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2016-06-14

赤い傘、心の壁、牧穂乃果曰く / 『キズナイーバー』 7話

物語もいよいよ佳境に差し掛かってきた 『キズナイーバー』 7話。語られたのは常にポーカーフェイスを決め込む牧穂乃果の過去と今の彼女に至るその出生の秘密だったわけですが、その軌跡に描かれていたのはやはり辛く険しい物語そのものでした。

信じたい気持ちと信じた先に幻視してしまう絶望の未来。誰だって傷つきたくない、傷つけたくないと願う中で、それでも自らの心を守る判断を下した穂乃果の決断は決して咎められるものではないと私は思います。だって、失うことは誰だって怖い。いっそのこと最初から 「無い」 方が良かったなんて思う程に持っていたものがその手の内から消えていくことって凄く恐ろしいことで、だからこそ突き放してしまった彼女の気持ちも痛い程に伝わってくる。

それこそ彼女自身、その心の距離感に苦痛を感じていなかったはずがないし、むしろ 「瑠々と距離を置く」 という決断は彼女が痛みを押し殺しながら刻んだ傷でもあったはずなんです。裏切ったとか、見捨てたとか、そんな単純なことじゃない。決してそんな風に割り切っていいことじゃないんですよ。

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けれど仁子の言う通りそれは “穂乃果だけの気持ちであり、彼女自身にしか分からない【痛み】” でもあるわけで、その真意も伝えようとしなければ誰かに伝わることは決してない。

それは瑠々がどういうつもりで穂乃果を押し倒したのかが分からないことと同じように。つまりは人が他人の感情を完全に掴むことって絶対に出来ないんだってことをそれは逆説的に証明してしまうんですよね。本当に仲が良ければその輪郭くらいは掴めるのかも知れない。でも、その内情は分からない。そしてそれはあのキズナシステムをもちいても実現には至っていないわけで、云わばそういう “心の壁” とさえ呼べる強靭なバリケードを人間は抱えている。

自分の明かしたくない気持ち、想い、感情。そんな抽象的で曖昧なものを外に漏らさないために打ち付けられた心の壁。けれど、その壁は外に出したくない気持ちを心の外に漏らさずに済む替わりに、外へ押し出さなければ心が壊れてしまう感情の濁流をも押し留め、その内側から人を蝕んでいく諸刃の剣。だからこそ、ようはバランスが大切だと思うんですが、穂乃果の場合はその全てを堰き止め何もかもを自らの内に閉じ込めてしまったことが今の状況に繋がる最悪の形を象ってしまったのだと思います。

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故に彼女は素直になれない。自分自身に正直になれない。彼女自身は正直に生きているつもりでも、時折崩れるそのポーカーフェイスから滲むように感情が溢れ出し、彼女の “心” が何処にあるのかを分からなくしてしまう。

分からないから進めない。分かりたくないから進まない。前へ出そうとする足はその場を空転するばかりで、あの日から穂乃果は一歩たりともその場を離れることが出来ていないんです。抜け出すことも出来ず、突き進むことも出来ずにただ漠然と過ぎたであろう彼女の月日。もはや彼女にとってシャルル・ド・マッキングとは呪いの言葉でしかなくなっていたのでしょう。

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もちろん、二人の過去が “呪い” になってしまったことの原因の一端は瑠々にもあるのだと思います。彼女の言葉が穂乃果を苦しめ、その思考に下方修正を加えていったのはまず間違いない。

けれど穂乃果自身も瑠々には “言えなかった” 言葉が確かにあったわけで、その点を鑑みれば瑠々だって同じように “進めなくなって” いたのかも知れないんですよね。二人揃ってのシャルル・ド・マッキング。あの漫画がもし大団円を迎えるのならそれは二人の手によるものでなくては成立しない。

また、だからこそ頷けるのは 「最終話の評判が悪かった」 という世間の一説。だって一人じゃ描けるわけがない。二人で築き上げてきた物語は決して一人の筆先では埋まらない。一筋縄じゃないんです。そんな簡単に突き放せるわけないんですよ。

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でも逆に、だからこそ彼女は最終話を一人で描くことへと踏み切ることが出来たんじゃないかとも思うんです。だってあれは物語の続きじゃない。漫画という媒体の最終話。その体を成して描かれたあれは間違いなく “穂乃果と瑠々が辿り歩んだ物語の最終話” に他ならないからです。

瑠々が精一杯の気持ちを込めて紡いだ言葉。いつか穂乃果がもし、このページを読むことがあればその言葉があなたの心へと届き、その支えとなるように――。「あなたの笑顔が、大好きだから」。

一番伝えたかった言葉を、一番伝えたかった人へ向けて描いた最終回。それは進むことが出来なくなってしまった瑠々がそれでも前へと進もうとした証に他ならず、形容するならそれは決して “呪い” などではなく、むしろ “希望” とも呼ぶことの出来る言葉だったのではと思うのです。そしてもし、穂乃果と瑠々の間に違いがあるのだとすればきっと “そこ” なのでしょう。

相手の本心が分からない中にあって、それでも私には伝えたいものがある。傷つくかも知れない。嫌われるかも知れない。けれど伝えなければ何一つ前へは進めない。心の壁を破り、たった一言伝えてみるだけでいい。「笑って」って。「大好きだよ」って。たったそれだけのことがこんなにも眩しく前を照らしてくれる。だから進んでいける。歩いて行ける。“伝える” ということがいつの日かの道標になる。

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悲しみは其処此処に積もる。それは時に激しく、時にしたしたと降り注ぐ雨のように、心の底に溜まり辛かった記憶を映し出す鏡にもなる。だから、傘は必要だ。こんな薄暗いどんよりとした天気の日にはいっそ真っ赤な長傘を差して一人歩くのもいいかも知れない。もちろん気分は晴れない。けれど、これ以上悲しみに晒されずに済むから。ああ、なんて便利な傘。心の壁。我が心の壁。

けれど、少しそこから顔を覗かせてみるとそこには “友” と呼べるか呼べないかまだ分からない奴らの顔があって、実は雲間にもたくさんの星々が輝いて居ることを知って、降り注ぐ雨にも意外と嫌な気持ちを抱かないことを彼女は知るわけです。

それは “伝えてみなければ分からない” ことと少し似ていて、だからこそあの瞬間、彼女は自らの心の壁を少しだけ取り除き 「キズナイーバーから始めませんか?」 と、彼らに伝えることが出来たのだと思います。誰に諭されるわけでもなく、誰に従うわけでもない。傘を持つ手を自ら降ろすことの意味は、見た目以上に大きい勇気ある “あの日” から前へ進むための一歩に他ならないのでしょう。

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そして、それは伝えることの大切さを語ると同時に “他人の感情を完全に掴むことは出来ない” という一つの事実に対する “それでも人の感情はどこかで交わるのだ” という希望をも雄弁に語り掛けてくれているのだと思います。

感情と感情、痛みと痛みの交錯の物語。心の完全な通いを否定しておきながら、しかしそれらが象る感情の曲線は必ずどこかで交わるのだと力説する 『キズナイーバー』。何より、その交錯する点こそが “絆” であり “希望” に他ならないということをこの作品は伝えたかったのでしょうし、今回の話で言えば穂乃香と瑠々にとって 「あなたの笑顔が好きだから」 というそのたった一つの心の通いが “希望” であり、“交錯点” だったということを描きたかったのかも知れません。

最後に、願わくば彼女の零した言葉がどうかあの人の元にも届いていますようにと祈りつつ。「私も――」 と伝えることの出来た彼女の成長とその大きく踏み出された一歩に今はただただ心を寄せていたいなと思います。

2016-05-11

痛みを知るということ、知られるということ / 『キズナイーバー』 5話

傷の絆の第二フェイズ。物理的な痛みによって生じた繋がりが今度は精神的な痛みを介しても生じ始めたと言うのだから驚きで、正直私はそうした “心の痛み” といった部分までこのキズナシステムが介入してくるとは考えていませんでした。

物理的な痛みを介して心の痛みにも気づき始めていくストーリーライン。そんな物語を想定していたものだから、勝平が感じていたものが 「心の痛みだ」 と気付いた時にはそこまで踏み込みこの作品は彼らの背中を押していくのかと感嘆とさせられてしまった程で。

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心と心の葛藤、感情と感情がぶつかり合い想いを少しずつ他者に接続していく物語のスタンスはそれこそ『B★RS』を筆頭に幾度か目の当たりにしてきたフォーマットだったわけですが、この作品は遂に “登場人物が抱く心の痛みを同じレベルで共有させる” という新たな境地を描いてくれました。

そしてそれは 「心の痛みが分かる」 なんていう不安定な言葉よりも一層の強靭さを獲得した 「心の痛みが流れ込む」 という次のフェイズへの飛躍であり、実験でもあったのだろうと思います。心の中を覗くわけでもなければ、心の中を探るわけでもなく、ただ淡々と痛みを伴う感情の奔流が流れ伝わっていくという “実感” の獲得をこの作品は徹底して描こうとしている。

あの日、あの瞬間。どれだけ “あなた” の心が傷ついたのかという事実がどれだけ人の意思決定に影響を与えるものなのか。それこそ今回の一件でキズナを埋め込まれた男子生徒は 「なんで俺ばっかりこんな目に...」 と嘆いていたわけですけど、そんな言葉が出てしまうことこそがそもそも彼自身が人の心を汲み取れていないことの証左として描かれていたということなのでしょう。

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けれど、だからこそ他者の痛みに敏感であるということはとてつもないアドバンテージにだって成り得るんです。それは何をしていなくとも相手の痛みが伝わって来てしまうからとか、痛みを共有できるからとか、そういうことでは決してなく、どれだけ他者から自分という存在が思われていたのかということの気づきにも “その痛み” は繋がっていくんだってことなんですよね。

自分自身では気づけなかった自分自身の存在価値。自分なんかどうなったって構いはしない、殴られようが傷つこうが誰にも関係はないと思っていた日々の幻想がキズナシステムの力によって 「そうじゃないんだ」 と暴かれてしまうことの是非をこの作品は問いただしてる。

それこそこれから物語が進み続けていけば 「こんな気持ち知らなきゃよかった」 と思うことだって少なからずあることだとは思います。痛みを絆に変えてなんて言葉にするだけなら簡単なこと。必ずしも痛みが通じることがプラスに働くことばかりではないし、それは物理的なものであれ、精神的なものであれ同じことです。だからこそ決してキズナシステムは万能な存在とは言えないし、このシステムの構造に憎悪を抱く者が現れてもなんら不思議はないのだろうと思います。“痛みを知る” “知られる” ということはそれ程までに繊細でいてデリケートで、人の価値観と関係の成り立ちにおいて大きな影響を及ぼすことだから。

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まただからこそ、今回の出来事はそれこそほんの一例なんだろうとも思うのです。痛みの伝播が一人の少年の価値観を大きく揺るがしたという一例が描かれただけで、それこそこれは勝平と千鳥二人の物語にのみ適応されたキズナシステムの有効例でしかない。故に今回の一件でキズナシステムに全幅の信頼を置くということも決してありはしないし、勝平と同じように自分自身の存在価値を捨てていた穂乃果が同じようなストーリーテリングを迎えるとは全く限らない。

けれど、キズナシステムの傷の奔流により一つの夜が明け、彼らの前にとても綺麗な朝焼けが現れたという事実はこの物語においてとても重要なターニングポイントにも成り得るものであると私は考えます。傷の絆のリスクの高さはきっと彼らを惑わせ、より一層その心を傷つける。けれど今日この日に見た朝日の美しさがその物語の先にあることも僕たちは知っている。

そして “知っている” ということはやがて “強さ” にさえ繋がっていく。それは痛みにしても、経験にしても。だからこそ今回のような一件や深まり続けるキズナシステムへの理解を通し、彼らがこれまでの価値観や考え方をこれからどう変化させていくのかといった点が楽しみで仕方ありませんし、そうして彼らが辿るこれからの物語をそれぞれしっかりと見届けていきたいと今は強く願っています。それこそ個人的には今回の朝焼けのようなスッキリとした終幕を期待してはいますが、いやはや、どうなることやら。本当に今後が楽しみな作品です。

2016-05-09

痛みという名の実像、殴り込むという名の叫び / 『キズナイーバー』 2話

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まるで画面向かい側へ殴り込んでくるかのように感じられたこのカット。そのタイトルが指し示す通り、傷と絆の話を軸に物語を展開する本作においてはむしろそうした “殴り込む” なんてスタンスが何より大切で、一番描きたいことだったのではないかと思います。

言葉なんて上辺だけ。何万語費やしたって “あなた” の本当の気持ちに届かないのなら、もはや残された手段は相手を傷つけてでもその心に踏み込んでいく覚悟のみ。

伝えることを恐れない。痛みを分かち合うことを恐れない。痛みを知ってもらうことを恥としない。そうした本作のコンセプトはまさに人の心に踏み込むということをダイレクトに表現していたように思いますし、特にこの第2話に至ってはその力強さというものが顕著に描かれていたように感じられました。

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けれどそれは “心の壁を乗り越える” なんて生易しいものじゃ決してなくて、強引に相手の心と対峙することで得ることの出来る上辺より一つ奥の感情を引き出すための “戦い” に他ならなかったのだとも思います。

例え踏み込む先が断崖絶壁の崖であろうと廃墟と化したビルの屋上であろうと彼女たちは “伝えるため” に全ての恐れを受け入れて立ち向かう。そうすることでしか伝わらない想いのため、痛みのために。殴るなら遠くからじゃその手だって届かない。だから踏み込む。だから飛び込む。土足でだって構いはしないんです。愚直なまでに真っ直ぐに伝えようとすること、そうまでしなければ伝わらないものがあるのだということ。むしろこの物語はそうした人間関係の一番ナイーブな部分を知るための物語そのものでもあるんじゃないかって。

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もちろん殴り込んだ先で返し討ちに会うこともあれば、自らの想いの弱さや軽薄さに打ち負かされ絶望することもあるでしょう。けれどやはり “殴り込まなければ明くる日が来ない” のだということも彼らは今回の一件を通し目の当たりにした筈です。

痛みが分からない。感情が分からない。なら思い知らせてやるしかないのだと。相手だって同じ人間。言葉が通じない化け物じゃあるまいし、分かるまで、理解出来るまでその心に対し言葉をぶつけてやればいいのです。むしろそうして傷つくことで流れ出た血の赤さに新たな絆のカタチを映し出すためのシステム、それこそが 『キズナイーバー』 に他ならないのではないかと、そんな風な想いを寄せつつ、来たる彼らのこれからの物語をしっかりと見守っていければと思います。

2016-02-29

青春と敗者のためのアンセム、そして少女は飛翔する ―― 『響け!ユーフォニアム』 番外編を観て

被写界深度を浅めに据え、まるで一人一人の物語を切り取るかのよう誰に向けても優しい視線を傾けてきた作品 『響け!ユーフォニアム』。まだ成長途上であった少年少女の横顔をしっかりと収め、そのまなざしの先に “夢” を託す本作の姿勢は終始一貫しこの物語の最大の魅力として描き続けられていたように思います。

諦めないで邁進すること。力を合わせ大きな目標に立ち向かっていくこと。言葉にすれば少し安っぽく聞こえてしまいそうなそんなフレーズを、京都アニメーションの映像美と言葉数少ない感情的なフィルムで劇的に描いていく本作のスタンス。少年少女の一時代を切り取り、それを “青春” と呼ぶことになんの躊躇いも厭わないその真っ直ぐさには、まるで “これが自身の過ごした青春時代である” と錯覚する程の熱量が込められていたようにも感じられ、その局面ごとに描かれる登場人物たちの “向き合い方” を前にしては強く心を打たれることも少なくはありませんでした。

そして何を隠そう、本作が真に優れていたのは、そうして “向き合うこと” を余儀なくされた少年少女たちの心模様を決してポジティブな観点からだけではなく、よりネガティブな観点から繊細に描き出してくれたからに他ならないと私は思うのです。勝者が居れば敗者が居る。つまりはそうした物語の力学上に厳然と横たわるリアリティをきっちりと受け止めた上で尚、手が届かないと思われる目標にもしっかりと “夢” を仮託していくということ。叶わない夢もある。儚く散る想いもある。けれどそこには燦然と輝く誰かのための “夢” が確かに存在したのだと語る作品のプロセスが本当に美しいんですよね。

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特に葉月の場合は何か明確な “夢” を持って吹奏楽部に入部したわけじゃなかったし、そこには “青春として” の確かな実感があったわけでも決してなかったのだろうと思います。なんとなく入部して、なんとなくチューバを手に取って。時には 「なんで私こんなことやってるんだろう」 なんてアンニュイな気持ちになることもあった筈です。

けれど彼女は恋をして変わった。青春の代名詞とも呼べる感情の芽生え。火照るような未来への衝動。久美子や麗奈が音楽へ情熱を傾けるが如く、それは彼女にとって紛うことなき “夢” と呼べる感情に他ならなかったのでしょう。まただからこそ、そう簡単に割り切れる筈がないし、諦め切れるわけだってなかった。それはどんな手段を遣ってでも “夢” を叶えようと部内を奔走した優子のように、「悔しい」 と涙を流しながら夜道を駆け抜けた久美子のように――。

全ては違うようで繋がっている。ようはみんな同じなんです。夢のベクトルが違うだけで、そこに向けて込められた熱量は誰においても差なんてない。何よりこの物語が 「登場する全ての人物を主役」 と謳うのもようはそういうことだと思うんです。順風満帆な青春だけが特別なわけでは決してない。何かに対し一生懸命になること。何かに向けて目一杯の想いを費やすということ。挫折したっていい。失敗したっていい。そうした経験の数だけきっと貴女 (あなた) たちは強くなれる。むしろこの番外編にはそんな願いのようなものが込められていた節すらあったように私は思えてならないのです。

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まただからこそ、この物語は往々にして敗者に向け贈られる讃美歌にも成り得ることが出来たのだろうと思います。何かを成し遂げることを “青春” と呼ぶのではなく、何かを成し遂げようと懸命に駆け抜けたその横顔にこそ “青春” の二文字は映し出されるのだということ。勝つことだけが全てじゃない。成功することだけが正解じゃない。

それこそ、大枠の物語の中では決して主人公になれなかった彼女たちがこんなにも輝いて見えるのはだからこそでもあるのでしょう。二人が抱き合ったのだって決して慰め合いなんかじゃない。その小さな体で “夢” に手を伸ばし続けた一人の少女に対する、あれは労いに他ならないのです。そして、それはこの挿話そのものが彼女たち 「モナカ」 に向け贈られた救済のためのボーナストラックであったように。この作品には “夢” のため全力で駆ける少年少女たちの背をしっかりと支えるための熱がたくさん込められているんです。

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何より、新たな “夢” を見つけ駆け出した葉月の表情をあんなにもハツラツと捉えることが出来たのも、そんな彼女に寄せられた大きな期待をその背中に映し出すことが出来たのも、ようはその賜物に他ならないんですよね。彼女たちが前に進むことを諦めないのなら、その姿をどこまでも美しく捉えることも厭わないとする物語との関係性。

夢を叶えた者たちへはファンファーレを。夢なかばで敗れた者たちへはアンセムを。そして、さらなる飛翔のため全力で邁進する若者に向け奏でられたアンサンブル。それこそが 『響け!ユーフォニアム』 という作品の本質であり、この作品が一番伝えようとした 「青春を謳歌することの尊さ」 に他ならなかったのだと私は思います。

全力疾走する葉月に追い縋るようその表情をフォローし続けたカメラワークからは、それこそ青春の輝きを一瞬たりとも逃さないとする作品の意地を垣間見たようで観ていて熱く込み上げてくるものがありましたし、何より彼女の口から 「また選び直せたとしても、私はまた吹奏楽部に入りたい」 という言葉を聞けたこと。本当に感慨深く、心より嬉しく思います。

実らぬものが再度芽生えた瞬間。新たな一歩に反射する少女の成長の記録。『響け』 と託された願いの片鱗は、この遠く離れた番外編の地でもしっかりと響き渡り、彼女たちの懸命な姿をしっかりと映し込んでくれていました。出会いだけが人生じゃない。成し遂げることだけが青春じゃない。それでも、もしその全てを糧として前を見据えることが出来るなら――。そんな言葉をもって、この記事もこの辺りで締め括らせて頂こうかなと思います。本当に素晴らしい番外編をありがとうございましたと、心から。



―― 追伸。「格好良い」 からと入部した吹奏楽。恋をして変わった貴女は本当に格好良くなったと思います。