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2015-04-16

『響け!ユーフォニアム』 2話の演出について

京都アニメーションの新作 『響け!ユーフォニアム』。その第2話を視聴し幾つか気になったこと、感じたことがあったのですが、その整理も兼ねこの記事を書いています。

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中でも特に印象深い登場人物だったのが先輩という立ち位置で描かれた3年生の斎藤葵でした。唯一、「全国まで目指さなくてもいいと思う人」という問い掛けに手を挙げた彼女でしたが、それこそ彼女の言葉に耳を傾けてみれば聞こえてくるのは「(楽器に対して)特に拘りがある訳じゃない」「塾があるから」「三年なんてあっという間」などというどこかリアリティのある言葉。

高校生、それも春も駆け出しの最後の一年ともあれば、もっと夢に大らかな想いを馳せていても決しておかしくはないと思うのですが、徹底して彼女は “今” よりも “遠く” を見据えているようで、どこか儚げに映る印象さえもその表情からは感じられました。

それこそ諦観するかのような彼女を捉える時はカメラもどこか引き気味やらロングショットが多く、その歩む方角は常に右から左へと流れる時間に忠実にその足を動かしている印象を受けました。画面からはける時もシームレスに左へ。そうした余り良い意味としてではない “歩みを止めない姿勢” はそれこそ斎藤葵という少女の存在を象徴するかのよう描かれていたようにも思います。

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それも草笛を鳴らす久美子に対し「鳴るねぇ」 とおどけてみせる葵もそれに倣い道草を毟り草笛を一つ繕うわけですが、その音はいよいよ奏でられることなくBGオンリー(背景カット)を一つ挟んでから次のカットへと映像は移ろいでゆきます。

それも中央のキャプチャから三枚目のものへの時間の経過と共に。葵の立ち位置が逆方向に変わっていることから僅かでもそこには “描かれることのなかった時間” があることが静かに語られているわけです。もしかすれば葵の草笛はその間にこそ美しい音色を奏でていたのかも知れませんが、その真相を知ることはいよいよもって出来ない辺りに、私はどうしても悲しさを抱けずには居られなかったのです。

だってそれは彼女が “音/想い” を奏でることを辞めた証だと思うから。鳴らない草笛。語られることのない心情。それも言うなれば青さを見せない彼女の春、無色透明のように感じられる斎藤葵の最後の春はいつになったらその風景を色づかせてくれるのだろうという哀愁そのものでもあったのだと思います。

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けれどそんな彼女を正面から捉えたカットでは一転してその心情に色がついていくよう描かれます。久美子に向けたカメラは固定したまま動く様子を見せない中にあって、葵を捉えたカメラは分かりやすいくらいに手ブレを起こす。

それは他でもなく彼女の心にカメラが反応している、ということの裏返しなのだと私は思いました。心を覗くよう人の手でカメラを向けたようなブレ、フィルムの質感は他の京都アニメーションが手掛けた作品にも多く見受けられる演出ではありますが、この『響け!ユーフォニアム』 もやはりその例に漏れず、しっかりと彼女の心を捉えようとしてくれたというその事実に否応なくこの胸も躍ってしまったと言いますか。

「どっちにも挙げなかった誰かが一番ずるい」 と語り始めた彼女の心は確かにその瞬間、諦観から主観にその表情を変えたのだと確信することの出来るフィルム。どこか一歩引いた目線で言葉を紡いでいた彼女がここに来てようやくその言葉に自己を投影したのだと分かる画面の転換点。

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そしてその直後に差し込まれるのは “音の鳴らない共鳴”。そう、彼女だって音を鳴らすことは出来るのだと雄弁に語るこのシーンにこそこの作品が描きたい青春は顕在していたのではないかと思います。

誰もが何かを感じ、何かを想い “音” を奏でていたのだと語るこのワンショットはそれこそ久美子の悩みに向けても重ねて描かれていたのでしょう。何かを言葉として紡いでしまえばぶつからずには居られない社会のままならさに対し、「けれどそれでも――」 と反語を重ねるように添えられた草笛のショット。

もちろん、その反語に続く言葉を久美子は未だ模索しているのでしょうし、葵に至ってはもう二度と口にすることもないのかも知れません。でも、それでも、葵にだってあの桜舞い散る道をその瞳に映し歩んだ日々があったのだと証明するにそれは十分過ぎる描写であったように思いますし、そうして少しでも彼女の心を汲んでくれたであろう今話のコンテ・演出を担当された石原立也さんに対してはやはり感謝の気持ちを抱かずには居られなかったのです。

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それこそ、石原さんはこの2話を振り返るに辺り、このようなコメントを本作の公式サイトに掲載しています。

この部員たちは“名も無いエキストラ”ではなく全員名前のある“登場人物”です。


そしてそれは斎藤葵という一人の少女においても決して例外ではないのでしょう。まただからこそ、私は期待したいのです。もう一度、彼女の春に桜が咲くことを。その想いが音として鳴り響くことを。

彼女は自身の行為を 「アリバイ作り」 と称していましたが、きっとそれもただ “流れに背いた” という一つの根拠を欲っしただけではなかったのだと私は思います。まただからこそ、彼女がその想いを音として奏でる瞬間を見届けたい、見守りたい、と。その一心こそが本作を視聴するための原動力になりそうだなと。そんな余韻に浸ることの出来る素晴らしい挿話であったように思います。

それこそ葵がもしこのまま学校を卒業してしまったとしてもその心はきっと久美子にも受け継がれていくんじゃないかなぁなんて。だからこそのあの台詞。だからこその「あっという間」。まぁそんな色々も妄想しつつ。彼女たちのこれからをしっかりと見守っていければ幸いですね。本当にこれからが楽しみな作品です。

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