有限会社ぬくもり工房・大高旭氏インタビュー

機屋にとって布を提供することは、まさに「嫁を出す」ような気持ちだという。


浜松の伝統的な織物である「遠州綿紬」は、深刻な後継者問題に直面している。
300件あった遠州綿紬の機屋が2件にまで激減している。
その流れを止めようとビジネスをかけるのが、有限会社ぬくもり工房である。
今回は有限会社ぬくもり工房代表、大高旭さんのインタビューを行った。


<事業内容>
遠州綿紬専門の開発・販売を行う。
インターネット上での生地販売、インテリア・衣類・雑貨類の受注販売、浜松市内のアンテナショップにて、今バースなどのスニーカーやシャツ、ネクタイ、バックのオーダー販売。またアパレル会社への生地提供や、ホテル向けインテリア素材としての生地提供を行う。

浜松市の伝統織物「遠州綿紬」を企画・販売「ぬくもり工房」http://www.nukumorikoubou.com/



<インタビュー>

−−−−事業を始めたきっかけを教えてください


24才のときのことです。
当時私は独立して飲食店を出したんですけれども、そちらが失敗した時期にありました。同時期、父の入院があったり、また妹の結婚があったりということで、地元の父の会社を受け継ごうと、浜松に帰ってきました。その時に作ったのがこの会社なんですね。
祖父が立ち上げた「大幸株式会社」という綿織物の会社があり、父が3代目の社長をしていました。その中のいち商材として「遠州綿紬」という素材があったんですね。
当時、「大幸」の販売形式は問屋業で、商社などから注文があればある程度の数を納品する、という商売方法をとっていました。しかし時代は変わり、40年ぐらい前は遠州地域に300件以上あった機屋さんが、今はたったの2件になってしまった。まったく儲からない商売になっていたんです。
そんな中で、この生地を見ながら、「なにか新しい流れを生み出せるのではないかな」と思ったんです。そこでこの商材を使わせてくれと言って独立した会社が「ぬくもり工房」です。

最初はヤフーオークションなどのネット販売事業で、個人のお客様に直接販売をしました。
商社などに納品していたときは、何にどう使われているのかわからなかったんですね。直接お客様と合って反応を見ながら、商品のいいところをのばしていくようにしました。
ヤフーオークションが軌道に乗った時点で楽天にショッピングモールを出店していきました。
今はこのネット販売と、イベントでの販売と、あと卸販売という3本柱でやっています。


−−−−遠州綿紬の復旧にビジネスをかけたきっかけは


この生地を見たときに、本当にあたたかいという感じがしたんですよ。こんないいものを作っている機屋さんが、2件しかない。なくなるなんて考えられませんでした。また機屋の職人さんとお付き合いする仲で、自然と残さねばという気持ちが膨らんでいったんですね。
40年前は、全国的にも浜松は「織物の産地」として有名だったんです。豊田佐吉さんが自動織機を作って、そこから綿織物が事業化されていきました。その技術はが応用され、トヨタ自動車河合楽器といった事業が生まれていった。自分としては日本のすべての製造業の原点は、浜松に、それも織物にあるといってもおかしくないと思うんですね。
そういうルーツを知る人は少ないですし、それを知ったところでだから残さなければならないというわけでは必ずしもない、しかしやはり、原点たるものにひっかかりがありました。
また浜松の三ヶ日地域には、織物の神様が祭られている「初生衣神社」があるんですね。
浜松のこうしたストーリーを知り、そういうものを残すべきという気持ちが高まりました。



−−−−ぬくもり工房の目新しさはどこにあるのか

私は繊維業のなかでは若手なんです。
特に職人さんだったら、60才代で若手だといわれて世界です。自分は職人でこそないのですが、それでも20、30代というのはかなり若かった。
また繊維業の中では「当然の流れ」といういうものがあったんですね。そうした流れに対して、外から入ってやりたいことをやっていたら目立っていましたんです。
グッドデザインしずおか2007年度のグランプリ受賞、浜松ビジネスコンテスト、やらまいかはままつというブランドをとったりなど、あらゆるコンテストへの出演も新しい試みでした。、
こうしたイベントへの参加による広告もそうですが、自分でも、公で支持してもらえることを認識し、ビジネスとしてがんばっていいんだという気持ちが強まりました。


−−−−今後の展望は

遠州綿紬の製造・工程を守っていくことが、使命としてありますね。
2件の職人さんは、3年前にくらべて出荷量が2倍になりました。それでもまだまだ、儲かるかと言われれば儲からない。志願者はいても、実際にお給料が出ないという状況を打開するためにも、このビジネスをさらに発展させたいです。


−−−−市民に支援されたいこと


やっぱり私たちの活動を知ってほしいです。「こういうものづくりがある」ということを知って欲しいので、たとえば学生には、卒論として扱ってもらうだとか、講義の一環として知る機会があってもいいと思いますね。そういった学生の提案は欲しいです。
また学生だけではなく、市民の方と一緒に商品開発などしたいと思っていますね。




(インタビュー:苅谷 文:杉村)