福岡事件ファイル

 ●福岡事件
  
 発生から29年後,被疑者2人に対し唐突な死刑執行と恩赦。
 
 http://yabusaka.moo.jp/hukuokagosatu.htm
 
 1947年5月20日,福岡市で闇ブローカー2人が射殺され,現金8万円が盗まれた。警察は軍服闇取引に絡む計画的な強盗事件として,1週間後に西武雄(32),石井健治郎(30)を含む復員軍人ら容疑者7名を逮捕。7人はアメリカ側の軍事法廷で尋問を受けた後,日本の裁判に回されたが,このとき「速やかに裁判し,判決を報告すべし」という要望書をつけられた。
 
まだ旧刑事訴訟法の生きていた頃で,証拠が無くても自供だけで被告にすることができた時代である。拷問の結果,西は主犯,石井が実行犯,残り5人が共犯者として強盗殺人事件として起訴。裁判で西,石井両に死刑判決。闇ブローカーの一人は中国人の有力者ということもあり,傍聴席は中国人で埋め尽くされ,判決後「7名全員を死刑にしろ!」と怒号が飛んだという。
 
 この事件,石井が実行犯であることには間違いないが,石井の言葉を借りると強盗事件ではなく,ピストル販売など諸々が重なった結果による単なる殺人事件。西は全く無関係であり,そのことは石井自身が証言している。二人は1956年,死刑確定。
 
 1968年,野党が再審窓口を広げよと国会に「死刑囚再審法案」を提出。与党はこれを拒否。その見返りとして西郷吉之助法務大臣は「GHQ占領下の死刑確定囚は,積極的に恩謝する」と声明,明治百年記念恩赦を宣言。1975年6月17日,石井死刑確定囚が無期減刑。しかし同日,西死刑確定囚は死刑執行。実行犯が無期懲役減刑となり,全く関係のない(とされる)人物が死刑になるという,戦後混乱期ならではの不可解な事件。石井氏は,1989年仮釈放で出所。
 
 2005年,西元死刑囚の遺族,石井氏,共犯の1名は,「自白は拷問によるものである」と福岡高裁に再審請求。西元死刑囚は3度,石井氏は5度の再審請求。「白鳥決定」以後では初めて。再審請求によると石井元被告らは拷問などにより自白を強要され,首謀者とされた元死刑囚は殺害現場にもおらず,何も事情を知らなかったという。

【文献】
古川泰龍
『福岡,中国人闇ブローカー殺し殺人請負強盗殺人事件真相究明書』 (コスモス社,1963 非売品)
今井幹雄『誤殺』(東方出版,1983)
古川泰龍『嘆異抄』(地湧社,1988)
古川泰龍『叫びたし寒満月の割れるほど』(法蔵館,1991)
古川泰龍『白と黒のあいだ』(河出書房新社,1964)
佐久間哲「なぜ私が助かったか−恩赦の明暗−」(『死刑に処す 現代死刑囚ファイル』(自由国民社,2005)所収)