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Paradism このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-01-13

『アイドルマスター シンデレラガールズ』 第1話 感想

ゲーム稼働から約3年。本家アイマスの素晴らしきTVアニメシリーズから高雄統子さんを監督に据えてのこのアニメ化は、期待の遥か上を越える素晴らしい出来をもってその始まりの時を刻んでくれたように思います。

それこそ 「良かった点」 なんて挙げだしたら切りがない程に息をのんだ物語の序章。それはあの 『THE IDOLM@STER』 の第一話を彷彿とさせるかのような静かで、けれど力強い一歩を踏みしめる決意の灯としても私の胸に刻み込まれた、まさしく高雄統子さんが私たちに贈る “メッセージ” そのものに他ならなかったのでしょう。

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それも一言で言い表すのであれば、これは 「始まりに至るための物語」 であるのだということ。幾度となく差し込まれた時計のカットと凛と咲き誇る花々のカットはその象徴足り得るメタファーで、まさしく彼女たちの “これから” を予感させるに等しい描写になっていたように感じられます。

まだアイドルでない、アイドルになれるとは夢にも考えていなかった少女たちの物語。12時になれば魔法が解けてしまうというシンデレラの童話をモチーフとしつつ、けれど “それから” が彼女たちにとっては本当の始まりであるとでも言うように真上へと一つずつ進み往く秒針は、言葉語らずともしっかりと本作のコンセプトを指し示してくれていたように思います。

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またそれこそが高雄統子さんが手掛けるフィルムの “らしさ” なのだろうとも私は思うのです。物云わぬ雄弁さ。伝えたいことを直球で、ダイレクトに画面を通し伝えてくる映像の包容力。

それこそ一人悩んでしまう卯月を画面の隅に追いやれば、こんな風に笑顔を咲かす表情を正面からだって切り取って見せるレイアウトの取り方というか。キャラクターの心を覗くような、それでいてその心に少しでも寄り添おうとするカメラの置き方はこれまで氏が手掛けられてきた作品においてもやはり同様で、だからこそ高雄統子というレーベルはよくキャラクターの心情とも近い場所で語られることが多いのでしょう。

また、そのキャラクターの感情を一番身近に感じられるカメラの置き場を高雄監督は知っている―、そういう受け手としての信頼が在るからこそ、私は氏の映像をこうも安心して見守ることが出来るのだと思います。

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そして何を隠そう、だからこそ凛が顔を上げる・目線を上げるということにだって意味は宿る。まだ些細ではあるけれど、でも確かな情熱を携え正面を見据える卯月とは対照的に、俯きがちだった凛の視線が上がる瞬間に “何かが変わった” と伝播するそれはまさしく感情の漏洩で。

視線が上がる。拳を握る。髪が波立つ。そうして丁寧に描かれるちょっとした仕草に魂は宿るし、感情だって芽生える。ああ、この瞬間にこそ凛の心は何かに震えたのだという実感がこちらの心にも伝わってくる。感覚的に、直感的に。そういう情感で “伝えたいことをガツンと滲ませ伝えてくる” 巧さにこそ、高雄さんの真骨頂というものはやはり現出されるのだと思います。

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またキャラクターの意思を尊重し、その表情 (心) を正面から切り取る強さは相も変わらずな高雄さんのフィルム。凛がこの物語に初めて登場した時はそれも焦らすかのように彼女の表情をなかなか映してはくれないコンテワークだったわけですが、卯月の最大にして最高の長所である満面の笑顔を前にした時に初めてカメラを真正面から寄せていく。

彼女が初めて前を見つめた瞬間。それはまるで 「ほっとかないよ」 と希望の言葉を託されたあの日の千早のように。何かに “気づくことの出来た” 少女の物語が始まりの鐘を鳴らす瞬間ともリンクする、それは決定的な “揺らぐことのないカット (渋谷凛原風景)” にだって成り得るのだということ。

それも普段はどこか気だるげに、気乗りのしない表情をいつだって見せていたあの渋谷凛がこういう表情を見せることの意味と、その表情を正面から捉えてくる高雄統子監督の覚悟というか。そうした何もかもがどうしたって溢れてしまうからこそ、この作品が私たちに向け贈る始まりのメッセージはこんなにもこの心を揺さぶってくれたのだとも思います。

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背景・仕草・モチーフ・台詞・視線・劇伴のタイミング。そうしたものの全てが物語を象る補助線として集約されるからこそ高雄さんのフィルムには全く迷いがないように感じられるし、だからこそそこにはこの映像を観る人を決して迷わせないという芯の太さがある。

そのことを改めて感じられただけで本当にこの方に監督をやって頂けて良かったなと心から思いますし、氏になら大好きな彼女たちの物語も心置きなく預けることが出来るなと、今はそんな感慨と感動に耽るばかりです。むしろ私の方がこの作品の魔法に掛けられてしまっているような錯覚さえ覚えてしまいますね。最後に高雄さんの言葉を一つ紹介し、この記事もこの辺りで締めさせて頂こうかなと思います。

自分たちの中にきらきらしたものがある、あると信じたいという純粋な思いを大事に抱いていて階段をのぼろうとしている子たちが 『シンデレラガールズ』 なんだと私は思います。そういう 『輝きの原石』 から始まる、女の子たちのストーリーを丁寧に描いていきたいなと思っています。


これからどんな魔法を使って 『輝きの原石』 たちを光り輝かせてくれるのか。本当に楽しみで仕方ありませんね。次回がとても待ち遠しいです。


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