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Paradism このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-05-28

甲鉄城のヒッティングマッスル・ガール

『甲鉄上のカバネリ』 第6話、その露わになった肉体に度胆を抜かれた。着痩せするにも程があると言いたくなるまでに鍛え上げられた肉体美。力強く隆起した筋肉の質感。別に筋肉フェチではないのだけれど、なんというかこういう形で不意に見せつけられると凄くグッとくるものがあるんですよね。

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それこそ、美しい女性が隆々とした鋼の肉体を纏うことへのギャップみたいなものに惹かれているところは多少なりともあるのだと思います。けれど、むしろ個人的にはそういう外面的な部分よりもより内面的な部分、云わば “決して見せつけるために鍛え上げられたわけではない肉体” にその人の生き様とその基盤となる壮絶なバックボーンを感じてしまう部分がやはり大きいように思えてならないのです。

それも言うなれば、時として鍛え上げられた肉体はその人の歩んできた物語をも雄弁に語り出すメタファーにも成り得るのだということ。おそらくは一介の少女として平穏に暮らせていればそうは発達しなかったであろう肉体の成長。その過程に隠された物語の断片があの隆起した背にはきっとその多くが秘匿されている。

それこそ操縦員としては紅一点、男手に囲まれつつこんな世界の中で生き抜いてきた彼女はだからこそその肉体を手に入れる必要があったのかも知れない。戦うために。守るために。生きるために。ようはそんな妄想が蔓延るほどに、彼女の肉体を前に私は大きな衝撃を受けてしまったのです。ビジュアル的な面だけではなく、その内面的な強さも映し出すために彼女はこの鋼の肉体を背負わされているのではないのかと。

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それこそ女性が隆々とした筋肉を纏うというのは特にアニメの世界においては特別なことではあると思うし、そういう個性を与えることでキャラクターとしての色合いがより深まるという部分は十分にあるのだとも思います。

けれどその物語の中において “戦うことを余儀なくされてきた” 彼女たちにとってはそれもまた “強さ” の象徴に他ならないのです。それは私たちが傷だらけの身体を前にした時、その人の背景に壮絶な過去を連想してしまうように。その隆起した肉体の一つ一つにはきっとそうならざるを得ない理由があったのだろうと考えることも十分に出来るはずで、そういう情報 (キャラクターデザイン) の整理を行うことで視えてくるものも確かにあるように思うのです。

たかだかワンカットのフレーズ。それこそ 「これぞエンターテイメントだ」 と膝を叩いてその肉体に惚れ惚れするのも一興ではありますが、その身体に隆起した肉体の一つ一つに彼女たちの人生を垣間視るのも面白いのではないかと思います。外観は時に言葉より多くのものを語る。滲み出す逞しさと力強さは彼女がこの時代に生きた証。彼女がその肉体を手に入れた背景が今後語られるのかどうかは分かりませんが、あの逞しい姿にもし “過程” があるのだとすればその背景も是非覗いてみたいものだなと思います。

2016-05-11

痛みを知るということ、知られるということ / 『キズナイーバー』 5話

傷の絆の第二フェイズ。物理的な痛みによって生じた繋がりが今度は精神的な痛みを介しても生じ始めたと言うのだから驚きで、正直私はそうした “心の痛み” といった部分までこのキズナシステムが介入してくるとは考えていませんでした。

物理的な痛みを介して心の痛みにも気づき始めていくストーリーライン。そんな物語を想定していたものだから、勝平が感じていたものが 「心の痛みだ」 と気付いた時にはそこまで踏み込みこの作品は彼らの背中を押していくのかと感嘆とさせられてしまった程で。

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心と心の葛藤、感情と感情がぶつかり合い想いを少しずつ他者に接続していく物語のスタンスはそれこそ『B★RS』を筆頭に幾度か目の当たりにしてきたフォーマットだったわけですが、この作品は遂に “登場人物が抱く心の痛みを同じレベルで共有させる” という新たな境地を描いてくれました。

そしてそれは 「心の痛みが分かる」 なんていう不安定な言葉よりも一層の強靭さを獲得した 「心の痛みが流れ込む」 という次のフェイズへの飛躍であり、実験でもあったのだろうと思います。心の中を覗くわけでもなければ、心の中を探るわけでもなく、ただ淡々と痛みを伴う感情の奔流が流れ伝わっていくという “実感” の獲得をこの作品は徹底して描こうとしている。

あの日、あの瞬間。どれだけ “あなた” の心が傷ついたのかという事実がどれだけ人の意思決定に影響を与えるものなのか。それこそ今回の一件でキズナを埋め込まれた男子生徒は 「なんで俺ばっかりこんな目に...」 と嘆いていたわけですけど、そんな言葉が出てしまうことこそがそもそも彼自身が人の心を汲み取れていないことの証左として描かれていたということなのでしょう。

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けれど、だからこそ他者の痛みに敏感であるということはとてつもないアドバンテージにだって成り得るんです。それは何をしていなくとも相手の痛みが伝わって来てしまうからとか、痛みを共有できるからとか、そういうことでは決してなく、どれだけ他者から自分という存在が思われていたのかということの気づきにも “その痛み” は繋がっていくんだってことなんですよね。

自分自身では気づけなかった自分自身の存在価値。自分なんかどうなったって構いはしない、殴られようが傷つこうが誰にも関係はないと思っていた日々の幻想がキズナシステムの力によって 「そうじゃないんだ」 と暴かれてしまうことの是非をこの作品は問いただしてる。

それこそこれから物語が進み続けていけば 「こんな気持ち知らなきゃよかった」 と思うことだって少なからずあることだとは思います。痛みを絆に変えてなんて言葉にするだけなら簡単なこと。必ずしも痛みが通じることがプラスに働くことばかりではないし、それは物理的なものであれ、精神的なものであれ同じことです。だからこそ決してキズナシステムは万能な存在とは言えないし、このシステムの構造に憎悪を抱く者が現れてもなんら不思議はないのだろうと思います。“痛みを知る” “知られる” ということはそれ程までに繊細でいてデリケートで、人の価値観と関係の成り立ちにおいて大きな影響を及ぼすことだから。

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まただからこそ、今回の出来事はそれこそほんの一例なんだろうとも思うのです。痛みの伝播が一人の少年の価値観を大きく揺るがしたという一例が描かれただけで、それこそこれは勝平と千鳥二人の物語にのみ適応されたキズナシステムの有効例でしかない。故に今回の一件でキズナシステムに全幅の信頼を置くということも決してありはしないし、勝平と同じように自分自身の存在価値を捨てていた穂乃果が同じようなストーリーテリングを迎えるとは全く限らない。

けれど、キズナシステムの傷の奔流により一つの夜が明け、彼らの前にとても綺麗な朝焼けが現れたという事実はこの物語においてとても重要なターニングポイントにも成り得るものであると私は考えます。傷の絆のリスクの高さはきっと彼らを惑わせ、より一層その心を傷つける。けれど今日この日に見た朝日の美しさがその物語の先にあることも僕たちは知っている。

そして “知っている” ということはやがて “強さ” にさえ繋がっていく。それは痛みにしても、経験にしても。だからこそ今回のような一件や深まり続けるキズナシステムへの理解を通し、彼らがこれまでの価値観や考え方をこれからどう変化させていくのかといった点が楽しみで仕方ありませんし、そうして彼らが辿るこれからの物語をそれぞれしっかりと見届けていきたいと今は強く願っています。それこそ個人的には今回の朝焼けのようなスッキリとした終幕を期待してはいますが、いやはや、どうなることやら。本当に今後が楽しみな作品です。

2016-05-09

痛みという名の実像、殴り込むという名の叫び / 『キズナイーバー』 2話

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まるで画面向かい側へ殴り込んでくるかのように感じられたこのカット。そのタイトルが指し示す通り、傷と絆の話を軸に物語を展開する本作においてはむしろそうした “殴り込む” なんてスタンスが何より大切で、一番描きたいことだったのではないかと思います。

言葉なんて上辺だけ。何万語費やしたって “あなた” の本当の気持ちに届かないのなら、もはや残された手段は相手を傷つけてでもその心に踏み込んでいく覚悟のみ。

伝えることを恐れない。痛みを分かち合うことを恐れない。痛みを知ってもらうことを恥としない。そうした本作のコンセプトはまさに人の心に踏み込むということをダイレクトに表現していたように思いますし、特にこの第2話に至ってはその力強さというものが顕著に描かれていたように感じられました。

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けれどそれは “心の壁を乗り越える” なんて生易しいものじゃ決してなくて、強引に相手の心と対峙することで得ることの出来る上辺より一つ奥の感情を引き出すための “戦い” に他ならなかったのだとも思います。

例え踏み込む先が断崖絶壁の崖であろうと廃墟と化したビルの屋上であろうと彼女たちは “伝えるため” に全ての恐れを受け入れて立ち向かう。そうすることでしか伝わらない想いのため、痛みのために。殴るなら遠くからじゃその手だって届かない。だから踏み込む。だから飛び込む。土足でだって構いはしないんです。愚直なまでに真っ直ぐに伝えようとすること、そうまでしなければ伝わらないものがあるのだということ。むしろこの物語はそうした人間関係の一番ナイーブな部分を知るための物語そのものでもあるんじゃないかって。

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もちろん殴り込んだ先で返し討ちに会うこともあれば、自らの想いの弱さや軽薄さに打ち負かされ絶望することもあるでしょう。けれどやはり “殴り込まなければ明くる日が来ない” のだということも彼らは今回の一件を通し目の当たりにした筈です。

痛みが分からない。感情が分からない。なら思い知らせてやるしかないのだと。相手だって同じ人間。言葉が通じない化け物じゃあるまいし、分かるまで、理解出来るまでその心に対し言葉をぶつけてやればいいのです。むしろそうして傷つくことで流れ出た血の赤さに新たな絆のカタチを映し出すためのシステム、それこそが 『キズナイーバー』 に他ならないのではないかと、そんな風な想いを寄せつつ、来たる彼らのこれからの物語をしっかりと見守っていければと思います。

2016-02-29

青春と敗者のためのアンセム、そして少女は飛翔する ―― 『響け!ユーフォニアム』 番外編を観て

被写界深度を浅めに据え、まるで一人一人の物語を切り取るかのよう誰に向けても優しい視線を傾けてきた作品 『響け!ユーフォニアム』。まだ成長途上であった少年少女の横顔をしっかりと収め、そのまなざしの先に “夢” を託す本作の姿勢は終始一貫しこの物語の最大の魅力として描き続けられていたように思います。

諦めないで邁進すること。力を合わせ大きな目標に立ち向かっていくこと。言葉にすれば少し安っぽく聞こえてしまいそうなそんなフレーズを、京都アニメーションの映像美と言葉数少ない感情的なフィルムで劇的に描いていく本作のスタンス。少年少女の一時代を切り取り、それを “青春” と呼ぶことになんの躊躇いも厭わないその真っ直ぐさには、まるで “これが自身の過ごした青春時代である” と錯覚する程の熱量が込められていたようにも感じられ、その局面ごとに描かれる登場人物たちの “向き合い方” を前にしては強く心を打たれることも少なくはありませんでした。

そして何を隠そう、本作が真に優れていたのは、そうして “向き合うこと” を余儀なくされた少年少女たちの心模様を決してポジティブな観点からだけではなく、よりネガティブな観点から繊細に描き出してくれたからに他ならないと私は思うのです。勝者が居れば敗者が居る。つまりはそうした物語の力学上に厳然と横たわるリアリティをきっちりと受け止めた上で尚、手が届かないと思われる目標にもしっかりと “夢” を仮託していくということ。叶わない夢もある。儚く散る想いもある。けれどそこには燦然と輝く誰かのための “夢” が確かに存在したのだと語る作品のプロセスが本当に美しいんですよね。

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特に葉月の場合は何か明確な “夢” を持って吹奏楽部に入部したわけじゃなかったし、そこには “青春として” の確かな実感があったわけでも決してなかったのだろうと思います。なんとなく入部して、なんとなくチューバを手に取って。時には 「なんで私こんなことやってるんだろう」 なんてアンニュイな気持ちになることもあった筈です。

けれど彼女は恋をして変わった。青春の代名詞とも呼べる感情の芽生え。火照るような未来への衝動。久美子や麗奈が音楽へ情熱を傾けるが如く、それは彼女にとって紛うことなき “夢” と呼べる感情に他ならなかったのでしょう。まただからこそ、そう簡単に割り切れる筈がないし、諦め切れるわけだってなかった。それはどんな手段を遣ってでも “夢” を叶えようと部内を奔走した優子のように、「悔しい」 と涙を流しながら夜道を駆け抜けた久美子のように――。

全ては違うようで繋がっている。ようはみんな同じなんです。夢のベクトルが違うだけで、そこに向けて込められた熱量は誰においても差なんてない。何よりこの物語が 「登場する全ての人物を主役」 と謳うのもようはそういうことだと思うんです。順風満帆な青春だけが特別なわけでは決してない。何かに対し一生懸命になること。何かに向けて目一杯の想いを費やすということ。挫折したっていい。失敗したっていい。そうした経験の数だけきっと貴女 (あなた) たちは強くなれる。むしろこの番外編にはそんな願いのようなものが込められていた節すらあったように私は思えてならないのです。

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まただからこそ、この物語は往々にして敗者に向け贈られる讃美歌にも成り得ることが出来たのだろうと思います。何かを成し遂げることを “青春” と呼ぶのではなく、何かを成し遂げようと懸命に駆け抜けたその横顔にこそ “青春” の二文字は映し出されるのだということ。勝つことだけが全てじゃない。成功することだけが正解じゃない。

それこそ、大枠の物語の中では決して主人公になれなかった彼女たちがこんなにも輝いて見えるのはだからこそでもあるのでしょう。二人が抱き合ったのだって決して慰め合いなんかじゃない。その小さな体で “夢” に手を伸ばし続けた一人の少女に対する、あれは労いに他ならないのです。そして、それはこの挿話そのものが彼女たち 「モナカ」 に向け贈られた救済のためのボーナストラックであったように。この作品には “夢” のため全力で駆ける少年少女たちの背をしっかりと支えるための熱がたくさん込められているんです。

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何より、新たな “夢” を見つけ駆け出した葉月の表情をあんなにもハツラツと捉えることが出来たのも、そんな彼女に寄せられた大きな期待をその背中に映し出すことが出来たのも、ようはその賜物に他ならないんですよね。彼女たちが前に進むことを諦めないのなら、その姿をどこまでも美しく捉えることも厭わないとする物語との関係性。

夢を叶えた者たちへはファンファーレを。夢なかばで敗れた者たちへはアンセムを。そして、さらなる飛翔のため全力で邁進する若者に向け奏でられたアンサンブル。それこそが 『響け!ユーフォニアム』 という作品の本質であり、この作品が一番伝えようとした 「青春を謳歌することの尊さ」 に他ならなかったのだと私は思います。

全力疾走する葉月に追い縋るようその表情をフォローし続けたカメラワークからは、それこそ青春の輝きを一瞬たりとも逃さないとする作品の意地を垣間見たようで観ていて熱く込み上げてくるものがありましたし、何より彼女の口から 「また選び直せたとしても、私はまた吹奏楽部に入りたい」 という言葉を聞けたこと。本当に感慨深く、心より嬉しく思います。

実らぬものが再度芽生えた瞬間。新たな一歩に反射する少女の成長の記録。『響け』 と託された願いの片鱗は、この遠く離れた番外編の地でもしっかりと響き渡り、彼女たちの懸命な姿をしっかりと映し込んでくれていました。出会いだけが人生じゃない。成し遂げることだけが青春じゃない。それでも、もしその全てを糧として前を見据えることが出来るなら――。そんな言葉をもって、この記事もこの辺りで締め括らせて頂こうかなと思います。本当に素晴らしい番外編をありがとうございましたと、心から。



―― 追伸。「格好良い」 からと入部した吹奏楽。恋をして変わった貴女は本当に格好良くなったと思います。