラストシーンはまさに圧巻。世界が終わりに近づこうとも人々はその意思がある限り生き続ける、社会が戦いを強いろうとも人々は自らの意思で戦いを止めることが出来るのだと、そんな美学をまざまざと描いてくれた本作のまさに集大成とも呼ぶべき挿話だったと思います。



以上となります。正直これ以外の作品でもまだまだ素敵な挿話はありますし、大好きな挿話もありますが、泣く泣くけずってこの10選という形になりました。色々と一日中旧作を振り返っていたわけですが、大好きな作品の挿話をたくさん観れて今はかなり幸せな気持ちで満たされていますし、泣き疲れて目が若干腫れぼったいです(笑

そして何より、こういった視聴の機会を与えて下さった企画主様、そしてこの企画を支持して下さった皆様には大変感謝しております。本当にありがとうございました。皆さんの記事も心より楽しみにしております。では、また年末に。

2016-08-02

『Re:ゼロから始める異世界生活』 18話の演出とカメラワークについて

本編のほとんどを二人の会話に費やした今回の18話。スバルの激情と諦観を迎えうつレムの愛のある言葉には大きく心を揺さぶられたわけですが、そうした心の情動は何も言葉からのみ得られたものではなく、この挿話においてはそのための演出やカメラワークにも十分に語り得るものが含まれていたように感じられました。

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(カットの順序は上段左から1〜4、下段左から5〜8  ※以下同様の順序)

まず、この序盤のカメラワーク。一番初めのカットでは上手側を向いていたレムが最終カットでは下手側に向き直っているのが分かります。二つのカットの間には正面からそれぞれの表情を捉えたものなど幾つかのカットが挟まれていますが、つまりここでカメラはイマジナリーラインを越えながら相対するキャラ同士の上(またはその周囲)を大きく跨いでいるということになります。それこそイマジナリーラインを越える、ということに関しては受けとめ方によっても諸説あるものだと思いますが、ここではやはりレムの心情にカメラがリンクしああした行動を起こさせたのだと個人的には解釈せざるを得ませんでした。

それこそレムにしてみれば好きな人に一緒に居て欲しいと言われ嬉しくなかったはずがなく、彼との生活を想像してしまうまでにそれは夢にまで見た未来予想図であったはずなのだと思います。けれど今のスバルは彼女を救ったあの日のスバルとは程遠かったわけで、だからこそ愛して止まないその彼が音を立てて崩れ落ちていくのをレムは見過ごすことが出来なかったのでしょうし、“好きな人のそんな姿を許す自分自身” を彼女は断じて許容することが出来なかったのでしょう。

そしてカメラが彼女たち二人のラインを越えたのもきっとそれが原因なのだと思うのです。スバルの誘いに乗ってはいけない。ここで私が彼を甘やかしてはいけないし、私が彼の弱さにつけ込んでもいけないというそれは断固たる決意にも似たレムの自制で、その想いが伝播したからこそカメラはその想いに応えるようにその軌道を描いたのだと思います。

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この辺りのシーンも同様です。「ここから始めましょう」というレムの語りに応えるよう、そしてその言葉を受けたスバルの心に重なるようにカメラはその位置を反転させます。むしろこのシーンにおいてはレムの側面から背後に向けフレームが動いているので彼女の後ろからカメラが回り込んだと言ってもいいのではないかと思います。

他にも幾つかカメラがイマジナリーラインを越えるシーンはありましたがやはりそのどれもが感情の転換気に据えられており、こうした演出の意図はやはり確信的に描かれているように思えずにはいられませんでした。それこそこの挿話は二人の感情の変遷と想いの吐露に主観を置いた重要な局面であったわけですから、むしろメタ的な視点で見ても互いの想いがそうした演出面にまで影響を及ぼすのは必然だったのかもしれません。

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また雲間から差す光に飛び立つ鳥の群れと、レムがスバルに与えた無償の愛、彼に向けた信頼、そして厳しさにまるで世界が呼応するかのように祝福をあげる様は彼女という存在を多分に象徴していたようにも感じられました。そしてそれはもちろんレムに対してのものだけではなく、スバルに対し贈られたこれまでの物語に対する労(ねぎら)いとしても描かれたものであったのだと思います。

ただそうは言っても私自身、誰よりも親身になってスバルのことを想ってくれたレムや身の回りの全てに対し幾つもの暴言を吐いてきた彼を良く思っているわけでは決してありません。彼に対し 「ふざけるな」 と思ったことは何度もありましたし、嫌悪感を通り越し呆れすら感じたことだって幾度となくありました。

けれど、それはレムがスバルに向けた愛情を否定する理由には到底なり得ないのです。彼女の言葉通り、彼女が彼を想う気持ちの何を私が分かるのかと問われれば私はきっと何も分かってはいないのでしょうし、たとえ彼がどんな暴言を吐いたとしてもスバルがレムを救ったという事実だけは決して変わらない不変の軌跡。それを否定することなんて誰に出来ることでもないし、していいことでもないはずです。

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故にだからこそこの世界は彼女の愛を全力で肯定してくれるのだと思います。カメラの軌道によって。あらゆるモチーフによって。その愛情が不変であり、誰からも否定されるものでないことをこの挿話は雄弁に語り掛けてくれる。そして何を隠そうこの挿話はそうした彼女の想いが確信的なものであることを伝えるためのターニングポイントでもあるんですよね。スバルのためだけではなく、レムが 「愛している」 と彼に伝えるための場所をもこの挿話は描いてくれている。

それこそメイド足るものいついかなる時でも優雅に、華怜に、そして慎ましく在れと云わんばかりに彼女が魅せてくれたお辞儀はスバルとの間に一線を引いている様にも感じられましたが、でも今だけは泣いたっていいと思うんです。貴女の強さと想いはきっと多くの人に届いてるはずだから。だからこそ今だけは、今この瞬間だけは存分に声を上げてその涙が枯れるまで泣けばいいって。一人の従者としてではなく、一人の少女として。貴女の想いと敗れた恋に貴賤はないのだから。

そして、まただからこそ私はスバルに対し心からお願いしたいとも思うのです。もう二度とレムを泣かさないでくれと。もう二度と彼女が悲しむような姿は見せないでくれと。私が願うのはただ一つそれだけで、そのためならどんな負の感情も切り捨て私は彼を応援します。この挿話がそうしてくれたように。私の愛した人が懸命に向き合いその背を支えたように。それがレムの幸せに繋がっていくのなら私は自分の下らない価値観や感情なんて殺してみせます。

もちろん、これからもきっと多くの試練が彼らを待ち受けていることでしょうけど、その度にこの日のことを想い出しながら彼には彼らしく立ち向かって欲しいですし、そうしてくれるのなら私自身も少しは報われた気持ちになれるんじゃないかって、そう思います。今後、彼らの物語に多くの幸せが訪れることを祈りつつ、これからの物語もしっかりと見守っていきたいと思います。自分の信じた道を真っ直ぐ見つめて。任せたぞ、スバル。

2016-07-23

アニメにおける脚・足先描写の素晴らしさについて

『NEW GAME』3話を観て衝撃を受けました。それこそあの挿話は全体的に観ても大変素晴らしく、キャラクターたちの感情の乗り方やその想いを映して描かれる細部の仕草への拘りが非常に色濃く出ていたわけなんですが、特にその中でもBパート終盤のベンチに腰を掛けてからの一連のシーンはもう溜息が出る程に凄く丁寧に描かれていたと思います。

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あの時、友人と嬉々として話す青葉がどういう感情を芽生えさせていたのかということが端的に読み取れるフィルム。自分の好きな作品を語っている内にどうしようもなく楽しくなってしまうその心の変遷を、言葉ではなく、彼女の仕草で表現することでその想いが決して嘘ではないことを寡黙に伝えてくれる足先の表情。

それこそ四肢の表情づけって見た目よりもずっと大変な作業で作画的なカロリーもかなり高い難しいものですから、無理にそういうカットを入れる必然性って実はないんですよね。でも、ああいうカットを入れる必要性はあったりして、それこそ楽し気に語り合う会話と青葉の表情だけでは決して語れない彼女の “好き” の気持ちってあの足のカットがあるからこそ伝播するものであるはずだと思うんです。

言葉だけで表現する “好き” より、自然と動いてしまう身体や四肢の挙動で楽しさや愛情を表現することの意味。それは私たちが日常生活を送っている中でも時に遭遇することの出来る感情の伝染に他ならないものでもあるはずで、むしろそういったシーンの積み重ねが物語へ感情移入するための切っ掛けにすらなっていくものなのだと私は思います。

[参考記事] キャラクターの細部から溢れ出す楽しさの感情、その伝染

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そしてその仕草は時に憂いや寂しさ、悲しみの象徴としても描かれたり、女性的のものの象徴として可愛らしさや淫靡さをそれとなく含ませ描かれることも少なくはありません。前者で言えば特に素晴らしかったのは 『アイドルマスターシンデレラガールズ』 17話。赤城みりあ城ヶ崎美嘉とベンチに腰掛け会話をするシーンです。

妹のために色々なことを我慢しなくてはならない姉としてのちょっとした寂しさをその足先で表現したあの描写は個人的にもかなり良いなぁと思ったシーンで、あのカットがあるのとないのとではやはり彼女の心への寄り添い方も違ったものに変わっていたのではないかと思います。

それもまだ幼さの残るみりあだからこそ、その感情は言葉よりその身体での表現を是とし、うまく伝えられなかった心のもどかしさをあの足先は言葉の替わりに私たちへと伝えてくれる上に、そうして訪れる余韻の数々はその心を想像する余地すらもしっかりと我々に与えてくれるのです。

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そして女性的な表現としての脚と足先の表現。可愛らしさや美しさを結晶化したような女性特有のシルエットとその挙動はまさに男性である私の心を潤してくれる心のオアシスです。

もちろんそうしたフェティシズム的な部分以外でも、音楽に合わせ描かれる軽やかなステップや足先の挙動を観ているとそれだけで楽しくなれますし、そういう描写に出会えただけでもう満足出来てしまうのだから面白いですよね。単純だなぁと思いますけど、でも楽しそうにしている人を見ているとなんだかそれだけでこちらまで楽しくなってしまう感覚なんかもあるように、単純なことこそがやはりダイレクトに感情を伝える役割としてはとても優秀なんじゃないかなとも思うんです。

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何より単純なこと、単純な動きであるからこそ、その動きや描写へ感情を乗せるとなればそこに割かなければいけないリソース量は必然と上がっていくのだと思います。

そして、それは作画や影指定にレイアウト、色彩指定にタメツメにおけるコンマ数秒単位の拘りにまでことは及ぶわけで、その苦労を思うとこういう丁寧な芝居付けや作画には余計ありがたみを感じてしまいます。それこそTVアニメという媒体においてはその全てを拘り抜くことなんて早々に出来ることではないわけですから、やはりどうしたってそうした目を見張るシーンがあれば心踊らずにはいられないですし、それこそテープが擦り切れるんじゃないかってくらい何度も何度も繰り返し観てしまったりするわけで。

もちろん、手先の描写なんかにも拘ってる作品はあって同じように素晴らしさを感じるわけですけど、やはり個人的には脚や足先の方に目がいってしまうのはどうしても否めず、だからこそ余計に記憶にも残りやすいっていうのはやはりあると思います。他にも 『血界戦線』 EDのステップや 『けいおん!!』 20話や最終回の脚の作画と表現なんかかなり素晴らしいものがありますよね。そこにはアニメならではの少し現実より過大な、けれど確かに感情が込められていると読み取れる動きの数々が散りばめられていて、ああいう描写を観る度に私は 「アニメって本当に良いな」 とその素晴らしさをどうしても肌で感じてしまうのです。

[参考記事] 『ご注文はうさぎですか?』 の手の表情が素晴らしい

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というわけで、少し長くなりましたが最後にどうしても紹介したかった脚・足先の描写をいくつか紹介してこの記事の締め括りとさせて頂こうと思います。こちらは 『言の葉の庭』 の一幕ですが、新海監督自らが 「この作品唯一の濡れ場」 と語るだけあって、この足先に漂う色気からは他の作品の追随を許さない凄みを感じます。

他にも足先の描写などは本編でもかなり多用されています。梅雨アニメであると同時に足アニメとしても本当に素晴らしい作品だと思います。

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脚アニメの権威 『あいうら』。この作品の脚の描写とその作画・影づけに対する拘りは本当に凄いものがあります。健康的な女子校生の肉感を大事にしつつ、それでいてエロい。膝裏や脹脛 (ふくらはぎ) などの筋肉のつけ方、筋に対する線や影の寄せ方なんかはもう素晴らしいを通り越してなんだかもうよく分かりません。

作品自体も大変素晴らしいですが、やはり脚アニメと言えばこの作品、というくらいにはかなりの脚密度だったと思います。11話で雨に濡れたソックスをさきちゃんが脱ぐシーンは永遠に語り継いでいきたいですね。

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また、上記でも一つ紹介したように 『アイドルマスターシンデレラガールズ』 もかなり足元を意識した作品になっていたと思います。主題歌で謳われていた 「10センチの背伸び」 の意味を模索するかのような作劇に、ガラスの靴、魔法といったモチーフの数々。そしてその魔法は 「自分の靴で今、進んで行ける勇気」 なのだと語るその意味の全てを作中では彼女たちの足元に託していたのではないかと思います。13話で渋谷凛が見せたあの背伸びはその象徴なんだと思います。またあのカットはあの年一番の足首作画でもあったんじゃないかと感じましたね。

その他にも素晴らしかった作品として 『城下町のダンデライオン』 4話なんかも紹介しておきます。脚・足先の名話としてこちらも語り継いでいきたい挿話です。

[参考記事] 『城下町のダンデライオン』 4話の脚の表現について

最後にフォロワーの方が教えて下さった素晴らしい脚描写を紹介して終わりたいと思います。



今年観た中でもかなり高いレベルの脚描写です。こういう仕草や描写と出会う度に感謝せずにはいられなくなりますし、そういった描写一つだけで作品の印象をも変えてしまう力を持っているのだから堪らないですよね。本当に脚・足先の描写が素晴らしいアニメって素敵だと思います。

今年も残すところあと半分ですが、今後も出来るだけ多くの素晴らしい脚・足先の描写に出会えるようにと今は心待ちに願うばかりです。

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